このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
「東急」という名の「焼き鳥」の「串」を訪ねて
−東京急行電鉄 大井町線−
TAKA 2006年06月25日
今回の「関東鉄道めぐり」は東急大井町線を訪問してみました。「関東鉄道めぐり」自体は、テーマ的には近くで利用する路線や仕事等で利用する路線をついでに取材するのが多く(そうでないとなかなか時間が取れない)このごろはなかなか新しい路線を訪問することが出来ずに居ましたが、偶々平日夕方に等々力に見積の打ち合わせに行く機会があり久しぶりに東急大井町線を利用する機会があったので、今回は東急大井町線を取り上げる事にしました。
「
東急大井町線概要
」 「
東急大井町線標準所要時分
」「
東急大井町線利用客数
」 (いずれも東京急行電鉄HPより)
今回の表題の「東急という名の焼き鳥の串」ですが、食い意地が張っているから思いついたとも言えますが、その発端はトップに掲げている写真にあります。これは東急の
2006年3月18日ダイヤ改正
で田園都市線〜大井町線直通急行登場時に誤乗防止用に大井町線車両に付けられたマークです。(同時に帯の色も変わった)
このマークは「東急の線形」をイメージして作られた物であることは容易に想像できますが、「東急の線形」をシンプルにデザイン化したこのマークを見た時に「田園都市線・東横線・目黒線・池上線は焼き鳥の鶏肉」で「大井町線は4つの焼き鳥の鶏肉に打たれた串」だなとパッと見のイメージで感じて、それが今回の表題になったのです。
確かに「焼き鳥」を持ち出しての話は、ちょっと私の本心が出て「食欲先行」かな?と言う気はしますが、実際のところは「そんなに間違えては居ないと感じます。大井町線は昔の田園都市線溝の口〜長津田間開業後→新玉川線直通運転開始までの一時期(1966年〜1979年)は多摩田園都市から都心へのアクセス鉄道として機能した一時期はありますが、それ以外の期間は大井町での京浜東北線接続を源として、旗の台→池上線・大岡山→目黒線・自由が丘→東横線・二子玉川→新玉川線と田園都市線と言うように東急各線(世田谷線を除く全線)と接続し、まさしく「東急各線間を結ぶ結束線」としての機能を果たしてきました。その「結束線」としての役割が「焼き鳥の串」と言うことになったので、私の食い意地の妄想も「強ち外れていないかな?」と考えます。
では「焼き鳥を食べながら」と言う訳には行きませんが、東急大井町線21分間の旅に出発するとしましょう。
☆ 東 急 大 井 町 線 訪 問 記
東急大井町線を訪問したのは6月20日午後でした。この日は午前中拝島・立川で所用がありその後3時半から等々力で見積の打ち合わせだったので午後は比較的時間に余裕があり、時間調整かたがた等々力の打ち合わせの前後に大井町線の訪問を加える事にしました。
立川からの移動なので南武線で溝の口迄移動して、そこから前半戦として田園都市線で二子玉川に移動して上野毛・等々力を見た後、後半戦として打ち合わせ後の自宅までの帰り道に等々力〜大井町間の大井町線を見る事にしました。
まずは大井町線の北側の起点駅(終点とも言えるが)の二子玉川からスタートします。二子玉川は昔から丁度多摩川の岸辺の二子橋のたもとにあった玉電と大井町線の駅が、田園都市線の開業による専用橋梁化(昔は旧二子橋は大山街道と大井町線の併用橋だった)で半分多摩川の上にホームが飛び出した今の形になっています。個人的にはこの「飛び出し部分から見た多摩川の風景」がきれいで「好きな駅」であると言えます。
二子玉川は
近年の改良工事
の結果、大井町線の中線化・多摩川橋梁上への折り返し線建設が行われ、乗り換え客が多い田園都市線・大井町線の同一方向間で完全ホームtoホームの乗換えが可能になり(前は確率50%だった)非常に便利になっています。
実際に乗客の流れを見てみると、二子玉川自体も
高島屋SC
が有ったりと商業施設も充実しており、旅客の目的地としての拠点性は有ると言えますが、目的地が二子玉川の乗客より大井町線⇔田園都市線の乗り換え客のほうが多く、実質的には乗換駅として機能している側面が強いので、改良工事による乗り換え利便性の向上は大きなプラスであると言えます。
左:二子玉川駅状況 右:大井町線車両
二子玉川で状況を見たり写真をとった後、大井町線列車に乗り第一の目的地である等々力を目指します。
立体交差で田園都市線と分かれた後高架で東に向かい多摩川の河岸段丘にぶつかった所からいきなり掘割になります。この場所の南西の斜面は
五島美術館
(五島慶太東急元会長の邸宅跡)を中心として東京有数の高級住宅地が並んでいる地域です。高級住宅地を過ぎると環八を潜り掘割の上野毛の駅になります。
上野毛を過ぎると地平を走るようになりますが、比較的緑の多い住宅地と言う風景は変わりません。大井町線が「東京有数の高級住宅地を走る路線」である事は上野毛・等々力周辺の風景が証明していると言えます。上野毛を過ぎると
等々力渓谷公園
につながる谷沢川の緑(実質的な等々力渓谷の始まり)が右手に見えてくると等々力です。
等々力は東京有数の高級住宅地にして「等々力渓谷公園」が有る自然豊かな町です。駅は島式ホームに駅舎が付いていて構内踏切で外と繋いでいる「昔有った郊外鉄道の駅」と言える駅です。(大井町線では他に九品仏が該当する)等々力駅では「
地下化工事
」が計画されていますが、
「等々力駅地下化工事に反対する会」「大井町線とその周辺環境を愛する住民グループ」等が反対活動の集会を開いている
のと同時に、自治体・東急等が中心となり地域・反対派をオブザーバーに加えて「
等々力駅地下化工事技術検討委員会
」を作って検討を加えています。この事に関しては別項をつくり取り上げる予定ですが、この工事は今後の大井町線の一連の改良工事の大きなポイントの一つですから、どのように進んでいくか注目の所です。
ここで途中下車をして仕事をこなし、その後コラムの記事作成用に等々力渓谷周辺を廻った後、17時ごろ等々力駅に戻り一時中断していた大井町線廻りの旅を再開させる事にします。
等々力から視界に入る位置にある程近距離の尾山台・九品仏を過ぎた後、二子玉川に続く2番目の東急線間乗換駅である自由が丘に到着します。自由が丘では直上を高架で走る東横線と接続しています。
左:大井町線自由が丘駅と直交する東急東横線 右:自由が丘駅の乗降風景
東急大井町線は「東急と言う焼き鳥を貫く串」であり各線間を連絡する役割を果たすと同時に、世田谷区内の上野毛・等々力・尾山台を中心とした住宅地の輸送を担当している役割も果たしています。(実際この3駅の乗降客数は2万人台で大井町線中間駅の中では自由が丘・大岡山に並ぶ乗降客数である)
その上野毛・等々力・尾山台利用客はかなりの部分が自由が丘で東横線に乗り換えており、その意味では自由が丘は大井町線利用のフィーダー客の渋谷方面乗り換え拠点として大きく機能しています。
加えて大井町・二子玉川と並んで自由が丘は沿線最大級の街でもあり(百貨店がない分見劣りするが)自由が丘目的の客も多く、大井町線の拠点駅としての機能も果たしています。その為乗降客も多く、私が乗った列車でも乗客の半数に欠ける程度の人たちがここで入れ替わります。しかも乗車より降車の方が多い感じで車内が若干空く感じがします。
自由が丘で一旦降りて様子を見た後、再び列車に乗り次の3番目の東急線間乗換駅である大岡山を目指します。大井町線自体は輸送力が20m5両編成と若干物足りない物の、
昼間で6分毎夕ラッシュ時は5分毎
と東京都内のレベルで見てもかなりの高頻度運転がされています。利用者にとってもこの高頻度運転は確かに便利な物であると言えますが、(少数でしょうが)私みたいに頻繁に電車を乗り継いで駆け足で路線訪問する人間にとっても大助かりであると言えます。
本当に存在感の乏しい小駅である緑ヶ丘を出ると目の前に東工大の巨大な校舎が見えて来ると右から目黒線が見えてきて、大井町線はその間に入り地下の大岡山駅に入っていきます。
左:大岡山駅に入る大井町線・目黒線 右:大岡山駅ホームと乗り換え状況
大岡山駅は
目黒線改良工事
で駅が地下化・大改良され面目を一新しています。この大改良工事では配線を含めて変更が加えられているので、二子玉川での田園都市線⇔大井町線の乗換えと同じ様に大井町線と目黒線の間で同一方向間で完全ホームtoホームの乗換えが可能になっていて利便性が向上しています。
その工事の意図は「目黒線が都心直通になったので、自由が丘乗換え客を乗換えが便利な大岡山に誘導して東横線混雑緩和と目黒線利用向上を図りたい」「あわ良くば田園都市線からも二子玉川〜大井町線〜大岡山〜目黒線〜都心の乗り換え客を誘導して田園都市線混雑緩和を図りたい」と言う考えがあったと推察できます。
実際改良工事で乗り換えは非常に便利になりました。見た限りでもそれなりの乗り換え客は居る感じです。しかし如何せん目黒線の乗り入れ先が南北線・三田線と格が落ちると言う事と山手線ターミナルの目黒自体も求心力が劣ると言う点があり、なかなか大岡山乗換えが拡大していない感じを受け取れます。なかなか設備を改良しても利用者の志向を変えるのは難しいのかもしれません。
この後最後の4番目の東急線間乗換になる旗の台を目指します。旗の台は池上線と接続しているものの、池上線自体が東急の中で利用客も少なく池上線と平行して都心まで走る都営浅草線と中延で乗り換えられるので、4つの東急線間乗換駅の中で一番自駅利用客が少ない駅です。(浅草線乗り換えの中延より少ない)
ただこの駅は周囲に私立の学校や昭和大学のキャンパスが有り、加えて地域内では大病院の昭和大学病院も有る為にかなりの利用客がいます。実際私が訪れたのはう夕方6時頃だった事もあり、高校生らしき利用者がホームにはかなり居ました。大井町線沿線には学校が比較的多いので学生の利用客も多いのも特徴と言えます。
左:旗の台駅での乗降風景 右:旗の台駅風景(下を走るのが池上線・正面の建物は昭和大学病院)
今旗の台駅では大井町線改良工事の一環としての「
旗の台駅改良工事
」が行われています。もともと古かった旗の台駅の駅舎改良・大井町線⇔池上線間の乗り換え設備の更新とバリアフリー化と同時に大井町線急行運転に必要な待避線設備の新設作業が行われています。その為、今は「工事現場の中の駅」と言う状況ですが将来的には乗り換えも便利な駅にリニューアルされる事は間違いありません。そのとき平行路線である都営浅草線に中延で乗り換えている客を、どれだけ旗の台乗換池上線が奪って池上線活性化に貢献するか?楽しみであると言えます。(期待しすぎかな?)
旗の台を出た後は一気に大井町線の起点である大井町を目指します。駅間の短くローカルな駅をいくつか過ぎた後、JR東海道新幹線の下とJR品鶴線の上を通り抜け、左の視界が開けてきてJRの大井工場が見えて来ると大井町線終点の大井町はすぐそこです。
左:大井町駅の乗降風景 右:大井町駅改札口(正面に京浜東北線改札・りんかい線コンコースへのエスカレーターがある)
大井町駅も一連の改良工事にあわせて大規模な改良工事が行われ竣工しています。ホームは広がりしかも改札に向かって裾が広がる形態となっており、先頭にしか改札がなくしかも乗換えを考えると他に改札を作っても意味のない状況下で利用客をうまく裁けるような形態になっています。
大井町線の「東急線間連絡」の役割と同じぐらい重要な役割は「大井町での京浜東北線接続によるバイパス効果」にあります。実際東急東横線・田園都市線沿線から東京駅へ向かう場合、大井町線経由大井町乗り換え京浜東北線が一番早い場合は結構あります。京浜東北線自体は品川・新橋・有楽町・東京・秋葉原と経由している立地自体は決して悪くありません。又東急各線から見ると山手線経由で行くと遠回りになり不便な場所を微妙にフォローしていると言えます。
その「京浜東北線へのバイパス」と言う重要な役割のキーポイントが「大井町での便利な乗換え」に有るといえます。この利用客は多いことは間違いなく、106,157人/日の大井町駅の乗降客のうち固く見積もっても半分以上は京浜東北線乗り換え客である事は間違いありません。実際大井町駅で見ていると京浜東北線改札から大量に来る人の流れを実感する事が出来ます。加えて今は臨海副都心直結のりんかい線とも接続しています。(乗り換えの距離はあるが大部分はエスカレーターなのでイメージより苦にはならない)このような大井町の乗換拠点としての重要性が大井町線の存在意義をより大きなものにしていると言えます。
実際大井町線の利用客は全線ほぼ均等です。乗換駅の二子玉川・自由が丘・大岡山・旗の台・中延・大井町で大きな乗降の動きは有りますし、自由が丘は後ろ側・大井町は最前部に階段・出入り口が有る為車両毎の乗客数の偏りは有りますが、全般的に見れば二子玉川〜大井町間で大井町に向い増えて行く傾向は有りつつもほぼ均等の乗客数で推移しています。
左:自由が丘到着前車内 中:大岡山到着前車内 右:大井町到着前車内 (いずれも大井町行き最前部)
この事は大井町線が「東急線間乗換の為の連絡線」としての役割を果たしている(だから均等の乗客の出入りが有り全体で大きく増減しない)のと「大井町経由京浜東北線へのバイパス路線」としての役割(だからほぼ全区間でかなりの乗客が有る)を果たしていると言う事を示しています。
もし「東急線間乗換の為の連絡線」の機能だけを果たし「京浜東北線へのバイパス線」の機能を果たしていなかったらどうなったでしょうか?大井町線経由京浜東北線の流れがなかったら、少なくとも田園都市線溝の口〜長津田間開業後→新玉川線直通運転開始までの一時期(1966年〜1979年)多摩田園都市の住民を都心に流す事が出来ずに(全量が自由が丘経由東横線では東横線が完全に破綻していたはず)東急が社運をかけた多摩田園都市自体が挫折していた可能性があります。(多摩田園都市が挫折していたら今の東急が無いと言うのは間違いない・・・)同時に現在迫りつつある田園都市線朝ラッシュ時の渋谷口での限界がもっと早く訪れていたかも知れません。どちらも東急に取っては悪夢の話です。その点では大井町線の果たした役割は非常に大きい物が有ると言えます。
そのような意味においても東急の中での大井町線の位置づけは軽くないものがあるといえます。しかし今まで東急大井町線はその担ってきた役割に比例して、輸送力等の点からそれなりに手を加えられて来たかと言うと「?」が付くのが実情です。
大井町線の輸送力は、昭和41年の田園都市線長津田開業時は18m車4両編成(朝ラッシュ時20本/時)で運転されていましたが、昭和49年には20m大型車8000系導入(朝ラッシュ時29本/時)、昭和51年には20m5両編成運転開始(朝ラッシュ時27本/時)と言う様に、田園都市線の都心アクセスを担っていた昭和41年〜昭和54年の時代には積極的に増強されていますが、それでも昭和41年→50年の間の「多摩田園都市の人口4.7万人→19.5万人」「田園都市線の1日平均乗降人員2.9万人→23.5万人」と言う需要の大幅な増加に対して輸送力増強は極めて不足でしたし、都心アクセスに大切な速度向上のため計画された夕ラッシュ時快速運転用の待避線設置もこの時期尾山台・等々力で検討されていますが実現していません。
つまり大井町線は「東急の発展の原動力を担いながら輸送力増強が出来ず連絡線・バイパス線の位置に留めさせられた」と言う事になります。その大井町線の輸送力増強が進まなかった弊害は今も九品仏・戸越公園での「一部車両の扉締め切り」に示されています。
左:九品仏駅状況(ホームが1両分足りない) 右:戸越公園駅状況(ホームが2両分足りない)
この情景が示している事は「東急の社運を担う多摩田園都市輸送の主役で有った時期でも満足な輸送力増強が出来なかった」と言う大井町線の置かれた微妙な状況を示しています。確かに大井町線は昭和44年に玉電が廃止され11号線乗入規格で新玉川線建設が始まった段階から「将来のメインルートから外れる」事は想定の範囲内だったと言えます。
しかしそれでも色々な事情が有ったとは推察できますが、大井町線は最低限の対処療法的輸送力増強だけで昭和41年〜昭和54年の田園都市線時代を乗り切り、今ではその当時の輸送能力のまま本数だけ調整されて(朝ラッシュ時18本/時)運転されています。
本来なら昭和41年〜昭和54年の田園都市線時代に積極的な投資がされて、「第二の都心ルート」として注目を集めても可笑しくなかった筈の大井町線ですが、酷使された上に発展の芽を新玉川線に奪われ、元の「東急線間乗換の為の連絡線」「京浜東北線へのバイパス線」軒能だけに絞り込まれ今の姿にさせられています。
けれどもその大井町線に潜在能力を生かす絶好の機会が訪れました。それが田園都市線渋谷口の混雑緩和の為の「多摩田園都市の第二ルート建設」と言える「
大井町線改良・田園都市線複々線化工事
」です。次に大井町線の輝ける将来を保証する「大井町線改良・田園都市線複々線化工事」の現状について触れて見たいと思います。
☆大井町線改良・田園都市線複々線化工事の状況
今まで見てきたように東急大井町線は抜本的な「輸送力増強・改良」が行われて来ずに、「東急線間乗換の為の連絡線」「京浜東北線へのバイパス線」と言う位置ずけで運営されてきました。
その為同じ様な路線環境(東京郊外で複数の民鉄の連絡線・中央線のバイパス路線)である京王井の頭線に比べると、輸送力的には20m5両編成運転と変らない物の、(永福町に待避線が出来たので)朝ラッシュ時以外の急行運転が行われており利便性では大きく差が開いています。井の頭線急行は吉祥寺〜渋谷間を16分(普通は25分)で結び、「京王線と小田急線の連絡線」「中央線・京王線・小田急線から渋谷へのバイパス線」としての機能を最大限に発揮できるようにしています。
その様に連絡線・バイパス線機能を強化させるには速達化は必要であると言えます。今までその様な速達化の機会に恵まれてこなかった大井町線にやっとその機会が来ました。それが今工事が行われつつある「
大井町線改良・田園都市線複々線化工事
」です。
「
大井町線改良・田園都市線複々線化工事
」は東京の民鉄で有数の混雑率が激しい「
田園都市線池尻大橋〜渋谷間(混雑率195%)
」を解消する為に、田園都市線の一部(当初は鷺沼〜二子玉川・現在は溝の口〜二子玉川)を複々線化すると同時に、昔の田園都市線の大井町への流れを復活させる事で、田園都市線の利用者を二子玉川から大井町線を経由して東急のネットワークの中に流し込んで田園都市線渋谷口の混雑を緩和させようと言う工事です。又一連のこれらの改良工事は
特定都市鉄道整備事業の認可
を受けて加算運賃を徴収しています。(
現在計画配線図
)
現在神奈川方面から二子玉川に流入する人の流れは「大井町線119,928人:渋谷方面416,537人」と言う約1:3.5の比率で分かれる様になっています。(只二子玉川も田園都市線自駅乗降客が59,747人居るので、二子玉川〜用賀間利用客は476,284人になる。資料:
関東広告協議会レポート
)この二子玉川での1:3.5の流れの比率を少しでも大井町線への比率を上げる事で、田園都市線の混雑を緩和させると言う事が、この工事の目的であり
運政審18号答申
にも対象路線として明記されている路線です。
この工事は大別すると「(1)
田園都市線複々線化工事
」「(2)
二子玉川駅改良工事
」「(3)
等々力駅地下化工事
」「(4)
旗の台駅改良工事
」「(5)
大井町駅改良工事
」の5つの工事に分類する事が出来ます。現在の段階では「二子玉川・大井町の改良工事が竣工」「旗の台改良工事・複々線工事が施工中」「等々力地下化工事が調査協議中」と言う進捗状況です。
今回は移動ルートが丁度この改良工事の区間と重なったので、大井町線の将来を担う「大井町線改良・田園都市線複々線工事」の状況も合わせて見る事にしました。
(1) 田 園 都 市 線 複 々 線 化 工 事
左:梶が谷駅大井町線用留置線建設工事(右奥の法面で工事中) 右:溝の口駅改良工事(上り供用中・下は構造物完成)
左:溝の口〜高津間複々線工事施工状況 右:高津〜二子玉川間複々線工事施工状況 (どちらも線増部構築中)
5つの大規模改良工事の中で今工事が最盛期の区間です。当初は特に高津〜溝の口間で高架際に建物が建っている感じだったので「どうやって複々線化するのだろう?」と思っていたが、現状では用地買収は完了している様である。もしかしたら二子新地〜溝の口間を高架化したときに地上線が走っていた所を側道等で確保していたのかも知れません。
現在溝の口地区が一番工事が進んでいて溝の口駅は構造物は2面4線分のホーム・路盤は完成し、上り線のみ供用していて「梶ヶ谷待避・溝の口交互発着」を実施する事でラッシュ時に大きな威力を発揮している。その次に二子新地駅周辺の工事が進んでいて新駅ホームが完成しつつある。一番工事が遅れているのは高津駅周辺であるがそれでも全区間で工事が着手されているので、数年で工事が完成し大井町線が溝の口へ乗り入れるようになるだろう。
完成後は「大井町線→急行線内側走行・田園都市線→緩行線外側走行」になるが、本当は逆の方が良かったのでは?と感じる。緩行線を内側にして二子新地・高津の利用客を大井町線・一部田園都市線普通に誘導してこの区間で急行の速度を向上させたほうが田園都市線混雑緩和の側面からも良かったのではないだろうか?その様な点を含めて今後どのようにダイヤを組んで行くか注目である。
尚本複々線工事に付帯して、梶ヶ谷駅で大井町線用の留置線の建設工事が進んでいる。本来は大井町線車両は鷺沼に留置しているがその留置線が不足する事に備えての留置線建設であると思われる。
(2) 二 子 玉 川 駅 改 良 工 事
左:大井町線用引上げ線(将来は複々線化) 右:田園都市線・大井町線立体交差部(配線を入替えている)
一連の改良工事の中で一番最初に完成した工事。元々新玉川線は「銀座線規格で建設・二子玉川で折り返し」の計画だった為、その計画に合わせての配線だった為、昭和54年8月の田園都市線⇔新玉川線直通による運転系統切替の時点から外側の大井町線が折り返しになった為変則的な折り返しになり不便であった。
その為抜本的な改良と
二子玉川東地区再開発事業
の準備工事をあわせて二子玉川駅の改良工事として行われました。(再開発関係の準備工事は駅の上に人工地盤を掛ける基礎を作ったらしい)
現在写真・訪問記で報告の通り駅の改良工事は完成している。大井町線が内側線に移り、多摩川橋梁上で折り返しをする様になった為、両線間で同一方向間で完全ホームtoホームの乗換が可能になった。将来複々線が完成すればこのままの運転形態で折り返しを溝の口に持って行く形で延長されるのだろう。
(3) 等 々 力 駅 地 下 化 工 事
左:等々力駅状況(反対運動で工事未着手) 右:上野毛駅状況(代替案として上野毛に上り待避線建設が計画中)
上野毛駅改良工事のポスター
「大井町線改良・田園都市線複々線工事」の中で一番行き詰っている工事。過去にも田園都市線直通時代に尾山台・等々力に待避線設置が検討された事があるし(其れが実現できず急行運転が出来なかったのも田園都市線乗り入れ先変更の理由の一つ)、今回の工事でも「
尾山台・等々力に分散して待避線新設
」が「等々力駅を地下化して1面4線化」と言う現行計画に変更されたと言う「大井町線改良工事の鬼門」と言える工事。
現在地元の環境保護団体を中心とした反対運動に合い工事は中止状態(地下水の監視は行われている)実際に工事に着手できるかは不明。その為写真のポスターに有るように上野毛駅をバリアフリー化改良を行い、同時に掘割の法面を削り上りのみ通過線を作り等々力の代用すると言う計画が進行中。ポスターは出て具体的内容は煮詰まっている感じだが、未だに具体的動きが見えない。
二子玉川〜自由が丘間に待避線を作る事で大井町線に急行運転を目指す動きは、過去に3回起きているがどれも行き詰まっている。「鬼門」と言う表現をしたが、余程沿線の住民運動が強いと推察されます。実際等々力駅地下化では住民の反対運動が起きているので、この点に関して別に「コラム」で取り上げてみたいと考えています。
(4) 旗 の 台 駅 改 良 工 事
左:旗の台駅改良工事(二子玉川方) 右:旗の台駅改良工事(大井町方)
旗の台駅改良工事は現在工事が真っ盛りの工事。待避線新設による2面4線化と池上線との乗換通路等整備がメインだが、現在下り線ホームが完成し上下線が使用していて上りホームを構築中。特に工事の障害と思える未買収地等は見た限りないので、今後も順調に工事は進んで行くものと思われます。
今現在等々力の待避線建設工事がこう着状態である事を考えると、旗の台の待避線建設工事は非常に需要です。旗の台は大井町線全線を見回すと多少場所的には大井町寄りだが、此処で緩急接続の待避線が出来て緩急接続をすれば、旗の台〜二子玉川間各駅から大井町までの速達性向上に寄与し利便性が向上し、等々力周辺で言われている「急行運転はメリットをもたらさない」と言う住民の意見に反論する根拠になる。又旗の台待避線1箇所でも昼間と夕ラッシュ時はある程度の急行運転が可能になると推察される。
そういう意味から考えても、旗の台駅の改良工事は重要なポジションを占めていると言えます。
(5) 大 井 町 駅 改 良 工 事
大井町駅状況(ホーム拡幅・駅舎等改築完了状況)
大井町線のターミナルにして、京浜東北線・りんかい線との結節点である大井町駅の改良工事。20m6両編成長対応ホーム・ホーム拡幅・改札口改築・高架橋改築などがメインの工事で、二子玉川と並んで工事は既に竣工し施設は供用開始しています。
大井町駅は頭端式のターミナル(先頭車両に乗客が集中する)と言う構造的弱点は解消されていない物の(後方に改札を作っても京浜東北線との接続の便が向上しないら意味が無い)ホーム拡幅で動線が確保され、夕ラッシュ時でも混雑を感じない。又駅ビル内に京浜東北線改札・りんかい線コンコースへのエスカレーターが整備されており使いやすく乗換しやすい。大井町線の「京浜東北線へのバイパス機能拡充」の為に重要な改良工事です。
大井町線にとってこれだけの改良工事は「開通以来最大の大手術」と言える内容です。当初は「
大岡山に渡り線を設け目黒線に直通を流す
」計画でしたが、これだと目黒線自身が都心の利便性がよくないために迂回路線のハンデを克服できず、目黒線直通を主力にした場合思ったより利用されなかった可能性が高いと推察されます。
その点元から有った流動である大井町経由京浜東北線へのバイパスは、基礎需要に裏付されている分成功の確率が高く急行運転でより利便性が上がり需要を刺激すると考えられます。その様な点から考えれば、今回の大井町線改良工事は今後の大井町線発展に大きなプラスとなるでしょう。
本来なら此処で、当初の計画通り朝夕ラッシュ時だけでも目黒線乗り入れも併用されれば、大井町線のバイパス線・東急線間連絡線と言う役割に都心直通の第二ルートと言う役割が加わり、又新しい側面が見えてきたかもしれません。(例えば毎時24本運転で緩急比率が1:1で急行の大井町と目黒の比率を1:1にしても毎時6本都心直通列車が運転できる。これだけでもかなりの存在感がある)
しかし目黒線の輸送力は東横線方面に振られ、大井町線の輸送力は大井町方面にだけ振られる事になりました。しかし今回の改良工事で「路線間連絡線・バイパス線」として果たして来た今までの大井町線の役割に、大きな加速が加わる事になりました。
けれども今や大井町線発展の最大の敵は「沿線住民の反対」と言えます。等々力周辺の待避線新設が「大井町線輸送力増強の鬼門」と化している現状を考えると、本来は今の改良計画では(旗の台緩急接続+ラッシュ時等々力待避の)急行運転で急行停車駅+等々力〜旗の台間の普通停車駅は対大井町で速度向上のメリットを受けるはずです。しかし反対を主張する人たちは、その利便性・速達性向上のメリットに目をつぶり反対運動は止む気配が有りません。
そういう意味では今や「大井町線の将来は地域の反対運動が握っている」と行って過言では有りません。果たして将来的にどうなるか?今後に目が離せないと言えます。
「 参 考 文 献 」
・鉄道ピクトリアル2004年7月増刊号「東京急行電鉄」
・鉄道ピクトリアル1996年8月号「街づくりと鉄道」より「東急田園都市線と多摩田園都市の開発(小森 章 氏)
※「
TAKAの交通論の部屋
」トップページへ戻る
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |