このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
通称、中衛と呼ばれる撮影地は包蘭線の猛家湾 −干塘間を指していた。この区間は急勾配を避け るために複雑なΩ状の線路形状になっており、前 進型が貨物は重連で、またあるときは三重連で、 旅客は単機で牽引していた。同線はロシアとの貨 物輸送の生命線であり経済発展に伴い逼迫する輸 送需要に対応するため92年頃に複線化(正式に は単線2線化)され、この完成とほぼ同じくしてDF4 型DLが投入され、増発列車に対応していた。私が 訪れた93年当時で中衛机務段に40両近い前進 型が配置され、過酷な峠道で日夜活躍していたと 言われている。 撮影初日に案内されたのは「通称第4Ω」だった。 遅い夜明けを予測して6時30分に宿である中衛賓 館を出発したものの、撮影地には夜明け前に到 着。しばらくすると遠くからドラフト音が聞こえ出し た。「来た!」あわてて車の外に出るとやっと迎えた 夜明けの中、重連の前進型が綺麗な白煙を上げ Ωを登ってきた。「凄い!」私の中国蒸機通いはこ の時、決定的になってしまった。左の写真はその夜 明け直後の次の前進型貨物列車。いわば私の中 国蒸機最初の写真。 93,12,30
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