このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

少年の頃の思い出
ライン

パワーパックっす
父に作ってもらったパワーパック!
2Aトランス、レオスタット搭載!
19V発生・・・エッ19Vォオ?
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 こちらのページでは、私が鉄道模型を自分のものとして始めた当時の車両コレクション(1/80 16.5mmです)をご紹介します。私が小学校の4年生から中学校の2年生ぐらいの時代。昭和45〜49年(1970〜1974年)頃に遡ります。コレクションと言っても表題に掲げたように殆どゴミのようなもの。でも私にとってはどれも宝物なんです。何年かおきに発作的に「捨てちゃろかな」なんて思うこともありましたが、その都度ふっと我に返り、何故か実行に移すことなく哀れな姿のまま、現存しております。

 ではごゆるりとご覧くださ〜い。


錆はウエザリングですから、一応 カツミの自由形Cタンクです。小学生のときに購入しました。
 でも欲しかったのは、ほんとはカツミだったかカワイだったかの同じ自由形のBタンク。Bタンクの方がディテールが細かかったためです。ところがこのBタンクはCタンクより2,000円近く高価だったと記憶してます。動輪数が少ないのにネ・・・
 今と違い、昔の小学生の月額数百円の小遣い生活の中で2,000円の差は大きいですよね。結果、このCタンクです。

 で、あまりに淡泊で何のディテールもないCタンクに、知識も根拠もなく単なる賑やかしでパイピングやらライトやら握り棒やらをゴチャゴチャと接着。
 前部の握り棒はなんと学研の付録にあった昆虫採集用の虫ピン。パイピングはプラモデルのSL(D51やったかいな?)から、ライト(何故か前部握り棒の横)はミニチュアのオートバイから、それぞれ移植。
 生意気にも、錆釘を紙ヤスリで扱いて集めた錆粉を散りばめたり、部分的にベンジンで磨いてテカリ感を出したり、といったウエザリングまで施してます。
 乗降口の両側に付けてある握り棒の極太さには、今、思わず赤面! 機関士さん、これじゃ掴めねぇ〜でしょうが。

 でも、これでも世界にたった1台のオリジナル(そりゃそうだ!)。

 小学生の私にとっては自慢の一品でした(^o^) ガハハハハッ

金属製の箱です 当時の部品入れにしていた段ボール箱をガサガサやってたら、こんなのが出てきました。これはカツミの12系ふう自由形客車の先頭車を種車にして、どうやら郵便車かなんかに作り替えようとしていたようです。
 窓を埋めるハンダが至るところでボテボテ。小学生の私、工作、殊にハンダ付けがめっぽう下手でした。
 この12系ふう自由形客車は、当時、先頭車を2両、中間車を1両、計3両を所有してまして、同じくカツミのED70に牽かせていました。これが世に言うブルートレインだと堅く信じて疑いませんでした。

 しかしある日、「模型とラジオ」か何かの模型雑誌に掲載されていた“本物”のブルートレイン用客車とは窓配置が全然異なり、寸法も全体的に小さいことを知って衝撃を受けた私(なんでやろ?)は、この3両を、どこか知らない地方鉄道の架空電車に改造しようとした覚えがあります。
 ところがサイズが小さいが故に、当時のデカモーターが入らない! 無理矢理入れても旋回できずカーブ通過時には片輪走行になる! モータが車体内側に接触してショートする! といったことが次々に判明。その結果が郵便車への変だ造(へんだぞ〜)です。でもやがて日がくれ、年がくれ、あられのない姿のまま錆の衣装を身にまとい・・・あ〜悲し。

 後方は、12系ふう自由形客車のうちの中間車の塗装を単に変更しただけの旧客ふうの変な奴。
 右手前は、断頭台から転げ落ちてそのまま晒し者の運命を辿った先頭車の妻面、二つ。
ただのゴミじゃん! コンテナ車の前に散乱するガラクタ、これ、一体何だと思います?  実はカツミ(?)の自由形EB66の残骸なんです。
 この機関車は私が自分の鉄道模型として最初に手にした1両という貴重な代物です。貴重なわりにはものすごいことになってますよネ。写真にはありませんがそのボディは前後中央部でまっ二つに切ってありました。

 ホントはこのページを作るに当たって一番お見せしたかったのがこれなんですが、肝心のボディがどこを探しても見あたりません。  おっかしいなぁ。捨てる筈は絶〜〜対にぃないんだけどなぁ。
 何故ボディをまっ二つに切ったかと言えば、それはF級機への昇格なんてことを考えたのでは決してなく(とんでもございません、そんな無謀なこと)、コンテナ車コキ10000(後方)から積載コンテナを一つ二つ取って、その代わりに半身の66を載せ、変身〜合体!!  で、当時実車の世界でも実現が夢見られていたコンテナ特急の牽引機を作ろうとしていたのです。 なんとなーく、やろうとしていたことは理解できるでしょ、イメージだけは。
 その結末がご覧の通りで、上の郵便車のときと同じように途中で挫折し、そのまま放り出してしまったということです。

 小学生の私。一丁前に発想だけはするんですが、工作力が無いに等しく、且つ、根気というものをぜんぜん持ち合わせていない少年でした。 どうやらそのまま大人になっちゃったみたいですネ。

 でも、壊れてもいない電気機関車をいとも簡単に真っ二つに切断してしまうなんざぁ、潔さだけは旺盛だったようです。後先を何も考えられなかったことの証明なのかな?

左側の写真のイメージです。

「日本の鉄道」萩原武夫著
 (株)保育社 カラーブックス65
   P9より転載→

この記事は新幹線用として説明されていました。
現在の「M250系スーパーレールカーゴ」でしょうか。
実車の世界ではちゃんと実現されたようです。
めでたし、めでたし。

右の写真はまっ二つに切ったボディのイメージです。
こちらはTOMIXさんのHPから流用&加工させて頂きました。
TOMIXさんに恨みがあるわけではないのでその点はご容赦!

運転台がなんとなく66ふう・・・でしょ?TOMIXさん画像改悪ごめんなさい
んー もう少し綺麗にできんか・・・工作も写真も 金属製のものとして自作で初めて日の目を見た、ワフ29000系ふうの貨車です。
 (初めての栄冠なので、背景付き,レール付きの写真にしてみました)

 薄板、と言ってもエッチング板なんて“ナウイ”もんを使ったのではなく菓子箱を解体して出た箱底を素材に使い、これを切り抜いて車体を作ったんですよ。貨物室の扉もちゃんと開閉できます。今から考えると、我ながらすごいっ!
 台車は、市販の別の貨車(出所不明)からの流用品です。確か、中学生だったんじゃないかな。中学生にもなってやっと“この程度”。

 自己弁護で付け加えておきますが、ボール紙を使った車両はいくつか完成させているんですよ。いずれも今となっては陰も形もないですが。それといずれもフリーランスでした。どこか知らない地方鉄道の・・・
金属製の箱No.2 と プラの箱 ワフ29000系ふうの貨車の完成で気をよくした私は、調子に乗り暴走しました。安いっ!というだけで、TMS中の広告に釣られてフェニックスモデル製EF70のエッチングボディキットを通販買いし、本格的(?)ハンダ工作に挑戦!
 そしてご想像通り、ご覧の通りの悲しい結末。 ┐('〜`;)┌

 あれから数十年を経た現在も完成に至らず、ハンダはボテボテ、歪みありまくり、ディテール無視と三拍子ならず、三三七拍子が揃ってます。(*^_^*)

 えーっと。 EF70のボディイを載せた箱の横に寄り添っている茶色い物体はプラモデルのEF58です。車輪とインサイドギヤ、モータ、それとパンタグラフを交換して、レール上を快走?(=怪走・OK!)させる予定だったようです(まるで他人事のよう・・と遠い目)。
紙の箱〜 (*^_^*) 自分にハンダ付けの才能が微塵もないことにようやく気づいた中学生の私は、よしそれならとボール紙製の車両製作に挑戦することにしました。ボール紙ならフリーランスでなく、ちゃんとした実車のモデルが作れるんじゃないかと甘く考えていました。
 で、写真のところまで作ったところでギブアップでした。期末試験か何かのあまりの不出来さに将来を悲観した事が原因だったんでしょうかネ。中学生の私。やっぱり工作力も根気もなかったようです。 あ、そうそう。これはね、一応ね、モハネ581と、モハネ580なの。そう見えない?

 再び言い訳に入る今日この頃の私なんですが、日本海側の小さな田舎町に住んでいた当時、鉄道模型を扱う店はデパート内の小さな1軒のみ。それは店というようなものではなく、デパート内の一つの販売コーナー。それもプラモデル売り場の片隅のほんの小さなスペースに追いやられたガラスケースに、完成品の車両がギュウギュウ詰めに並べられているといった有様のものでした。
 従って台車だのパンタだのといったパーツ類は無いに等しく「ラッカーパテとサーフェイサーをくれ」とか「パワーパックに使うレオスタットをくれ」なんて言った日には「なんじゃそら。そんなもんねぇーよ」「それ日本語? ちゃんと本を調べてからまたおいで」なんてことになるんですよね。

 だからね、そもそもこんな環境で車両なんかを自作しようなんちゅう考え自体が間違っていたのかも知れませんね。と、笑って誤魔化しマース!

 少年の私はこれで! 俄然! 都会に憧れるようになるのでした(キッパリ!)。

当時は誰でも持ってたっちゅうねん!(ここだけ関西弁ふう) さあてと。ほんとにゴミみたい、ちゃう! ゴミそのものばかりをお見せしてしまいましたね
   (^o^)
 では引き続き・・・ちょっとはましな(ましだろうなあ)車両コレクションを見て頂きましょうか。でも見るだけにしてくださいね。しょうもないもんばっかりですから。

 最も手前は、言わずと知れたカツミのキハ82系(80系?)です。4両編成で、4両とも塗装済みキットでした。今でもバンバン走ります。
 キハ82系の奥隣は、これもカツミのヒット商品となった581系です。同じく4両編成です。こちらもバンバン走ります。モハネ580(2モーター車)が当時9,900円。これを買うのが大変でした。それでね、これをなんとか安く6両編成に増やせないかと思ってね、それでボール紙を使ってね、一応寸法取りなんか済ませて、切り抜きして
 ・・・・・ブツブツ・ゴチャゴチャ・ブツブツ・ゴチャゴチャ・・・んで、上の写真。 (^^;)

 最も奥はCAB(キャブ 判るって?)製の165系です。塗装済みキットの3両編成です。これは作りが悪くて床板を受けるアングルが外れたり、モータ付き台車と床板との取り付けが巧く寸法出しされていなかったり。すごく不満の残る商品でした。親がわざわざ家族旅行先を東京にしてくれ、東京にて買ってきたものだったのに。
 今となってはそれもいい思い出かな?
引き立て役に囲まれたC57 お次は機関車です。
 C57は安達製。このC57を含め、上で紹介したCタンクやED70も通電さえちゃんとしてやれば、バンバン走ります。

 C57にはひときわ強烈な思い出があります。これは確か中学2年ぐらいで購入したものですが、その購入代金を朝刊配達のアルバイトで稼ぎ出したからです。日本海側の我が故郷は冬ともなれば街全体が積雪ですっぽりと覆われます。
 その雪が自転車の前輪と後輪のスポーク間にぎっしりと詰まり、とても乗って走るなんてことはできません。それでソロリソロリと自転車を押して歩きますが、それでもあちこちのアイスバーンでタイヤが横滑りし、荷台に山と積んだ新聞の束もろとも自転車がしょっちゅう転倒して、それらを広い集めながらの配達となります。

目標があったので堪え忍ぶことができました
 大晦日には紅白歌合戦が中盤にさしかかるころ、配達を始めます。

 ジュリー(沢田研二)の「今日か〜ら二人〜は♪ 愛と言う名のン!」なんて曲が配達先の温かそうな灯りの漏れる窓から聞こえてましたっけ。元旦版の新聞は1部1部が分厚く、特集号やチラシも満載で、通常なら1回で自転車に積める量が3倍に膨れ上がります。つまり販売所と配達地域との間を3回も行ったり来たり。
 そんなふうにして貯めたお金で購入したこのC57。デパートから家までの間、両手で大事くらしく抱える姿を今ながらにして思い返すと、ほんと愛着が増します。
 このC57を手にしたときには、そりゃあもう嬉しくて嬉しくて。
 暇さえあれば、腰位置ぐらいにある窓枠上に敷いたレールに載せてその下で仰向けに寝っ転がり、あっちから・こっちから眺めまわして一人悦に入ってました。

 ところがそんなある日、大事件がっ!
 ほんの一瞬の不注意から、こともあろうにこのC57を窓枠上のレールから堅い床面へ落としてしまうという大失態をやらかしてしまったのです。それでなんと! 片方のデフがグニャヤリと曲がり、おまけに両方のデフがボイラから外れるという痛手を受けてしまいました。
 ハンダが甚だ不得意な中学生の私は、涙でぼやけるC57をそっと抱き上げながら、汚い出来ではありますが一生懸命にデフをボイラにハンダ付けし直しました。その古傷は今もハッキリと残っています。
 そんなほろ苦い思い出が染みこんだこのC57は、今後何があっても決して手放すことはないでしょうね。

 いやあ〜。鉄道模型とは何ら関係の無い、くだらない話しをしてしまいました。そろそろ私も焼きがまわってきたのかな?

痛々しいでしょ。→
それに左右のハンダ位置がずれてます。
いつの日にか修正したいものです
あ〜 そうですかぁ

 おあとは、貨車や客車などです。
 まーどれもこれも、・・・・ですネ。 (^ε^)

 お気づきでしょうか。後方に並ぶ旧客4両。KATOから出たプラスチック製の現製品です。
 あははは。

 大人になってNゲージを再開した後、鉄道模型店でNゲージ車両を品定めしていたときに運命的に出会ってしまって、衝動買いしてしまったんです。今、思い返しても理解不能。なんで買ったんやろ??
   (^ε^)
 小パーツもデカールもなんもつけてません。  相変わらずの体たらく。

ありゃりゃ〜ぁ 何か自慢?→物持ちの良さ

 車輪やらモーターやらベンチレーターやら、ゴチャゴチャに詰まったゴミ箱(あっいや、あの宝の箱です・・・)から適当に取り出して広げてみました。ミニカーだの電柱だの柵だの、いずれはレイアウトにと考えて、廃棄する戦車や軍艦その他のプラモデル群からスケール的に流用できそうな部品を取り外して残しておいたものがザークザクでした。

 小学生から中学生にかけてひたすら夢を追いかけていた私。いったい何を目指していたのでしょう。

 そう言えば当時の私の夢は国鉄の長距離特急電車(新幹線ではない!)の運転手でした。そして目出度く運転手になった私が乗務を終えて帰宅すると、屋根裏には私だけの壮大な宇宙(HOゲージレイアウト)があって、着替えもそこそこに、ここに駆け上がって疾走する電車たちを酒を片手にボーット眺めて眠りにつく・・・そんなんだったなあ。

 何一つ実現できませんでした。  せめてNゲージの小さなレイアウトぐらいは実現させたいものです。

 このページの終わりに。

 つまらないものを長々とお見せしてしまいました。いまやこのインターネットの世界では、メーカー職人などの所謂「その筋のヒト」ですら驚愕するほどの豊富な知識や技量で車両工作をした人がその宝石のように目映いばかりの車両を紹介したり、博物館の展示場じゃなかろか!と思えるほどとてつもない規模のレイアウトを製作した人がその製作法やレイアウトの細部を紹介したりするものが非常に多く見られます。
 いずれもスバラシすぎ〜です。

 そんな中で私が今何故、この“ゴミ”たちを曝すページを作ったのか。

 多くの場合、鉄道模型に興味のない人達が「鉄道模型を趣味にしている」と聞くと、上に書いたように知識、技量、規模に並はずれた「すごい人」がやるものだと勝手に思い込んだり、或いは反対に、オモチャみたいにちっちゃな車両を買い集めてその量を誇るだけとか、ストラクチャーを色も変えずにそのまま並べてリカちゃんハウスのようなレイアウトにするだけとかの、一歩間違えば「オタク族」とも呼ばれかねない人がやるものと勝手に思い込んだりするようです。

 で、そんなふうに、一方では鉄道模型が一部の達人たちだけの中で体系化されてしまうこと(極めないと仲間に入れてやんねえ、みたいな暗黙の排他性)、また他方では興味外の人によって好適ではないレッテルを貼られてしまうこと(見下される?)等々が、私はとても嫌なんですね。
 それで気の小さい私は、恥ずかしながら人と会っても「私の趣味は鉄道模型です」とはなかなか言い出せないでいます。
 でも鉄道模型はほんとはスバラシイ趣味なんです。ゴルフや釣りのように、ギャル連中やオバサン連中の前でもちゃんと声に出して自慢できる趣味なんです。もとより大人の男が胸を張れる「趣味の王様(King of Hobby)」である筈なんですよね。

 少年の頃の私は、そんな大人社会のくだらない偏見とは無縁の、純粋な夢や喜びを直向きに追いかけていました。なぜ? いつ? こんなつまらない大人になっちゃったんでしょうね。
 で、これではイカンと思いました。極めなくてもいい。ヘンなのでいい。ヒトからなんて思われてもいい。ただ自分がそこにいて、それらに触れて楽しければ、それでいいじゃないか。そういうふうに自らの考えを正す、いえ、本当の自分に戻ろうと決めたんです。そのために、私の鉄道模型の原点に一度立ち帰ろうと。

 それにもう一つ。このページを見て「ヘヘ〜ン こんなことやってらぁ こんな奴より自分の方が余程まし!」てな事をきっかけに、復活してくれる鉄道模型ファン、或いは夢を伸ばしてくれる小・中学生が一人でも増えることを願ってのこと、ということもありました。大変、生意気な言い草ですが(ほ〜んと 一体何様っ! (^^;)スマン)。

 鉄道模型には、それを趣味とするヒトの数だけ楽しみ方があっていい。ね、そうは思いませんか? そちらのあなたも、ほら、こちらのあなたも、もう一度、鉄道模型の世界に戻ってきませんか。一緒に楽しみましょうヨ。一緒に夢を深めましょうヨ。

 貴重な時間を割いて見て頂けて光栄です。ありがとうございました。
 これから先、あなたや私の鉄道模型の世界がどんどん広がりますように!

The End
【2003.6】

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