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『地域独占交通企業』による地域の発展とは?
−山梨県富士五湖地方と『富士急行』−
TAKA 2006年10月17日
山梨県富士五湖地方に展開する富士急行の事業(鉄道・高速バス・流通業)@富士急行富士吉田駅
東京・大阪・名古屋・福岡の大都市圏に集中している日本の大手民鉄(民営化直後の東京メトロを除く)と言うと基本的には証券取引所一部上場企業で社会的にもステータスの有る会社で、大手に比べて規模も小さく未上場企業が大部分を占める地方の民鉄企業とは大きな差が有るのが偽らざる所です。
実際大手民鉄と地方民鉄の間では、鉄道事業・関連事業(いわゆる副業)何れにおいても、それぞれの企業の立地の差等の要因に起因して規模・知名度などで大きな差が開いていると言うのが偽らざる所です。
しかし「地方民鉄」と言っても一部上場企業でありかなり大きな企業規模と全国区規模の知名度の事業を持っていると同時に、地方の企業と言う点を生かしその地域の鉄道・バス・タクシー等の交通事業だけでなく、観光・流通・不動産などの事業においても地域で主導権を握り「地域の死命を制する」独占企業となっている会社も存在します。
その中の一つが今回取り上げる「富士急行」です。冨士急行は山梨県郡内地方を中心に事業展開している会社であり、元々根津嘉一郎氏などと並ぶ甲州系の実業家として有名な堀内良平氏が1926年に造った富士山麓電気鉄道(株)と富士山麓土地(株)が基となっている会社ですが、戦後鉄道事業が現状維持の中で中央道高速バスが大成しバス事業が発展し東京に地歩を築くと同時に、富士山麓の観光開発が「富士急ハイランド」と言う形で結実し堀内良平氏が運動して付いた「富士五湖」と言う名前と一緒に日本全国に広がり、橋本聖子などの活躍で全国区になった「富士急スケート部」と共に「富士急」の名前を全国区に押し上げ、今や「富士急」は大手民鉄各社並の知名度を持っていると言えます。
元々甲州系の財界人として富士身延鉄道等にも参画していて富士山麓電鉄は「事業のOneOfThem」として経営していた堀内良平氏でしたが、中核事業を富士急行(富士山麓電気鉄道・富士山麓土地の後進会社)に絞った堀内一族は「富士を世界に拓く」と言う信念の下で富士山北麓地区の開発を進めると同時に、堀内良平氏・一雄氏・光雄氏と三代に渡り山梨県郡内地方から選出された衆議院議員として、政治面にも大きな影響力を及ぼしています。
その様に山梨県郡内地方に事業だけでなく政治の面でも極めて大きな影響力を及ぼしている「富士急行」を今回「関東鉄道めぐり」では取り上げる事にします。日本の上場鉄道会社の中で「東武の根津家」「富士急行の堀内家」は数少ない「創業家が未だに影響力を及ぼしている会社」であると同時に、今では民鉄企業の中で唯一と言える「政治家が経営している民鉄企業」であり、「実質的に地域内で複数の側面から独占を形成している」と言う有る意味「民鉄経営の一つの究極形態」と言う事が出来ます。
「地域独占経営企業」が作り出した地域の発展とは果たして如何なる形なのか?今回はその視点に立ち関東からチョット外れた「山梨県」に進出して、富士急行が作り出した「地域独占交通企業」の現状について見てみたいと思います。
「参考サイト」 ・
富士急行HP
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富士急行平成18年3月期事業報告書
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いま、社会の一員として ─ 地域社会との共生をめざす企業と市民団体 ─
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富士北麓観光開発史研究
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富士急行(wikipedia)
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富士急行大月線(wikipedia)
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堀内光雄オフィシャルサイト
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堀内光雄(wikipedia)
「富士急行(鉄道部門) 主要指標 (数字でみる日本の鉄道2003より)」年度 営業キロ 輸送人員 輸送密度 資本金 営業収益 営業費用 営業損益 全事業経常損益 職員数 H13年 26.6km 2,865千人 3,392人/日 9.126百万円 1,215,689千円 1,163,384千円 52,305千円 1,360,105千円 71名
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☆ 富 士 急 行 線 訪 問 記
[1] 山梨県までどうやって行こうかな? (かいじ105号 新宿12:30→大月13:32)
今回の訪問記の場合、東京の近くでは無いので先ず目的地へ向かう事を考えなければなりません。東京の人々が「富士五湖」と言うと先ず中央高速経由で自家用車で行く事を考えるのが一般的だと思います。事実私もそんなに回数は多くないですがこの地域に行く時はゴルフ等が多いので大体が中央道を使った車での移動です。
しかし今回は仕事で午前中は新宿近辺に居た上に訪問目的のメインが鉄道利用ですし、往復経路のどちらかで富士急行の交通事業の中核である中央道高速バスを利用したかったので、今回は「行き→中央線特急かいじ号・帰り→中央道高速バス富士五湖線」と言う経路で往復する事にしました。
左:かいじ105号甲府行き@新宿駅6番ホーム 右:かいじ105号5号車(喫煙車)車内@八王子〜大月
今回は所要時間が1時間チョットだし、「かいじ号なら自由席でも座れるだろう(上りは立川→新宿でも自由席には空席が有る)」と言う事で自由席特急券を買い「新宿駅?それとも代々木駅?」と言いたくなる程に新宿駅の外れに有る(住所は渋谷区代々木)特急ホームの5番線・6番線に向います。
ホームに着くと発車約10分前で清掃が終わり乗車が始まった頃合でした。「これはやばいかな?」と思いつつ自由席喫煙車に入ると客は数人しか居ません。これは禁煙車も同じ様な状況で、最終的にこの状況は新宿〜大月間で殆ど変りませんでした。確かに土曜日ですからビジネス利用は少ないですし観光利用には中途半端な時間であり、一番利用客が少ない時間帯ですが大幹線の特急列車ですから自由席でこの状況はチョット寂しすぎます。
左:かいじ105号乗降風景@大月駅 右:JR大月駅駅前風景(後ろの山は岩殿山)
大月は甲州街道の八王子〜甲府間の丁度中間に当り、大動脈の甲州街道から郡内地方に入る玄関口に当たります。その重要性は武田家がこの地に難攻不落と言われる岩殿城を築いた事から明らかです。現在では中央自動車道のJCTが置かれ、郡内地方への玄関口・観光地たる富士五湖への分岐点としての重要性はより重くなっていると言えます。
大月は郡内地方の玄関口といえども僅か人口3万人弱の街です。しかし利用客の少ない時間帯のかいじ号から数十人の人が降りたのは驚きです。しかもその半数以上が富士急行線の乗換口に向いました。中央線は高尾以西の山岳地帯の東京のベットタウン化が進んでいるのは事実ですが、大月・富士急行線沿線まで来るとやはり別途の地域圏と言えます。その中で此れだけの利用客が有るというのは、東京圏〜郡内地方の流動がかなり有ることの証なのかも知れません。
[2] 「フザサン特急」で河口湖へ向う (フジサン特急7号 大月13:56→河口湖14:38)
大月にはかいじ105号で到着した物の、かいじ105号の富士急行の接続列車は普通列車の東桂行きなので次のフジサン特急7号を待つ為に大月駅の周辺を散策してみる事にします。大月は桂川と笹子川の合流点の谷間に有る街で国道20号線と139号線・中央自動車道大月JCT・中央本線と富士急行線の合流点が有る交通の要衝です。しかし市街地は川沿いの谷間に沿って広がっており、岩殿山などの周りの山はその険しさから人の居住を受け入れない環境です。
その地形的制約から「郡内地方の玄関口」と言う役割と交通の要衝と言う立場の割りに市街地が広く有りません。大月市の人口3万人と言う市と言うには小さい規模は地形的制約が大きいと言えます。その為中央本線の要衝の一つと言える大月駅も最低限の規模の配線構造と小さな平屋建ての駅舎しかなく駅前広場も数台のバスとタクシーしか入れない規模の小さな物しか有りません。それは一部上場企業の鉄道会社である富士急行の駅も同じであり、駅舎は極めて可愛い規模の物しか無くターミナルと言えるものでは有りません。。
左:富士急行大月駅駅舎 右:JRと富士急行の連絡改札口
左:富士急行・JR大月駅全景 右:富士急行大月駅構内風景
フジサン特急
は元々国鉄→JR東日本の165系ジョイフルトレイン「パノラマエクスプレスアルプス」号を譲り受け、6両編成を3両編成2本に分割して使用している車両で、富士急では特急料金300円(展望車は+100円)の特急料金を取って使用していますが、車両の出がジョイフルトレインの為車内の設備は「地方民鉄No1」と言っても過言ではない素晴らしい物が有ります。
唯元々は165系の3両1編成を2編成つなげて端だけ展望席にした車両の為、6両編成運用に難がある富士急行入線時に3両編成単位に分割してしまったので、片方には展望席の無い編成が2編成と言う形になってしまった事です。富士急行の場合大月→河口湖の場合正面に富士山が見えて展望車を生かせる環境にあるためそこで展望車が逆向きになっているのはマイナスであると言えます。又本来なら中央線運行可能な編成のメリットを生かして新宿乗り入れ等を果たせればいいのですが今となったら夢の話ですから残念な話です。
それと最大の問題は「車両の経年劣化の進行」です。旧国鉄の
165系
は1963年〜1970年にかけて新製された車両で今や同系列の車両は本年11月に引退が迫った秩父鉄道3000系以外は残存していない車両です。富士急2000系は87年のパノラマエクスプレスアルプス改造時と02年の富士急行購入時に修繕していますが、経年の経った車両であることは間違いありません。ロマンスカー10000系を購入した長野電鉄のように早急な代替車両探しが必要であると言えます。
左:2000系フジサン特急(元JR165系パノラマエクスプレスアルプス)@大月 右:フジサン特急車内@大月→都留文科大学前
左:フジサン特急車内のプロジェクターでの案内映像 右:フジサン特急@河口湖
それともう一つ驚いたのは、女性車掌が車内に検札に来たときに一緒にワゴンを押して車内販売をしていたことです。この日は3両編成で40人前後の乗車しかなかったので多い人出とはいえませんが、それでも「観光列車での車内販売の存在」と「20代の女性が車掌をこなしながら健気に売っている」と言うシチュエーションが受けたのか、かなりの人が車内販売で物を買っていました(私もその一人だが)。顧客サービス・売上向上と言う複数の観点から見てもこの事は大いにプラスになることです。この様な事をするべきでも出来ない所は多数あります。そこから見ても富士急行の姿勢は素晴らしいものがあるといえます。
左:フジサン特急の女性車掌 右:検札しながら車内販売も担当する女性車掌
その点から見ても富士急行の「フジサン特急」や長野電鉄の
1000系ゆけむり
(旧小田急10000系Hise車)など、観光輸送をする鉄道に中古であっても特別な特急車を入れると言う事は鉄道輸送・観光の両面から見ても知名度向上・集客力アップと言う点からプラスであり、観光地を持つ他の地方鉄道でも考えなければいけないことであると言えます。
[3] 「富士急行の城下町」富士吉田を見る
フジサン特急で河口湖まで行った後、河口湖観光をする気にもならず又大月まで単純に戻るのも嫌だったので、とりあえず郡内地方の中心である富士吉田まで戻り町の様子を見てみることにしました。
富士吉田市
は富士山北麓に広がる山梨県郡内地方の中心地であり、人口53,965人の町で浅間神社を中心とした富士山信仰で全国に知られた町です。又交通の点でも国道137(御坂みち至甲府盆地)・138(至籠坂峠経由御殿場)・139(至大月・甲州街道)号線と言う3本の道が交差する交通の要衝です。
この地域は元々は織物で有名な地域でしたが、現在は昭和の初期から始まった観光が主産業となっています。唯富士吉田自体は山中湖・河口湖と言うメジャーな観光地に挟まれ、観光は「富士浅間神社」位しか見所が無く(富士急ハイランドは半分富士吉田市で半分は河口湖町)観光の町と言うより地域の中核の都市と言う感じが強い町です。
左:富士吉田駅構内(後ろは富士急ハイランド) 右:駅ビル内の富士吉田駅改札口
左:富士吉田駅ビル全景 右:富士吉田駅バスターミナル
特に富士吉田ターミナルビルは昔は「富士急百貨店」でしたが、今は「
Q-STA
」と言う専門店ビルになっていますが、依然として富士吉田市と郡内地方にとっては数少ない大型商業施設としてその存在感を示していますし、この駅ビルは電車に乗って大月から来て富士吉田に着く前から富士山を背景にして「ドカンと目立つビル」として君臨しており、否応なしにこの地域での富士急行の存在感を示していると言えます。
左:富士吉田中心街@国道139号線・冨士浅間神社の金鳥居 右:富士吉田中心街@国道139号線金鳥居交差点
実際富士吉田駅周辺で一番賑やかな地域は富士吉田駅東側の国道139号線金鳥居交差点周辺で、この周辺に金融機関支店等が有り飲食店等も有ります。しかし富士浅間神社の金鳥居が有り観光地の雰囲気も有る金鳥居交差点周辺ですが、実際の観光の施設は有りません。又人口約5万人の都市として見ても中心市街地としての賑やかさが欠けるとも言えます。
そういう点では「富士吉田は山梨県郡内地方の中心地」と言う立場と同時に「富士北麓地域・郡内地方で富士吉田の立場は観光主体でそれなりの規模の河口湖・山中湖や盆地で半独立した地域圏都留市と並ぶOneOfThemに過ぎない」と言う状況を示しています。
しかし観光主体の河口湖・山中湖地域でも交通機関・遊園地・別荘地等の観光施設を握り、その間に有る町の富士吉田で地域の中心となる大型店舗を持ち、加えてこの地域からの域外連絡の公共交通機関の大部分を握ると言う富士急行の地域に対する実力は、かなりの物が有ると言えます。その象徴が富士吉田市街地にそびえ立つ富士急行のターミナルビルと言えるのではないでしょうか?
[4] 「フザサン特急」の展望席で大月へ戻る (富士吉田15:21→大月15:55)
富士吉田の市街地を見た後、次の列車が大月行きのフジサン特急で今度は富士吉田から展望席が前向きになるので、富士急ハイランドで遊ぶのも良いが一度フジサン特急で富士急行を良く見ながら大月に戻ってみようと思い、300円の特急料金に100円の指定席料金を追加で払い展望席最前部に席を構え富士吉田〜大月間を良く観察して見ました。
富士急行は実際は1本の路線として運営されていますが、一応路線の戸籍的には富士吉田を境にして河口湖〜富士吉田間は河口湖線・富士吉田〜大月間は大月線に分かれています。路線の状況も地理的状況を反映して富士吉田を境にして大きく異なり、河口湖線は(走る所の標高は高いが)普通の平地を走る路線ですが、大月線は大月→富士吉田と富士山の裾野を片勾配で登って行く路線で40‰の勾配が連続する山岳路線です。
実際展望車に乗って見て「富士急行は山岳路線」と言う事を感じました。特に富士吉田に近い区間では殆ど全区間で40‰を筆頭にかなり厳しい勾配と曲線半径の狭い曲線で左右に曲がりながら走っています。地形的に谷間を走っているのでそんなに傾斜がキツイとは感じませんが、フジサン特急はそんなに悪くない軌道状況なのに列車が50km/h程度の速度で比較的ゆっくり進んでいきました。車両自体には特殊な勾配対応設備は有りませんがその分運転速度で対応しているのは明らかだと感じました。
左・右:左右に曲がりながら最大40‰の勾配を下る富士急行線
左:途中の交換駅@三つ峠 右:下り勾配が続く富士急行線
左:中央自動車道と並行する富士急行@禾生 右:富士急行線とリニア実験線
其れが高速道路と単線の軌道の差になっているのでしょうが、この地域は写真で殆ど人家が途切れない所から明らかな様に比較的人口集積が有ったので、富士急行の鉄道線は都市間輸送を自社高速バスに譲り高速化を諦め地域内輸送に特化したのでしょう。実際其れが地域に高速交通と観光による繁栄をもたらしたと言えますが、これぞ複数事業を持つ交通グループの変わり身の速さと言えるでしょう。それが企業に取っては利益の極大化をもたらしましたが、総合的に考えれば極めて望ましい形で有ったと言えます。
左:田野倉駅で交換する「フジサン特急」 右:富士急・JR接続線の分起点
フジサン特急で大月に着く手前でJR中央線への分岐線が有りましたが、今でも朝夕の直通列車と土休日の
ホリデー快速
がJR線から乗り入れてきていて限定的ながら富士五湖地域への観光輸送も担っています。その観光輸送の鍵が上の二枚の写真フジサン特急とJRの分岐線で有ると言えます
[5] 普通列車でローカル風情を楽しみながら河口湖へ (大月15:57→都留文科大前16:19・都留文科大前16:47→河口湖17:20)
フジサン特急で富士急行線を取りあえず1往復したので、今度は何処かの駅で途中下車する目的も兼ねて、普通列車で高速バスに乗る河口湖を目指す事にしました。又途中下車は一番新しい駅である「都留文科大学前」や富士急ハイランドの最寄駅「富士急ハイランド前」等色々選択肢が有り何処でしようか迷いましたが、「都留文科大学前」で途中下車をする事にしました。
大月でダッシュで切符を買って乗りこんだ河口湖行きの車内は転換クロスで、座席に空き席が有る物の立ち客も有り均せば座席定員程度の乗客で、地元客らしき人や観光客らしき人が交じり合っていて良いバランスの乗車率であると言えます。
大月を出た後、各駅で地元客の乗降共に有る物の降車客の方が少し多い感じで、車内全体では少しずつ乗客が減って行く感じです。土曜日午後下りで30分間隔運転のローカル私鉄でこの程度の乗車率でしかも比較的乗客の足が長い状況であれば御の字でしょう。これならば採算的にも悪い事は無いと思います。
降車が目立ってくるのは都留市・谷村町・都留文科大学前と言う都留市の中心部に入ってからです。
都留市
自体は人口33,243人の街で大月・富士吉田と並ぶ富士急行沿線の大きな町です。確かにこれだけ人口が有れば降車客が多くて当然かも知れません。
谷村町駅では、丁度上りのホリデー快速と交換しました。ホリデー快速は6両編成でホームが短い谷村町駅では4両分しかドアが開きません。ホリデー快速自体は空席が多く乗客は多く有りませんが谷村町駅では「ゴルフ帰り」と思わしき人たちが10名位乗車していました。このあたりはゴルフ場も多いのですが、車利用が主体だと思っていましたが電車利用でのゴルフ客が居る事には驚きました。
左:河口湖行き列車車内@田野倉 右:ホリデー快速乗車風景@谷村町
左:ホリデー快速との交換風景@谷村町 右:河口湖行き列車乗降風景@都留文科大学前
都留文科大学前駅はその都留文科大学の目前に造られた駅で
田原土地区画整理事業
と一緒に整備された駅です。都留文科大学前駅は「
駅を設置する要望は、大学側や地域住民からかなり以前からあった。これを受け1987年頃には、都倉昭二前市長と堀内光雄衆議院議員が共通の政権公約として新駅設置をあげている。1990年前後に、区画整理事業導入によるまちづくりの気運が高まるとともに、富士急側と市で新駅の設置が検討され、1992年9月に請願駅としての設置が内定した。
」と言う経緯で造られた駅で、正しく地元選出の衆議院議員が自分が会長(この当時は社長)をしている会社の駅を地元の(選挙民の)請願を受けて造った駅で、正しく地元と富士急行と衆議院議員堀内光雄氏の関係を如実に示していると言えます。
しかし「市の人口の12分の一が学生・しかも9割が県外からの学生」と言う市と都留文科大学の関係から考えても、駅を作り都留文科大学の周りの利便性を高める事は地域にとってもメリットが有る事です。又大型スーパーも整備され地域の活性化にも貢献している新駅で有ると言えます。
実際に都留文科大学前駅に降りてみると、整備された駅と駅前広場・大型スーパー・大学と人口3万人弱の地方都市というイメージは全然沸かない整備された風景で有ると同時に小洒落た美容室や牛角等もあり学生の街と言える駅周辺です。又この駅は特急も停まる駅で富士急行も「都留市の新しい玄関口」として育てる意思が有る様に見受けられます。その様な事もあり、中間駅としては乗降客も多く都留文科大学前駅に居た間に発着した列車3本どれでも数人ずつの乗降客が有り他の駅より客の動きが有ると言えます。
左:都留文科大学前駅舎 右:駅から見える都留文科大学前
左:都留文科大学前駅前のスーパー 右:都留文科大学前駅隣接の美容室
東桂・三つ峠と駅に停まっても殆ど乗客の動きが有りません。今の段階でこの列車に乗っている人は大月〜富士吉田・河口湖と富士急行線の中でも長距離を乗る人だけになっている感じです。只曜日・時間と言う問題も有るのでしょうが長距離客は少なく、富士急行の鉄道線の主流は大月・都留・富士吉田と言う沿線三市内及び三市間の近距離輸送が主体となっていると言えます。
実際私の乗った列車で都留文科大学前〜河口湖間で複数の乗降客が有ったのは富士吉田だけで、他の各駅は0〜1名の乗降客しか居らず今まで乗った富士急行の列車の中で一番「ローカル列車」と言う感じの列車でした。観光輸送も担っている富士急行鉄道線の「地域輸送」と言うもう一つの側面を垣間見れたと言えます。
左:河口湖行き列車車内@三つ峠 右:三つ峠駅風景
[6] 富士五湖観光の玄関口「河口湖駅」
ローカル列車で河口湖に着いたのですが時間がもう5時半近かったので流石に東京へ帰ることを考えることにして、此処で新宿までの高速バス富士五湖線のチケットを仕入れて東京へ帰る事にしました。
本当は河口湖畔まで観光に行きたい所でしたが、5時を過ぎて周囲もだんだん暗くなってきたので河口湖観光を諦め、駅の周りを廻ってみながら高速バスの時間まで時間を過ごす事にしました。
河口湖駅は近年建替えられ木造ログハウス風の駅舎と駅前広場・駐車場・送迎用乗降場が整備されていると同時に富士急行創業当時の富士山麓電気鉄道モ1型が「モ一君」と言う愛称付で保存されていて、駅前広場のランドマークとなっています。
駅が整備された事で河口湖駅は鉄道線・高速バス・路線バスの結節点となった事に加え、旅館等の送迎用の乗降場も用意され観光客への対応にも目配りすると同時に、パークアンドライドにも使える駐車場まで整備されて、「観光地河口湖の玄関口」と同時に「交通の結節点」として十二分に機能するように整備されています。
左:河口湖駅全景 右:駅前広場に保管されている創業当時のモ1形
左:河口湖駅駅前広場のバス乗り場 右:駅前広場脇の駐車場と送迎車乗り場
何処が運営しているか?までは分かりませんでしたが、多分富士急行の駅舎内なので富士急行の関連会社が運営しているかテナントとして入ってもらっているかでしょう。これ自体ミクロ的に見れば「富士急行の関連事業で収益が上がる」と言うメリットが有りますが、マクロ的に見ても観光地で観光客が楽しむ事が出来る「道の駅」的な交通結節拠点が整備されている事は、観光客の満足度と言う点でも大きなプラスで有ると言えます。
左:駅舎内のバスのチケット売り場 右:鉄道線の改札口
左:駅舎内のカフェ 右:駅舎内の売店
その様な「サービスエリア」的な施設で地元色が有り物販飲食店などが揃っていて利用が多いのが「道の駅」です。その為「道の駅」は色々な所で整備されて観光客を中心に人を集めていますが、鉄道やバスの交通結節点ではその様な「道の駅」的な施設が少なく「駅はイマイチ便利では無い」と言うイメージが有ったと思います。
その中で富士急行の河口湖駅は「交通結節点の道の駅」的な整備がされていて、非常に使いやすい駅になっていると言えます。その様な事は地域の観光に取っては非常にプラスの事であり交通事業者がその様な施設を整備する事は地域の活性化にもプラスです。そういう点でも「富士急行は駅施設の利便性向上にかなり努力をしている」と言うのは、新駅の都留文科大学前や河口湖駅等の施設の充実振りを見るにつけて改めて感じさせられました。
[7] 行きは電車ならば帰りは高速バスで (中央道高速バス富士五湖線17:59発新宿行)
河口湖駅で駅を見た後お茶をしながら時間調整をする前に、高速バスの券売所に行ったら「17:59発の新宿行3号車で座席が用意できます」との事だったので、行きのJR特急+フジサン特急の「電車アクセス」との比較を兼ねて帰りは富士急行のもう一つのドル箱「中央道高速バス」を利用することにしました。
しかし土曜日夕方の上りで「3号車まで続行運転」と言うのはかなり利用率が高いと言えます。3台運行と言う事はこの便だけで150名前後の利用が有る事になります。富士五湖線は全体で30分毎の運転ですから「観光路線で土曜日夕方上り」と言う利用が多い時間で有るという事を割り引いてもかなり利用が存在している事を示していると言えます。
発車の数分前には2台の新宿行きバスが来て乗客を乗せていきます。しかし私が乗るのは3号車だから3台来ても可笑しくない筈ですが、2台しか来ません。可笑しいなと思い聞いてみると「1号車は山中湖発だけで一杯で通過した」との事でした。此れも需要の多さを示していますが、河口湖では15名強の乗客しか居らず2号車にも空き席が多く3号車も5名程度の乗客しか居らず「何処から乗って来るのだろうか?」と感じました。
左:中央道高速バス新宿行(手前が2号車・奥が乗った3号車) 右:中央道高速バス新宿行車内@猿橋出発後
左:中央道高速バス新宿行降車風景 右:富士五湖線が発着する新宿高速バスターミナル
実際富士急ハイランドで新宿行き2号車・3号車はほぼ満席になり、3台満車の状況で高速バスは中央高速に乗り新宿を目指します。富士急ハイランド出発後猿橋までのバス停で数名乗車してきて満員で新宿を目指す事になります。最終的に高速バスは多摩地域の日野・府中・深大寺のバス停で数名の降車が有りましたが、ほぼ満員の状況で終点新宿に到着しました。
元々中央道高速バスの中で富士五湖線は伝統の有る路線ですが、これだけ利用客が有れば富士五湖線は中央道高速バスの主軸で有るというレベルまで成長したと言えます。同時に高速バス富士五湖線が主軸であるのは富士急行とて同じで有ると思います。沿線の人口から考えれば富士五湖線の利用率はかなり高いと言えます。それは沿線需要だけでなく観光需要まで上手く取り込んでいるから此れだけの輸送量を確保できるのでしょう。
この状況は中央道高速バス富士五湖線でのアクセスから富士急ハイランド等の観光まで一貫してグループ内で運営する事で利益を上げるという「富士急行ビジネスモデル」の重要な要素で有ると言えます。これだけ観光客が自社交通機関と自社観光施設を利用してくれれば有る意味収益が上がって当然です。「何故山梨県郡内地方の一地方企業が東証一部上場企業として成り立つのか?」と言うのはこの様なビジネスモデルを作った事が大きいと言えます。
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☆ 『地域独占交通企業』富士急行の発展が山梨県富士五湖地方の発展をもたらしたのか?
[1] 富士急行の山梨県富士五湖地方での営業展開
今回富士急行を駆け足で訪問しましたが、驚くべきはその事業展開の多彩さです。
元々富士急行は堀内良平氏の築いた「富士山麓電気鉄道・富士山麓土地」という2つの会社が基礎となった会社ですが、「富士を世界に拓く」と言う経営理念の下、富士北麓の山梨県郡内地方だけでなく静岡県東部(沼津・富士地域)・山梨県中央部・東京にも事業範囲を広げ、東証一部上場企業にまでなり「一地方公共交通事業者」と言う枠を超えています。
加えて富士急行は「東証一部上場」と言う企業の格だけでなく、関東圏では知名度抜群の「富士急ハイランド」や橋本聖子・岡崎朋美などのメダリストを輩出した富士急スケート部の存在もあり、世間一般への知名度の高さは下手な大手民鉄企業より高いと言う事ができます。
また富士急行の事業展開の特徴としては、これだけの企業規模がありながら東京と横浜でのバス事業・福島の安達太良高原リゾートを除いて「富士の見える範囲」の山梨県・静岡県東部・神奈川県西部に集中して事業展開を行っていると言う点です。
この密集した地域で鉄道・バス・タクシーなどの交通事業や遊園地・ホテル・ゴルフ場などの観光事業や別荘地販売などの不動産事業や物販事業などの事業展開をしているため、これらの事業の利用客の策源地である東京・横浜のバス事業と合わせて、各事業間で極めて大きな相乗効果を引き出していると言えます。
左:富士吉田駅ビルQ−STAと鉄道富士急線 右:河口湖観光のレトロバス
左:富士五湖地域から各地を結ぶ高速バス 右:富士急ハイランドの絶叫マシン
左:富士急ハイランド内のハイランドリゾート 右:富士吉田駅ビルQ−STA前の富士急タクシー
この様な「地域独占的なドミナント戦略」と言っても過言ではない富士急行の事業展開が富士急行の強さであるともいえます。多角化を進める鉄道事業者は企業規模が大きくなると他所に打って出て全体的に独占地域を形成できずに収益の極大化を図れないとか、大都市で事業展開をしていると他の進出者も多くて地域独占が難しい等の例がありますが、富士急行の場合「観光地と言う収益になる資源」と「独立資本で戦前から交通事業から観光事業を抑えてきた先見性」と「大手が進出してくるには比較的規模の小さい観光地」と言う絶妙性が、東京近郊であるにも関わらず大手資本が参入して来ず地方事業者が地域独占を出来て、其れを梃子に東証一部上場まで上り詰め地方ローカル鉄道とは一線を画す事が出来て、今の富士急行の強さを生み出したと言うことが出来ます。
[2] 地域の発展と政治から交通までを独占する『地域独占交通企業』を考える
富士急行による交通・観光事業の地域独占は「富士急行の収益力の源」であると同時に、収益を上げるだけの多種多様な事業での地域独占を築く為の富士急行の事業展開の努力が地域の発展をもたらしたと言う、企業と地域の「Win・Winの関係」が今の富士急行と地域の関係であると言えますが、富士急行と地域の関係を考えるとそれだけでは済まない関係が出てきます。それが「富士急行代表取締役会長にして山梨県郡内地方選出の衆議院議員を勤める堀内光雄氏」の存在、つまり地域独占交通産業のオーナーが地元の政治も牛耳っていると言う関係です。
元々富士山麓電気鉄道の創業者である堀内良平氏は
雨宮敬次郎
・
根津嘉一郎
と並ぶ甲州閥の鉄道経営者の一人で富士身延鉄道・東京市街自動車などの事業を起こしていますが、富士身延鉄道(今の
身延線
)は昭和13年国鉄借り上げ16年国有化され東京市街自動車は昭和13年に
東京地下鉄道
と合併しており、その段階で事業の拠り所を山梨県郡内地方の富士山麓電気鉄道・富士山麓土地に絞ると同時に昭和初期から衆議院議員になっており、富士山北麓の開発に力を注ぐと同時にこの地域に政治家としても力を発揮してきたと言うことができます。
富士急行のオーナーと言う席と衆議院議員という議席は昭和初期から堀内良平・堀内一雄・堀内光雄と3代に亘り世襲されてきて現在に至っています。3代世襲の衆議院議員と言うだけで地域への影響力はかなりの物があると言えますが、加えて選挙区とほぼ同じ地域の核となる独占企業のオーナーまでもが合わせて世襲されてきているのです。この影響力は良いにつけ悪しきにつけ極めて大きいとぴうことが出来ます。
大手民鉄の事業者が政治家・大臣になる例(堤康次郎→滋賀県選出衆議院議員で衆議院議長・小林一三→民間から商工大臣・五島慶太→民間から運輸逓信大臣)はありますが、自分がオーナーの会社が交通や観光事業で地域独占体制を引いている事業の中核たる地域で衆議院議員を勤め、会社も議員も3代に渡り世襲しその体制が今も継続していると言う例は他にはないと言えます。
この様な衆議院議員の世襲と言う権力基盤の確保は「地域独占」の企業のオーナーで有る事が大きく作用していると言えます。良く「田中角栄と越山会と越後交通」の関係は有名ですが、衆議院議員堀内光雄氏と富士急行の関係も似た様な者が有るのかもしれません。写真に有る様に「富士急ハイヤーの営業所に堀内光雄後援会事務所の看板が有る」と言うのは堀内議員と議員がオーナーの企業の関係を示していると言えますし、
都留文科大学前駅建設
時も「堀内光雄衆議院議員が公約として掲げた」と有りますが、議員が公約として掲げるのも良いのですが、議員と駅設置の事業者の社長が同一人物ですから議員の公約達成による地域への影響力確保に上手く富士急行が使われている点は否めません。
実際この様な「政治家と地域独占企業が住民に大きな影響力を与えている」と言うのは、前回の衆議院選挙で堀内光雄議員が郵政造反で自民党除名されて刺客が送り込まれたにも関わらず、刺客を見事返り討ちして無所属当選した事からも明らかでしょう。この選挙は堀内議員と富士急行の地元への影響力が無かったら危なかったかも知れません。
しかしこの様な衆議院の議席と地域の交通と主力産業の観光を事実上独占する会社のオーナーを同一の一族が世襲して地域を影から支配する今の状況は、決して悪い体制とは言えないと考えます。其れは「形態は如何なる形であろうと実際問題は、発展していて地域が恩恵を受けれれば良いではないか?」と言う一言で収斂されると考えます。
実際富士山北麓地域の観光開発は、堀内一族が富士急行を使い旗を振り観光開発を進めた結果として現在の様に充実して来ているのですから、その恩恵を受けて居る地元としては「その御礼に衆議院議員を支持する」と言う事も有るのでしょう。それでも支え合いの関係で両社が恩恵を受けてその親密な関係が潤滑油になり地域開発が上手く進めばそれは良い関係で有ると言えます。
具体的に言えば富士急行による地域開発が進んで他地域から客が来れば、事業者である富士急行とその波及効果で地元が潤います。その富士急行にしても「オーナー=衆議院議員」の関係で地元に影響力を発揮できて間接的にでも仕事が上手く進めば新たな収益となる新規事業にも着手できプラスになります。どんどん事業開発を地元にドミナントして進めれば富士急行は独占のメリットで利益を極大化できますしその事業拡大のお零れは地元に落ちます。そうすれば「オーナー=衆議院議員」の影響力も強化されメリットが有るという「プラスの循環」になっていると言えます。
本来「独占」とは経済的にはマイナスであると考えるのが普通ですが、地域間競争が激化している今の時代では、地域内を独占していても地域間競争に曝される為独占の弊害は起きづらいと言えます。その中で地域の基幹となる企業が地域間競争で生き残る為には、利益を上げる基盤・地域を潤す産業として富士急行のような「地域政治にまで大きな影響力を持つ交通・観光・不動産の地域独占企業」は必要であるのかもしれません。
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今回TAKAの交通論の部屋の「関東鉄道めぐり」の中では、一番の長編になりましたが、山梨県郡内地方の交通・観光で重要なポジションを占める富士急行はそれに値する内容の深い企業で有ったと思います。
富士急行を見る場合「鉄道事業」は事業の一つに過ぎません。富士急行の連結売上比率でいれば運輸36%・レジャー42%・不動産6%・その他16%と言う様に鉄道を含めた運輸事業は「三本の矢の一本」に過ぎず、加えて三代続く「オーナー家=衆議院議員」と言う地元に根付いた企業であると言うのが、富士急行を考える上で重要な要素で有ると考えました。
そういう訳で、今回それらを含めた総合的側面で見ないと物の本質は見れないと思い、鉄道事業だけでなく高速バス試乗まで広げると同時に検討するのに観光事業と地域との関係まで視点を広げて論を展開してみました。
その為訪問してから完成まで1ヶ月以上掛かり書き出してからも小一ヶ月ずっと執筆に費やすという状況になり、「月一本関東鉄道めぐりを書く」と言う今までのペースが大きく狂う事になってしまいました。しかしその結果色々な視点まで混ぜた(ちょっと内容が発散したとも言えますが・・・)かなり濃い内容の文を書けたと思います。
これだけ成功した富士急行の事例は「恵まれた環境」「過去から一貫継続して開発してきた結果」「地域外に展開せず地域内で多角展開をした」と言うような事が大きく作用していると言えます。ですから地方鉄道とは言えない大企業であり地方鉄道が学ぶ所は少ないかもしれません。しかし成功の稀有な例であるからこそ「如何にして成功して企業と地域が発展したか?」見てみようと思い、今回この様な文を書きました。皆さん如何でしたでしょうか?
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