このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

廃線跡探訪-2
自衛隊東千歳駐屯地引込み線跡
米軍千歳基地引込み線跡

取材日2005.9.24・11.26・2006.5.28

 千歳駅から出る2本の引込み線の存在を知ったのは昭和47年春から鉄道100年を記念して放映された日本テレビ系のテレビドラマ「大いなる旅路」でストーリーの最初の方に当たるエピソード、北海道の鉄道敷設の件のロケを廃止直前の米軍千歳基地引込み線で行ったとの記事を「鉄道ファン」誌で読んだのがきっかけでした。小樽の鉄道記念館(当時)に保存してあった「静号」を「義経号」に見立てて、自走は出来なかったので貨車に見立てたモーターカーで押して走らせロケをしたそうです。その時には東千歳駐屯地引込み線の存在は知らなかったのですが、以前に島松駐屯地引込み線跡を取材した時に国土交通省の航空写真を見ていたら下の写真を発見、明らかに東千歳駐屯地にも引込み線があったのが分かりました。そこで知り合いの陸自OBにお聞きしたところ、やはりそれは存在してD51が入線していたとの証言を得ました。前回の島松に続いて、千歳線引込み線シリーズ第2弾としてこの度取材してきました。

両引込み線の歴史について(207.8.1追補)

 このコンテンツを立ち上げた後に千歳市選挙管理委員会の守屋様より「新千歳市史」編纂便り「志古津」と言う冊子を頂きました。これには千歳線80年の歩みを記した守屋氏の寄稿があり、そこに東千歳駐屯地引込み線に関しての詳しい記述がありました。ご本人よりの手紙に記載内容を参考に使用しても良いとの許可を頂いているので改めてここで東千歳駐屯地引込み線のあらましについて書いてみたいと思います。

 米軍千歳基地引き込み線について

 この引込み線がいつ建設されたのかはっきりしていません。現在の駐屯地の前身である旧日本海軍千歳基地が開設されたのが昭和14年、守屋氏は飛行場の建設資材運搬のため千歳基地の建設が始まった昭和12年に敷設されたと考えるのが妥当だろうと記述されています。また現在ホームの遺構が残る軍需部倉庫敷地内までの線と、燃料支線、軍需部支線が建設されました。敷設当時海軍は数量のガソリン機関車を導入したようです。
 敗戦後は米軍が使用し、米軍撤退後は航空自衛隊が使用して、昭和53年12月1日に廃止となりました。

東千歳駐屯地引込み線について

 実はこちらの引込み線の方がもっと敷設された時期が良くわかりません。元々軍事施設であり機密扱いのはずですからはっきりとしないのは当たり前なのかもしれません。建設の目的は海軍第二・三基地の建設資材(主に滑走路路盤材の札幌軟石など)運搬でした。路線に関しては海軍時代と米軍時代とでは異なっているらしく、現在我々が知る事が出来るのは米軍時代に敷設された線路の跡地のようです。また終戦当時は引込み線想像図の⑪地点(タンク跡)から先、第三滑走路横までも線路が伸びていたようですが、昭和21年にはタンク跡が終点となっていたようです。
 現在ホーム跡が残る柏通用門の路線跡についても敷設時期ははっきりしません。終点は現在ホームが残る跡地辺りまでで、2面3線のホームがあり車両運搬用列車の他に隊員輸送用の列車も運転されていたようです。「大いなる旅路」のロケは全長と基地の敷地外を長い距離走るところからこちらの線で行われたのではないかと想像されます。
 こちらの廃線は昭和51年と言う事で、上に書いた「鉄道ファン」誌の記事とは矛盾するところです。
 またこの守屋氏の記事によると「千歳市史」に石勝線の一部とする案があったり、駐屯地に通勤する隊員のための通勤路線とするための陳情があったとの記述があったと言うことです。もし通勤路線と言うのが実現していたら面白かったなぁと思うのは私だけではないと思います。

上の航空写真は1975年に撮影された千歳市南側のものです。斜めに走る千歳線から両側に分かれて行く線路跡らしきものが確認できると思います。右上側に走っているのが自衛隊東千歳駐屯地引込み線、左下に向かい国道36号線を横切っているのが米軍千歳基地引込み線の跡です。左下に見えるのはいまの千歳飛行場の滑走路の端で、かつて千歳飛行場には米軍の基地が有りました。この写真が撮影された頃には自衛隊に移管されていて、両引込み線も廃止されていました。

上の写真は撮影時期が違いますが、一番上の写真の右側の続きです。右からほぼ横に走り左下に曲がっている道路からまっすぐ伸びて右上にカーブを描くのが線路跡と思われます。またカーブの始まり辺りから右斜め下に向かう線路跡も分かります。なお、この2枚の写真は「国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省」からダウンロードしたものです。

上の写真はその上の寄りも少し東寄りを撮影したものですが、明らかにタンク状のものが2つ並んだ様子が写っています。前述のOBの方によると燃料タンクのようで、そこのすぐ近くに線路が伸びていたのが分かります。

青色の線が自衛隊東千歳基地引込み線の想像線です。右端の点線の所が基地の中に入ります。赤線が米軍千歳基地引込み線の想像線となります。現在の国道36号線より下が基地内になり、2本に分かれている線はあくまで写真から想像したものです。

その1・東千歳駐屯地引込み線跡

①地点。千歳市街から自衛隊東千歳駐屯地へ通じる東雲通から千歳駅を背にして撮影したものです。右へカーブする線路跡がはっきり分かります。

②地点・千歳市内からアウトレットモールへ向かう道路との交点です。線路跡は未だに防衛施設局の持ち物だというのが分かります。左が千歳市内方向、右が駐屯地方向です。

③地点・ちょうど東方向にカーブを切るところです。右が千歳市内方向で線路跡として完全に残っていますが、左の駐屯地方向の写真では道路に合流しているため、この先は駒里まで通じる道路の一部となり線路跡がはっきりしなくなります。
⑤地点から④地点を(千歳以外方向)見ています。道路はS字カーブを描いていますが、線路は赤い車や電柱の右側を大体まっすぐ通っていたようです。しかし線路跡は全く分かりません。
⑤地点・ちょうど南長沼用水を渡るところです。道路は曲がっていますが、線路は鉄塔と道路の間辺りを通っていたようです。しかし線路跡ははっきりしませんでした。
⑥地点・左は千歳市街方向です。ちょうど国道337号線が横切っています。この辺りの少し千歳市街寄りから千歳市内から駒里まで通じる道路の北側に線路跡と思われる未舗装の道路のようなものが現れます。左は駐屯地方向です。
⑦地点・駐屯地に向かって北側に大きくカーブし始めるあたりです。右が千歳市街方向です。こちらはあまり使われていない感じです。左は駐屯地方向です。こちらは引込み線の駐屯地入り口が「柏通用門」として使われているため、結構車両が通っている感じです。
 右の写真はちょうど柏通用門方面とタンク方面に分岐するところです。正面まっすぐ草地になっている所がタンク方面に分岐していた線路跡と思われますが、少し木の切れ目が見える事以外その先に線路があった事は感じさせなくなっています。左に曲がっているのが柏通用門方面です。
⑧地点、すぐ先に見えるのが柏通用門です。そこから先は駐屯地の中になります。
⑨地点。東千歳駐屯地の中です。2006年5月28日の第7師団創隊51周年記念行事の部隊開放で撮影してきました。左上の写真の真ん中の舗装路が線路跡と思われます。まっすぐ正面が柏通用門です。右上の写真は敷地内に残る積み下ろしホームです。終点から柏通用門方面を見ています。丸々そのままの姿(だと思います)で残っていました。左の写真は右上とは逆の方向からです。スロープになっていて車両がホームから降りられるような構造になっています。これの反対側も同じような構造です。これが東千歳駐屯地引込み線最大の遺構ではないかと思われます。一般人は年に1回の部隊開放でしか見ることが出来ません。当然許可を得て撮影です。
⑩地点。⑦地点で分岐してタンク方面に向かう線路跡を道路から見ていますが、こちらは演習地の中となっていて、直接たどる事が出来ません。少し奥の方に左右に伸びていると思われますが、はっきりとはしません。
⑪地点。写真の右奥にタンクがあったものと思われます。ここは⑩地点よりもさらに線路が奥の方で、全くどこにあったのかはっきりしません。写真でははっきりしないのですが、奥に少し高くなっている所があり、そこに線路が有ったのではないかと想像しています。

その2・米軍千歳基地引込み線

A地点・東千歳駐屯地引込み線と同じく東雲通との交点から取材を開始しました。基地方向を見ています。ちょうど立っている辺りは千歳線が地上を走っていた頃の線路跡で、引込み線はトラックが停まっている辺りを通っていました。
B地点・(旧)国道36号線を渡るところです。引込み線はちょうどローソンの辺りから今立っている辺りへ斜めに道路を横断していましたが、今では全くその跡をうかがうことが出来ません。左は千歳市街方向、右は基地方向ですが、基地の方もあまり良く分からなくなっており、わずかに写真真ん中の木が切れている辺りがそうなのではないかと思われます。
C地点・現在の国道36号線から千歳市街方向を見ています。ここでも線路跡ははっきりしないのですが、写真中央部から斜めに左下方向に走っていたものと思われます。ちょうどやはり木が切れているので推測できます。ちょうど影の端に沿っているような感じです。
D地点・国道36号線から千歳基地(現航空自衛隊)内を見ています。線路はちょうど構内道路の辺りとそこから構内の柵に沿って左側に分かれてゆく方向、両方に分かれて走っていたものと推測されます。この写真は結構冒険でした。
↑Top

戻る

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください