このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
山梨県笛吹市一宮町のNSW社構内に富士急5700系2両が保存されている。車番は5707と5708。5700系は、小田急電鉄から2200系を譲受したもので、この2両もブルーとオレンジの旧小田急色に塗装されている。
1.小田急2200系
小田急2200系は1954年(昭和29)から5年間製造された通勤形電車で、全電動車、カルダン駆動の高性能車である。
2200系は、小田急では1984年(昭和59)までに全車が廃車となり形式消滅したが、この間1982年から84年にかけて富士急行へ8編成16両が譲渡され、5700系として再度活躍の場をえることになった。
【2200系ヒストリー】
形式 | 概 要 | その後 |
---|---|---|
2200形 | 小田急初の高性能車。1954年(昭和29)から59年にかけて2連9本の18両を製造。前面2枚窓であるが、最終増備車の2217+2218の2両は前面貫通式。 | 2201+2202の2両を喜多見検車区で保管。 1編成2両(2211+2212)を富士急行へ譲渡。 |
2220形 | 1958年(昭和33)、2200形の後継車として登場。4両固定編成で、4編成16両が製造された。前面貫通式。1962年(昭和37)、2両編成化。 | 3編成6両(2223〜2228)を富士急行へ、1編成2両(2229+2230)を新潟交通へ譲渡。 |
2300形 | 1955年(昭和30)、特急ロマンスカーとして1編成4両を製造。その後2両編成、前面貫通式に改造された。 | 2編成4両を富士急行へ譲渡。 |
2320形 | 1959年(昭和34年)、準特急用として4両編成2本を製造。その後2両編成に改造された。 | 2編成4両(2325〜2328)を富士急行へ譲渡。 |
NSW社構内に保存されているモハ5707(旧小田急2212)
モハ5708(旧小田急2211)
下吉田駅にて、最後の力走(1996.8)
河口湖駅にて、引退後の休息。手前に3100形の顔も見える(1996.11)
この後しばらくして、下吉田駅売店のおばあさん(小生中学時代の恩師の母親)も引退した
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |