このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

保存動輪C5753

C5753動輪 東京都中央区銀座 天賞堂本店3階に保存

「右側第2動輪」との説明書きが貼ってある
刻印部分の拡大
 
鉄道模型のショーケースの奥に展示されている。現役時の姿を写した写真もある。
中央部。川崎車輌のマークが鮮やかに打たれている。

※写真はいずれも許可を得て撮影しました。


C5753
昭和13年(1938)3月、川崎車輌製(製造番号1906)。新製後山陽路に配属され下関区などに在籍。その後九州に渡り鳥栖〜鹿児島と島内の幹線筋で働く。電化の進展などにより今度は日豊線に移り大分に配置されたがここも同じく電化で次第に活躍の場がなくなり、46年3月に筑豊のC55の取替えの「つなぎ」として若松区に転入した。ただここでの働きはわずか四ヶ月のみで46ー8には早くも休車となり、兄の52(豊岡より)の転入を待って47年2月7日に廃車となった。同機は生涯のほとんどを九州で過したカマであったが、不思議と門デフ改造などを受けておらず、標準に近いスタイルを保っていた。若松区在籍時の記録はその稼動期間が短かったこともあるが、SLブーム末期にも入っていたためちらほら記録には残っているようだ。

エピソード
兄弟形式・兄弟ナンバー機の不思議な縁
同機とその兄機C5752、また兄弟形式であるC55の52・53号機の4両には不思議な縁がある。上記したように53は末期に大分から若松に転入したが、その際の取り替え対象機がC5553号であった。そしてC5753号が「つなぎ」の役目を終えて交代したカマが豊岡から転入したC5752であり、C5553はゆかりの地・大分(C5553もC5753と同じく大分で活躍した)へ保存(実際はC5546が代役)となった。その交代したC5752が若松に来た時、わずかな期間ではあったが「筑豊最後のC55」の1両となっていたC5552号とも顔を合わせている。
 このように期間の微妙なすれ違いなどはあるが、兄弟形式しかも同番号兄弟機同士がともに同じ路線で活躍し、時には顔を合わせていたという事実にも不思議な縁を感じるものである。またC55兄弟はともに保存され(正確には保存されたC55はナンバープレートは53号だが実際は46号であり、動輪として別に53号は存在)、C57の方は京都・東京にそれぞれ別れてはいるが動輪として生き残っているという強運を持ち合わせていることも似通っている。
※なお兄のC5752の動輪は京都府の嵯峨野観光鉄道「19世紀ホール」に、C5553の動輪は大阪の共栄興業にそれぞれ保存されている。またC5552は鹿児島県吉松町に静態保存されている。


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