このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

調査レポート
2005.10.15
5700系ストーリー

山梨県笛吹市一宮町のNSW社構内に富士急5700系2両が保存されている。車番は5707と5708。5700系は、小田急電鉄から2200系を譲受したもので、この2両もブルーとオレンジの旧小田急色に塗装されている。

1.小田急2200系

小田急2200系は1954年(昭和29)から5年間製造された通勤形電車で、全電動車、カルダン駆動の高性能車である。
2200系は、小田急では1984年(昭和59)までに全車が廃車となり形式消滅したが、この間1982年から84年にかけて富士急行へ8編成16両が譲渡され、5700系として再度活躍の場をえることになった。

【2200系ヒストリー】

形式概  要その後
2200形小田急初の高性能車。1954年(昭和29)から59年にかけて2連9本の18両を製造。前面2枚窓であるが、最終増備車の2217+2218の2両は前面貫通式。2201+2202の2両を喜多見検車区で保管。
1編成2両(2211+2212)を富士急行へ譲渡。
2220形1958年(昭和33)、2200形の後継車として登場。4両固定編成で、4編成16両が製造された。前面貫通式。1962年(昭和37)、2両編成化。3編成6両(2223〜2228)を富士急行へ、1編成2両(2229+2230)を新潟交通へ譲渡。
2300形1955年(昭和30)、特急ロマンスカーとして1編成4両を製造。その後2両編成、前面貫通式に改造された。2編成4両を富士急行へ譲渡。
2320形1959年(昭和34年)、準特急用として4両編成2本を製造。その後2両編成に改造された。2編成4両(2325〜2328)を富士急行へ譲渡。
2.富士急5707・5708

5707・5708号車は1956年(昭和31)製で、1982年(昭和57)に富士急行へ譲渡された。この際、小田急時代の2211号車が5708へ、2212号車が5707へと、奇数、偶数が入れ替わっている。5708号車はパンタグラフ付きの制御電動車で、主制御器、主抵抗器などを搭載し、5707号車は電動発電機(MG)などを積んでいる。
この2両は引退後の1997年、NSW社山梨IT事業所の建設にあわせるように同社の構内へ搬入された。
3.引退のとき

1996年(平成8)8月、5700系に引退のときがきた。1993年から進めていた1000系(旧京王5000系)への更新が終わりに近づいたためである。
1996年9月5日の読売新聞(山梨県版)は、これを次のように伝えている(原文のまま)。

「14年間ごくろうさま」 富士急・大月−河口湖で活躍の5700型電車引退

14年間、ごくろうさまでした。富士急行線の大月駅−河口湖駅間で、1982年から14年間にわたり、県東部の生活・観光の足として親しまれてきた5700型電車が、8月いっぱいで引退した。
5700型は、昭和30年代前半に製造された小田急電鉄の2200型などの4タイプを改造したもの。小田急時代は特急ロマンスカーや準特急として活躍した。富士急行の主力電車となってからも、鉄道ファンの人気を集めていた。全盛期には16両あった車両も、今では“後進”に線路を譲り、わずか4両。
ただ、引退後も、災害や大故障などの緊急時に予備車両として代用するため、来年5月までは待機する。5700型を引き継ぐ新型の1000系車両は、93年度から4年計画で導入中で、今年度に2両を導入して更新計画が終わる。

NSW社構内に保存されているモハ5707(旧小田急2212)

モハ5708(旧小田急2211)

下吉田駅にて、最後の力走(1996.8)

河口湖駅にて、引退後の休息。手前に3100形の顔も見える(1996.11)

この後しばらくして、下吉田駅売店のおばあさん(小生中学時代の恩師の母親)も引退した

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください