このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
三重県松阪市の松阪駅と、三重県旧美杉村(現 津市)の伊勢奥津(いせおきつ)駅間43.5Kを結ぶ、 JR名松線(めいしょうせん)を旅鉄いたしました。手付かずの自然が残る素晴らしいローカル線です。 今回はその中から私の独断で選んだ5つの駅へと御案内致します。
その後増駅を重ね1960年に上ノ庄駅開業により、2007年現在の形となりました。
この「名松線」という名前は三重県名張市の「名」と三重県松阪市の「松」から取られたもので、
名張市と松阪市を繋ぐという意味で名づけられ、当初名張市までの延線計画がありました。
しかしその後名張市までの延線計画が中止。現在の伊勢奥津駅までの路線になってしまったのですが、
「名松線」の名前だけは残ってしまったのです。
そんな名松線は43.5Kという路線の長さを持ちながら快速列車や特別列車は一切なく、
上下線共各駅停車のみ約2時間に1本の割合で運行されています。
そして沿線は途中から雲出川(くもずがわ)という川に時には沿いながら、時には渡ったり離れたりしながら走っており、
そこに山の景色も加わったその車窓はまさにローカル線。そこに1両編成のディーゼルカーがゆっくりと走っています。
そんな感じの名松線は利用者も少なく、松阪駅を出発した列車は途中の「家城」駅以降は乗客もまばら。
だから過去には廃線の話もあり、1982年三重県を襲った台風により全線不通になり、
それがきっかけとなったと言ってもいいかの如く、廃止の申請が提出されました。
しかし熱心な反対運動により話は見送られ、約一年後には全線復旧。
そして沿線周辺の道が整備されていない事などから、
1985年には廃止対象から除外され、廃止承認申請が取り下げられたのです。
路線は以下の通りです
松阪
伊勢奥津
伊勢鎌倉
比津
家城
の順に5駅訪問いたしました。今回の旅は松阪駅から始まります。
なおJTB時刻表に掲載通りの方角で上記の路線表は表記しておりますので
(東から西に行く鉄道なので・・・)左から右に表記させて頂きました。見づらくてすいません。
それでは、ネット上でのJR名松線の旅の始まりです。
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まずは終点・伊勢奥津まで乗っていきますので、道中の車窓を御覧下さい
松阪〜家城駅間の車窓。 まだそれなりに民家が見えており、
沿線を流れる雲出(くもず)川に沿って走る区間が多いです。
すいません。この辺の道中はごちゃ混ぜで、画像の表示は多分進行方向通りじゃありません。
というわけで松阪〜家城駅間の車両先頭からの車窓です。 これだけでも素晴らしいローカル線の景色だと思いますが、
家城駅を過ぎた辺りから民家は集落と呼べるような雰囲気になっていき、
徐々にローカル線としての本領発揮と言わんばかりに山の中へ向かって行きます。
ここが家城(いえき)駅。先頭車両から撮影しました。
この駅は名松線の区間内の唯一の2線ホームの駅で、駅長さんもいらっしゃいます。
後ほどこの駅には訪問いたしますので、詳しくはその時に紹介しますが、
この駅でいわゆる「沿線の利用者」の方は全員降りていってしまいました。
おそらくこれが家城駅を過ぎてからの車窓。
沿線を流れる雲出(くもず)川に時には沿ったり、時には渡ったり・・・
そして川から離れたかと思えば山へ山へと勾配をゆっくりと上がり、
そしてまた川が現れたり・・・と実に変化の富んだ車窓を見る事が出来ます。
こちらは終点、伊勢奥津駅の一つ手前の駅「比津」駅過ぎの先頭からの車窓。
山間部を越えて列車は終点へと向かいます。
まもなく終点、伊勢奥津〜伊勢奥津でございます。
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それでは列車は伊勢奥津から3駅目の「伊勢鎌倉」へと向かいます。
てっちゃん御一行とは「伊勢鎌倉」でお別れです。
そして広島から来られていた初老の方ともお別れです。
伊勢奥津〜比津間。
緑に囲まれローカル線の雰囲気はバッチリです。
間もなく伊勢鎌倉〜伊勢鎌倉でございます。
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それでは伊勢奥津行きの列車に乗り、
終点の伊勢奥津駅の一つ手前の駅、「比津(ひつ)」へと向かいます。
伊勢鎌倉駅から伊勢奥津行きの列車に乗り、
伊勢鎌倉駅出発後すぐの鉄橋。車両先頭から撮影しました。
雲出川を渡る鉄橋は名松線全線でいくつも存在し、素晴らしい車窓を見せてくれます。
間もなく比津〜比津でございます。
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それでは2007年7月21日の旅は、松阪方面の列車に乗り込み
今回の旅の最後の訪問地、「家城(いえき)」へと向かいます。間もなく家城〜家城でございます。
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ほどなく列車は松阪駅へと到着し、名松線の旅を終えました。
そして松阪駅で降りようとしたらまたもや爽やか好青年の運転手の方に「ありがとうございました」と言われまして、その後少し話したのですが、その話の中で「いや〜実は名松線今日初めてだったんですよ〜」と、これまた爽やかな笑顔で話しておられました。そして名松線のホームを後にしようとした時も爽やか笑顔で見送っていただきました。どうやら名松線の素晴らしさは、路線そのものや車窓だけではないようです。この名松線はホントに利用者も少なくそれがローカル線の風情を醸し出している部分もあるのですが、
松阪駅からしばらく並行に走る自動車道を帰りの列車の中から見ていると
「あ〜この道が少しでも広くなれば鉄道は無用になってしまうのかな〜」とかついつい考えてしまいました。
今回何度も登場する雲出川や山間部を走る名松線の車窓はホントに素晴らしく
「特定区間だけでもトロッコ列車とか走ったらいいのにな〜」とか思いましたが、
新幹線や特急列車などのいわゆる「速いモノ」に熱心なJR東海が、
こんな小さなローカル線に投資なんかしてくれないんだろな〜って思います。
それと冒頭でも書かせて頂きましたがこの名松線は本当は松阪〜名張を結ぶ予定だったのが、計画が中止になってしまいました。
松阪も名張も近鉄電車が走るいわば三重県内の主要都市。他力本願ではありますが、
もし予定通りに松阪と名張が繋がって、名松線に快速列車でも走っていれば、
ひょっとしたらもう少し利用者がいたのでは・・・と思うと計画が中止になった事がとても残念です。
名松線の今後は気になるところですが、名松線の素晴らしさは今回だけでは正直伝えきれていないと思っているので、
また乗りに行こうと思います。そしてよろしければ是非乗りに行ってみてほしいですし、
それが無理ならネットや本などでもいいので触れてみて下さい。
きっとそこには現代人が普段感じる事の出来ない全く違う空気が流れているハズです。
それでは最後に伊勢鎌倉へ入線するキハ11の動画を御覧頂き、ネット上のJR名松線から下車したいと思います。 長旅お疲れ様でした。毎度ご乗車ありがとうございました
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