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SUNDAY TALK2011

第42回:三つの疑問〜ある殺人・死体遺棄事件から〜(2011年〔平成23年〕10月16日公開)

 2008年(平成20年)6月1日に栃木県塩谷郡塩谷町風見山田の町道脇の草むらに捨ててあった旅行用キャリーケースの中から身元不明の若い女性の遺体が発見された事件は2009年(平成21年)9月に似顔絵が公開されたものの身元が判明せず、今年6月1日に死体遺棄罪の公訴時効が成立した。しかし、今月に入って2007年(平成19年)9月に大阪府守口市内から失踪した失踪当時25歳の女性であることが判明した。なぜ大阪から600km以上も離れた栃木県で無残な遺体となって発見されたのか、失踪から遺体発見までの8ヶ月半この女性は一体何をしていたのかなど謎はいろいろあるのだが、私として疑問に思うことがいくつかある。それを今回は綴ってみたい。

(その1:この女性の家族は失踪直後に捜索願を出していたのになぜ身元判明に3年半もの時間がかかったのか?)

 殺人事件で被害者の身元がなかなか判明しない原因の一つとして被害者の家族が捜索願を最寄りの警察署に出していないことが挙げられる。どこかで死んでいることを受け入れたくないと考えているとかいつかひょっこり帰ってくるだろうと考えているとか「もうどうでも良い存在と思っているので…」と考えているとか実は家族または親戚が殺して捨てたので名乗り出られないとかいろいろ理由があるのだが、この事件については被害者の家族が失踪直後に捜索願を提出していたのだという。ならばなぜ身元判明に3年半もの時間がかかってしまったのだろうか。私はこのように考える。
・栃木県警察本部(宇都宮市塙田〔はなわだ〕一丁目)や矢板警察署(矢板市中)の捜査方針に問題があったから。数ヶ月で作成できるはずの似顔絵を作成したのは遺体発見から1年3ヶ月も経ってからであり、その似顔絵を掲載したポスターは東日本(主として東北・関東地方)にしか貼らなかった(注1)。
・警察内部で捜索願の出されている失踪者に関するデータベースが構築されていないから。捜索願の提出件数は毎年10万件前後に及んでいるのでその中から探し出すこと自体無理だという考えがあったとかどうせ捜索願を出していないのだろうという先入観があったのだろうが、もしデータベースが構築されていたとしたらもっと早く身元判明に至っていたのではないのだろうか。「あなたがないと思うだけで実際はある」と警察関係者から抗議されるかもしれないが、もし本当にデータベースが存在した場合、なぜ活用しなかったのだろうか。
 知名度が低い事件がほとんど(注2)だが、被害者の身元が判明しないまま迷宮入りしたり公訴時効が成立したりした殺人・死体遺棄事件は少なくない。しかし、この事件を契機にもしかしたらその中に被害者の家族や親戚が捜索願を出しているにもかかわらずろくな捜査がなされなかったために身元判明に至らなかった事件があるのではないかと感じたくなった。被害者の身元が判明しない殺人事件について「被害者の家族は何をとぼけて生活しているのか」とか「薄情な奴らだ」とか「遺骨を引き取って弔うという最低限の義務すら果たそうとしない人間は罰するべきだ」という、遺族に批判的な感情を抱く方はいることだろうが、やはりここは警察の捜査の生ぬるさを非難すべきなのだろうか。

(その2:なぜ栃木県警察本部や矢板警察署はこの女性の似顔絵を掲載したポスターを全国に貼らなかったのか?)

 覚えている方もいるかもしれないのだが、1987年(昭和62年)12月18日に東京駅(東京都千代田区丸の内一丁目)で、1988年(昭和63年)1月17日に大宮駅(さいたま市大宮区錦町)でそれぞれ同一人物のものと思われる身元不明の男性のバラバラ遺体がコインロッカーから発見されたという事件があった。この遺体には身元解明に重要な手がかりとなる頭部や両手がなく、事件捜査は暗礁に乗り上げてしまった。ところが、1989年(平成元年)10月に福山市内で逮捕された詐欺師が呉市内に設けていたアジトを捜索したところ、コンクリート詰めにされた男性の頭部が発見され(注3)、東京・大宮両駅で発見されたバラバラ遺体と同一人物のものと判明したことで事件は急展開を見せることになった。結局この遺体は逮捕された詐欺師の仲間と分かり、居所が分かると困るということで病死した仲間の遺体をバラバラにして捨てたという(両手は未発見。広島湾に捨てたらしい)のだが、福山市民でも既に覚えている人が少なくなっているこの事件は次に挙げる二つの教訓を残している。
・死体遺棄事件は必ずしも殺人事件になるとは限らないこと。もしこの詐欺師の逮捕が1990年(平成2年)12月18日以降になったとしたら死体遺棄罪や死体損壊罪(注4)の公訴時効が成立するためそれで立件できなくなる。死因が不明の事件の場合は早期の身元解明が必要になってくる。
・事件に想定外は存在しないこと。高速交通網が発達した今日では例えば青森県に住む人が鹿児島県で他殺遺体となって発見されることも考えられない話ではなくなっている。
 特に肝に銘じるべきは後者の教訓である。栃木県は東京から100km程度のところにあることや逆に東北地方(福島県)にも接していることからどうしても死体遺棄事件が起きると東北・関東地方の人間ではないかと考える傾向がある。だからこの女性の似顔絵を公開した時それを掲載したポスターを貼る地域を東北・関東地方に限定したのだろう。「あとの地域は公式サイトに載せているからそれを見てくれれば良いだろう」と思ったのだろうが、この女性が住んでいたのは公式サイトでしか似顔絵を見ることのできない近畿(関西)地方であった。栃木県警察本部にとっては想定外なことだったのだろうが、ポスターの宣伝文句(「私よ!!」)は目を引きやすいものだったことや県内で高速道路(東北自動車道と北関東自動車道)が交差しているという交通の要衝でもあることを考えるともう少し広域的な視点を持つべきではなかったのだろうか。死体遺棄罪の公訴時効が成立してしまった(=死体遺棄罪の公訴時効が成立する前に被害者の身元を特定し、容疑者を検挙することができなかった)のは栃木県警察本部や矢板警察署のやり方にあったのではないかと思いたくなるのは私だけではないはずである。

(その3:なぜ栃木県警察本部や矢板警察署は同じ地域で起きた別の死体遺棄事件について差別的な対応をするのか?)

 栃木県塩谷郡塩谷町風見山田では実は2005年(平成17年)3月15日にも身元不明の遺体が見つかるという事件が起きている。町道(注5)脇にゴミで覆い隠されるようにして遺棄されていた若い男性の白骨遺体(死後1年以上)が発見されたのである。
 この死体遺棄事件の情報提供を呼びかけるページは こちら である(更に遺体の詳しい状況を記したページもあり、それは こちら である)が、そのページを見て私がどうかと思うことがいくつかある。それを挙げてみると次の通りになる。
・「虫歯がない」と書かれていることから頭部は存在するのは明らかだが、似顔絵が掲載されていない。
・遺体が身に着けていたものとして半袖シャツとベルトしか公開していない( こちら によるとそれ以外にはなかったらしい)。
 つまり、身元解明のために大切な容貌(似顔絵)を公開せず、大量に流通しているためにすぐ捜査に行き詰まることが明らかな半袖シャツとベルト、すなわち遺体が身に着けていたものの写真を公開して情報提供を呼びかけているのである(注6)。実は2008年(平成20年)6月1日に同じ地域で起きた女性の死体遺棄事件でも似顔絵作成・公開まではそのようにしていたのだが、あの三億円事件(1968年〔昭和43年〕12月10日発生)で遺留品がいくつも残されていたのにいずれも大量流通品で容疑者(注7)にたどり着かなかったことを考えればなぜ似顔絵を作成・公開することを優先させなかったのだろうか。無論2005年(平成17年)の事件も2008年(平成20年)3月15日に死体遺棄罪の公訴時効が成立しているのだが、もし似顔絵が公開されていたとしたら回避できていたかもしれないことを思うと何度も繰り返すが栃木県警察本部や矢板警察署の捜査の生ぬるさが悔やまれる。
 更に栃木県では1996年(平成8年)4月21日に芳賀(はが)郡市貝町多田羅の竹林で布団袋に包まれた身元不明の中年男性の他殺遺体が見つかるという事件も起きている。こちらも似顔絵が作成・公開されている(情報提供を呼びかけているページは こちら 、遺体の状況を記しているページは こちら )のだが、ならばなぜ2005年(平成17年)3月15日に塩谷郡塩谷町風見山田で発見された若い男性の遺体については似顔絵を作成・公開しないのだろうか。まあ他県でもこういうことはないわけではない(注8)のだが、凶悪事件に差別を付けるのはやめて欲しいものである。

 以上の三つの疑問から見えること、それは栃木県警察本部の捜査のやり方は果たして適切なのかどうかということである。たださえ栃木県警察本部は足利(あしかが)市で発生した幼女誘拐殺人事件(1990年〔平成2年〕5月12日発生。1979〜1996年〔昭和54年〜平成8年〕に栃木・群馬県境周辺で相次いで起きた幼女誘拐殺人事件(注9)のうちの一件とされている)が冤罪事件になったことなどから世間から厳しい目で見られているのだが、今回の女性死体遺棄事件はどのように評価されるのだろうか。もし2008年(平成20年)8〜9月頃までに似顔絵を作成し、全国にその似顔絵が掲載されたポスターを貼るようにしていたらもっと早く遺体の身元は判明し、もしかしたら死体遺棄罪や死体損壊罪の公訴時効が成立する前に容疑者検挙に至ったかもしれない。更に同じ地域で起きた男性死体遺棄事件も同じことになったかもしれない。なぜ大切なところで消極的になってしまうのか。私にはそれが分からない。
 何もこういう現実があるところは栃木県だけではない。広島県を管轄区域とする広島県警察本部(広島市中区基町〔もとまち〕)でも同じようなことがあった。2000年(平成12年)2月28日に呉市街地の北方にそびえる灰ヶ峰(標高737.0m)の山中で女性と性別不明の幼児の白骨遺体が発見されたという事件があった。呉市は1975〜1984年(昭和50〜59年)に5人の女性が殺害され、いずれも未解決のまま終わった事件が起きていることやそのうちの一件、すなわち1980年(昭和55年)1月に起きた事件(被害者は殺害当時17歳の女性)では灰ヶ峰に遺体が捨てられていたこと(注10)を考えるとこの事件は殺人事件の可能性があることを念頭に置いて捜査すべきであった。

広島県道242号呉港線の宝町アンダーパス南側から撮影した灰ヶ峰(山頂に白い物件の見える山。2010年〔平成22年〕7月21日撮影)

 しかし、過去の未解決事件に辟易したのか捜査を担当することになった広警察署(呉市広大新開一丁目)には積極性は見られなかった。やっと女性の似顔絵が公開されたのは死体遺棄罪の公訴時効が成立した後の2003年(平成15年)5月下旬のことであった。当時の報道では中国地方各県に似顔絵を掲載したポスターを貼ることにしているとあったのだが、鳥取県や山口県では全く見かけなかったし、広島県でも私が住んでいる地域を管轄している福山東警察署(福山市三吉町南二丁目)の管内(注11)では全く見かけなかったのである。なぜ鳥取県警察本部(鳥取市東町一丁目)や山口県警察本部(山口市滝町)、そして福山東警察署が広警察署からの要請に非協力的な態度をとったのかは全く分からないのだが、この状況では遺体の身元判明など望めたものではなかった。やがてこの事件は忘れ去られ、今ではポスターを見かけることもないし、殺人事件として取り扱われることもない(但し広島県警察本部の公式サイトには情報提供を呼びかけるページは現在もある。それは こちら である)。
 私としてこの事件で納得できないでいるのは次に挙げる点である。
・幼児の性別は不明とされているが、調べる手段は本当にないのだろうか。
・なぜ広島県警察本部や広警察署は殺人事件として捜査しないのだろうか。
・なぜ似顔絵公開は死体遺棄罪の公訴時効が成立した後にしたのだろうか。
・なぜ似顔絵入りポスターを貼る地域を中国地方に限定したのだろうか。
・なぜ鳥取・山口両県の警察本部や福山東警察署は非協力的な態度をとったのだろうか。
・なぜ第二弾、第三弾のポスターを作成・公開しないのだろうか。
 このように考えれば広島県警察本部も栃木県警察本部と何ら変わりない状況にあることが分かると思うのだが、もし殺人事件として捜査を始め、2000年(平成12年)5月頃に女性の似顔絵を公開して全国に似顔絵入りポスターを貼るようにしていたらどうなったのだろうか。もしかしたら今頃は遺骨は家族の元に戻っていたかもしれない。
 更にこれは私の経験なのだが、かつて警察からこのような仕打ちを受けたことがある。それを記すと下表の通りになる。

事件番号概要私として納得できない点
その11997年(平成9年)1月26日に福岡県京都(みやこ)郡苅田(かんだ)町の臨海埋立地で身元不明の若い女性の全裸遺体が発見された。捜査を担当した行橋(ゆくはし)警察署(行橋市行事三丁目)ではこの女性の復顔像を作成したのだが、その正面像が大学時代の後輩・Aさんによく似ていると感じた私は1997年(平成9年)6月20日に自宅近くの交番(この中に復顔像入りのポスターが貼ってあった)に赴き、復顔像がAさんによく似ていると訴えた。その際行橋警察署に電話し、捜査担当者と話もしているのだが、私の連絡先を伝えたにもかかわらずその後一切どうなったかという連絡はなかった。その約4ヶ月後の1997年(平成9年)10月26日にJR山陽新幹線・鹿児島本線小倉駅(北九州市小倉北区浅野一丁目)で途中下車し、小倉北警察署小倉駅前交番(北九州市小倉北区京町三丁目)を見たところ、Aさんとは全く似ていない新しい復顔像入りのポスターが交番内部に貼られているのを見つけ、結果を伝えないまま復顔像を作り直した(注12)行橋警察署の対応に腹が立った。結局1998年(平成10年)8月下旬に埼玉県在住の死亡当時24歳の女性だったことが判明し、そこでAさんとは無関係であることが確定する(注13)のだが、そのことを知ったのは2000年(平成12年)頃朝日新聞東京本社版の縮刷版を読んでいた時だった。・捜査結果は原則として報告しないことを行橋警察署の捜査担当者は一切言っていないこと。
・捜査結果は原則として報告しないことを一切言っていないのなら捜査結果を報告する義務が生じるという解釈が成り立つのだが、行橋警察署は捜査結果を報告しなかったこと。
・いかなる理由によるものか分からないが、復顔像を作り直したこと。
・被害者の氏名や在住市区郡町村が一切非公開にされていること(遺族の感情を考えれば当然の帰結なのだろうが…)。
・この事件がその後どうなったか朝日新聞東京本社版の縮刷版を読んでみたが、全く分からなかったこと(埼玉県の地方紙である埼玉新聞や福岡県の地方紙である西日本新聞などは未だに調べていない。解決したような報道があるらしいが確かなことは分からない。もしかしたらこれも遺族の意向があるのかもしれないが…)。
・結局無関係に終わったので当然の措置とも言えるかもしれないのだが、行橋警察署から何の礼もされなかったこと。
・その後福岡県警察本部(福岡市博多区東公園)に何度か抗議したが未だに誠意ある対応を受けていないこと。
その22001年(平成13年)5月15日に千葉県習志野(ならしの)市のかつてある企業の社員寮として使用されていた廃屋から若い女性の遺体が発見された。間もなくこの女性を殺害したと言う男性が出頭して逮捕されるのだが、肝心の女性の身元が判明しなかった。そこで捜査を担当している習志野警察署(習志野市鷺沼台二丁目)では女性の着衣のイラストを掲載したポスターを作成して情報提供を呼びかけたが効果がなく、2002年(平成14年)春にこの女性の似顔絵を作成した。その似顔絵入りのポスターを見た私は大学時代の後輩・Bさん(Aさんと同級生)に似ていると思うようになり、2002年(平成14年)6月3日に自宅近くの福山東警察署に赴いてそのことを訴えた(余談だがこの時初めて警察署の取調室に入った)。福山東警察署から習志野警察署に伝えてくれるものと思って帰宅したのだが、その5日後の2002年(平成14年)6月8日の午前中に私の家に福山東警察署から電話がかかってきて「大変申し訳ないのですが自分で習志野警察署に伝えて頂けませんでしょうか。何度か電話をしたのですが一切繋がりませんでした」と言われ、取り次ぐことを拒まれてしまった。その後どのようにすべきか3ヶ月ほど悩んだ私は結局自分で習志野警察署に連絡することにし、程なくして遺体はBさんではないという報告を受けた。今年で事件発覚から10年、殺害から11年がそれぞれ経過したが、残念ながらこの遺体の身元は未だに判明しておらず、今でも千葉県警察本部(千葉市中央区長洲一丁目)の公式サイトには情報提供を呼びかけるページ(それは こちら )が掲載されている。・習志野警察署はこの女性の似顔絵を作成することよりも大量流通品であり何の手がかりにもなりそうにない着衣を公開することを優先したこと。
・習志野警察署は捜索願をきちんと調べたのか疑問が残ること。
・容疑者によるとこの女性は「みか」または「みき」と名乗っていたとのことであるが、習志野警察署は関東地方及びその周辺の学校の同窓会に対して捜査協力を行わなかったこと(もしかしたら偽名かもしれない)。
・習志野警察署はこの女性の歯型を公開していないこと。
・事件その1では交番から捜査を担当する警察署に対して電話をかけているが、福山東警察署の職員はその場で習志野警察署に電話をかけようとしなかったこと。
・取り次ぎを断ったのには何らかの事情があったことが推察されるのだが、それなら私が福山東警察署に赴いた時に明言すべきであったのにそれを伝えたのは5日も経ってからだったこと。
・取り次ぎを断る旨を伝えた電話の中で福山東警察署の職員は何度か電話をしたが繋がらなかったと言っているが、その5日間一度も私の自宅に福山東警察署から電話がかかってきた様子はなかったこと(つまり嘘をついた可能性がある)。
・なぜ取り次げないのか福山東警察署の職員は一切理由を説明していないこと(私は多忙だからと思ったのだがそれならなぜ5日もかかるのか。それが理解できない)。

 その1の行橋警察署、その2の福山東警察署の対応に私は憤慨しているわけであるが、もし遺体が本当にAさんやBさんだったら行橋警察署や福山東警察署はどのように弁解するのだろうか。恐らく弁解を受けても私は許さないし場合によっては告訴に踏み切るだろうが、私はこれらの経験に警察の上から目線で臨む態度を感じたくなる。警察も一種のサービス業なのに「我々は市民の安全を守っているのだぞ。文句があるのか」とか「我々のやっていることに対してつべこべ言うな」と言われているような気がしてならないのである。なぜ一般市民として最低限の義務を果たしたのに私が損をするのか。なぜ私の後輩を心配する気持ちを分かってくれないのか。ふざけているとしか思っていないのか。なぜ捜査結果を報告できないことや取り次げないことについてきちんと理由を説明してくれないのか。本当に捜査しているのか。なぜ抗議しても謝ってくれないのか。私のやっていることの何が悪いのか(後輩を勝手に殺すなと言われそうだが…)。考えていることが分からない。
 私は殺人・死体遺棄事件の被害者の身元が不明のままになるのは肉親よりも警察に責任があるのではないかと考えている。というのも、上から目線で臨むこと以外に次に挙げるような事実があるからである。
・捜査体制の縮小とともに積極さも見られなくなること。例えば新宿歌舞伎町ラヴホテル連続殺人事件(1981年〔昭和56年〕)では第二事件(1981年〔昭和56年〕4月25日発生)の被害者の身元が不明のままになっているのだが、第一事件(1981年〔昭和56年〕3月20日発生。被害者は45歳の女性)・第三事件(1981年〔昭和56年〕6月14日発生。被害者は17歳の女性)と同様に被害者の身元が判明しても容疑者にたどり着くことはほぼ不可能だったことや事件があったラヴホテルに防犯カメラが設置されておらず、従業員も客の顔をよく見ていないことから容疑者の容姿は全く分からなかったこと(注14)、東京随一の繁華街で聞き込み捜査を行ってもらちが明かなかったことから第一事件発生から1年も経っていない1982年(昭和57年)2月に早くも捜査体制を縮小してしまった。捜査を担当した警視庁(東京都千代田区霞が関二丁目)と新宿警察署(東京都新宿区西新宿六丁目)では「身近に心当たりは…」という宣伝文句の第二事件の被害者の似顔絵と遺留品の写真を掲載したポスターを作成したのだが、そのポスターの新調がなされなかったことや1982年(昭和57年)8月7〜8日に私が父親と一緒に後楽園球場(東京都文京区後楽一丁目。1987年〔昭和62年〕閉鎖)で行われていた第53回都市対抗野球大会の応援で東京に行った時一切そのポスターを見かけなかったこと(新しいポスターは作られていないし第二事件発生から1年以上が経過し、貼ってあったポスターに傷みや色あせが生じるのは不可避なことだからそのようになったとも言えるのだが…)はこの捜査体制縮小が原因だったと言っても良い。
・当初から捜査に積極性が見られないこと。例えば中央自動車道富士吉田線と直結し、国道138号線のバイパスにもなっている東富士五湖道路ののり面で身元不明の中年女性のバラバラ遺体が見つかった東富士五湖道路バラバラ殺人事件(2004年〔平成16年〕4月8日発覚)では東京方面からでも名古屋・大阪方面からでも中央自動車道富士吉田線→東富士五湖道路→国道138号線を通って遺体遺棄現場に来てそこから逃げることができる状況にあったにもかかわらず大量流通品であり何の手がかりにもなりそうにない着衣を公開することを優先し、被害者の復顔像を公開したのは死体遺棄罪や死体損壊罪の公訴時効が成立した後の2008年(平成20年)1月のことであった。しかもその復顔像は(不謹慎な表現になるかもしれないが)張りぼてと酷評したくなるほど出来はひどいものであった(下の写真参照。中央左側の「探しています」が東富士五湖道路バラバラ殺人事件のポスター。もっと鮮明なポスターの写真を見たい方は こちら を参照のこと。なお、下の写真は2008年〔平成20年〕9月2日にJR芸備線・木次〔きすき〕線備後落合駅〔庄原市西城町八鳥〕で撮影したものである)。

・事件捜査にテレビを活用する動きがあまり見られないこと。広島県の公式サイトにある「県政提言コーナー」に昨年3月、情報提供を呼びかけるテレビコマーシャルを流すべきだという投稿がなされた(その投稿は こちら )のだが、放映料(広告料)が高額なことや放送時間及び放送期間が限られるために費用対効果が十分期待できないことなどから行わないと広島県警察本部刑事総務課は回答している(この他にも対象とする事件の取捨選択で問題が生じるということもあるものと思われる)。確かに私の知人が出演していた福山歯科衛生士学校(福山市南蔵王町六丁目)の生徒募集のテレビコマーシャル(広島テレビ放送〔HTV、広島市中区中町〕で流されていたが残念ながら昨年限りで知人の出ているものは流れなくなったらしい(注15))を考えると放送時間はバラバラだし放送期間も夏頃から秋頃と限られているからこの考えは一応は理解できる。しかし、テレビコマーシャル化に積極的にならない本当の理由は自分達の手で事件を解決させたいと考える刑事が少なくなく、彼らの同意が得られないことや「奇跡の扉 TVのチカラ」(テレビ朝日系、2002〜2006年〔平成14〜18年〕放送)が視聴率獲得路線に走り、かえって視聴者の不評を買ったこと、ワイドショーや改編期特番で公開捜査を企画してもほとんど効果がなかったために使えないという判断が下されていることなどではないのだろうか。
・警察庁(東京都千代田区霞が関二丁目)では指名手配被疑者捜査強化月間(毎年11月)では複数の重要犯罪の容疑者の顔写真を掲載したポスターを作成・公開するが、行方不明者捜索強化月間(毎年8月か9月(注16))では複数の殺人・死体遺棄事件における身元不明遺体の似顔絵または復顔像を掲載したポスターを作成しないこと。1970年代末期に「この人見知りませんか?」という宣伝文句のそういうポスターを数種類作成・公開したことはあるのだが、あまりにも不気味なものだった上に一部の警察署では無差別にそのポスターを貼りまくるという戦術に出たためにそれ以降はそういうポスターは企画されなくなっている。しかし、事件ごとにポスターを作成すると灰ヶ峰の親子と思われる白骨遺体が見つかった事件で見られるようにある地域では貼らないという問題が起きるし、栃木県塩谷郡塩谷町風見山田で若い女性の遺体が発見された事件で見られるように被害者は想定していなかった地域に住んでいた人間だったという可能性も考えられる。そういう地域による偏りを防ぐためにも平成版の「この人見知りませんか?」が企画されても良いのではないのだろうか。
・広域的視野に立って捜査を展開していないこと。東京・大宮両駅のコインロッカーから見つかったバラバラ遺体の頭部が広島県で発見されたことや埼玉県在住の女性が福岡県京都郡苅田町の臨海埋立地で全裸遺体で見つかったこと、大阪府守口市在住の女性の遺体が栃木県塩谷郡塩谷町でカバンに詰められた状態で見つかったことなどを考えると捜査に先入観はあってはならないことと捜査に想定外は存在しないことがうかがえる。しかし、そういう考えで捜査を行っているのは果たしてどのくらいの割合なのだろうか。迷宮入りした事件のほとんどはこの先入観と想定外を考慮しなかったことで袋小路にはまり込んでしまったのではないのだろうか。
・捜索願の全国データベース化が完成していないのではないかと思われる状況があること。栃木県塩谷郡塩谷町風見山田で若い女性の遺体が発見された事件ではこの女性の家族が失踪した直後に最寄りの警察署に捜索願を出したにもかかわらず、栃木県警察本部や矢板警察署では遺体は東北地方か関東地方の人間ではないかと考えたことが袋小路にはまり込む原因になってしまった。もしデータベースがあったとしたらもっと早く遺体の身元判明や容疑者検挙に結び付いていたのではないのだろうか。
・似顔絵や復顔像の作成に消極的なところがあること。例えば神奈川県警察本部(横浜市中区海岸通二丁目)では近年、殺人・死体遺棄事件の身元不明の被害者の似顔絵または復顔像の作成を行わない方針をとっている(その一例が2004年〔平成16年〕11月17日に秦野〔はだの〕市で中年男性の遺体が見つかった事件。情報提供を呼びかけているページは こちら )。先日平塚市内で中年男性のバラバラ遺体が見つかるという事件が起きているが、この事件についても頭部があるにもかかわらずもし長期間身元が判明しなかった場合でも似顔絵や復顔像を作成しないのだろうか(この事件は本作公開後解決)。神奈川県警察本部はたださえ多くの未解決事件を抱えているところであるが、重要な手がかりになる顔を蔑ろにする捜査は早急にやめるべきではないのだろうか。
・せっかく似顔絵または復顔像を作成し、公式サイトに掲載しながら身元が判明したわけでも公訴時効が成立したわけでもないのになぜか削除するところがあること。
・警視庁及び各道府県警察本部の公式サイトでは身元不明遺体の情報提供を呼びかけるページを設置したが、その内容が統一されていないこと。掲載範囲を1980年代からにしているところ(栃木県警察本部)や似顔絵を掲載しているところ(広島県警察本部)、新生児も対象にしているところ(神奈川県警察本部)…といろいろだが、統一的な内容にすることはできないのだろうか。
 そもそも誰とも接触せずに生涯を終える人間なんて存在しないはずである。ましてやみんな最低限中学校までは卒業するはずである。なぜそれで身元不明の遺体が生じるのだろうか。警察以外の要因を挙げてみると下表の通りになる。

立場原因
家族・親戚・肉親の死という最悪の事態を認めたくないという思いがある。
・実はどこかで生きていてひょっこり帰ってくるのではないかと信じて疑わないでいる。
・いろいろな事情からどうでも良い存在と見ている。
・実は被害者を殺して捨てたのは自分達であり、名乗り出られない(何食わぬ顔をして名乗り出る人もいるが…)。
友人・知人・級友・同僚・被害者の学校・職場などでの存在感が非常に薄い(名前を出しても「そういう人いたっけ…?」と言われるような人)。
・同窓会や同期会、クラス会、OB会などの懐古趣味を目的とした集まりの場が存在せず、級友や同級生の消息を把握する手段がない。
・卒業・退学・退職を最後に音信不通になる。
・(まれに女性に見られるのだが)生活環境の著しい変化(進学・転居・結婚など)により顔貌が変わり、同一人物なのだろうかと思うことがある。
・あまり往年の仲間に対して関心を抱いていない。
社会環境・警察に対して嫌悪感を抱いている。
・世間のニュースに疎い。
・警察が作成・公開した被害者の似顔絵または復顔像を目にする機会が少ない。
・似顔絵または復顔像に不快感を抱き、直視できない。
・報道される機会が事件発覚当日ぐらいでそういう事件があったことに気付きにくい。
・大きな事件や事故、災害が起き、関心が薄れてしまう。
・動きがないことなどを理由に全く報じない(逆に何の動きがなくてもある有名人に関する疑惑は毎日のように報道することが多いが本末転倒ではないのか)。

 様々な要因が混ざり合ってどこの誰か分からない遺体が生じることがよく分かるのではないかと思うのだが、放置し続ければ昨年夏社会問題化した「消えた老人」がいつかまた社会問題化するのは確実である。しかもその時に消息を探そうとしても困難を極めるのは確実であるし、もし遺体が運良く見つかっても小さなビニール袋に入ったごく微量の遺骨しか持って帰れないという現実が待ち構えている(身元不明遺体、すなわち行旅死亡人の遺骨には保管期限があるため(注17))。こんな現実に遭遇したいとは誰も考えないであろう。ならばどのようにすれば良いのか。家族や親戚の方はいくら辛くても現実に目を開き、夢想の世界から抜け出すべきであろうし、友人・知人・級友・同僚などはもう少し当時の仲間について思いをめぐらせるべきであろう。そして警察はいかに一般市民の協力を得られるかを真剣に考えるべきであろう。
 今回の栃木県塩谷郡塩谷町の女性死体遺棄事件は発覚当初から扱いが小さく、ご存知ない方も多いと思う(ちょうどその一週間後にはあの秋葉原通り魔事件が起きているし…)。しかし、今回の事件を通して感じたのは警察の捜査の在り方が適切だったのかどうかもう少し追及されるべきではないかということである。同じことを繰り返すがたださえ栃木県警察本部は足利市で起きた幼女誘拐殺人事件を冤罪事件にしてしまっているし、日光市で起きた女子小学生誘拐・殺人事件(2005年〔平成17年〕12月1日発生。情報提供を呼びかけているページは こちら )も解決できないまま間もなく事件発生から6年を迎えようとしている。その上に今回の事件、すなわち2007年(平成19年)9月に失踪した時点で家族は捜索願を出していたのに身元判明までに3年半もの歳月をかけてしまい、その間に死体遺棄罪の公訴時効が成立したという失態はもっと糾弾されてしかるべきだと思う。平野部も多いが山岳部も多いことや関東地方と東北地方の間にあること、県内で東北自動車道と北関東自動車道が交差していて交通の要衝になっていること(厳密には東北自動車道と北関東自動車道が重用する部分がある)、県庁所在地・宇都宮市は元々北関東(茨城・栃木・群馬各県を指す)最大の都市だったが平成の大合併で50万都市の仲間入りを果たしたこと、東京のベッドタウンとして発展している地域があり、人口が増えていることなどを考えるともうこんな捜査のやり方は許されないはずである。終わったことは致し方ないが、何としてでも凶悪事件を解決させるという気概を見せて欲しい。無論、それは警視庁や他の道府県警察本部についても同じことである。本当に今の捜査のやり方が良いのかどうか、今警察のやり方が問われている。

(注釈コーナー)

注1:現在は閉鎖されているが、栃木県警察本部の公式サイトにあった情報提供を呼びかけるページにはそのポスター(2種類)が掲載されており、本文で記している通り被害者の住む地域でも見ることは可能だった。

注2:知名度の高い事件としては本文で触れている新宿歌舞伎町ラヴホテル連続殺人事件がある。

注3:バラバラ遺体の身元解明のため捜査を担当していた福山東警察署では遺体の歯型を掲載したポスターを作成したが、そこでは遺体発見場所を呉市ではなく福山市としていた。

注4:死体遺棄罪・死体損壊罪とも刑法第190条で規定されている。

注5:情報提供を呼びかけるページには「道路脇」としか書いていないのだが、インターネット地図で栃木県塩谷郡塩谷町風見山田を調べたところその地域には町道しかないため町道脇と書いた。
※栃木県塩谷郡塩谷町風見山田には本当は栃木県道62号今市・氏家線が通っているのだが現在のところ塩谷郡塩谷町上沢(うわさわ)〜塩谷郡塩谷町風見山田〜塩谷郡塩谷町風見間は未開通になっている。よって町道しか存在しないことになる。

注6:他には本文で触れた習志野の事件や東富士五湖道路バラバラ殺人事件、秦野市の中年男性死体遺棄事件がある。

注7:容疑者のモンタージュ写真はあまりにも有名だが、事件発生当日は大雨が降っていたことから実は誰一人容疑者の顔をよく見ていなかったのである。だからモンタージュ写真を公開しても無駄であった。
※そのため容疑者は実は女性だったというマンガや映画(主演は宮崎あおい)まで作られたことがある。

注8:栃木県の東隣にある茨城県を管轄とする茨城県警察本部(水戸市笠原町)を例にとると2006年(平成18年)9月24日に桜川市内で身元不明の女性の他殺焼死体が発見された事件(情報提供を呼びかけているページは こちら )では似顔絵(なぜか目を伏せている。以前見た時はそういうことはなかったのだが…)を作っているのに対し2005年(平成17年)4月21日に坂東(ばんどう)市内の廃業したガソリンスタンドの倉庫から身元不明の中年男性の他殺遺体が発見された事件(本作公開後解決)では似顔絵を作っていない。

注9:このうち最後に起きた事件、すなわち1996年(平成8年)7月7日に群馬県太田市内のパチンコ店から当時4歳の女児が何者かに連れ去られた事件については今なお発見されていないし生死も不明である。よって「幼女誘拐殺人事件」と記すのは不適切かもしれないが、同一の容疑者の可能性が高いことなどからあえてそういう表記をさせて頂いた。

注10:灰ヶ峰では2009年(平成21年)2月にも生後間もない女児の遺体が捨てられるという事件が起きている。この事件はその後解決している。

注11:2003年(平成15年)5月当時の福山市の警察署の管轄区域は下表の通りである(町名は現在のものを記している)。

警察署名管轄区域
福山西警察署赤坂町、今津町、内海(うつみ)町、神島(かしま)町、金江町、神村(かむら)町、熊野町、郷分町、佐波(さば)町、瀬戸町、高西町、田尻町、津之郷町、鞆町、沼隈町、走島町、東明王台(ひがしみょうおうだい)、東村町、藤江町、本郷町、松永町、南今津町、南松永町、水呑(みのみ)町、水呑向丘(みのみむかいがおか)、宮前町、明王台、柳津町、山手町
福山東警察署青葉台、曙町、旭町、伊勢丘(いせがおか)、一文字町、今町、入船町、胡(えびす)町、王子町、大谷台、沖野上町、卸町、笠岡町、春日(かすが)池、春日台、春日町、霞町、加茂町、川口町、神辺(かんなべ)町、北本庄、北美台、北吉津町、木之庄町、草戸町、鋼管町、光南町、向陽(こうよう)町、桜馬場町、三之丸町、蔵王町、清水ヶ丘、昭和町、城見町、新涯町、新浜町、地吹町、城興ヶ丘、住吉町、千田町、高美台、宝町、多治米(たじめ)町、大黒町、大門町、長者町、千代田町、坪生(つぼう)町、坪生町南、手城町、寺町、東陽台、道三町、奈良津町、西桜町、西新涯町、西深津町、西町、能島(のうじま)、野上町、延広町、花園町、東川口町、東桜町、東手城町、東深津町、東町、東吉津町、引野町、引野町北、引野町東、引野町南、久松台、日吉台、伏見町、船町、古野上町、平成台、本庄町中、本町、幕山台、松浜町、丸之内、御門町、緑町、港町、南蔵王町、南手城町、南本庄、南町、箕沖町、箕島町、御船町、御幸町、明神町、三吉町、三吉町南、明治町、元町、紅葉(もみじ)町、山野町、横尾町、吉津町、緑陽(りょくよう)町、若松町
府中警察署芦田町、駅家町、新市町

(参考資料:現在の福山市の警察署の管轄区域)

※福山市北部地区の人口増加に対応して2008年(平成20年)4月1日に福山東警察署の管轄区域だった福山市加茂・神辺・御幸・山野各町と神石郡全域、府中警察署(府中市鵜飼町)の管轄区域だった福山市芦田・駅家・新市各町を管轄区域とする福山北警察署(福山市神辺町新道上三丁目)が発足した。福山市内における警察署及びその管轄区域の再編は1971年(昭和46年)4月1日に実施された福山警察署の福山東警察署への改称と松永警察署の福山西警察署(福山市神村町)への改称の時以来37年ぶりであるが、福山北警察署の管轄区域にある福山市神辺町、すなわちかつての深安郡神辺町(1929〜2006)は1988年(昭和63年)以降中国地方の町村では広島県安芸郡府中町(現存。市制施行するという話があるが現在のところ今後は未定)に次ぐ人口を有するようになったことや福山市神辺町は国道4路線(うち1路線は全区間別の路線と重用)・鉄道2路線が通る交通の要衝になったこと、深安郡神辺町議会で1990年代末期に警察署設置を求める意見が出ていたことを考えるともう少し早く再編を行うべきだったという意見も少なくない。

警察署名管轄区域
福山北警察署芦田町、駅家町、加茂町、神辺町、新市町、御幸町、山野町
福山西警察署赤坂町、今津町、内海町、神島町、金江町、神村町、熊野町、郷分町、佐波町、瀬戸町、高西町、田尻町、津之郷町、鞆町、沼隈町、走島町、東明王台、東村町、藤江町、本郷町、松永町、南今津町、南松永町、水呑町、水呑向丘、宮前町、明王台、柳津町、山手町
福山東警察署青葉台、曙町、旭町、伊勢丘、一文字町、今町、入船町、胡町、王子町、大谷台、沖野上町、卸町、笠岡町、春日池、春日台、春日町、霞町、川口町、北本庄、北美台、北吉津町、木之庄町、草戸町、鋼管町、光南町、向陽町、桜馬場町、三之丸町、蔵王町、清水ヶ丘、昭和町、城見町、新涯町、新浜町、地吹町、城興ヶ丘、住吉町、千田町、高美台、宝町、多治米町、大黒町、大門町、長者町、千代田町、坪生町、坪生町南、手城町、寺町、東陽台、道三町、奈良津町、西桜町、西新涯町、西深津町、西町、能島、野上町、延広町、花園町、東川口町、東桜町、東手城町、東深津町、東町、東吉津町、引野町、引野町北、引野町東、引野町南、久松台、日吉台、伏見町、船町、古野上町、平成台、本庄町中、本町、幕山台、松浜町、丸之内、御門町、緑町、港町、南蔵王町、南手城町、南本庄、南町、箕沖町、箕島町、御船町、明神町、三吉町、三吉町南、明治町、元町、紅葉町、横尾町、吉津町、緑陽町、若松町

注12:本当に行橋警察署や福岡県警察本部が女性の復顔像を作り直したのかどうかは現在のところ確認できていない。最初から複数作成していた可能性も考えられるのだが、それなら一緒にポスターに載せるべきだったのではないのだろうか。なお、複数の似顔絵または復顔像を掲載したポスターを作成した事件としては東京都江戸川区内の下水処理場に身元不明の若い女性のバラバラ遺体が漂着したことで発覚した篠崎ポンプ所バラバラ殺人事件(1988年〔昭和63年〕9月9日発覚。未解決)や琵琶湖の各所に身元不明の中年男性のバラバラ遺体が漂着したことで発覚した琵琶湖男性バラバラ殺人事件(2008年〔平成20年〕5月17日発覚。情報提供を呼びかけているページは こちら )があるし、復顔像を作り直した事件としては徳島県三好市井川町井内西の徳島県道140号大利・辻線の待避所に身元不明の若い女性の他殺焼死体が遺棄されてあった事件(1991年〔平成3年〕7月21日発覚。未解決)がある。

 

各地の道の駅で見られる琵琶湖男性バラバラ殺人事件の情報提供を呼びかけるポスター(左:2009年〔平成21年〕版/右:2010年〔平成22年〕版)

注13:Aさんは埼玉県出身でも埼玉県在住でもないし1997年(平成9年)1月26日当時22歳か23歳だった。よって、この点でも無関係であることが確定する。

注14:そのようにしていたのは客の私的領域を擁護するためであった。それが仇になったというわけである。

注15:福山歯科衛生士学校では今年は新しいコマーシャルを作っていたようなのだが残念ながら一度しか見ていない。
※更に2012年(平成24年)からはテレビコマーシャルは流さなくなったし、福山歯科衛生士学校の公式サイトで公開していた、私の知人が出演していたテレビコマーシャルの映像も公開を取りやめている。

注16:広島県など多くの地域では8月に設定していたが、東京都ではなぜか9月に設定していた。

注17:1989年(平成元年)11月24日放送の「素敵にドキュメント」(テレビ朝日系、1987〜1992年〔昭和62年〜平成4年〕放送)で司会の逸見政孝(1945〜1993)が東京都の行旅死亡人の遺骨を保管している場所(正式名称失念)をレポートした際に多くの遺骨の入っているマンホールの蓋を開けて「ここには世間を騒がせた新宿歌舞伎町ラヴホテル連続殺人事件第二事件の身元不明の被害者の遺骨も入っている」と伝えたことがあるのだが、公訴時効成立前にもかかわらず遺骨の大部分をマンホールに捨てたのは遺骨の保管期限があったからである。

(AFTER TALK)

 以前私は殺人事件の被害者が身元不明のままになるのは次のような要因があるからだと信じて疑わないでいた。
・遺留品や頭部、指紋、歯型など身元解明の手がかりになるものがない。
・被害者の肉親が「いつかひょっこり帰ってくるのでは…」とか「現実を知るのはあまりにも辛い」などと考えて警察署に捜索願を出さないでいる。
・被害者の身近にいる人物が全く被害者の動静に対して関心を示さない。
・実は殺害したのは家族のうちの誰かである。
・被害者は家族にとってどうでも良い人とかなかったことになっている人とされている。
・捜査を担当する警察署が全ての捜索願を調べたが結局該当する人物は見つからなかった。
・密航など非正規かつ非合法な手段で日本に入国した外国人である。
・捜査に対する熱意が感じられない。
・事件の知名度が低く、一般市民が関心を持とうとしない。
・事件報道が発覚当日からの数日間で終わってしまう。
・事件報道がある時期から途絶えたために特に事件発生地から遠い地域に住んでいる方は解決したのだろうと誤解してしまうことがある。
・復顔像が不気味で直視できない人が少なくなく、「私の知り合いでは…」と訴え出る人がいない。
 しかし、本作で記した通り、上記のうち「捜査を担当する警察署が全ての捜索願を調べたが結局該当する人物は見つからなかった」というのはあり得ないことが確定した。確かに日本全国で年間10万件近い捜索願が提出されることや捜索願は状況によって一般家出人と特異家出人に分類され、特異家出人についてのみ警察は積極的に捜査することを考えると全ての捜索願を調べるようなことはしていないと考えるのが普通ではあろう(恐らく栃木の女性殺人・死体遺棄事件の場合、被害者は一般家出人として分類されていたものと思われる。もし特異家出人として分類されていたらもっと早く身元判明に至ったのではないかと考えられるからである)。当然の帰結ではあるのだが、遺族はなぜもっと早く肉親の遺体であると確認できなかったのかという理不尽な思いを抱くであろうし、一般市民は栃木の女性殺人・死体遺棄事件以外にも捜索願が出されているにもかかわらず身元判明に至らないままの殺人事件の被害者がまだまだあるのではないかと考えたくなるであろう。栃木の女性殺人・死体遺棄事件の被害者の身元判明→容疑者検挙と相前後して東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)の犠牲者の身元解明作業が難航していることやテレビのワイドショーのレポーターとして活躍していた奥山英志(おくやま・えいし、1949〜2011)の失踪騒ぎが起き、結局2011年(平成23年)4月に東京都調布市内で発見された身元不明の自殺遺体が奥山英志本人と確認されたことがあったが、これらの事件を考える時、遺体の身元捜査についてもっと良い方法はないのかと考えたくなる。
 一方で本作では警察の捜査の在り方についていくつもどうかと思うことを記してきた。頭部はあるはずなのに復顔像を作成しない事件や復顔像を掲載したポスターを作っても貼る地域を限定した事件、復顔像の作成よりも何の手がかりにもなりそうにない遺留品の公開を優先した事件、復顔像を作成・公開したのは死体遺棄罪の公訴時効が成立した後だった事件、なぜか復顔像を作り直した事件、「私の大学時代の後輩ではないか」と訴えたのに何の理由説明もなく連絡が取れなかったなどと嘘をついて取り次ぐのを拒んだ事件、捜査結果の報告はしないとは明言しなかったために誤解を通報者に抱かせる結果になった事件、世間を騒がせた事件だったのに手がかりが少ないなどの理由で早い時期に捜査本部が解散し、忘れ去られてしまった事件…。もしそういう態度が事件解決を困難なものにさせたとしたら、または自分達が実は解決への手がかりになった一般市民の通報をぞんざいに扱ったことが後で明るみになったとしたらどのように捜査担当者は弁解するのだろうか。背景にはいろいろなものがあるのだろうが、我々一般市民としては汗水垂らして捜査をしている姿を見せて欲しいものだと考えている。
 高速交通網の整備などで今後も犯罪捜査は困難化の一途をたどるだろう。そういう中で警察はどのように捜査に臨み、解決に向けて動くのか。知名度は低いが、栃木の女性殺人・死体遺棄事件は一つの教訓になったのではないか、私はそのように思っている。

(2012年〔平成24年〕10月21日追記)

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