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SUNDAY TALK2010

第8回:「足」を奪わないで(2010年〔平成22年〕2月21日公開)

 私はそのフェリーを二度利用したことがある。一度目は1986年(昭和61年)8月31日に父親と二人で香川県にドライヴに行った時(注1)であり、二度目は2005年(平成17年)1月10日に徳島・香川両県の県道一覧表(注2)を作ろうと思い立って徳島県立図書館(徳島市八万町)と香川県立図書館(高松市林町)に資料探しとその複写のために行った時であった。いずれも高松港(高松市北浜町)→宇野港(玉野市宇野一丁目)の利用であった(注3)。
 そのフェリー、すなわち宇高(うたか)国道フェリー(運営会社は国道フェリー〔高松市北浜町〕)が対抗業者の四国フェリー(高松市玉藻町)とともに今年3月26日を最後に廃止されることが発表された。玉野市と高松市の間にある瀬戸内海で分断されている国道30号線を繋ぐ役割を有するこの二つのフェリーは1988年(昭和63年)4月10日に瀬戸中央自動車道が開通した後も瀬戸中央自動車道の通行料金がかなり高いことからよく利用されていた(注4)のだが、燃料の高騰や瀬戸中央自動車道を含む高速道路の通行料金の値下げが響いて減便を余儀なくされ、遂に廃止に追い込まれることになった。実は直島(香川県香川郡直島町)で乗り継げば玉野市と高松市をフェリーで往来することは可能なのだが、そういう手間をする人はいないだろうし、国道30号線は香川県香川郡直島町に属する海域は通るが島だけで構成される香川県香川郡直島町のどの島にも区域を有していないから玉野市〜高松市間で寸断される格好になってしまった。
 まあ国道の海上寸断路線で直接の連絡施設がないところは中国地方では国道317号線の尾道市内(愛媛県境〜生口〔いくち〕島間及び因島〔いんのしま〕〜向島間)や国道487号線の江田島市内(津久茂瀬戸)などいくつも存在するから別に珍しいことではないのだが、それにしても気になるのはここ数年で瀬戸内海を往来するフェリーが次々となくなっていることである。昨年4月には竹原市と愛媛県今治市波方(なみかた)を結んでいた中・四国フェリー(運営会社は竹原波方間自動車航送船組合〔竹原市港町四丁目〕)が廃止されたし、2008年(平成20年)8月には私の住んでいる福山市と香川県仲多度郡多度津町を結んでいた福山・多度津フェリー(運営会社はせとうち物流〔広島市中区竹屋町〕)もなくなった。更に柳井市と松山市を結んでいる防予汽船(柳井市柳井)が経営不振から昨年10月、民事再生法の適用を申請したし、広島市と江田島市を結ぶ航路も整理しようという話が浮上している。原因としてはETCの普及やそれを利用した自動車に対する割引制度の導入、燃料の高騰などいろいろ挙げられるのだが、燃料の高騰はともかく、最近の政府の高速料金の考え方はこれで良いのかとか誰かが喜ぶ一方で誰かが泣くことを全く分かっていないのではないかと考えたくなってくる。
 苦戦する公共交通機関は何も瀬戸内海を往来するフェリーだけではない。鉄道も路線バスも本当に厳しい。今年3月13日に実施されるJRのダイヤ改正では中国地方では普通列車の本数削減を実施することが既に公にされているし、路線バス業者も広島県東南部では再編がここ数年激しい。少子・高齢化や過疎化、世界的な不況、モータリゼーションの進展、高速料金の割引などいろいろ要因はあるのだが、その先にあるものは何なのかと考えたくなってくる。
 私は自動車に乗るようになってまだ10年少々なのだが、自動車に乗るようになってから全くといって良いほど公共交通機関を利用しなくなってしまった。その便利さを知るともう元には戻れないといったところ(注5)なのだが、そういう私が考える今日の公共交通機関の問題点を挙げると次のようになる。
・家の近くから利用できない。
・ダイヤが利用しづらい。
・ダイヤを知る手段が少ない。
・乗り換えなどの手間を強いられる。
・高齢化社会になっているというのに高齢者が気軽に利用できるようにはなっていない。
・路線の改廃が激しい。
・利用料金(運賃)が高い。
 こうして利用されなくなり遂には廃止…という末路をたどったものも少なくないのだが、私が気にするのは国民生活重視を掲げて昨夏の総選挙で圧倒的な勝利を収めて政権をとった民主党中心の政府からは高齢者介護の問題と同じく公共交通機関の確保に関する方針が全く示されていないことである。高速道路の無料化や高校の授業料無料化、子供手当の増額などは多くの人々が歓迎することだろうが、打撃を受ける側の気持ちを考えたことがあるのだろうか。今日本は高齢化社会に入っていることを理解しているのだろうか。高齢者が利用しにくい公共交通機関が全国にどれだけあるか分かっているのだろうか。「誰かが喜び、誰かが泣く」政策など誰も望んでいないのに果たしてこれで良いのだろうか。「後は業者の経営努力に任すべき」とか「あちらこちらに金を出していると国家財政が破綻しかねない」とか言うのだろうが、どうにかならないものなのだろうか。
 私は高速道路の無料化は実は賛成ではない。高速道路を利用することがあまりないということもあるのだが、やはりその影響の大きさが憂慮されるからである。あるJRグループに属する企業は路線の更なる廃止を検討しなければならないと言っている(注6)し、昨年10月に台風の被害に遭って以来バスによる代行が続いているJR名松(めいしょう)線・家城(いえき)〜伊勢奥津(いせおきつ)間17.7kmについて復旧させてもまた災害に遭ったら困るなどと言って東海旅客鉄道(JR東海。名古屋市中村区名駅一丁目)では廃止することを表明し、地元・津市(注7)では反対運動が起きているという。国鉄線→JR線では佐世保市内を通っていた国鉄柚木(ゆのき)線(1967年〔昭和42年〕運休→廃止)以来の災害復旧放棄による廃止路線(注8)となる可能性があるのだが、それが認められると中国地方ではどうなるのかと考えたくなるのである。せっかくの公共交通機関網を破壊してまで国民の歓心や支持を得たいのかと私は思うのだが、そのような結末を見た時我々は何を考えるのだろうか。
 これから日本は少子・高齢化により人口は減っていくだろう。しかし、人間がいる限り交通手段はたとえ費用対効果が見込めなくても利益を挙げられなくても最低限保障されなければならない。そのことを蔑(ないがし)ろにして高速道路を無料化するとしたらどうなってしまうのか。政府にも考えて欲しいし国民も政府の言うことに浮かれていないで真剣に考えて欲しい。
 私は訴えたい。「最後の一人がいなくなるまで『足』は確保して欲しい。誰かが喜ぶ一方で誰かが泣く不平等な政策は今すぐ見直して欲しい」と。白眼視されるような訴えかもしれないが、それが今後も続くであろう高齢化社会における日本の交通政策の本来の在り方であることを真剣に考えて欲しいのである。

(参考資料:福山市における公共交通機関の現実)

定期航路のない福山港フェリーターミナル(福山市新涯町二丁目)。写真では分からないが待合所の窓ガラスには「航路廃止」という貼り紙がある。

井原鉄道井原線湯野駅(福山市神辺町湯野)。列車に乗るには42段ある階段を昇らなければならない。

(注釈コーナー)

注1:自分にとってはこの時が四国初上陸となる。九州初上陸はその前年、すなわち1985年(昭和60年)10月21日のこと(中学校の修学旅行。福岡・佐賀・長崎・熊本各県をめぐった)だったから私の住んでいる福山市から見て九州よりはるかに近い四国への初上陸が後回しになった格好になる。
※四国地方のうちの香川県以外の各県、すなわち徳島・愛媛・高知各県は1990年(平成2年)8月18日に、九州地方のうちの大分県は1993年(平成5年)5月20日にそれぞれ初上陸を果たしている(まだ宮崎・鹿児島両県に行ったことはない)。

注2:個人的なことではあるが北陸・東海・近畿(関西)・中国・四国・九州・沖縄各地方の2府28県の府県道一覧表の作成を企図しており、これまでに京都府と福井・岐阜・静岡・愛知・三重・兵庫・鳥取・島根・岡山・広島・山口・徳島・香川・愛媛・高知・福岡・熊本・宮崎・鹿児島・沖縄各県の府県道一覧表を完成させている。更に大阪府と滋賀・奈良・和歌山・大分各県の府県道一覧表の作成にも着手し、ほぼ完成に近い状態まで漕ぎ着けているがインターネットで収集できる情報では不完全なため現地に赴いて資料を探し、複写して持ち帰ることを計画しているところである(残った4県、すなわち富山・石川・佐賀・長崎各県はインターネットで得られる情報があまりにも少ないためほぼ未着手)。
※この調子で全都道府県の分を作れば良いのではないかと思う方もいるかもしれないのだが、北海道・東北・関東・甲信越各地方、すなわち東京都と北海道、青森・岩手・宮城・秋田・山形・福島・茨城・栃木・群馬・埼玉・千葉・神奈川・新潟・山梨・長野各県については自分にとって縁遠い土地であることや作成・管理に難があること(かつて 「国道901号」 というサイトで全都道府県の都道府県道一覧表を公開していたことがあるがやはり管理が重荷になったのか現在は取りやめている)などから作成しないことにしている。ご了承願いたい。

注3:往路、すなわち福山市から四国に渡る時に使ったものは次の通りである。
・1986年(昭和61年)8月31日…福山・多度津フェリー
・2005年(平成17年)1月10日…瀬戸中央自動車道(必要最小限の児島インターチェンジ〔倉敷市児島阿津三丁目〕〜坂出北インターチェンジ〔坂出市西大浜北四丁目〕間のみ通行)

注4:2005年(平成17年)1月10日に宇高国道フェリーを利用した理由は当初徳島市から国道11号線→高松・坂出有料道路(香川県道161号高松・坂出線。2011年〔平成23年〕3月27日無料開放)→瀬戸中央自動車道を経由して帰ろうとしていたところ、お手洗いを利用しようとして立ち寄った高松側の宇高国道フェリー乗り場で高松・坂出有料道路と瀬戸中央自動車道経由の通行料金の合計より宇高国道フェリーの料金が安いことを知ったことによる。

注5:似た事例としてはカメラがある。大学3年生になった年(1992年〔平成4年〕)の春に買ったカメラ(フィルム式)を十数年使用し続けてきたが、2004年(平成16年)にデジタルカメラを買って使用するようになるともうフィルムを使うカメラを使おうという気がなくなり、2005年(平成17年)7月に愛・地球博見物に行った時を最後に使用していない。

注6:本作公開後の2010年(平成22年)4月5日に西日本旅客鉄道(JR西日本。大阪市北区芝田二丁目)の佐々木隆之社長(当時)が記者会見で赤字ローカル線の一部を廃止してバスに転換する方向で検討に入ったことを明かしている。それから3年近くが経過したが、今のところ廃止論議が浮上している路線は存在しない。ただ、将来も路線が維持される保証はどこにもないし、もしかしたら…という路線もあるのは事実である。

注7:津市は伊勢湾に面した都市なので意外に思う人がいるかもしれないのだが、実は2006年(平成18年)1月1日に津・久居(ひさい)両市と安芸(あげ)郡の全自治体(安濃〔あのう〕・河芸〔かわげ〕・芸濃各町及び美里村)、一志郡一志・香良洲(からす)・白山(はくさん)各町及び美杉村が統合して改めて津市が発足した時にJR名松線は津市を通るようになったのである。なお、津市の一部になる前のJR名松線・廃止検討区間の通過自治体は一志郡白山町(家城駅のみ)と一志郡美杉村(伊勢竹原・伊勢鎌倉・伊勢八知〔いせやち〕・比津・伊勢奥津各駅)となっていた。

注8:災害復旧放棄による廃止路線としては宮崎県にあった高千穂鉄道高千穂線(2005年〔平成17年〕運休→2008年〔平成20年〕廃止。但し観光鉄道として復旧させようという動きはある)が記憶に新しい。中国地方でも島根県にあった一畑電気鉄道立久恵(たちくえ)線(1964年〔昭和39年〕運休→1965年〔昭和40年〕廃止。「一畑電気鉄道立久恵線」という名称ではあるが最後まで電化はされなかった)が災害復旧放棄によって廃止に追い込まれている。

(AFTER TALK)

 本作を公開してから3年近く経ったが、この3年近くの間は本当に公共交通機関の置かれた現状は厳しいことを痛感させられることが多い時期となった。まず、本文で触れた玉野市と高松市を結ぶフェリーであるが、2010年(平成22年)3月の廃止は見送られ、減便した上で継続されることになった。しかし、経営状況は上向かなかったことや瀬戸中央自動車道の通行料金が2014年度(平成26年度)から値下げされることになったこともあり、結局国道フェリーについては2012年(平成24年)10月17日を最後に営業を休止することになった。現在は四国フェリー一社での営業となっているが、今後どうなるかは分からない。
 次に、JR名松線についてであるが、結局東海旅客鉄道は家城〜伊勢奥津間の廃止は取り下げ、沿線自治体—津市と松阪市しかないのだが—の協力を条件に復旧させることになった。2016年度(平成28年度)の復旧を目指すというのだが、素人目には17.7kmの復旧工事や防災工事にそんなに時間がかかるのかと感じたくなる。現在営業している松阪〜家城間は大部分が近畿日本鉄道大阪線及び山田線と並行していることや2016年(平成28年)までに台風の襲来などによる集中豪雨で沿線地域が被災しない保証はないこと、過疎化が進展していること、並行している道路が整備されていないことを理由に廃止は免れてきたが並行する三重県道15号久居・美杉線などの整備が進んでいることなどを考えると東海旅客鉄道としてはあまり金銭を注ぎたくないというのが本音なのだろうが、復旧までの時間がかかることはともかくとしても廃止しない方向に進んだことは評価すべきことではあろう。
 しかし、(東海旅客鉄道の話ではないのだが)本当に国鉄線→JR線では柚木線以来の災害復旧放棄による廃止路線が出る恐れが今生じているのである。東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)で被災したJR気仙沼線のうちの柳津〜気仙沼間55.3kmとJR大船渡線のうちの気仙沼〜盛間43.7km、JR山田線のうちの釜石〜宮古間55.4km、そして2010年(平成22年)夏に土砂崩れによる脱線事故により運休しているJR岩泉線の全線(38.4km)である。いずれも過疎化により利用者数は少なくなっていたところに災害に見舞われたわけであるが、これらの路線を管理している東日本旅客鉄道(JR東日本。東京都渋谷区代々木二丁目)としてはいろいろ理由を付けて積極的に鉄道としての復旧に乗り出そうとしていない。2012年(平成24年)3月には岩泉線の鉄道としての復旧は断念することを表明しているのだが、過疎化による利用者減少が続いていたところに甚大な被害に見舞われた気仙沼線・大船渡線・山田線についても沿線地域の復興計画が定まっていないことや復旧させるのに多額の費用がかかることなどを理由に線路が通っていたところを路線バス専用道路に改造して路線バスを走らせることで仮復旧させることにしており(既に気仙沼線については開業済)、沿線住民の間では鉄道としての復旧はないのではないかと思う方が少なくないのだという。
 私は東日本旅客鉄道のこのやり方には賛成できない。というのも、次に挙げる事実があるからである。
・岩泉線は並行して通る国道340号線に未改良箇所(2003年〔平成15年〕夏頃の様子だがヨッキれんさんが運営するサイト 「山さいがねが」 にこの国道340号線の未改良箇所を紹介したページがある〔それは こちら 〕ので興味のある方はご覧頂きたい)があるために存続させた経緯があること。岩泉線を廃止するのなら国道340号線を管理している岩手県に寄付をするなどして国道340号線の未改良箇所の解消に協力する姿勢があっても良いのではないかと思うのだが、それすらないのはおかしいのではないか。
・ある事情で鉄道としての営業を取りやめ、鉄道として復旧して欲しいという声が少なくなかったのに線路跡地を路線バス専用道路に改造して路線バスを走らせ、今に至っているところが東北地方にあること。第二次世界大戦中に不要不急路線の一つに指定して鉄道としての営業を取りやめた福島県の白棚(はくほう)線(白河〜磐城棚倉〔いわきたなくら〕間23.3km)がそれであるが、東日本旅客鉄道としては第二、第三の白棚線を作りたいのだろうか。
・東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)で被災した気仙沼線と大船渡線、山田線には並行して国道45号線が通っており、路線バス専用道路を建設するのは二度手間になること。
・まだ実用化されていないが、鉄道と道路の双方を走れる車両(デュアル・モード・ヴィークル〔DMV〕)が開発されていること。
・気仙沼線と大船渡線、山田線は海岸から離れたところを通っているところも少なくないこと。
・甚大な被害をもたらす地震や津波はそんなに頻繁に起きないこと。いつ来るか分からない災害への備えのためであることは理解するのだが…。
・復旧させることが決定している三陸鉄道へのアクセスが困難になり、結果三陸鉄道の存廃問題が浮上する恐れがあること。
・気仙沼線・大船渡線は仙台市と気仙沼・陸前高田・大船渡各市を最短で結ぶ路線として、山田線は盛岡市と岩手県太平洋沿岸地域を結ぶ路線としてそれぞれ有用であること。仙台市と盛岡市はともに東北新幹線の停車駅があるから東京とこれらの地域を結ぶ路線としても有用になる。
・鉄道を廃止した結果、急速に衰退した地域が少なくないこと。
・観光客が来なくなってしまう恐れがあること。
・集落の高台への移転は自然環境を破壊することや住民が反対することなどで円滑に進むとは思えないこと。
・せっかくの鉄道ネットワークを破壊する行為でしかないこと。
・バスでは乗客が向かい合って座る席がないので旅行の楽しみ(旅情)が感じられなくなる恐れがあること。
・積雪期の交通機関確保に問題が生じる恐れがあること。
・子供や高齢者などの交通弱者を蔑ろにしていること。
・東北地方に住む方々は鉄道に対する思い入れがものすごく強いのではないかと思うこと。盛岡市出身の歌人・石川啄木(いしかわ・たくぼく。1886?〜1912)が上野駅(東京都台東区上野七丁目)に赴いて「ふるさとの/訛(なま)りなつかし/停車場の/人ごみの中に/そを聴きにゆく」という有名な短歌を詠んだことや日本国有鉄道(国鉄)の経営再建策の一環として廃止対象になった鉄道路線のほとんどを存続させていること、同じく日本国有鉄道(国鉄)の経営再建策の一環として建設凍結となった路線のほとんどが開業に至っていること、東北地方にある県庁所在地は全て東北新幹線経由の直通列車で東京と結ばれていること、ブルートレイン(客車寝台特急列車)が残され、今も多くの方々が利用していることなどがそのように感じる理由である。
・列車が走ることは災害に打ちひしがれた人々に勇気と希望を与える効果があると考えられること。(東北地方の話ではないが)一発の原子爆弾で町が焼け野原になった広島市中心部で原子爆弾投下からわずか3日後に路面電車が走り始めた時、多くの人々に勇気と希望を与えたという話もあるくらいである。
 東日本旅客鉄道としては今までは首都圏の路線の黒字で過疎地の路線の赤字を補填(ほてん)してきたがもうそれも限界だと言いたいのだろう。しかし、
そんな上から目線な考え方を誰が容認できるのだろうか。それにまだやれることはあるはずである。例えばJR石巻線のうちの石巻〜女川(おながわ)間17.0kmを電化してJR仙石(せんせき)線の電車を女川駅(宮城県牡鹿〔おしか〕郡女川町女川浜)まで乗り入れるようにするとか、JR常磐線の仙台市に近い区間の複線化を行うとか、仙台〜八戸間に観光特急列車を設定するとか、いわき〜仙台間や仙台〜前谷地(まえやち)〜気仙沼〜盛間、盛岡〜花巻〜釜石間、盛岡〜宮古間に優等列車を設定するとか、仙台空港鉄道の列車をJR東北新幹線・東北本線・仙山線・仙石線仙台駅(仙台市青葉区中央一丁目)以遠に直通させるようにするとかいろいろ考えられるのではないか。(表現は悪いかもしれないが)「禍(わざわい)転じて福となす」ということわざもあるくらいである。そのくらいの気概を見せて欲しい。
 そして福山市や岡山県南西部(浅口・井原・笠岡・倉敷・総社各市と浅口・小田両郡)に大きな衝撃を与えたのが2012年(平成24年)10月に突如浮上した井笠(いかさ)鉄道(笠岡市笠岡)のバス事業からの撤退→破産であった。本文でも「路線バス業者も広島県東南部では再編がここ数年激しい」と書いているのだが、それから2年半ほどでこういう事態が起きるとは恐らく誰も想像できなかったことであろう。どこかに支援を求めることもしなかったことや同業他社に対して吸収合併を打診することもしなかったこと、廃業半年前までに国土交通省中国運輸局(広島市中区上八丁堀)に届けるべきなのにそれすらしなかったことなど井笠鉄道の姿勢を非難する声もあるが、一方ではそれほど切羽詰まった状況があったことを感じさせる。
 恐らく井笠鉄道の例は他人事(ひとごと)ではなくなってくることであろう。けれど、そのことについて政府はいかなる対応をとるのか、未だにはっきりしない。地域の足を守ることも福祉の一つなのに、民主党を中心とした政権は全くそのことを示そうとはしなかった。その一方で石井一選挙対策委員長(当時)の「鳥取県や島根県は日本のチベットだ」発言や松本龍復興担当大臣(当時)の「九州の人間だから東北の○○市がどの県にあるか知らない」発言などの地方を侮辱した発言がいくつもあり、その度に国民を失望させた。案の定民主党中心の政権は2012年(平成24年)12月16日実施の第46回衆議院議員総選挙で民主党が前代未聞の屈辱的な大敗を喫したことで終焉を迎えたのだが、果たして現在の自由民主党中心の政権はどのように取り組むのだろうか。景気対策は当然のことながらこういう福祉対策もしっかり行って欲しいと私は思うのだが…。

(2013年〔平成25年〕1月29日追記)

(付録:在りし日の井笠鉄道バス関係の写真)

※いずれも2012年(平成24年)10月20日撮影。

井原鉄道井原駅と井笠鉄道の路線バス

井原駅前バス停に貼られていた運行終了に関する貼り紙

 

井笠鉄道井原駅跡地にできた井原バスセンター

終着地で降りようとしている利用客のいる風景

運転席で日誌か何かを書いている運転手

井原バスセンターに止まっている路線バス

井原バスセンターの窓口に貼られていた運行終了に関する貼り紙

 

昼下がりの旋回場にたたずむ路線バス

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