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SUNDAY TALK2010

第30回:面白ければそれで良いのか(2010年〔平成22年〕7月25日公開)

 今月23日付中国新聞朝刊の地域面にテレビ番組によって名誉を傷付けられたとしてある男性とその両親が制作元のテレビ局などに損害賠償と謝罪放送を求めて広島地方裁判所福山支部(福山市三吉町一丁目)に提訴していたことが分かったという記事が掲載されていた。全国的には報じられていないのだが、概要を記すと次の通りになる。
・今年2月16日放送の「魔女たちの22時」(日本テレビ系)にこの男性の妻子が出演した。
・番組では「この男性は子供に暴力を振るう父親であり、それが原因で離婚した」と紹介した。
・しかし男性は「子供に暴力を振るうことのない優しい父親であり、妻とは離婚していない。事実に反しており、人格と名誉を著しく傷付ける不法行為だ」と主張している。
・男性(千葉県浦安市在住)とその両親(広島県府中市在住)は制作元の日本テレビ放送網(NTV、東京都港区東新橋一丁目)などに対して合計550万円の損害賠償と謝罪放送を求めて広島地方裁判所福山支部に提訴した。
・今月21日に広島地方裁判所福山支部で行われた第1回口頭弁論では日本テレビ放送網側は請求の棄却を求め、争う姿勢を示した。
 私はこの「魔女たちの22時」はよく見ているのだが、そういう話があったのかどうかは覚えていない。ただ、以前から気になっているのはやたらに煽る演出が多いことである。煽ったりじらしたりする演出はどこでもやっていることであるが、何故このような問題が起きるに至ったのか。私は日本テレビ系の火曜日の午後9〜10時台が魔の時間帯となっていることに原因があるのではないかと考えている。
 日本テレビ系の火曜日の午後9〜10時台といえば長年「火曜サスペンス劇場」(日本テレビ系、1981〜2005年〔昭和56年〜平成17年〕放送)であった。今でも再放送されること(注1)があるが、末期は「ロンドンハーツ」(テレビ朝日系)やフジテレビ系列のテレビドラマに視聴率で勝てなくなり、2005年(平成17年)秋の改編でジャンルを拡大した「DRAMA COMPLEX」(2005〜2006年〔平成17〜18年〕放送)を設定した。ところがこれも視聴率が振るわず、2006年(平成18年)秋の改編で「火曜ドラマゴールド」(2006〜2007年〔平成18〜19年〕放送)に変更したがやはりダメで、遂に2007年(平成19年)春の改編で日本テレビ系列は2時間ドラマの制作をやめてしまった。その後は午後9時台はヴァラエティ番組、午後10時台は一クール完結のドラマに分割したが、午後9時台のヴァラエティ番組は短命のものばかりで、午後10時台のドラマは視聴率が振るわなかったために2009年(平成21年)春の改編で取りやめ、午後9時台と同じくヴァラエティ番組に変更したのである。その第一号が「魔女たちの22時」だったのだが、皮肉にも「火曜サスペンス劇場」亡き後の日本テレビ系列午後9〜10時台で最も長く続いている番組になっている。人気の秘密はやたらに煽ったりじらしたりする手法を取り入れていることやかつては絶大な人気を誇ったのにいつの間にか病気や親の介護などで表舞台から姿を消した女性タレントが登場すること、(マネして効果があるとは限らないかもしれないが)「○○をして若返った」とか「○○をして○kg痩せた」などの美容ネタが女性に受けていることにあると私は思っているのだが、自分が購読している地方紙の地域面にこういう記事が載ったことでかなり失望させられているところである。裁判と番組の行方は定かではないが、視聴率を稼ぐためには何をしても許されるという民間放送局のおごり(甘え)を感じるのは私だけだろうか。

 民間放送局にとって視聴率や聴取率は番組の存廃を占う重要な数値である。その番組の支持度であり、民意でもあるから低ければ打ち切りという処刑を断行する。当然のことながら打ち切りは関係者にとっては屈辱的なことであり、なるべくなら避けたいと考えている。そういう中で面白さを追求する姿勢はあって良いとは思うのだが、私が憂慮するのはそれがかえって関係者に不利益をもたらすことが多いのではないかということである。どのような点が気になるのかを挙げてみると次の通りになる(放送関係以外の話が出ることもあるがご了承願いたい)。
・いわゆる下ネタで笑いをとろうとする芸人が少なくない。男性だけでなく女性にもそういう人が見られる。
・人が快く思わない筆名で投稿する人がいる。いわゆる下ネタを用いる例(注2)が多いが、私が高校時代に読んでいた雑誌には何と「大久保清(注3)この夜」という筆名で投稿していた人がいた。世間を騒がせた連続殺人事件の容疑者の名前を用いて何が楽しいのか。
・昼間でも平気で下ネタを喋るラジオ番組の喋り手がいる。
・平気で人の生命や尊厳を踏みにじるヴァラエティ番組がある。人を死なせたり殺したりするものや羞恥心のある年代の人間が全裸になるものなどは見ていてどうかと思う。
・低俗・俗悪なヴァラエティ番組が平然と真昼間に放送されている。放送局に即刻放送日時を変更しろと抗議しても一切無視するので不愉快極まりない。
・クイズ番組で珍回答ばかりするタレントを前面に押し出し、売り出す。どの番組かは記さないが、そういうタレントで結成された歌手グループがあの「NHK紅白歌合戦」(NHK総合テレビなど)に出場を果たしたのはどうかと思った。
・ディレクターや出演者にいじめを行うような番組がある(過酷なものに挑戦させる、いろいろなものをミキサーで混ぜて作った変な味のジュースを飲ませるなど)。
・グラビアタレントに対して出演者が性的嫌がらせを行う場面があるヴァラエティ番組が少なくない。
・人倫に反することや好ましくないことを取り上げる番組がある。
・死傷する恐れがある企画を設定する番組が少なくない。
・番組の演出のために事実を歪曲したりやらせをしたり取り上げて欲しい部分を一切無視したり誇張したりするものが少なくない。
・暴力を好む姿が強調される番組がある。
・深夜番組で触法行為(泥棒)をしたことを激白したタレントがいた。
・問題発言を行うタレントが少なくない(誰かを誹謗中傷するなど)。
・「タモリ倶楽部」(テレビ朝日系)の人気コーナー「空耳アワー」のVTRにどうかと思うものがある。数年前には全裸の男性が複写機の上に腹ばいで乗って自分の性器を複写するもの(注4)や夜道を一人で歩いていた若者を不良少年三人組が捕まえて自慰をしろと強要するもの(注5)があった。視聴者がマネをしたらどのように弁解するのか。
・平成時代初頭、九州朝日放送テレビ(KBC、福岡市中央区長浜一丁目)の長寿深夜番組「ドォーモ」で流れていたレジャー施設のコマーシャルに電気死刑にかけられた外国人男性が刑務官の「Do you have any last words?(最後に言い残すことは?)」という質問に対してそのレジャー施設の名称を何度も叫ぶというものがあった。面白いコマーシャルではあったが、死刑廃止論者も少なくないことを考えるとこういう設定はどうかと思う。
・2時間ドラマ廃止後の日本テレビ系列の火曜日午後9時台の短命ヴァラエティ番組の一つである「THE M」(2008年〔平成20年〕放送)で谷村奈南を取り上げた時、「巨乳女子大生歌手」として紹介していたのはどうかと思った。デビュー曲が早速テレビドラマの主題歌に使用された歌手なのに、そういう取り上げ方はどうかと思う。もし巨乳でも女子大生でもなかったら全く取り上げないのか(そういう点にも視聴率を稼ぎたいという思惑が見えるが、残念ながらそうはならなかった)。
・「○○県民は○○を食べる」というようなことを紹介するテレビ番組があるが、その都道府県の一部でしか存在しない現象をその都道府県全域で存在するかのように取り上げ、誤解させている面がある。例えば「広島県ではワニ(サメ)を食べる」と取り上げた場合、広島県全域でワニ(サメ)を食べているように視聴者は解釈するが、現実は北部地区(庄原・三次付近)だけの話であり、広島や呉、福山などの瀬戸内海沿岸部ではまず食べることはない。
・事実よりも興味に重きを置き、事実を歪曲して伝える例が成人雑誌でよく見られる。深夜番組「トゥナイト2」(テレビ朝日系、1994〜2002年〔平成6〜14年〕放送)が終了して間もなくの頃発売されたある月刊成人雑誌(この雑誌は現存しない)で番組随一の人気女性レポーターだったせがわきりについて「最も長く出演し続けた女性レポーターであり、番組出演当時の思い出を綴ったエッセイを出版した」などと事実誤認も甚だしいことを平然と記している箇所があった。「トゥナイト2」及びその前身の「トゥナイト」(テレビ朝日系、1980〜1994年〔昭和55年〜平成6年〕放送)で最も長く出演し続けた女性レポーターはせがわきりではなく広島県安芸郡府中町出身の高尾晶子であり(注6)、せがわきりはエッセイ集は「トゥナイト2」終了時点までに2冊出しているがいずれも少女時代の思い出を綴ったものであり、番組出演当時の思い出を綴ったものではない(いくら人気レポーターだったとしても今後も書かないと思うが)。何を考えてこんな事実無根な記事を書くのか。
・ワイドショーのレポーターの執拗かつ無配慮な取材方法。沢尻エリカが記者からの質問に対して不機嫌な態度で接したことを契機に散々叩かれた事件もこれが引き起こした問題ではないかと思っているが、視聴者の知りたい欲求に応えたいあまりに取材対象の人間を不幸にするやり方は感心できない。どれだけ多くの人間がその執拗かつ無配慮な取材で不幸のどん底に突き落とされたか考えて欲しい。
・ワイドショーで毎日のように放送されるどうでも良い疑惑。視聴者の知りたい欲求に応えるためにそのようにしているのだろうが、疑惑の渦中にいる人間が真実を喋るわけはないし、疑惑や真実が毎日出てくるわけでもない。視聴率低迷を覚悟で「確固たる事実が出てくるまで一切取り上げない」と宣言するくらいの勇気はないのか。
・お笑い芸人の使い捨てがひどい。面白ければ盛んに取り上げ、みんなが飽きれば無慈悲にも見捨てる。視聴率確保が理由なのだろうが、もう少し長期的な視野や芸人に対する確かな目は持てないものなのか。
・あるヴァラエティ番組で超音波診断装置を用いて妊娠中のゲストの胎児の様子を見る企画があったが、胎児の様子を見るだけならまだ良かったがその性別まで探るのはどうかと思った。視聴者がそのタレントの私的事項である子供(胎児)の性別を知ることに何の利益があるのか。それに胎児の性別を探るには性器を映さざるを得なくなるためその点でも好ましくない(注7)。
・子供が見るようなヴァラエティ番組で結成された歌手グループが歌っている曲を聴いていると中に子供(18歳未満)の立ち入りが禁止されている施設(どういうところかはご想像にお任せしたい)の名称が入っているのに気付いた。韻を踏むために入れたものと思われるのだが、「パパー、○○○って何?」と子供が尋ねたところ、父親が「そういうものは今知るものではありません!!」と一喝する様子を想像するのは私だけであろうか(注8)。
・衝撃性を多分に含んだ事件報道。例えば現在冤罪事件ではないかという声が出ている千葉県東金市での幼女殺害事件(2008年〔平成20年〕9月21日)で「遺体は全裸だった」などと報じているのはどうかと思った。遺族がいたたまれない気持ちになるばかりか(本当は不謹慎なことなのだが)変な想像をする人が出る恐れがあることを考えて欲しい。
・スロープを降りてくる女性のマネキン人形がはいているパンティを足で脱がしたり道の両側に5体ずつ女性のマネキン人形を置き、その乳首に干しぶどうを付けて合計20個の干しぶどうをなめたりする時間を競う企画があるヴァラエティ番組で放送されていた。私の住んでいる地域では深夜に放送されているのだが、他の多くの地域ではまだ子供が起きている午後11時頃に放送されている。これを見て女性を強姦する事件が起きたらどのように弁解する気なのか。
・外国で多くの難事件を解決させたという超能力者を来日させて未解決事件を解決させようとする企画。解決した事件はほとんどないばかりか容疑者がいるとされた地域で騒動を起こしたことすらあった。中には捜査を担当している警察署に「○○(容疑者)は○○にいます」という文書を提出したというものもあった。単なる視聴率獲得企画ではないのか。
・ワイドショーなどでのテレビ公開捜査企画のあまりの無責任ぶり。私的領域の問題もあってそのようにしたのだろうがどれだけ解決したのか全く報告がなかったし、「奇跡の扉 TVのチカラ」(テレビ朝日系、2002〜2006年〔平成14〜18年〕放送)では事件解決が近いように誤解させる映像が流れたことすらある。こんなことをしているから警察はテレビを使おうと思わなくなったのではないか(注9)。
・ヴァラエティ番組における結婚や恋愛に関する企画。結婚相手探しなど成功した例がないし、番組内でカップルになったとしてもその後どのようになったか報告されることもない。あまりに無責任すぎるのではないか。
・ワイドショーにおけるタレントの離婚報道。「男性が浮気したから」という女性が多いが、一方的に男性を悪者にするのはいかがなものか。自分に至らない面はなかったのか反省したことが一度でもあるのか。
・ある事実だけを誇張した報道。数年前岡山県南西部で国道2号線のバイパスとして通る車の多い備南広域農道を大型トラックが多く走っているということを強調して報じた番組があったが、なぜそのようになったのかは全く伝えられなかった。その原因を伝えずして大型トラックが広域農道を多く走るという事実を伝えるのはいかがなものか(注10)。
・ある女性タレントの胎児の先天性疾患による死産に関する報道。ある駅の売店で見かけた女性週刊誌の表紙に大きく取り上げられていたのを見てもう少し配慮すべきではないかと思いたくなった。
・朝鮮民主主義人民共和国に関する報道。朝鮮中央テレビのアナウンサーがきつい口調で日本や韓国、アメリカを非難するところばかり映しているような気がしてならない。それで朝鮮民主主義人民共和国は何をしてくるか分からない怖いところだという印象を与えたいのだろうが、もう少し適切な取り上げ方はないのかとかそれが彼らのやり方であり、殊更に取り上げるべきではないと思いたくなる。
・人気マンガ「クレヨンしんちゃん」の作者・臼井儀人(1958〜2009)が登山中に遭難して逝去した時、ある週刊誌で彼の信仰している宗教の話が掲載されていた。他人に害を及ぼさない限りはどの宗教を信仰しても良いと思うし、そういう問題は私的なことなので取り上げるべきではないと思うのだが、何故そういうことまで書くのか。
・首相やスポーツ選手など落ち目に差しかかっている人に対する報道。「もうすぐ引退か?」「支持率低迷。退陣は時間の問題」などという報道が目に付くが、そういう報道を慎もうという気はないのか。むしろどうすればよくなるか提案することを考えても良いのではないか。
・身体障害者や高齢者の福祉を充実させる目的で始めたのにいつの間にかヴァラエティ番組と化している24時間テレビ。そこまでして視聴者から浄財を集めたいのか。他局の24時間テレビも感心できない。不況とか地上波デジタル放送への移行とかインターネットの普及でどのテレビ局も経営が苦しくなっているのに費用がかさむ番組をなぜ改善しようとしないのか。
・かつてある民族(国内外を問わない)の風習や食物を面白半分に紹介している番組があった。民族に優劣はないはずなのに、自分達が偉いと言っているように見えて不愉快だ。
 中には面白半分でやっていないこともあるしそれを承知の上で記しているのだが、そこに私は多くの人に見て欲しい、多くの人に聴いてほしい、多くの人に読んで欲しいという思惑を感じる。それはそれで良いとは思うのだが、人を騙したり傷つけたり不快にさせたりしてまでやって良いとは思えない。それでどのような報いが来るかは最早記すまでもないであろう。
 何物にも栄枯盛衰があるし、みんなに支持されるものがある一方で誰からも支持を受けず、人知れず消えていくものがある。それは世の道理である。しかし、人間はそれを知っていてその道理に逆らおうとする。道理に逆らった先にあるものが恣意性を多分に含んだ報道であり、企画である。当然のことながら発覚したり告訴されたりした時は自分自身の破滅となる。
 我々がその問題を強く感じたのは30代後半以上の方なら記憶があると思うのだが、「アフタヌーンショー」(テレビ朝日系、1965〜1985年〔昭和40〜60年〕放送)のいわゆるやらせリンチ事件であった。かつては平日午後0時台(注11)の人気番組として高視聴率を誇ったこの番組も1982年(昭和57年)10月に今なお続く「森田一義アワー 笑っていいとも!」(フジテレビ系)が始まると視聴率が低迷するようになった。そんな中、1985年(昭和60年)8月に東京郊外の河川敷で起きた暴行事件の一部始終を放送したのだが、それが後にディレクターの演出であることが判明し、20年半続いた「アフタヌーンショー」は打ち切りの憂き目に遭ったばかりかその後長らくテレビ朝日系列の平日午後0時台は低迷を続ける結果になったのである。放送当時の題名は「激写! 中学女番長! セックスリンチ全告白!」という真昼間に放送するにふさわしくないというかなぜそういう題名が通ったのか不思議でならないと思うほど過激なもの(大体昼間、それも夏休み中の幼稚園児・小学生・中学生・高校生がいる時間帯の番組に「セックス」という単語を入れること自体どうかしている。誰かこういう題名はやめようよとか発覚したら悲惨な結末を迎えるのは目に見えているのにやめたほうが良いのではないかという声を上げる人はいなかったのか)だったのだが、こんな題名を付けてまで真昼間に放送するところに視聴率回復のためには何をしても許されるというおごり(甘え)が見えてくる。
 私はこの「アフタヌーンショー」のやらせリンチ事件がテレビ番組の過激化の始まりではないかと考えている。それまでにも過激な番組はなかったわけではないだろうが、それから四半世紀経った今日、果たしてテレビ番組は視聴に堪えるものになっているだろうか。多くの人に見てくれと言わんばかりにあの手この手を使っているからである。その結果、多くの視聴者からは冷めた目で見られ、番組で取り上げたことが原因で問題がいくつも起きている。要因としてはバブル景気崩壊後の長期的な不況やインターネットの普及によるテレビ視聴者の減少が挙げられるが、番組の延命や視聴率奪還を目的に行われていることも少なくない。
 なぜそのように感じるのか。実は私は高校2年生の時「新婚さんいらっしゃい!」(テレビ朝日系)のパロディとして「離婚さんいらっしゃい」を発想したことがあるのだが、私がテレビ局に提案したわけでもないのに自分が考えた内容が現実に番組になってしまったことがあるからである。「離婚さんいらっしゃい」を発想した契機は当時通っていた高校の女性教諭が別の高校の男性教諭と離婚したこと(注12)に衝撃を受けたことにあるのだが、非常に不謹慎なところから発想したこの「離婚さんいらっしゃい」は一体どのような番組なのかというと次に記す通りである。
・テレビ局のスタジオにリングを設置する。
・離婚寸前の夫婦がそれぞれ別の方向から入場する。
・離婚寸前の夫婦はリング上で対決する。但し、殺傷能力のある凶器は使用してはならないし、身体機能喪失行為や絶命行為はしてはならない。また、リング外に出て戦うことも禁止する。これらの規則に違反した場合、対決はそこで中止となり、出場者は退場するものとする。無論、もう二度と出演することもできない。
・対決はどちらか一方が気が済むか降参を申し出るまで無制限で行う。
・対決終了後リング上にテーブルを運び込み、そこで離婚届にサインをしてそれぞれ別の方向から退場する。
 何をバカなことを想像しているのかと思った方も多いかと思うのだが、当時の自分は離婚の前に夫婦間で最後の対決が行われるものと信じて疑わないところがあった(注13)。離婚した先生だってそのようにして離婚したのだろう(注12)と信じて疑わなかった私はこんなに面白い番組があったら良いだろうなどと考え、何と当時購読していた雑誌の投稿欄に投稿したのである(実は前記の「大久保清この夜」という筆名を見かけた雑誌と同じ雑誌の投稿欄)。しかし、あえなくそれは不採用となったのである。
 それから22年の歳月が流れたのだが、私の考えた内容の番組は題名こそ異なるがあろうことか実現してしまったのである。それは次の通りである。
・「ケンカの花道」(フジテレビ系、1994〜1995年〔平成6〜7年〕放送)及び「ケンカの花道2」(フジテレビ系、1996年〔平成8年〕放送)
 毎週一組の夫婦がスタジオに設置されたリングで夫婦ゲンカを繰り広げるというもの。
スタジオに設置されたリングで夫婦ゲンカを繰り広げる点で共通する。ただ、番組内容の過激さが視聴者に嫌われ、広島では中国新聞朝刊の投稿欄「広場」にこの番組を非難する投書が掲載されたことが元になって系列局のテレビ新広島(TSS、広島市南区出汐二丁目)は途中で打ち切った。
・「愛する二人 別れる二人」(フジテレビ系、1998〜1999年〔平成10〜11年〕放送)
 離婚寸前の夫婦(画像・音声処理あり)が登場して司会のみのもんたや美川憲一、デヴィ夫人や飯島愛(1972〜2008)などのパネラーとやり取りし、結婚生活を続けるか否か決めるというもの。毎回というわけではないが
番組内で離婚届にサインする場面があり、そこが私の考えた番組と共通する。「しっかりしろ!!」とか「何を考えているんだ」などと思いながら見ていたが、高視聴率を挙げたこの番組もやらせが発覚して打ち切りの憂き目に遭った(打ち切り当時広島では系列局のテレビ新広島の番組編成の都合上時差ネットされており、放送未了になった回もある)。みのもんたが夫婦仲を破壊した夫か妻の愛人を呼び出すとすぐに出てきたことやある雑誌がこの番組の舞台裏を取材しようとしたところ拒絶され、果たせなかったこと、音声処理や画像処理を用いていたことなどが怪しかったと言え、こういう番組はもう二度と放送しないで欲しいと思ったものである。
 夫婦の問題を取り扱ったヴァラエティ番組としてはこの他に名古屋テレビ放送(NBN、名古屋市中区橘二丁目)制作の「夫婦交換バラエティー ラブちぇん」(2005〜2008年〔平成17〜20年〕放送)もある(注14)のだが、これら三番組を見た私としてはテレビ局はここまでおかしくなったのかという感じを抱いた。そもそも夫婦の問題は私的な問題であり、テレビ局のスタジオに赴いてまで解決させるべきものではないし音声処理や画像処理は制作者側にとってはニセ夫婦やニセ愛人を作れるなどあまりにも好都合な手段である。こんなテレビ番組を見て喜ぶ我々とは一体いかなる存在なのだろうか。ある評論家はテレビの普及は一億総白痴化(注15)を進める行為であると言ったというが、まさにその通りの現実がそこには見られる。
 「おもしろまじめ」「楽しくなければテレビじゃない」これは1980年代に存在したあるキー局の宣伝文句である。確かにそうだとは思うし、視聴率とて0.1%でも欲しい気持ちは分かる。しかし、それで良いのかと私は思う。面白さや視聴率向上を追求するあまり過激化していく傾向は今なお続いているし、それでひどい目に遭う人も少なくない。そしてある程度の支持があるのに視聴率が悪いということで番組を打ち切ることは視聴者にとっての不利益になる。それらの問題から生じた苦情は毎日放送局に寄せられるが、放送局側が見解を示すことは滅多にない。まさに放送は送りっ放しと字の如しである。
 けれどそれで良いのだろうか。視聴率を向上させることはいつ終わるとも知れない消耗戦でしかないことは分かっているはずである。自分達の恣意的な行為でどれだけの視聴者が迷惑を被るかは分かっているはずである。なのになぜ改めないのか。なぜ視聴者の意見を聞かないのか。なぜ説明責任を果たさないのか。「気に入らないなら見なければ良いだろう」という態度で臨んでいないか。そろそろ放送局は分かって欲しいのである。私は何もテレビやラジオの存在とか面白さを否定するつもりでこういうことを書いているわけではないのだが、自分達は何を視聴者に与えるべきなのか、真剣に考える時期が来たように思う。折りしも地上波デジタル放送への移行まで遂に1年を切ったが、それを契機に考えることは全く悪いことではないはずであるし、むしろそれは2011年(平成23年)7月24日午後0時に実行される地上波デジタル放送への完全移行後の生きる道を定めるために有用になるはずである(注16)。
 ただ、視聴者ももう少しテレビについて真剣に考えるべきであることをこの場で併せて訴えておきたい。乳幼児期からテレビに子守りをさせて良いのか。子供が俗悪番組を見ていた時に「くだらない番組など見るな!!」などと怒鳴り、現実を受け入れないことが良いのか。テレビ番組が見られないことを巡って仲間外れにするいじめがあることをどれだけ認識しているのか。テレビ番組のマネをするのが好ましいことなのか。現実を直視し、子供がいれば子供と話し合う機会を設けるなど考えるべきであろう。読後感想文ならぬ視聴後感想文を書かせるのも面白いかもしれない。
 多分これからもテレビは我々の生活とは切り離せないものであり続けるだろう。しかし、そのためには多くの問題が解決され、変わらなければならない。果たしてどのようにしていくのか。それが今問われている。

(注釈コーナー)

注1:BS日テレで週末を中心に再放送されている他、広島県では日本テレビ系列ではなくテレビ朝日系列に属している広島ホームテレビ(HOME、広島市中区白島北町)で平日の午後1時55分〜午後3時50分にテレビ朝日系列及びテレビ東京系列の2時間ドラマに混じって放送されることがある(日本テレビ系列に属している広島テレビ放送〔HTV、広島市中区中町〕では最近再放送はされていない)。
※なぜ日本テレビ系列ではなくテレビ朝日系列に属している広島ホームテレビで日本テレビ系列のドラマが放送できるのかというと権利切れによりどの系列でも放送できるようになったからではないかと思われる(まれにTBS系列・フジテレビ系列の2時間ドラマを放送することもあるが最近はテレビ朝日系・日本テレビ系・テレビ東京系の2時間ドラマがほとんど)。この他広島ホームテレビではフジテレビ系列に属する東海テレビ放送(THK、名古屋市東区東桜一丁目)制作のドラマの再放送を行っているが、同じ理由により可能になったものと思われる。

注2:主な事例としてはJ-WAVE(東京都港区六本木六丁目)の「OH! MY RADIO」(2001〜2010年〔平成13〜22年〕放送。特に平井堅が出演していた日に下ネタ入りの筆名で送ってくる人が多かった。無論平井堅はそういう筆名を言った後「こういうペンネームで送ってこないで下さい」といつも言っていた)やエフエム山口(FMY、山口市緑町)の「きおつけ! ヤスベェ」(1989〜1999年〔平成元〜11年〕放送。〔私の知る範囲だが〕下ネタ入りの筆名を用いた場合、喋り手の大谷泰彦〔現在も山口県で活躍中のタレント〕から退学や永久追放を宣告される。なお「退学」宣告があるのはこの番組に「ミッドナイトスクール」という副題があるためである)がある。筆名に対する苦言を呈したり退学または永久追放を宣告したりするくらいなら最初からそういう筆名は一切読まない方針をとれば良いのではないかと考える方もいるが、私は場を盛り上げるために取り上げているのだろうと考えている(そのような筆名で投稿する人が出るのは番組や喋り手の性格が大きいように思われる)。

注3:大久保清(1935〜1976)は1971年(昭和46年)春に群馬県内で8人の若い女性を殺害し、その遺体を山中などに遺棄した事件の容疑者である。ベレー帽をかぶり、ルバシカを着て当時最新のスポーツカーだったマツダファミリアロータリークーペに乗り、若い女性に「私は画家なんですけど、絵のモデルになりませんか?」と声をかけて誘っていたという(そのせいで群馬県ではマツダ車、特にファミリアロータリークーペは売れなくなったという話もある)。なお、大久保清には強姦事件の前科があり、何らかの対策がとられていれば事件は防げたのではないかとする意見もある。

注4:2002年(平成14年)1月19日放送分(放送日は制作元のテレビ朝日〔EX、東京都港区六本木六丁目〕基準)で紹介されたもので、Blur(ブラー)の「You're So Great」の一節が「チンチンをコピー」に聞こえるというものであった。
※もしこのVTRで放送された行為を実際にした場合、複写機が壊れたり猥褻(わいせつ)物等頒布罪(刑法第175条で規定)に問われたりする可能性がある。

注5:2003年(平成15年)8月30日放送分(放送日は制作元のテレビ朝日基準)で紹介されたもので、T.O.K.の「All Day」の一節が「オナニーやれ」に聞こえるというものであった(私が聞いたところ「おなーにやれ」と言っているようにしか聞こえなかった)。なお、VTRでは6回「オナニーやれ」が流されているが、曲全体では相当な数になることを付記しておく。
※もしこのVTRで放送された行為を実際にした場合、脅迫罪(刑法第222条で規定)か軽犯罪法違反教唆(きょうさ)、公然猥褻罪教唆に問われる可能性がある。脅されて自慰行為をさせられた側は公然猥褻罪(刑法第174条で規定)や軽犯罪法違反に問われる可能性はあるが、脅されてやらざるを得なくなった点を考えれば許されるかもしれない(どうなるか私は法律には詳しくないので分からないが…)。

注6:せがわきりと高尾晶子は現在衆議院議員として活動している青木愛などとともに「トゥナイト」「トゥナイト2」に跨ってレポーターとして出演していたが、出演期間はせがわきりが約6年2ヶ月(1993年〔平成5年〕8月〜1999年〔平成11年〕10月)だったのに対し、高尾晶子は約8年5ヶ月(1993年〔平成5年〕10月〜2002年〔平成14年〕3月〔番組終了〕)となっており、明らかに高尾晶子のほうが長い。ともに20歳前後から出演していたことや番組や視聴者から信頼を得たことから長期間出演できたのであろう。

注7:反対にブログなどで胎児の性別を明かすタレントもいる。しかし、タレントの私的領域に当たる問題を明かしていかなる利益があるのか疑問に感じる方も少なくない。

注8:実はこの歌手グループは本文で触れた「クイズ番組で珍回答ばかりするタレントで結成された歌手グループ」に対抗する形で結成されたものである(ちなみに制作局は同じ)。

注9: 広島県公式サイト の「県政へのご意見」2010年(平成22年)3月分の投稿の中にテレビコマーシャルを用いて公開捜査を行ってはどうかという趣旨のものがある(それは こちら )が、回答した広島県警察本部刑事総務課としては次に挙げる理由から実施しないとしている。
・放映料が高額なこと。
・放映時間や放映期間などが限られるために費用対効果が十分期待できないこと。
・テレビコマーシャルを用いなくても広島県警察本部公式サイトに情報提供を求めるページを設置したり情報提供を求めるポスターまたはチラシを作成したりすることで長期間不特定多数の一般市民の目に触れることが可能であり、効果が期待できること。
要するに財政事情が厳しいこの時代にいつ終わるともしれない問題に金はかけたくないというのが本音なのであろう。それにテレビコマーシャルには(見たいと思ったものがある方はよく知っているのではないかと思うのだが)ほとんどの場合いつどの放送局で流れるか分からないという難点がある。広島県警察本部を含むほとんどの警察機関が消極的になるのはよく分かる。
しかし、私は民間テレビ放送局の視聴率至上主義が警察に嫌われていることも一因ではないかと考えている。かつては昼間に放送されているワイドショーではよく未解決事件や失踪者の情報提供を求める公開捜査コーナーが設定されていたが、さしたる効果を挙げなかったことや視聴率が稼げなくなったこと、昼間から恐怖感を視聴者に植え付けるとの苦言が寄せられたこと、そして嘘をテレビカメラの前でいう人がいたこと(つまり失踪者を殺害しておいて何食わぬ顔をして番組に出演し、例えば「私の妻は○月×日突然いなくなりました。誰か私の妻・△子を知りませんか。情報提供をよろしくお願い致します」などと涙ながらに叫んでいた人がいたこと)などもあっていつの間にか廃れてしまった。その代わり—というわけでもないとは思うのだが—出てきたのが海外で事件解決に功績を挙げている超能力者を来日させて未解決事件を解決させようという企画である。これも解決した事件はほとんどないばかりか本文で触れた通り容疑者がいるとされた地域で騒動を起こしてしまった。果たしてこういう姿勢をとる放送局に警察は信頼を寄せるであろうか。広島ホームテレビの公式サイトで廿日市市で発生した女子高校生の殺害事件(2004年〔平成16年〕10月5日)に関するページを設定している例(それは こちら 。但し更新は2009年〔平成21年〕から停止している模様。なおそこからは被害者の父親が運営しているブログにも進むことができる)はあるが、その広島ホームテレビでさえ放映料なしという条件で廿日市の事件の情報提供を求める宣伝は一切制作・放送していない。私としては放送局が制作費・放映料を持つという条件で放送局自身が未解決事件の情報提供を呼びかけるコマーシャルを作ってはどうかと考えているのだが、それすら難しい話なのだろうか。

注10:備南広域農道を大型トラックが多く走る原因としては次のようなことが挙げられる。
・その辺りの山陽自動車道は早い時期に開通していた(1988年〔昭和63年〕3月1日開通)が、通行料金が高いこと。
・岡山県南西部は10万人以上の都市こそ存在しないが、渋滞頻発箇所が少なくないこと。
・岡山県における国道2号線のバイパス整備は長らく岡山・倉敷両市に重きが置かれていたが、岡山バイパスが全線開通したのは1999年(平成11年)3月24日、玉島バイパスが全線開通したのは1994年(平成6年)3月17日とあまりにも時間がかかりすぎ、他地域でのバイパス整備になかなか着手できなかったこと。このうち備前市から岡山市東区にかけては岡山県道260号八木山・日生(やきやま・ひなせ)線→岡山ブルーライン(岡山県道397号寒河〔そうご〕・本庄・岡山線)が迂回路として使えるためバイパス整備が必要なのは浅口市や浅口郡里庄町、笠岡市だけになる。
※個人的な話で恐縮だが、私は玉島バイパス全線開通の日にJR山陽本線の電車に乗っていて長らく未開通のままだった倉敷市玉島道越〜倉敷市玉島阿賀崎間の高架橋(阿賀崎高架橋)が開通することを知った。余談だがその日は徳島自動車道・藍住インターチェンジ(徳島県板野郡藍住町東中富)〜脇町インターチェンジ(徳島県美馬市脇町拝原)間が開通し、全都道府県で国土開発幹線自動車道が供用されるようになった日でもある。
・岡山県南西部では倉敷市玉島勇崎で水玉ブリッジライン(岡山県道398号水島港・唐船〔とうせん〕線)と接続し、笠岡市西大島新田で国道2号線笠岡バイパスに接続する玉島・笠岡有料道路(岡山県道458号勇崎・入江線〔1975〜2002〕)が計画されていたが、通行料収入の低迷による岡山県道路公社(岡山市東区西大寺五明。2006年〔平成18年〕解散)の経営不振や沿線住民の強硬な反対などが原因で遂に着手できず、国土交通省によって国道2号線玉島・笠岡道路が改めて計画されたこともあって全く供用されないまま計画廃止に追い込まれた。そうなるなら最初から国土交通省が計画すれば良かったのではないかと思いたくなるのだが、やはり岡山・倉敷両市のバイパス整備に重きが置かれたことが計画の遅れに繋がったのだろう。
※似た例は鳥取県でも起きている。鳥取県は2000年(平成12年)7月11日鳥取県告示第435号で国道9号線と山陰自動車道・青谷(あおや)インターチェンジ(鳥取市青谷町青谷)を結ぶ目的で鳥取県道152号青谷インター線を認定しながらわずか2年1ヶ月後の2002年(平成14年)8月20日鳥取県告示第446号で鳥取県道152号青谷インター線を廃止しているのである。その理由は国土交通省により同じ区間にアクセス道路が計画されたからであったが、それならなぜ鳥取県道152号青谷インター線を認定したのだろうと考えたくなる(恐らく存在した2年間のどこかで方針が変わったのだろうが…。それにしても気になるのは青谷インターチェンジ以東の山陰自動車道が開通した後のこのアクセス道路の処遇であるがどうなるのだろうか)。

注11:番組終了時点で平日午後0時台に放送されていたのは中国地方では岡山・広島両県だけであり、鳥取・島根・山口各県では午後2時台に放送されていた(鳥取・島根・山口各県にはテレビ朝日系列に属する民間テレビ放送局がないため。このうち山口県は1993年〔平成5年〕にテレビ朝日系列に属する民間テレビ放送局が開局している)。このうち鳥取・島根両県では日本海テレビジョン放送(NKT、鳥取市田園町四丁目)と山陰放送テレビ(BSS、米子市西福原一丁目)の2局で同時に放送されていた。
※なぜこうなったのかというと、元々日本海テレビジョン放送は鳥取県だけを、山陰放送テレビは
鳥取県米子市に本社がありながら島根県だけをそれぞれ放送区域として開局したことによる。1972年(昭和47年)に鳥取・島根両県の民間テレビ放送の放送区域統合が実施されたのだが、経営上の問題から中継局の設置が進まず、当時は人気が高かったテレビ朝日系列のワイドショーを両局で流そうということになったものと思われる。結局山陰放送テレビにネットが一本化される1989年(平成元年)秋までこの放送形態は続くのだが、山陰放送テレビにおけるテレビ朝日系列のワイドショーのネットは2009年(平成21年)春に終焉を迎え、今では山陰地方はテレビ朝日系列のワイドショーを見られない地域になっている(テレビ朝日系列のワイドショーの視聴率が低下したことと「はなまるマーケット」〔TBS系〕のネットを望む声が高かったことが理由と思われる)。

注12:原因は双方の多忙によるすれ違いである。教職員同士で結婚している人は多数見た(学校に勤務している教職員だけでなく、級友の両親がともに教職員という話があったことも私は知っている)が、離婚したという話を聞いたのはその教諭が最初で最後である。

注13:子供が両親のケンカ(夫婦ゲンカ)を見ると夫婦仲が悪いのではないかとか両親が離婚してしまうのではないかと想像することがよくある。子供が登場人物のマンガや子供時代の思い出を綴ったエッセイ集などを読むとそういう場面によく出くわす。大人になればケンカは意見の相違で起きることであり、必ずしも仲が悪いからするものではないものであることや夫婦や兄弟姉妹のコミュニケーションの一手段であることを悟ってくることであろうが、やはりどこかにケンカ=不仲という図式が人生経験の少ない子供にはあるのだろう。

注14:中国地方では日本海テレビジョン放送と広島ホームテレビ、瀬戸内海放送(KSB、高松市西宝町一丁目)が時差ネットしていた。ただ、名古屋テレビ放送では深夜帯に放送される番組にもかかわらず、日本海テレビジョン放送と瀬戸内海放送では昼間に放送されていたのがいただけなかった。
※山口県では「夫婦交換バラエティー ラブちぇん」は特別番組を除いて放送されなかったが、恐らく系列局の山口朝日放送(YAB、山口市中央三丁目)には俗悪番組は極力放送したくないという方針があり、それで定期化を見送ったものと思われる。山口朝日放送開局前にテレビ朝日系列に属していた山口放送テレビ(KRY、周南市徳山)の方針を引き継いだとする説もあるが定かではない。

注15:ここで記した「白痴」という言葉は現在では差別用語として用いることが不適切なものとされている。しかし、伏せ字にしてしまうと言葉の意味が分かりづらくなることや言い換えることが困難なことからそのまま記すことにした。その点をご了承願いたい。

注16:2011年(平成23年)3月11日に発生した東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)で甚大な被害を受けた岩手・宮城・福島各県における地上波デジタル放送への完全移行は2012年(平成24年)3月31日に延期された。

(AFTER TALK)

 結局この「魔女たちの22時」は本文で記した事件以外にも多数問題が起きたこともあり、2011年(平成23年)春の改編で打ち切られるのだが、制作元の日本テレビ放送網はその翌年、重大な事件を起こしてしまった。2012年(平成24年)5月4日の夜放送された「芸能★BANG+(げいのうばんぷらす)」(2012年〔平成24年〕放送)のスペシャル番組の中で女性お笑いコンビ・オセロ(2013年〔平成25年〕解散)のメンバーだった中島知子と同居した女性占い師(以降占い師Aと記載するものとする)が出演すると何度も宣伝しながら実際に出演したのはこの占い師Aと同居したことがある別の女性占い師(以降占い師Bと記載するものとする)であり、結局中島知子と同居した占い師Aは出演しなかったというものである。占い師Aに対して出演交渉をしたが不調に終わったのか、出演交渉が不調に終わることを見越して占い師Aをよく知る人物を探し出し、それで占い師Bを出演させることにしたのか、当初から占い師Aを出演させる考えがなかったのか真相は分からないのだが、無論制作元の日本テレビ放送網や放送倫理・番組向上機構(BPO、東京都千代田区紀尾井町)に多数の抗議が寄せられ、日本テレビ放送網としては火曜日の深夜に放送していた「芸能★BANG+」を7月17日放送分をもって打ち切ることにした。しかし、その最終回でも番組公式サイトでも番組が終わることに関する話は一切出なかったという(翌週から出演者はそのままの新番組が始まることもあったのだろうが、ただの改題と考えてもいただけない)。
 まあもし占い師Aが実際に出演したとしても恐らく自分の正当性を訴えることに終始し、真相は話さなかったのではないかと私は思うのだが、視聴者を欺く番組を作るだけならまだしもそれで番組が打ち切りの憂き目に遭ったのに何もなしというのはいかがなものだろうか。「芸能★BANG+」打ち切りの少し前、系列局の広島テレビ放送では出演者の不祥事を理由に「ドラマ24 ここが噂のエル・パラシオ」(テレビ東京系、2011年〔平成23年〕放送)を途中で打ち切ったのだが、公式サイトの目立つ場所に打ち切らざるを得なくなった理由を掲示したということがあった。「視聴率の低い深夜番組なのにそこまでする必要はないだろう」と思う方もいるかもしれないのだが、打ち切り当日の新聞のテレビ欄に最終回記号が記されなかったところ(スペースの問題もあったのだろうが…)を見るといきなりの打ち切りは視聴者の不利益に当たるという判断があることや全てではないにせよ話題作を放送しており、ある程度の支持を得ていること(広島テレビ放送における「ドラマ24」の放送開始は2010年〔平成22年〕11月。それ以前には広島ホームテレビが放送していたことがあるが放送作品に何らかの意図的な選り好みがあったことや途中で放送日時を変えたこと、その際スポンサーが降りたことなどから2年で打ち切られている)から掲示しようという判断になったのだろう。私はこの広島テレビ放送の対応を評価したいのだが、その総本山たる日本テレビ放送網は広島テレビ放送のこの対応をどのように考えていたのだろうか。打ち切りの理由が放送局自体の問題か否かという違いはあったにしてもあまりにもまずい番組の終え方だと思う。
 「魔女たちの22時」にしても「芸能★BANG+」にしても視聴率が稼げれば何をしても許されるというおごり(甘え)が自らの首を絞める結果になったわけであるが、これらの番組の制作元の日本テレビ放送網は視聴率を不正に操作したことが発覚した過去を持っている。10年近く前の話であり、覚えていない方も多いのではないかと思うのだが、その時の教訓は結局生かされたのだろうか。「のど元過ぎれば熱さ忘れる」ということわざがあるが、視聴率不正操作事件で得られた教訓を無に帰するようなことを行うとは本当に残念なことである。

 そもそも新聞や雑誌、テレビ、ラジオは何のためにあるのだろうか。情報を多くの人々に伝えたいからではないのだろうか。ただ堅苦しいことばかり報じても見向きもされないから面白さも同時に追求することになるのだが、それが全ての始まりではないかと私は思うのである。いつから面白さが追求され、それによって人が傷付けられる問題が起きるようになったのかは分からないが、1896年(明治29年)に作家の田沢稲舟(1874〜1896)が実際は急性肺炎で逝去したにもかかわらず「田沢稲舟は消火剤を飲んで自殺した」とか「田沢稲舟は五大堂(宮城県宮城郡松島町松島にある仏堂。田沢稲舟の作品の題名にもなっている)から投身自殺した」などと報じた新聞があり、それが原因で元夫で言文一致運動の先駆者の一人としては知られる作家の山田美妙(1868〜1910)は文壇の表舞台から引きずり下ろされるという事件があったこと(田沢稲舟は山田美妙と恋仲になり、結婚に至ったのだが、わずか3ヶ月で離婚している〔その約半年後に田沢稲舟は逝去〕。嫁姑との関係が良くなかったことや山田美妙の素行に問題があったことなどが短期間で離婚した理由だと思われる)を考えるとそういう媒体が創設され、広く普及した時からある問題なのかもしれない(田沢稲舟の逝去に関する誤報に関しては逝去当時田沢稲舟はまだ鉄道が通じていない故郷の山形県鶴岡市に戻っており、情報伝達が困難だったことが原因ではないかと考えたくはなるが、私はかねてから素行に問題があった山田美妙を失墜させたい何者かが仕組んだのではないかと考えている。何か最近でもよく見られる、女性にも非があるのに男性を悪者扱いにする離婚報道に通じるものがあるように感じるのだが…)。
 山田美妙にしても田沢稲舟にしても今日その名前を知っているとか作品を読んだことがあるという方はほとんどいないと思うのだが、それから120年近くが経過した今日、同じことは繰り返され続けている。「魔女たちの22時」で夫が悪いかのような伝え方をしたこともしかり。まだ疑惑が完全に解明されたわけでも確たる証拠が出てきたわけでもないのに疑惑の渦中にある人を追いかけ回し、毎日のように取り上げることもしかり。「トゥナイト2」随一の人気女性レポーターだったせがわきりに関して最も長くレポーターを務めたとか当時の思い出を綴ったエッセイ集を出版したというような事実無根なことを書き立てたこともしかり。阪神タイガースの金本知憲外野手(当時)が刑事告訴されたと報じたこともしかり。暴力団関係者との関係を所属芸能事務所に知られ、事情を聴かれた直後に電撃引退した島田紳助に関して「全財産をむしり取られる」とか「間もなく逮捕される」と報じたこともしかり。その度に誰かが傷付けられるのだが、一度肝に銘じる契機になるべき事件があったことをよもやお忘れではないのだろうか。1986年(昭和61年)12月、ビートたけし(北野武)が弟子とともに写真週刊誌「フライデー」(講談社〔東京都文京区音羽二丁目〕発行)の編集部を襲撃したという事件である。「フライデー」の記者の強引な取材が原因なのだが、もし今このような事態に陥っても出版社や新聞社、放送局は「言論の自由に対する冒涜(ぼうとく)だ」とか「報道の自由を揺るがしかねない由々しき事態」と言うのだろうか。反対に事実無根なことを報じたことで書かれた側の人間が表舞台から引きずり下ろされたり精神を病んだり自殺を図ったりしたら赤飯を炊いて「○○が消えた。バンザイ!!」と喜ぶのだろうか。そのために新聞や雑誌、テレビ、ラジオは存在するものではないことを考えないとその先に待っているのは最早破滅しかない。
 鎌倉時代末期から室町時代初期にかけて吉田兼好(よしだ・けんこう。1283?〜1352?)が著したとされる随筆集「徒然草」に仁和寺(にんなじ。京都市右京区御室大内)で稚児が剃髪して一人前の僧侶になることを祝して宴会が開かれた時にある僧侶が鼎(かなえ)という青銅製の器をかぶって踊り、みんなを喜ばせたまでは良かったのだが、あろうことかこの鼎が抜けず、ようやく抜けたところ鼻と耳を失ってしまい、その後寝込んでしまったという話が記されている(第53段)。「鼻と耳を失ってしまい…」というのが事実かどうかは定かではないのだが(鼎を抜いた際に潰れてしまったというのなら分かるのだが、まさか鼎の中にとれてしまった耳や鼻が残っていたというわけではないのだろう)、今から700年ほど前に書かれたこの話は現代にも当てはまることではないのだろうか。しかし、人は何度も同じことを繰り返してしまう。「歴史は繰り返す」という言葉があるのだから当然だろうという方もいるのだろうが…。
 私は思う。多くの利益を得たい気持ちは分からないわけではない。しかし、今一度足を地に付けて物事を考えることはできないものであろうか。例えば警察は未解決事件の情報提供を求める宣伝をテレビで流そうとしないが、放送局が独自に宣伝を制作し、流すことはできないだろうか。視聴率低迷などが原因の打ち切りについて、いきなり打ち切るのではなく、視聴者または聴取者からの意見を聞いた上でどのようにするのか決めることはできないだろうか。視聴者の意見について原則として返答はしないと言うが、きちんと説明を尽くし、視聴者の理解を求める態度を持つことはできないだろうか。出版社にしても新聞社にしても放送局にしても公たる存在でありながら利益を追求しなければならない存在であり、その永続も保障されない存在でもあるわけであるが、「嫌なら読んだり見たり聴いたりしないでくれ」とか「打ち切ったのは利益にならないから。再開を求めるあなたはマニアだ。我々はマニア(少数派)の声など一切聞く耳を持たない」というような上から目線に立った態度をとるのではなく、
下から目線、すなわち市民からの目線に立つ必要があるのではないのだろうか。そこに問題の解決の糸口があるように私は思うのだが、果たして…。

(2013年〔平成25年〕5月27日追記)

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