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C5752
昭和13年(1938)3月、三菱製(製造番号1905)。新製後は金沢に配属され北陸路などで活躍、その後浜田〜豊岡と移動した。SLブームの頃は播但線にあってファンの被写体となるも無煙化により47年に九州の若松へ。わずかな期間ではあったが「筑豊のパシフィック」の一員としてそのラストを飾り47年5月1日に同区で廃車となった。
なお若松転入時の同機の取替え対象となったカマは奇しくも同時期に同じC55の「つなぎ」役として大分から来ていた弟の53号(47ー2ー7廃車)であった。
エピソード
兄弟形式・兄弟ナンバー機の不思議な縁
同機とその弟機C5753、また兄弟形式であるC55の52・53号機の4両には不思議な縁がある。前述したようにC5752号は末期に豊岡から若松に転入したが、その際にバトンを受けたのが弟の53号であった。また同時期に筑豊で活躍していたC55のメンバーの中に兄弟形式の同ナンバー52・53号がいて、C5753の取り替え対象機がC5553号であった。C5553はゆかりの地・大分(C5553もC5753と同じく大分で活躍した)へ保存(実際はC5546が代役)となった。その交代したC5752が若松に来た時、わずかな期間ではあったが「筑豊最後のC55」の1両となっていたC5552号とも顔を合わせている。
このように期間の微妙なすれ違いなどはあるが、兄弟形式しかも同番号兄弟機同士がともに同じ路線で活躍し、時には顔を合わせていたという事実にも不思議な縁を感じるものである。またC55兄弟はともに保存され(正確には保存されたC55はナンバープレートは53号だが実際は46号であり、動輪として別に53号は存在)、C57の方は京都・東京にそれぞれ別れてはいるが動輪として生き残っているという強運を持ち合わせていることも似通っている。
※なお弟のC5753の動輪は東京の銀座天賞堂店内に、C5553の動輪は大阪の共栄興業にそれぞれ保存されている。またC5552は鹿児島県吉松町に静態保存されている。
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