このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください



(1)「松山市内の気軽な交通機関」伊予鉄道松山市内線訪問記


 今回の松山旅行では一つの目的として「交通機関を中心に松山市内を廻る」事が中心となり同時に「道後温泉の温泉を楽しむ」事をしたいと言う目的で、加えてJRで到着・出発し宿は大街道が最寄駅で温泉は道後温泉に行くと言う事になると、必然的に松山市内を廻るのに一番便利なのは伊予鉄道の路面電車を利用することになります。そういう訳で今回は先ず最初に市内観光を兼ねて路面電車を利用してみることにしました。

 「1」市内線の大動脈「JR松山駅〜大街道〜道後温泉」間を乗ってみる

 松山の玄関口は「空の松山空港・海の松山観光港・陸のJR松山駅」と分かれていますが、今回は松山へは岡山からJR四国の特急しおかぜで入った為、先ず最初に松山の地に立ったのがJR松山駅になりました。
 JR松山駅は松山の陸の玄関口であり、人口50万の松山市の玄関口で岡山・高松・宇和島へ特急が頻発されている駅ですが、駅舎は平屋で商業施設も簡素な物しかなく駅の周辺も商業集積が少なく「町の外れに有る駅」と言う感じです。
 その為松山城の南〜南東に広がる商業地の大街道や官庁街・城の東側の観光名所道後温泉にアクセスするには市内電車を利用しなければなりません。JR松山駅からは大街道・道後温泉方面を結ぶ系統と松山のもう一つのターミナルである伊予鉄道松山市駅を基点に左右両周りで廻る環状線2系統の合計3系統が発着し、松山市街中心部へのアクセスを確保しています。今回は宿にチェックインするのは早かったので、取りあえず道後温泉まで乗って見ることにします。

   
左:[1]JR松山駅に入る「坊ちゃん列車」  右:[2]「坊ちゃん列車」乗車風景
   
左:[3]道後温泉行き(5系統・左側)・松山市行き(環状線1系統・右側)の低床電車   右:[4]低床電車の乗降風景

 ホームで待っていると、何か珍しい列車が折り返してきます。その車両は観光用に復元された「 坊ちゃん列車 」です。昔伊予鉄道の鉄道線で使用されていた蒸気機関車・客車をディーゼルで外観のみ復元した車両であり「復元の忠実性」と言う点では完全では有りませんが、「道後温泉を控えた観光路線」の側面も持つ伊予鉄市内線では「客寄せパンダ」と言う意味でも存在感の有る車両です。実際私の見た列車でもカメラを向ける観光客・列車を利用する観光客も多く居ました。「路面電車=都市の交通機関」と言うイメージが強いですが「路面電車=街の活性化のツール」と考えれば、伊予鉄道市内線の様に沿線に観光資源が有るのなら「坊ちゃん列車」のような列車の運行も有りだと思いますし、その効果は結構有るというのは実際の状況が示していると言えます。
 流石に大の大人が一人で坊ちゃん列車に乗るのは恥ずかしい物があるので、次の列車で道後温泉へ向かう事にしました。次の列車は道後温泉からの折り返し列車と環状線内回りの両方から丁度同時に来ましたが、なんと両方とも 新型の低床車両 です。今や低床LRVは全国何処でも珍しくは無いですが、松山の場合松山市駅折返しの都合上採用した単車低床LRVと言う点と、2002年に投入開始されて以降既に9両も投入され市内線の低床LRV車比率25%と言う車両の多さです。幾ら補助が出ると言えども新型の低床LRVが此れだけの比率で運転されていると言うのはなかなか有りません。これだけでも伊予鉄道の提供しているサービスのレベルの高さが分かります。

   
左:[5]道後温泉行き低床電車車内   右:[6]道後温泉での降車風景
   
左:[7]道後温泉駅と「坊ちゃん列車」  右:[8]「坊ちゃん列車」の記念写真を取る観光客

 今回は道後温泉が目的地なので2台目発車の道後温泉行きに乗ります。車内は車内では年末最後の大晦日ながら道後温泉を目指す観光客と大街道を目指す買い物客が錯綜し立ち客が出るほどでかなりの混雑です。此れだけの利用客の有る市内線だとチョット単車のLRVだと輸送力的には不足気味です。本町線以外は運行本数もかなり頻発運転(JR線・市駅線→毎時8本、環状線→両周り共毎時6本、本町線→毎時2本)ですが、単車主体では混雑時にはかなり輸送力的には逼迫する状況が出てきていると言えます。幹線ルートを走り増発余地の有るJR線・市駅線はもう少し増発しても良いのかもしれません。
 JR松山駅を出ると、大手町で郊外線と平面交差した後松山城の堀を回りながら官庁街を抜け、松山最大の繁華街の大街道を経由して道後温泉を目指します。JR松山駅〜松山市駅〜大街道〜道後温泉間の区間は国道11号線・56号線・県道186号線等の道路上を走りますが、全区間が軌道内立入禁止になっており車道も片側2車線が確保されており加えて全駅で安全地帯等が整備されていて路面電車も車もストレス無く走る事ができます。松山の路面電車の走行空間は併用区間では戦災復旧の区画整理以降継続して道路改良の一環として行われ構築されてきて、其れがやっと2003年に上一万〜道後温泉駅間の改良工事竣工で完成した物です。この様な快適な路面電車の走行環境であれば路面電車の快適性・安全性・定時制も確保され、利用者も定着すると言えます。

   
左:[9]松山の中心街大街道(東側を見る・右はラフォーレ 左は伊予鉄会館)  右:[10]松山の中心街大街道(西側を見る・右は三越・全日空ホテル 左は東急イン)
   
左:[11]松山の中心街大街道のアーケード内部  右:[12]大街道と並ぶ松山の中心街「銀天街」

 道後温泉を取りあえず散策した後、2泊3日の旅行の荷物も未だ持っていたので宿にチェックインする為に大街道に向かいます。宿は大街道の先で銀天街の入口の近くなので路面電車大街道駅で降りてアーケード街である大街道を突き抜けて行く事になります。
 道後温泉から路面電車で大街道で降りると其処は「四国最大級の繁華街」と言うに相応しい繁華街です。国道沿いには三越・ラフォーレ等の大型商業施設が有ると同時にANAホテル・東急イン等のシティホテル・伊予鉄会館等の複合施設が有り、その交差点から伸びる大街道は全長483mの商店街で飲食点等を中心に商店街が広がっていてその先に有る銀天街を含めると、路面電車大街道電停〜大街道商店街〜銀天街商店街〜伊予鉄松山市駅間で商店街の回廊が出来て居ます。(参照: 大街道商店街・銀天街商店街概要
 松山市内中心街に商業集積を核とした回廊が出来ている為、その回廊両端のデパート・専門店街・地下街等の商業施設集積地を結んでいる伊予鉄道の路面電車は極めて利便性の高い交通機関となっていると同時に街の活性化に大きく寄与していると言えます。
 元々愛媛県は「一世帯あたりの所得は全国平均以下で香川県より低い」状況であり松山市の人口こそは四国最大級であれども都市の規模から考えると「購買力が高い都市」とは必ずしも言えない状況に有ります。その中で大街道・銀天街と言う商店街は賑やかでありその両端に有る百貨店のいよてつ高島屋・三越松山店は百貨店としては業績が良い店で有ると言えます。何故購買力が低いのに商業が活性化しているのか?其れは中心に適度にコンパクトに纏まった商業核に利便性と魅力が有るからです。松山の場合行政が旗を振りこの様な街が出来たのではなく「上手く街の形がこの様になった」と言う事なのでしょう。
 実際には「中心部に百貨店を核に商店街が纏まり繁栄している」と言う街は高松等も当てはまりますが、高松の場合上手く北〜東側の微妙な距離に「ことでん」が走り商店街を取り巻く様に高松築港・片原町・瓦町の3駅が有りますが、その存在が商店街の回遊性に寄与しているとは言えません。それに対し松山は商店街の両端の大街道と松山市駅に核となる商業施設がありその間を数分毎で路面電車が結んでいるので移動に便利であると同時に、銀天街+大街道のアーケード街も歩いて1kmちょっとと言う距離で比較的コンパクトに纏まっている為非常に買い物に便利に出来ています。伊予鉄道郊外線・市内線で簡単にアクセスできて1km程度の比較的狭い範囲に商業施設がコンパクトに凝縮されて纏まっている街だからこそ、中心市街地が活性化されていて公共交通も利用されているのだと思います。「松山が何故こんなに賑やかで伊予鉄が何故こんなに利用されているのか?」その答えはこの「自然に出来たコンパクトシティ」に有るのではないでしょうか?


「2」市街地に近い準郊外地域を走る市内線「本町線」「環状線」に乗ってみる

 ホテルにチェックイン後、再び大街道電停に戻り今度は残りの本町線・環状線を乗ってみる事にしました。
 大街道電停に着いてまずは本町線に乗ろうと時刻表を見てみると、流石に眼が点になりました。本数は少ない事は知っていましたが、流石に1時間に2本しかないとは知りませんでした。野原を走る鉄道ではなく50万都市の中を走る路線です。しかも分岐している西堀端は官庁街から遠く有りませんし終点の本町6丁目も環状線と接続しています。その路線が30分毎と言うのは少なすぎると言えます。
 しかしぼやいても仕方ありません。取りあえず大街道駅周辺の写真を取った後、スターバックス(喫煙なので外のテラスで震えながら)でコーヒーを飲みながら次の列車を待つ事にします。約20分位で電車の来る時間になったので徐に電停に向かい本町6丁目雪の電車を待ちます。
 本町6丁目行きの電車は旧型電車で数名の乗客しか乗って居ません。西堀端までは幹線を走りますが、此処で左折して大手町・JR松山駅方面に向うJR線・環状線と分岐して国道196号線(西堀端通り)を北上します。国道196号線に入ると直ぐ単線になりそのまま本町3丁目・本町4丁目・5丁目電停に停まるとすぐに終点本町6丁目電停になります。此処で環状線に頭を塞がれる形で終点になります。この間僅か0.6kmの距離で昼間は30分毎の路線で正しく「盲腸線」と呼ぶに相応しい路線です。
 元々は西堀端〜本町〜古町間の路線が戦災で廃止になりその代替として出来た路線で環状線などと比較的近接して走っていて、周りの各路線電停も遠くは無いので不便では無いと言えますが、松山市北部への幹線として単線路面電車+片側2車線道路が整備されている国道196号線に30分毎に電車が走るのは少し寂しいと言えます。市北部の住宅化が進んでいるのですから、単線でも交換設備整備のうえ10〜15分毎運転可能にした上でJR伊予和気駅までとは言いませんがその途中の姫原・吉藤方面に3〜4km程度延長しても良いのかもしれません。

   
左:[13]本町線と環状線の連絡駅 本町六丁目  右:[14]住宅の谷間に有る環状線本町六丁目駅
   
左:[15]本町六丁目駅に入る環状線2系統  右:[16]環状線2系統車内

 本町6丁目までに時間が掛かってしまい此処で日が暮れてしまいこれ以上写真が取りづらい状況になってしまって、此処で市内線乗車を諦め環状線を翌日に残して此処から環状線に乗り上一万電停乗換で道後温泉を目指す事にします。
 本町6丁目電停は本町線開通にあわせて出来た駅で、道路を挟んで内回り・外回りホームが分かれています。只国道沿いの比較的賑やかな場所に有る駅なので、駅のホーム端にまでビルが迫って何か「ビルの谷間を走る」と言う状況になっています。
 環状線は元々伊予鉄道の路線として出来た路線で、松山電気との合併後市内線整理の一環で古町〜道後間の路線を木屋町以北で付替えた路線で、昭和44年に流動にあわせた上一万電停の配線変更(直通先を道後温泉→大街道方面に変更)で今の様な環状運転が開始になりました。
 その為「路面電車」と言う成り立ち出なく「鉄道」が大元の路線なので、専用軌道で作られていて市街地の間を縫う感じで単線の路線が引かれています。しかし中心街から見ると「城北」の地域ですが住宅や公共施設等も多く、利用客はそれなりに多い様で「大晦日の夕方〜夜」なのに10名程度の乗車が有る感じでした。今回は道後温泉に向かう為上一万電停で降りましたが、此処では数名の乗車客しか居ませんでしたが「乗継券」が発行されました。「乗換駅指定の上での乗継サービス」と言うサービスは一般的ですが、直面すると便利な物です。

   
左:[17]古町で郊外線(高浜線)と平面交差する環状線1系統  右:[18]鉄砲町駅での交換風景
   
左:[19]愛媛大学の脇を走る環状線(赤十字病院前〜鉄砲町)  右:[20]環状線赤十字病院前駅風景

 翌日は正月でしたが昨日の環状線乗車が部分的でしかも夜間になってしまったので、ホテルの屋上露天風呂で松山城を見ながら朝風呂に入り朝食を取った後、銀天街を松山市駅まで歩き松山市駅から環状線に乗り反時計回りでもう一度一周して見ることにしました。
 松山市駅から発車すると先ず大手町駅で郊外線(高浜線)と交差します。此処は平面交差ですが路面を走る路面電車と鉄道との交差であり踏切で規制されています。その後JR松山駅前を経由して宮田町から専用線に入りますが、古町の手前でもう一度郊外線と交差します。此処は軌道と鉄道といえども専用線同士の交差の為「配線が入り組んでいる場内」と言った感じです。電圧が同一だからこそこんなに簡単に平面交差が出来るのでしょうが、幾ら整理されたとは言えども昔の入り組んだ郊外線と市内線の路線の関係の残像がこう言う所にも残っていると言えます。
 郊外線と市内線の車庫が有り運転上の一大拠点で有る古町を出ると環状線は住宅地の中を走ります。環状線はJR松山駅前〜上一万間の専用軌道区間では単線ですが、この区間で古町・木屋町・鉄砲町の3駅で交換が可能になっていて10分毎の間隔で運転されており利便性が高い状況に有ると言えます。乗った日が「正月の朝」と言う極めて特殊な状況下だったので一概には言えませんが沿線の人口密度と利便性から考えるとかなりの利用客が有っても可笑しくは有りません。
 取りあえず「一度は何処かを歩いてみよう」と思い鉄砲町で降りて見て隣の赤十字病院前まで歩いて見ます。この区間は今までの住宅地とはちょっと違う風景が広がっています。鉄砲町〜赤十字病院前の線路の北側は戦争前は帝国陸軍の「城北練兵場」であり戦後空襲で焼失した赤十字病院が昭和22年に移転してきた後昭和25年にその隣に愛媛大学が移転してきて、近くに松山大学・松山北高校も集まり文教地区を形成しています。
 この乗車した日が特殊な日であったので、これらの施設からの利用客は殆ど居ませんでしたが、少なくとも普通の日であれば「10分毎に大街道・松山市駅・JR松山市駅に直通運転」が有るのですから利用客はかなりいる筈です。松山は戦時中の空襲に起因して焼失地域の道路拡幅・空き地の城北練兵場への病院や大学の移転等の再配置を行っていますが、これらの「戦災復興事業」が伊予鉄道の市内線に取っては今の存続の大きな基盤になっている事は間違いありません。
 それらの事が大きく寄与していますが、それだけでなく「優れた走行環境」「近代的LRV化の進展」「上手く需要根元地が存在する立地の良さ」等が良い影響をもたらし今の伊予鉄市内線の繁栄をもたらしている事は間違い有りません。今の状況ならば今後とも継続的に努力を行えば伊予鉄の路面電車(市内線)は安泰で有ると言えます。又その努力を行う意思と財力が伊予鉄道には有るので益々安泰で有る事は間違い有りません。


「3」松山の名所「道後温泉」に行って見る

 松山に来た以上は、流石に「鉄道乗り巡り」だけと言う訳には行きません。「1年の垢を落とす」保養も目的なので「温泉」は外せません。しかし1人旅なのでなかなか「温泉宿」と言う訳には行かずホテルはビジネスホテル(露天風呂付)を取りましたが、せめて松山に来た以上道後温泉には入ろうと本町線・環状線を見た後道後温泉に向かう事にしました。
 伊予鉄道道後温泉駅を降りると大晦日の夜であるにも関わらずかなりの賑やかさです。やはり「正月を温泉で過ごす」と言う人が多い様です。御土産屋の多いアーケードの商店街で自宅への御土産を買い宅急便で送る手配をした後本命の道後温泉に向います。 道後温泉本館 は商店街のアーケードの突き当たりに有り「聖徳太子も入った日本最古の温泉」と言うだけ有りその象徴である道後温泉本館は明治27年完成の国の重要文化財指定の建物だけ有りその風格は素晴しい物が有ります。
 道後温泉本館は「神の湯・霊の湯」の2つの湯と更衣室(控室)が複数有りそれでグレードが分かれていますが、取りあえず「温泉に入る事」が目的なので一番リーズナブルな神の湯1階に入る事にします。温泉はかなり込み合っていますが日本最古の温泉と言う風格は別物で、制限時間の1時間をフルに使いゆっくり入っていました。只「温泉」と言う基準で見ると1パターンしかないと言うにはちょっと物足りない感じがします。複数の湯船が有って楽しめる方が良いのですがそれは「伝統の温泉」と言う事で仕方ないのかもしれません。

   
左:[21]道後温泉駅から道後温泉に続く商店街  右:[22]入浴客が集まる道後温泉の玄関
   
左:[23]道後温泉と「道後ビール」を扱う 道後麦酒館   右:[24]道後ビールとじゃこ天・伊予地鶏等のつまみ

 温泉から上がった後は「2006年最後の食事」と言う事になりますが、前調べが不十分で食事をする店を決めていなかったので色々と迷っていたのですが、「湯上りはビールだろう」と言う固定観念もあり道後温泉脇の「道後麦酒館」で食事をすることにしました。
 道後麦酒館は今何処でも流行の「地ビール」の店で此処の麦酒が賞を取ったらしくビールはなかなか美味しい味でした。この近くに泊まるのならいざ知らず宿が大街道で遠いのでビール2杯位に控えてつまみにジャコ天や伊予地鶏の料理を食べて楽しむ事にします。やはり旅行に出たら「電車乗り廻り」も良いですが温泉や名物名品が有る所では湯やグルメを楽しむのも一興です。今回道後温泉と地物のグルメを楽しめたのは「1年間の骨休め」として大きなプラスだったと思います。

 * * * * * * * * * * * * * * *

 「 (2)「市内への機能的な集客手段」伊予鉄道松山郊外線訪問記  へ続く 」

 「 地方民間鉄道の優等生が地域交通を活性化させるのか?  トップページへ戻る 」





このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください