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生き残った路面電車の存在価値とは?
−東京急行電鉄 世田谷線−
TAKA 2006年02月04日
本来「仕事で移動している時に利用した・接した関東の鉄道」についてHPのコンテンツとして書いていた「関東鉄道めぐり」ですが、此処1ヶ月(あともう1ヶ月は確実)移動が少なくて、なかなかネタを拾う事が出来ませんでした。その為今回は「移動範囲の近くにある路線を夜訪問する」と言うイレギュラーな方法で、「関東鉄道めぐり」を執筆する事にしました。そういう訳で今回は「東急世田谷線」を取り上げました。
「1」東急世田谷線の概要
東急世田谷線は、
東京急行電鉄が運営する三軒茶屋〜下高井戸間を結ぶ全長5km・10駅の路線
で、全線が専用軌道の物の東急路線の中で唯一軌道法で運営されています。(
世田谷線概要(2)
)
元々は玉川電気軌道が大山街道(国道246号線)上に運営していた「玉川線(渋谷〜二子玉川間)」の支線として作られた路線です。それが玉川電気鉄道が五島慶太率いる東京横浜電鉄(今の東急)に1939年買収されて、東急傘下の路線となりました。その後東急傘下で運営が続けられましたが、玉川線は大山街道上の併用軌道で有ったので、首都高速道路建設と多摩田園都市アクセスの新玉川線建設の為に、砧線共々1969年に廃止になっています。(その後
(今は田園都市線と線名は統合)
として開業)
その時唯一全線専用軌道であった世田谷線のみ生き残ることが出来て、昔の玉川線経由での渋谷直通だけが廃止になり、専用軌道での路面電車的運行と言うスタイルで今も運営されています。
只1999年7月に「全線300系化(新性能化完成)」「全駅ホーム嵩上げ(車両のステップが廃止)」が行われ、路面電車的な運営から、LRT的近代路面電車に生まれ変わりました。
沿線は戦前から住宅地化が進んでいて人口集積されていた地域で、今も東急田園都市線・小田急線・京王線と接続しており、又沿線に学校等も多く世田谷区役所近接の路線でも有るので、世田谷区の都市内鉄道として「下駄履き感覚」で利用されていて、昼間でも6分間隔で運行されており、かなりの利用客が居ます。
「2」東急世田谷線の訪問記
今回2月2日の夜20:30過ぎでしたが、京王線を下高井戸で途中下車して、東急世田谷線を訪問してきました。
世田谷線自体は下高井戸〜山下・山下〜松蔭神社間など区間利用は結構する物の、全線通しての利用は久しぶりです。この私の状況は意外に世田谷線の利用実態を示しているのかも知れません。京王・小田急・東急田園都市線間の連絡路線としての利用と、それら各線から世田谷区役所への区内利用、沿線からそれら各線へのフィーダー的利用の3つが世田谷線の需要の太宗を占めているのではないでしょうか?(私もこの3つが多い)そういう点では正しくLRT的な利用です。
下高井戸の駅は京王線下りに隣接し、京王橋上駅舎の下に有ります。京王からの乗換には下り線でも階段を通した乗換が必要になり、その点は不便とも言えます。乗換3駅で唯一隣接しているのですから、下り側に自動改札だけの簡易改札があれば便利です。
ホームは2面1線の型式で乗降が分離されています。均一運賃原則車内収受の為、下り側ホームには改札も何も無く、歩行者通路兼用の状況です。只上りホームだけは改札に駅員が居て駅で運賃収受しています。
世田谷線は南から北上してきて、京王線に頭を塞がれる形で、西に急カーブを切り京王線に接着し、其処が下高井戸の駅になっています。昭和初期は同じゲージの京王線と貨物列車が直通していたそうです(昔の京王線は軌道に毛が生えた状況だから直通できた)。妄想チックですが、世田谷線が京王線と直通していたり、此処から北(永福町方面)に延びていれば、色世田谷線の状況・役割も変わっていたのかもしれません。
左:下高井戸駅改札 右:下高井戸駅での乗降風景
通勤時間を過ぎたのに、かなりの乗客です。
小型の300系2両編成
ですが、かなりの立ち客が出るほどの乗客です。夜も更けて来たので多少運行間隔が開いて来ているのも原因かも知れませんが、バス1台満員+αの乗客が居ます。
折り返し電車が到着して乗客が乗降車すると直ぐに出発です。列車はツーマン運転をしていて「前後が乗車・真ん中2つが降車」です。運賃収受は車内で運転手・案内係(扉扱い・運賃収受がメイン)がしていますが、案内係は昼間は女性で、夜は系列の東急セキュリティーのガードマンがしています。(ガードマンが車掌業務に準ずる事をするのは始めて見た)夜ガードマンが乗っているのは車内の安全維持の為にも良い事かもしれません。
東急世田谷線300系運転席(下高井戸)
走り出すと感じますが、速度は速くないのに以外に揺れると言う点です。レールこそ50kgレールですが、未だに大部分が木枕木ですし、バラストもそんなに厚くは有りません。軌道法で運営されているので、ほぼ全線専用軌道でも
軌道運転規則53条の最高速度40km/h
を忠実に守っているのでしょう。全線で5km・17分の路線ですから、今に比べての極端な速度向上は不要と思いますが、もう少し揺れ対策だけはして欲しい物です。多分原因は車両が新型のことを考えると軌道に有ると思います。定期的なバラストの入れ替えだけでもかなり違ってくると思います。
先ずは2つ目の小田急線の乗換駅山下で降りて見ます。山下は小田急線高架下の北側に駅が有り、小田急線豪徳寺駅とホームtoホームで3分強の乗換時間が必要です。又2本有る乗換経路の一つは商店街になっており、山下駅の構内踏切が抜道になっています。(抜道の所に(駅務はしていない)駅舎があり、ドトールと売店が有る)この辺りの駅の風情等は、如何にも「下町の路面電車」の様で都電荒川線に近い物も有ります。
只乗降共にそんなに多くなく、下高井戸から小田急線を超えて利用する人たちが多いのも驚きです。今は小田急に普通の東北沢待避が無くなったので、状況は変わったでしょうが、昔は「上町〜新宿では豪徳寺より下高井戸乗換の方が早い」と言う人も居たので、その影響が今も残っているのかも知れません。
左:山下駅構内(奥線路上が小田急線豪徳寺駅) 右:上町駅上りホームと検車区
山下で次の列車に乗り、今度は上町で降りてみます。上町は検車庫や乗務区もあり世田谷線の拠点です。只今度は此処で世田谷通りと少し離れて並走する形になるので、急カーブで方向が変わります。下高井戸・上町に急カーブが有る点を見ても、軌道法準拠で作られたのが良く分かります。
上り列車は上町で乗務員が交代します。又上町は駅で運賃収受をしていて、駅員も常駐しています。上町近辺は丁度小田急線と田園都市線の狭間になっており、乗客が多い地域です。(その乗客を世田谷通りの渋谷行きバスと分け合っている)
この次は若林で途中下車します。若林には世田谷線唯一の「軌道線で有る事が分かる」若林踏切が有ります。この踏切は立体交差されておらず環七唯一の踏切ですが、他の区間が普通の踏切であるのに対し此処だけが路面電車同様車優先信号に従う形であり、道路の信号が赤になると電車が渡る様になっています。
環七の通行量と世田谷線の状況から考えて、現実的対応で有ると言えます。普通の信号と同じなので環七はこの踏切で混む事はないですし、世田谷線が待つと言ってもそんなに待つ訳では有りません。その点で見れば路面電車が起源の世田谷線だからできる現実的対応で有ると言えます。
左:若林踏切で信号が変わるのを待つ世田谷線電車 右:三軒茶屋駅構内
若林を出ると、直ぐに終点の三軒茶屋です。三軒茶屋の駅は昔は国道246号線に面した所にありましたが、再開発にあわせて現在では再開発ビルの
キャロットタワー
の中に駅が移設しています。(その為隣駅との駅間が300mと短くなっている)
駅自体はキャロットタワーの低層棟の中にあり、路面電車の駅とは思えない非常にモダンな造りです。キャロットタワー内にはレストラン・スーパー等もあり、それ自体が沿線地域から三軒茶屋への求心力に成っているとも言えます。
三軒茶屋では東急田園都市線と接続しています。東急田園都市線は渋谷だけでなく半蔵門線にほぼ全列車乗入していて、都心とも直結しています。只世田谷線と田園都市線は別運賃体系になっており、接続はラッチ外で地下通路を歩いてホームtoホームで3〜4分掛かります。しかし今田園都市線三軒茶屋駅では出入り口の増設工事をしているので、新出入口が出来ると気持ち世田谷線と近くなるので、多少は便利になるかもしれません。
その不便な接続状況が、各線がネットワーク化されている東急各線の中で、世田谷線の特殊な立場を示しているとも言えます。東急各線の中で「東急であって東急で無い」と言う独特の雰囲気が、世田谷線の特徴で有ると言えます。
「3」生き残った東急世田谷線の存在価値は?
この様な軌道上がりの路線で東急としてみれば極めて特殊な路線ある東急世田谷線ですが、東京近郊で見ただけも似た様な歴史・状況の路線は未だ存在します。
例えば都電荒川線も似た様な路線で有ると言えます。生まれが軌道で今も軌道法に準拠している、運行形態は路面電車とそんなに変わらない、只殆ど路面を走らず、高床式車両で運転されているという路線です。
逆に言えばこの様な「大部分が専用軌道の路線」だからこそ、交通渋滞の激しい東京で生き残る事が出来たので有ると言えます。
昔は軌道法の下で作られた鉄道は沢山有りました。関東では京浜急行・京王・京成がそうでした。それらの路線は状況が今の世田谷線に毛が生えたような施設でした。只都市間輸送・郊外輸送を行いそれに対応するために改良工事を行い、実態に合わせるために軌道法から地方鉄道法に準拠法を切替て都市鉄道に発展していった鉄道が多い中で、昔の中途半端な状況を残したままの鉄道が、東急世田谷線であり都電荒川線でると言えます。その点で見れば鉄道史の中で発展に取り残された鉄道で有ると言えます。
しかし専用軌道だけの軌道であり、その為に「歴史の中で発展もせず、衰退もせず残った」と言う例の東急世田谷線です。しかし今の状況は一日の平均利用客数が51,840人と言う数にのぼり、沿線の世田谷区内においてその存在価値は大きいと言えます。
その存在価値とは「鉄道間の連絡鉄道としての価値」と「世田谷区内の地域内輸送路線としての価値」です。前者は平行して井の頭線があり、井の頭線連絡駅の方が京王・小田急とも優等列車が止まる為便利ですが、後者の場合世田谷区全体をみても、その存在価値は大きいと言えます。
元々道がよくない世田谷区では駅からのバス路線が無い地域も多く、駅への移動と駅から新宿・渋谷への移動時間が変わらないと言う地域は多く有ります。特に世田谷区東部は極めて道が狭い為、細路にわたるバス路線は殆ど皆無の状況です。その中で世田谷線は南部で世田谷通りのバス路線と競合している物の、地域内輸送に重要hな役割を果たしていると同時に、
人口80万人の世田谷区
の烏山・砧・北沢・世田谷の各地域から区役所への主要なアクセスルートとなっています。
まして世田谷通りは混雑してバスが定時に動かない状況も良く発生するので、その様な点から考えても東急世田谷線は十二分に「規模に応じた存在価値」が有ると言えます。又(訪問した夜間でも)両端から上町地区周辺に向けて実際にかなりの利用客が居るのは、訪問記で見たとおりです。
左:東急世田谷線車内(20:30 下高井戸出発時) 右:東急世田谷線車内(22:00三軒茶屋到着時)
加えて東急世田谷線は、近年最低限の改良投資が行われているので極めて使いやすい路線になっていると言えます。
ここ数年だけで三軒茶屋・下高井戸駅の改良の他に「
300系導入・ホーム嵩上げ工事
」が行われ、バリアフリー化が進んでいます。同時に
ICカード定期・回数券の「せたまる」が導入
され利便性も向上しています。
300系車内の運賃収受機械(バス型の運賃収受箱と「せたまる」のパネル)
左:下高井戸駅ホーム(嵩上げの状況が分かる) 右:若林駅(嵩上げ時に出来た階段にスロープが付いている)
少なくとも、30億円掛けて東急が行ったこれだけの改良で世田谷線が使いやすくなり、今流行のLRTに準じる物を築き、近代的な交通網の中で耐えられる存在になったことは明らかです。
LRTに必要な物は「
(1)停留所の設備(2)走行空間(3)運行系統(4)運行頻度(5)他交通機関との乗換利便性(6)迅速な運賃収受
」と言われますが、東急世田谷線の場合、大規模な改良工事を行った結果、この全てに当てはまる状況になっています。
元々(2)(3)(4)(5)の条件は充たしていましたが、今回の一連の改良工事で(1)を満たし加えてバリアフリー化も果たしています。又1日の利用者数以上の6万人を超えるカードホルダーを抱える「せたまる」を導入した事で、(6)の運賃収受も「せたまる」の普及に伴い効率化されています。前述の条件で考えれば、世田谷線は既に「LRTの条件」を満たしている事のなります。
同時に導入された「せたまる」は利用に応じたマイレージ的なポイント付与のシステムも備えており、この
マイレージシステムを利用して地域通貨との連携の実験
が行われたりして、地域との連携の施策も実験されています。
又現在ソフト的な面でも上高井戸の駅等で、案内用電光掲示板の整備(下高井戸駅改札・乗降風景写真参照)を整備したり、
運転士・案内係がサービス介助士を取得
する等の色々な側面での利便性向上の施策が行われており、99年の300系導入から始まった一連の「世田谷線改善策」で、地域内交通を担う交通機関としてかなりレベルに達した事は間違いありません。
この様な点から考えて、東急世田谷線は有る一定のレベルまでインフラの整備が行われていて、LRTと呼んでも差し支えないレベルまで来ています。まして「LRTとは交通を通じ地域の活性化に貢献するツール」と言う考え方をするのなら、上記の様な利便性向上の各種施策を行っている事から考えて、十分LRTに値すると言えます。
それの施策を支えているのは沿線の人口の多さと利用者数の多さです。それだけの利用者が有り、地域に必要な交通機関で有るからこそ、東急は自社の軸足から外れた路線であっても、世田谷線の年間収入(51,840人/日*365日*均一運賃140円)約26億5千万円よりも大きい金額で有る、30億円以上もの投資をして、利便性の向上策を打ったのです。
実際極めて成熟していて大規模な開発余地の無い地域を走る路線で有るにも関わらず、2003年度には1日当たり輸送人員対前年比0.3%増を記録しています。都会と言えども成熟地域を走る短距離路線ですから、そこで輸送人員で対前年比プラスを出すと言う事は、それだけ地域や利用者に支持・利用をされていると言う事です。
それだけ見ても「東急世田谷線には存在意義が有る」事になります。有る意味時代に取り残され中途半端な路線であれども、利便性向上の改善が行われ、輸送人員も微増している状況は良い結果で有ると思います。
世田谷線は上記の様に利用されている鉄道であり、バリアフリーの鉄道・利便性の高い鉄道であると言えます。これで「地域に取り存在意義の有る鉄道」と言うポジションを保って行く事ができると思います。
その様な鉄道であり、今後とも東急と地域と利用者が「Win・Win」の関係を築き続ける事が出来れば、東急世田谷線は今後とも安泰であることは間違えないでしょうし、又そうなって欲しいと思います。
※本文は参考文献として「鉄道ピクトリアル2004年7月増刊号東京急行電鉄」を使用しています。
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