このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 

 

7.あまりいいとは言えない秘策

 

 

7−1 放置プレイをいじめる

 さて、論題の「平成美濃電妄想記」の本領へ入っていきたいと思います。おなじみの妄想鉄道岐阜編です。

 名鉄電車が線路の上で車両やダイヤで死闘を繰り広げていたにもかかわらず、インフラの整備は放置状態でしたね。誰が悪かったんだろう?徹明町から日野橋までを往復している札幌電車に乗ったことがありましたが、すばらしい乗り心地でした。上下左右に揺すられること! これはレールが悪いので、昭和40年代はじめ建造の札幌電車の台車のコイルバネに耐えられなかったとしか言えなさそうです。

 50年代の名鉄オリジナルの、イスがひとりづつセパレートになっている電車は空気バネ台車で、細い短いレールと急カーブの美濃町線をわかっている設計だったのでしょう。この乗り心地はより増しでした。

 市内線区間の停留所は、安全地帯が無く、歩道から車線を横切って電車へ辿り着かなければならないのは、これもすっかり有名になってしまったのですね。都電荒川線の停留所みたいな高床車に合わせた安全地帯の嵩上げなどと言うことはあり得ず、逆に言えば自動車が少ないからこういうことができるということだったのですか? 誰か教えて下さい。

 美濃町線も、おそらく10mレール使っているところもありそうな30kgの細いレールだし、有名な芥見の併用軌道区間も農道の隅に線路が引いてある感じで、架線柱だけが立派な様子ですし、津保川の橋もよく90年近く電車が走っていたなあといった風情です。もちろん、もう施設上は元を取った路線でしょうが、もしそうだとしたら、なんとかできたでしょうに。

 関へ行ってみると、新しい踏切を通って長良川線の関駅へつながった新路線は線路も真新しく、何年も使わずにおしまいになるのですね。税金返せ!

 

7−2 南へ撃って出る

 ここまでは、大分悪口を書きましたが、ここからは妄想ついでに建設的なことを書きましょう。死んだ子どもの年を数えるようなことをお許し下さい。

 改めて、市内線の配置を思い出してみると、JR駅から北へ長良橋を渡った北町への路線、競輪場から西へ神田町交差点を抜け、千手堂交差点から北上し忠節橋を渡る路線の2路線と言っていいわけです。廃止路線も入れれば、北町から高富、千手堂から鏡島と結構長い距離の路線になるわけで、現存する美濃町線田神線も加えて長大な路線網があったわけです。

 しかし、これらの路線網はすべて中山道以北に配置されているのでありまして、岐阜の街は中山道以南にも広がっているのです。

 美濃電気軌道は新岐阜から南への路線もあったのでしたが、名岐鉄道結成時に軽鉄道から普通鉄道に改築されたしまったのですね。笠松線のことです。現在でも笠松から南の竹鼻線は軽鉄道の要素を充分に持った路線に見えます。昼間に新羽島で新幹線から乗り換えると、「別にパノラマカーが来なくてもいいじゃん」という気持ちにもなります。

 そこで、南へ撃って出る美濃電再構築の目玉の一つとして、笠松〜岐阜駅前間の新路線を提唱したいと思うのです。旧加納宿は城下町でもありますが、商業都市の岐阜が明治以後発展するのに対して、その岐阜の南隣の古い町として岐阜市街地の郊外となっていたわけです。城下町時代に比べ、人口密度も減少したのですが、現在は岐阜駅南の市街地の一部として完全に市街地化したと言っていいでしょう。

 妄想路線としては、いろいろなご意見もあるでしょうから教えていただきたく思いますが、JR駅から有名な風俗店街をかすめ、南口へ出ます。この駅前通をひたすら南下し、バイパスを過ぎたあたりで流通地区へ入り、笠松駅へ入ります。ここからは竹鼻線へ乗り入れ、新羽島へ向かい新幹線のフィーダーとして機能するという妄想です。これには竹鼻線の高速化の工夫が必須です。現状の笠松から新羽島まで20分はかかりすぎです。急行電車を設定できるくらいの改良をしてほしいですね。新羽島から笠松まで10分、笠松からの路面区間を20分くらいで抜けて神田町へ行くぐらいにならないでしょうか。

 南への攻撃として忘れてはならないのが県庁です。新幹線駅からは車で十数分と言った位置になるのでしょうが、旧市街地やJR駅からのアクセスはあまりいいとは思えません。これは千手堂もしくはJR駅から西岐阜駅方向へ伸ばし、南下させて県庁へ至るという路線を造ればいいですね。県庁周辺はまだ、開発途上のようですし、パークアンドライドの拠点にもできるかもしれません。

 バイパスを通って県庁へ集まった車の人たちを、電車で旧市街地の繁華街へ行かせると言うような人の動きを作りたいですね。

 

7−3 東西北の守りを固める

 南のメインラインを新幹線フィーダーに専念させるとして、現存路線をどう活かすか、また、岐阜市自体の地域の役割分担をどう考えるかということを考えてみたいと思います。

 西から順番に指摘したいと思いますが、黒野は揖斐川根尾川の両方の川の谷口に当たる位置と考えて、ここをP&Rの拠点として整備したいですね。一方、北方で交差する樽見鉄道と直通もできれば、車よりも時間がかかりますが根尾谷から岐阜市街、新羽島へ直通する系統を確立できるでしょう。いろいろな人の動きを総合できるのではないでしょうか。根尾谷上流の樽見鉄道線沿線ではP&Rが確立しているでしょうから、これを活かさない手はありません。

 北側は、長良線・高富線を復活させ、錯綜したバス路線を整理することができます。新路線として、忠節からコンベンション地区を抜けて長良北町へ向かう路線を建設してもいいかもしれません。忠節から北町に掛けての長良川北岸は充分住宅地化が進んでおり、今後まとまった用地が確保できればおそらく、高層住宅の建設も見られるようになるのではないでしょうか。そうなると、はっきり言ってバスでは足りなくなるでしょう。北町からは山県市の中心地である高富を結ぶ必要も生まれるでしょうし、高富をP&R拠点として山県市各地域からの流動を結束し、旧市街地への人の流れを改めて創ることができるのではないでしょうか。市役所以北の長良線沿線は、金華山登山口があり、古い町並みも残っているようですから、歴史的地域としての保存、観光地として整備を更に進めて欲しいです。私たちの埼玉で川越が古い町並みを観光地化できたように、古い町の多い中京圏の新しい手本になるような地区にして欲しいのです。何と言っても岐阜は、「国盗り物語」の舞台です。全国的に有名な英雄の街ですからこれを売り出さない手はありませんね。

 さて、東側ですが、美濃町線の近代化を真剣に考えて欲しいですね。確かに急カーブの多い路線ですが、レールの重軌条化だけでもやっておけば、少しずつスピードアップも出来たでしょう。まさに「放置プレイを責められる」べきです。これからもし、引き受ける企業が登場したら、まず「高速化」の工夫をして欲しいですね。なぜなら、この路線は、「岐阜市と関市を最短距離で結ぶ」鉄道路線なのです。都市間連絡路線なのです。首都圏であれば、とっくに高規格化が行われたであろう路線と言ってもいいかもしれません。関東鉄道やJR青梅線・八高線、伊豆箱根鉄道線、東武鉄道の北関東の各支線のレベルまで引き上げられても良かった路線に見えます。たとえ、流動が岐阜を通り越して名古屋を向いていても、近代化するべきだったと思います。名鉄の事情もあったとは言え、名古屋本線以外の岐阜の名鉄線は、インフラについては放置された存在に見えます。竹鼻線については先に述べましたが、犬山線に繋がる各務ヶ原線でさえ複線、高架区間があるにもかかわらず、よく見ると、長野電鉄の複線区間の方が施設がしっかりしているように見えます。

 国土交通省も、そういう工夫のための補助ができるのでしたね。新規参入社に対して、しがらみ無く柔軟な施策を展開して欲しいですね。一度は無くなった交通機関なのですから。

 美濃町線に戻りますが、長良川鉄道と結んで直通して欲しいですね。関駅の構造をよく見ると、名鉄線のレールをそのまま延ばすと、長良川線のホームへ入れるのです。駅入り口の通路でとぎれているレールが何とも切ない風景です。

 長良川線も高速化できれば、郡上八幡から1時間半程度で神田町へ到達できるのではないでしょうか。

 神田町交差点も、岐阜の中心としてもう少し開発を進めてもいいのではないかと思えます。角に「名鉄メルサ」デパートがあって、その前の交差点を電車が行き来しているにもかかわらず、停留所やバス停が分散していて、どうやって人を集めるんだろう?という様子です。美濃町線の始発停留所に至っては、駅ビルを持っているにもかかわらず、万葉線の高岡市内の電停の方がずっと立派なんですね。極論ですが、メルサビルの中へ線路やバス停を引き込むぐらいの事が出来なかったのでしょうか? 新幹線フィーダーの始発駅として、ミニシティーターミナルになれたもしれないのに、その効果ばかりを想像して、新しい動きを創ることのできなかった施策の帰結なんですね。

 「現実を見ないで」きつく言い過ぎたかもしれません。

 

 

 

 

 

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