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阿部 脩
V-1 2016.6
目次
内容
私は高校生の時代から、世界の鉄道のキップに興味を持って、その収集を始めました。
最初は1枚、2枚がめずらしく、毎日のようにそれらを飽きず眺めていました。
大学生のときに、イギリスに鉄道のキップを収集する同好者のクラブがあることを知って、そこに入会しました。
そこでは、外国の鉄道のキップを毎月いろいろな種類のものを、分野ごとに販売するサークルがあり、そこで、たくさんの世界の鉄道のキップを入手しました。
私は会社に入って、初めてアメリカに出張した時に、最初の訪問地がロサンゼルスでした。そこの町なかの小さな博物館で昔のロサンゼルスには、あらゆる通りに路面電車が走っている写真と地図を見てびっくりしました。
その後、Pacific Electricのことを知り、またGMなど3社がアメリカ中の路面電車を計画的に買収してつぶして、自家用自動車を普及させたことを知りました。
ここにアメリカの遺物ともなった古い路面電車のキップを紹介します。
阿部 脩
アメリカの都市交通は、馬車トラムから始まり、その後蒸気トラムが一時期あり、同時にケーブルカーが各地でかなり流行した。その後、電気トラムが本格流行の時代を迎えて、1917年ごろの最盛期には、全米で路面電車の会社数は940社、車両総数8万両、総延長7万kmにも及んだ。
馬車トラム
都市名 | 開業年 |
ニューヨーク | 1832年 |
ボストン | 1856年 |
シカゴ | 1859年 |
サンフランシスコ | 1860年 |
ワシントンDC | 1862年 |
デトロイト | 1863年 |
ヒューストン | 1865年 |
アトランタ | 1871年 |
ロサンゼルス | 1874年 |
蒸気トラム
あまり長くは続かなかった。
ケーブルカー
都市名 | 開業期間 |
サンフランシスコ | 1873年〜現在 |
シカゴ | 1882年〜1906年 |
ニューヨーク | 1883年〜1908年 |
セントルイス | 1888年〜1901年 |
フィラデルフィア | 1885年〜1897年 |
ロサンゼルス | 1885年〜1895年 |
シアトル | 1888年〜1940年 |
ワシントンDC | 1890年〜1899年 |
サンディエゴ | 1890年〜1892年 |
電気トラム
リッチモンドにおける電気トラムの成功により、ボストンの本格的な電気トラムの
採用は急速に加速された。
これにより、全米の各都市が次々に電気トラムの採用に踏み切り、またたくうちに
アメリカ全土に電気トラムの全盛時代を迎えることになった。
ちなみに、1917年の全米の電気トラムの運営会社は、なんと940社にもなって、
すべての車両数は8万両にもなり、総延長距離は7万kmにもなったという。
まさに、電気式路面電車が、全米を覆いつくしたのである。
1920年代に、全米の人口40万人以上の、すべての都市に電気式路面電車が
存在したともいわれている。
路面電車の衰退
フォードの自家用自動車の大量の拡販により、1家に自家用車1台の時代の到来。自動車専用道路の急速な建設。大都市での地下鉄の急速な建設ラッシュなどにより、路面電車は急速に衰退していった。
都市名 | トラム廃止 | LRT開業 | 地下鉄開業 | 地下鉄路線数 |
シカゴ | 1953年 | なし | 1943年 | 8 |
ニューヨーク | 1956年 | なし | 1904年 | 27 |
デトロイト | 1956年 | 1987年 | なし |
|
ワシントンDC | 1963年 | なし | 1976年 | 6 |
クリーブランド | 1956年 | 1884年 | 1955年 | 1 |
ロサンゼルス | 1963年 | 1990年 | 1993年 | 2 |
ボルティモア | 1963年 | 1992年 | なし |
|
セントルイス | 1966年 | 1993年 | なし |
|
ダラス | 1956年 | 1996年 | なし |
|
フィラデルフィア | 現存 | なし | 1907年 | 3 |
ボストン | 現存 | なし | 1897年 | 4 |
ニューオーリンズ | 現存 | なし | なし |
|
サンフランシスコ | 現存 | なし | 1897年 | 5 |
クリ−ブランド路面電車
開業 1913年、
グリーンライン:1913年Coventry〜Attleboro 2.6km、ブルーライン:1920年East55th〜Lynnfield
古い路面電車は、Kenosha Electric Railwayが、1903年から1934年まで運行した。1932年にトロリーバスに転換された。
2000年6月開業で観光用路面電車の運行を開始して、成功を博している。3.2km。
Conneticut Co.Hartford Division。略称ConCo。コネティカット州の首都ハートフォード、ニューヘブン、スタンフォードで路面電車、バスを運行していた。
開業:1901年。ThompsonTramway Co.として開業した。1907年にこの名前になり、1936年まで継続。その後1964年まで、NewYork,NewHeaven&Hartford Railrodに吸収された。1948年に運行終了した。
開業 1860年、距離 49.8km、6路線。
運営はサンフランシスコ市営交通局。Municipal Railway of San Franciscoは、略称でMUNI(ミュニ)との愛称で呼ばれる。
1906年のサンフランシスコの大地震のあと、それまであった多くの馬車トラム、ケーブルカー、電気トラムは、
United Railroad of San Fransisco社(URR)(後のMarket Street Railway)に統合された。
1912年にサンフランシスコ市は、Gary通りのケーブルカーに認可を与えず、サンフランシスコ市営の路面電車に切り替えた。サンフランシスコ市営(MUNI)は大規模な路面電車建設計画を進めた。その結果、MUNIとURRの競合は激烈で、マーケット通りには、両社の2本の路線が並行して敷設、運行された。
1949年にやっとMUNIがURRを吸収合併して、MUNIに一本化された。
1887年に馬車トラム開通した。1887年にケーブルカーも開通した。1884年に電気トラムが開通して、各会社が22路線も運行していた。
1898年にSeattle Electric Railway Companyに集約された。1941年に路面電車は廃止された。
1982年に観光用のWaterfront Street Carが運行を開始した。
開業はWisconsin Central鉄道による蒸気トラムで、電気トラムに変更した。1918年にChicago & West Towns鉄道に合流した。シカゴ西部郊外のトラム。本社はイリノイ州Oak Park。
1881年〜1912年:蒸気トラム
1890年〜1891年、1910年〜1911年:馬車トラム
1891年〜1948年:電化トラム。
ある年度からシカゴ市内への乗り入れが禁止されて、苦労した。
馬車トラム1858年〜1861年。1880年代にケーブルカーに取り替えた。このケーブルカーは世界最大の規模であった。1990年代から1906年に電気トラムに変換した。
当時のシカゴの路面電車は、Chicago Surface Linesといい、総延長1800km、車両合計3500両。この路線はイリノイ州のシカゴから、インディアナ州、オハイオ州まで延びていて、1000km先まで路面電車で行けたという。平均時速20kmもあり、現代の郊外電車並みであった。
Sheboygan Light, Power & Railway Company
1886年に馬車トラムがSheboygan City Railwayによって、ウィスコンシン州のシボイガンに発足した。1894年に地域の電力会社により買収されて、上記の会社名になった。1894年にトラムは電化された。
1899年に、路線はシボイガンからKohler,Sheboygan Fallsへ延長された。1904年にPlymouthに延長され、Elkhartに接続された。
1917年に、この会社とほかの2社が合併して、イースタンウィスコン・エレクトリック会社になり、路面電車は順次バスに置き換えられた。1938年に路面電車の運行は終了した。
1910年から1960年まで路面電車を運行した。アメリカの小都市では、珍しく遅くまで路面電車を走らせていた都市である。
運行期間:1859年〜1952年。
Cincinnati Street Railway社が運行開始して、Cincinnati Transit Commissionが廃止した。
また、1920年から1925年に地下鉄の建設を始めたが、資金不足のために中止した。
現在は2016年を目標に新しいLRT路線を建設中とのことである。
1896年にスプリングフィールド市は、Springfield Electric Railway Companyを設立して、市内に路面電車を走らせた。スプリングフィールド↔Charlstown間の6.4kmである。
ワシントン州スポーカン市。1888年〜1936年の間、路面電車を運行した。
最初は馬車トラム。その後蒸気トラム、ケーブルカー、電気トラムなどを運行して、6年後にすべてを電気トラムに変換した。その後いろいろ変更があり、1936年に路面電車を終了した。
1872年にSt.Pole Railway発足。1875年にMineapolis Street Railwayが市と50年間の路面電車の独占契約を締結した。1880年代に両市とも馬車トラムから電気トラムに変換した。
1890年に両市はTwin City Rapid Transit Co.を作って、両市の路面電車を統合した。ピーク時は、全長850km、全車両1021両を誇っていた。1954年に路面電車の運行を終了した。
ミズリー州セントルイス市の路面電車。
1838年に馬車トラムが開通した。その後十数社運行会社が参入し、電化したが、1940年にSt.Luis Public Service Companyに集約された。1946年に路面電車の運行を中止した。
1993年に、メトロリンクというLRTが開通して、ダウンタウンと空港を結び、運行している。73.3km。
1890年Tacoma & Steilacoom Railway Co.が蒸気トラムを開通させた。タコマからSteilacoom間。
馬車トラムが蒸気トラムを置き換えた。1年後に電車に置き換えた。
この電車は、世界最初の郊外電車であり、当時世界で最長の電車路線だった。
ダラストランジットシステムDallas Transit System(DTS)は、1964年から1988年まで、ダラス市が運営する公営の運行会社サービスだった。DTSは様々な個人所有の輸送会社、路面電車の統合により誕生した。DTSは、オーククリフから北ダラスに渡る広範囲で路面電車を運行していた頃、ダラス鉄道&トンネル会社として知られていたが、最後の路面電車の運行が終了した1956年1月に名称がDTSに変更された。DART(Dallas Area Rapid Transit)は1988年に正式にDTSの活動を引き継いだ。
ミネソタ州ダルース市の路面電車
Duluth Street Railwayは1883年に馬車トラムで発足。1890年電化。1883年にDuluth-Superior Traction Companyに吸収された。1935年すべての路面電車の運行を停止した。
開業:1888年。1933年に路面電車を置き換えてトロリーバスに転換して、路面電車は1947年に姿を消した。
1886年に最初の路面電車が運行した。
1900年の年末に、5つの会社が初めて合併して、デトロイトが一つの会社の路面電車にまとまった。
それがDetroit United Railwayである。
それ以前は、Detroit Citizen’s Street Railway,Detroit Fortwayre & Bellisle Railway,Detroit Electric Railway,Detroit Suburban Railwayなどが乱立していた。
1992年にデトロイト市が路面電車に乗り出して、Department of Street Railwaysが運営を引き継いだ。
1953年に路面電車をバスに置き換える決定を出して、1956年に路面電車は全廃された。
1871年に馬車トラムを開業したのがデンバー市街鉄道で、1888年にデンバー・エレクトリック&ケーブルがケーブルカーを運行していて、この2社が、1899年に合併して、デンバー市街鉄道Denver City Tramwayになった。1900年に電車トラムに全体を変換した。全盛時期には総延長250km、車両250両を誇っていた。当時は軌間1067mmで、アメリカでは変わっていた。
1950年に路面電車の運行を停止して、バスに切り替えた。
新しいLRTは1994年に新規開業した。現在Regional Transpotation District(RTD)が運行している。
著者 阿部 脩は1996年にデンバーを訪問して、完成したばかりのLRTに乗車した。
開業 1831年。最初の会社はNew York & Harlem Railroadだった。その後10社以上の会社が入り乱れて、馬車トラム、ケーブルカー、電気トラムと進展していった。
路面電車は1956年に廃止となった。
フィラデルフィア郊外のノリスタウンに走っていた路面電車
ノリスタウンには、2つの路面電車があった。
Reading Transit & Light CompanyとLehigh Valley Transit Companyがあり、1895年に前社が整理されて、後社に吸収されて、Schuylkill Valley Traction Companyとなった。ペンシルバニア州のフィラデルフィア郊外のノリスタウンと、その周辺で路面電車を運行していた。1908年にReading Transit Companyとなって、1951年に路面電車は運行を中止した。
開業 1984年、地下部分は1985年に開通した。
前身はNiagara Frontier Transit Metro System。
Pittsburgh Railwaysは、現在あるPort Authority of Allegheny Countyの前身である。
1895年〜1905年にそれまでたくさんあった路面電車の会社を統合してPittsburgh Railwaysができあがった。
この会社は666台のPCCカーを持つ全米第3位の路面電車王国だった。最盛期の1918年には、99路線、全長975kmもあった。
Port Authority of Allegheny Countyになって、100路線近くあった路線の内、たった3路線(42,44,47路線)のみを残して、現在もLRT化して運行している。
Philadelphia Transportation Companyは、1940年に、Philadelphia Rapid Transit Companyと数社の独立路面電車の会社を合同して設立された。これが1964年に設立されたSEPTA(Southeastern Philadelphia Transportation Authority)のCity Transit Divisionになった。
フィラデルフィア市内。1897年から1946年運転。1946年9月に営業運転停止。14.4km。
その後10年くらい公園内でのみ運転継続し、1955年10月閉鎖した。
1889年馬車トラムJohnstown,Gloversville & Kingsboro Horse Railroadgが運行開始した。1895年にCayadutta Electricに買収された。1892年にBelt Line Railroadを買収してすぐ電化した。
1902年にCayadutta Electric、Amsterdam Street Railroad,Fonda Johnstown & Gloverville鉄道が合併して、この会社の名前になった。
Portland Railway,Light & Power Co.は1906年に、それまでたくさんあった路面電車の会社を、初めて統合して、ポートランド市の路面電車はこの1社で運行することになった。
開業 1901年。のちにボストン地下鉄にリプレースされた。
開業 1856年。
初期の馬車鉄道は路線ごとに異なった会社によって運行が行われたため、運行会社は20社も存在した。会社がたくさんあっては、過当競争になるという弊害もあったため、1887年、州政府の指導のもとでこれらの馬車鉄道は1社に統合され、ウエストエンド市街鉄道が誕生した。
1894年に公的機関であるボストン交通委員会のもと、ボストン市内の鉄道路線を建設・運営する民間会社である、ボストン高架鉄道が設立された。ボストン高架鉄道はウエストエンド市街鉄道を1897年に買収し、ボストンの都市交通をすべて総括する会社となった。
ボストン高架鉄道は、自動車の登場による利用客の停滞や、低運賃政策などが財政を圧迫した。ボストン市は、路線施設とその運営は、1947年、ボストン市とその周辺の化自治体で設立したボストン都市圏交通局に引きつがれることになった。さらに、1964年には権限を都市の交通計画全般に拡大した、それが発展して現在のMBTA(Massachusetts Bay Transportation Authority)になった。
1899年にBaltimore Railway & Electric Co.が路面電車を開業した。1933年に破産した。1935年にBaltimore Transit Companyになり、1963年頃に路面電車の運行を終了した。
1970年にMaryland Transit Administrationに吸収された。
1992年より、LRT運行を開始した。46.4km。
1895年に、それまであった数社の路面電車会社を合同して、Menphis Street Railwayを設立した。
最盛期には、全長123.4km、車両総数310両あった。1947年に運行終了。
その後トロリーバスを運行したが、それも1960年に終了した。現在観光トラム運行中。
Monongahara West Penn.Public Service Co.
ウエストバージニア州のParkersburg,Clarksburg,Fairmontなどで運行していた路面電車。
1945年にCity Line of West Virginiaに売却されて、バスに切り替えられたが、バスも路面電車も1947年に運行廃止された。
バージニア州リッチモンドの路面電車
1860年開業。Richmond Railway。
1887年にリッチモンド市議会がRichmond Union Passenger Rail Companyに路面電車の運行を認可した。
これは、世界初の公共路面電車の認可であった。
1888年に電気トラムになった。1944年にVirginia Transit Companyは、United Transit Companyの傘下になる。1949年に路面電車は廃止されてバスに代えられた。
レキシントン市の交通の歴史。
1882-1890 - Lexington Railway Co.
1890-1905 - Lexington Street Railway Co.
1905-1930 - Kentucky Traction & Terminal Co.
1935-1938 - Lexington Railway System (Middle West Utilities Co.)
1938 -路面電車運航中止
1938-1957 - Lexington Railway System
1957-1972 - Lexington Transit Corp. (American Transit Corp.)
ロサンゼルス鉄道(Yellow Cars, LARy,後に ロサンゼルス・トランジット・ライン)は、1901年から1963年までロサンゼルス中央部とその周辺地域で運転していた路面電車であった。2路線のケーブルカーを除き、1067 mmの軌間であった。 同社は、ロサンゼルスの広範囲を営業エリアとしていたパシフィック電鉄(Red Cars)より多くの乗客を運んだ。 両社は、ホーソン・ブルバードに沿ってメインストリートと4番ストリートにてデュアルゲージ1,435 mm /1,067 mm で軌道を共有していた。
1905年にStockton Electric Railroadの後継として設立された。Stockton〜Lodi間の路面電車の運行を開始した。
1901年にSacramentoまで延長された。ピーク時には一日36本の電車を運行した。
1933年に旅客サービスを終了して、貨物のみの運行となった。
アメリカのライトレールは、1978年にカナダのエドモントンで開業したのに引き続いてカリフォルニア州のサンディエゴ市(1981年開業)で開業した。サンディエゴ市では、低いプラットホームから高床車両へ乗降するために、乗降口にステップを設ける改良を施した。
アメリカのライトレールがドイツのシュタットバーンと異なる点は、多くが全線新規開業の路線であり(廃線跡地の再利用も含む)、また都心部路線は地下線のものが少なく、併用軌道のものが多いことである。またプラットホームはかなり低いタイプの都市が多い。
マサチューセッツ湾交通局(MBTA、ボストン)のグリーンラインやサンフランシスコ市営鉄道のMUNI Metroでは、1980年前後よりBoeing-Vertol社製造のライトレール車両を導入し既存の路面電車路線に対する高規格化を図った。
近年は、アメリカのライトレールには70%低床車両の導入も進みつつある。ポートランドのMAXでは1997年よりシーメンス製を導入している。また大手車両メーカによるブランド化された高速型低床車輛の導入も進みつつある。なお近畿車輛や日本車輌などの日本の鉄道車両製造メーカもアメリカ向けの低床型等のライトレール車両の製造に携わっている。近畿車輛は70%低床車両で大きな北米市場シェアを占め、さらに次々と受注し
ている。
私の手元にある「Passenger Train Journal」1995年2月号に、アメリカのライトレール導入予想が載っているが、全米でなんと37都市がライトレールの導入を希望していた。(そのうち何都市が実現しただろう)
開業 1987年、距離 60.2km、3路線。
1973年にSacramento Transit Authorityを取得して、Sacramento Regional Transit Districtを設立して、バス事業を引き継いだ。LRT建設の計画が提案されて、工事して1987年に稼働開始た。現在60.2km、3路線。
サクラメントは、椿の栽培が盛んで、「ツバキの都」とも呼ばれている。
「カリフォルニア州鉄道博物館」がこの地にある。
カリフォルニア州鉄道博物館訪問(1993年)
開業 1981年、距離 82.2km、系統数 3系統。
かつての路面電車は1949年に全廃された。1975年にハイウエイ基金の1%を交通改善に充てる法案を制定して、廃止寸前の貨物線路を買収、復旧利用して、現在のブルーラインを開通させて、アメリカのLRTブームの先駆けとなった。日帰りのメキシコ観光の乗客も多い。
開業 1987年、距離 67.5km、62駅、3路線。
Santa Clara Valley Transportation Authorityが運営。
開業 1994年、7路線、53駅、76km。
運用 Regional Transport District。
1950年まで路面電車が運行し、終了していた。
ハドソン川を挟んで、ニューヨークの対岸にあるニューヨークの衛星都市。
3路線のLRTが運行している。
① ニューアークLRT:Newark City Subwayともいう。昔の運河の川底を利用して、1934年に運行開始。市街地は蓋をしてトンネル式になっている。全長6.9km。13駅のうち4駅が地下、
② ハドソンバーゲンLRT:2000年に開業。ハドソン川の西側を走る。
③ リバーラインLRT:州都トレントンからカムデンまで。もともとは貨物船だった路線をLRT化した。まだ非電化のディーゼル車で運行している。
開業 1986年、距離 96.1km、5路線。
1969年にTri-County Metropolitan Transportation District of Oregonが発足して、1986年にMAXというLRTを開通した。
ポートランド首都圏がマルトノマ、クラッカマス、ワシントンという3つのカウンティー(郡)に属しているので、首都圏を「トライメット」と現地ではいう。
昔の路面電車は、Twin City Rapid Transitが、1954年まで運行していたが、1954年に廃止された。
2004年にハイアワサラインと称するLRTが開通した。これが現在のブルーラインである。その後グリーンラインが開通して、ミネアポリスとセントポールがLRTで結ばれた。
ロサンゼルスの路面電車は、馬車トラム1874年〜1896年。ケーブルカー1888年〜1896年。電車トラムは1891年〜1963年。
1901年に路面電車は、最大で20路線、1250台の車両がロサンゼルス市内を縦横に走っていた。
1940年に、GMとスタンダード石油とファイアーストンの3社は、ロサンゼルス市内の路面電車と南カリフォルニアに広範な郊外電車網を持つパシフィック電気鉄道を、すべてつぶしてバス→自家用車に転換するという大胆な暴挙を実行した。
この結果、ロサンゼルスは世界有数の自動車王国となった。
その結果、ロサンゼルスは渋滞と排気ガスに悩まされて、地域議会は売上税などの積み立てで、地下鉄とLRTの建設にまい進した。その結果現在では、地下鉄2路線、LRT4路線まで回復するに至った。
ニューヨーク | 開通年:1904 距離 :374.0km 路線数:27 駅数 :468 | |
ニューアーク | 開通年:1908 距離 :22.2km 路線数:4 駅数 :13 | |
ワシントン | 開通年:1976 距離 :189.9km 路線数:6 駅数 :95 | |
ボストン | 開通年:1897 距離 :98.1km 路線数:4 駅数 :67 |
シカゴ | 開通年:1943 距離 :174.0km 路線数:8 駅数 :152
| |
フィラデルフィア | 開通年:1907 距離 :62.0km 路線数:3 駅数 :66
| |
サンフランシスコ | 開通年:1972 距離 :167.4km 路線数:5 駅数 :43
| |
ロサンゼルス | 開通年:1993 距離 :59.3km 路線数:2 駅数 :16
|
以上がアメリカの路面電車のキップの紹介です。アメリカの路面電車全盛時代の一端が紹介できたら幸せです。アメリアに旅行する方は大勢おられると思います。旅行されるときには、ぜひ各都市のライトレールに乗ってみて、その車窓からの美しい風景を満喫されることを大いに期待して「あとがき」とします。
阿部 脩 メールアドレス abeo50@jcom.home.ne.jp
参考文献
●「世界の地下鉄」
日本地下鉄協会 2010年3月刊行
●「世界の地下鉄 ビジュアルガイドブック」
日本地下鉄協会 平成27年10月刊行
●「世界の路面電車、ビジュアル図鑑」
杉田 紀雄著 北海道新聞社2013年11月2日発行
●「世界のLRT」
三浦幹男、服部重敬、宇都宮浄人著、2008年刊行
●「クルマが鉄道を滅ぼした」
ブラッドフォード・C・スネル著。戸田清他訳。
緑風出版、1995年4月20日発行
●新版 プレミアムアトラス 世界地図帳
平凡社 2014年5月25日発行
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