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何故か不可思議に「中途半端で孤立した盲腸線」

− 西武鉄道 多摩川線 −



TAKA  2006年02月27日




(西武多摩川線 101系ワンマン車@是政)
 

 関東鉄道めぐりは今回で9件目ですが、なるべくマイナーな路線・短い路線を訪問しているようにして居ると、多くなるのが「盲腸線」です。「盲腸線」の出来かたとしては「地形障害に阻害された」「そこで資金が尽きた」「其処が目的地で他に路線が乗り入れていない」等々色々な理由が有りますが、路線訪問をする立場としては「単純往復」しか出来ないと言うのは非効率的です。まして鶴見線訪問時の様に「途中に目的地が有る」場合は良いのですが、「その線を訪問するだけが目的」と言う場合は尚更です。
 今回訪問の西武多摩川線も盲腸線の一つです。偶々日曜日に武蔵境で仕事があり、それに顔を出したついでに訪問してみたのですが、仕事の目的地が武蔵境で家の方向も中央線都心方向となると、訪問は必然的に武蔵境〜是政間の往復乗車になってしまいます。
 そういう訳で今回は、「盲腸線」の一つである西武多摩川線を、仕事のついでに単純な往復で訪問することにしました。


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 ☆西武多摩川線概要
 
 西武多摩川線は武蔵境〜是政間8.0kmを運行する小さな路線です。
 元々は多摩川の砂利輸送のために明治43年に造られた多摩鉄道が、大正6年に武蔵境〜白糸台間を大正11年に白糸台〜是政間を開業させたのが発端で、その後昭和2年に(旧)西武鉄道に買収され、武蔵野鉄道・西武鉄道合併により(新)西武鉄道にそのまま移管されて、西武鉄道の一路線として現在に至っています。
 途中駅は武蔵境・新小金井・多摩・白糸台・競艇場前・是政の6駅で、武蔵境で中央線み白糸台で京王線(徒歩で数分掛かる)と接続しています。武蔵境・是政・競艇場前以外の各駅で交換が可能です。(競艇場前は近年交換設備が撤去された)現在武蔵境駅周辺で連続立体化工事、競艇場前駅でバリアフリー化工事が行われています。新小金井・多摩・白糸台には未だ構内踏切が残っています。
 車両基地は白糸台にあり、101系のワンマン車が4両編成で運転されている。殆どの時間が12分毎の間隔で運転されている。沿線は新小金井〜多摩間の野川公園周辺を除いて殆どが住宅地化されていて、それなりの利用客が有る。但し各駅には自動改札がなく、高架化工事着手前は武蔵境で中央線下りとホーム対面接続していた時の名残か整備線で唯一パスネットが利用できません。
 元々競艇場前は 多摩川競艇場 に隣接し、是政からは東京競馬場まで歩く事も可能だったので、休日はギャンブル路線の性格が強かったが、多摩駅周辺の調布飛行場跡地に「 味の素スタジアム 」「 東京外国語大学 」が出来て、 多摩駅から歩いてもアクセス可能 なので、多少雰囲気が変わりつつあります。

 「 西武多摩川線概要 (wikipedia)」 「 西武多摩川線の乗降客数  (関東交通広告協議会レポートP32)」


 ☆西武多摩川線試乗記

 西武多摩川線を訪問したのは2月12日日曜日の昼下がりです。午前中は武蔵境で所用を果たして、武蔵境の駅に戻ります。昔はJRとの共用駅で中央線下りの隣の3番ホームから発着していましたが、中央線・西武多摩川線連続立体化工事の工事進捗に伴い、連絡線も切断され、ホームも独立しています。
 その為ホームは今建設中の高架下に移され、改札口は南口駅前広場に面した所に独立して作られています。昔は中央線が着くとホームtoホームで乗換で来た事を考えると不便になりましたが、致し方ないのかもしれません。

 「 武蔵境連続立体化工事 概要 (西武線関連工事は2008年度完成予定)」

   
左:西武多摩川線武蔵境駅     右:高架化工事中の西武多摩川線武蔵境駅


 西武線の改札を通り高架下のホームに入ると、暫くすると折り返しの是政行きがやってきます。
 101系4両編成、すでに池袋線では見かけなくなった型式です。昭和44年西武秩父線開業と同時に登場した西武近代化を象徴する3羽ガラス(通勤型101系・5000系レッドアロー・E851型電気機関車)の最後の残党です。ずっと西武池袋線沿線住民で小学校時代(約半年間)電車通学していた時におんぼろの赤電の中で唯一近代的な車両として三羽ガラスが存在していて、極めて鮮烈な印象を与えていた事を覚えています。今や池袋線で見なくなった形式ですが、片田舎の多摩川線で最後のお勤めをしている姿を見ると、昔の子供の頃の記憶が鮮烈によみがえります。
 そうは言っても、今やローカル運用でしかも4両編成、その上ワンマン化の改造までされています。只東京多摩地区といえども幹線でないローカル線ですから致し方ないのかもしれません。武蔵境駅の最前部に設置されている監視モニター(普通は車掌用に後ろ)がその現実を如実に示しています。

   
左:101系是政行き     右:ワンマン運転用のホーム監視モニター


 入線すると2〜3分で折り返し出発です。昼間でも12分毎間隔運転で、しかも武蔵境は棒線の為折返し時間は最低限に設定されています。それでも日曜日昼間と言う事もあり降車客・乗車客共15名/1両程度のレベルの為慌しいと言う感じでは有りません。
 武蔵境を発車すると西武線・中央線の高架化工事の現場の間を縫いながら進みます。丁度数百メートル進んで中央線と離れて南側に進路を変える辺りが高架化工事の終点になっています。
 武蔵境の次の駅は新小金井で交換駅になっており対向列車が丁度入線してきます。新小金井は連雀通りの交差地点にあり、小田急バスの折り返し所も有り結節点的なイメージも有るのかと思いますが、現実は中央線の東小金井と並んで「印象の薄い小金井の駅」と言うローカルな駅になっています。
 新小金井を過ぎると南西に一直線に進み、野川・野川公園・東八道路を一気に超えて西武多摩川線最大乗降客の中間駅の多摩に到着です。多摩は人見街道との交差地点の近くにあり、昔から小さな商店街+住宅地と言う場所で、京王線・中央線とも微妙に外れていてバスも少ない(飛田給行きと三鷹行きだけ)ので、殆どの人たちが多摩川線を利用していました。それに加えて「味の素スタジアム」「東京外国語大」が近くに出来たので、賑やかさ、乗降客数は多摩川線では(武蔵境を除いて)頭一つ飛び出しています。

   
左:多摩駅構内(帰りに撮影)     右:白糸台駅構内



   
左:白糸台の車両基地   右:西武多摩川線と京王線の交差点(帰りに撮影・奥が白糸台駅)


 多摩を過ぎると甲州街道を潜り、その先に白糸台の駅が有ります。白糸台の駅は車両基地等が有り、西武多摩川線の運転上の中心地です。(運転士も此処で交代が有る事が多い)現在の12分間隔運転では白糸台〜是政間が交換施設等がなく1列車しか入れない構造になっています。その為現在の12分間隔運転が物理的に最小運転間隔になっています。
 白糸台は京王線の多磨霊園との間で乗換駅になっています。実際白糸台の駅に立つと南側に京王線のオーバーパスが見え、京王線の列車が通過して行くのが良く見えます。只白糸台〜多磨霊園間は歩くと7〜8分掛かり、対新宿では武蔵境経由の方が便利で、しかも競艇場前・是政の駅勢圏は北側で京王線と被っている事もあり乗換客はそんなに多く有りません。その現実は多摩川線各駅の中でも少ない乗降客数が示していると言えます。

   
左:競艇場前駅構内(帰りに撮影)     右:競艇場前駅 乗降風景


 白糸台を出ると多摩川の河岸に向かい坂を下り、品川通りの陸橋を越えると、R=300のカーブで南西→西に方角を変え競艇場前駅に着きます。この駅は名前が示すとおり多摩川競艇場の最寄り駅で、駅から直ぐの所には競艇場の屋根が見えます。(競艇場は昔の多摩川の砂利集積施設の跡に出来た。その点でも昔から西武多摩川線と関係のある施設ともいえる)
 多摩川競艇場は34,777人収容可能な競艇場であり、最寄のアクセス駅が西武多摩川線競艇場前駅と言う事もあり、かなり利用されています。実際西武多摩川線各駅で定期客より定期外客の比率が多い駅(新小金井も多いが1610名:1623名ではほぼ同数と言える)です。この数字が多摩川競艇場の利用客に如何に利用されているかを示しています。実際訪問日も競艇場前乗降客には「(如何にもコアな競艇客と分かる)スポーツ新聞を持ったおじさん」が数人居たので、多分競艇をやっていたのでしょう。
 その競艇場の恩恵もあってか、競艇場前駅は乗降客は一番少ないのに多摩川線唯一の橋上駅舎が完備されていて、現在バリアフリー化工事が行われています。しかし今回競艇場前駅で交換設備が撤去され棒線化されていましたが、バリアフリー化工事のコスト削減のために撤去されたのかもしれません。(ホームがもう一面あればエレベーターがもう一台必要、維持費も掛かる)

   
左:是政駅手前のマンション群     右:是政駅と府中街道


 競艇場前を出ると、多摩川に沿って是政を目指します。左側は堤防道路でその先は多摩川ですが、右側は競艇場を過ぎるとマンションが目立ちます。昔は砂利採取場でしたが、今は多摩川の砂利採取は禁止されているので、採取場跡地を「川が一望できるマンション」として売り出しているようです。南側が鉄道・道路・川ですから半永久的に建物が建つ事が有りませんし、その先に多摩丘陵が見えて見晴らしは抜群です。それでマンションが建ち人口が定着しているのでしょう。駅前の寂しさに比べての是政の乗降客数の多さはこの様な点から来ているのかも知れません。
 暫くすると是政駅に到着です。「如何にも終着駅」と言う感じの1面1線の駅ですが、今は保守用側線として使われている線路が有り、この路線を使って昔は砕石を運び出していたのでしょう。この路線は砂利輸送がメインでしたし、ほぼ平行している京王も大昔は砂利輸送をしていました。その「兵どもが夢の跡」とも言える物が是政駅には残っています。
 是政駅は終着駅で、武蔵境発車時点の(乗車車両では)3分の1程度に減った(頭端式の駅で一番前に乗っていたので後ろはもっと少なかったのかも知れない)乗客が駅を降り、三々五々目的地へ散っていきます。競馬新聞らしき物を持ち北側(東京競馬場方面)を目指す人も居たので競馬場に向う人も以外に居たのかもしれません。
 是政駅は盲腸線の終着駅で、他路線の何処の駅とも接続が無いように見えますが、実を言うと是政駅では乗換駅として南武線南多摩駅が案内されています。(但し駅探等では乗換パターンで出てこない)実を言うと府中街道是政橋を徒歩で渡れば南武線南多摩駅は直ぐ其処です。逆に府中街道を反対に歩いて府中本町まで歩く方がかなり時間が掛かります。
 是政は意外に利用客が多い(武蔵境・多摩についで3番目)のですが、駅前はコンビニ1件と数件の食事屋があるだけで、御世辞にも開けているとは言えません。(府中街道に一応バスは走っているが)バスとも接続している訳ではないので、「マンションが増えた」だけではこの乗降客数は説明できません。もしかしたら是政橋を徒歩で超え南武線と乗り換える人が意外に居るのかもしれません。
 又是政駅から先に西側へ10分強歩くと、府中郷土の森があります。メインアクセスは府中駅からバスですが、この辺りまで是政駅から歩いて行く人が居るのかもしれません。駅周辺の状況と乗降客数を比較して考えるとこれらの可能性も考えられます。是政駅は寂れた所にあるローカル線の終着駅と言う感じですが、意外なほど広い駅勢圏とポテンシャルを持っているのかもしれません。そう考えると、駅と府中街道の間にある工事ヤードと駅敷地を使い、小さなスーパー+賃貸マンションと言う様な駅ビルを建てて、敷地の有効利用と駅の活性化・魅力の向上を図っても面白いかも知れません。


 ☆何故こんなに「中途半端で孤立した盲腸線」になったのか?

 今回西武多摩川線武蔵境〜是政間を往復してきましたが、起点の武蔵境は中央線との接続駅ですが、終点の是政は府中街道・是政橋に接続していますが、これといった都市でもなく接続駅でも有りません。では何故この様な所を終着駅にて「中途半端で孤立した盲腸線」になったのでしょうか?
 まず設立当時のことを考えれば、多摩鉄道が線路を引いた目的は「多摩川の砂利の輸送」に有ります。昔は多摩川・相模川の砂利はコンクリート建築物の建設が広がった関東大震災以降需要が増大しており、関東の私鉄でも玉川電気軌道・京王電気軌道・小田原急行電鉄・(旧)相模鉄道・神中鉄道など積極的に砂利採取・輸送を展開していた鉄道会社は沢山有ります。多摩鉄道もその一角で、(旧)相模鉄道の様に砂利採取・砂利輸送をメインで考えていたと思います。その点から考えると路線の目的地は「多摩川」その物であり、是政終点と言うのは納得の行く話しです。
 しかし何故(旧)西武鉄道が、多摩鉄道を買収したのでしょうか?(旧)西武鉄道が多摩鉄道を買収したのは昭和2年で、 陸上交通事業調整法施行 (昭和13年)の前であり法に基づいた統合ではなく企業買収の意味合いが強い買収であったと考えます。
 この地域は元々京王電気軌道のテリトリーでしたし、(旧)西武鉄道自体は根津系の資本が入った鉄道で、東武→東上→(旧)西武と東京の北から反時計回りに進んできた根津嘉一郎の鉄道買収が次の表的にしていたのは武蔵野鉄道であり(此処で堤康次郎との奪い合いに負けて(旧)西武鉄道も手放す)、中央線を越えての勢力範囲拡大は考え辛いと言えます。又鉄道事業と並んで多摩地域沿線の電力供給が事業のメインで、甲州街道沿線が事業のメイン地域である京王電気軌道が、自社事業範囲に楔を打たれる様な(旧)西武鉄道による多摩鉄道買収を容認したのも不思議です。
 その点から考えると、多摩鉄道から(旧)西武鉄道へ売込みが行われた可能性は有りますが、「何故(旧)西武鉄道が飛び地の多摩鉄道を買収して、離れ小島の盲腸線を持つ様になったのか?」は残念ながら分かりません。戦略的意図も見えませんし、経緯も見えません。この点は謎と言えます。
 しかし戦後、西武多摩川線の延伸が検討されたことが有ります。それは多摩ニュータウン開発時のアクセス鉄道として、現存の京王相模原線・小田急多摩線にならんで、西武多摩川線の多摩ニュータウン延伸が検討されたことが有ります。確かに是政から多摩川を越して南西に一直線に伸ばせば、聖ヶ丘から今のニュータウン通りの南側を永山〜多摩センターと線路を伸ばす事は可能です。この計画は「最終的に都心アクセス線が武蔵境乗換中央線になり。、迂回ルートになる上中央線の輸送力がパンクする」と言う理由で没になりましたが、実現していたら盲腸線も解消され、西武の勢力圏が多摩丘陵まで伸び、違った様相を呈していた事は間違いありません。


西武が「越すに越せなかった」多摩川(府中街道是政橋)


 只幾ら計画を立てても、残念ながら自社勢力圏から遠く離れた飛び地の悲しさで、中々現実的なは発展プランを立てる事が出来ません。もしこれが京王に買収されていたらどうなったのでしょう?少なくとも白糸台と多磨霊園・武蔵野台は統合駅になり乗換が楽になっていたでしょうし、多摩川線改軌が行われ、直通列車が走ったり、多摩川線が戦前持っていた 東京競馬場までの路線延伸免許 が生かされ、今の京王競馬場線が無かったかも知れません。その様に隣接路線の京王に買収されていれば又違った展開が出てきたかもしれません。その点から考えると、西武多摩川線の現状は(旧)西武鉄道に買収された段階で、「中途半端な盲腸線」と言う飼い殺し状態が決まってしまったのかもしれません。
 

 ☆将来もずっと「中途半端で孤立した盲腸線」のままだろうか

 この様に「中途半端で孤立した盲腸線」で生きながらえている西武多摩川線ですが、今後はどうなるのでしょうか?現在大きな改良工事として「武蔵境駅周辺連続立体化工事」と「競艇場駅バリアフリー化工事」が行われていますが、それ以外に目ぼしい改良工事等の事業があるとは聞いていません。
 又今や路線延伸等も困難であると言えます。今更多摩川を越える路線展開をしても意味は有りませんし、越えた先で昔の様に多摩ニュータウンを目指しても米軍用地が邪魔します。かと言って多摩川に沿って路線延伸をしても府中郷土の森にぶつかりますし多摩川北岸は倉庫・工場等が有りますが、定着人口が少ない地域です。その点から考えればこれ以上の路線延伸は意味ない事が分かります。
 しかし今から線内に目を向けても大幅な発展が期待できる方策が有るかと言えば「難しい」と言わざる得ません。唯一有るとすれば新駅建設ですが、新駅建設に可能性があるとすれば西武多摩川線と東八通りの交差地点ぐらいです。此処は周囲に住宅は乏しいですが(周囲は殆どが野川公園、だから清掃工場がある)近くに免許試験場があり免許試験場にバスでアクセスしている(武蔵小金井からバスが頻発している)人たちを取り込む事が可能です。又この区間であれば交換駅の変更・大幅な所要時間の増加も考えられません。その点では旅客増加に打てる唯一の手であると言えます。

 ※川島令三流の「白糸台・武蔵野台を西武多摩川線・京王線との乗換駅として移設・統合駅化する」と言うのは殆ど無意味で費用対効果が低い。白糸台の乗降客数の少なさから考えて、西武多摩川線に対京王乗換需要は多く存在しない。大部分の人(特に京王・西武多摩川線間の住民)は白糸台で京王に乗り換えるなら直接京王の駅へアクセスする可能性が高い。


西武多摩川線と東八道路の交差地点(前方左右は野川公園・左が清掃工場)


 けれども「野川港延伸駅設置」も小手先の手に過ぎず、その設置による西武多摩川線への利用客数増とその費用対効果は残念ながら疑問です。(夜は間違いなく閑古鳥が鳴くだろう。免許試験場からも歩いて5分強掛かるからどれ位移行してくれるかは疑問。只「無謀な案」とは言えない位の需要は有るだろう)
 そうなると今のまま現状維持で地道に運行して行く事が一番良いのかもしれません。駅設備老朽化更新・車両更新等のメンテナンス系の投資を中心にして、Suica・パスネット共通化による自動改札導入、一部駅無人化等の省力化投資を平行して行い、地域の路線として維持して行く事が西武多摩川線に求められた社会的役割なのかもしれません。
 只堅実に運営している都市ローカル鉄道だからこその良さも有ります。「構内踏切が残っている」と言えどもそれは逆に言えば「スロープを作るだけでバリアフリーが達成できる」と言う事になりますし、「有人駅である」と言う事もローカル線的には非合理的ですが、それでも運営できる採算性の下では「介助・案内等目に見えないサービスが出来る」と言う事になります。

   
左:ホームへのバリアフリー対応のスロープ     右:車椅子利用者の介助をする駅員(是政駅)


 その様な「使いやすい鉄道」として今後とも地域と共に生きていく事も鉄道として必要なことです。西武多摩川線は西武鉄道にとって見れば「鶏肋」路線で有る事は間違い有りませんが、沿線住民に取っては日々の足として重要な路線です。
 西武多摩川線は大幹線でもなく重要路線でもなくLRTの様な先進的な路線でなくても有りません。しかし地域の日々の足として必要不可欠な路線であり、今後とも地道に活躍して欲しい物です。又其れが「中途半端で孤立した盲腸線」である西武多摩川線の社会的存在意義であり、必要なことであると思います。何も現状から「飛躍する」「発展する」が全てではないのでは?と思います。





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