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信州の終着駅 〜旅の日記をそえて〜

4月22日(土)、かつて同じ会社に勤めていた仲間3人と1泊2日の日程で長野へでかけた。
途中、時間をつくって上田電鉄別所温泉駅と長野電鉄湯田中駅を観察した。
(観察記のあとに、立ち寄ったところを紹介した“旅の日記”があるのであわせてご覧ください)

1.上田電鉄別所温泉駅

上田電鉄は昨年10月、上田交通から分社して自立経営を目指している。
かつて上田市を中心に展開していた鉄道網も、戦後は西丸子線が1963年(昭38)に廃止されたのを皮切りに、丸子線が1969年(昭44)、真田傍陽線が1972年(昭47)に廃止され、今では別所線が残るのみである。
この別所線も輸送密度(人/km・日)は2000人を大きく割り込み、事業収支の赤字が続いている。
朝夕約30分、日中約40分の運行間隔で、全線11.6kmを30分近くかけて走る典型的なローカル線だ。
常に廃止の危機にさらされている別所線は、地方私鉄の厳しい経営実態を象徴するかのような路線である。

別所温泉駅には22日の11時少し前に到着した。駅はその名前の通り温泉街の入口にある。駅舎の脇に車をとめてみると、そこはホームの延長上である。すぐ近くに鉄道マニアにはよく知られた5250形「丸窓電車」2両が静態保存されている。この車両は1928年(昭3)製で、1986年(昭61)まで58年間にわたり別所線の看板電車として活躍したという。

丸窓電車をカメラにおさめているとほどなく、11時1分当駅着、同10分発折り返し上田行となる電車がホームに入ってきた。東急電鉄から譲り受けた7200形の2両編成で、丸窓電車に模した外観に改装している。
降りる人も乗る人もわずか数人。電車が到着したときも出発するときも、あわただしい雰囲気とは無縁の終着駅である。

2.長野電鉄湯田中駅

長野電鉄は、長野から湯田中までの長野(本)線(33.2km)と、須坂から屋代までの屋代線(24.4km)を持つ中私鉄である。信州中野から木島までの木島線(12.9km)が廃止されたのは2年前で、未だ記憶に新しい。やはりここも厳しい環境にあることに変わりはない。
一方で昨年、小田急電鉄から10000形ロマンスカー2編成を譲り受け話題になっている。この特急用車両は長野電鉄では1000系と称し、愛称が「ゆけむり」と決まった。すでに4月半ばに長電に輸送されてきていて、編成は4両と短くなるものの小田急時代そのままの姿で信濃路を走るという。
今年12月には営業運転につく予定になっている。

湯田中へは渋温泉に宿泊した翌日(23日)の早朝、朝食前に行ってみた。雨の予報はかろうじて外れたようで、徒歩の身にはありがたい。
湯田中駅は相対式2面2線のつくりながら他に類をみない変わった配線である。40‰の坂を上りきったところに駅があるが、そのすぐ先に踏切があるため特急など3両編成の車両は、ホーム中間にあるポイント位置からではホームをはみ出してしまう。そこで電車は一旦ホームを少し通り過ぎてからポイントを切り替えてバックし、全車両がホームにかかってから扉を開ける。一度切り返しをして停車するというイメージである。

湯田中駅に着いたのは6時少し前だったが、2番ホームに長野行普通電車が停まっていた。車両はマッコウクジラと呼ばれた元営団地下鉄(日比谷線)3000形の3500系。ドアが半開きになっているのは手動扱いにしているためだろうか。
6時3分、一番電車が発車したあと駅の周囲を歩いてみた。改めて眺めてみると駅前は広々としたバスターミナルで、始業前とあって10台くらいのバスが待機している。ここは奥志賀高原や周辺温泉地への起点である。今の駅舎が2番ホーム側にあることに気付き、1番ホーム側にまわってみると旧駅舎が保存されている。ホームの番号のつけ方からして、もともと旧駅舎側が正面だったのかも知れない。
旧駅舎と並んで日帰り温泉施設があり、湯田中駅はいかにも温泉地の終着駅といった趣である。
そうこうしているうちに6時22分当駅着、同42分発折り返し長野行となる電車がやってきた。特急用2000系の普通運用だ。電車はホームを行き過ぎて止まり、すぐにバックする。実際に見ると何とも珍しい光景だ。

3.旅の日記

①信州の鎌倉
別所温泉は歴史にいろどられた古い寺が多く、“信州の鎌倉”といわれている。
山懐に抱かれた小さな町で、名所旧跡や外湯を歩いてめぐることができる。別所温泉駅に寄ったあと、温泉街の一角にある駐車場に車をおいて、しばらく町中を散策した。
パンフレットに従い、まず北向観音堂をたずねる。高台にある観音堂からは上田の町まで見渡すことができる。「北向」の名は、善光寺の南向きと向きあっているところから名付けられたという。厄除の観音様として広く親しまれているとのことで、玉垣には池内淳子など芸能関係者の名も見かけられた。
院内には大きな桂の木があって、この木が川口松太郎の名作「愛染かつら」創作のヒントになったという説もある。
北向観音堂の狭い参道を通り抜け、安楽寺に向かう。

安楽寺には長野県ではじめて国宝に指定された八角三重塔がある。受付では塔までの階段を上るための杖を貸してくれる。八角形の塔は全国でこの塔が一つだけとのこと。また一見四重塔に見えるが、一番下は裳階(ひさし)なのだとか。
それにしても、決して堅固とは見えない木造の塔が何百年ものあいだ風雪に耐えてきたとは驚きだ。千年もつ建物には樹齢千年の木が必要だと聞く。この塔は年輪を重ねた木と、木の力を知りつくした職人との出会いでできた傑作なのだろう。
安楽寺から坂道を下り常楽寺に向かう。

常楽寺は天台宗の古寺で庭には船形に枝を伸ばした見事な松の木がある。遅咲きの梅も今が盛りである。この寺はその昔、多くの僧が学んだ学問の寺だときく。境内は、古い宗派がもつ落ち着いたたたずまいである。
町中へもどり、湯本屋という食堂で昼食をとる。老夫婦が営む質素な店だ。もちろん注文は“そば”である。奥さんが菜の漬け物を出してくれたが、これがまたうまい。素直にほめたらもう一皿おかわりが来た。腹ごしらえができたところで隣にある「大湯」(外湯)でひと風呂あびる。入浴料150円。硫黄の臭いが満ちた本物の温泉を味わった。

②無言館
無言館は別所温泉近くの小高い丘の上にある美術館で、窪島誠一郎が設立した。「戦没画学生慰霊美術館」とあるように、若くして戦没した画学生の遺作・遺品を集めた美術館である。コンクリート造りの教会のような建物で正面には窓がなく、入口も一人ずつしか入れない。受付はなく、出口で協力金(500〜1000円)を払う仕組みになっている。
館内はコンクリート製の壁に数多くの絵が飾られているが、一人ひとりの作品数は数点で、その下に出身地・出身学校・戦死場所などの簡単な説明がついている。館内中央にはガラスケースがいくつか置かれ、遺品が展示されいる。戦地からの手紙、スケッチ帳、卒業証書などさまざまだ。
飾られている絵は妻や恋人、母や妹といった身近な人物を題材にしたものが多く、戦争の影はない。ごく日常的な画題の作品は、当たり前のことが許されなかった時代へのアンチテーゼだろうか。無言館は戦争に駆り出された多くの才能の無念さが切々と伝わってくる、他に例を知らない美術館だ。

③松代大本営
松代大本営は太平洋戦争の末期、日本の敗戦が濃厚になった1944年(昭19)11月、軍部が本土決戦最後の拠点として国の中枢機関を松代に移すという秘密計画のもとに建設が始められた。
朝鮮人や住民が強制的に動員され、多くの犠牲者をだしたといわれている。何か所かに分かれた地下壕のうち、象山地下壕は実際に中に入ることのできる唯一の遺構である。壕の入口にはプレハブの受付があるが入場は無料。ハングルで書かれた慰霊碑に手を合わせ、備え付けのヘルメットを着用して中に入る。入口は狭く少し下っているが、すぐに幅が広がって平坦になり岩をくりぬいたトンネルが延々と続く。壕は縦横碁盤目状に掘られているが、見学できるのはこのうちL字形のコースで500mほどである。
松代に造られた壕の総延長は10kmにも及ぶという。松代大本営は、権力の罪深さと愚かさを訴える貴重な戦争遺跡である。


④渋温泉
旅の泊まりは渋温泉。湯田中駅から夜間瀬川沿いに1.5kmほど上ったところにある古い温泉だ。川沿いの道路から石畳の道に入ると、狭い道の両側に旅館や土産物屋が軒を連ねている。温泉街の入口付近が安代温泉で、その先が渋温泉となるが家が続いていて外来者には境界が分からない。
渋温泉の旅館の中でもひときわ目をひくのが国登録有形文化財をうたう“金具屋”で、木造4階建の楼が圧巻だ。私たちが泊まった旅館は“さかえや”という。当地では大きな旅館である。
「男性4人とはめずらしいグループですネ」と女将に言われ、「そうかな?」と思いながら酌をうける。料理は上品な会席料理で手がかかっている。量も適当だ。
久しぶりに会っても話の材料には事欠かない。これが中年男のよいところだ。
明けて翌日は外湯めぐりに出かけた。外湯は9か所あるというが、旅館の受付嬢が勧めてくれた6番(目洗湯)と9番(大湯・結願湯)に寄る。どちらの湯も大変な熱さで静かにしていても3分と入っていられない。
最近全国各地に新しい温泉ができているが、やはり歴史のある温泉はひと味もふた味も違うと実感した。

2006.4.29

出張レポート(4)

「まるまどりーむ号」のヘッドマーク

新旧の「丸窓電車」が並ぶ

桜に包まれた別所温泉駅

湯田中駅の2000系特急用車両

写真左=(A)地点から(駅は坂を上りきったところ)
写真右=
(B)地点から(ホームの脇に踏切がある)

3500系普通用車両

1番ホーム側の旧駅舎

善光寺に向く北向観音堂

「愛染かつら」の木

安楽寺の国宝
八角三重塔

天台宗・常楽寺への道

小高い丘の上に立つ無言館

象山地下壕の入口

地下壕の内部

外湯6番「目洗湯」

外湯9番「結願湯」

木造4階建の「金具屋」

石畳の渋温泉 中央に
見えるのが「さかえや」

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