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昭和47年(1972)7月、東京地下駅および新線開業記念として丸の内地下コンコースに片側3動輪が保存展示された。
C6215
昭和23年(1948)12月15日、日立製作所改造(製造番号1799 種車はD52112)、製造後糸崎区に配属され山陽本線を中心に活躍。24年に岡山、25年に浜松と移動し幹線で特急なども牽引した。その後広島2・再び糸崎と昭和45年10月の呉線電化まで「本州最後のC62」の1両としてファンの注目を浴びた。糸崎で廃車となると思われたが、会計検査院の勧告により北海道へ転属し、同僚16号とともに45年10月に苗穂工場へ入場、代わりに廃車となったC6232・44号のテンダを振替えられ、2・3号とともに急行「ニセコ」などの牽引にあたった。廃車は昭和46年11月24日。
備考この動輪の刻印ははっきりしないが一説には小樽の同僚44号機のものともいわれている。ただそれでも15号として走ったことは事実なのでここではあえて「15号の動輪」とした。なお北海道には一対の44号の動輪も保存されているのでこのあたりは調査を待ちたいところである。
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