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リオ・デ・ジャネイロ市(リオ・デ・ジャネイロ州)-01:空港からセントロへ・セントロ・大聖堂:ブラジル散策-02・2008年






リオ・デ・ジャネイロ市(リオ・デ・ジャネイロ州)-01(2008年 7月)



リオ・デ・ジャネイロはポルトガル語で「一月の川」という意味です。1763年から1960年まで約300年にわたりブラジルの首都であったリオ・デ・ジャネイロ。特に1808年から1821年まではポルトガル帝国の首都でした。首都が移転して50年近く経過し、経済的にはサンパウロが中心となり、多くの地方中核都市が発展しているので次第にブラジルの中での相対的な地位は低下しているように見えます。観光都市としては世界的に有名な存在で、多くの観光客を集めています。ただ、「治安が悪く、外を歩く事も出来ない」と言われる事もあり、危ない事で人気が低下しているようです。人口はリオ市で約6百万人、都市圏では1千万人を超える大都市になっています。



リオ市のイメージと言いますとコパカバーナ、イパネマの海岸、綺麗な砂浜とビルが立ち並ぶ様子、コルゴバード、ポン・ジ・アスーカルからの景色でしょう。テレビなどでリオの風景はよく出て来ますのでお馴染であると思います。リオ市の地図を眺めますとセントロを中心に北部、南部に分けられますが、綺麗な南部は全体の一割程度で都市部の大部分は北部に広がっています。綺麗な海という印象ですが、グアナバラ湾はかなり汚染されており、北部に在る空港から市内へ向かう際には異臭が立ち込めます。また南部においても山に向けて多くの場所でファベイラと呼ばれる不法住宅が建ち、ここに東北部から来たとされるアフリカ系の人達が多く暮らしています。当然の事ながら生活は不安定で犯罪に走る人も多く、リオの治安の悪化の要因の一つになっているようです。ただ、この数年リオ市では治安悪化で観光客が減少している状況を重く見て特に観光客に対しての犯罪を厳しく取り締まり、セントロ、南部地区など観光客が多く居る地区での治安の維持に全力を挙げているように見えます。

リオ市の人口は1980年くらいまでは膨張していましたが、首都が移転した影響もあるのか、それ以降はそれほど伸びてはおらず、州全体の人口でも1500万人程度とブラジル全体の1割にも達しません。その中でバーハ・ダ・チジューカ地区は今までのリオとは異なった新しい街造りが進んでいました。米国フロリダのような景観となっており、清潔で広々とした街が広がっています。今後は首都時代の後期、まだブラジルが貧しかった時代に急速に大きくなった北部地区がブラジル全体の発展の中で取り残されているように見えます。如何に都市を再構築して行くのかが、リオ市再発展の鍵でしょう。ただリオ市で悠々と暮らしている方にとっては大きな変化は望まずこれ以上人が入らず今のリオで居て欲しいと願っている方も多いものと思います。



(図:リオ市の人口推移:ウィキペディア)



(地図:リオ市主要市街地)



(写真:上空からの写真)



01・空港、空港から市内へ
リオの国際空港は北部・グアラバラ湾の島にあります。非常に綺麗な空港です。



(写真:空港外観)



(写真:空港内部-01)



(写真:空港内部-02)

2008年は日本人移住百周年であり、空港にはその垂れ幕もありました。



(写真:日本人移住百周年の垂れ幕)



(写真:空港)

空港を出て市内へ向かいますが多くの場合はセントロもしくは南部のホテルに行く事になります。途中、北部地域を通過しますが異臭も漂い余り綺麗とは言えません。建物も余り上等では無く果てしなくこのような市街地が広がっているのが分かります。


(写真:北部地域の景観)



(写真:北部地域からセントロ方向)



02・セントロ

セントロは長い間、ブラジル政治の中心として発展して来た場所です。現在でもサンパウロに次ぐブラジル第二の都市として経済の大きな中心になっています。地図を見ますとヴァルガス大統領通りとリオ・ブランコ通りがメインである事が分かります。これに沿うように地下鉄が走っています。



(地図:セントロ:地下鉄路線図)

グアナバラ湾からリオ市のセントロを眺めますと近代的なビルが林立している様子が分かります。その中に歴史的な建造物が建っているという感じです。



(写真:グアラバラ湾から眺めたセントロ)

平日の午前中にセントロを訪問しました。印象は堂々たる大都会で、ビジネスマンが忙しく行き来していました。危ないというような印象は余り感じませんでしたが、運転が乱暴で道路を横断する際には注意が必要です。



(写真:地下鉄シネランディア駅付近-01)



(写真:地下鉄シネランディア駅付近-02)

ブラジルそして一時期はポルトガルの首都として、帝政ブラジルの王朝文化があったこのリオは他の南米の都市とは違った風格、自信のようなものが伝わって来ます。他の南米諸国は宗主国スペインから独立ですが、ここはポルトガルが引っ越しをして首都となり、欧州の領土を取り戻してた時点で親子の王様が袂を分かちそれぞれブラジルとポルトガルになっています。ただ大土地所有者主体の中央集権制の王を中心とする帝国として出発しており、これが現在までの貧富の格差の原因となっているようにも思います。



(写真:市立劇場)



(写真:由緒ある建物-01)



(写真:由緒ある建物-02)



(写真:由緒ある建物-03)



(写真:由緒ある建物-04)



(写真:由緒ある建物-05)



(写真:リオ・ブランコ通り-01)



(写真:リオ・ブランコ通り-02)



(写真:リオ・ブランコ通り-03)



(写真:ヴァルガス大統領通り-01)



(写真:ヴァルガス大統領通り-02)



(写真:ヴァルガス大統領通り-03)



(写真:カリオカ広場-01)



(写真:カリオカ広場-02)



(写真:オフィス街-01)



(写真:オフィス街-02)



(写真:オフィス街-03)



(写真:プラサ15-01)



(写真:プラサ15-02)



(写真:向こうにポン・ジ・アスーカルが見える)



(写真:街の様子-01)



(写真:街の様子-02)



(写真:街の様子-03)



(写真:街の様子-04)



(写真:街の様子-05)



(写真:街の様子-06)



(写真:街の様子-07)



(写真:街の様子-08)



(写真:街の様子-09)



(写真:街の様子-10)



(写真:街の様子-11)



(写真:街の様子-12)



(写真:街の様子-13)



(写真:電化製品店の呼び込み)

街で何かの抗議活動をしてましたが、サンバで行進していました。曲はブラジル国歌、抗議デモなのですが、とても明るく楽しい雰囲気でした。



(写真:抗議デモ)



(写真:街角のバナナ売り)



03・大聖堂
1979年に完成したリオの大聖堂、今までの教会のイメージを大幅に変えた建物として有名です。円錐形で山のような形をしており、中は空洞になっています。



(写真:大聖堂・外観)

中に入りますと四方にステンドガラスがあります。



(写真:大聖堂・内部)

そして天井は十字架があり、荘厳な雰囲気となっています。



(写真:大聖堂・天井)

祈りを捧げている人も多く居ます。



(写真:大聖堂・祈りを捧げる人)

面白いのは入口に置かれた寄付を求める箱です。各国の言葉で「寄付」と書いてありますが、最後に「OSAISEN」とあります。これは「お賽銭」ですね。



(写真:大聖堂・寄付・賽銭箱)



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