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調査レポート

2005.10.22

思い出の5000系

1968年から4年間、東急沿線で学生時代を過ごした。5000系は、大学へ通うにも渋谷へ出かけるにもよく利用したなつかしい電車である。愛嬌のある顔と丸みをおびた車体は、それまでの電車のイメージを一新したデザインで“青がえる”と呼ばれ、多くの人々に親しまれた。
5000系の誕生は1954年(昭和29)。様々な新技術の導入により、在来車より25%以上も軽くしたとされる。(注)
軽量車はレールへの負荷が小さく、また電力の消費も少ない。このためか、東急5000系は全国各地の中小私鉄へ譲渡された。
(注)デハ5000形(18m車)=28.05t デハ3800形(17m車)=38.30t

最初の転出先は長野電鉄である。1977年(昭和52)から1985年にかけて25両が移籍し、地下線となった長野駅へ乗り入れた。80年代はじめには、福島交通、熊本電気鉄道、岳南鉄道へと移籍先を広げ、やや間をおいて1986年(昭和61)には、上田交通(別所線)と松本電気鉄道へそれぞれ8両が移籍した。

“赤がえる”となった5000系には、岳南鉄道で再会した。1990年頃のことであったと思う。岳鉄にはモハ+クハの2両編成が4本在籍していた。吉原商店街は活気に満ち、吉原本町駅を出る電車は、大勢の高校生や買い物客を乗せて元気に走っていた。

2002年12月、岳南鉄道の5000形に引退のときがきた。8000形(旧京王井の頭線3000系)の導入により、休業状態ながら予備車として残っていた2両編成1本が、完全に運用から外れることになった。この車両(5001+5002)はいま、岳南富士岡駅に留置保存されている。
岳南鉄道線に限らず、全国で活躍した多くの5000系電車も順次引退し、いま現役で走っているのは、熊本電気鉄道の5101Aと5102Aの2両のみと聞いている。

比奈から岳南原田へは製紙工場の中を通る

“新鋭”7000形と岳南原田で交換する

本吉原へ到着

岳南江尾で肩を並べる

松本電鉄の5000系

新村駅にて

新島々駅にて

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