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「水の上の新都心」の新線は京阪電鉄を変えるのか?

- 開 業 日 の 京 阪 中 之 島 線 訪 問 記 -


TAKA  2008年10月26日


都心を貫く京阪の新線中之島線の象徴?新型車両の3000系快速急行


 ☆ ま え が き

 大昔から「都の海への玄関」として重要な場所で有った大阪ですが、太閤秀吉による大阪城築城から本核的な街造りが始まり、江戸時代には「天下の台所」と言われ、明治時代以降は日本有数の商業都市として成長してきました。
 その大阪の「商業の中心」としての拠点の一つは、江戸時代に西国を中心に日本中の諸藩が蔵屋敷を置き、北前航路などで其処に運び込まれた米を中心とした商品の商いの中心として、「天下の台所」と言われてきた「中之島」で有る事は否定できません。
 その中之島は明治時代東京で大名屋敷が公的施設に変えられたのと同じ様に、市役所・日本銀行・大阪公会堂などの公的施設に加え、大型ホテルや大会社の本社(朝日新聞等)に再整備され、それにより現在でも大阪の都心の一つとして栄えてきました。

 しかしながら中之島は、小型の内航水運が主流だった江戸時代〜明治時代は「物流に取って最高の立地」でしたが、海運が船舶の大型化で大阪湾岸周辺地域の埠頭に中心が移り、大阪の市内交通に対しても東西に細長い島の地形から東西に貫く幹線道路が無くそのため地下鉄が主流になった現代でも東西に貫く地下鉄が無く、島が南北に狭いので南北方向の地下鉄路線の駅も造られず、地下鉄の駅が無くて「大都会の中の田舎」という状況になって居ました。
 その為、近代市内交通に見放された事で、「大阪の中心である本町」と「大阪駅を中心に栄えた梅田」に挟まれて、イマイチパッとしない地域だった中之島地域に、「地域開発の核」としての東西地下鉄道を整備する動きが活発になりました。
 その動きに乗ったのが、明治時代に淀川南岸を走る京阪間の都市間電車として開業し、その後大阪の近郊輸送として輸送力増強を図りながら淀川に沿い天満橋・淀屋橋とターミナルを大阪中心部まで進めてきた京阪電気鉄道です。京阪は大阪近郊輸送の為の複々線が(大阪中心から見て)中途半端な天満橋駅までしか完成せず、天満橋以西の都心区間は実質的に複線で輸送力が中途半端な状況で、その「天満橋止まりの複線分の輸送力」の振り向け先として、「中之島を東西に縦貫する新線」に注目して居ました。

 その「色々な目論見の結果」として、 2001年に認可 され2003年に着工されたのが「京阪中之島線」です。その中之島線が遂に2008年10月19日に開業しました。
 大阪の都心部の祭開発の起爆剤と言う意味で地域全体と大阪財界の期待を集める路線として、同時に京阪電気鉄道の京阪間輸送においても他社との「差別化」の要素と同時に「大阪都心部への重要な足がかり」の路線として、大きな注目を集める「京阪中之島線」の開業当日の状況を、 交通総合フォーラム でお馴染みの和寒様・KAZ様と一緒に見る事が出来ました。
 地域と鉄道会社の期待を一身に受けた鉄道新線の開業当日の状況は、果たしてどんな感じだったのでしょうか?


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 ■ 参考HP・書籍  (HP)・ 京阪電気鉄道HP  ・京阪中之島線HP (1)   (2)  ・ 京阪10月19日ダイヤ改正案内  ・ 京阪中ノ島線 (wikipedia)
                ・レイルマガジン編集長敬白 「 開業を控えた京阪中之島線を見る 」「 中之島線開業で京阪が大イメージチェンジ 」「 中之島線開業前日
                ・ Mulberry Room  レイルストーリー 「見果てぬ夢」
            (書籍)・鉄道ダイヤ情報08年11月号「京阪電車リフレッシュ2008」 ・鉄道ピクトリアル2000年12月臨時増刊号「京阪電気鉄道」

 ■ 今回の訪問ルート ・中之島線:中之島→天満橋→大江橋(和寒様・KAZ様と開業初電試乗)
            ・中之島線:大江橋→中之島→渡辺橋→なにわ橋→天満橋 本線:天満橋→淀屋橋→出町柳→樟葉→京橋

 ※本記事は「 TAKAの交通論の部屋 」「 交通総合フォーラム 」のシェアコンテンツとさせて頂きます。


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 ☆ 開業初日の京阪中之島線駆け足訪問記

 先ずは、10月19日に開業した京阪中ノ之線の開業当日の現地を見てみたいと思います。
 私自身は、今まで「開業した新線」には訪問した事が有りますが、「新線開業初日の初電」には乗った事が有りませんでした。今回和寒様・KAZ様と一緒に、京阪中之島新線の「開業初電」である中之島5:12発普通出町柳行きに乗り中之島線の初乗りを果たす事が出来ました。
 その後一人で、もう一度本線の試乗を兼ねて中之島線の各駅下車訪問を兼ねて廻ってきました。その2回の試乗で見てきた事・開業当日の中之島線の状況を纏めたいと思います。

 ● 開業初日の中之島駅での開業イベント

 先ずは新線開業の初電には付き物の「開業イベント」を見る事が出来ました。
 仕事柄この手のイベントは結構見て居ますが、流石に「新線開業」となると私も始めてでした(知り合いは副都心線の開業セレモニーに関係したそうだが、実際の所そうは居ないだろう)。京阪中之島線に関しては、来賓を多数呼んでの開業記念式典は開業前日の18日に行われたとの事なので、19日の初電時には比較的簡素な開業セレモニーのみの様でした。

 
左:中之島駅での開業式状況 右:開業式セレモニー中の風景

 開業式典は「京阪電鉄社長の挨拶・沿線企業から乗務員への花束贈呈・安全のキーの贈呈・テープカット及び出発」と、規模は簡素な物の一通りのセレモニーは押えて居ます。しかしセレモニーを見ている人のかなりの部分は写真にも写って居るようにスーツ姿の会社関係者で、(会場の広さ等も有るのでしょうが)かなりの一般人が始発電車の車内に入ってしまい目立たなくなってしまい、チョット賑やかさに欠けた感じがしました。
 しかし京阪社長の挨拶の内容や花束贈呈で沿線企業の女子社員が出てきて花束を贈呈するなど、この新線に対する京阪電鉄・沿線企業の期待の大きさが式典の端々に見れました。
 今までは比較的「地味」な印象が強かった京阪電気鉄道ですが、この新線開業を機に 中之島地区での都市再開発 にも乗りだす予定との事です。このセレモニーが「京阪電気鉄道の企業としてのもう一段の飛躍」の始まりで有るとするならば、力が入るのも分かります。


 ● 中之島新線各駅の状況(その1)−中之島駅−

 さてその京阪中之島線ですが、先ずは終点となる中之島駅から各駅の様子を見て行く事にしましょう。
 中之島駅は、地図の上では「中之島の外れ」という場所に位置して居ますが、大阪を代表するホテルであるリーガロイヤルホテルと大阪国際会議場の目の前に駅が造られており、今まで大阪でも国際的に代表する施設でありながら最寄駅から徒歩10分近くという不便な立地も、「どん詰まりの新線」では有る物の多少は改善される事になるでしょう。
 しかもこの地域は、 阪大病院跡地再開発 や京阪電気鉄道も参加した 中之島4丁目北地区区画整理・再開発 等の新規再開発が目白押しとなっています。これらの開発も「中之島新線」を見込んでの開発です。これらの開発が進めば、中之島駅周辺地区のポテンシャルは多いに上がるでしょう。そう言う意味でも中之島線の期待は大きいのかも知れません。
 しかしながら、確かに中之島新線と中之島駅が地域開発の原動力となって居る事は間違い有りません。しかし欠点はやはり「どん詰まり」になって居る事です。地下鉄駅との連絡が少ない事とどん詰まりで有る事は京阪中之島線の「ネットワーク性」という点ではマイナスです。なるべく早く中之島線の延伸についても考えるべきかも知れません。

 
左:大阪国際会議場・リーガロイヤルホテル隣接の中之島駅(右のマンションは阪大病院跡地再開発) 右:トンネル壁にカナダ産木材を使用した中之島駅
 
左:終点側突端にはシールドマシンのカッターがモニュメントに 右:京阪のターミナル特有の「切り欠きホーム」が有る中之島駅

 中之島駅自体の施設は、リーガロイヤルホテル・大阪国際会議場と堂島川に挟まれた片側1車線ずつの道路の下に造られています。道路幅員が決して広くない道路下でのターミナル建設という点では京阪の淀屋橋駅と同じ状況と言えます。そういう事もあり中之島駅は大きく長い島式ホームの突端部を切り欠きにして1面3線のホームを構築してターミナルにしています。ここは新線の割りには「苦労している」とは感じました。
 此れは各駅にいえる事ですが、地下駅ですが素材に木材を多用しています。木材はそのままでは可燃性の素材ですから特殊加工等のコストを考えると、難燃性を求められる地下駅で多用される例は他では殆ど見た事が有りません。そう言う点では中之島線の各駅のデザインの特徴としては「木材を多用している」事は言えると思います。


 ● 中之島新線各駅の状況(その2)−渡辺橋駅−

 中之島駅の隣は渡辺橋駅になります。中之島線は丁度南北道路との交点に駅が作られて居るので、南北道路の堂島川の橋にちなんだ駅名が付けられています。
 渡辺橋駅は丁度四ツ橋筋との交点に設けられており、四ツ橋筋を走る大阪市交四つ橋線との乗換駅に指定されて居ます。中之島線は四ツ橋筋で四つ橋線・御堂筋で御堂筋線・堺筋で堺筋線と交差しており其々渡辺橋⇔肥後橋・大江橋⇔淀屋橋・なにわ橋⇔北浜の各駅が徒歩5分程度の位置にあり、普通なら乗換駅に指定される関係にあります。
 しかしながら、川に阻まれて居る為に一度地上に出ての乗換となるので、乗換駅とは明示されずにいます。しかし渡辺橋⇔肥後橋の間だけは地下道で結ばれていて地下連絡で乗換が出来るようになって居り、その為結果として中之島線で渡辺橋のみが他社線との連絡駅となっています。

 
左:四つ橋線との乗換駅に指定の渡辺橋駅 右:四つ橋線との乗換通路に駅ナカ店舗が置かれて居る

 渡辺橋駅には、四つ橋線肥後橋駅との連絡通路に「MINAMO」と名づけられた駅ナカ店舗が置かれて居ます。渡辺橋駅自体は近くに朝日新聞本社・関西電力本社・三井と住友の大型ビル等のビジネス街に加え、フェスティバルホール等の文化施設が並び中之島の中心街の一つで多くの乗降が見込まれることから、駅ナカ店舗が造られたのだと思います。
 只京阪的には、今まで四ツ橋線とは接続して居なかったので地下街で連絡しているから渡辺橋を乗換駅に指定したのであり「堺筋線・御堂筋線に乗換るのなら本線を使って!」という事で本線と中之島線の一定の住み分けを考えて居るのかも知れません。しかし「渡辺橋駅利用の場合加算運賃が掛かる事」「四つ橋線で行く所の大部分は御堂筋線でカバー出来る」事から考えると、どれだけの乗換客が有るのか?は疑問と言わざる得ません。


 ● 中之島新線各駅の状況(その3)−大江橋駅−

 渡辺橋駅の隣は大江橋駅になります。大江橋駅は御堂筋の大江橋の脇に有り、大阪市役所・日本銀行大阪支店に隣接していて「大阪の中心」と言っても過言ではない所に有ります。
 京阪本線と中之島線はほぼ平行路線であり、徒歩数分で乗換が可能なことも有り、其々駅が近い大江橋⇔淀屋橋となにわ橋⇔北浜は、定期券であればどちらの駅も選択して乗降が可能になっています。加えて「中之島駅・渡辺橋駅⇔大江橋駅以東を乗車する場合・中之島駅⇔渡辺橋駅間乗車の場合普通運賃60円の加算運賃が適用」されるのに対して、大江橋・なにわ橋の両駅の場合、加算運賃は適用除外になっています。そのことから「純粋な新線としての渡辺橋・中之島」の存在と「京阪本線の線増としての大江橋・なにわ橋」の存在があり、一つの路線に二つの意味が有る事になります。

 
左:壁には石が使われ特徴的に装飾されて居る 右:今流行りの吹抜けコンコースが有る大江橋駅

 大江橋駅のコンコースは「吹抜け」と呼ぶに近い5mの天井高を誇り、開放感の高い空間となっています。又各駅共通で木の部材を多用して居ますが、このコンコース部分では巨大な光壁や天井のトップライトを活用した明り取りなどを上手く使い、明るい空間を演出しています。大江橋駅のデザインも「大阪の中心の駅」として素晴らしい物であり、又各駅に言える事ですが、デザイン的には「(良きに付け悪しきに付け)現代的なデザイン感覚が使われて居る」とは感じました。そういう点でも京阪が力を入れた事は良く分かります。
 又大江橋駅の中にも「駅ナカ店舗」が設置されてはいます。しかし乗換通路を利用した渡辺橋駅に比べると規模は小さく、コンビニ・本屋・ファーストフードの3店舗に銀行ATMが有るだけで、大阪中心地の駅としては少々寂しい感じがします。スペース的な制約等が有ったのでしょうか?

 
左:大江橋駅にも駅ナカ店舗が有る 右:駅を出れば日銀・市役所の他に梅田南側の北新地ビジネス街が間近に有る

 大江橋駅のもう一つの特徴は、訪問時にKAZ様からご教示を頂いた話なのですが、大阪のビジネス街「キタ」と言われる梅田・北新地地区との近さです。私自身はそんなに認識して居なかったのですが、試しに初電乗車後の2回目の乗車時に梅田の(線路の北側の)ホテルから大江橋駅まで歩いて見ました。その時に所用時間を計ったのですが「阪神梅田駅前〜(6分)〜国道2号線梅田新道交差点〜(6分)〜中之島線大江橋駅」でした。
 何処までを「梅田」と言うかは難しい所でしょうが、少なくとも大阪駅南口から国道2号線の間のビジネスビル群までは大江橋駅から10分掛からずに付く事が出来ます。という事は「川の南側」なので「梅田」とはストレートに言えないにしても、限りなく「梅田に近い所」に大江橋駅が位置していて、梅田地区への通勤等にも使える事を意味します。
 今までの淀屋橋駅では、梅田は「御堂筋線で一駅」という距離であり、同時に「京橋で大阪環状線に乗り替えて大阪駅経由で行く所」という感じで、京阪線から直接アクセス出来ない所というイメージが強かったと言えます。その様な事が有ったのでしょう。京阪は戦前に真剣に 梅田乗り入れを画策 し、鉄道省から大阪環状線の線路付け替え跡地や梅田ターミナル用地を入手するなど真剣に努力していたのは周知の事実です。
 それが、中之島線大江橋駅の実現で、ほんの少し「昔の見果てぬ夢」の実現に近づいた事になります。大阪の中でも「中之島」も大きなビジネス街ですが、「梅田・北新地」も大きなビジネス街で沢山の交通需要が有る事は間違い有りません。此れを如何に取りこむかが京阪中之島線の取り重要なのかも知れません。


 ● 中之島新線各駅の状況(その4)−なにわ橋駅−

 そして大江橋駅の隣の駅がなにわ橋駅になります。
 この駅は既に島の狭くなっている中之島の東端に立地していて、島の中には「大阪公会堂」や「中之島公園」しかなく、公共施設の中に駅がある感じになります。その為通勤利用などの駅利用者の大部分は、島の外から川を渡ってくる形になるのでは?と考えられます。又そのような環境から、中之島線新規開業の4駅の中で一番利用客が減るのでは?と私は感じます。

 
左:レンガ調テラコッタ壁面が特徴のなにわ橋駅 右:巨大吹抜けが特徴のなにわ橋駅B1Fには「 アートエリアB1 」が有る(奥のガラスの所)

 この駅の特徴は、出入り口のデザインに関して有名な建築家である安藤忠雄氏がデザインを担当していることです。この頃は鉄道駅でもJR東日本竜王駅や新都心線渋谷駅など安藤忠雄氏がデザインする駅がちょっとしたブームと言える状況ですが、安藤忠雄氏は大阪出身ということもあり「大阪府政策アドバイザー・水都大阪2009総合アドバイザー」も勤めています。京阪電気鉄道自体中之島線に関しては、デザイン的にはかなり力を入れていることは明らかであり、そのような流れの中での安藤忠雄氏の起用となったのでしょう。ただこれが新線の宣伝という点に関してはプラスになることは間違いないと思います。  それともうひとつの特徴は、駅コンコースの上B1Fに、ライブもできる多目的スペース「アートエリアB1」を作ったことです。なにわ橋駅周辺には文化施設が多いことから駅ナカにもこの様な文化系多目的施設を作ったと思います。開業当日は(鉄道界では有名な?)ミュージシャンの向谷実氏ライブが予定されていて、見学する時間は無かった物の、リハーサルの音楽が下のコンコースまで流れ込んできていました。今まで「駅でのコンサート」という例は有りますが、「駅ナカに予め多目的ホールを用意しておく」という例はそんなに無いと思います。京阪電気鉄道は大阪大学と組んで昨年は実験的に「中之島コミュニケーションカフェ」を行ったり、この地域での文化的な情報発信を積極的に考えているようです。その表れがなにわ橋駅の「アートエリアB1」なのかもしれません。


 ● 中之島新線各駅の状況(その5)−天満橋駅−

 なにわ橋駅の隣は天満橋駅になり、此処で今までの京阪本線と合流します。その為天満橋駅では中之島新線の建設工事に加えて既存線の配線変更工事も合わせて行われています。
 元々天満橋駅は京阪本線の淀屋橋延伸の前は京阪の大阪のターミナルが置かれていた駅です。その天満橋駅の上には松坂屋百貨店がテナントとして入っていましたが、2004年の撤退後京阪シティモールとして再整備され、昔の京阪天満橋ターミナル跡地に立てられたOMMビルと合わせて地域の核となっています。
 しかしながらターミナルの立地として天満橋を見ると、近鉄の上本町ターミナルと同じで「大阪の外れ」に有るターミナルであることは間違い有りません。実際天満橋も上本町も「総合的なターミナルとして機能しているか?」と言えば疑問なところであるのは間違いありません。その為、京阪は有利なターミナルを求めて各種画策を続け淀屋橋延伸・今回の中之島線開業を迎えた訳で、駅ターミナルとして考えると「天満橋が不合格だったからこそ今の中之島線が有る」とも言えるかもしれません。
 まあ此処から先は妄想込みの「希望的観測」になりますが、今大阪府庁舎の移転問題で大阪府庁舎を南港のWTCに移転させる事を府知事は考えています。もし移転が成立したときには天満橋の南側に広大な再開発用地が出現し天満橋地区の開発の大きな起爆剤になる可能性があるち同時に、もし(構想通り)京阪中之島線が大阪港方面に延伸した場合京阪中之島線は「大阪府庁舎と元の官庁街を結ぶ路線」として重要性を増す可能性があります。

 
左:天満橋駅は既存ホームを活用 右:天満橋駅東口コンコースは普通だが・・・
 
左:東側コンコースは水上バス乗り場直結 右:新線建設・水上バス乗り場と護岸整備を行った天満橋駅は「 水都大阪のゲートステーション構築 」の象徴?

 天満橋駅で特筆すべきは「水上バス乗り場との一体整備」です。京阪中之島線建設に伴い大川の護岸部で工事をした事もあり護岸復旧・整備が行われていますが、それに合わせて2008年に開設された八軒家浜船着場と京阪シティモールMB1階「パナンテ京阪天満橋」部分と京阪天満橋駅西改札口が一体的に整備され、それが「水都大阪のゲートステーション構築」という点で、日本鉄道賞「 駅・まち・水辺の一体計画賞 」を受賞する大きな要因となっています。
 確かに鉄道・駅ビルが京阪電気鉄道の物であるのに加えて、運行されている水上バス「 大阪水上バス 」も京阪グループであり、この整備は「京阪グループとして一体のターミナルを構築する」という側面も強かったのかもしれません。しかし観光的には大阪は「水都」であると認識されているのに加えて、大阪城〜中之島〜天保山と大川周辺には観光地も目白押しで、いろいろな可能性を秘めていると言えます。そういう点からも天満橋だけでなく京阪の大阪市内での事業展開について、将来に渡り色々な事を検討するに際して良い布石が打てたのかな?とは傍目から第三者的に見ると感じます。


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 ☆ 今まで「都心進出・輸送力増強」に喘いできた京阪の「悲願の集大成」が中之島線か?

 さて、今回中之島線開業により大阪の中心中之島への進出を果たした京阪電気鉄道ですが、創業以来102年(開業以来98年 ※阪急への統合に依る分断は考えないで)になる京阪電気鉄道の歴史は、其処に居たるまでは長く苦しい「大阪進出の権益確保と輸送力増強の設備投資」の歴史だったと言えます。
 京阪電気鉄道は明治39年創業・明治43年開業の歴史の古い鉄道会社ですが、軌道法特許に基いて京阪間の路線を建設した為、阪神などと同じく路面電車的な低い規格で建設された為、昔は「京阪カーブ式会社」と言われるほどの路線状況でした。今でも京阪の路線にはカーブが多く線形が良く無い所が多数有る事からも、その状況は良く分かります。
 その様な生まれの京阪電気鉄道ですが、その京阪の歴史は「大阪ターミナル立地改善」「路線規格改善と輸送力増強」の歴史で有ると言えます。

 
左:特に梅田方面を意識し大阪環状線との乗換拠点として整備された京橋駅 右:「悲願の都心乗入」として1963年開業の淀屋橋ターミナル

 京阪電気鉄道に取り「大阪でより良いターミナルを確保する」事は創業当時からの「悲願」とも言える事柄です。明治43年に天満橋〜京都五条間で開業した京阪電気鉄道ですが、当初は高麗橋起点で免許申請をして居り路線計画が競合した大阪市との駆け引きの結果高麗橋〜天満橋間を断念して、天満橋起点で路線開業を果たします。
 その後も昭和初期には、新京阪電鉄のターミナルを兼ねて野江から国鉄城東線高架後の旧線用地を活用しての梅田乗入線( 京阪梅田線 )建設によるターミナル改善を画策しますが、これも色々なドタバタの挙句昭和恐慌にぶつかり最終的には京橋駅設置に依る大阪環状線経由乗換ルート構築により梅田乗り入れを断念する事となり、京阪が梅田駅建設の為に仕入れた土地も京阪本線防衛の為に造られた新京阪線も阪急の手に渡り、結局多額の投資が京阪の手元に残らず戦後を向かえます。
 戦後陸上交通事業調整法により統合した阪急から分離して元の鞘に収まった京阪電鉄は、梅田進出は諦めた物の都心進出に関しては諦めて居らず、何回も色々な免許を出した挙句昭和34年にやっと一番素直なルートで免許申請した天満橋〜淀屋橋間の延伸が免許され、昭和38年に天満橋〜淀屋橋間が開業して、一応「悲願の大阪都心部進出」を果たします。しかし天満橋〜淀屋橋間は複線で、輸送力の面で課題・宿題を残しながら現在をむかえます。

 
左:戦前の1933年開業の民鉄最古の複々線 右:守口市〜萱島間複々線は1980年開業と戦後に改めて整備

 もう一つの京阪の努力の象徴は「複々線」です。現在天満橋〜寝屋川信号所間125kmの複々線は、東武鉄道の北千住〜北越谷間に続く大手民鉄第二位の長さを誇る複々線です。しかしこの複々線は1933年⇒野江〜守口間・1970年天満橋〜野江間・1980年守口市〜寝屋川信号所間と3段階に分けて構築されています。
 特に第一期の野江〜守口間は今見ても一直線の複々線で「何処がカーブ式会社の複々線なのか?」と思う程素晴らしい線形の複々線が続いています。この区間に関しては複々線構築と同時に線形改良も合わせて行われており、この複々線への京阪の意気込みが良く分かります。この複々線は野江で京阪梅田線に接続し梅田乗り入れにより都心部の経路を確保しようとしました。しかし京阪梅田線だけが霧散してしまい、途中区間の野江〜守口間の複々線だけが残る事になります。
 戦後に関しては、戦争期間中の荒廃・戦災復旧後の京阪の最大の課題は淀屋橋延長線のよる都心乗り入れであり、それが実現した後ボトルネックとなって居た京橋駅を挟む野江〜天満橋間の複々線を1970年に完成させ、大阪環状線への乗換拠点で有る京橋駅の改良工事と大阪環状線の内側の天満橋までの複々線化を完成させると同時に、大阪郊外部への複々線延伸により今の路線形態を完成させます。しかし増強した輸送力も複々線が大阪都心の入口の天満橋で停まり、大量の輸送力を大阪都心部まで送り込む事に関して課題を残す事になります。

 「複線の中途半端な淀屋橋ターミナル」「自慢の複々線の輸送力が大阪都心の外れの天満橋で終わる」という、京阪が長年抱えてきた中途半端な状況を決定的に改善したのが今回の中之島線開業といえます。そう言う意味では京阪に取り中之島線開業は「戦前から抱えてきた積年の課題」に対しての一定の回答という事になります。
 京阪がかなり昔から「中之島新線」について社内で検討して来た事は間違い有りません。只『設備投資額を減価償却費の範囲内に圧縮』『建設費が1500億円、輸送人員増が6〜7万人ということになり鴨東線の500億円、4万4千人増と比べて分かるようになかなか採算ラインに乗らない』という問題の中で、『既存の鉄道整備のための制度では自力で建設するのは難しいのでは無いかという悲観論に傾いた』(『』内は、鉄道ピクトリアル2000年12月臨時増刊号「京阪電気鉄道の輸送を語る」より引用。)状況の中で、「地下鉄並み補助の適用・償還型上下分離の採用」で予算的に建設が現実味を帯びてきて、やっと悲願の中之島線建設に漕ぎ着ける事が出来たと言えます。
 有る意味京阪電気鉄道は「最後でやっとラッキーカードを引けた」という事が出来るかもしれません。中ノ島新線建設に際して当初1500億円の自己負担を覚悟していた建設費が、「地下鉄並み補助の適用・償還型上下分離の採用」で、補助対象事業費1444億円*(資本金10%+自己調達資金26.8%)≒531億円+補助対象外事業費59億円*(資本金10%+自己調達資金80%)≒53億円=584億円で建設出来るようになり、しかもその内約434億円は使用開始後の使用料としての支払いでOKという恵まれた条件にて建設出来るようになりました。此れにより鴨東線とほぼ同じ投資額で、鴨東線よりはるかに多い乗客増をもたらす投資が出来るのです。有る意味文句無しです。今まで多くの投資がふいになり、それでも多額の投資を行い都心乗入れ・複々線による輸送続増強を行ってきた京阪電気鉄道に、やっと「女神が微笑んで中之島線が出来た」と言っても過言では無いと思います。
 その様な歴史的経緯を考えると、やはり京阪電気鉄道に取っては中之島線は「悲願の集大成」といえる路線でしょう。そうみれば京阪電気鉄道が「何故あれだけ中之島線に力を入れるのか?」という事の潜在意識が分かる様な気がしてきました。


 ☆ 中之島線の「水の上の新都心」乗り入れは京阪に何をもたらすのか?

 さてその様に中之島線開業で「悲願・夢を成就した」京阪電気鉄道ですが、果たして悲願の成就は何をもたらしたのでしょうか?
 少なくとも京阪電気鉄道は、150億円の中之島高速鉄道への出資金と434億円+αの使用料で、天満橋〜淀屋橋間(実際は大江橋)間の実質的複々線化と中之島線大江橋〜中之島間の中之島西部地域をその駅勢圏に収め、しかも北新地の南側を中心とする梅田南側に関しても京阪の駅勢圏を拡張し、間接的にですが悲願の梅田進出を少しだけですが果たすことが出来ました。
 それにより、京阪の都心部の駅勢圏は北側に大きく膨らむ事になります。本来の天満橋〜淀屋橋間の複々線化であれば広がらなかった駅勢圏が、中之島の北側を走る中之島線建設により北側に駅勢圏が広がり、中之島まで延伸した事でも西に駅勢圏が大きく広がり、大川の周辺のビジネス街の大部分が京阪駅勢圏に入りました。

 
左:大阪環状線乗換ターミナルの京橋で多数下車が今の現実 右:京橋降車客を如何に「水上の新都心」へ運べるかが中之島新線・中之島再開発に重要?

 その結果として、京阪では直接的な効果として『 1日に約7万2000人の乗降客と年間約32億円の運賃収入を見込んでいる 』(『』内は10月18日産経新聞より引用)との事です。この数字が現実であれば、京阪は鴨東線の500億円の投資に+αしただけで鴨東線より大きな効果を得る事になります。
 それに完全に憶測での計算ですが、「30年で償還」の前提で京阪の使用料が決められて居るとして434億円÷40年≒10.85億円/年で償還出来ます。これに金利と中之島高速鉄道の経費を加えて20%UPとしても、10.85億円*120%=13.02億円/年になります。この金額を考えると中之島線は予想通りの収入増を確保できれば、新線としてみれば収支的にはかなり楽になるでしょう。
 しかしその予定達成の為に必要なのは、如何にして中之島線に乗客を引き込むか?です。今京阪の大阪口では「約半数の乗客が京橋で下車して大阪環状線に乗り換える」と言われます。その京橋での大阪環状線乗換客のかなりの割合が大阪駅方面に向かって居ると予想されます。今の京阪の大阪口の輸送状況は京橋乗降(193,974人/日)が半分・残り半分を天満橋(58,712人/日)・北浜(38,549人/日)・淀屋橋(126,320人/日)乗降で分け合って居る形です。この内一部の客は中之島線に転移する事は間違い有りません。しかし運賃制度上の理由(淀屋橋⇔大江橋・北浜⇔なにわ橋間はどちらで乗降しても運賃が変わらない)により、京阪が増収を図るには(1)中之島線効果での他社線からの流入による乗客の純増・(2)淀屋橋乗降客の一部が渡辺橋・中之島駅に転移する事(60円の加算運賃分増収)・(3)京橋から「大阪環状線で大阪駅orJR東西線で北新地駅」へ出て居た客が中之島線へ転移する事が必要になります。
 この中で一番有望なのは、北新地という有望市場を抱えて絶対数が多いと予想される(3)になります。確かに「補助により低コストで建設できた」にしても、鉄道事業ですから運賃収入でコスト以上の純増を達成しなければ建設の意味は有りません。それを達成する事は集客を増やす事になりますから、結果的に大きな波及効果を京阪電気鉄道にもたらす事になります。先ず中之島線は上記の(1)〜(3)の客を確実に取りこんで乗客増・増収を図り中之島線の経営を軌道に乗せなければなりません。

 
左:中之島地域全体では色々な開発が有る 右:シールドマシンのカッターのモニュメントは中之島線延伸への「決意の表れ」か?

 その様に中之島線が軌道に乗り、中之島に多数の乗客を運んで来て賑う様になれば、中之島線は京阪電気鉄道に大きな果実をもたらす物になります。それは中之島線沿線地域での再開発実施による各種不動産収益です。
 近年中之島地区は「都市再生緊急整備地域」に指定されており、その指定及び中之島線建設が引き金になり特に土地に余裕の有る中之島西部地区では 多くの再開発事業が計画・実施 されています。(参考資料: 中之島都市開発ナウ )又その都市再開発の波は中之島の中を越え中之島駅北側の阪大病院跡地再開発( 水都・OSAKAαプロジェクト )が行われるなど、中之島周辺地域にまでその再開発の波は広がりつつあります。
 その中之島線開業に伴う、再開発等による経済効果は有る試算に寄れば 『周辺の美術館や会議場などへの来場客が増加・日中人口が現在の約8万6000人から10年後には約11万人に増加・消費需要も増えて3606億円の波及効果が出る』『大阪府中心部と比べても地価の上昇が著しく、マンションやビル建設など同地区での再開発事業への建設投資を含めると、効果額は約1兆2500億円』 』(『』内は10月18日産経新聞より引用)との事で、中之島線開業に伴い非常に大きな経済効果がもたらされる可能性が有るとの試算が出て居ます。
 又京阪もこの経済効果の「一端を頂こう」と積極的に不動産開発に動いています。上記の阪大病院跡地開発の「水都・OSAKAαプロジェクト」の高層マンション販売では京阪不動産が噛んで居ますし、中之島駅近くでは大林組と組んで「 中之島4丁目地区「京阪・大林 中之島共同開発」計画 」を行い、同時に 「ORIX堂島ビル」の取得 をするなど、京阪の次期中期経営計画「 ATTACK 2011 」で「エリア戦略の最重点エリアは中之島・くずは・京都」と示して居る通り、京阪電気鉄道では着実に「中之島線開業後」の中之島での事業展開を進めています。

 これが、中之島線開業により京阪にもたらされた最大の成果では無いでしょうか?中ノ島線開業とそれによる不動産開発で、京阪は京橋(京阪モール・ ホテル京阪京橋京阪京橋片町口ビル (京橋花月))・天満橋(OMMビル・京阪シティモール・ホテル京阪天満橋)・渡辺橋(京阪堂島ビル)・中之島(中之島4丁目地区「京阪・大林 中之島共同開発」)で、大阪の都心中の島地区でグループトータルで収益を上げる事が出来る体制を築く事が出来ます。これが中之島線が京阪にもたらした最大の成果であり、チャンスで有ると言えます。
 又この成果は、将来的には拡大する事が出来るチャンスが有ります。それは京阪中之島線の延伸計画です。現在は中之島でどん詰まりになって居る中之島線ですが、将来構想として「中之島 - 新桜島間7.3kmの延伸構想」が有ります。この路線に関しては京阪電気鉄道は「 京阪単独で出来る事業でもない 」としながらも「 行く、行かないよりも、府と市がまず、明確な構想を打ち出してほしい。その中でどこに延伸すべきか研究する 」と言う様に、中之島線の様な民鉄有利な補助スキームが適用されるのならば、延伸も考える腹づもりでは居るようです。実際この延伸先には USJ が有り此処には京阪が「 ホテル京阪ユニバーサルシティホテル京阪ユニバーサルタワー 」が有り、「京阪に全く縁もゆかりも無い土地」では有りません。
 この延伸が実現すれば、西九条で阪神線・JR大阪環状線と接続する事で中之島線の「どん詰まり」が解消されると同時に大阪湾岸地区の開発の弾みとなる可能性を秘めて居ますし、その先WTCまでの延伸が達成すればWTCには大阪府庁舎の移転構想も有ります。此処まで見ると建設コストの問題も有りますが、大阪府・大阪市にしても京阪にしても効果次第では延伸が費用対効果としてプラスの場合が出てくるかもしれません。其処まで来ると中之島線は京阪に取り「将来への大きな可能性をもたらした」とも言えるかも知れません。


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 ☆ あ と が き に 代 え て

 今回の中之島線開業は、京阪電気鉄道に取っては「社運を賭けた一大事業」で有る事は間違い有りません。
 実際京阪は上述のように巨額の鉄道事業・不動産事業投資を行って居ますし、企業のCIの分野でも今回の新線開業に合わせて「 会社の新シンボルマーク制定 」や「 電車の新カラーリング採用 」などの、会社の新CI制定等のイメージ戦略も同時に行われるなど、鉄道事業・不動産事業だけ出なく会社一体で「新しい京阪」を造ろうと努めて居るとは感じました。
 只同時に「地下鉄並み補助の適用・償還型上下分離の採用」により、事業的には京阪は かなり低いリスクで中之島線を建設 し、企業として大きなビジネスチャンスを手に入れた事は間違い有りません。其処については「 色々な意見 」が有るのは又事実です。
 私自身、現地を訪れる前はどん詰まりのこの路線が「本当に必要なのか?」と思って居ました。只現地を訪問して見ると確かに「中之島西部地区の開発にはアクセス改善の為にこの路線が必要で有る」と言うのは分かります。ましてや建設費1500億円を大きく上回る経済効果が期待出来るのですから、税金を投入しての新線建設も「一理は有るな」と考え方は変えました。しかしチョット「京阪の負担が少なすぎたのでは?」とは感じます。私自身は中之島線の補助スキームは「金利は補助する」条件つきで、今の補助金投入比率の半分〜3分の2程度で良かったのでは?とも感じます。そういう意味では「過保護な事業だったのでは?」とは率直に感じています。

 新線建設事業は、多数の関係者が長い時間を掛けて検討し計画し建設する一大事業です。実際京阪社内では平成20年に開業した中之島線に関して「 昭和50年代に本社の中で検討が始まり、平成元年5月の運輸政策審議会の10号答申で計画がオーソライズされ、10号答申が出された後の平成3年に「中之島新線対策委員会」が発足して体制づくりが行われた 」との事ですから、やはり20年〜25年という長いスパンで計画が検討されてきた事は間違い有りません。
 その中で京阪電気鉄道は「自社で事業費を賄うのは不可能」と考えた上で「特定都市鉄道整備積立金制度」の適用も検討したが採算性が厳しく、結局運政審19号答申で出てきた「償還型上下分離」を導入して「第三セクターで公営並みの地下鉄補助を受ける」形で新線建設を行う事になりました。
 確かに「運輸収入増収が年間約32億円」の路線を1500億円掛けて建設したのでは、民間事業者としてはペイしないと思います。しかし関連の不動産事業等での波及の効果等を総合的に考えれば、「150億円の出資金+13.02億円/年で40年間での使用料での償還」でこの新線が手には居るのであれば、京阪はかなり「得をしたな」と思われても仕方無いと思います。
 巨額の税金が投入されて建設される新線で、その運営は出資者の一翼を担う民間事業者に任されるのですから、鉄道事業収入単体だけ出なく総合的な収支を勘案しながら「官と民の公平な負担比率」を決める事が、民営事業者に迂回的な補助を加えて事業を行うに当り必要な事では無いでしょうか?
 現地で中之島線の有望さを目の当たりにすると、中之島線が示したプロジェクトとしての将来への課題は其処に有るのでは?と感じました。



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