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SUNDAY TALK2012

第15回:続・分かっていたことなのに…(2012年〔平成24年〕4月8日公開)

 先月31日、三原市中心部の渋滞を解消するために建設されていた国道2号線三原バイパスが全線開通した。私が小学生の頃には既に計画があったのだが、住民の強硬な反対や構造物(特にトンネル)の多さ、財政事情の悪化などもあり、ここまでかかってしまったのである。海の近くまで山が迫るところに市街地がある三原市を東西に貫く幹線道路はこれまで在来の国道2号線しかなかったから多くの方にとっては三原バイパスの全線開通は朗報となったのである。
 ということで私は全線開通の翌日、すなわち今月1日に白竜(はくりゅう)湖(東広島市・三原市。椋梨〔むくなし〕ダム〔東広島市河内町小田〕のダム湖)までドライヴに行く途中国道2号線三原バイパスを走ってみたのだが、その時見たある現実に愕然とさせられたのである。私が走行した側、すなわち下り線側(西行き)は円滑に流れたのだが、反対車線、すなわち上り線側(東行き)は何kmにもわたって車が連なり、渋滞していたのである。開通翌日なので通ってみたいと思う人が多数押し寄せたのではないかとか三原バイパスの東端の糸崎(いとさき)ランプ(三原市糸崎八丁目)では上り線側(東行き)はランプウェー出口で一旦停止しなければならないのでそれで渋滞が起きているのではないかと思っていたのだが、昨日、すなわち4月7日付中国新聞朝刊にこの渋滞の原因は東側の新旧国道2号線の接続点となる三原市糸崎八丁目/糸崎8丁目交差点の青信号の時間の短さにあったという記事が掲載されたことでようやく渋滞の原因を知ったのである。まあよく見ていなかった自分もどうかとは思うのだが、同時にそのくらいのことは想定できた問題ではないのかと感じたものであった。
 そもそも三原バイパスと在来の国道2号線を繋ぐ道が渋滞する恐れがあることは2007年(平成19年)5月28日に時広ランプ(三原市糸崎町)〜中之町ランプ(三原市中之町一丁目)間が開通した時に分かっていたことであった。時広ランプから在来の国道2号線に戻るためには三原市道を通る必要があったのだが、その三原市道と在来の国道2号線が接続する三原市糸崎二丁目/糸崎2丁目交差点では時広ランプに向かって多数の車が連なっているのがしばしば見られたのである。そのことを考えれば同じ形で在来の国道2号線に出ることになる糸崎ランプで何が起きるかは火を見るより明らかだったわけであるが、新聞報道によると三原市中心部を避けて通る車が多くなるにもかかわらず三原バイパスから出た車に対しての青信号の時間は約25秒に設定していたというのである。その結果が私が見かけた長い渋滞だったというわけであるが、このことを重く見た広島県警察本部(広島市中区基町)では今月3日から三原バイパスから出た車に対しての青信号の時間を約60秒に延長する措置をとった。その結果、大きな渋滞は見られなくなったのだが、信号の周期は2分40秒のままなので今度は在来の国道2号線東行きで渋滞が起きる恐れが出ているという。まさに「あちらを立てればこちらが立たず」といったところであるが、私は三原バイパスの計画自体問題があったのではないかとも思っている。
 尾道市から三原市にかけての国道2号線には次に挙げるような問題点がある。
・海の近くまで山が迫るところを通過しており、すぐ近くに災害や事故が発生した時のための迂回路がない。
・三原市木原一丁目〜三原市糸崎八丁目間に異常気象時通行規制区間(高波襲来時は通行止め)が存在する。

三原市糸崎八丁目にある異常気象時通行規制予告標識

 そして尾道市中心部と三原市中心部では渋滞が頻発したため尾道バイパスと三原バイパスが計画され、尾道バイパスは1972年(昭和47年)に、そして三原バイパスは今年それぞれ全線開通を果たした。しかし、これで全て解決…とはならなかった。次に挙げる問題点が解消されなかったからである。
・尾道市・三原市境(尾道バイパス終点)〜三原市糸崎八丁目/糸崎8丁目交差点間についてすぐ近くに災害や事故が発生した時のための迂回路がない。
・三原バイパスの起点となる三原市糸崎八丁目/糸崎8丁目交差点は三原市木原一丁目〜三原市糸崎八丁目間の異常気象時通行規制区間の中にある。

三原バイパス糸崎ランプにある異常気象時通行規制予告標識(写真中央。2012年〔平成24年〕2月19日撮影)

 つまり、尾道バイパスと三原バイパスは連続させるべきだったのにそのようにしなかったことで問題点が残る結果になったというわけである。連続させる考えがあったことは尾道バイパスが尾道市福地町でほぼ直角に折れていることや昭文社(東京都千代田区麹町三丁目)から刊行されている地図では昔から尾道市福地町から西に延びる予定線が記されていたことからもうかがえるのだが、三原バイパスの計画の遅れが原因なのか、それとも尾道市と三原市の確執が原因なのかは分からないのだが尾道市福地町〜三原市糸崎八丁目間のバイパス建設はなかなか浮上しなかったのである。「松永バイパス(現:松永道路)と尾道バイパスは連続するように計画を変更して開通した(注1)のになぜ尾道バイパスと三原バイパスは連続するようにできないのか」と思う人も少なくなかったのだが、ようやく最近になって尾道市福地町〜三原市糸崎八丁目間のバイパス(木原道路と称する)が計画されるようになったのである。三原バイパス糸崎ランプのオンランプ(下り線用)とオフランプ(上り線用)の間に木原道路用の橋脚が何本か立てられているのだが、現時点ではそれ以外に目に見える物件は存在しない。国土交通省中国地方整備局福山河川国道事務所(福山市三吉町四丁目)のサイトによると現在は調査や設計、用地買収を推進している段階とのことであるが、いつ開通するのかは全く分かっていない。

尾道バイパス西側終点。終点に入れられた急な屈曲が延伸計画の存在を感じさせる。

三原バイパス糸崎ランプにある国道2号線木原道路の橋脚(2012年〔平成24年〕2月19日撮影)

 まあ尾道バイパスに接続する松永道路の上下4車線化工事が国の財政事情からあと少しで完成…というところで中断させられていること(注2)を考えれば木原道路の開通時期など全く予想できるものではないのだが、このようになるならなぜ最初の段階で三原バイパスの区間を尾道市福地町〜三原市新倉二丁目間としなかったのだろうか。よく考えれば分かることであるが、国道2号線のバイパスといえば兵庫県では第二神明道路→加古川バイパス→姫路バイパス→太子・竜野バイパス(注3)というように、岡山県では岡山バイパス→玉島バイパス(注4)というようにそれぞれ連続して計画されており、何十kmも信号機がないところすら存在する。兵庫県や岡山県のその部分よりは人口も交通量も少ないこともあって軽んじられたのかもしれないのだが、それでも松永道路が東側では延伸して(注5)、西側では経路を変更して赤坂バイパスや尾道バイパスとの連続化を1980年代初頭までに決めたことを考えればそういう発想が尾道バイパスと三原バイパスにあっても良かったのではないのだろうか。「まだ山陽自動車道や広島県道55号尾道・三原線があるから良いだろう」という声もあるが案内が不十分なのに、何kmも急勾配が続くのに、高速道路は有料なのに、冬場は積雪・凍結の恐れがあるのに、引き返す場がないのにそういうようなことを言うのは上から目線で物事を考える人間の発想である。バイパスは渋滞を回避するために渋滞するところにだけ建設するものではない。通行上の不都合や危険を回避することも立派な建設目的である。なぜこういう発想ができなかったのだろうか。そして我々はあと何年我慢を強いられなければならないのだろうか。本当に「木を見て森を見ず」というような考え方はやめて頂きたいと思う。

 さて、国道2号線三原バイパスが全線開通する6日前の先月25日に尾道市御調(みつぎ)地区で国道486号線市(いち)バイパスが全線開通した。国道486号線は総社市と東広島市を結ぶ路線で、1992年(平成4年)4月3日政令第104号を受けて1993年(平成5年)4月1日に発足した当時からほとんどが上下2車線以上に改良されているという路線であった(現在は全線が上下2車線以上になっている)。そんな中、尾道市御調地区では尾道市御調町神/府中分かれ交差点〜尾道市御調町大田/大田交差点間で国道184号線と重用していたのだが、渋滞が頻発したことから府中市中心部方面と山陽自動車道三原久井インターチェンジ方面をまっすぐに結ぶ市バイパスが計画されたのである。そしてこの度その市バイパスが開通したことで福山市神辺町下御領/湯野口交差点〜三原市八幡町垣内(かいち)/三原インター入口交差点間は道なりに走れるようになったのである(注6)。
 私が市バイパスを初めて走行したのは先月25日の午後のことである。道の駅クロスロードみつぎ(尾道市御調町大田)から上り方向(東向き)に走ったのだが、新旧の国道486号線が合流する尾道市御調町貝ヶ原/新花尻橋北詰交差点(信号機・交差点名標なし)にあるべき二つのものがないことに気付いたのである。信号機と国道486号線旧道側の一時停止規制である。

 

国道486号線旧道側から撮影した新花尻橋北詰交差点(左:遠景/右:近景)

 

国道486号線府中方面から撮影した新花尻橋北詰交差点

 確かに市バイパスが開通すれば国道486号線旧道の交通量は大幅に減ることになる。尾道自動車道が開通した現在では福山・府中方面と世羅・安芸高田・三次方面との往来の際に短絡路として通る需要もない(注7)。しかし、次に挙げる問題点が存在するのである。
・府中市郊外から尾道市御調地区にかけての国道486号線は信号機が少なく、かなりの速度を出して走る車が少なくないこと。
・国道486号線旧道は尾道市御調地区東部や尾道自動車道尾道北インターチェンジ(尾道市御調町大町)と尾道市公立みつぎ総合病院(尾道市御調町市)、天然温泉 尾道ふれあいの里(尾道市御調町高尾)、圓鍔(えんつば)勝三彫刻美術館(尾道市御調町高尾)を往来する場合通ることになる道であること。
・府中市中心部方面と世羅郡世羅町宇津戸(うづと)方面というような尾道自動車道を使えない地域を往来する場合国道486号線旧道は引き続き短絡路として有用であること。
 恐らく国道486号線市バイパスを東に向かって走っていて尾道市御調町貝ヶ原/新花尻橋北詰交差点で左から車が来たことにヒヤッとした方はいると思う。いわゆる「だろう」運転をしているからそのようになるわけであるが、そういう運転者が少なくない現状ではやはり信号機か一時停止規制は必要だと思う。そういう分かり切っていることについてなぜ広島県警察本部は見て知らぬふりをしているのか。そこで事故が起きているのかどうかは定かではないのだが、早急に手を打つべきではないのだろうか。

 ここまでは今春開通した道路に関する問題点を取り上げてきたのだが、一方で封鎖された道路でもよく考えていれば…という話がある。昨年11月1日から封鎖された福山市加茂町北山〜福山市山野町山野間の広島県道21号加茂・油木線旧道のことである。1998年(平成10年)6月28日に新七曲トンネルが開通したことで旧道になったその区間は路線バスが通ることなどからその後も長らく通行を許していたのだが、人家が皆無なことや不法投棄をする人が少なくなかったこと、途中にある七曲隧道の老朽化が著しくなったこと、落石の恐れがあることから封鎖し、北山側・山野側双方の入口にガードレール付きコンクリートブロックを設置して自動車が入れないようにしたのである。

 

広島県道21号加茂・油木線旧道の封鎖地点(左:北山側/右:山野側。2011年〔平成23年〕11月13日撮影)

 上の写真を見て「ブルドーザーやショベルカーを持ってくれば簡単に破れるのでは…」と思った方もいるのではないかと思うのだが、先日福山市神辺町三谷から広島県道・岡山県道103号七曲・井原線を通って福山市山野町に抜けた時、山野側のガードレール付きコンクリートブロックが押し退けられ、自動車で旧道に入れるようになっていたのを見かけたのである。どういう方がそういうことをしたのかは大体察しが付くのだが、新七曲トンネル経由の現道が通行止めになった場合旧道を通れるようにするためにとった措置が裏目に出たというわけである。
 中には七曲隧道自体老朽化しているのでコンクリートで封鎖すべきという強硬的なことを思う方もいるかもしれないのだが、私はこの考えには反対である。というのも福山市山野町に住む方々にとって七曲隧道の開通(1956年〔昭和31年〕)は大きな喜びをもって迎えられ、北山側の谷が深いとか冬場は積雪・凍結の恐れがあるとか道が狭いとかいう問題はあったものの40年以上にわたって重要な生活道路として使われてきたという歴史を持っているからである。七曲隧道の扁額を見ると揮毫(きごう)者は開通当時の広島県知事であった大原博夫(1894〜1971。在任期間:1951〜1962(注8))であると記されているが、山奥に作られたトンネルの扁額の揮毫を県知事が担当したところにそのトンネルの持つ意味の重さと地域住民の熱い思いを感じ取ることができる。

七曲隧道北山側坑口の扁額(2011年〔平成23年〕10月29日撮影)

七曲隧道山野側坑口の扁額(2011年〔平成23年〕10月29日撮影)

 山野側のガードレール付きコンクリートブロックが押し退けられたのは付近に全く人家がないことやその直前に至る広島県道・岡山県道103号七曲・井原線の交通量がほとんどないことから誰にも見られない状況にあったこと(北山側については広島県道21号加茂・油木線に面しており、押し退ければすぐに分かってしまうため避けたのだろう)が原因であるが、私として気になったのは次に挙げる点である。
・山野側について、広島県道21号加茂・油木線を走っている時に七曲隧道封鎖に関する情報を知る手段がないことである。交通量が皆無に等しいし、事実上井原市高屋町や福山市神辺町三谷と福山市山野町山野を結ぶ路線の一部と化しているのでそのようにしているのだろう(注9)が…。
・そもそも七曲隧道封鎖に関する報道が皆無に等しかったこと。私自身そのことを初めて知ったのは昨年10月に発売された地元旬刊経済誌の連載企画を読んでいた時であった。
・七曲隧道封鎖について管理者の広島県東部建設事務所(福山市三吉町一丁目)は広報活動をほとんど行わなかったこと。広島県道21号加茂・油木線は幹線道路というよりは地域の生活道路としての性格が強く、その必要はないと感じたのだろうが…。
 もしある程度知られていればガードレール付きコンクリートブロックを押し退けて…という人は出なかったかもしれないのだが、広島県東部建設事務所がなすべきことは何だったのかを記すと次の通りになる。
・バリケードについても簡素なものでは破られる恐れがあること(注10)や七曲隧道は封鎖せずに地域の歴史の証人として残すべきであると考えることから自転車や歩行者程度は入れて新七曲トンネルが長時間通れなくなった場合は迂回路として使えるように取り外しができるようなもの(注11)にする。
・山野側のバリケード付近に七曲隧道の歴史を記した看板となぜ封鎖することになったのかを説明する看板、そして自転車や歩行者は通っても良いが隧道の照明はつけないことや落石・土砂崩落の危険性があることを注意した看板を設置する(北山側についてはなぜ封鎖することになったのかを説明する看板と自転車や歩行者は通っても良いが隧道の照明はつけないことや落石・土砂崩落の危険性があることを注意した看板を設置するものとする)。
・七曲隧道に通じる道の分岐点(広島県道21号加茂・油木線の福山市加茂町北山と福山市山野町山野、広島県道・岡山県道103号七曲・井原線の福山市山野町山野の3箇所)の手前に「七曲隧道は自動車・バイクでの通り抜けはできません」と記した看板を設置する。
・山野側封鎖地点の周辺は人家がなく、交通量も皆無に等しいためバリケード破壊や不法投棄、殺人・死体遺棄事件、自殺の発生を防ぐためにも防犯カメラを設置し、防犯カメラにより見張っている旨の看板を立てておく。
 新しいトンネルができると古いトンネルはかなりの割合で封鎖され、二度と通り抜けができなくなる運命に見舞われる。広島県にも既にそんなトンネルはいくつも存在する(注12)。けれど、扁額の揮毫を開通当時の県知事が務めたトンネルを封鎖するのは歴史や地域住民の思いを蔑ろにすることである。そんなに有名なトンネルではないけれど、何らかの形で保存し、通り抜けられるようにすることを私は望みたい。

 道路を建設することや逆に道路を封鎖することはそれなりの目的を持って行われることである。しかし、今まで書いてきた事例を見る限り実行後どのようになるかまでをよく考えているとは言えない状況があるように思う。何年か前「想定内」とか「想定外」という言葉が流行語になったことがあるが、少なくとも行政担当者に「想定内」とか「想定外」という言葉は使って頂きたくない。そういう言葉を使うのは「木を見て森を見ず」というような考え方の持ち主でしかないからである。
 しかし、実は数年後「分かっていたことなのに…」と言いたくなる結果になるであろう道路計画が福山市及びその周辺で進められている。代表的な例を挙げると次のようになる。
・国道2号線松永道路の全線上下4車線化。三原バイパス全線開通を契機に工事が再開されるとの噂があるが松永道路の東側にある赤坂バイパスの上下4車線化は全くメドが立っていないことから今度は赤坂バイパスと松永道路の接続点となる神村ランプ(福山市神村町。広島県道54号福山・尾道線福山市中心部方面と国道2号線松永・尾道旧道福山市松永地区中心部方面から松永道路尾道方面への流入と松永道路尾道方面から広島県道54号福山・尾道線福山市中心部方面への流出のみ可能)を先頭とした渋滞が発生することが確実視されている。
・広島県道391号加茂・福山線の福山市中心部への延伸。福山市御幸町中津原で現道から分岐して高屋川とJR福塩線、国道313号線を橋で跨ぎ、盈進(えいしん)中学校・高等学校(福山市千田町千田)のすぐ西側を通って福山市千田町三丁目で国道313号線に合流するもの(以後Aルートと記す)と福山市御幸町森脇(もりわけ)から南下し、福山市郷分町・福山市御幸町中津原・福山市千田町坂田・福山市久松台・福山市木之庄町を通って福山市西町一丁目で国道2号線に出るもの(以後Bルートと記す)、福山市千田町坂田でBルートから分岐し、福山市千田町薮路のにごり池付近で国道313号線に合流するもの(以後Cルートと記す)の三通りの経路が計画されているのだが、AルートとCルートは国道313号線との合流点付近で渋滞が起きる恐れがあるし、Bルートは閑静な住宅街である福山市久松台の生活環境を脅かす恐れがある。そもそもこれらのバイパスは福山市中心部と御幸・加茂・駅家・新市・府中方面との往来を円滑にするために計画されたものであり、福山市中心部と神辺・井原方面との往来を円滑にするための道路が全く計画されていないことも問題ではないのか。

福山市御幸町中津原にある広島県道391号加茂・福山線バイパス終点。奥に向かってBルートまたはCルートが延びることになる。

福山市千田町坂田の山中にあるボックスカルバート。BルートまたはCルートはここを通る予定になっている。

住宅街の外れにあるBルートの南側端点(福山市久松台二丁目)。この道が広島県道391号加茂・福山線になり、多くの自動車が行き交う日は来るのだろうか。

広島県道381号熊野・瀬戸線の福山市熊野町におけるバイパス計画。狭隘箇所を迂回する福山市道の拡幅で十分であるし地域高規格道路福山・沼隈道路とのアクセス道路としての目的もあるがそれとて南方へ延伸されれば交通量が減るのは目に見えている。住民の反対もあるのにそれでも新たな道路を建設する必要はあるのだろうか。

広島県道381号熊野・瀬戸線バイパス建設反対を訴える看板

福山西環状線。現在福山市津之郷町津之郷〜福山市駅家町今岡間で通行不能になっている広島県道463号津之郷・山守線のバイパスとして計画されているが、トンネルを掘ると広島県道463号津之郷・山守線の津之郷側車道端点のそばにある俄山弘法大師(福山市津之郷町津之郷)の湧き水に影響が出る恐れがある。もしトンネルを掘った結果湧き水が出なくなったらどうしてくれるのだろうか。更に福山市西部と福山市北西部・府中市中心部を結ぶ目的で道路を整備するのであれば福山市赤坂町赤坂から北に延びる福山市道や広島県道157号松永・新市線などを整備したほうが早く済むし費用も安く済むのではないか。
 私は決して道路建設に反対というわけではない。その必要性は十分認めているが、建設するのであればもっと長期的かつ広域的な視野に立ち、きちんと説明・討議を尽くし、情報を公開して欲しいと思っている。何もそれは道路だけではない。あらゆる分野においてである。面倒なことに映るかもしれないのだが、一部の人間だけで決めたことで多くの方々が嫌な思いをするのなら、「それ見たことか」などとバカにされたくないのならそこまでやるべきではないのだろうか。
 「未来のことなど完璧に予想できない」とか「私の知ったことではない」という声もあろう。しかし、ある程度までは予想できるはずである。そういう人間がもっと出てきて欲しいのだが果たして…。

(注釈コーナー)

注1:国道2号線松永バイパス(松永道路)は最初の計画では啓文社リサイクル館高須店(尾道市高須町)付近で在来の国道2号線に接続することになっていた。

注2:松永道路の上下4車線化で工事が停止しているのは羽原ランプ(福山市神村〔かむら〕町)付近と平(ひら)トンネル(福山市神村町)である。国土交通省中国地方整備局福山河川国道事務所によると三原バイパスの全線開通後に再開するとしているが、こちらもいつ開通するのかは全く分かっていない。

注3:第二神明道路の東側には阪神高速道路3号神戸線が接続しているのだが、阪神高速道路3号神戸線は国道2号線ではなく兵庫県道高速神戸・西宮線(県道番号は定められていない)となっている。よって国道2号線としての連続バイパスの起点は阪神高速道路3号神戸線と第二神明道路の接続点となる須磨インターチェンジ(神戸市須磨区西須磨)となる。

注4:現在は更に玉島・笠岡道路→笠岡バイパス→福山道路→赤坂バイパス→松永道路→尾道バイパス→木原道路→三原バイパスと連続する計画になっている。但し何度も記すように国の財政事情が厳しいことや沿線住民が強硬に建設に反対していることからいつ連続して走行できるようになるのかは全く分かっていない。

注5:松永道路の東方への延伸は後に赤坂バイパスの計画に継承されることになる。赤坂バイパスと松永道路は神村ランプで接続しているのだが、神村ランプの東、すなわち赤坂バイパスに神村東ランプや神村西ランプが存在するのは松永道路の延伸から別々の計画にすり替えられたことが原因であり、通る度に何とかならなかったのかと思っている(無論松永道路の全線開通と赤坂バイパスの全線開通は同時ではなく、赤坂バイパスの全線開通は松永道路のそれより7年も後のことになった)。

注6:将来は倉敷市真備町川辺から三原市八幡町垣内/三原インター入口交差点まで道なりになる予定。但し井原市井原町/薬師交差点〜福山市神辺町下御領/湯野口交差点間は国道313号線との重用区間になる。

注7:尾道自動車道開通前は尾道市公立みつぎ総合病院のすぐ西側を通る国道184号線旧道(国道486号線とは尾道市御調町神/常安橋北詰交差点で接続。但し大型車は通行禁止)を通って国道184号線と国道486号線を短絡する車が少なくなかった。

注8:大原博夫元広島県知事の孫は藤田雄山前広島県知事(1949〜。在任期間:1993〜2009)である。

注9:それでも広島県道21号加茂・油木線旧道には下の写真の通り未だに広島県道21号加茂・油木線の県道標識が残されている。

 

注10:似た例としては岡山県道155号鴨方・矢掛線の矢掛側車道端点(小田郡矢掛町浅海〔あすみ〕)がある。かつては木の柵で道を塞ぎ、その真ん中に「鴨方方面への通り抜けはできません」というような看板が建てられていたらしいのだが木の柵は朽ち果て、看板は転がっているという惨憺たる状況になっていった。その後下の写真のような簡単なバリケード(2008年〔平成20年〕9月16日撮影)になったのだが、心もとない感じがするのは私だけではないはずである。
※バリケードの先に何があるのか徒歩で行ったところため池しかなく、ため池のそばで舗装が途切れる道路には十分な機回し場がなかった。

注11:代表的な例としては総社市槙谷の岡山県道57号総社・賀陽線が封鎖された時設置された車止めがある(現在封鎖は解除されている)。

 

岡山県道57号総社・賀陽線に設置された車止め(2009年〔平成21年〕10月27日撮影)

注12:福山市及びその周辺にはないのだが、有名なところでは国道261号線の中三坂隧道(山県郡北広島町大朝〜島根県邑智〔おおち〕郡邑南〔おおなん〕町上田所間)や国道375号線の黒瀬隧道(呉市広町〜呉市郷原町間)などがある。

(AFTER TALK)

 物事は広い視野に立ってどのようにするのかを考えるのが普通である。様々なことを考えた上でどのようにすべきなのか決めるのが常識である。更に経験は必ず生きてくるものである。しかし、本作で触れた国道2号線三原バイパスの問題や国道486号線市バイパスの問題、広島県道21号加茂・油木線七曲隧道の問題はいずれもそれがなされていないと言えるものであった。いろいろ事情はあったのだろうが、(語弊はあるかもしれないのだが)お粗末と言わざるを得ない。
 (本文では触れなかったのだが)国道486号線市バイパスについては下の写真でもうかがえるように交通量がそんなにないことや前後区間の上下4車線化が全く考えられていないことなどから最初から上下2車線で整備すべきだったという指摘もある。このことについては様々な考え方があるのでこれ以上は書かないでおくが、こういう現実を見るとなぜ日本の行政機関は長期的かつ広域的に物事を考えて行動しないのだろうかと呆れたくなってくる。

 政治やら利権やら様々なものが絡むからここで書くのはどうかと思うのだが、交通路は特に長期的かつ広域的な視野に立って計画する必要があるのではないのだろうか。効果は広域的にもたらさなければならないし、計画が策定されてから開通するまでにかなりの年数を費やすからその間の社会情勢の変化も考えておく必要がある。それができなかったのが日本国有鉄道(国鉄)の経営悪化→分割・民営化の一因になった過疎地における鉄道建設であった。中には開業していれば有用になったのではないかと思う路線もあるのだが、(建設推進を声高に叫んでいた方々には大変申し訳ないことを記すかもしれないのだが)その大半は建設自体無謀と評価するしかないものであった。モータリゼーションと過疎化が進展した地域の鉄道路線はその路線の有用性と利益を向上させる優等列車が設定できるか否かが運命の分かれ目になることが多いのだが、残念ながらその条件を満たす路線がほとんどないのである。どの路線がどうなのか、ここで書くことは差し控えるが、そのことを知っているのであれば愚は繰り返さないはずであった。しかし、道路はどうなのだろうか。
 確かに道路は鉄道以上に発達しているし利用する人はかなりの数に及ぶ。だから何も言われないできたのかもしれない。しかし、支障が全て解決できないとしたら、新たな問題が発生するとしたら、それは誰の責任になるのだろうか。
「重大な問題など起きはしない」と言うのだろうが、もし万が一のことが起きたとしたら計画立案者は非難の矢面に立たされることであろう。それを避けるためにはどのようにすべきなのか。答えはもう記すまでもないであろう。
 最後になったが、本文で取り上げた箇所のその後を紹介しておきたいと思う。

・国道2号線木原道路

 国道2号線三原バイパス全線開通後本格的に建設工事が始まり、2013年(平成25年)5月現在では三原バイパス糸崎ランプの橋脚に橋桁を載せる作業が行われている。報道によれば2018年(平成30年)全線開通予定。

・国道486号線市バイパス東側終点

 信号機の設置や旧道への一時停止規制の実施は行われていない。旧道の交通量が少ないので標識の設置や道路標示の改良で済ませているのではないかと思われるのだが…。

・広島県道21号加茂・油木線七曲隧道

 2013年(平成25年)5月に確認したところ下の写真でもうかがえるように柵となるガードレールや通行止めの標識の設置方法を変更していた。路面に穴を開けて設置する方法に変えたところに広島県東部建設事務所の絶対に自動車は入らせないという強い思いが感じられる。

 

 しかし、これもいたちごっこになるのではないかと私は考えている。というのも辺りは人家すらない、怖いほど静かな場所であることや広島県道・岡山県道103号七曲・井原線の交通量はほとんどないことからブルドーザーやショベルカーを持ってきて誰にも見られないうちに柵や標識をなぎ倒すことは十分できるのではないかと思うからである(お断りしておくが私は触法行為を推奨するつもりでこのようなことを書いているわけではない。もし実際にやれば福山北警察署〔福山市神辺町新道上三丁目〕に通報され、人生を棒に振ることになることをご覚悟頂きたい)。更に下の写真をご覧頂きたいのだが山野側坑口に張られた金網は薄く、金網が重なり合った部分からの人間の侵入は十分可能である。広島県東部建設事務所によると七曲隧道を封鎖したのは隧道自体の老朽化が理由とのことである(他にも不法投棄・犯罪防止とか安全上の問題、財政事情の悪化などもあると思われる)が、これとて万が一を考えていないのではないか。しかもただ通行止めにしただけで現地にはなぜ通行止めにしたのかその理由を示すものは一切設置していないのである。

 

金網が張られた七曲隧道(左:近景/右:遠景)

 この件は広島県東部建設事務所が周知を徹底しないまま七曲隧道の封鎖を実行したことに問題があると言える。確かに1998年(平成10年)6月28日に新七曲トンネルが開通してから通る人は皆無に等しくなったわけであるが、だからといって現地に封鎖することを伝える看板(しかも理由については一切触れていない)を立てただけで周知するのは上から目線の発想ではないのだろうか。しかも事実上広島県道・岡山県道103号七曲・井原線になったところに残る広島県道21号加茂・油木線の県道標識は撤去していないし、(そういう需要はないと見てそのようにしたのだろうが)山野峡方面から進んできた場合、七曲隧道が封鎖されて通れなくなっていることを知る方法はない。一部には扁額の揮毫者及びその孫への当て付けではないのかとする意見もあるのだが、やはりいくら交通量がない道でもその封鎖については周知は図るべきであったし、封鎖後は簡単になぎ倒されないような柵—かつて豪渓付近の岡山県道57号総社・賀陽線が約8年間封鎖された際に使用されたような車止めが良いであろう。もしかしたら迂回路として使用することもあるかもしれないから—と防犯カメラを設置した上で「七曲隧道及びその前後の道路は老朽化と不法投棄・犯罪防止、通行者の安全確保のため自動車の通行を禁止致します。もし柵をなぎ倒してまで侵入した場合は器物損壊で福山北警察署に通報致します」とか「防犯カメラにて監視中」というような看板を設置したほうが良かったのではないのだろうか。標識や柵の設置方法の変更だけでも県民の税金が使用されていることを考えるともう少し考えた上で行動して欲しかったと思うのは私だけではないであろう。

 

七曲隧道山野側坑口の手前に設置された七曲隧道を封鎖することを告知する看板(2011年〔平成23年〕10月29日撮影)

・国道2号線松永道路の全線上下4車線化

 国道2号線三原バイパス全線開通後に工事再開との噂があったが、現実にそうなっており、今年に入ってから本格的に始まっている。ただ、もし松永道路の全線上下4車線化が完成しても下り線は赤坂バイパスの途中で、上り線は車線が絞り込まれる赤坂バイパス・松永道路の境界付近でそれぞれ渋滞する恐れはあり、赤坂バイパス全線を含めた上下4車線化は企図できないのだろうかと考えている。

・広島県道391号加茂・福山線の福山市中心部への延伸
・広島県道381号熊野・瀬戸線の福山市熊野町におけるバイパス計画
・福山西環状線

 工事は全く進んでいない。

(2013年〔平成25年〕5月13日追記)

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