このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
台座に設置されたプレートは「C11177」だが、動輪の刻印は274号機のものである。廃車になった時期を考えると177号が274の動輪を履いていたとは考えにくいのでプレート(煙室扉も?)と動輪はそれぞれ別のものと考えられる。したがってここでは動輪主体と考えて274号として紹介した。
プレートの177号は関西育ちのC11であったが最後は苗穂区にあってその周辺で働いていた。そのため274号の動輪とともに札沼線沿線の町・浦臼町の郷土史料館の庭に大切に保存展示されている。
C11274
昭和19年(1944)日本車輌製(製造番号1350)。新製から戦後を通して北陸地区で働く。高岡〜富山などに長く在籍し44年9月に釧路へ移動した。道内最後のC11の活躍場所となった標津線などで働き50年6月25日付で廃車となる。
エピソード
同機の最後の同僚の中にはさなざまなその後の車生を過したC11が多く、静態・動態保存や紆余曲折のうえ解体などいろいろである。詳しくは
C11四方山話 北海道編
の後半部分を御覧下さい。その文中で「274号の動輪とプレートが北海道鉄道学園に保管されている・・。」という部分がありますが、この学園は現在はなくなっており、その動輪が浦臼に運ばれてきたのかもしれないという推測も成り立ちます。ナンバープレートが別番号のものであるのは沿線縁の177号のことを考慮したのかもしれません。
プレートのC11177履歴
昭和15年(1940)川崎車輌製(製造番号2339)。新製から戦後まではもっぱら関西地区で過す。昭和16年には竜華におり、その後姫路(姫路一)に移り長く播但線などで働いた。47年に北海道に渡り活躍場所の最後は札沼線などであった。48年11月30日に苗穂区にて廃車となる。
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