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「 急 行 料 金 」 と は 一 体 何 な の か ?

-「急行能登」のサービスレベルから「急行料金」のあり方について考える−



TAKA  2006年08月15日




489系 「急行能登」 @上野駅


 ※本記事は「 TAKAの交通論の部屋 」「 交通総合フォーラム 」のシェアコンテンツとさせて頂きます。


 − ま え が き −

 「 急行能登 」と言えば、北陸地区や長野県東信・北信地区に住んでいる方や縁の有る方にとって「利用した事が有る」と言う列車で有り、「思い出の列車」「忘れられない」と言う方も多数いらっしゃると思います。
 かくいう私も今から約10年前、大学を卒業して会社に就職しての社会人1年目〜2年目の時期に、長野県上田の橋梁建設工事の現場の担当になり約1年間程月に3〜4回上田まで仕事で通っていた時代がありました。その当時は長野新幹線は未だ建設中・上信越自動車道が小諸までしか開通していない時代(現場竣工前に全通した)で、会社で「事故が有るといけないから車で行くな」と言われたので、主に信越本線の「あさま・白山・能登」で横軽を越えて上田まで通っていました。
 その中でも「急行能登」は特別に思い出の有る列車でした。普通は下り朝1番の「あさま」で上田に向かい夕方の列車で帰って来ていましたが、朝早く(下り朝1番のあさまは確か9時頃上田着で、如何頑張っても現場に着くのは9時半頃になっていた)現場に行かなければならない時や翌日は東京で仕事が有るのに夕方現場で一杯飲んだりした時など、「あさま・白山」では対応できなかった時に「最後の切り札」として「急行能登」を良く利用していました。
 その時には良く「急行能登」出発まで上田駅の待合室で仮眠をして居たり(この当時は深夜まで営業の店は殆ど無かった)、夜中に上田に付いた後タクシーで現場事務所に向かい現場事務所のソファーで仮眠したりと、今から思えば無謀な事をして居ました。
 今でこそその当時とは違う仕事をして居ますが、社会人1年目〜2年目の「右も左も判らない」時代で有り私にとって不遇なサラリーマン時代の「記憶に残る列車」として、「急行能登」には特別な感情を抱いています。

 その様な「特別な記憶の残る」列車で有る「急行能登」ですが、今回図らずしも利用する事になりました。
 今回夏休みを利用して「北陸訪問」を企画したのですが、夏休みが8月14日〜16日に減ってしまい加えて13日は午後6時過ぎまで多摩地域で仕事になり13日中の北陸入りが難しくなり、「北陸旅行」を「ほくほく線(普通に乗りたかった)・富山・高岡」に絞っても「はくたか2号で北陸入り→はくたか23号で帰京」の日帰りスケジュールに入りきらなくなり、苦渋の選択として「午前6時直江津着に間に合う夜行を使う」事にしました。しかし仕事の予定が決まりチケットを探したのが10日夜で 池袋〜高田の夜行バス が満席で、「能登・自由席と北陸・個室寝台(1席)」しか空きが無く、北陸では直江津には停まらないので「糸魚川まで乗り越し→急行きたぐにで直江津に戻る」と言う手間が掛かるので、「急行能登」を利用する事にしました。
 幸い11日夜に確認すると「急行能登・喫煙指定席」に空きが出ており、指定席も確保できて「これで上野での行列やデッキでの旅行などの苦労をしなくて済む」と喜んで旅行の先行きを楽観視して居ました。
 ところが実際には夜行高速バスが取れず、次善の策として「急行能登」を選択じた事で「不遇なサラリーマン時代の苦行」を髣髴とさせる「苦行の旅」が待ち受ける事のなったのです。


 − 「 急 行 能 登 」 苦 行 の 旅 −

 今回の旅行の始まりは、「急行能登・指定席」を取る事が出来たので、夜行列車の「自由席争奪競争」からは隔絶されて23時33分の発車時刻の直前に上野に着けば良くなり、一度家に帰り食事をした後風呂に入りサッパリした後、改めて発車チョット前に上野駅に着く時間に家を出て上野駅に向うことにしました。
 23時10分過ぎに上野駅に着いた後、キヨスクで夜の飲み物を仕入れた(しかし此処での争奪戦は大敗、ミネラルウォーターしか買えず、おにぎり等の夜食は買えなかった。これがこの晩の苦行の第一歩になる。)後に能登が着いている筈の16番線に向います。
 16番線ホームに向うと、急行能登が既に入線して居ます。「急行能登」の 489系 を見た瞬間に懐かしさが込み上げてきます。チケットを買った時に「急行能登」と言う名前に特別の感傷を抱きませんでしたが、サラリーマン時代に苦行と共に良く乗っていたボンネット型を見ると又別です。記念に写真を取りながら、昔の事を思い出しながらしばし感傷に浸ってしまいました。

 しばし感傷に浸った後、取りあえず出発時間が迫っているので指定を取った3号車に向かい自分の席に座ります。「やっと取った指定席」だけ有りほぼ満席に近い状況で流石に混んでいます。私の隣には既に女性が座っていましたが、向こうの方は夜行慣れしている様で上に羽織る長袖上着や目隠し用のタオルなども持ち込んでおり「臨戦態勢」万全と言う感じです。私も「冷房が効きすぎて寒いかな?」と思い長袖を着てきたのですが、これが後で完全に裏目に出ます。
 23時33分の発車時間になり「急行能登」は見送りも無く静かに発車します。発車前までは順調でしたが、この後私に取り「急行能登」の旅は正しく「苦行の旅」になってきます。
 先ずは車内放送で「6号車のラウンジカー自動販売機で飲み物を売っています」と案内が有ったので、早速「水しかない手持ちの飲み物の補充」の為にラウンジカーに向います。ラウンジカーは自由席からあぶれた人達(と言うより狭い座席を嫌った人達)が占領して居ます。その人たちを避けながら自動販売機に辿り着くと・・・、何と硬貨の投入口に「故障中」と書いたテープが張って有ります。これでは飲み物の補充が出来ません。少なくとも発車前から故障していた事は間違い有りません。幾らJR西日本の車両と言えども折り返しの間にメンテナンスはしていないのでしょうか?
 仕方なく自分の座席に戻る事にします。その間自由席を通ると、自由席には余裕が有ります。ラウンジに居る人が居ながら2人で席を向かい合わせて足を伸ばしている人もいます。指定席ではほぼ満席で1人1席で座っていますが、自由席は早い者勝ちの状況です。「指定席料金は座席保証の料金」と言う観点で考えるべきなのでしょうが、指定席より一部の自由席利用客の方が楽に過ごしているのは良い気分はしません。
 自分の席に座り「高崎で7分停車だから其処でジュースが買える」と思い水を飲みながら(喫煙席なので)タバコを吸っていると、今度は汗が止まりません。目の前に有る温度計を見ると「28.5℃」と表示して居ます。何と冷房が有る物の冷房は殆ど効いていません。今の時期夜中は冷房が無くても寝れますが、煙充満の喫煙車で満員の車内ですから空調が弱いとサウナ状況です。私は冷房対策で長袖を着ていたので、慌ててトイレに向かい翌日用の半袖シャツに着替えます。それでも中の下着は汗まみれです。座席車なのでそれ以上脱ぐ訳にも行きません。仕方なく汗まみれの下着に耐えタオルで顔の汗を拭きながら過ごす事になりました。どうもクーラー自体に問題が有るようで(秩父鉄道元165系の急行でも似たような体験をした)仕方ない側面も有るのでしょうが、これならば冷房が良く聞いているE231系通勤車両の方が快適です・・・。通勤車両より不快な急行なんて一体何処に有るのでしょうか?
 まして座席は「簡易リクライニングシート」の座席です。「昔は固定クロスシートなのだから座席が倒れるだけ良い」とも言えますが、少なくとも10年前に「急行能登」に乗った時と座席が変った記憶が有りません。「良い座席に座りたいのならグリーン車へどうぞ」と言う事なのでしょうが、座席で寝る夜行なのですからもう少し良い座席が欲しい物です。
 
 はっきり言って「夜行急行の旅」がこんなに苦行の旅になるとは思いませんでした。自由席の話などは「乗る人のマナー」と言う事も有るので一概に言えませんが、それ以外のことを考えると「金を取る」と言う点から考えると、「急行料金」と言う金を取る事を疑いたくなるサービスレベルで有ると言えます。
 夏休みの帰省の最後のラッシュとも言える8月13日に利用した為、致し方ない側面も有るのかもしれません。ましてこの車両は「急行能登」と一部の間合い運用しかしていない車両だから生産性・採算性と言う面から見ても、新型や根本的改良は難しいのは良く分かります。しかし489系は製造初年が1971年と私とほぼ同い年です。人間ならば働き盛りですが、車両としては寿命が尽きかけています。この事を色々考えての根本的方策が「急行能登」に必要な事は間違いありません。
 しかし利用者にとっては「苦行」は永遠の記憶になります。人生の話ではありませんが「良い事は忘れるが、辛い事は忘れない」と言う事は普遍的に当てはまります。その法則に「急行能登」の利用客全員は例外と言うことは有りません。その悪い記憶が全体に広がる可能性も有ります。その事を鉄道会社は良く考えるべきで有ると思います。


 − 「隣の田んぼが良く見える」と言うのは僻みなのか? −

 夏の北陸の旅の目的地を目指して「急行能登」の「灼熱の苦行の旅」を続けていましたが、眠れず・買った水も尽き忍耐がかなり厳しくなった状況でやっと「オアシス」とも言える途中停車駅の高崎に到着しました。高崎では7分の停車です。此処で飲み物を補給する事は私に取っては正しく「至上命題」です。ホームに有る自動販売機に走り冷たいペットボトルの飲み物を数本買い求めます。
 「至上命題」の飲み物を買いホッと一息ついていると、向かいのホームには夜行快速の「 ムーンライト越後 」が停車して居ます。「ムーンライト越後」は此方の「急行能登」の489系と兄弟の485系で運行されていて、全席座席指定の快速です。「ムーンライト越後」は「急行能登」より目的地が近い事も有り、この高崎で26分の長時間時間調整のようです。

   

左:489系 「急行能登」 @高崎駅   右:485系 「ムーンライト越後」 @高崎駅


 一度ジュースを車内に置いてから、もう一度ホームに出て窓から向こうを覗いて見ます。流石に時期が時期なので「ムーンライト越後」も満席の様で、時間調整に体を持て余した人たちがホームに出てきています。又全席指定だけ有りデッキで過ごす自由席客の様な人は居ませんので、デッキには中に入りきらない自転車などがカバーに掛けられて置かれています。
 向こうは全席指定が売りですから、その様な状況自体は驚きませんでしたが、寝ている人の座席を見てみたら驚きました。何と「急行」である筈の此方と違いリクライニングシートの綺麗な座席が並んでいるでは有りませんか!ましてシートのモケットは青いモケットで此方よりも綺麗でグレードが高そうです。

   

左:489系 「急行能登」車内状況 @高崎駅   右:485系 「ムーンライト越後」車内状況 @高崎駅
※夜間で就寝している人も居る為、車外のホームからフラッシュ無しで撮影


 確か此方は「急行」で向こうは「快速」な筈です。なのに「快速」である筈の向こうの方が良いシートを使っているという事は釈然としません。今や「適当な車両が無い」と言う事情も有るのでしょうから、「快速」に老朽化して第一線を退きつつあり波動用主体に使われている特急型の485系が使われている事は車両運用上仕方ないと言えます。
 しかし「急行」より「快速」の方が良いシートが使われている事には納得が行きません。「急行能登」の車内で苦行を重ねていた私の僻み根性で「隣の田んぼが良く見える」と言う訳ではないのでしょうが、急行料金を払っている身としてはグレードの高いシートで快適に寝ている「快速 ムーンライト越後」の車内を見ていると、「こっちは何なのだ!」と怒りが込み上げてきました。
 此方は目的地が遠い事も有り7分停車で後着先発しましたが、「急行能登」は此処で「快速ムーンライト越後」を追い越す事で「急行」としての存在感を示したのかもしれません。しかし先を急いだ此方とて到着時間は富山5時48分・金沢6時36分と活動するにはチョット早い時間です。何も先を急ぐ必要は有りません。私的にはこの様な事で「急行の存在感」を示しても意味が無く、もっとサービス面など他の事で存在感を示して欲しい物だと思いました。


 − 一体「急行料金」とは何なのだろうか? −

 今回の旅行では図らずしも「急行能登」を利用する事になりましたが、昔のサラリーマン時代の利用時にはそんなに感じませんでしたが、夜行急行の旅がこんなに辛い物であるとは思いませんでした。昔は不遇で有れども他に困難が有ったからこれ位の苦行に何も感じず、今は心に余裕が有るからこそ出来る楽しみの旅行だから苦行に感じたのかもしれません。
 しかしその様な個人の感情論を抜きにしても、今の「急行能登」のサービスレベルには極めて問題が有ると思います。今の「急行能登」は旅客を目的地に運ぶという事しかしていないと言う事が出来ます。感覚に個人差が有るとは言えども、あの「苦行の旅」ではサービス的には大きな不満が残ると言えます。

 「安く良いサービスを受けたければ、高速バスを利用すればいいだろう」と言われるかもしれませんが、そういう相対的評価でなく「急行料金を取る」と言う絶対的見地から見ると、今回私が体験した「苦行の旅」の状況には非常に問題が有ると言えます。
 今回「急行能登」で夜行として機能している最短距離の高崎〜直江津間を利用している人で1,260円の急行料金を払っている筈なので、(急行料金は1,260円で頭打ちなので)夜行区間利用者は「急行能登」のサービスに1,260円の対価を払っている筈です。1,260円払って苦行の旅では利用者は如何思うのでしょうか?
 確かにJRの夜行列車と比べると、サービスレベルは夜行高速バスのほうがはるかに上です。今の夜行バスは「カーテンで仕切られて真っ暗な車内(JR座席夜行は減灯のみ)、リクライニングシート(3列独立シートのバスも多い)・良く効く冷房(故障したら別だが)」と言うサービスで、サービス的には高速バスの方がはるかに優れています。これで東京(池袋)〜直江津間で5,250円です。
 それに引き換え「急行能登」の上野〜直江津間の指定席での料金は7,230円です。この料金を分析すると運賃5,460円・急行料金1,260円・指定席料金510円になります。此処から比較すると高速バスの運賃とJRの運賃がほぼ同一になります。高速バスの場合運賃の内訳が分割されていないので分析できませんが、多分JR急行料金より安い価格で上記の優れたサービスを手に入れていると思えます。
 JRの場合運賃・料金がバラバラになっているので、色々分析が出来ます。各料金の意味を分析すると「運賃→目的地まで運ぶだけの価格・急行(特急)料金→速達性や車両の快適性等へのサービスの価格・指定席料金→座席の保証に対する価格」と言う事になります。そうすると私はJRから「苦行の旅のサービス」を急行料金1,260円で買った事になります。
 比較対象として高速バスを見せられている私達としては、1,260円で簡易リクライニングシートの車両で空調も悪い車両のサービスを買わなくなるのは有る意味当然の事です。私も今回現地泊・高速バスの次の「次善の策」として選んだだけであり、今後もう一度「急行能登」に乗ると言う形で1,260円でサービスを買いますか?と聞かれれば「NO」と答えます。

 それ以上に問題なのは「急行能登」と「快速ムーンライト越後」のサービスの差です。前にも述べた様に高崎で比較した限りでは「使っている車両はほぼ同等」「座席は快速ムーンライト越後の方が上」と言うサービスレベルになります。これでムーンライト越後は快速なので料金+指定席料金で乗れますが、急行能登には急行料金が必要になります。
 指定席料金は「着席できる事への保証料」と言う事ですから、車内でのサービスに対しての対価と言う意味は有りません。そうなると「ムーンライト越後」は無料で特急型車両で良い座席のサービス受けて居るのに、「急行能登」では1,260円の料金を払って「苦行」と言うレベルのサービスを受けています。これは果たして正しい事なのでしょうか?
 我々利用客は金を払って低いサービスを買わされていると言うのが今の状況です。これには「急行能登」が「JR東日本・西日本を跨ぐ列車で、列車は西日本持ち」と言う責任分散の状況で立ち竦みになり10年前と変わらないレベルで立ち止まっているし料金差で高速バス負けている為力が入っていない状況に対し、「快速ムーンライト越後」は「JR東日本だけが担当の為色々な意味で改善がしやすい状況であり、加えて快速なので価格競争的にも高速バスと対抗でき18キップも使えるので人気が有るというのがプラスになっている」と言う状況の差が有ると言えます。
 しかし其れはJRの中だけの問題で有ると言え、利用者としては納得の行かない話で有ると言えます。今回の様に横並びになれば比較もしやすいのでハッキリしますが、この様な話は離れた所でも有ると言えます。「急行能登」よりサービスレベルの良い夜行快速と考えただけで、「ムーンライト越後」だけでなく「ムーンライトながら」も当てはまります。
 「ムーンライトながら」は昼間は「急行東海」として急行料金を取っている車両を使い、夜は運賃+指定席料金でのれる「ムーンライトながら」として運行されています。もっと言えば身延線・飯田線では同じ車両で特急が運行されています。何故こうなるのでしょうか?同じ車両で快速・急行・特急と言うのはこれ等の料金差は「速達性の差」と言うものだけなのでしょうか?とは言えどもこれ等の場合は「同じ区間を走る」と言う例は有りませんが、身延線・飯田線の特急は「速達性が高い」とは御世辞にも言えません。そうなると料金について明確な基準が無く、単純に「急行」で良くても「特急」にして増収を図る、「急行」に相応しくても競争上や利用者の反応を考えて「快速」にすると言うレベルで種別が決められ、自動的に運賃も決められていると言う事が実情の様な気がします。

 この様な事では「急行能登」も「急行」として、高い料金を取って運行している意味は「今までの惰性で急行として運転している」と言うだけで有ると言えます。その様な惰性であの様な「老兵」で列車を運行させられては利用者の方が堪りません。
 今回は暑い急行の車内に5時間近く居させられて、夏なのに汗びっしょりになり、降車駅で降りてまずした事は汗をかいた下着を着替える為にコンビニで下着を買うことでした。この様状況で1,260円もサービスの対価として取られる事は、一利用者としては納得が行きません。多分私と同じ車両を利用していた人の中にも同じ感想を抱いた人もかなり居ると推察されます。普通の人ならこの様な苦行を経験したらもう戻ってきません。
 この様な事が最終的にもたらす結果は「鉄道離れ」です。誰にでもわかる基準で「価格相応」のサービスを提供しないと利用者は納得して利用してくれません。決して「安い」事だけが良い事では無いのです。「サービスに対応した対価」が必要なのです。
 その点今のJRの「急行」はJR自体が「急行」に対し力を入れていない以上、特別料金を取り特別車両で早く輸送する「特急」と運賃だけで乗れるが各駅には停まらない「快速」の間で、どっち着かずの中途半端の存在で残されていると言えます。これは「料金のわかりやすさ」と言う点で好ましく有りません。
 経済の大原則は「得られた物の対価として金を払う」と言う点です。その原則に従い考えれば、今の状況が好ましくない事は明らかです。もう一度根本の「サービスの対価としての料金」と言う側面から「急行料金とは何か」を考える必要が有ると言えます。それに結論がでれば「急行」と言う今は中途半端な列車種別の位置付けも必然的に明らかになると言えるのではないでしょうか?





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