このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
04,02,13 査布夏 現地時間07:00頃 2月13日(金) "放牧" 日課である運転予定確認のため査布嗄站に到着すると東行がスタンバイ状態だった。いつ もクルマの中でウダウダとしている方々も飛び出してくるような日の出とカマの絶妙な位置で、 秒単位で明るさと光の変化が激しい大撮影会となった。 昨日の朝撮ったシーンが忘れられずバクバクの築堤に行くが雲が多くなり西行が来たが不 発(755)。小興隆地站に行き再度運転予定を確認する。ここからは、1月に来た時から気にな っていた小サミットの小興隆地付近のロケハンをするため田の端の師匠と供に二人で放牧開 始。R303からは見えない査布嗄方と国道からおおむね様子がわかる習家段方と方向を考え たが、夕方の西行客レを習家段で撮れば車で回収してもらえることを考えて習家段へ向け歩 き出す(900)。 国道から見ていると線路に沿って小高い丘が連続しているように見える。これはよい撮影地 になるだろうと歩いてみると、遠近感のマジックなのか実際は線路からは非常になだらかな斜 面が長く続いていて、とても俯瞰するような山・丘の類は無く人間の目がいかにいいかげんなも のか明らかになった。沿線に羊飼いがいて「ニーハオ!」と挨拶を交わす。数十頭の羊を見て いると、私達が立ち止まると一斉にこちらを見ている。撮影と移動を繰り返しながら羊とともに 線路際を歩き、気が付くと真直線を5キロ歩いていた。 一箇所だけ使えそうな場所を見つけた以外は、単なるハイキングのようだった。集落のそば にある丘で構えていると子供達が寄ってくる。彼らは鉄慣 れしているようで外国人にも驚かないが、デジカメで撮っ てあげると面白がっていた。昼頃には自宅に戻り昼ご飯 を食べて再び何人か集まりだしたころ東行が通過 (1229)。場所を移動してカーブのアウト側から狙う場所に も4人組の女の子たちがついてきた、小学校で習っている であろう英語で話しかけてくるのでこちらもつたない英語と 中国語でお返しをする。彼女達が大人になった時にどん な記憶として残るのだろうか。 約8キロを歩き習家段站の構内に到着し腕木信号を入 れ、東行を撮影しようと待つが、歩いていた時のようにう まく列車がやって来ない。1時間以上待つがあきらめ站の 西側に移動し6052次メインで発車狙いをするとなぜか東 行が2本来てしまい、なんともいえない気分となる。客車到 着20分ほど前には夕日が姿を見せ始めバックが暗く列車 には陽が当たっている素晴らしい条件が出現したが、あ っという間に影ってしまい天気の気難しさを思い知る結果となってしまった。今度のツアーでも 今来ていればというのが何度あったことか…。 【段長追記】 小興隆地站で総書記閣下と田の端の師匠様を放牧した後、天気も悪いのでテンションも高く することが出来ず、適当に撮影するこことなる。まず、習家段站の外れで東行を1本こなした 後、査布嗄站に戻り、放牧の2氏には悪いが今回の旅行で唯一の食堂に入っての昼食と洒落 込む。当然、固形物だけとは済まず、流動食も少しいただくこととなる。 食後は散歩がてら机務段(折返段)で撮 影をし(私は天気が悪いのでバスで待機 していたらいつの間にか寝てしまってい た。気がついたら、バスは買い物のため に市内を走っていたビックリ!その後机 務段に戻ったら、みくさんが机務段で撮影 料をとられそうになったと憤慨していた。) その後は、客レ狙いで査布嗄—福興地間 のコンクリート橋を望む丘に立つことに。 天気が悪いので、陽が出ていたら撮れな い北側の丘から撮影するが、風が強く煙 が寝てしまいイマイチの結果だった。な お、オニ50氏はこの世に生を受けて蒸機 客レに乗ったことがないという事なので冥 土の土産話にと6052レを査布嗄站から 習家段站まで乗ることとなり、我々が客レ を追っかけるので習家段で拾うことにし た。 コンクリート橋で客レ撮影後、西の空が だんだん明るくなり、一脈の希望を持ち追いかける。目的地は定番となった"習家段の丘"で、 現場ではうす雲が出て露出がイマイチながら、何とか撮影する。ここで朝放牧した総書記閣下 と田の端の師匠氏、それに短いながらも蒸機客レの旅を楽しんだオニ50氏を拾って全員で帰 区となった。 左上:朝陽を浴びる査布夏站舎 右下:列車の来る4時間前だというのに査布夏站待合室にはの既に乗客が集まりだしていた。4時間あったら広島ま で行っちゃうよ! |
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