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2015年(平成27年)の「重大」ニュースを斬る(2015年〔平成27年〕12月31日公開)

 振り返れば今年もいろいろなことがあった。腑に落ちないこと、腹が立つこと、嬉しいこと、驚かされたことなどいろいろあったが、そこでこの「不定期刊・きょうのトピックス」では2015年(平成27年)最後の企画として今年の重大ニュースを斬ることにした。但し、ここで取り上げる重大ニュースは本サイトの内容に沿ったもの、すなわち中国地方の地域・ラジオ・道路に関係したものであり、広く知られたものは取り扱わない。その点を踏まえた上でこのページをご覧頂きたい。
 なお、取り扱ったニュースは地域編とラジオ編は3個、道路編は4個とした。また、順位は付けないことにした。その点はご理解頂きたい。

地域編

福山市教育委員会が小学校・中学校再編計画を公表する

(概要)

 今年8月、福山市教育委員会は市内の市立小学校・中学校の再編計画を発表した。その概要は下表の通りである。

種類対象校名と
所在地
統合先備考
小学校内浦(内海町)千年(沼隈町草深)
内海(内海町)
服部(駅家町助元)駅家東(駅家町法成寺)駅家東小学校の児童と服部(はっとり)小学校の児童は原則として同じ中学校、すなわち駅家中学校(駅家町法成寺)に進学する。
東村(東村町)今津(今津町)今津小学校の児童(高西町の全域と南今津町の一部地域に住んでいる方を除く(注1))と東村小学校の児童は原則として同じ中学校、すなわち大成館中学校(神村〔かむら〕町)に進学する。
広瀬(加茂町北山)加茂(加茂町中野)2002年(平成14年)から休校中の山野北小学校(山野町山野)については言及はないが、統合実施時点で正式に廃校になる可能性が高い。
山野(山野町山野)
中学校内海(内海町)千年(沼隈町草深)
広瀬(加茂町北山)加茂(加茂町下加茂)
山野(山野町山野)

 再編計画が実行された場合、旧沼隈郡内海(うつみ)町(現在の福山市内海町)からは学校が全てなくなることになり、旧深安郡加茂町(現在の福山市加茂町及び山野町)の全域を学区とする小学校・中学校が発足することになる。更に長距離通学を余儀なくされる方が少なくないことから再編対象になった学校がある地域では反対の声が上がっている。

(コメント)

 今回再編対象になった学校の児童数または生徒数と学級数は下表の通りである(福山市公式サイトを基に作成)。

小学校

校名児童数
(単位:人)
学級数備考
内浦154学級の内訳は複式3・特別支援1。
内海466学級の内訳は通常2・複式2・特別支援2(1・2年生のみ通常学級で3年生以上が複式学級)。
服部467学級の内訳は通常4・複式1・特別支援2(1・2・3・4年生が通常学級で5・6年生が複式学級)。
東村466学級の内訳は通常4・複式1・特別支援1(1・2・5・6年生が通常学級で3・4年生が複式学級)。
広瀬285学級の内訳は通常2・複式2・特別支援1(1・2年生のみ通常学級で3年生以上が複式学級)。
山野53学級の内訳は通常1・複式2(4年生のみ通常学級で1・2・5・6年生が複式学級。3年生はいない)。

中学校

校名生徒数
(単位:人)
学級数備考
内海163全て通常学級。
広瀬224学級の内訳は通常3・特別支援1。
山野83全て通常学級。

 今回再編対象になった学校には下表に挙げる特徴がある。

種類特徴
小学校・児童数が少ない学校であること(福山市立の小学校の児童数の77校中第72〜77位に当たる)。
・複式学級が少なくとも一つはあること。
中学校・生徒数が少ない学校であること(入学試験がない福山市立の中学校(注2)の生徒数の34校中第32〜34位に当たる)。

 このことから福山市としては児童数の少ない小学校または生徒数の少ない中学校から統廃合の対象にしようとしていることがうかがえる。
 しかし、私はこの計画には絶対に賛成しない。対象校の卒業生でもないし在学経験者でもないのだが、次に挙げる理由からである。
・学校は地域の中核施設であり、象徴であるから。
・過疎化は進んでいるが対象校のある地域には年中行事や特産品など特色のあるものが多数あるから。
・旧沼隈郡内海町から学校がなくなることになり、旧沼隈郡内海町民は旧芦品郡協和村民(芦品郡協和村は現在の府中市阿字町・木野山町・斗升町・行縢〔むかばき〕町に相当する地域に1955〜1975年〔昭和30〜50年〕に存在した自治体)と同じ悲劇を味わうことになるから(旧芦品郡協和村の件については こちら で記しているので興味のある方はご覧頂きたい)。
・統合先の学校までの道路事情が芳しくないところが少なくないから。
・対象校に通う子供やその親に理不尽な思いを与えるから。
・対象校に通う子供やその親に重い負担を与えることになるから。
・地域破壊行為でしかないから。
・小規模校には小規模校なりの良さがあると考えられるから。
・「適正」とか「合理化」とか「財政事情」を振りかざした再編は好ましからざる結果をもたらすと考えているから。
・福山市内海町に住んでいる方が「合併は誤りだった」とか「破談になれば良かったのに…」と言い出す恐れがあるから(注3)
 特に私がどうかと思い続けているのは30年ほど前の第二次ベビーブーム世代(1971〜1974年〔昭和46〜49年〕に生まれた子供を指す)が小学生・中学生だった当時の教育行政の理不尽ぶりである。それを挙げると次の通りになる。
・40人学級を推進するという話があったがそれをほごにした学校が少なくなかった。
・何の理由説明もなく学級数削減を強行し、結果40人以上学級ばかりが生じる結果になった。
 これでどういう弊害が生じたのか。それを挙げると次の通りになる。
・教職員の苦労が増大した。
・女性教諭の中に1〜2年で退職する方が少なくなかった(結婚して他地域に移住することが理由だと言っていたが…)。
・病気で休職する教職員が少なくなかった(中には復帰できないまま退職した方もいる)。
・たった1年で他校に転勤した教職員がいた。
・自分の出身中学校の養護教諭は自分の出身中学校で10年間勤めた後若くして退職した(育児と仕事の両立が困難になったことが退職理由らしいが両立できている女性教諭は多数いることを思うと何かあったのだろうと勘繰りたくなる。なおこの養護教諭は10年ほど前40代半ばの若さで逝去したことを中国新聞朝刊の訃報欄で知った。それを見た時なぜ若くして亡くなったのだろうかと思ったものである)。
・児童または生徒の問題行動(いじめ・非行など)が多発した。
・(どうでも良い話ではあるが)学級数削減の影響で1年1組・2年2組・3年3組には属せたが4年4組には属せなかったという人がいた(注4)
 それを福山市教育委員会はどのように見ていたのだろうか。「児童数または生徒数が多い時期は数年で過ぎ去る。それまでの辛抱だ」と思っていたかもしれないのだが、どれだけの教職員や児童または生徒が犠牲になったか分かっているのだろうか。「歴史は繰り返す」というが、小学校・中学校の再編は同じような問題を引き起こすのではないかと気になってならない。
 実は福山市は来年4月に市議会議員選挙、そして来年8月に市長選挙が控えている。下関市では2008年(平成20年)3月、市立小学校・中学校の適正規模・適正配置に関する答申を公表したのだが、翌2009年(平成21年)3月に市長が交代したことで学校の再編問題に待ったがかかる格好になった(注5)。福山市の場合は下関市の場合と違って市域全体で市立小学校・中学校を再編しようという話になっているわけではないのだが、果たしてどうなるのだろうか。来年は正念場になることは間違いない。

JR三江線の全線廃止問題が浮上する

(概要)

 今年8月31日に全線開業40周年を迎えたJR三江線であるが、それから1ヶ月半ほど経った10月中旬、全線廃止問題があることが中国新聞などで報じられた。江津(ごうつ)市と三次(みよし)市を中国地方随一の大河・江の川に沿って通じているこの路線(注6)であるが、全線開業時点で既に沿線は過疎化が進展しており、それは今なお止まっていないことや江の川に沿って敷設されたために江津市と三次市を結ぶには遠回りになっていること、新幹線や道路の整備が進展したために陰陽連絡路線としての役割も持てなくなったことなどから利用は低迷し、現在は江津〜浜原間と口羽〜三次間は一日5往復、浜原〜口羽間は一日4往復しか列車が設定されていない(しかも走っている車両は全て一両編成)。三江線を管理下に置いている西日本旅客鉄道(JR西日本。大阪市北区芝田二丁目)の社長は2010年(平成22年)4月に利用の少ない路線の廃止を検討していることを明らかにしていたが、その時点から三江線は標的になっていた可能性が高い。

(コメント)

 三江線の廃止問題は国鉄三江南線(三次〜口羽間)と国鉄三江北線(江津〜浜原間)に分かれ、浜原〜口羽間の建設が進められていた1968年(昭和43年)に早くも浮上している。当時日本国有鉄道(国鉄)では利用が少なく、減少していることなどを要件として使命を終えたローカル線の廃止を進めることにし、全国で83路線を選定したのだが、下表にも記している通り三江南線・三江北線も対象になったのである。

参考資料:中国地方で1968年(昭和43年)に廃止対象路線に指定された国鉄路線

通過県路線名称対象区間延長
(単位:km)
備考
鳥取県倉吉線全区間
(上井〜山守間)
20.0上井(あげい)駅は現在のJR山陰本線倉吉駅(1972年〔昭和47年〕2月14日改称)。
1985年(昭和60年)4月1日廃止。
若桜線全区間
(郡家〜若桜間)
19.21987年(昭和62年)10月14日西日本旅客鉄道から経営分離。
現在は若桜(わかさ)鉄道若桜線として営業中。
島根県三江北線全区間
(江津〜浜原間)
50.1現在も西日本旅客鉄道の運営する路線として営業中。但し路線名称は三江線になっている。
大社線全区間
(出雲市〜大社間)
7.51990年(平成2年)4月1日廃止。
島根県・
広島県
三江南線全区間
(三次〜口羽間)
28.4現在も西日本旅客鉄道の運営する路線として営業中。但し路線名称は三江線になっている。
広島県宇品線全区間
(広島〜上大河間)
2.4利用者減少と国道2号線新広島バイパス建設に伴い1966年(昭和41年)12月20日上大河(かみおおこう)〜宇品間の旅客営業廃止(この時をもって存続区間のダイヤが市販の時刻表に載らなくなる)。広島〜上大河間の旅客営業も1972年(昭和47年)4月1日廃止。その後貨物線として存続するがそれも1986年(昭和61年)10月1日廃止。旅客営業を行っていた頃には営業係数(100円を稼ぐのにどのくらいの費用がかかるかを示した数値。100以下なら黒字、100以上なら赤字となる)が国鉄路線で最悪になったこともある。
可部線可部〜加計間32.02003年(平成15年)12月1日廃止(同時に延伸区間の加計〜三段峡間も廃止)。但し可部駅(広島市安佐北区可部二丁目)から2kmほどの区間は2017年(平成29年)春復活する予定。
山口県岩日線全区間
(森ヶ原信号場〜錦町間)
30.8森ヶ原信号場はJR岩徳線との分岐点にある信号場(旅客上の分岐駅とされているJR岩徳線川西駅〔岩国市川西二丁目〕から1.9kmのところにある)。
1987年(昭和62年)7月25日西日本旅客鉄道から経営分離。
現在は錦川鉄道錦川清流線として営業中。

 しかし、各地で強硬な反対運動が起きたことなどから中国地方で廃止されたのは宇品線だけにとどまった。それどころか1969年(昭和44年)7月27日には可部線加計〜三段峡間が、1975年(昭和50年)8月31日には三江線浜原〜口羽間がそれぞれ開業し、更に倉吉線と可部線、岩日線の延伸計画も進められようとしていた(注7)。冷静に考えれば費用対効果が見込めた中国地方の新規建設路線は智頭(ちず)線(現:智頭急行智頭線)とJR本四備讃線(愛称:瀬戸大橋線)だけだったのだが、やはりそこには政治家の支持を失いたくない、住民を喜ばせて自分の地位を安泰にしたい、自分の成果を示して「○○さんは何もかもかなえてくれる人だ」と地盤としている地域の有権者に認めさせたいという思惑があったのだろう(無論そのことに異を唱える方もいたことであろうが…)。
 倉吉線と可部線、岩日線の延伸計画が挫折していった中で三江線だけが全線開業に至れたのは開業が日本国有鉄道の経営難が深刻化する前だったことやトンネルは多いものの広島県西部に源を持ち、中国山地を突っ切って日本海に注ぐ江の川に沿って敷設することができたこと、江津側・三次側双方から建設が進んだことが挙げられる。しかし、現実は甘くなかった。次に挙げるような現実があったからである。
・江の川に沿って敷設したために江津市と三次市を結ぶには遠回りになったこと。
・三江南線または三江北線だった区間の規格が低く、列車は速く走れなかったこと。
・貨物輸送がトラックにとって代わられたために多くの鉄道路線は人間を輸送する目的しか有せなくなったこと。
・見方によっては福山市と江津市を結ぶ陰陽連絡鉄道にはなるが、三江線全線開業当時でも福山市と江津市を往来する場合は広島市経由のほうが早く行けた(山陽新幹線と路線バス、山陰本線を利用)ので優等列車の設定も不可能だったこと。
・三江線全線開業当時三江線に並行する道路は大半が未改良だったが、その後改良が進んだこと。
・近くを通る中国自動車道や浜田自動車道が早い時期に開通したこと。
・沿線の人口が過疎化により減少したこと。
・自動車やバイクが普及し、公共交通機関を利用しなくても良くなったこと。
・学校(特に高校)の統廃合が進んだこと。
・利用が減ったことで便数が減らされ、更に利用が減る…という悪循環が生じたこと。
・いわゆる平成の大合併で中心機能を喪失したところが少なくなかったこと。
・梅雨末期の集中豪雨などで被災したために長期間運休することが度々あったこと。
 それでも三江線は並行する道路、すなわち国道375号線や島根県道40号川本・波多線、広島県道/島根県道112号三次・江津線などの改良が進んでいないことを理由に生き延びた。現在でも国道375号線や島根県道40号川本・波多線、広島県道/島根県道112号三次・江津線には未改良箇所が残っていることから当面は存続するのではないかと考えられてきた。

三江線長谷駅(三次市粟屋町)の近くにある広島県道/島根県道112号三次・江津線に狭隘箇所があることを知らせる看板

長谷駅と広島県道/島根県道112号三次・江津線

 しかし、三江線と同じく並行道路の未整備を理由に存続していたJR岩泉線が2014年(平成26年)4月1日をもって廃止されたこと(注8)から並行道路の未整備が廃止の免罪符になるという図式は崩壊した(注9)。三江線はJRグループに属する鉄道路線で岩泉線に次いで利用が少ない路線だったから岩泉線の廃止は三江線の運命を決定付ける、言い換えれば西日本旅客鉄道にとっては都合の良い口実のできる出来事になってしまった。過去の問題にもしも…をつけて論じることは許されざる問題ではあるが、もし岩泉線の沿線住民が東日本旅客鉄道(JR東日本。東京都渋谷区代々木二丁目)に対して「何だかんだ言って復旧させないなら一切協力もしないし話し合いの場も持たない。とにかく復旧させろ。それが筋というものだろう」などと言って強硬な態度をとり、何とか岩泉線の復旧を実現させていたら三江線の廃止は浮上することはなかったかもしれない(注10)
 そもそも西日本旅客鉄道にとって三江線は一日でも早く切り捨てたい存在であることはこれまでの行動からも明らかであった。江の川にほとんど沿っており、風光明媚さを売りにできるのに観光列車を設定しようとしなかったことがそれである。太田川に沿って通り、終点の三段峡駅(広島県山県郡安芸太田町柴木。1969〜2003)のそばには名称・三段峡の入口がある可部線可部〜三段峡間も同じ状況にして最後には廃止すると通告し、結局廃止していた(可部線可部〜三段峡間には新型気動車〔キハ120形〕も導入しなかった(注11))が、これでは沿線住民へのいじめでしかない。最近、辞めさせたい社員を「追い出し部屋」に送り込んだり根拠も示さず「あなたにはコミュニケーション能力や協調性がない」などと言って解雇通告を出したりする会社が少なくない(注12)と言うが、西日本旅客鉄道がやっていることはまさにそれである。
 可部線可部〜三段峡間の前例から考えれば三江線の今後は非常に厳しいと言わざるを得ないし、もし集中豪雨などで被災すれば繰り上げて廃止する可能性も考えられるが、可部線可部〜三段峡間の場合と大きく異なるのは並行して通る道路に未整備の箇所が多く残されていることと、整備された道路があるとしても川の対岸にあるところが多いということである(注13)。岩泉線の場合は東日本旅客鉄道が並行道路の整備に協力することを決めたが、岩泉線の3倍以上の路線距離のある三江線の場合は路線バスが通れないような未整備箇所があまりにも多く、中には未開通の箇所(広島県道/島根県道112号三次・江津線の江津市桜江町後山〜江津市川平町南川上間)すらある。もし改良が進んで最低限マイクロバスが走れるような道になったとしても既に過疎化が進展しているため設定は困難を極める恐れがある。そのことを蔑(ないがし)ろにして廃止するのは問題があるのではないか。更にもし廃止された場合沿線自治体に降りかかる負担もあまりにも大きい。108.1kmもある跡地をどのように利用するのかとか三江線の駅の前を起終点とする県道路線—もっとも島根県道221号川平停車場線と島根県道222号川本停車場線、島根県道298号跡市・川平停車場線しかないのだが—をどのように再編するのかといった問題を考えなければならなくなるからである。鉄道としての維持が難しくなっていることは理解するが、こういう現実を無視して廃止すると言い出すのは私はいかがなものかと思うのである。

島根県邑智郡川本町川本の島根県道31号仁摩・邑南線(島根県道40号川本・波多線重用)にある島根県道222号川本停車場線の路線方向表示

 間もなく日本国有鉄道の分割・民営化から30年になるが、私は最近日本国有鉄道の分割・民営化とその前後の激烈を極めた合理化は果たして良かったのだろうかと考えるようになった。利用の少ない鉄道路線を廃止してどのくらいの費用節減が果たせたかがはっきりしないし、多くの列車や路線、サービスが廃止されたことで鉄道旅行の面白味がなくなったのではないかと感じるからである。民営化したのだから利益を稼ぐことと費用を節約することは考え続けて当然だという声もあるところであるが、その一方でもう少し工夫していれば活性化し、存続できたものは少なくなかったのでは…という気がしてならないのである。私は以前本サイトでそういうことを書いたことがある(それは こちら )のだが、「もうこの路線は使命が終わった」とか「何をしても状況は好転しない」などと決め付け、恣意(しい)的に廃止することが本当に効果のあったことだったのか。一度廃止されたものが復活することはほぼあり得ないことであるが、それぞれについて検証もなされないまま30年が経過しようとしていることは私としてはどうかと考えているところである。
 何も決まっていない以上これ以上あれこれ書くことは差し控えるが、西日本旅客鉄道も何の手を打たないまま「利用がないから廃止します」とか「もう使命を終えたと判断されるので廃止します」というように上から目線で臨むのではなく、何らかの手(観光列車を設定するなど)を打って効果を見極めてからどうするか決めてはどうであろうか。もし三江線がこのまま廃止されればドミノ倒しの如く中国地方の鉄道路線が切り捨てられるのは目に見えている(どこかはあえて記さないでおく。明かしたことで騒ぎが起きても、沿線住民から抗議されてもどうしようもないからである。無論私は何も策を打たないで恣意的に廃止することは絶対にしてはならないという考えでいることをこの場でお断りしておく)。来年は恐らくこの問題に何らかの動きがあると考えているのだが、鉄道会社と地域が納得するような結論を出すことを望みたい。

NHK大河ドラマ「花燃ゆ」低視聴率に喘ぐ

(概要)

 今年のNHK大河ドラマは吉田松陰(1830〜1859)の妹で、久坂玄瑞(1840〜1864)や楫取(かとり)素彦(1829〜1912)の妻となった杉文(久坂文または楫取美和子とも称する。1843(注14)〜1921)の生涯を描いた「花燃ゆ」であった。知名度が低いことから視聴率の低迷が危惧されたが、案の定視聴率は低迷し、平均視聴率は史上最低平均視聴率を記録した「平清盛」(2012年〔平成24年〕放送)と同じ12.0%にとどまった。また、舞台となった萩市や防府市では大河ドラマ館が設置されたが客足は伸びず、ドラマ本編では防府市で晩年を過ごしたことは割愛されるという有様であった。

(コメント)

 私は「花燃ゆ」はほとんど見なかったのだが、新聞のテレビ欄を見ていて気になったことはあまりにも幕末の時期を引っ張りすぎていたことであった。確かに幕末を取り上げた作品は高視聴率を記録しており、それを当て込んだことが考えられるのだが、裏を返せばそれだけ一年間50回、放送時間にして37時間45分(60分×1回+45分×49回)で描くのに必要な材料に乏しかったことがうかがえる。もし幕末の時期を引っ張らず、逝去まで描いていたとしたら防府市で晩年を過ごしたことはきちんとドラマ本編で取り上げられたのではないのだろうか。
 「花燃ゆ」の視聴率が低迷した要因としては他に脚本担当者が何人も交替したことなど軸たるものが確立されなかったこともあるのだが、その裏返しが幕末を引っ張りすぎることであったとしたら何のためのNHK大河ドラマなのだろうかという疑問が浮かんでくる。知名度の低い過去の人物を取り上げることの多い連続テレビ小説はそのほとんどが高視聴率を記録しているし、作品の総放送時間もNHK大河ドラマとそんなに変わらないこと(15分×156回=39時間)を考えるともう少し工夫していれば、軸たるものがあれば視聴率が10%未満になるという事態は避けられ、もう少しましな作品になっていたのではないかと思うのは私だけだろうか。もっとも、「面白くない」とか「つまらない」などと思って避けるようなことをせず、しっかり見ていれば「○○はなかなか良かった」とか「××の場面が印象に残った」というようなことをここで書けたのだが…。
 近年、NHK大河ドラマは視聴率が20%を超える作品に恵まれないなど低迷傾向が見られる。原因としては次のようなことが挙げられる。
・主人公の知名度が高くない(「花燃ゆ」など)。
・主人公の印象が良くない(「平清盛」など)。
・高視聴率を記録することが見込める人物を主人公にすることが難しくなった。
・裏番組が強力である(地域によっては見られなかったりNHK大河ドラマの裏番組にならなかったりするが「世界の果てまでイッテQ!」〔日本テレビ系〕や「大改造!!劇的ビフォーアフター」〔テレビ朝日系〕が主たる裏番組となる(注15))。
・価値観が多様化した。
・テレビを見ない人が増えた。
・名優と言われる俳優が出てこなくなった。
・名優と言われる俳優が逝去や引退などでいなくなった。
・若手俳優(おおむね20〜30代)を主人公に起用することが多く、演技にまだまだと言える部分が少なくない。
・出演者の人選に難がある。
・脚本や演出に問題がある。
・何を訴えたいのかが不明確。
・面白くない。
・時代劇がNHK以外で制作されなくなったために俳優が時代劇の撮影に慣れていない。
・史実を歪曲している箇所があり、不快に感じる。
・まれに放送時間を変える場合がある。最悪の場合番組が放送延期になる(選挙報道やオリンピック中継を挿入することが主な理由)。
・再放送の機会が少なく、一度見逃すと見る気が萎える。
・内容が暗く、見ていられない。
・月曜日から仕事や学校という人にとっては憂鬱な気分を起こすものである。
 「平清盛」や「花燃ゆ」の視聴率が10%を切ると「打ち切りか」などという報道がなされたこともある(NHKが視聴率低迷を理由に番組を打ち切ることはまずないと思うのだが…)のだが、だからといってNHKが大河ドラマの制作をやめることはないと私は考える。その理由は次の通りである。
・録画機器が普及した現在、視聴率は無意味なものだと思っているから。
・NHKが視聴率や聴取率にこだわることは考えられないから(但し最近教育テレビジョン〔愛称:Eテレ〕やラジオ第一、エフエムでタレントを多く起用するようになったことや特にラジオ第一とエフエムで民間放送局で流れてもおかしくないような番組が増えたこと、「紅白歌合戦」で民間テレビ放送局で放送されている人気アニメの主題曲や民間放送局のヴァラエティ番組発のヒット曲を披露する歌手がいることを考えると視聴率や聴取率を気にしていないとは言えないだろうが…。もしかしたら受信料を払って楽しんでねというつもりなのかもしれないのだろうが…)。
・もし打ち切ったり廃枠にしたりした場合、後番組が大河ドラマほど視聴率を稼げるかどうか疑問が残るから。
・(前に書いたことの繰り返しになるが)連続テレビ小説が知名度の低い人物を主人公にした作品で高視聴率を記録していることを考えると大河ドラマでもそういうやり方で高視聴率を挙げることは不可能ではないと考えるから。
・舞台になった土地の観光振興にも役立つから。
・視聴率はともかく、話題性の高いテレビドラマであることに変わりはないから。
・まだ取り上げていない時代や土地、人物が少なくないから。
・連続テレビ小説は2010年(平成22年)春から総合テレビでの本放送を15分繰り上げて成功したが、大河ドラマも何らかのテコ入れを行えば成功する可能性はあるから。
・NHKは視聴率を気にする必要はないから。
・史実と異なるところあるという問題や架空の人物が設定されるという問題はあるもののおおむね歴史の流れを紹介しているため歴史を知るためには必要なものであると考えられるから。
 現在のところ2017年度(平成29年度)までのNHK大河ドラマの題名は決まっており(2016年度〔平成28年度〕…「真田丸」、2017年度〔平成29年度〕…「おんな城主 直虎」)、次に中国地方を舞台にする大河ドラマはいつ実現するかは分からない。中国地方では後北条氏(現在の井原市生まれとされている北条早雲〔1432or1456〜1519〕を始祖とする戦国大名)や備中松山藩に仕えた江戸時代末期の陽明学者・儒家として知られる山田方谷(やまだ・ほうこく。1805〜1877)を主人公とした大河ドラマの実現を目指す動きもあるようであるが、次の中国地方を舞台にした大河ドラマはいつどんな形で実現するのだろうか。今度は高視聴率を記録し、印象に残るものであって欲しいと願わずにはいられない。

JR伯備線方谷駅(高梁市中井町西方)。駅名は近くに山田方谷が住んでいたことに由来する。

ラジオ編

中国地方の民間中波放送局でエフエム補完放送が始まる

(概要)

 昨年、民間中波放送局のエフエム電波を用いた中継局、いわゆるエフエム補完中継局の周波数割り当てが総務省によってなされた(下表参照)が、今年はそのうちの中国放送ラジオ(RCC、広島市中区基町)と山口放送ラジオ(KRY、周南市徳山)で動きがあった。

放送区域放送局名・略称・所在地割り当て周波数
(単位:MHz)
備考
鳥取県
島根県
山陰放送ラジオ
(BSS、米子市西福原一丁目)
92.2本社は米子市にあるがなぜか送信場所は鳥取市または松江市になっている(本社の位置からすれば松江市になるべきなのだろうが…)。
岡山県山陽放送ラジオ
(RSK、岡山市北区丸の内二丁目)
91.4
広島県中国放送ラジオ
(RCC、広島市中区基町)
94.6
山口県山口放送ラジオ
(KRY、周南市徳山)
92.3

 中国地方で初めてエフエム補完放送局の本放送を開始したのは山口放送ラジオで、今年7月21日のことであった。送信所はテレビ放送の本局と同じ場所(防府市牟礼の大平山)に設置し、 山口放送公式サイト によると平郡島(柳井市)付近から長府(下関市)付近までの瀬戸内海沿岸でエフエム放送で山口放送ラジオの番組が楽しめるようになった。
 一方、中国放送ラジオは12月1日からエフエム補完放送局の本放送を開始した。送信所は中国放送のアナログテレビ放送の本局があった黄金山(広島市南区黄金山町。広島エフエム放送〔HFM、広島市南区南町一丁目〕と中国コミュニケーションネットワーク〔愛称:エフエムちゅーピー。広島市中区土橋町〕の本局も同じ場所にある)に設置したため山口放送ほど聴取可能区域は広くないが、広島市中心部や広島湾沿岸地域でエフエム放送で中国放送ラジオの番組が楽しめるようになった。
 この他昨年島根県隠岐郡隠岐の島町にエフエム電波を用いたラジオ第一放送の中継局を設置したNHK松江放送局(松江市灘町)は更に島根県飯石郡飯南町の3箇所(赤名・来島・頓原)にエフエム電波を用いたラジオ第一放送の中継局を、山口放送ラジオは美祢市にエフエム電波を用いた中継局をそれぞれ開局させている。また、中国放送ラジオは福山市に、山口放送ラジオは長門市・萩市・柳井市にそれぞれエフエム電波を用いた中継局の設置を行うことが決まっており、このうち山口放送ラジオの長門市内の中継局については予備免許取得に至っている。更に中国放送は三原市や三次市などへのエフエム中継局設置を計画していることを公式サイトで明かしており、今後の展開が注目される。

(コメント)

 山口放送ラジオが中国地方で初めてエフエム補完放送を始めたのは次に挙げる事情があったからではないかと思われる。
・本局が周南市沖の大津島にあり、津波などで被災する恐れがある。
・中継局のあるところとの間に山がある地域での受信状況が芳しくない。
・特に日本海沿岸での混信が激しい。
・費用などの問題からradikoへの参入は現状では考えていない。
・中国地方では山陽放送ラジオ(RSK、岡山市北区丸の内二丁目)だけが実施している周波数の統一は現状では困難である。
・中波を用いた中継局の設置は高い鉄塔を建てなければならず、費用がかかるため人口が少ない地域への中継局設置は困難である。
・中波はかなり遠いところまで電波が届くため範囲が狭いことが多い受信困難地域の解消には適していない。
・山口放送ラジオの放送区域は山口県であるが、実は中国地方にある民間中波放送局の中では最も放送区域の面積が小さく、中国地方にある民間中波放送局の中では最も中継局が少ない(6局。他の中国地方にある民間中波放送局はいずれも7局ある)。
 山口放送ラジオのエフエム中継局は周南・美祢両中継局で開局し、来年中には長門・萩・柳井各中継局が開局する予定になっているのだが、それぞれの事情を記すと下表の通りになる。

中継局名事情
周南・中波放送の本局が瀬戸内海に浮かぶ大津島にあり、津波などで被災する恐れがある。
・周辺には10万都市が四つ(山口市・宇部市・周南市・防府市)もあり、ビルの中などで受信しにくくなっている。
・日本海までの距離があまりないことや山梨放送ラジオ(YBS、甲府市北口二丁目)が周南本局と同じ周波数を使っていることなどから混信がよく起きている。
・エフエム山口(FMY、山口市緑町)の本局も大平山にあるが、山口県中部の瀬戸内海沿岸の広い範囲で79.2MHzでエフエム山口を受信できる。
長門・山口・下関・萩各中波中継局とは山で隔てられており、受信しにくい。
・日本海に面しているため海外の放送局との混信がよく起きている。
・長門市自体の人口が少ない。
・長門市に中波中継局を設置するのはいろいろな面で困難である。
・日本海に面しているため海外の放送局との混信がよく起きている。
・中波中継局は萩市椿東(ちんとう)の松本川のそばにあり、水害で被災する恐れがある。
・中波中継局は日本海からの距離もあまりないため津波などで被災する恐れがある。
美祢・山口・下関・萩各中波中継局とは山で隔てられており、受信しにくい。
・美祢市自体の人口が少ない。
・美祢市に中波中継局を設置するのはいろいろな面で困難である。
柳井・中波放送の周南本局や岩国中継局とは山で隔てられており、受信しにくい。
・周南エフエム中継局については平郡島など一部地域では受信できるが中心部では受信しにくい。
・柳井市自体の人口が少ない。
・柳井市に中波中継局を設置するのはいろいろな面で困難である。

 「radikoに参入したほうが費用が安くて済むのではないか」という声も聞こえてきそうなところであるが、山口放送としては次のような考えを持っているのだろう。
・radikoは高齢者が使い慣れないパソコンやスマートフォンでしか利用できないのでかえって不便である。
・radikoは位置誤判定をよく起こす上に光回線を導入すると在住地がどこであろうと首都圏の民間ラジオ放送局の番組しか楽しめなくなるので不便である。
・ラジオ放送はラジオ受信機で聴くものであり、パソコンやスマートフォンで聴くものではない。
・地域色豊かな番組がない、名物アナウンサーがいない現状ではradikoに参入する意義が見出せない。
・山陽放送ラジオがradikoに参入した時その前後の日曜日早朝に何度か臨時の放送休止を設定したことでもうかがえるようにradiko参入にはかなりの手間がかかり、聴取者に迷惑をかけることになる。
・長門市や美祢市、柳井市などある程度の人口集積がありながら受信しにくい地域はいくつもあるがこれまでの高い鉄塔を建てる中継局では費用がかかるし受信範囲が広くなるので好ましいとは言えない。
 そういう中で総務省が補助金を出してエフエム補完中継局設置を積極的に進めるという方針を打ち出したことから早速手を挙げたのだろう。
 一方、中国放送ラジオの場合は下表の通りになる。

中継局名事情
広島・中波放送の本局が瀬戸内海に浮かぶ能美島にあり、津波などで被災する恐れがある。
・高層ビルが多く建ち並んでおり、受信しにくくなっている。
福山・高層ビルが多く建ち並んでおり、受信しにくくなっている。
三原・中波中継局は三原市明神三丁目の沼田(ぬた)川のそばにあり、水害で被災する恐れがある。
三次・中波中継局は三次市南畑敷町の馬洗川のそばにあり、水害で被災する恐れがある(注16)

 中国放送ラジオの場合は災害対策と都市型難聴対策がエフエム補完放送を推進する主たる理由だと考えられる。まだ広島エフエム中継局しか開局しておらず、山口放送よりは取り組みは遅れているのだが、来年には福山・三原・三次各エフエム中継局が開局することになるものと思われる。
 一方、未だにエフエム補完放送に乗り出していないのが山陰放送ラジオと山陽放送ラジオである。下表で示す通り乗り出しても良い理由はいくつでもあるのだが、果たしてどうなるのだろうか。来年は何らかの動きが起きるのではないかと思うのだが、どうなるのか注目したい。

放送局名乗り出しても良いと考える理由気になる現状
山陰放送ラジオ・平地にある中波中継局が多く、水害で被災する恐れがある。
・浜田中波中継局(浜田市瀬戸ヶ島町)は浜田沖の馬島にあり、津波などで被災する恐れがある。
・日本海に面しているため混信がよく起きている。
・隠岐諸島や山間部に中継局がなく、受信困難地域が少なくない。
・山陰地方は過去に何度も集中豪雨や地震で甚大な被害を受けている。
・今春の番組改編で月曜日の放送開始時間を1時間繰り下げたため日曜日深夜(月曜日早朝)の放送休止時間が4時間から5時間に拡大した(注17)
・経営事情から江津市への中波中継局設置を断念した過去があるし、費用対効果などの事情から隠岐諸島や山間部への中継局設置にも消極的である。
・山間部に人口集積地があまりない。
・米子エフエム中継局をどこに設置するかでもめる。
山陽放送ラジオ・岡山市や倉敷市で高層ビルが建ち並ぶようになり、受信しにくくなっている。・岡山エフエム放送(岡山市北区中山下一丁目)の出資者の一つであるためエフエム放送に参入すると岡山エフエム放送を裏切る格好になる恐れがある。
・中波中継局は放送区域内にまんべんなく配置されているし、周波数は1494kHzに統一されているため特に不便を感じていない。
・radiko参入時に機器調整などを目的としてその前後の日曜日早朝に何度か臨時の放送休止を設定したが、エフエム補完放送開始時にも同じようなことをせざるを得なくなる恐れがある。
・経営環境が厳しいからか自社制作のワイド番組が短命に終わることが多い。
・受信困難地域にある程度の人口集積があるところがない。
・中波中継局は川沿いや海岸近くになく、岡山県は他の中国地方各県ほど甚大な災害に見舞われたことがないので考慮する必要を感じていない。

中国放送ラジオが3年半ぶりに平日夜に自社制作の帯番組を設定する

(概要)

 いわゆるサブカルチャーを取り上げる中国放送ラジオの自社制作番組「ラジプリズム」は2013年(平成25年)春に始まった時点では月曜日夜だけの放送であったが、今年9月28日の週からは週4日(月・火・水・木)放送されるようになった。中国放送ラジオには2012年(平成24年)春の番組改編で自社制作番組の「秘密の音園」(2001〜2012年〔平成13〜24年〕放送)を打ち切ってからは平日夜の自社制作の帯番組は存在しなかったが、「ラジプリズム」が週4日放送に移行したことで3年半ぶりに平日夜に自社制作の帯番組が設定されるようになった。

(コメント)

 中国放送ラジオの平日夜の自社制作の帯番組といえば昭和時代末期から平成時代初頭にかけての「びしびしばしばしらんらんラジオ」(1987〜1998年〔昭和62年〜平成10年〕放送)、21世紀に入ってからの「秘密の音園」が思い出される。いずれも10年ほど続き、中学生・高校生を中心とした多くの若者に愛された番組なのだが、経営事情などで番組が終わってしまい、別の番組—多くの場合全国ネットの番組なのだが—が流れるようになったことに淋しさを感じた方は少なくないことであろう。
 そんな中で始まったのが
「ラジプリズム」であるが、中国放送の「ラジプリズム」への力の入れようはある事実からもうかがえる。それは有料ながら在住都道府県以外の都道府県域民間ラジオ放送局の番組を楽しめるサービスであるradiko.jpプレミアムが昨年4月に始まった時、中国放送は広島東洋カープの公式戦中継と「ラジプリズム」しか対象にしなかったことである(注18)。この方針には賛否両論が起きたのだが、そこに私は中国放送の「ラジプリズム」を次代の若年者向け番組に育てたい、「ラジプリズム」を中国放送ラジオが受信できない地域に住む方にも聴いて頂きたいという思いを感じるのである。
 週1回の放送から週4回の放送に移行したのは好評だったからに他ならないわけであるが、もう一つ考えられるのは平日夜の聴取率を向上させたいということもあったということである。中国放送ラジオは自社制作番組を始めとして人気の高い番組が多いのだが、やはり「秘密の音園」亡き後の平日夜、言い換えれば午後10時〜午前0時の聴取率が低下傾向にあったのだろう。「ラジプリズム」の放送日数拡大に伴い中国放送ラジオは「荻上(おぎうえ)チキ・Session-22」(JRN系)を打ち切っているのだが、この「荻上チキ・Session-22」は2013年(平成25年)春に始まった時には9局ネットだったのに現在では5局ネットに縮小されているところを見ると思ったほどの聴取率を稼げていないことがうかがえる(注19)。奇しくも「ラジプリズム」と「荻上チキ・Session-22」は同じ時期に始まったのだが、中国放送ラジオの番組編成担当者は「ラジプリズム」の好調と「荻上チキ・Session-22」の不振を目の当たりにし、時機が来たら「荻上チキ・Session-22」を打ち切って「ラジプリズム」を拡大しようと考えていたのだろうか。
 中国放送のこの選択(決断)が吉と出るか凶と出るかは分からない。しかし、「ラジプリズム」が2010年代の中国放送ラジオの平日夜を代表する番組になる可能性は決して低くない。今後どうなっていくのか、長い目で見たいと思う。

エフエム山口が12月1日に番組改編を実施する

(概要)

 今年12月1日に開局30周年を迎えたエフエム山口(FMY、山口市緑町)であるが、何と開局30周年を機に大幅な番組改編を敢行したのである。その概要は次の通りである。
・自社制作の「Morning Street」(月〜金午前7時30分〜午前11時。2008年〔平成20年〕放送開始)を打ち切り、ともに自社制作の「PURE Morning」(月〜金午前7時30分〜午前8時50分)と「Joyous(ジョイアス)!」(月〜金午前9時〜午前11時)を設定した。
・自社制作の「Daytime Street」(月〜木午後1時30分〜午後4時55分。2009年〔平成21年〕放送開始)とジャパンエフエムネットワーク(JFNC、東京都千代田区麹町一丁目)制作の「News Delivery-Evening Edition-」(月〜木午後5時〜午後6時55分)を打ち切り、ジャパンエフエムネットワーク制作の「face」(エフエム山口での放送時間は月〜木午後1時30分〜午後2時55分)のネットを開始し、更に自社制作の「coziness」(月〜木午後3時〜午後6時55分)を設定した。
・自社制作の「FRIDAY Bang! Bang! Highway」(金午後3時〜午後6時55分。2010年〔平成22年〕放送開始)を打ち切り、同じく自社制作の「はっぴーはっぴーフライデー」(金午後3時〜午後6時55分)を設定した。
 12月1日から新しいワイド番組を始めた例は昨年の山陽放送ラジオがある( こちら を参照のこと)が、年度替わりの時期でもない12月1日に新しい自社制作のワイド番組をいくつも始めたというのは恐らくエフエム山口が初めてではないかと思われる。

(コメント)

 開局○周年(○には5か10で割り切れる自然数が入る)を迎えた日(それも年度替わりの時期ではない時)に自社制作のワイド番組を刷新したというのは恐らくエフエム山口が初めてではないかと思うのだが、なぜこのようなことをしたのか。私は対抗局の山口放送ラジオがエフエム補完放送を始めたことが大きいのではないかと考えている。
 そもそも山口放送ラジオとエフエム山口は対照的な存在である。山口放送ラジオは中国自動車道が県内を貫通してからも長らく終夜放送への移行には消極的な態度をとったこと(注20)や未だにradikoに参入しないでいることなどに見られるように保守的な路線をとったのに対し、エフエム山口はアニメ関連の番組やいわゆる下ネタが度々出てくる番組(注21)が人気を博し、開局からわずか2年少々で終夜放送に移行するなど意欲的な路線をとっていた。しかし、対抗局故に意識していると思われる面があるのも事実である。例えば山口放送ラジオが1990年(平成2年)春になってようやく終夜放送に移行したのはエフエム山口が終夜放送に移行したことで危機感を抱くようになったからではないかとする見方がある。
 山口放送ラジオがエフエム補完放送を始める前は中継局の数は山口放送ラジオが6箇所、エフエム山口が11箇所となっており、使用する電波の違いがあるとはいえエフエム山口のほうが優位に立っていた。しかし、山口放送がエフエム中継局設置を推進したことで来年中には山口放送ラジオとエフエム山口の中継局の数は同じになるし、山口放送ラジオ・エフエム山口双方がきれいな音質で聴ける地域も増えてくる。これでエフエム山口が危機感を抱かないはずはない。しかも今年は開局30周年という記念すべき年である。そこでワイド番組の刷新を断行したのだろう。
 確かにライヴァルに負けたくないという意識を抱くのは理解できないことではないのだが、私はこれはどうなのかなと考えたくなる。聴取者の不信感を招きかねないことであるし、その放送局が持つ個性を失うことでもあるからである。山口県とは瀬戸内海を隔てて隣接する愛媛県では南海放送ラジオ(RNB、松山市本町一丁目)がエフエム補完放送を推進し、これまでに松山・大洲・川之江・新居浜でエフエム中継局を開局させているが、対抗局のエフエム愛媛(松山市竹原町一丁目)は自社制作番組を全く変えてもいないし、終夜放送を実施しない方針を堅持している(JFNに加盟している都道府県域民間エフエム放送局で終夜放送を実施していないのはエフエム愛媛だけ)。エフエム愛媛としては「南海放送ラジオが何をしようと自社制作番組をいじることはしたくないし、終夜放送移行も一切考えていない。もし南海放送ラジオに対抗するために、終夜放送に移行するために自社制作番組をいじれば聴取者の信頼を失うことになる」という考えを持っているのだろうが、山口県でも受信可能なエフエム愛媛の方針を山口放送やエフエム山口の関係者はどのように考えているのだろうか。
 エフエム山口のこの番組再編は吉と出るか凶と出るかは分からない。しかし、山陽放送ラジオの例と併せて年度替わりでもない時期にいきなり番組改編を行うのは良いことなのかを考えさせられる出来事になったことだけは事実である。

道路編

中国横断自動車道尾道・松江線と東広島・呉自動車道が全線開通を果たす

(概要)

 広島県で計画されている高速道路のうち今年は2路線が全線開通を果たした。尾道市と松江市を結ぶ中国横断自動車道尾道・松江線と東広島市と呉市を結ぶ東広島・呉自動車道である。前者は3月22日に世羅インターチェンジ(世羅郡世羅町川尻)〜吉舎(きさ)インターチェンジ(三次市吉舎町矢井)間が、後者は3月15日に馬木インターチェンジ(東広島市西条町馬木)〜黒瀬インターチェンジ(東広島市黒瀬町津江)間が開通したことをもってそれぞれ全線開通となった。この2路線の全線開通により1987年(昭和62年)に策定された第四次全国総合開発計画までに企画された広島県内の高速道路、すなわち国土開発幹線自動車道と国土交通大臣指定に基づく高規格幹線道路(一般国道の自動車専用道路)は一部代替道路を利用しているところはあるものの全て供用されることになった(下表参照)。

路線名起点終点開通時期
中国縦貫自動車道(岡山県境)(山口県境)1978〜1983別称:中国自動車道。
山陽自動車道(岡山県境)(山口県境)1985〜1993廿日市ジャンクション(廿日市市宮内)〜大竹ジャンクション(大竹市御園二丁目)間は基本計画のままになっているが、同区間には広島・岩国道路が建設されており、連続して走行できるようになっているため本サイトでは広島・岩国道路は山陽自動車道の一部として取り扱っている。
中国横断自動車道
尾道・松江線
尾道ジャンクション
(尾道市美ノ郷町三成)
(島根県境)2010〜2015別称:尾道自動車道(尾道ジャンクション〜三次東ジャンクション・インターチェンジ〔三次市四拾貫町〕間)及び松江自動車道(三次東ジャンクション・インターチェンジ〜島根県境間)。
尾道北インターチェンジ(尾道市御調〔みつぎ〕町大町)〜島根県境間は無料で通行できる。
中国横断自動車道
広島・浜田線
広島ジャンクション
(広島市安佐北区沼田町伴)
(島根県境)1983〜1991別称:広島自動車道(広島ジャンクション〜広島北ジャンクション〔広島市安佐北区安佐町飯室〕間)及び浜田自動車道(千代田ジャンクション〔山県郡北広島町有田〕〜島根県境間)。広島北ジャンクション〜千代田ジャンクション間は中国縦貫自動車道(別称:中国自動車道)と重用。
尾道・福山自動車道西瀬戸尾道インターチェンジ
(尾道市高須町)
福山西インターチェンジ
(福山市東村町)
1987〜1991別称:国道2号線松永道路。山陽自動車道と本州・四国連絡橋尾道・今治ルート(別称:西瀬戸自動車道または瀬戸内しまなみ海道)を結ぶ目的で建設された路線であるため本サイトでは山陽自動車道福山西インターチェンジのランプウェイ部分も尾道・福山自動車道の一部と見なしている。
山陽自動車道福山西インターチェンジのランプウェイ部分を除いて無料で通行できる。
第四次全国総合開発計画で制定された国土交通大臣指定に基づく高規格幹線道路(一般国道の自動車専用道路)では最初に全線開通を果たした路線であるが、そのことはほとんど知られていない。
東広島・呉自動車道高屋ジャンクション・
インターチェンジ
(東広島市高屋町溝口)
阿賀インターチェンジ
(呉市広横路一丁目)
2007〜2015全線が国道375号線に指定されている。
全線無料で通行できる。
本州・四国連絡橋
尾道・今治ルート
西瀬戸尾道インターチェンジ
(尾道市高須町)
(愛媛県境)1983〜2006別称:西瀬戸自動車道または瀬戸内しまなみ海道。
全線が国道317号線に指定されている。
西瀬戸尾道インターチェンジ〜尾道大橋出入口(尾道市山波町)間は無料で通行できる
(注22)

(コメント)

 第四次全国総合開発計画が策定されてから間もなく30年になるが、第四次全国総合開発計画策定までに企画された高速道路、すなわち国土開発幹線自動車道と国土交通大臣指定に基づく高規格幹線道路(一般国道の自動車専用道路)の整備は国家財政事情の悪化や少子・高齢化による人口減少などから紆余曲折を経ることになり、未だに全線開通を果たしていない路線も少なくない。都道府県単位で見ても整備—ここでは暫定2車線で開通したものや国道路線のバイパスなどで代替することにしたもの、一般道路などを当面活用することにしたものを含む—が一応終わったところは栃木県・群馬県・埼玉県・富山県・岡山県・広島県・香川県・大分県しかない。
 広島県の場合も山陽自動車道のうちの廿日市ジャンクション〜大竹ジャンクション間は広島・岩国道路で代替することになった(その区間の基本計画は今も残っているが建設することは現実的ではない)し、中国横断自動車道尾道・松江線と東広島・呉自動車道は無料で通行できるように方針を転換するなど紆余曲折を経ているのだが、高速道路が整備されたことでもたらされる効果は決して小さいものではない。例えば福山市を中心に考えた場合、四国地方や広島県南部、広島県北部、山陰地方中央部との往来が容易になったし、東広島・呉自動車道を国道2号線のバイパスとして通るという手段も使えるようになった(注23)。21世紀に入ってから高速道路をとやかく言う声は多くなったが、私はもう少し地域の視点に立って物事を考えて頂きたいと思っているところである。
 一方で課題も山積していることも事実である。それを挙げると次の通りになる。
・福山市や三原市など最寄りのインターチェンジから中心部までの距離が遠いところが少なくない。
・山陽自動車道の代替路線である広島・岩国道路の通行料金が高い。
・無料で通行できる中国横断自動車道尾道・松江線や東広島・呉自動車道の本線上に休憩施設がない。
・山陽自動車道の整備などにより通行量が少なくなった中国縦貫自動車道(特に三次東ジャンクション・インターチェンジ以東の区間と広島北ジャンクション以西の区間)の休憩施設の縮小が相次いでいる。
・広島県西部から見て本州・四国連絡橋尾道・今治ルートが使いにくい。
東広島・呉自動車道と広島・呉道路(有料自動車専用道路であり国道31号線のバイパスとされているが国土交通大臣指定に基づく高規格幹線道路〔一般国道の自動車専用道路〕には指定されていない)の連携が考えられていない(反対に広島・呉道路は広島高速1号線〔広島県道472号広島東インター線〕・広島高速3号線〔広島県道473号府中・仁保線〕を介して山陽自動車道と連絡している)。
 課題の解決にはこれまた紆余曲折があるだろうが、どのように変化していくのか、今後も注目していきたいと思う。

都道府県道異動ラッシュの中で中国地方では2路線で異動が発生する

(概要)

 今年は多くの都道府県で都道府県道路線の異動(認定・改称・廃止)があった(下表参照)。

都道府県名異動内容備考
北海道4月10日北海道告示第10,354号により道道1177号函館空港インター線が仮称から正式名称に変更される。道道資料北海道 」による(注24)。函館空港インターチェンジ(函館市上湯川町)は地域高規格道路・函館新外環状道路に設置される予定のインターチェンジ。供用開始は2020年度(平成32年度)の予定であるが函館空港インターチェンジという名称が正式化したことから道道路線の名称も正式化された。
青森県12月25日青森県告示第918号により県道287号奥津軽いまべつ停車場線が認定される。奥津軽いまべつ駅(東津軽郡今別町大川平)は来年3月26日開業予定のJR北海道新幹線の駅(注25)こちら でも触れているがこれまで青森県には新幹線停車駅を起終点とする県道路線が存在しなかったため県道287号奥津軽いまべつ停車場線が青森県初の新幹線停車駅を起終点とする県道路線となった。
12月25日青森県告示第919号により県道244号今別停車場線が廃止される。県道287号奥津軽いまべつ停車場線の認定と引き換えに廃止され、東津軽郡今別町に移管されたものと思われる。
岩手県3月31日岩手県告示第309号により県道116号花巻停車場線と県道123号花巻温泉郷線が廃止される。県道116号花巻停車場線と県道123号花巻温泉郷線を統合して県道297号花巻停車場・花巻温泉郷線を発足させたため廃止された。
4月1日岩手県告示第318号により県道297号花巻停車場・花巻温泉郷線と県道298号山の神・西宮野目線、県道299号花巻南インター線、県道300号三日町・瀬原線が認定される。県道297号花巻停車場・花巻温泉郷線は県道116号花巻停車場線と県道123号花巻温泉郷線を統合して発足した路線。
県道298号山の神・西宮野目線は国道4号線花巻東バイパスの旧道処分により発足した路線。
県道299号花巻南インター線は県道12号花巻・大曲線のうちの東北自動車道花巻南インターチェンジ(花巻市南万丁目)に通じる支線が独立して発足した路線。
県道300号三日町・瀬原線は国道4号線平泉バイパスの旧道処分により発足した路線。
宮城県3月27日宮城県告示第332号により県道237号仙台・名取線が認定される。国道4号線仙台バイパスの旧道処分により発足した路線(仙台市を終点とする国道6号線にしたほうが良いと思うのは私だけだろうか。国道6号線は国道4号線と重用したまま仙台市郊外の宮城野区日の出町二丁目で終点というのは何か違和感を抱きたくなる…)。
10月2日宮城県告示第918号により県道296号石巻北インター線が県道296号石巻女川インター線に改称される。石巻北インターチェンジ改め石巻女川インターチェンジ(石巻市蛇田)は国道45号線三陸自動車道にあるインターチェンジで今年10月4日供用開始。石巻市と牡鹿郡女川町の境に跨って敷地があるわけではないが、県道296号石巻北インター線改め県道296号石巻女川インター線は国道398号線石巻バイパスと接続することから正式名称決定の際に石巻女川という名称が採用されたのではないかと思われる。記すまでもないが県道296号石巻北インター線の県道296号石巻女川インター線への改称はそれを受けてのものである。
福島県2月10日福島県告示第82号により県道157号久ノ浜港線が県道157号久之浜港線に、県道246号折木・筒木原・久ノ浜線が県道246号折木・筒木原・久之浜線に、県道257号中ノ森・加倉線が県道257号仲ノ森・加倉線にそれぞれ改称される。いずれも正しい地名表記に合わせるための改称(久之浜はいわき市にある町、仲ノ森は双葉郡浪江町立野にある小字)。
栃木県3月20日栃木県告示第102号により県道353号蒲須坂・乙畑線が認定される。国道4号線氏家・矢板バイパスの旧道処分により発足した路線。
群馬県6月16日群馬県告示第188号により県道238号川原湯・川原湯停車場線が廃止される。川原湯温泉(吾妻郡長野原町川原湯)とJR吾妻線川原湯温泉駅(吾妻郡長野原町川原湯。1991年〔平成3年〕12月1日川原湯駅から改称(注26))を結んでいた路線だが八ッ場(やんば)ダム(吾妻郡長野原町川原畑)の建設に伴い川原湯温泉駅が2014年(平成26年)10月1日に移転したこと(注27)から存在意義が消滅し、廃止された。
新潟県3月14日新潟県告示第303号により県道254号上小沢・脇野田停車場線が県道254号上小沢・上越妙高停車場線に、県道362号後谷・黒田・脇野田停車場線が県道362号後谷・黒田・上越妙高停車場線にそれぞれ改称される。JR信越本線脇野田駅(上越市大和二丁目。1921〜2015)が今年3月14日に改称してJR北陸新幹線・えちごトキメキ鉄道妙高はねうまライン上越妙高駅(上越市大和五丁目)になったことに伴う路線名称変更。
富山県4月1日富山県告示第168号により県道121号富山新駅停車場線と県道131号高岡新駅停車場線が認定される。「富山新駅」は富山市下冨居(しもふご)に、「高岡新駅」は高岡市和田にそれぞれ設置が計画されているあいの風とやま鉄道あいの風とやま鉄道線の駅。現在のところ仮称すら決まっていないためにそれぞれ「富山新駅」「高岡新駅」とされたものと思われる。
山梨県4月1日山梨県告示第126号により県道20号甲斐・芦安線が廃止される。県道20号甲斐・早川線は県道20号甲斐・芦安線を南巨摩(みなみこま)郡早川町奈良田まで延長して発足した路線。南アルプス市芦安芦倉〜南巨摩郡早川町奈良田間に長大トンネルを掘る計画がある。
4月1日山梨県告示第127号により県道20号甲斐・早川線が認定される。
岐阜県7月31日岐阜県告示第437号により県道191号東笠松停車場線が廃止される。東笠松駅(羽島郡笠松町若葉町。1935〜2005)は名古屋鉄道名古屋本線にあった駅で利用者減少により2005年(平成17年)1月29日に廃止された。
静岡県4月1日静岡県告示第331号により県道381号島田・岡部線と県道413号磐田・袋井線、県道414号富士・富士宮線、県道415号日坂・沢田線が認定される。県道381号島田・岡部線は国道1号線藤枝バイパスの全線開通で旧道化した区間(いわゆる国道1号線藤枝旧道)と県道381号島田・金谷線を統合して発足した路線。
県道413号磐田・袋井線は従来の県道413号磐田・袋井線に国道1号線磐田バイパスの全線開通で旧道化した区間(いわゆる国道1号線磐田旧道)を編入して発足した路線。なぜ従来の路線を廃止して改めて認定したのかははっきりしない。
県道414号富士・富士宮線は国道139号線西富士道路の全線開通で旧道化した区間(いわゆる国道139号線富士旧道)と県道414号朝霧・富士宮線を統合して発足した路線。
県道415号日坂・沢田線は国道1号線掛川バイパスの全線開通で旧道化した区間(いわゆる国道1号線掛川旧道)と県道415号日坂・八坂線を統合して発足した路線。
4月1日静岡県告示第332号により県道381号島田・金谷線と県道413号磐田・袋井線、県道414号朝霧・富士宮線、県道415号日坂・八坂線が廃止される。
愛知県3月31日愛知県告示第163号により県道257号岡田・新知線と県道444号東新町停車場線が廃止される。愛知県は財政事情が悪化しているからかここ数年毎年年度末に単一市町村で路線が完結する県道路線の廃止→通過市町村への移管を実施しており、どちらもその一環で廃止されたものと思われる(県道257号岡田・新知線は知多市へ、県道444号東新町停車場線は新城市へそれぞれ移管)。
滋賀県4月1日滋賀県告示第105号により県道345号志賀インター線が認定される。志賀インターチェンジ(大津市荒川)は国道161号線湖西道路・志賀バイパスにあるインターチェンジ。国道161号線志賀バイパスの全線開通で旧道化した区間(いわゆる国道161号線志賀旧道)が県道558号高島・大津線に再編されたことに伴い、国道161号線湖西道路・志賀バイパスと県道558号高島・大津線を結ぶ路線として認定された。
京都府3月31日京都府告示第195号に基づいて4月1日に府道613号下地・野田川停車場線が府道613号下地・与謝野停車場線に、府道657号明田・丹後大宮停車場線が府道657号明田・京丹後大宮停車場線に、府道667号木津温泉停車場線が府道667号夕日ヶ浦木津温泉停車場線に、府道668号野中・丹後神野停車場線が府道668号野中・小天橋停車場線にそれぞれ改称される。今年4月1日に実施された野田川駅の与謝野駅(与謝郡与謝野町下山田)への改称と丹後大宮駅の京丹後大宮駅(京丹後市大宮町口大野)への改称、木津温泉駅の夕日ヶ浦木津温泉駅(京丹後市網野町木津)への改称、丹後神野駅の小天橋駅(京丹後市久美浜町浦明〔うらけ〕)への改称に伴う路線名称変更(注28)
兵庫県3月31日兵庫県告示第269号により県道397号飾東(しきとう)・御着停車場線が県道397号花田・御着停車場線に改称される。起点で接続する国道372号線の経路変更により国道372号線との接続点が姫路市飾東町庄から姫路市花田町神原田に変更されたことに伴う路線名称変更(路線短縮)。
4月1日兵庫県告示第296号により県道160号奥野・但馬三江停車場線が県道160号奥野・コウノトリの郷停車場線に改称される。今年4月1日に実施された但馬三江駅のコウノトリの郷駅(豊岡市日撫〔ひなど〕)への改称に伴う路線名称変更(注28)
4月1日兵庫県告示第297号により県道727号豊岡インター線が認定される。豊岡インターチェンジ(豊岡市戸牧)は国道483号線北近畿・豊岡自動車道にあるインターチェンジで現在建設中。
鳥取県12月25日鳥取県告示第834号により県道247号卯垣(ぼうがき)・正蓮寺線が認定される。県道247号卯垣・正蓮寺線は県道247号奥谷・正蓮寺線と都市計画道路滝山・桜谷線を統合して発足した路線。都市計画道路滝山・桜谷線の部分は来春開通予定であり、同時に県道247号卯垣・正蓮寺線は全線開通することになっている。
12月25日鳥取県告示第835号により県道247号奥谷・正蓮寺線が廃止される。
山口県3月31日山口県告示第133号により県道248号下関港・垢田線が県道248号下関港・安岡線に改称される。県道248号下関港・安岡線は県道248号下関港・垢田線と国道191号線下関北バイパスの全線開通で旧道化した区間(いわゆる国道191号線山の田旧道)のうちの下関市山の田中央町〜下関市富任町(とみとうちょう)一丁目間を統合して発足した路線。
徳島県3月27日徳島県告示第222号により県道130号大林・津乃峰線が認定される。国道55号線阿南道路の旧道処分により発足した路線。
4月1日徳島県告示第248号により県道129号津田インター線が認定される。津田インターチェンジ(徳島市津田海岸町)は四国横断自動車道(別称未定)にあるインターチェンジで現在建設中。
香川県1月6日香川県告示第6号により県道186号大屋富(おおやぶ)・築港・宇多津線が県道186号大屋冨・築港・宇多津線に改称される。正しい地名表記に合わせるための改称(大屋冨は坂出市にある町)。
高知県1月23日高知県告示第34号により県道375号高知東インター線が県道375号なんこく南インター線に改称される。高知東インターチェンジ改めなんこく南インターチェンジ(南国市稲生〔いなぶ〕)は国道55号線高知東部自動車道にあるインターチェンジで今年3月22日供用開始。なんこく南インターチェンジは正式名称決定前は高知東インターチェンジと称していたが、敷地が全て南国市内にあることから正式名称はなんこく南インターチェンジとなり、県道375号高知東インター線の県道375号なんこく南インター線への改称に至ったものと思われる。
11月6日高知県告示第634号により県道229号野市停車場線が廃止される。起点にある駅の名称は土佐くろしお鉄道阿佐線(愛称:ごめん・なはり線)のいち駅(香南市野市町西野)。のいち駅は土佐電気鉄道安芸線野市駅(香南市野市町西野。1924〜1974)の跡に2002年(平成14年)に設置された駅であり、その点からも土佐電気鉄道安芸線野市駅在りし頃に認定された県道路線であることがうかがえるが、なぜ廃止し、香南市に移管することになったのかはっきりしたことは分からない(香南市野市町は香南市役所〔香南市野市町西野〕があるなど香南市の中心部になっていることが関係しているのだろうか…)。
宮崎県3月31日宮崎県告示第231号により県道236号日向八戸(ひゅうがやと)停車場線が廃止される。日向八戸駅(西臼杵郡日之影町七折)は高千穂鉄道高千穂線にあった駅で台風14号の襲来で高千穂鉄道高千穂線が甚大な被害を受けたことにより2005年(平成17年)9月6日をもって営業を休止し、復旧されないまま2008年(平成20年)12月28日をもって廃止された(注29)
沖縄県4月17日沖縄県告示第251号により県道29号那覇・北中城(きたなかぐすく)線が認定される。廃止及び再認定の理由は不明。
4月17日沖縄県告示第252号により県道29号那覇・北中城線が廃止される。

 1道1府21県で20路線が認定され、14路線が改称され、1路線が仮称から正式名称になり、16路線が廃止されたということになるのだが、上表をご覧頂ければうかがえるように中国地方でも鳥取県と山口県で県道路線に異動が生じた。どちらも既存路線の延長が異動の理由であるが、対照的なのが興味深いところである。

(コメント)

 表題に「都道府県道異動ラッシュ」と記したが、ならば昨年、すなわち2014年(平成26年)の都道府県道の異動の状況はどうだったのかを示すと下表の通りになる。

都道府県名異動内容備考
北海道6月20日北海道告示第10,511号により道道1176号新函館停車場・七飯線が道道1176号新函館北斗停車場・七飯線に改称される。道道資料北海道 」による(注24)。JR函館本線渡島大野駅(北斗市市渡)が北海道新幹線開業後新函館駅ではなく新函館北斗駅に改称されることになったことに伴う路線名称変更(注30)
7月18日北海道告示第10,586号により7月4日付で道道1179号苫小牧中央インター線が認定される。苫小牧中央インターチェンジ(苫小牧市高丘)は道央自動車道にあるインターチェンジで現在建設中。
岩手県2013年(平成25年)12月3日岩手県告示第887号に基づいて1月1日に県道278号鵜飼・滝沢線が県道278号鵜飼安達・巣子線に改称される。岩手郡滝沢村が市制施行して滝沢市が発足したこと(2014年〔平成26年〕1月1日)に伴う路線名称変更。
4月1日岩手県告示第294号により県道37号花巻・衣川線が県道37号花巻・平泉線に、県道261号中里・西平線が県道261号中里・堀切線にそれぞれ改称される。県道37号花巻・衣川線と県道49号栗駒・衣川線の終点が奥州市衣川区池田から西磐井郡平泉町平泉に、県道261号中里・西平線の終点が一関市舞川字西平から一関市舞川字堀切にそれぞれ変更されたことに伴う路線名称変更(いずれも経路変更が原因)。なお、県道37号花巻・衣川線改め県道37号花巻・平泉線と県道49号栗駒・衣川線改め県道49号栗駒・平泉線は奥州市衣川区古戸〜終点間は重用関係にある。
岩手県・
宮城県
4月1日岩手県告示第294号及び4月18日宮城県告示第402号により県道49号栗駒・衣川線が県道49号栗駒・平泉線に改称される。
宮城県7月15日宮城県告示第622号により県道194号女川停車場線が廃止される。詳細な理由は不明だが、東日本大震災で被災したJR石巻線女川駅(牡鹿郡女川町女川浜)が移転することになったことが背景にあったものと思われる。
栃木県10月17日栃木県告示第478号により県道144号多田・吉水線が県道144号築地・吉水線に、県道165号上根・北長島線が県道165号市塙・北長島線に、県道255号塙・上根線が県道255号塙・芳賀線にそれぞれ改称される。県道144号多田・吉水線の終点が佐野市多田町から佐野市築地町に、県道165号上根・北長島線の起点が芳賀郡市貝町上根から芳賀郡市貝町市塙に、県道255号塙・上根線の終点が芳賀郡市貝町上根から芳賀郡芳賀町祖母井にそれぞれ変更されたことに伴う路線名称変更(県道144号多田・吉水線は路線延長、県道165号上根・北長島線と県道255号塙・上根線は県道69号宇都宮・茂木〔もてぎ〕線の経路変更が異動の原因)。
群馬県10月10日群馬県告示第293号により県道142号綿貫・篠塚線が認定される。国道354号線が東毛広域幹線道路に移行したことに伴い旧道化した区間をもって発足した路線。
岐阜県3月14日岐阜県告示第109号により県道264号公郷・中之元線が廃止される。岐阜県議会公式サイトによると国道475号線東海環状自動車道大野神戸(おおのごうど)インターチェンジ(仮称。安八郡神戸町西座倉)建設に伴う県道路線再編で廃止されたとのことである。
愛知県3月28日愛知県告示第175号に基づいて3月31日に県道122号勝幡停車場線が廃止される。愛知県は財政事情が悪化しているからかここ数年毎年年度末に単一市町村で路線が完結する県道路線の廃止→通過市町村への移管を実施しており、その一環で廃止されたものと思われる(県道122号勝幡停車場線は愛西市へ移管)。
大阪府4月1日大阪府告示第469号に基づいて3月31日に府道232号和泉大宮停車場線が廃止される。大阪府は財政事情が悪化しているからかここ数年毎年年度末に単一市町村で路線が完結する府道路線の廃止→通過市町村への移管を実施しており、その一環で廃止されたものと思われる(府道232号和泉大宮停車場線は岸和田市へ移管)。
鳥取県3月31日鳥取県告示第231号により県道254号清水川・福成線が廃止される。国道180号線南部バイパスの全線開通(2014年〔平成26年〕3月15日)に伴う路線再編。県道254号清水川・福成線は遅くとも2011年(平成23年)頃には廃止し、西伯郡南部町に移管させる方針が決まっていたらしい(注31)
3月31日鳥取県告示第235号により県道244号福成・戸上・米子線が県道244号境・車尾(さかえ・くずも)線に改称される。
島根県10月31日島根県告示第602号に基づいて11月1日に県道339号熱田インター線が県道339号浜田港インター線に改称される。熱田インターチェンジ改め浜田港インターチェンジ(浜田市熱田町)は山陰自動車道(国道9号線浜田・三隅道路)にあるインターチェンジで今年3月14日供用開始。浜田港インターチェンジは正式名称決定前は熱田インターチェンジと称していたが、浜田港に最も近いインターチェンジであることや浜田港と浜田港インターチェンジを結ぶ臨港道路が計画されていることから正式名称は浜田港インターチェンジになったものと思われる。
佐賀県3月25日佐賀県告示第100号により県道349号嬉野温泉停車場線が認定される。現在建設中のJR長崎新幹線嬉野温泉駅(仮称。嬉野市嬉野町下宿)と国道34号線を結ぶ路線。「嬉野温泉停車場」という単語が入った県道路線としては県道303号岩屋川内・嬉野温泉停車場線もあるがこの場合の「嬉野温泉停車場」は嬉野市嬉野町下宿にあるバスターミナル(会社により嬉野温泉駅、嬉野温泉バスセンター、嬉野バスセンターと名称が異なる)を指しており、長崎新幹線嬉野温泉駅とは関係はない。
宮崎県3月31日宮崎県告示第220号により県道215号板上・曽木線が認定される。県道215号板上・曽木線は県道215号大保下・曽木停車場線と県道218号曽木停車場線を統合して発足した路線。
曽木駅(延岡市北方町曽木)と西延岡駅(延岡市松山町)はともに高千穂鉄道高千穂線にあった駅で台風14号の襲来で高千穂鉄道高千穂線が甚大な被害を受けたことにより2005年(平成17年)9月6日をもって営業を休止し、復旧されないまま2007年(平成19年)9月6日をもって廃止された
(注29)
県道240号日豊海岸・北川線は並行して通る東九州自動車道が開通したことにより廃止された路線。並行して通る東九州自動車道は新直轄方式で建設されたために無料で通行できることもあったのだろうが、こういうことで県道路線が廃止されるのは初めてのことではないかと思われる。
3月31日宮崎県告示第221号により県道215号大保下・曽木停車場線と県道218号曽木停車場線、県道221号西延岡停車場線、県道240号日豊海岸・北川線が廃止される。
沖縄県4月22日沖縄県告示第272号により県道253号浦西停車場線と県道254号幸地インター線が認定される。浦西駅改めてだこ浦西駅(浦添市前田三丁目。2014年〔平成26年〕12月26日に正式名称がてだこ浦西駅に決定した)は沖縄都市モノレール沖縄都市モノレール線(愛称:ゆいレール)の駅。モノレールだけの駅を起終点とする都道府県道路線は史上初ではないかと考えられる。また、沖縄県史上初の鉄道駅を起終点とする県道路線ではないかと考えられる(少なくともアメリカ合衆国から日本に施政権が返還された1972年〔昭和47年〕5月15日以降については初めてのことになる)。
幸地インターチェンジ(中頭郡西原町幸地)は沖縄自動車道にあるインターチェンジで現在建設中。

 1道1府11県で6路線が認定され、10路線が改称され、9路線が廃止されたということになるのだが、言い換えれば異動があったのは13道県25路線となる。一方で2015年(平成27年)は23道府県51路線で異動があったことになるから2014年(平成26年)の約2倍の都道府県で異動があり、2014年(平成26年)の約2倍の都道府県道路線が対象になったということになる。こんなに多数の都道府県道路線に異動が見られたのは恐らく2008年(平成20年)以来ではないのだろうか(注32)
 さて、鳥取県道247号卯垣・正蓮寺線の認定と鳥取県道247号奥谷・正蓮寺線(1958〜2015)の廃止、山口県道248号下関港・垢田線(1958〜2015)の山口県道248号下関港・安岡線への改称はいずれも既存路線の延長が異動の理由である。鳥取県道247号卯垣・正蓮寺線は鳥取市滝山〜鳥取市岩倉間に建設されている都市計画道路滝山・桜谷線を編入することで、山口県道248号下関港・垢田線は今年3月28日に全線開通した国道191号線下関北バイパスの旧道(下関市汐入町〜下関市富任町一丁目間)のうちの下関市山の田中央町〜下関市富任町一丁目間を編入することでともに路線を延伸し、名称も変更したわけである。面白いのは鳥取県側は新路線の認定→旧路線の廃止と二段階入れたのに対し、山口県側は新路線認定と旧路線廃止を変更という形で一括りにしたことであるが、何があってそうしたのだろうか(注33)
 それはさておき、今年の都道府県道路線の異動はなぜこんなに多かったのか。主たる理由を挙げると次の通りになる。
・国土交通省が管轄する国道路線の旧道の地方自治体への移管。
・北陸新幹線や北海道新幹線の開業に絡む異動。
・鉄道路線の再編(路線自体の廃止や駅の廃止、経営者の変更)に絡む異動。
・高速道路のインターチェンジに通じる路線の認定。
・路線名称と地名表記を一致させるための訂正。
・路線延伸。
・都道府県の財政事情の悪化による都道府県道路線の整理(通過市町村への移管)。
 都道府県道路線の改廃は現代日本の縮図だと感じたくなるのだが、来年以降も国土交通省が管轄する国道路線の旧道の地方自治体への移管や北海道新幹線の開業、鉄道路線の再編などで大量の異動が起きる可能性は十二分にある。今後も中国地方を中心に最新情報を追っていきたいと思っているところである。

岡山市中心部と倉敷市中心部を結ぶ上下4車線の道路が完成する

(概要)

 JR山陽本線の北側を通って岡山市中心部と倉敷市中心部を結ぶ目的で整備されている都市計画道路富本町・三田線、すなわち通称新幹線側道は交通量が増大して渋滞が頻発していたことから上下4車線化が推進されていたが、今年12月5日に岡山市北区中撫川(なかなつかわ)〜倉敷市日畑〜岡山市北区撫川間の西行車線が開通し、全線の上下4車線化が完成した。都市計画道路富本町・三田線とその延長線上にある道路は岡山市北区学南町二丁目〜岡山市北区中撫川間と倉敷市上東〜倉敷市西阿知町西原間の上下4車線化が完成しているため岡山市北区学南町二丁目〜倉敷市西阿知町西原間に長大な上下4車線の幹線道路が出現することになった。

(コメント)

 中国地方第二の都市・岡山市と中国地方第三の都市・倉敷市を結ぶ幹線道路—ここでは高速道路は除く—で上下4車線化が完了しているのは国道2号線岡山バイパスだけであった。しかし、国道2号線岡山バイパスは岡山市中心部と倉敷市中心部の南方を通っており、岡山市中心部と倉敷市中心部を往来するのには遠回りになることが難点と言えた。国道2号線旧道、すなわち国道429号線や県道21号岡山・児島線、県道162号岡山・倉敷線の上下4車線化も道の両側に民家や店舗が建て込んでいるところが少なくない状況では困難であった。そこで企図されたのが都市計画道路富本町・三田線だったのだろう。
 まあ岡山市中心部と倉敷市中心部はともに主要施設のほとんどがJR山陽本線より南の地域にあることを考えると常にJR山陽本線より北の地域を通る都市計画道路富本町・三田線は岡山市中心部と倉敷市中心部を結ぶ道路と言うには疑問を持つ方がいるかもしれない。しかし、中国地方第二の都市・岡山市の中心部と中国地方第三の都市・倉敷市の中心部が直接上下4車線の道路で結ばれたことは大きな出来事だと言えるし、沿線のほとんどは平地にあることから沿線地域の発展も期待されるところである。
 ところで、都市計画道路富本町・三田線とその延長線上にある道路は実は岡山市北区学南町二丁目と浅口郡里庄町新庄を一度も右左折を経ずに結ぶ予定だったことはあまり知られていない(そのうち上下4車線で整備されるのは岡山市北区学南町二丁目〜倉敷市玉島道越間)。もし整備されれば岡山市北区〜浅口郡里庄町間のJR山陽本線の北側に新たな幹線道路が出現したはずだったのだが、未開通区間が少なくない上に都市計画道路の見直しにより浅口市鴨方町深田〜浅口郡里庄町里見間は計画が白紙撤回されてしまった(それでも全線開通した場合岡山市北区学南町二丁目と浅口市鴨方町鴨方を一度も右左折を経ずに結ぶ長大な幹線道路にはなるのだが…)。山陽自動車道や国道2号線、備南広域農道があることや国道2号線のバイパスが計画されていること、沿線の人口が減少傾向にあること、岡山県の財政事情が厳しいことなどが整備が進まない理由なのだが、私は道路の管理者が国土交通省と岡山県、岡山市、浅口市、倉敷市、浅口郡里庄町に分かれていることに問題があるのではないかと考えている(下表参照)。

管理者路線名称区間備考
国土交通省国道53号線岡山市北区学南町二丁目〜
岡山市北区国体町
岡山市(岡山市道)岡山市北区奉還町一丁目〜
岡山市北区高柳西町
路線名称は不明。
県道242号川入・巌井線岡山市北区高柳西町〜
岡山市北区西花尻
県道だが岡山市が管理している(岡山市は政令指定都市に移行しているため)。
県道242号川入・巌井線
県道245号真金・吉備線
岡山市北区西花尻〜
岡山市北区川入
県道242号川入・巌井線と県道245号真金・吉備線の重用区間。
県道だが岡山市が管理している(岡山市は政令指定都市に移行しているため)。
(岡山市道)岡山市北区川入〜
岡山市北区中撫川
路線名称は不明。
県道389号吉備津・松島線岡山市北区中撫川〜
岡山市・倉敷市境
県道だが岡山市が管理している(岡山市は政令指定都市に移行しているため)。
岡山県県道389号吉備津・松島線岡山市・倉敷市境〜
岡山市北区撫川
県道73号箕島・高松線
県道389号吉備津・松島線
倉敷市上東〜
倉敷市上東
県道73号箕島・高松線と県道389号吉備津・松島線の重用区間。
県道389号吉備津・松島線倉敷市上東〜
倉敷市二子
倉敷市(倉敷市道)倉敷市二子〜
倉敷市平田
路線名称は不明。
岡山県国道429号線倉敷市平田〜
倉敷市浜ノ茶屋
倉敷市(倉敷市道)倉敷市浜ノ茶屋〜
倉敷市八王寺町
路線名称は不明。
岡山県県道60号倉敷・笠岡線倉敷市八王寺町〜
倉敷市玉島長尾
倉敷市船穂(ふなお)町船穂〜倉敷市玉島長尾間は未開通
県道54号倉敷・美袋線
県道60号倉敷・笠岡線
倉敷市玉島長尾〜
倉敷市玉島長尾
県道54号倉敷・美袋線と県道60号倉敷・笠岡線の重用区間。
県道60号倉敷・笠岡線倉敷市玉島長尾〜
浅口市鴨方町鴨方
倉敷市玉島道口〜浅口市金光町下竹間及び浅口市金光町占見新田〜浅口市金光町占見間は未開通。
浅口市(浅口市道)浅口市鴨方町鴨方〜
浅口市・浅口郡里庄町境
浅口市鴨方町深田〜浅口市・浅口郡里庄町境は未開通(計画自体白紙撤回)。
浅口郡里庄町(里庄町道)浅口市・浅口郡里庄町境〜
浅口郡里庄町新庄
浅口市・浅口郡里庄町境〜浅口郡里庄町新庄は未開通(計画自体白紙撤回)。
岡山県県道288号園井・里庄線浅口郡里庄町新庄〜
浅口郡里庄町新庄
浅口郡里庄町新庄〜浅口郡里庄町浜中間に建設されている県道288号園井・里庄線のバイパスが完成した後は浅口郡里庄町に移管される可能性がある。

 この20年間、岡山県の県道路線数は全く変わっていない(それでも都道府県道の路線数は全国で第7位(注34))。路線の異動もわずか4件(内訳は認定1路線・改称2路線・廃止1路線)だけなのだが、深刻な財政難が背景にあることは記すまでもない。しかし、それは岡山県にとって良かったことなのだろうか。愛知県・三重県・大阪府・鳥取県・山口県が手を出したような都道府県道路線の廃止(通過市町村への移管)に手を出さないでいること(岡山県は財政が豊かではない市町村が多いし、区画整理支援の見返りで認定したと思われる県道路線(注35)も多いし…)は評価したいのだが、次に挙げる事実はどのようにとらえているのだろうか。
・県道に認定されてもおかしくないと思える道が県道にならずじまいになっていること。具体例を挙げると国道53号線岡山北バイパス開通により生じた旧道(岡山市北区伊島北町〜岡山市北区吉宗間。途中に県道237号日応寺・栢谷〔かいだに〕線と県道238号上芳賀・岡山線の終点がある)や備前市日生(ひなせ)地区と鹿久居島、頭島を結ぶ橋、倉敷大橋(倉敷市水江の高梁川に架かる橋で延長512m。来年1月24日開通予定)などがある。
・国道2号線玉島・笠岡道路に関連して整備される県道路線が既存路線の別線扱いになることになり、実態と路線名称が合わなくなる恐れがあること。水玉ブリッジラインから西進して浅口市金光町大谷で国道2号線玉島・笠岡道路に接続する道路(都市計画道路勇崎・大谷線)は水島港と倉敷市玉島阿賀崎字唐船(とうせん)を結ぶ路線であるはずの県道398号水島港・唐船線のバイパスとして建設されることになっているし、浅口市金光町大谷〜浅口市鴨方町六条院東間で計画されている国道2号線玉島・笠岡道路側道(都市計画道路金光・鴨方線)は倉敷市玉島黒崎字南浦(なんぽ)と浅口市金光町佐方を結ぶ路線であるはずの県道471号南浦・金光線に指定されている。私としては水玉ブリッジラインと国道2号線玉島・笠岡道路を結ぶ道路は幻のままに終わった県道458号勇崎・入江線(1975〜2002)の事実上の後継路線となるので県道458号勇崎・大谷線に、浅口市金光町大谷〜浅口市鴨方町六条院東間で計画されている国道2号線玉島・笠岡道路側道は県道431号六条院東・里庄線と統合して県道431号大谷・新庄線にしてはどうかと思うのだが…。
・路線名称と実態が合っていない路線があること。1982年(昭和57年)に県道268号白尾・藤戸線(1960〜1982)の一部区間を編入して倉敷市林が起点になった県道165号藤戸・早島線や、県道219号原・原尾島線(1960〜1988)の経路変更で事実上の起点が岡山市中区中井一丁目になった県道384号今在家・東岡山停車場線がそれである。最近笠岡市篠坂で県道377号山口・押撫線のバイパス建設が進められているが、この調子だとバイパス開通後は笠岡市新賀と笠岡市篠坂を結ぶ路線になる県道377号山口・押撫線も改称されないままになるのではないかと感じたくなる(もしそのままだと笠岡市篠坂〜福山市坪生〔つぼう〕町〜笠岡市押撫間で県道3号井原・福山港線と重用することになるため広島県内を通過する県道路線になってしまうのだが…)。
・理不尽な路線短縮を行ったこと。県道195号神島(こうのしま)外港線は県道47号倉敷・長浜・笠岡線のバイパス開通により県道47号倉敷・長浜・笠岡線の笠岡市入江〜笠岡市一番町(終点)間の旧道を編入して笠岡市一番町まで延伸されるのでは…と思っていたが、2011年(平成23年)3月11日岡山県告示第165号により国道2号線笠岡バイパスとの交点(笠岡市入江)を終点とすることになったため延伸されるどころか短縮されることになってしまった。笠岡市中心部と神島を往来する道路がいくつも存在することが背景にあるのだが、それはないだろうと思ったのは私だけだろうか。
・長期間にわたって開かずの県道になっているところがいくつかあること。豪渓付近の県道57号総社・賀陽線が8年間も封鎖されていたことは有名であるが、県道50号北房・井倉・哲西線の新見市哲多町荻尾(おぎょう)〜新見市哲多町矢戸間(無明谷と称されるところ)が6年以上、県道437号下郷・惣田線の高梁市備中町平川(田原ダム付近)が2年以上それぞれ落石を理由に通行止めになったままになっている。復旧させてもまた災害が起きる恐れがあることが長期間封鎖の一因であるが、果たしてこれで良いのだろうか。

県道57号総社・賀陽線の封鎖地点(2009年〔平成21年〕10月27日撮影)。2003〜2011年(平成15〜23年)の8年間にわたりこの先の通行はできない状態が続いた。

 

新見市哲多町矢戸の県道50号北房・井倉・哲西線の封鎖地点。有刺鉄線入りの頑丈なバリケードが設置されている(反対側はこれほど厳重に封鎖されていない)。

県道33号新見・川上線にある案内標識。右折後の道が通行できないにもかかわらず平然と行き先(井倉)が記されていることに注目。

 

新見市哲多町荻尾にある案内標識。県道50号北房・井倉・哲西線無明谷方面の行き先は青色のシールで伏せられている。

 

無明谷に関する石碑と看板。看板は長期封鎖が始まって間もない頃に設置された。再び開放される日は来ないのだろうか。

・備前市吉永町高田と兵庫県赤穂郡上郡町を結ぶ県道385号高田・上郡線は岡山県側は認定された1960年(昭和35年)以来全く自動車が通れない状況が続いているが、最近害獣対策で金網が張られ、歩行者も通れなくなってしまったこと。草木が繁茂することで歩行者すら通れなくなる通行不能箇所は各地にあるのだが…。

2011年(平成23年)8月26日に撮影した県道385号高田・上郡線の起点。まだ自由に奥まで歩いていくことはできた。

今年6月18日に撮影した県道385号高田・上郡線の起点。金網に扉などはないため奥へ歩いていくことはできない。

・津山市阿波と鳥取県八頭郡智頭(ちづ)町を結ぶ目的で鳥取県が認定した鳥取県道303号大高下・口波多線の存在を未だに認めようとしないこと。理由ははっきりしないが、鳥取県と岡山県に跨る県道路線で県境付近が途切れているものは5路線もあること(うち3路線は津山市阿波を通っている)から開通の見込みの立たない路線は要らないという考えが岡山県にはあるものと思われる(注36)
 岡山県は広島県よりも地形的・地理的に恵まれているところであり、もう少し積極性があれば人口が200万人を突破するなどしてもっと発展していたのではないかと思うことがある。その積極性を引き出そうとしたのが6期24年の長きにわたり岡山県政を掌握してきた長野士郎(1917〜2006。知事在任期間:1972〜1996)ではなかったのだろうか。岡山空港の移転・拡充や本州・四国連絡橋児島・坂出ルートの実現などが在任期間中の功績として知られているが、多数の県道路線を発足させたことはあまり知られていない。知事就任直後に認定された広島県道/岡山県道102号下御領・井原線を皮切りに1978年(昭和53年)までに何と一般県道だけだが52路線を発足させているのである(注37)。長野士郎元知事に対する評価は分かれているが、今日岡山県の県道路線数が全国第7位、中国地方第1位の座に就けているのは彼の功績が大きいと言えよう。しかし、1972〜1978年(昭和47〜53年)に県道に認定された道路の整備は進んでいるとは言い難く(注38)、岡山県の財政事情を悪化させた大規模事業と同じような結果になっている。
 石井正弘知事時代(1996〜2012)→伊原木隆太知事時代(2012〜)に岡山県議会で全く県道路線認定議案が出ず、結果1996年(平成8年)11月15日岡山県告示第670号により認定された県道703号備前・柵原自転車道線(注39)を最後に県道路線の認定が途絶えているのはそのこともあってのことであろうが、県の財政事情が厳しいから県道路線の新規認定は見送るというのは私はどうかと考えている。岡山県にとって必要かつ重要な路線はいくつもあるはずだし、そもそも県道路線の認定でどれだけの費用が新たにかかり、反対に県道路線の廃止でどれだけの費用が節約できるのか全く示されていないのがどうかと思うからである。財政上の悪化などを理由に節約すべきところを節約することは大切なことではあるが、節約しなくても良いことまで節約したらどうなるのか。恐らくその組織は活力を失い、悪循環を招くことになるであろう
 私は訴えたい。そろそろ岡山県は何に対してもやる気を出してはどうであろうか。
財政事情が厳しいことや人口が減少していること、高齢化が進んでいること、社会基盤の老朽化が進んでいることなどは知っているけれど、このままでは良いと思わないからである。来年秋には知事選挙があるが、そういう現実を踏まえた上で活力ある岡山県を実現させる、やる気のある知事が出てくることを期待したい。

国道2号線玉島・笠岡道路が初めて開通する

(概要)

 倉敷市玉島阿賀崎〜笠岡市西大島新田間で計画されている国道2号線玉島・笠岡道路は浅口市から笠岡市にかけての国道2号線の渋滞を解消する目的で建設が進められているが、今年3月29日に最も東寄りの区間、すなわち玉島西インターチェンジ(倉敷市玉島阿賀崎)〜浅口金光インターチェンジ(浅口市金光町佐方)間が開通した。国道2号線玉島・笠岡道路としては初めての開通となった。

(コメント)

 岡山県内の国道2号線の主たるバイパスで現在開通しているものとしては岡山バイパス(岡山市東区浅川〜倉敷市中島間。1999年〔平成11年〕全線開通)と玉島バイパス(倉敷市中島〜倉敷市玉島阿賀崎間。1994年〔平成6年〕全線開通)、笠岡バイパス(笠岡市西大島新田〜笠岡市茂平間。2008年〔平成20年〕一部区間開通)とこの玉島・笠岡道路があるが、玉島・笠岡道路は次に挙げる特徴を持った道路である。
・岡山県内の国道2号線のバイパスで初めての自動車専用道路であること。岡山バイパスや玉島バイパスにも事実上自動車専用道路になっている箇所(高架橋)はあるが、自動車専用道路で見られる緑色の案内標識が設置されているのは玉島・笠岡道路だけである。
・岡山県内の国道2号線の主たるバイパスで唯一トンネルがあること。但しそのトンネルは現在建設中の浅口金光インターチェンジ〜笠岡東インターチェンジ(仮称。笠岡市西大島新田)間にあり、現在は通ることはできない(玉島・笠岡道路のトンネルは浅口市鴨方町六条院中と笠岡市西大島に計画されている)。
 兵庫県・広島県・山口県には既に存在する国道2号線の自動車専用のバイパスがようやく岡山県にも登場することになったわけであるが、ならばなぜ玉島・笠岡道路の開通は今年までずれ込んだのだろうか。岡山・倉敷両市の交通渋滞解消に重きが置かれたことや岡山バイパスと玉島バイパスの全線開通が1990年代までずれ込んだこともあるのだろうが、岡山県が計画しながら諸事情で実現しなかった玉島・笠岡有料道路の存在も大きかったのではないのだろうか。倉敷市玉島勇崎と笠岡市入江を浅口市寄島地区経由で結ぶ計画だったこの玉島・笠岡有料道路はもし日の目を見ていれば水島・玉島産業有料道路(愛称:水玉ハイウェイ→水玉ブリッジライン)と一体となって岡山県南西部の国道2号線以南の地域の重要な幹線道路になっていたはずだったのだが、運営者となる岡山県道路公社(岡山市北区蕃山町〔ばんざんちょう〕。1971〜2006)の経営難や沿線住民の強硬な反対運動、山陽自動車道の早い時期での開通などが原因で着工にすら至らなかったのである。もし日の目を見ていれば国道2号線玉島・笠岡道路が企図されるはずがなかったことは岡山市以東の岡山県内の国道2号線には一切バイパスの計画が存在しないことでも明らかである(並行して東備西播開発有料道路〔愛称:岡山ブルーハイウェイ→岡山ブルーライン〕が建設されたため)が、玉島・笠岡有料道路は東備西播開発有料道路と異なって国道2号線と直接接続するようにはなっていなかったし観光地も多くあるわけでもないし何より通るのに料金がかかるから交通量は低迷していたかもしれない。
 玉島・笠岡有料道路の計画が行き詰まったことや倉敷市〜福山市間の国道2号線沿線には大きな都市はないけれど中国地方第二・第三・第四の都市を結ぶ道路ということで交通量が多くなり、渋滞が頻発するようになったことが国道2号線玉島・笠岡道路が企図された理由だったわけであるが、遅すぎると思うのは私だけだろうか。確かに岡山・倉敷両市の交通渋滞解消に重きが置かれたことや岡山バイパスと玉島バイパスの全線開通が1990年代までずれ込んだことが計画の遅れに繋がったとは言えるのだが、遅くとも1970年代後半までには企図されても良かったのではないかと思うのである。そのように思うのは1975年(昭和50年)に福山市が30万都市の仲間入りを果たし、なおかつ中国地方第四の都市になったからである(注40)。つまり、中国地方第二・第三・第四の都市がわずか60kmの中に存在することになったわけであるが、まだ人口減少などとんでもないと思われていた時代(その後岡山市は政令指定都市になったし、倉敷市と福山市は40万都市の仲間入りを果たしたし…)、交通量が増えることは確実だったのになぜ岡山市〜福山市間の国道2号線の全線上下4車線化は考えられなかったのだろうか。「山陽自動車道が計画されていたから」とか「岡山市と倉敷市はともかく、福山市は県外になるから」と言うのだろうが、九州地方第一の都市・福岡市と九州地方第二の都市・北九州市を結ぶ国道3号線が平成時代初頭の時点で全線上下4車線化できる状態になっていたこと(注41)を思うと(人口規模は大きく違うが)できなかったはずはないのではないかと思うのである(しかも北九州市〜福岡市間には九州自動車道もあるし北九州市〜福岡市間には1981年〔昭和56年〕4月1日に宗像〔むなかた〕郡宗像町〔1954〜1981〕が市制施行して宗像市が発足するまで市が全くなかったし…。人口規模以外の何が違うと言うのだろうか)。もし1970年代後半までに建設省(現:国土交通省)が玉島・笠岡道路—名称は例えば浅口バイパスでも鴨方バイパスでも構わないのだが—が企図されていたら玉島バイパスの終点部の作り替えはせずに済んだだろうし、玉島・笠岡有料道路が企図されることも県道458号勇崎・入江線が認定されることも幻の県道のまま廃止されることもなかっただろうし、岡山市または倉敷市と福山市の往来に国道2号線を選ぶ機会も多くなっていたことであろう。この件といい、 こちら で指摘した尾道バイパスと三原バイパスを繋ぐバイパス計画(木原道路)が最近まで本格化しなかったことといい、何か先見の明に欠けているように感じるのだが、どうなのだろうか。
 岡山県内の国道2号線の主たるバイパスで最後に開通した玉島・笠岡道路であるが、次に挙げる通り課題は多く残されている。
・浅口金光インターチェンジ以西の開通時期がまだはっきりしていないこと。
・もし全線開通してもその時西側にある笠岡バイパスや福山道路の整備が進んでいるかどうか不透明なこと(特に福山道路は沿線住民が強硬に建設に反対しているし…)。
・部分開通であることで主要渋滞地点の一つである唐船交差点(倉敷市玉島阿賀崎)の渋滞解消にどれだけ役に立っているのか疑問が残ること。
・水玉ブリッジラインと玉島・笠岡道路を結ぶ都市計画道路勇崎・大谷線の建設がまだ本格化していないこと(接続点は浅口市金光町大谷になるがその辺りの玉島・笠岡道路には分岐点予定地を示す看板などはない)。
・側道の開通が延期されていること(浅口市金光町大谷〜浅口市金光町佐方間については今年開通の予定だったが何があったかは分からないが少なくとも来春まで延期された)。
・水玉ブリッジラインと玉島・笠岡道路を結ぶ都市計画道路勇崎・大谷線や玉島・笠岡道路の側道となる都市計画道路金光・鴨方線について岡山県は既存の県道路線を充てており、県道路線の新規認定を見送っていること(都市計画道路勇崎・大谷線は県道398号水島港・唐船線を、都市計画道路金光・鴨方線は県道471号南浦・金光線をそれぞれ充てることにしている)。
 まあまだ玉島・笠岡道路は新たな幹線道路としての歩みを始めたばかりである。今後どうなっていくのか、今後も注目していきたいと思う。

(注釈コーナー)

注1:福山市高西町の全域と福山市南今津町の一部地域に住んでいる福山市立今津小学校の児童は原則として福山市立松永中学校(福山市松永町二丁目)に進学することになっている。

注2:「入学試験がない」という文言をわざわざ入れたのは福山市には入学試験のある市立中学校があるからである。福山市立福山中学校・高等学校(福山市赤坂町赤坂)がそれである。

注3:沼隈郡内海町(1955〜2003)は芦品郡新市町(1907〜2003)とともに2003年(平成15年)2月3日に福山市に編入されたのだが、合併論議の最中に破談になりかけたことや内海町議会での合併関連議案の賛否差がわずかだったことなどは福山市への編入を快く思っていない住民が少なくないことをうかがわせている。

注4:この方は小学校は2校、中学校・高校はそれぞれ1校通ったのだが、通った4校(いずれも福山市にある)全てでこの珍記録を達成している。1年生の時だけ通った小学校で1年1組、2〜6年生の時通った小学校で3年3組、中学校で33R(XXRというのは福山市内の中学校でよく見られる学級表記)、高校で2年2組にそれぞれ属したのだという。彼は「小学校2年生の時当時住んでいた家の近くに小学校ができ、そこへ転校したのだが、その時は4学級あった。ところが、転校などで児童数が減ったからだと思うのだが3年生からは3学級になった。もし4学級のままだったら4年4組に属していた可能性は高かったのだが…」と話している(ちなみに中学校でも入学当時は8学級あったのが転校などによる生徒数減少で2年生以降は7学級に削減されている)。

注5:待ったがかかる格好にはなったが平成の大合併で下関市の一部になった地域(旧豊浦郡菊川・豊浦・豊田・豊北〔ほうほく〕各町)では学校の統廃合や休校が相次いでいるし、更に昨年6月には再び市立小学校・中学校の適正規模・適正配置に関する答申を公表している。今後どのようにこの問題が展開していくのか、全く予断を許さない状態になっている。

(参考資料:2008年〔平成20年〕3月以降に廃校または休校の憂き目に遭った下関市立の小学校・中学校)

学校名所在地状況
下関市立三豊小学校豊田町地吉2008年(平成20年)に休校する。
下関市立二見小学校豊北町北宇賀2011年(平成23年)に休校する。
下関市立豊田西中学校豊田町浮石2012年(平成24年)に下関市立豊田東中学校と統合したため廃校になる。
下関市立豊田東中学校豊田町矢田2012年(平成24年)に下関市立豊田西中学校と統合したため廃校になる。但し跡地は下関市立豊田中学校(下関市豊田町矢田)として使用されている。
下関市立田耕小学校豊北町田耕2015年(平成27年)に下関市立滝部小学校(下関市豊北町滝部)と統合したため廃校。

注6:三江線は三次市と江津市を結ぶという意味で命名されたのだが、下りと上りは逆になっている(江津方面から三次方面に向かう列車が下り、三次方面から江津方面に向かう列車が上りになる)。これは全線開業時点で山陰線の部に編入されたからである。

注7:倉吉線はJR姫新線中国勝山駅(真庭市勝山)まで、可部線はJR山陰本線浜田駅(浜田市浅井町)まで、岩日線はJR山口線日原駅(島根県鹿足郡津和野町枕瀬)までそれぞれ延伸される予定だった。このうち可部線(建設路線の名称は今福線)と岩日線(建設路線の名称は岩日北線)はある程度建設が進んでおり、現在でも高架橋やトンネルが残されている(反対に倉吉線〔建設路線の名称は南勝線〕は起工式こそ開催されたが建設に取りかかることなく終わっている)。
※これらの路線が開業に至れなかった一因として、反対側からの建設が進まなかったことが挙げられる。特にどうかと思うのは今福線で、第二次世界大戦前にJR山陰本線下府(しもこう)駅(浜田市下府町)から下府川に沿って浜田市金城町今福まで鉄道が建設されたのだが、第二次世界大戦の影響で開業に至れなかったばかりかその後鉄道として活用されることなく終わったのである(浜田市金城町今福から浜田駅まで高規格で直線的な線路を敷設しようということになったことが原因)。もし戦前建設線を再利用していれば残りの工事区間は三段峡〜石見今福間となり、広島市と浜田市を結ぶ鉄道路線は現実のものになっていた可能性が高いが、線路規格の低さや遠回りな経路、沿線の過疎化などの現実を考えると期待通りの結果になったかは疑問符が付く。なお、浜田市金城町今福では今福線の跡地は島根県道/広島県道5号浜田・八重・可部線という数少ない陰陽連絡主要地方道路線のバイパスになっており、可部方面から浜田市中心部方面に向かって(言い換えれば西向きに)走っていると活用されることなく終わった鉄道用トンネルと鉄道用橋梁を前方に見ることになる。

下府駅の山陰本線下りホーム。右側の空き地に今福線(戦前建設線)のレールが敷かれる予定だったという。

注8:岩泉線は2010年(平成22年)7月31日に土砂崩れによる脱線事故が起きたことを契機に運休し、そのまま廃止された。

注9:岩泉線が存続できたのは並行して通る国道340号線の押角峠(そこが宮古市と岩手県下閉伊郡岩泉町の境となっている)が未改良だったことによる。2003年(平成15年)頃のものであるがその様子は「 山さいがねが 」の このページ で紹介されているので興味のある方はご覧頂きたい。

注10:岩泉線は絶対に存続させるべきだと強硬に主張する人が主張を押し通すことができなかったのは東日本旅客鉄道が国道340号線の押角峠の改良に協力することを表明したこともあるのだが、私は絶対に必要だと感じている人が少なく、力強い声になり切れなかったからではないかと考えている。というのも、次に挙げる現実があったからである。
・沿線は過疎化が進展していたこと。
・岩泉線のうち国道455号線に沿っている地域(浅内〜岩泉間)に住んでいる方が岩手県の県庁所在地・盛岡市に出ようとした場合、盛岡市と岩泉町を直線的に結んでいる国道455号線を通る路線バスを利用すれば良かったこと。
・岩泉線のうち国道455号線に沿っている地域に住んでいる方が近隣の中心都市である宮古市に出ようとした場合は三陸鉄道北リアス線岩泉小本駅(岩手県下閉伊郡岩泉町小本)まで路線バスで出てそこから三陸鉄道北リアス線の列車に乗るかずっと路線バスに乗り続けるかすれば良かったこと。
・岩泉線でJR山田線茂市駅(宮古市茂市)まで出て山田線に乗り換えるという手もあるが山田線も過疎化が進んでいる山間部を通っている路線であり、更に並行して通る国道106号線の改良が進んで路線バスが設定されたために便数が減って、有用でなくなってしまったこと。
・岩泉線の活性化より国道340号線の改良を望む声が少なくなかったこと。
実は岩泉線は終点の岩泉駅(岩手県下閉伊郡岩泉町岩泉。1972〜2010)から国道455号線や小本川に沿って東進し、岩泉小本駅で三陸鉄道北リアス線に接続する計画になっていた(起工式は開催されたが結局着手することなく終わったという)。更に大正時代末期から昭和時代初頭にかけての頃には東北鉄道鉱業という会社がIGRいわて銀河鉄道いわて銀河鉄道線小鳥谷(こずや)駅(岩手県二戸郡一戸町小鳥谷)と岩泉小本・茂市両駅を結ぶ鉄道路線を企図していたこともあったという(昭和恐慌などが原因で中止に追い込まれるが、今でも建設された痕跡は残っている。「 山さいがねが 」の このページこのページ で紹介されているので興味のある方はご覧頂きたい)。この二つの計画が成就していれば話は変わったことであろうが、今となっては時代に翻弄された鉄道路線と考えたくなる。

注11:1997年(平成9年)4月1日に廃止されたJR美祢線大嶺支線もそうだった。JR美祢線本線には1993年(平成5年)12月1日からキハ120形気動車が導入されたのだが、大嶺支線には最後まで導入されなかった。

注12:採用試験(特に中途採用)についても採用したくない志願者に対してひどい仕打ちをする例が見られる。その例を挙げると下表の通りになる。
職業安定所で面接の申し込みを行ったところ、多くの志願者を集めて採用試験を行うわけでもないのに理由を示さないまま面接を行うのは一週間後と言われた。
・インターネットの求人サイトでこれは!! と思う企業を見つけ、申し込んだのに、何の連絡もしてこなかった。
・申し込んでから返信を送ってくるまでの時間があまりにも長すぎる。
・約束の時間に面接を行う場に赴いたのにその時間に面接を始めなかった。
・あるグループホームで面接の場が利用者の部屋だったということがあった。
・求人票に書かれてあることを何の理由説明もなく守らない。
・(派遣会社によく見られることであるが)一切連絡してきた様子がないのに「何度連絡しても何の反応もなかった」とか「連絡がとれない」というような電子メールを志願者に送って事実上の不採用通告とするところがある。
・面接中に志願者が不快に思うようなことを平気で言う。
・志願者が辞退するように仕向ける。
・面接を短時間で打ち切る。
・(派遣会社によく見られることであるが)最初の紹介先が不採用になると何度申し込んでも何の理由説明もなく一切対応しない。
・常識的におかしいことをする。
・(あるコンビニエンスストアでの話であるが)何の理由説明もなく志願者の自宅から遠いところにある店舗(そこは求人誌などのアルバイト募集の記事では募集対象店舗にはなっておらず、しかも間もなく閉店する予定のところだったという)での面接を指示したところがあった。
・(ある派遣会社での話であるが)通勤不可能な事業所を紹介された。
・無礼を働いておきながら後処理を全くしない。
・企業側の無礼を抗議したことに対して謝るどころか逆ギレする。
・面接で笑顔を見せたり採用するかのような感じを示したりするなど和やかな雰囲気を示す。
・説明会で嘘の条件を言い、志願者を信用させておいて面接の場で現実を見せる。
・不採用通知の書き方があまりにもいい加減である(題名が「不採用に関するお知らせ」というように結果を示している、志願者の名前をフルネームで書かない、届いたのは面接の4日後だったのに通知の日付は面接の翌日だったなど)。
・不採用に関する連絡は一切行わない。
・尋ねる必要もないことを尋ねて志願者に疑問を持たせる。
・(ある派遣会社での話であるが)血圧を測ったところ高めに出たことで「健康診断を受けてこないと話を進めない」と言う(健康体であることに越したことはないが、別に病気を持っていたとしてもほとんどの場合仕事に支障はないのだから問題にしなくても良いのではないか)。
・既婚の若い女性に対して妊娠・出産の予定を聞いたり妊娠しているか否かを尋ねたりする。
・面接担当者の態度が横柄である。
不採用の報を聞くことは誰も快く思わないことであるが、こういう仕打ちを平気で行う企業は不採用にした志願者から嫌われ、結果将来の顧客を一人失う格好になることを考えたことはあるのだろうか。更にひどい目に遭わされた志願者が「自分の真剣な思いを分かってくれなかった。そんな人の気持ちを考えない企業に復讐してやる」と考えて暴行や脅迫、恐喝、器物損壊などの触法行為に出たり反対に人間不信に陥って引きこもってしまったりする可能性もないとは言えない。自分の気に入らない人に対してひどい目に遭わせることは昔から国内外で行われてきたことであり、誰も問題視しないできたことやひどい目に遭っても「ああいう企業から採用通知を受けなくて良かった。もし入社していたら更にひどい目に遭っていただろう」と思って何も言わないでいること、更に訴えていく場所がないことなどからこれまで泣き寝入りするしかなかったのだが、非正規労働やブラック企業、ブラックバイトなどが社会問題化していることや誰も指摘しなかったことで被害者が多く出ていることを思うとこのままでは良いわけはない。気軽に相談でき、何らかの対応をとる場を設けることや改善を求めて声を上げることが求められる。

注13:可部線可部〜三段峡間と三江線に関係する国道路線・県道路線の状況は下表の通りである。

1 駅の最寄りにある国道路線・県道路線の一覧

可部線

※「所在地」と「最寄りの国道路線または県道路線」は可部線可部〜三段峡間が廃止された日、すなわち2003年(平成15年)12月1日時点のもので記している。

駅名読み方所在地可部からの
営業キロ
最寄りの国道路線
または県道路線
備考
可部かべ広島市安佐北区可部二丁目0.0国道54号線
国道183号線
国道191号線
国道261号線
広島県道240号可部停車場線
国道54号線( 国道183号線・国道191号線・国道261号線重用)は駅の西側を、広島県道240号可部停車場線は駅の東側をそれぞれ通っている。
河戸こうど広島市安佐北区亀山一丁目1.3広島県道267号宇津・可部線
今井田いまいだ広島市安佐北区
可部町今井田
3.7広島県道267号宇津・可部線
安芸亀山あきかめやま広島市安佐北区可部町勝木6.6広島県道267号宇津・可部線
広島県道268号勝木・安古市線
広島県道267号宇津・可部線と広島県道268号勝木・安古市線は駅付近で重用している。
毛木けぎ広島市安佐北区安佐町飯室9.4広島県道267号宇津・可部線
安芸飯室あきいむろ広島市安佐北区安佐町飯室11.1国道191号線
ぬの広島市安佐北区安佐町飯室13.5国道191号線
広島県道38号広島・豊平線
国道191号線と広島県道38号広島・豊平線は駅付近で重用している。
小河内おがうち広島市安佐北区
安佐町小河内
15.6国道191号線
安野やすの山県郡加計町穴18.1国道191号線駅と国道191号線は離れており、加計町道で連絡している。
駅のすぐそばを通る加計町道は国道191号線の旧道である。
水内みのち佐伯郡湯来町下22.2国道191号線
坪野つぼの山県郡加計町坪野23.6国道191号線
国道433号線
国道191号線と国道433号線は駅付近で重用している。
田之尻たのしり山県郡筒賀村中筒賀26.6広島県道241号筒賀停車場線
広島県道303号上筒賀・筒賀停車場線
広島県道304号中筒賀・下線
広島県道241号筒賀停車場線と広島県道303号上筒賀・筒賀停車場線、広島県道304号中筒賀・下線は駅付近で重用している。
広島県道241号筒賀停車場線と広島県道303号上筒賀・筒賀停車場線は田之尻駅が筒賀駅と称していた時期に認定された路線だが、なぜか筒賀駅が田之尻駅と改称した後も改称されなかった。
津浪つなみ山県郡加計町津浪28.5国道191号線
国道433号線
国道191号線と国道433号線は駅付近で重用している。
香草かぐさ山県郡加計町加計30.4国道433号線
加計かけ山県郡加計町加計32.0広島県道239号加計停車場線
木坂きさか山県郡加計町下筒賀33.9国道186号線
国道191号線
国道434号線
国道186号線と国道191号線、国道434号線は駅付近で重用している。
殿賀とのが山県郡戸河内町下殿河内36.0国道186号線
国道191号線
国道434号線
国道186号線と国道191号線、国道434号線は駅付近で重用している。
上殿かみとの山県郡戸河内町中央38.0国道186号線
国道191号線
国道434号線
国道186号線と国道191号線、国道434号線は駅付近で重用している。
駅と国道186号線(国道191号線・国道434号線重用)は離れており、戸河内町道で連絡している。但し2002年(平成14年)11月30日に国道186号線(国道191号線・国道434号線重用)戸河内・加計バイパスが全線開通したことにより国道186号線(国道191号線・国道434号線重用)は駅の北側から駅の南側に移った。
筒賀つつが山県郡筒賀村中筒賀40.1国道186号線
国道434号線
国道186号線と国道434号線は駅付近で重用している。
土居どい山県郡戸河内町土居42.2国道191号線
戸河内とごうち山県郡戸河内町上本郷43.3国道191号線
三段峡さんだんきょう山県郡戸河内町柴木46.2広島県道249号三段峡線

三江線

※江津〜宇都井間及び口羽〜作木口間は島根県に、伊賀和志駅と香淀〜三次間は広島県にそれぞれ属している。

駅名読み方所在地江津からの
営業キロ
最寄りの国道路線
または県道路線
備考
江津ごうつ江津市江津町0.0国道9号線
国道186号線
国道9号線と国道186号線は駅付近で重用している。
江津本町ごうつほんまち江津市江津町1.1広島県道/島根県道112号三次・江津線
千金ちがね江津市金田町3.4広島県道/島根県道112号三次・江津線駅と広島県道/島根県道112号三次・江津線は離れており、江津市道で連絡している。
川平かわひら江津市川平町南川上7.0広島県道/島根県道112号三次・江津線
島根県道221号川平停車場線
島根県道298号跡市・川平停車場線
広島県道/島根県道112号三次・江津線と島根県道221号川平停車場線、島根県道298号跡市・川平停車場線は駅付近で重用している。
川戸かわど江津市桜江町川戸13.9島根県道41号桜江・金城線
広島県道/島根県道112号三次・江津線
島根県道41号桜江・金城線と広島県道/島根県道112号三次・江津線は駅付近で重用している。
田津たづ江津市桜江町田津19.3国道261号線駅と国道261号線は離れており、江津市道で連絡している。
駅のすぐそばを通る江津市道は国道261号線の旧道である。
石見川越いわみかわごえ江津市桜江町川越22.3島根県道295号日貫・川本線駅付近の島根県道295号日貫・川本線は国道261号線の旧道である。
鹿賀しかが江津市桜江町鹿賀25.8島根県道295号日貫・川本線駅付近の島根県道295号日貫・川本線は国道261号線の旧道である。
因原いんばら邑智郡川本町因原28.9島根県道295号日貫・川本線駅付近の島根県道295号日貫・川本線は国道261号線の旧道である。
石見川本いわみかわもと邑智郡川本町川本32.6島根県道222号川本停車場線島根県道222号川本停車場線は駅前広場から100mほど北上して右折し、突き当たりで島根県道31号仁摩・邑南線(島根県道40号川本・波多線重用)と接続している(駅前広場から東に延びる道ではない)。
木路原きろはら邑智郡川本町川本34.6島根県道40号川本・波多線
たけ邑智郡美郷町乙原37.6島根県道40号川本・波多線
乙原おんばら邑智郡美郷町乙原39.8島根県道40号川本・波多線駅と島根県道40号川本・波多線は離れており、美郷町道で連絡している。
駅の西方を通る美郷町道(駅前通りの突き当たりで接続する道)は島根県道40号川本・波多線の旧道である。
石見簗瀬いわみやなぜ邑智郡美郷町簗瀬42.7島根県道40号川本・波多線駅と島根県道40号川本・波多線は離れており、美郷町道(島根県道40号川本・波多線の旧道)で連絡している。
駅のすぐ南側を通る美郷町道は島根県道40号川本・波多線の旧道である。かつては駅のすぐ南側を通る道を西行き、駅のすぐ北側を通る道を東行きとする一方通行規制が実施されていた(昭和時代末期〜平成時代初頭に駅のすぐ北を通る道〔江の川左岸土手〕を改良したことで解消された)。
明塚あかつか邑智郡美郷町明塚45.0島根県道40号川本・波多線駅と島根県道40号川本・波多線は離れており、美郷町道で連絡している。
三江線にある駅で唯一近くに国道路線も県道路線も通ったことのない駅である(更に島根県道40号川本・波多線の通る対岸に渡る橋も近くにはない)。
粕淵かすぶち邑智郡美郷町粕渕48.1国道375号線
島根県道40号川本・波多線
駅と国道375号線(島根県道40号川本・波多線重用)は離れており、美郷町道(国道375号線の旧道)で連絡している。
駅のすぐそばを通る道は国道375号線の旧道である。
浜原はまはら邑智郡美郷町浜原50.1国道375号線駅と国道375号線は離れており、美郷町道で連絡している。
駅のすぐそばを通る道は国道375号線の旧道である。
沢谷さわだに邑智郡美郷町石原53.8島根県道166号美郷・飯南線三江線の途中駅では唯一江の川から離れたところにある。
うしお邑智郡美郷町潮村59.6国道375号線
石見松原いわみまつばら邑智郡美郷町長藤62.8国道375号線
石見都賀いわみつが邑智郡美郷町都賀本郷68.4国道375号線
島根県道55号邑南・飯南線
国道375号線と島根県道55号邑南・飯南線は駅付近で重用している。
宇都井うづい邑智郡邑南町宇都井74.8島根県道292号宇都井・阿須那線
伊賀和志いかわし三次市作木町伊賀和志78.2国道375号線駅と国道375号線は離れており、三次市道で連絡している。
駅の西方の江の川右岸に沿って延びる三次市道は国道375号線の旧道である。
口羽くちば邑智郡邑南町下口羽79.7島根県道294号邑南・美郷線駅と島根県道294号邑南・美郷線は離れており、邑南町道で連絡している。
江平ごうびら邑智郡邑南町上田83.2国道375号線
広島県道/島根県道112号三次・江津線
駅と国道375号線は離れており、邑南町道・三次市道で連絡している。
国道375号線と広島県道/島根県道112号三次・江津線は駅付近で重用している。
作木口さくぎぐち邑智郡邑南町上田84.9国道375号線
広島県道/島根県道112号三次・江津線
駅と国道375号線は離れており、邑南町道・三次市道で連絡している。
国道375号線と広島県道/島根県道112号三次・江津線は駅付近で重用している。
香淀こうよど三次市作木町門田89.7国道375号線
広島県道/島根県道112号三次・江津線
駅と国道375号線は離れており、三次市道で連絡している。
駅のすぐそばを通る三次市道は国道375号線の旧道である。
国道375号線と広島県道/島根県道112号三次・江津線は駅付近で重用している。
式敷しきじき安芸高田市高宮町佐々部93.3広島県道/島根県道4号甲田・作木線
信木のぶき安芸高田市高宮町佐々部95.1広島県道/島根県道112号三次・江津線
所木ところぎ安芸高田市高宮町船木97.0広島県道/島根県道112号三次・江津線
船佐ふなさ安芸高田市高宮町船木98.4広島県道/島根県道112号三次・江津線
長谷ながたに三次市粟屋町100.6広島県道/島根県道112号三次・江津線
粟屋あわや三次市粟屋町103.1広島県道/島根県道112号三次・江津線
尾関山おぜきやま三次市三次町106.1国道375号線
広島県道39号三次・高野線
駅と国道375号線(広島県道39号三次・高野線重用)は離れており、三次市道で連絡している。
三次みよし三次市十日市南一丁目108.1広島県道228号三次停車場線広島県道228号三次停車場線は実質的に三次駅の駅前広場しか区域のない路線である。駅前広場の出口にある三次駅前交差点で国道183号線(右折方向・左折方向)と国道184号線(右折方向・左折方向。両方向とも国道183号線と重用)、国道375号線(直進方向・右折方向。右折方向については国道183号線と重用)、広島県道39号三次・高野線(直進方向。国道375号線と重用)と接続している。

2 可部線可部〜三段峡間と三江線に並行する主な国道路線・県道路線の状況

鉄道路線名並行する国道路線
または県道路線の名称
並行する
おおよその区間
沿線にある駅概要
可部線広島県道267号宇津・可部線可部〜安芸飯室河戸
今井田
安芸亀山
毛木
・全区間にわたって太田川左岸を通っている。
・狭隘箇所がある。
・異常気象時通行規制区間がある。
国道191号線安芸飯室〜戸河内安芸飯室

小河内
安野
水内
坪野
津浪
木坂
殿賀
上殿
土居
戸河内
・全線改良済。
・異常気象時通行規制区間がある。
・安野駅に行くには安芸太田町道(国道191号線旧道)を通る必要がある。
・木坂・殿賀・上殿各駅付近の国道191号線は国道186号線及び国道434号線と重用している。
・国道191号線から見て川の対岸にある駅は田之尻駅と香草駅、加計駅の三つ。いずれも国道191号線から橋を渡って行けるところにあった(かつては国道191号線は香草駅のそばや加計駅の北方約100mのところを通っていた)。
広島県道177号下・佐東線可部〜坪野(なし)・全区間にわたって太田川右岸を通っている。
・狭隘箇所がある。
・異常気象時通行規制区間がある。
・小河内〜安野間と安野〜水内間で可部線が太田川右岸に移ってくるが駅は設置されなかった。
・広島県道177号下・佐東線から見て川の対岸にある駅は河戸・今井田・安芸亀山・毛木・安芸飯室・布・小河内・安野・水内の各駅。このうち今井田・安芸亀山・毛木・安芸飯室・布・小河内の各駅については広島県道177号下・佐東線から橋を渡って行けるところにあった。
広島県道304号中筒賀・下線水内〜筒賀田之尻・起点付近を除いて太田川右岸を通っている。
・狭隘箇所がある。
・異常気象時通行規制区間がある。
・山県郡安芸太田町加計〜山県郡安芸太田町中筒賀間(中国自動車道太田川橋付近)は1972年(昭和47年)11月24日広島県告示第983号により認定された時点からずっと未開通のままになっていた。可部線可部〜三段峡間廃止後の2009年(平成21年)に開通し、認定から36年かかってようやく全線開通を果たした(詳細な時期は不明)が、もし可部線可部〜三段峡間が廃止されていなければ今も未開通のままだった可能性が高い。
・広島県道304号中筒賀・下線から見て川の対岸にある駅は坪野・津浪・香草・加計・木坂・殿賀・上殿の各駅。このうち香草・加計・殿賀の各駅については広島県道304号中筒賀・下線から橋を渡って行けるところにあった。
国道186号線
国道434号線
加計〜筒賀加計
木坂
殿賀
上殿
筒賀
・全線改良済。
・可部線沿線における国道186号線と国道434号線はほとんどの区間で並行しており、国道434号線の単独区間は山県郡安芸太田町加計(加計駅の北約100mのところ)にあるだけになっている(広島県における国道434号線の単独区間は山県郡安芸太田町加計が最後となる)。
広島県道249号三段峡線戸河内〜三段峡三段峡・全線改良済。但し終点間際に上下線分離区間がある(下り線は狭いトンネル、すなわち柴木〔しわぎ〕隧道経由)。
・起点は三段峡駅のすぐ北側にある。そこから北は三段峡の遊歩道になっており、自動車は通れない。
三江線広島県道/島根県道112号三次・江津線江津〜川戸
口羽〜尾関山
江津本町
千金
川戸
口羽
香淀
信木
所木
船佐
長谷
粟屋
・島根県側は江の川を渡ることはなく、江の川に沿って進む場合でも左岸を通っているが、広島県側は起点〜祝橋間と式敷大橋〜両国橋間は右岸、祝橋〜式敷大橋間は左岸を通っている。1960年(昭和35年)に発足した当時は広島県側はずっと右岸を通っていたのだが、ほとんどが主要地方道大田・三次線(1954〜1976)と重用していた上に1964年(昭和39年)暮れにわずかな単独区間(両国橋の広島県側)が主要地方道浜田・作木線になることが決まったため江の川左岸を通っていた県道11号三次・高宮線(一般県道。1960〜1965)を編入し、何とか路線を維持させている。
・狭隘箇所が多い。
・異常気象時通行規制区間がある。
・(江の川に沿う地域やJR三江線に沿う地域のことではないが)冬期閉鎖箇所がある(邑智郡邑南町矢上〜邑智郡邑南町日和間及び邑智郡邑南町・江津市境〜江津市桜江町川戸間)。
・江津市桜江町後山〜江津市川平町平田間及び江津市川平町平田〜江津市川平町南川上間に通行不能箇所がある(江津市川平町平田の自動車通行可能区間〔延長約200m〕は狭い山道を通らないとたどり着けないため実質的な通行不能区間は江津市桜江町後山〜江津市川平町南川上間と考えても良い)。
国道261号線江津〜因原因原・全線改良済。
・1963年(昭和38年)に二級国道261号広島・江津線(1963〜1965)として発足した時は桜江大橋より東は江の川の左岸を、桜江大橋より西は江の川の左岸を通っていた。この結果、川戸・田津・石見川越・鹿賀各駅が沿線に存在することになった。
・しかし江の川左岸の道は拡幅が不可能だったことから県道294号川下(かわくだり)・桜江線(1966〜1980。路線名称は廃止当時のものを記載)を活用したバイパスが企図され、1977年(昭和52年)に川下橋以西の全線が江の川右岸を通るようになった。この結果、沿線にあるJR三江線の駅は因原駅だけになった。但し江津〜因原間のJR三江線にある駅のうち千金駅以外の各駅については国道261号線と駅の近くを結ぶ橋が存在する。
島根県道295号日貫・川本線石見川越〜因原石見川越
鹿賀
因原
・かつて二級国道261号広島・江津線→国道261号線だった道である。
・ずっと江の川左岸を通っている。
・狭隘箇所が多い。
・異常気象時通行規制区間がある。
島根県道291号別府・川本線因原〜竹因原
石見川本
・ずっと江の川左岸を通っている。
・狭隘箇所が多い。
島根県道40号川本・波多線因原〜粕淵石見川本
木路原

乙原
石見簗瀬
粕淵
・川本大橋〜吾郷(あごう)大橋間は江の川左岸を、それ以外の区間は江の川右岸を通っている。但し現在邑智郡川本町中心部でバイパスが計画されており、完成後は4回も江の川を渡ることになる。
・狭隘箇所が多い。
・異常気象時通行規制区間がある。
国道375号線粕淵〜三次粕淵
浜原

石見松原
石見都賀
伊賀和志
江平
作木口
香淀
式敷
信木
所木
船佐
長谷
粟屋
尾関山
三次
・ずっと江の川右岸を通っている。
・島根県側は改良はほぼ終わっているが、広島県側に狭隘箇所が残っている。
・異常気象時通行規制区間がある。
・国道375号線沿線にある駅は潮・石見松原・石見都賀・尾関山・三次の各駅。粕淵・浜原・伊賀和志・香淀の各駅は旧道のそばに、江平・作木口・式敷・信木・所木・船佐・長谷・粟屋の各駅は川の対岸にある(川の対岸にある駅のうち江平・作木口・式敷・所木の各駅については国道375号線と駅の近くを結ぶ橋が存在する)。
島根県道294号邑南・美郷線石見都賀〜口羽宇都井
口羽
・ずっと江の川左岸を通っている。
・狭隘箇所が多い。
・異常気象時通行規制区間がある。

注14:1845年(弘化2年)生まれと記している資料もある。

注15:中国地方の場合「世界の果てまでイッテQ!」は全域で裏番組となるが、「大改造!!劇的ビフォーアフター」は岡山・広島・山口各県に限られる。鳥取・島根両県にはテレビ朝日系列に属する都道府県域民間テレビ放送局が存在しないためである(但し鳥取・島根両県では「大改造!!劇的ビフォーアフター」はフジテレビ系列に属する山陰中央テレビジョン放送〔TSK、松江市西川津町〕で土曜日の午後に放送されているので全く見られないわけではない)。

注16:現に三次市中心部は1972年(昭和47年)7月に梅雨末期の集中豪雨で被災している。三次市中心部には「1972年(昭和47年)7月の豪雨災害の際ここまで浸水した」という看板(下の写真)が多数設置されており、水害で甚大な被害に見舞われたことを今に伝えている。

 

注17:山陰放送ラジオと山陽放送ラジオ、山口放送ラジオは「あなたへモーニングコール」(JRN系、2001〜2013年〔平成13〜25年〕放送)→「ラジオ・パープル」(JRN系、2013〜2015年〔平成25〜27年〕放送)をネットしていた関係上月曜日の放送開始時間は午前4時になっていたが、「ラジオ・パープル」の後番組の「Fine music」(JRN系)については山陰放送ラジオはネットを見送り、結果日曜日深夜(月曜日早朝)の放送休止時間が1時間延びることになった。

注18:その後広島市北部における集中豪雨災害(2014年〔平成26年〕8月20日)を契機に対象を拡大し、結局今年9月28日からは完全参入に踏み切っている。

注19:「荻上チキ・Session-22」はTBSラジオ&コミュニケーションズ(TBS、東京都港区赤坂五丁目)制作の番組であり、番組開始時点ではTBSラジオ&コミュニケーションズと中国放送ラジオ、北海道放送ラジオ(HBC、札幌市中央区北一条西五丁目)、新潟放送ラジオ(BSN、新潟市中央区川岸町三丁目)、北日本放送ラジオ(KNB、富山市牛島町)、静岡放送ラジオ(SBS、静岡市駿河区登呂三丁目)、CBCラジオ(CBC、名古屋市中区新栄一丁目)、熊本放送ラジオ(RKK、熊本市中央区山崎町)、琉球放送ラジオ(RBC、那覇市久茂地二丁目)で放送されていた。しかし、2014年(平成26年)春に静岡放送ラジオとCBCラジオが、今年春に熊本放送ラジオが、そして今年秋に中国放送ラジオがそれぞれネットを打ち切っており、現在ではTBSラジオ&コミュニケーションズと北海道放送ラジオ、新潟放送ラジオ、北日本放送ラジオ、琉球放送ラジオでしか放送されなくなっている。

注20:これは山口放送テレビにも言えることで、青少年に好ましくないとして「11PM(イレヴンピーエム)」(日本テレビ系、1965〜1990年〔昭和40年〜平成2年〕放送)などのネットを打ち切った話は有名である。

注21:下ネタを取り上げたといっても下ネタに関する単語が入った筆名を用いて投稿することは認められておらず、喋り手はその筆名を読み上げた後退学や永久追放を宣告していた(退学宣告があるのはその番組の副題に「スクール」が入るため)。「そのようなことをするのなら初めから紹介しなくても良いのに…」と思う方もいることであろうが、こういう筆名では送ってきてはいけないことを通知することや場を盛り上げることを目的としてやっていたのではないかと思われる。
※似た例はJ-WAVE(東京都港区六本木六丁目)の「OH! MY RADIO」(2001〜2010年〔平成13〜22年〕放送)でもあった。特に人気歌手の平井堅が出演する時に下ネタに関する単語が入った筆名を用いて投稿する方がおり、平井堅はその筆名を読み上げた後必ず「こういう筆名では送ってこないで下さい」と怒っていた。

注22:これは尾道大橋有料道路が2013年(平成25年)4月1日に無料開放されたことによる。但し通行料金がかからなくなるのは西瀬戸尾道インターチェンジ〜尾道大橋出入口間を経由して尾道大橋を通った場合だけであり、西瀬戸尾道インターチェンジと向島インターチェンジ以遠のインターチェンジとの間の通行料金は全く変わらない。
※本州・四国連絡橋尾道・今治ルート(別称:西瀬戸自動車道または瀬戸内しまなみ海道)のうちの生口島(いくちじま)北インターチェンジ(尾道市因島洲江〔いんのしますのえ〕町)〜生口島南インターチェンジ(尾道市瀬戸田町荻)間も通行料金はかからないが、生口島北インターチェンジは尾道市中心部方面との出入りしか、生口島南インターチェンジは四国方面との出入りしかそれぞれできないため実質的には有料道路と変わらない状況になっている。

注23:東広島・呉自動車道と広島県道34号矢野・安浦線、海田大橋を通る方法。広島・熊野道路や海田大橋で通行料金はかかるし安芸郡熊野町中心部などで渋滞に遭う可能性があるが広島市中心部南部との往来に有用な経路になった。

注24:道道資料北海道 」でも管理人のおくとんさんが触れているのだが、北海道では国道路線・道道路線の異動に関する告示は「北海道公報」ではなく北海道庁(札幌市中央区北三条西六丁目)の掲示板で期間限定で公開されているため北海道道の異動は管理人のおくとんさんの更新を参考にせざるを得ない状態が続いている。

注25:奥津軽いまべつ駅は1988年(昭和63年)3月13日に開業したJR海峡線津軽今別駅(青森県東津軽郡今別町大川平。1988〜2015)を前身としている(JR海峡線津軽今別駅としての旅客営業は今年8月9日をもって終了している)。

注26:本来なら川原湯駅から川原湯温泉駅に改称した時に群馬県道238号川原湯・川原湯温泉停車場線に改称されるべきなのだが、改称されないままになった理由としては改称時点で既に八ッ場ダムの計画はあり、近い将来川原湯駅改め川原湯温泉駅の移転が確定的な状況になっていたことが考えられる。

注27:旧川原湯温泉駅は2014年(平成26年)9月24日をもって営業を終了し、2014年(平成26年)10月1日から旧川原湯温泉駅の南西約1.3kmのところにある現在の駅で営業を始めた。
※旧川原湯温泉駅での営業終了日の翌日、すなわち2014年(平成26年)9月25日が現川原湯温泉駅での営業開始日にならなかったのは吾妻線付け替え工事や乗務員の訓練のために中之条〜岩島間(9月25日のみ)及び岩島〜大前間(9月25〜30日)を運休させたからである。

注28:今年4月1日に北近畿タンゴ鉄道(宮津市外側)が鉄道運営会社のWILLER TRAINS(宮津市鶴賀)と鉄道施設保有会社の北近畿タンゴ鉄道に再編されたことによる。
※北近畿タンゴ鉄道の再編による改称は下表の通りである。

項目概要
愛称・北近畿タンゴ鉄道を京都丹後鉄道に変更。
路線名称・宮津線(西舞鶴〜豊岡間)を宮舞線(西舞鶴〜宮津間)と宮豊線(宮津〜豊岡間)に分割。
※宮福線(福知山〜宮津間)は変更なし。
駅名・野田川駅を与謝野駅に改称。
・丹後大宮駅を京丹後大宮駅に改称。
・木津温泉駅を夕日ヶ浦木津温泉駅に改称。
・丹後神野駅を小天橋駅に改称。
・甲山(こうやま)駅をかぶと山駅(京丹後市久美浜町甲山〔こうやま〕)に改称。
・但馬三江駅をコウノトリの郷駅に改称。
※いずれも宮豊線にある駅。

注29:高千穂鉄道高千穂線は槙峰駅(宮崎県西臼杵郡日之影町七折)を境に廃止時期が異なる。延岡〜槙峰間は2007年(平成19年)9月6日に、槙峰〜高千穂間は2008年(平成20年)12月28日にそれぞれ廃止されている。日向八戸駅は槙峰〜高千穂間に、西延岡駅と曽木駅は延岡〜槙峰間にあるため日向八戸駅は2008年(平成20年)12月28日に、西延岡駅と曽木駅は2007年(平成19年)9月6日にそれぞれ廃止されたことになる。

注30:渡島大野駅を起終点とする道道路線は道道262号渡島大野停車場線もあるが現在のところ道道262号新函館北斗停車場線に改称されたという情報はない(恐らく来春渡島大野駅が新函館北斗駅に改称した時に改称するものと思われる)。

注31:そのことは こちら でも触れているので併せてご覧頂きたい。

注32:2008年(平成20年)には栃木県で県道路線が42路線も改称されている。改称理由の大半は市町村合併(いわゆる平成の大合併)である。

注33:鳥取県でも県道244号福成・戸上・米子線の廃止と県道244号境・車尾線の認定を一括りにしたことがある(2014年〔平成26年〕3月31日鳥取県告示第235号による)。反対に山口県では県道214号新山口停車場線を県道6号山口・宇部線(山口・宇部道路)長谷インターチェンジ(山口市嘉川)の入口まで延伸し、県道214号新山口停車場・長谷線に改称した際に県道214号新山口停車場・長谷線の認定(2008年〔平成20年〕2月8日山口県告示第48号による)→県道214号新山口停車場線の廃止(2008年〔平成20年〕2月8日山口県告示第49号による)と二段階入れたことがある。

注34:都道府県道路線の多い都道府県は下表の通りである(今年12月31日現在。10位まで掲載)。

順位都道府県名路線数備考
主要地方道一般県道合計
北海道151742893
新潟県89453542
兵庫県98394492
愛知県80387467
福岡県101355456
長野県83320403
岡山県68305373一般県道の路線数と合計には鳥取県が津山市阿波と鳥取県八頭郡智頭町口波多を結ぶ目的で認定しながら未だに岡山県が認定を拒んでいる鳥取県道303号大高下・口波多線を含めている。
福島県76293369
広島県76285361
10埼玉県90256346

注35:県道421号総社停車場線や県道470号柳井原・上二万線が該当する。

 

県道421号総社停車場線(左)と県道470号柳井原・上二万線(右)の起点付近。どちらも区画整理が実施された地域を通り抜けていく路線である。

2010年(平成22年)夏まで県道470号柳井原・上二万線だった道。車一台がやっとの道幅が奥に延びているのが見える。

注36:鳥取県と岡山県に跨る県道路線で県境付近が途切れているものは下表の通りである(下り方向は全て岡山県→鳥取県)。

路線名称概要
県道113号上徳山・俣野・江府線・真庭市蒜山上徳山(ひるぜんかみとくやま)と日野郡江府町武庫を結ぶ予定の路線。但し1994年(平成6年)から起点〜真庭市蒜山本茅部間は県道58号北房・川上線と重用しているため現在事実上の起点は真庭市蒜山本茅部になっている。
・1960年(昭和35年)3月18日鳥取県告示第109号及び岡山県告示第335号により認定。
・現在真庭市蒜山上徳山〜日野郡江府町俣野間が通行不能になっている。
県道116号羽出・三朝線・苫田郡鏡野町羽出と東伯郡三朝(みささ)町下西谷を結ぶ予定の路線。
・1960年(昭和35年)3月18日鳥取県告示第109号及び岡山県告示第335号により認定。
・現在苫田郡鏡野町羽出〜東伯郡三朝町田代間が通行不能になっている。
・羽出側車道端点は広域基幹林道美作(みまさか)北2号線との交点にあるが、その手前は悪路になっている。
県道117号鱒返・余戸線・津山市阿波字鱒返と鳥取市佐治町余戸を結ぶ予定の路線。
・1976年(昭和51年)12月28日鳥取県告示第1,043号及び1976年(昭和51年)7月13日岡山県告示第551号により認定。
・津山市阿波〜鳥取市佐治町余戸間が通行不能になっている。
県道118号加茂・用瀬線・津山市加茂町河井と鳥取市用瀬(もちがせ)町安蔵(あぞう)を結ぶ予定の路線。
・1960年(昭和35年)3月18日鳥取県告示第109号及び岡山県告示第335号により認定。
・津山市阿波〜鳥取市用瀬町江波間が通行不能になっている。
県道303号大高下・口波多線・津山市阿波字大高下と八頭郡智頭町口宇波を結ぶ予定の路線。路線名称にある「口波多」は大高下・口波多線の沿線にある八頭郡智頭町の大字であるが、なぜ「大高下・口宇波線」にならなかったのかは分からない。
・1976年(昭和51年)12月28日鳥取県告示第1,043号により認定。県道117号鱒返・余戸線と同時に認定されたのだが、岡山県は未だにこの路線の存在を認めていない。
・津山市阿波〜八頭郡智頭町波多間が通行不能・区域未決定になっている。
・もし岡山県がその存在を認め、認定した場合、路線名称は県道110号大高下・口波多線になるのではないかと思われる(鳥取県と岡山県に跨る一般県道路線に付けるのにふさわしい路線番号で欠番状態にあるのは110号だけであるため)。

5路線中3路線が津山市阿波に関係することが上表からうかがえる。1990年代末期、平日朝の情報番組「おはようクジラ」(TBS系、1996〜1999年〔平成8〜11年〕放送)で津山市阿波、すなわち当時の苫田郡阿波村(1889〜2005)には鳥取県に通じる予定で認定されたのに未だに県境で途切れている県道路線が二つもあることが紹介されたことがあるのだが、それにもし大高下・口波多線が加わってきたとしたら津山市阿波地区の住民はどんな感情を抱くのだろうか。岡山県が未だに大高下・口波多線の認定を拒んでいるのはそういうところに理由があるのかもしれない。

注37:この間には1974年(昭和49年)11月12日政令第364号に基づく国道再編(1975年〔昭和50年〕4月1日実施)と1976年(昭和51年)4月1日建設省告示第694号に基づく主要地方道再編があったのだが、岡山県におけるそれらの再編を受けた県道路線の再編は1979年(昭和54年)になってようやく実施された。市町村道の県道昇格政策を優先させたために国道再編・主要地方道再編を受けた県道路線の再編が遅れたのではないかと思われる。

注38:主な整備の進んでいない路線は下表の通りである(私が状況を把握しているもののみ記載)。なお、1972〜1978年(昭和47〜53年)に認定された県道路線の中には整備が進んでいる路線もあることをこの場においてお断りしておく。

路線名称認定年月日/
告示番号
概要
県道105号前原谷・仙養線1974年(昭和49年)6月18日
岡山県告示第642号
起点・終点とも広島県にあり、500mほど岡山県(高梁市備中町平川)をかすめている路線であるが、どういうわけか認定は広島県で認定されてから9年も経ってからであった。広島県側も改良が進んでいない路線であるが、記すまでもなく岡山県側も改良は進んでいない。
県道117号鱒返・余戸線1976年(昭和51年)7月13日
岡山県告示第551号
改良は進んでいない上に津山市阿波〜鳥取市佐治町余戸間に通行不能箇所がある。
県道417号和気・吉井線1973年(昭和48年)12月14日
岡山県告示第1,176号
改良は進んでいない上に和気郡和気町津瀬〜赤磐市稲蒔間に通行不能箇所がある。全区間で沿う吉井川の対岸には改良が済んでいる国道374号線があることから改良や通行不能解消に向けた動きは鈍い。
県道424号岡山西環状線1973年(昭和48年)3月30日
岡山県告示第338号
1982年(昭和57年)に一部区間が県道61号妹尾・御津線になったため廃止されたが、今でも県道424号岡山西環状線の区域だった岡山市北区尾上〜岡山市北区一宮間に狭隘箇所が残されている。バイパス建設計画はあるが国道180号線岡山西バイパスと並行しているため現在のところ進展はない。
県道426号多麻・滝宮線1975年(昭和50年)1月10日
岡山県告示第43号
改良は進んでおらず、現在でも狭隘箇所を多く残している。
県道430号玉島黒崎・金光線1973年(昭和48年)9月4日
岡山県告示第810号
認定以来整備は遅々として進まず、2007年(平成19年)になってようやく倉敷市・浅口市境にあった未開通箇所が解消された。現在も沙美峠が通行不能のままであり、開通を願って地元ではハイキング大会が開催されているのだが起点で接続する県道47号倉敷・長浜・笠岡線の改良が進んでいないこともあって進展していない。
県道431号六条院東・里庄線1973年(昭和48年)8月17日
岡山県告示第766号
県道431号六条院西・里庄線(1960〜1973)を浅口市鴨方町六条院東まで延長して発足した路線だが、延長部分となる浅口市鴨方町六条院東〜浅口市鴨方町六条院西間に狭隘箇所が残されている。
県道432号大島中・新庄線1976年(昭和51年)4月23日
岡山県告示第366号
改良は進んでおらず、現在でも狭隘箇所を多く残している。
県道434号小坂西・六条院中線1974年(昭和49年)2月19日
岡山県告示第185号
浅口市鴨方町小坂西(起点)〜浅口郡里庄町里見間と事実上の終点(浅口郡里庄町里見/県道64号矢掛・寄島線交点)の手前に狭隘箇所を残している。
県道436号布寄・下原線1973年(昭和48年)1月30日
岡山県告示第86号
現在も高梁市成羽町布寄〜高梁市成羽町長地間が区域未決定・未開通のままである。岡山県発行の資料では起点は高梁市成羽町長地となっており、高梁市成羽町布寄〜高梁市成羽町長地間は地形が急峻で道路建設が困難なことや高梁市成羽町布寄と高梁市成羽町下原を往来する場合改良が進んでいる国道313号線と県道33号新見・川上線を通れば良いことなどが区域未決定・未開通の背景にあるものと思われる。
※県道436号布寄・下原線は岡山県発行の資料では1973年(昭和48年)10月2日岡山県告示第898号で認定されたと記されているが、1973年(昭和48年)1月30日岡山県告示第86号で認定され、なおかつ1973年(昭和48年)1月30日岡山県告示第87号で一部区間の区域決定もなされているため本サイトでは1973年(昭和48年)1月30日岡山県告示第86号で認定されたものと見なしている。
県道437号下郷・惣田線1976年(昭和51年)2月20日
岡山県告示第124号
改良は進んでおらず、現在でも狭隘箇所を多く残している。それどころか2013年(平成25年)12月から落石により田原ダム付近が通行止めになっており、全線の通行は不可能になっている。
県道455号小山・桑上線1973年(昭和48年)11月2日
岡山県告示第1,021号
改良は進んでおらず、現在でも狭隘箇所を多く残している。
県道456号下籾・三明寺線1974年(昭和49年)11月8日
岡山県告示第1,027号
改良は進んでおらず、現在でも狭隘箇所を多く残している。
県道458号勇崎・入江線1975年(昭和50年)10月21日
岡山県告示第970号
岡山県道路公社が運営する玉島・笠岡有料道路の受け皿道路として認定された路線だが岡山県道路公社の経営難や沿線住民の強硬な反対、山陽自動車道の早い時期での開通などが原因で起工に至らず、並行して国道2号線玉島・笠岡道路が企図されたことから結局白紙撤回され、幻の県道のまま2002年(平成14年)に廃止された。
県道X号大高下・口波多線(未認定)1976年(昭和51年)12月28日鳥取県告示第1,043号により津山市阿波と鳥取県八頭郡智頭町口宇波を結ぶ目的で認定された路線だが岡山県は未だにその存在を認めていない。津山市阿波にはもし認定されれば区域に編入されると思しき道があるが、その道は鳥取県までは通じていない。

注39:県道703号備前・柵原自転車道線の認定議案は長野士郎知事時代の1996年(平成8年)2月定例会に提出されている。

注40:理由は人口が大幅に増加したことに加えて周辺の芦品郡芦田・駅家両町と深安郡加茂町を編入したことである(芦品郡芦田町については1974年〔昭和49年〕4月1日に、芦品郡駅家町と深安郡加茂町については1975年〔昭和50年〕2月1日にそれぞれ編入)。国勢調査上の人口は芦品郡芦田町を編入した時点で下関市の人口を抜いているのだが、1970年(昭和45年)10月1日実施の国勢調査の結果では下関市と福山市の人口差はわずか3千人程度であり(詳しくは私の友人の中島孝祐〔なかしま・こうすけ〕さんが運営している「 下関市立大学学園祭情報局〜中国地方最古参の市立四年制大学の学園祭のきのう・きょう・あす〜 」というサイトの こちらのページ をご覧頂きたい)、推計人口上は1971〜1972年(昭和46〜47年)頃に福山市の人口が下関市のそれを抜いたものと思われる。
※中島さんの運営するサイトの名称が変わっていることに気付いた方もいるかもしれないが、実は今月23日にサイトの名称を変更したのである(URLはそのまま)。下関市立大学・大学祭実行委員会事務局OB会の再興構想を一旦凍結し、中国地方最古参の市立四年制大学である下関市立大学(下関市大学町二丁目)とその前身の下関商業短期大学(下関市貴船町三丁目。1956〜1966)の学園祭の歴史を調査・研究・公開することにしたのだという。本サイトでも近々情報提供を呼びかけるページを設置することにしているので下関市立大学及びその前身の下関商業短期大学の学園祭について何らかの情報をお持ちの方はご覧頂きたい。

注41:中島さんの話による。1991年(平成3年)10月にある用があって古賀市〜北九州市門司区間の国道3号線を通った時全線上下4車線化できる状態になっていたことに気付いたのだという。

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