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トップページ不定期刊・きょうのトピックス不定期刊・きょうのトピックス2016年(平成28年)分今年○周年を迎えるもの

今年○周年を迎えるもの(2016年〔平成28年〕1月1日公開)

 皆様明けましておめでとうございます。本年も本サイトをよろしくお願いいたします。
 さて、今年初めての「不定期刊・きょうのトピックス」は例のごとく今年中国地方で○周年(○には5で割り切れる自然数が入る。なお、上限は125とする)を迎えるもの(本サイトが対象としている道路・市区郡町村・ラジオに限ります)を紹介します。どうぞご覧下さい。

道路編

○周年を迎える重要な告示または政令

周年告示番号または政令番号概要
60周年1956年(昭和31年)7月10日
政令第231号
即日施行の国道再編の告示。中国地方では二級国道250号神戸・赤穂・岡山線が発足した。
45周年1971年(昭和46年)6月26日
建設省告示第1,069号
1970年(昭和45年)4月1日実施の国道再編を受けて新たな主要地方道路線を指定した告示。中国地方ではこの時142路線(再指定96路線・新規指定46路線)が指定された(異動の内容は こちら を参照のこと)。
40周年1976年(昭和51年)4月1日
建設省告示第694号
1975年(昭和50年)4月1日実施の国道再編を受けて新たな主要地方道路線を指定した告示。中国地方ではこの時174路線(再指定129路線・経路変更1路線・新規指定44路線)が指定された(異動の内容は こちら を参照のこと)。
35周年1981年(昭和56年)4月30日
政令第153号
1982年(昭和57年)4月1日実施の国道再編の告示。中国地方では国道429〜435号線及び国道437号線が発足し、国道376号線の経路変更が実施された。
10周年2006年(平成18年)3月31日
岡山県告示第198号
新見市で完結する一般県道16路線の管理者が2006年(平成18年)4月1日から岡山県から新見市に変更された。

発足○周年を迎える国道路線(原則として一級国道・二級国道の一般国道への移行と既存路線の経路・起終点変更を除く)

周年路線名称発足年月日備考
60周年国道250号線1956年(昭和31年)7月10日発足当時の路線名称は二級国道250号神戸・赤穂・岡山線。

認定○周年を迎える県道路線(現存するもののみ掲載)

県名周年路線名称発足年月日備考
兵庫県
鳥取県
10周年県道72号若桜・下三河線
県道103号若桜・湯村温泉線
2006年(平成18年)4月1日
鳥取県45周年県道277号豊房・名和線1971年(昭和46年)5月7日
県道276号高橋・下市停車場線1971年(昭和46年)8月6日
40周年県道310号坊領・淀江停車場線1976年(昭和51年)5月28日
県道117号鱒返・余戸線
県道280号俵原・青谷線
県道295号西宇塚・那岐停車場線
県道296号西谷・那岐停車場線
県道303号大高下・口波多線
県道306号福本・関金線
県道308号桑原・坂本線
県道500号鳥取・河原自転車道線
1976年(昭和51年)12月28日
25周年県道267号大栄・赤碕線
県道320号羽合・東伯線
1991年(平成3年)3月26日
15周年県道323号若葉台・東町線2001年(平成13年)2月23日
5周年県道326号大山高原スマートインター線2011年(平成23年)3月1日
鳥取県
島根県
50周年県道9号安来・伯太・日南線1966年(昭和41年)3月29日
県道107号横田・伯南線1966年(昭和41年)6月17日
10周年県道108号印賀・奥出雲線2006年(平成18年)4月1日
島根県50周年県道7号浜田・作木線
県道24号松江・木次線
県道27号出雲市停車場線
県道29号大社・日御碕線
県道32号温泉津・川本線
県道50号田所・国府線
県道177号大田・井田・江津線
県道191号揖屋停車場線
県道196号荘原停車場線
県道197号木次・直江停車場線
県道198号小田停車場線
県道206号波子停車場線
県道225号日原停車場線
県道226号柿木・津和野停車場線
県道234号五十猛港線
県道237号黒松港線
県道239号唐鐘港線
県道243号出雲空港線
県道258号草野・横田線
県道277号多伎・江南・出雲線
県道283号宮内・掛合線
県道287号静間・久手停車場線
県道295号日貫・川本線
県道297号皆井田・江津線
県道299号下府・江津線
県道300号跡市・波子停車場線
1966年(昭和41年)3月29日県道50号田所・国府線は発足当時は一般県道(1994年〔平成6年〕主要地方道昇格)。
県道156号木次・横田線
県道268号上久野・大東線
1966年(昭和41年)6月17日
30周年県道327号市木・井原線1986年(昭和61年)12月26日
10周年県道211号三隅停車場線2006年(平成18年)3月22日
県道31号仁摩・邑南線
県道42号吉賀・匹見線
県道44号西郷・都万・郡線
県道51号出雲・奥出雲線
県道55号邑南・飯南線
県道166号美郷・飯南線
県道170号益田・津和野線
県道186号美郷・大森線
県道269号吉田・奥出雲線
県道294号邑南・美郷線
県道296号川本・美郷線
県道351号出雲路自転車道線
県道352号宍道湖湖北自転車道線
2006年(平成18年)4月1日
県道340号多伎インター線2006年(平成18年)10月31日
島根県
広島県
10周年県道6号吉田・邑南線
県道109号邑南・高宮線
県道110号奥出雲・高野線
2006年(平成18年)4月1日
島根県
山口県
10周年県道3号新南陽・津和野線
県道12号鹿野・吉賀線
県道120号須川・吉賀線
県道124号津和野・須佐線
2006年(平成18年)4月1日
兵庫県
岡山県
10周年県道124号宮原・力万線
県道368号吉永・下徳久線
2006年(平成18年)4月1日
岡山県50周年県道389号吉備津・松島線
県道390号古見・月田停車場線
1966年(昭和41年)4月19日
40周年県道437号下郷・惣田線1976年(昭和51年)2月20日
県道432号大島中・新庄線1976年(昭和51年)4月23日
県道117号鱒返・余戸線
県道445号下和・奥津川西線
1976年(昭和51年)7月13日
県道556号後山・上石井線1976年(昭和51年)8月17日
20周年県道703号備前・柵原自転車道線1996年(平成8年)11月15日
広島県50周年県道248号野呂山公園線1966年(昭和41年)2月25日
45周年県道244号福山港線
県道271号八木・広島線
県道363号栗原・長江線
1971年(昭和46年)4月27日
40周年県道461号白砂・玖島線1976年(昭和51年)3月2日
県道75号三原・竹原線1976年(昭和51年)12月17日県道75号三原・竹原線は発足当時は一般県道(1994年〔平成6年〕主要地方道昇格)。
県道31号呉・平谷線
県道32号安芸津・下三永線
県道46号東広島・白木線
県道51号甲山・甲奴・上市線
県道252号恐羅漢公園線
県道416号三和・油木線
1976年(昭和51年)12月21日
35周年県道309号小河内・都志見線1981年(昭和56年)9月29日
県道316号都志見・千代田線1981年(昭和56年)10月9日
30周年県道383号篠根・高尾線1986年(昭和61年)5月19日
20周年県道24号府中・上下線
県道155号三原・本郷線
県道158号尾道・新市線
県道187号浜田・仁保線
県道189号福山・上御領線
県道215号道上停車場・中野線
県道242号呉港線
県道269号今井田・緑井線
県道275号坂・小屋浦線
県道291号長野・葛原線
県道298号鷲部・小用線
県道299号秋月・飛渡瀬線
県道302号橋山・下山線
県道315号下石・八重線
県道318号上入江・吉田線
県道320号浅塚・横田線
県道329号飯田・吉行線
県道332号吉川・西条線
県道380号水呑・手城線
県道388号木野山・府中線
県道395号川南・近田線
県道407号徳市・津口線
県道417号小畠・荒谷線
県道433号穴笠・三次線
県道435号木呂田・本郷線
県道436号香淀・三次線
県道452号帝釈未渡・相渡線
県道458号川北・七塚線
県道469号廿日市環状線
県道471号所山・潮原線
1996年(平成8年)4月25日
山口県50周年県道174号笠戸島公園線1966年(昭和41年)4月1日
45周年県道6号山口・宇部線
県道179号金峰・徳山線
県道224号西万倉・山陽線
県道252号福浦港・金毘羅線
1971年(昭和46年)4月1日県道6号山口・宇部線は発足当時は一般県道(1994年〔平成6年〕主要地方道昇格)。
40周年県道321号和田・上村線1976年(昭和51年)2月20日
県道332号十種ヶ峰線
県道333号奥秋吉台公園線
1976年(昭和51年)4月1日
県道335号江崎・陶線1976年(昭和51年)5月14日
県道334号引谷・篠目線1976年(昭和51年)5月28日
県道336号東厚保・大嶺線1976年(昭和51年)8月10日
県道337号田万川・須佐線1976年(昭和51年)8月27日
県道9号徳山・徳地線
県道22号光・柳井線
県道23号光・上関線
県道57号下関港線

県道338号大海・秋穂二島線
県道339号東吉部・秋吉線
県道341号大嶺・於福線
1976年(昭和51年)12月24日県道57号下関港線は発足当時は一般県道(1994年〔平成6年〕主要地方道昇格)。
25周年県道212号山口・阿知須・宇部線1991年(平成3年)5月31日
15周年県道213号きらら浜・沖の原線2001年(平成13年)2月23日
10周年県道353号新山口停車場・上郷線2006年(平成18年)1月13日
5周年県道242号秋吉台公園線2011年(平成23年)5月27日

開通○周年を迎える主要な道路

県名周年路線名称開通年月日コメント
鳥取県50周年三朝高原道路1966年(昭和41年)11月24日三朝(みささ)高原道路は三朝高原と三朝温泉を結ぶ目的で建設された観光有料道路(注1)である。受け皿道路となる県道188号三朝高原線(1965〜1969)が1965年(昭和40年)3月9日鳥取県告示第120号により認定されたことを考えると高度経済成長期の観光ブームの中で遅くとも1960年代半ばまでに企図された道路と思われる。興味深いのは受け皿道路が1969年(昭和44年)8月に県道188号三朝高原線から県道273号三朝温泉・木地山線に変わっていること(1969年〔昭和44年〕8月29日鳥取県告示第506〜508号による(注2))であるが、いかなる意図(注3)があったのか気になるところである。なお、三朝高原道路自体は1979年(昭和54年)4月1日に無料開放され、現在は無料で通行できる。
5周年山陰自動車道
(国道9号線東伯・中山道路)
2011年(平成23年)2月27日大栄東伯インターチェンジ(東伯郡琴浦町槻下)〜赤碕中山インターチェンジ(西伯郡大山町八重)間が開通。途中には二つのインターチェンジ(琴浦東インターチェンジ〔東伯郡琴浦町下大江〕と琴浦船上山インターチェンジ〔東伯郡琴浦町赤碕〕)と一つの休憩所(琴浦パーキングエリア〔東伯郡琴浦町別所〕)がある。開通当時は大栄東伯インターチェンジ以東は一般道路である国道9号線北条バイパスとしか接続しておらず、反対に赤碕中山インターチェンジ以西は未開通だったため自動車専用道路としては孤立していたが、2013年(平成25年)12月21日に赤碕中山インターチェンジ以西の山陰自動車道(国道9号線中山・名和道路及び名和・淀江道路(注4))が開通したため既に高速交通網に組み込まれていた名和インターチェンジ(西伯郡大山町名和)以西の山陰自動車道と接続し、大栄東伯インターチェンジから出雲・広島方面へは自動車専用道路を降りずに走行できるようになった(注5)。今後の課題は国道9号線北条バイパスに並行する部分の自動車専用道路の建設であるが、どのようになるのかが注目されるところである。
鳥取県
岡山県
35周年国道179号線
人形トンネル
1981年(昭和56年)11月5日鳥取県と岡山県の境にあり、ウランの採掘で知られる人形峠に掘られたトンネルで全長は1,865m。国道179号線は中国自動車道院庄(いんのしょう)インターチェンジ(津山市院庄)と鳥取県中部を結ぶ幹線道路であるが、鳥取県と岡山県の境にある人形峠付近は屈曲の多い道であり、難所解消が求められていた。開通当時鳥取・岡山県境に掘られた道路トンネルとしては最長であり、米子自動車道三平山(みひらやま)トンネル(全長:2,257m)が1992年(平成4年)12月18日に開通するまで11年あまりその座に就いていたことはあまり知られていない(注6)。人形トンネルの開通で鳥取・岡山県境の難所は解消されたが、岡山県側の国道179号線の改良は長らく住民が強硬に反対してきた苫田ダム(苫田郡鏡野町久田下原)の建設に絡んで遅々として進まなかったため国道179号線が院庄インターチェンジと鳥取県中部を結ぶ幹線道路として遜色(そんしょく)ない姿になるにはまだかなりの年数が必要であった。
国道373号線
志戸坂トンネル
1981年(昭和56年)12月2日鳥取県と岡山県の境にある志戸坂峠に掘られたトンネルで全長は1,630m。元々志戸坂峠には1934年(昭和9年)完成のトンネル(全長:565m)があったのだが規格が低いことや老朽化が進んでいたことから新たなトンネル建設が企図された。自転車や歩行者も通れるトンネルとして計画され、開通したのだが、1987年(昭和62年)に中国横断自動車道姫路・鳥取線、すなわち現在の鳥取自動車道の計画が浮上したことでこのトンネルは微妙な立場に置かれることになった。記すまでもなく鳥取自動車道は自動車専用道路なので改めてトンネルを掘れば良かったのだろうが、なぜか鳥取自動車道の当面活用区間として志戸坂トンネルを使うことになったため岡山県英田郡西粟倉村坂根〜鳥取県八頭郡智頭(ちづ)町駒帰間で自動車専用道路が途切れることになった。鳥取自動車道は2013年(平成25年)3月23日に全線開通したことからこの問題をどうするか検討すべき時期に来ていると言えるのだが、現在のところ進展はない。素人目には旧トンネルを自転車・歩行者専用道路として活用し、現トンネルを自動車専用道路にすれば良いのでは…と考えたくなるのだがどうなるのだろうか。
島根県45周年国道9号線
波根バイパス
1971年(昭和46年)9月16日大田市波根町〜大田市久手町刺鹿(さつか)間に計画されたバイパスで大田バイパスと称することもある。開通前の国道9号線はJR山陰本線に沿い、大田市波根・久手地区の中心部を通過していたのだが、途中に山陰本線の踏切があることや上下2車線幅の箇所、言い換えれば普通車同士のすれ違いは問題ないが中央線がない箇所があることから交通の難所と化しており、そこで波根バイパスが企図されたのである。国道9号線の改良(一次改築)自体は国土交通省中国地方整備局(広島市中区上八丁堀)によると1966年(昭和41年)に完成していたのだが、この波根バイパスの完成や国道9号線に発展的解消を遂げた主要地方道大田・温泉津(ゆのつ)・江津線(1955〜1972)の廃止(1972年〔昭和47年〕3月21日島根県告示第209号による)をもって完結したと解するのが妥当なのかもしれない。現在は途中に道の駅ロード銀山(大田市久手町刺鹿)が開設されており、観光客や休憩する方々で賑わっている。
15周年山陰自動車道
(国道9号線安来道路)
2001年(平成13年)3月24日山陰自動車道(国道9号線安来道路)安来インターチェンジ(安来市佐久保町)〜東出雲インターチェンジ(松江市東出雲町意宇南二丁目)間が開通。山陰自動車道(国道9号線安来道路)は1998年(平成10年)3月20日に米子西インターチェンジ(米子市陰田町)〜安来インターチェンジ間が開通していたのでこの開通をもって全線開通となった。
山陰自動車道(国道9号線松江道路)東出雲インターチェンジ〜矢田インターチェンジ(松江市矢田町)間の自動車専用部が開通。開通区間の途中には竹矢インターチェンジ(松江市竹矢町)がある。山陰自動車道(国道9号線松江道路)自動車専用部は1998年(平成10年)までに矢田インターチェンジ〜松江玉造インターチェンジ(松江市玉湯町布志名)間が開通していたのでこの開通をもって全線開通となった。
山陰自動車道は松江玉造インターチェンジ〜宍道(しんじ)インターチェンジ(松江市宍道町佐々布〔さそう〕)間が開通。国道路線のバイパスとして建設されることの多い山陰自動車道にあって初めての高速自動車国道としての山陰自動車道の開通区間になった。途中には島根県唯一のサービスエリアである宍道湖サービスエリア(松江市玉湯町湯町)がある。
これら3区間の開通により山陰地方中央部の高速道路は淀江インターチェンジ(鳥取県西伯郡大山町安原)〜宍道インターチェンジ間が一本に繋がったが、有料区間と無料区間が混在していることや途中で接続する唯一の高速自動車国道・米子自動車道とは直接接続していないこと、宍道湖サービスエリアは駐車場とお手洗いしかないことといった課題が残されることになった
(注7)
山陰自動車道
(国道9号線松江道路)
山陰自動車道
10周年山陰自動車道2006年(平成18年)11月25日宍道ジャンクション(松江市宍道町伊志見)〜斐川(ひかわ)インターチェンジ(出雲市斐川町三絡〔みつがね〕)間が開通。この開通により島根県第二の都市・出雲市の近くまで高速道路が延びることになった。この時の開通区間の終点となった斐川インターチェンジの近くには1984年(昭和59年)夏に358本もの銅剣が発掘されて大きな話題になった荒神谷遺跡(出雲市斐川町神庭〔かんば〕)がある。
5周年国道261号線
桜江バイパス
2011年(平成23年)8月10日江津市桜江町谷住郷に建設されたバイパスで、途中には桜江トンネル(全長:631m)がある。平成の大合併で江津市は東隣の邑智(おおち)郡桜江町(1956〜2004)を編入したことや江津市中心部と江津市桜江地区を結ぶ道路は事実上国道261号線しかないこと、中国地方随一の大河・江の川に沿うため災害が多く、2002年(平成14年)春には法面(のりめん)崩壊により23日間も通行止めになったことがこのバイパスを建設することになった動機である。江の川右岸を通る国道261号線には二つトンネルがあるが江津市桜江町谷住郷〜江津市松川町長良間の江の川右岸部にしか道路がないところに存在する点(注8)や21世紀に入ってから開通した点で共通しており、国道261号線が江津市中心部と江津市桜江地区、更にその先の邑智郡川本町を結ぶ生命線として位置付けられていることをうかがわせている。
島根県
広島県
25周年浜田自動車道1991年(平成3年)12月7日千代田ジャンクション(広島県山県郡北広島町有田)〜旭インターチェンジ(浜田市旭町丸原)間が開通。途中には二つのインターチェンジ(大朝インターチェンジ〔広島県山県郡北広島町新庄〕と瑞穂インターチェンジ〔島根県邑智郡邑南町市木〕)と一つの休憩所(寒曳山パーキングエリア〔広島県山県郡北広島町大朝〕)がある。この開通をもって浜田自動車道は全線開通となり、更に浜田自動車道が構成道路の一つとなっている中国横断自動車道広島・浜田線も全線開通となった(注9)。沿線人口が少ないことから交通量はあまり多くなく、「閑古鳥の鳴いている高速道路」として「サンデーモーニング」(TBS系)で取り上げられたこともあるが、島根県西部・広島県北西部の住民にとっては広島市や三大都市(東京・名古屋・大阪)に通じる重要な幹線道路であることや広島市及びその周辺に住む方にとっては島根県西部・広島県北西部方面に行くのに有用な道路になったことは知っておいて頂きたいことである。山陰自動車道(国道9号線バイパス)の整備の進展により今後もその存在感は高まっていくものと思われるが、接続する道路には整備が進んでいないところが多数あることや島根県西部・広島県北西部では広島市へのストロー効果が著しくなったこと、江津市が中国地方で最も人口の少ない市になったこと(注10)に象徴されるように人口減少が止まらないこと、浜田自動車道沿線地域(広島県…山県郡、島根県…江津市・浜田市・邑智郡)では2000年(平成12年)以降四つも未解決の殺人事件が起きていること(そのことは こちら で触れているので興味のある方は併せてご覧頂きたい)などの問題が生じている。
10周年国道375号線
作木・大和道路
2006年(平成18年)5月30日三次市作木町大津〜島根県邑智郡美郷町上野間に建設された道路で、途中には大津トンネル(全長:454m)と伊賀和志トンネル(全長:468m)、両国(りょうこく)トンネル(全長:3,233m)がある。特に両国トンネルは浜田自動車道猪子山トンネル(全長:2,595m)を抜いて島根・広島県境にある道路トンネルとしては当時最長だった(注11)。作木・大和道路開通前の国道375号線は江の川に沿う狭い道であり、災害による通行規制も多かったためある道路地図では「名ばかり国道の中国地方代表」と揶揄(やゆ)されるほどであったが、この作木・大和道路の開通により国道375号線の三次市作木地区〜島根県邑智郡美郷町中心部間の改良がほぼ完成し、知名度こそ低いが広島県各地と大田市を結ぶ新たな経路としての地位を有するようになった。しかしその一方で並行して通るJR三江線の利用者減少→存廃問題浮上の契機になったことも事実であり、道路整備は両刃の剣であることをうかがわせている。
岡山県40周年中国自動車道1976年(昭和51年)12月24日落合インターチェンジ(真庭市下市瀬)〜北房インターチェンジ(真庭市五名)間が開通。途中には真庭パーキングエリア(下り線:真庭市木山、上り線:真庭市下方)と北房ジャンクション(真庭市山田。開通当時は存在せず)がある。1974年(昭和49年)暮れ以来部分開通を繰り返してきた岡山県内の中国自動車道であるが、この開通をもって一段落した。落合インターチェンジ・北房インターチェンジとも国道313号線と接続していることが特徴(だからといって国道313号線の迂回路として通る方はほとんどいないだろうが)。中国自動車道しか中国地方を貫く高速道路がない時代は交通量も多く、遠く福山市から北房インターチェンジに出て中国自動車道を通るという方もいたとのこと(但し昭和時代末期頃の国道313号線の改良は今ほど進んでいなかったのでそういうことをする方は少数派だったかもしれない)であるが、山陽自動車道の開通などにより現在では北房ジャンクション以西は中国自動車道でも交通量の少ない区間になっている。
25周年山陽自動車道1991年(平成3年)3月16日山陽自動車道の岡山ジャンクション(岡山市北区津寺)〜倉敷ジャンクション(倉敷市三田)間と岡山自動車道の岡山ジャンクション〜岡山総社インターチェンジ(岡山市北区高松田中)間が開通。中国地方第二の都市・岡山市にとって初めての高速道路の開通となり、同時に岡山自動車道にとって初めての開通になった。また、岡山総社インターチェンジは中国地方で初めて複数の地名をくっつけて命名されたインターチェンジにもなった。しかし、岡山総社インターチェンジは岡山市中心部から10km以上も離れていることや岡山総社インターチェンジから高速道路に乗っても降りずに行けるのは最も遠くても福山市・坂出市に限定されたことから開通当初はあまり利用されなかった。この時の開通区間が十分機能するようになるのは1993年(平成5年)12月16日の山陽自動車道岡山県内区間全線開通、言い換えれば旧計画(注12)の山陽自動車道の中国地方区間全線開通まで待たなければならなかった。
岡山自動車道
10周年美作・岡山道路
(県道79号佐伯・長船線)
2006年(平成18年)2月22日佐伯(さえき)インターチェンジ(和気郡和気町小坂)〜熊山インターチェンジ(赤磐市稗田)間が開通。美作(みまさか)市と岡山市、または中国自動車道と山陽自動車道を結ぶ目的で企図された美作・岡山道路としては初の開通区間となった。開通区間は4.8kmしかなく、車で走ればあっという間に終点に着くのだが、こんなに短い路線でも一部(酌田トンネル〜佐古トンネル間)は上下4車線で供用されているのが特色と言える。ただ、開通区間が短いことや岡山市・赤磐市中心部方面からのアクセスに難があること、中国自動車道との接続点である勝央ジャンクション(美作市上相〔かみや〕)から山陽自動車道との接続点である瀬戸ジャンクション(仮称。岡山市東区瀬戸町塩納)までいくつもの国道路線または県道路線で構成されること、そして開通から10年近く経ったが全くどちらにも延びないままになっていることが問題である。せめて山陽自動車道との接続の早期実現を望みたいところだが、まだ瀬戸ジャンクションの工事すら始まっていないためかなり先の話になりそうである。
広島県55周年音戸大橋1961年(昭和36年)12月3日本土(呉市)と倉橋島の間にあり、平安時代末期に平清盛(1118〜1181)が切り開いたという伝承が残る音戸の瀬戸に架かる橋で全長は172m。高さを稼ぐために本土(呉)側・倉橋側双方にループが作られていることと赤いアーチがあることが特徴である。開通当初は有料道路だった(1974年〔昭和49年〕8月1日無料開放)が倉橋島に住む方々にとっては本土と結ばれたことは大きな朗報になった。橋が通る道は県道35号呉・倉橋島線(1954〜1994。路線名称は廃止当時のものを記載)→国道487号線と変遷し、2013年(平成25年)にはその北側にバイパスとしての第二音戸大橋(全長:492m)が開通したが今でも呉市中心部と呉市に属する倉橋島・鹿老渡島・鹿島、江田島市に属する江田島・能美島・沖野島を結ぶ橋として重要な役割を担っている。
50周年国道2号線
新広島バイパス
1966年(昭和41年)12月20日広島市中心部や広島市東部、安芸郡府中町南部での渋滞解消を目的として安芸郡海田町南堀川町〜広島市西区観音本町一丁目間に計画されたバイパス。渕崎インターチェンジ(広島市南区仁保二丁目。そこで県道86号翠町・仁保線を分岐する)を境にそこから東は立体交差道路(歩道がある箇所もあるので自動車専用道路には指定されていない)、そこから西は平面交差道路になっていることが特徴。当初の計画では渕崎インターチェンジ以西についても道路の中央に高架を通すことになっていたが西広島バイパスの観音高架道路の整備が住民の強硬な反対などでなかなか進まなかったことや別個に都市高速道路の整備が進められることになったことから広島市中区平野町以西に縮小されている(それでもなかなか着手されないでいるが)。開通当時途中には国鉄宇品線との踏切があり、列車が通過する際は列車の乗務員が信号機を操作して踏切を通過していたのだが、それも昔の話になっている(注13)。バイパス沿線にいくつかバイパスの名称を付けた企業が立地しているのは有名な話である(注14)
30周年広島高速1号線
(県道472号広島東インター線)
1986年(昭和61年)3月25日安芸・府中有料道路(愛称:ぬくしなバイパス)という名称で広島市東区馬木七丁目〜広島市東区温品一丁目間が開通。並行して通る県道70号広島・中島線のバイパスとして建設され、記すまでもなく開通当時は県道70号広島・中島線となっていたが、山陽自動車道広島東インターチェンジ(広島市東区福田三丁目)と広島市中心部・呉・海田方面を結ぶ都市高速道路の一部に転用されることになり、1997年(平成9年)に県道472号広島東インター線に変更された。途中には温品出入口(広島市東区温品町。広島市中心部・呉・海田方面との出入のみ可能)と温品パーキングエリア(広島市東区温品町。広島市中心部・呉・海田方面のみ利用可能)がある。
国道184号線
木ノ庄バイパス
1986年(昭和61年)8月7日尾道市木ノ庄町畑〜尾道市木ノ庄町木門田間に建設されたバイパス。1957年(昭和32年)に石畦(いしぐろ)〜市(いち)間(注15)が廃止された尾道鉄道(注16)の跡を利用して建設されたバイパスで、道路脇に尾道鉄道のトンネルが残されている箇所がある。この木ノ庄バイパスの開通により国道184号線は世羅郡世羅町〜尾道市間の改良が完成し、全線の改良完成まで後一歩のところまで近付いた(注17)
25周年山陽自動車道1991年(平成3年)3月20日山陽自動車道の福山東インターチェンジ(福山市蔵王町五丁目)〜福山西インターチェンジ(福山市東村町)間と尾道・福山自動車道の今津ジャンクション(福山市今津町)〜福山西インターチェンジ間(注18)が開通。尾道・福山自動車道は1987年(昭和62年)に第四次全国総合開発計画で制定された国土交通大臣指定に基づく高規格幹線道路(一般国道の自動車専用道路)として初めて全線開通を果たした路線なのだが一般的には国道2号線松永道路として認知されているため全くそのことは知られていない(注19)。山陽自動車道福山東インターチェンジ〜福山西インターチェンジ間の距離は16.9kmと山陽自動車道では徳山東インターチェンジ(周南市久米)〜徳山西インターチェンジ(周南市戸田〔へた〕)間(18.0km)に次いで長くなっているが、現在福山サービスエリア(福山市津之郷町津之郷)にスマートインターチェンジを設置する計画があり、早ければ2017年度(平成29年度)には供用を開始する予定になっている。一方で山陽自動車道福山東インターチェンジ〜福山西インターチェンジ間は長いトンネルがいくつもあるため通行には注意が必要である(現に過去には多数の死傷者を出す事故がその中の一つのトンネルで起きている)。
尾道・福山自動車道
西瀬戸自動車道1991年(平成3年)12月8日因島(いんのしま。尾道市)と生口島(いくちじま。尾道市)を結ぶ生口橋(全長:790m)を含めた部分、すなわち因島南インターチェンジ(尾道市因島田熊町)〜生口島北インターチェンジ(尾道市因島洲江〔いんのしますのえ〕町)間が開通。この区間の開通により生口島が尾道大橋・因島大橋・生口橋を介して本土と結ばれることになった。西瀬戸自動車道(正式名称は本州・四国連絡橋尾道・今治ルート。愛称は瀬戸内しまなみ海道)は基本上下4車線で整備されることになっているが、この生口橋だけは両側に自転車・歩行者専用道路(県道466号向島・因島・瀬戸田自転車道線)が設置されている関係上上下2車線で整備されていることが特色と言える(恐らく今後も上下4車線化されることはないだろうが)。西瀬戸自動車道の整備の進展で仮出入口扱いだった因島南インターチェンジの処遇が憂慮されたが今治方面との出入しかできないハーフインターチェンジとして残されたこと(注20)は喜ばしいことである。生口橋の少し南には現在も三光汽船(尾道市因島洲江町)が生口橋の通行料金よりも安い運賃を売りにして国道317号線の海上寸断区間を結ぶフェリーボートを就航させており、こちらも利用する方は少なくない(但し土曜日・日曜日・祝日・正月三が日は全便運休となる)。
20周年広島・呉道路1996年(平成8年)8月30日坂北インターチェンジ(安芸郡坂町横浜中央一丁目)〜天応東インターチェンジ(呉市天応塩谷町)間が開通。これにより国道31号線のバイパスとして計画された広島・呉道路は全線開通した。開通区間の起点となる坂北インターチェンジと開通区間の終点となる天応東インターチェンジ、更に新規開通区間にある坂南インターチェンジ(安芸郡坂町植田四丁目)と天応西インターチェンジ(呉市天応伝十原町)はいずれもハーフインターチェンジになっていることが特徴(坂北・天応西両インターチェンジは広島方面との出入のみ、坂南・天応東両インターチェンジは呉方面との出入のみ可能)。全線開通と同時にクレアラインという愛称も付けられたが、高い通行料金が災いして交通量は伸び悩んでいる。今後の課題としては通行料金の引き下げは当然のこと、国道185号線休山新道や東広島・呉自動車道との連携の強化が挙げられよう。
県道62号庄原・作木線
便坂トンネル
1996年(平成8年)11月12日三次市布野地区と三次市作木地区の間にある難所・便坂に建設されたトンネルで全長は1,402m。三次市中心部と三次市作木地区を往来する場合、かつては国道375号線経由でも国道54号線→県道62号庄原・作木線経由でもすれ違いが困難な狭い道を延々とたどらなければならなかったのだが、この便坂トンネルの開通でようやく三次市中心部と三次市作木地区を結ぶ立派な道が確保されることになった。広域的に考えれば三次市中心部と島根県邑智郡邑南町羽須美地区や島根県邑智郡美郷町を往来するのに有用な道にもなったわけであるが、これらの道路整備が昨秋浮上したJR三江線の全線廃止問題の遠因になったことは否めないであろう。
15周年県道391号加茂・福山線
郷分バイパス
2001年(平成13年)3月27日福山市北部の芦田川の屈曲部を短絡する目的で福山市御幸町森脇(もりわけ)〜福山市郷分町間に建設されたバイパス。バイパスの終点となる福山市郷分町/大渡橋西詰交差点で福山市御幸町森脇を起点とする県道378号御幸・松永線と接続するので県道378号御幸・松永線のバイパスとしても良かったはずなのだが、芦田川左岸土手を通る道が福山市に移管されることについて何らかの不都合があったからか県道391号加茂・福山線とされている。途中の石原トンネルを含めて全線上下4車線で整備されたのは良いのだが福山市郷分町/大渡橋西詰交差点以東の整備が進んでおらず、福山市郷分町/大渡橋西詰交差点を先頭に南行きはよく混むことがある。途中の福山市御幸町森脇/森脇橋南詰交差点で福山市立動物園(福山市芦田町福田)や尾道自動車道尾道北インターチェンジ(尾道市御調〔みつぎ〕町大町)に通じる芦品広域農道を分岐することを考えると大渡橋の上下4車線化(現在は西行き車線のみ供用されている)や福山市御幸町中津原以南の早期建設(福山市久松台方面に延伸する案と福山市千田町薮路で国道313号線に出る案があるがどちらも一長一短がある)が望まれるところであるが残念ながら進展は見られない。なお、上り方向(加茂方面)に進むと石原トンネルの中から神辺平野を前方に望めるのだが、その都市化の進展ぶりには驚かされる。
広島高速4号線2001年(平成13年)10月2日中広出入口(広島市西区中広町一丁目)〜沼田出入口(広島市安佐南区大塚東町)間が開通。開通区間の約8割を西風トンネル(全長:約3.9km)が占めており、実質的には有料道路トンネルといった趣である。この広島高速4号線の開通により広島市中心部と山陽自動車道五日市インターチェンジ(広島市佐伯区五日市町石内)や広島西風新都(広島市が安佐南区と佐伯区の境付近で進めている都市開発)、広島広域公園(広島市安佐南区大塚西五丁目)などとの距離が短縮され、利便性が向上した。現在は広島高速の路線で唯一他の路線との接続がなく、孤立しているが、山陽自動車道五日市インターチェンジへの延伸などが検討されている。
県道75号三原・竹原線
小吹山トンネル
2001年(平成13年)11月12日三原市中心部と竹原市中心部を直線的に結ぶことを目的に県道360号甲原・新倉線(1960〜1976)を発展的解消させて発足した県道75号三原・竹原線の通行不能区間(三原市小泉町)を解消すべく建設されたトンネルで全長は145m。ふつう山で隔てられている自治体の境にあるトンネルは坂を上り詰めた先にあることが多いが、このトンネルは三原側・竹原側双方とも急な坂を下った先にあるのが特徴と言える(ちなみに県道75号三原・竹原線の最高地点はトンネルから1kmほど竹原方面に進んだところにある)。路線認定から四半世紀を経てようやく三原市中心部と竹原市中心部を直線的に結ぶ幹線道路が日の目を見た…と言いたいところなのだが残念ながら小吹山トンネル開通当時県道75号三原・竹原線には未改良箇所が多数残されており、曲がりなりにも有用な道になるには更に10年近い年月が必要だった。
10周年県道286号中大迫・清田線2006年(平成18年)2月13日倉橋島東部にある呉市倉橋町大迫地区と呉市音戸町先奥三丁目を結ぶ県道286号中大迫・清田(せいだ)線は1972年(昭和47年)11月1日に広島県で県道標識(正式名称は都道府県道番号)導入に伴う路線番号再編が実施されてから最初の路線異動となった1972年(昭和47年)11月24日広島県告示第983号により認定された県道路線の一つである(注21)が、認定当時から倉橋島中部の呉市倉橋町脇田〜呉市倉橋町長谷間が未開通のまま置かれていた。倉橋島は呉市倉橋町に入ると実質的に県道35号音戸・倉橋線しか幹線道路がない状態になっていたため呉市倉橋町南東部、言い換えれば倉橋島南東部の大迫地区や鹿老渡地区、鹿島地区に住む方にとっては呉市や広島市に通じる道路の複数化が切実な問題になっていたが、費用対効果の問題や広島県の財政事情の悪化などから開通には30年以上の歳月がかかってしまった。県道286号中大迫・清田線はこれにより全線開通を果たしたのだが、未改良箇所があまりにも多く、有用な路線には未だなり得ていない。瀬戸内海の眺望が良い箇所があるのが救いだが、前記の事情により知る人ぞ知る存在になっているのが残念なところである。
県道75号三原・竹原線
小梨バイパス
2006年(平成18年)3月29日県道75号三原・竹原線の竹原市小梨町〜竹原市本町一丁目(終点)間の狭隘箇所を解消する目的で建設された道路。この道路の開通により竹原市内の県道75号三原・竹原線は全線の改良が完成し、県道75号三原・竹原線三原方面と国道185号線呉方面が右左折を経ずに往来できるようになった(注22)。県道75号三原・竹原線を三原方面から進んできた場合竹原市中心部が眼下に見える箇所があり、かなり高いところを通っていることを実感できるのだが、屈曲を入れて高度を稼いでいる道であるためくれぐれも脇見運転はしないよう留意して頂きたいものである。
国道317号線
生口島道路
2006年(平成18年)4月29日生口島北インターチェンジ〜生口島南インターチェンジ(尾道市瀬戸田町荻)間が開通。本州・四国連絡橋尾道・今治ルート(別称:西瀬戸自動車道。愛称:瀬戸内しまなみ海道)は1999年(平成11年)5月1日に全線開通したとされているが、それは橋梁の部分のことであり、本州四国連絡橋公団(現:本州四国連絡高速道路〔神戸市中央区小野柄通四丁目〕)の経営難などにより生口島と大島(今治市)については自動車専用道路の建設が先送りされていた。国道317号線生口島道路開通の5日前には国道317号線大島道路も開通していたので国道317号線生口島道路開通をもってようやく本州・四国連絡橋尾道・今治ルートは正式に全線開通となり、尾道市と今治市を自動車専用道路だけで往来できるようになった。なお、生口島道路と大島道路は建設省→国土交通省が建設したため通行料金はかからないのだが、生口島北インターチェンジと大島北インターチェンジ(今治市宮窪町宮窪)は尾道方面との出入しか、生口島南インターチェンジと大島南インターチェンジ(今治市吉海町名〔みょう〕)は今治方面との出入しかそれぞれできないため無料区間(生口島北インターチェンジ〜生口島南インターチェンジ間、大島北インターチェンジ〜大島南インターチェンジ間)だけの通行はできない。
広島高速1号線
(県道472号広島東インター線)
2006年(平成18年)10月16日山陽自動車道広島東インターチェンジ〜馬木出入口(広島市東区馬木町)間が開通。これにより広島高速1号線は全線開通となったのだが途中にある福木トンネルの上にある民家で地盤沈下が起きたことが全国ネットのワイドショーや報道番組で取り上げられたことで(悪い意味で)広く知られるようになってしまった。この問題が広島高速1号線と温品ジャンクション(広島市東区温品一丁目)で接続する広島高速5号線(県道474号温品・二葉の里線)の建設反対運動にも影響したことはよく知られているが、トンネル建設に当たっては井戸水が枯れたとか地下水脈が乱されたとか滝を流れる水の量が減ったとかいう話が各所で起きており、影響なく建設することの難しさを感じさせる。なお、新規開通区間の途中には一箇所だけ出入口(福田出入口〔広島市東区福田町〕)が設けられているが、福田出入口にしても馬木出入口にしても広島市中心部・呉・海田方面との出入しかできないようになっているため新規開通区間だけを通るということはできない。
5周年広島中央フライトロード
(県道49号本郷・大和線)
2011年(平成23年)4月20日空港インターチェンジ(三原市本郷町善入寺)〜棲真寺(せいしんじ)インターチェンジ(三原市大和町平坂)間が開通。これにより県道49号本郷・大和線は認定以来18年かかってようやく全線が自動車で通行できるようになり、世羅郡世羅町方面と広島空港(三原市本郷町善入寺)を往来するのが便利になった。開通区間のハイライトは何と言っても日本最大のアーチ橋として知られる広島空港大橋(愛称:広島スカイアーチ。全長:800m)である。JR山陽本線と県道33号瀬野川・福富・本郷線、沼田(ぬた)川を一気に跨ぐこの橋は川面からの高さが200mもあり、西方にある東広島市河内地区の中心部からも見ることができる。
山口県50周年国道2号線
岩国バイパス
1966年(昭和41年)6月25日岩国市錦見(にしみ)一丁目〜岩国市岩国五丁目間に建設されたバイパスで、途中には岩国隧道(全長:361m)がある。かつての国道2号線(国道187号線重用)は岩国市立岩国小学校(岩国市岩国三丁目)のすぐ北側や錦帯橋のすぐそばを通っていたのだが岩国市岩国地区中心部を通過していたことや何度も右左折を繰り返していたこと、岩国市を代表する観光名所・錦帯橋のそばを通ることから渋滞が頻発していた。1972年(昭和47年)に欽明路有料道路(1972〜1987。現:県道15号岩国・玖珂線)が開通すると広島方面と周南方面を往来する自動車はあまり通らなくなったが、現在でも岩国市中心部と山陽自動車道岩国インターチェンジ(岩国市多田)やJR山陽新幹線新岩国駅(岩国市御庄)、岩国市錦・本郷・美川・美和各地区、島根県西部を結ぶ幹線道路としての地位は揺るぎないものになっている。
40周年大島大橋1976年(昭和51年)7月4日本土(柳井市大畠地区)と周防大島(屋代島)の間にある大島瀬戸に架けられた橋で全長は1,020m。大島大橋が架かる前は周防大島(屋代島)には鉄道路線は通っていなかったにもかかわらずJR山陽本線大畠駅(柳井市神代)と小松港(大島郡周防大島町小松)を結ぶ国鉄連絡船(大島連絡船)が設定されていた(注23)が、大島大橋開通と引き換えに廃止されている。開通当時は有料道路だったが本土と周防大島(屋代島)や沖家室島を往来する自動車が多数通ったことから交通量は多く、開通20周年を迎える少し前(1996年〔平成8年〕6月1日)に無料開放されている。また通っている道路も県道102号大島・玖珂線(1958〜1976)→県道6号大島・玖珂線(1976〜1983)→国道437号線(1982〜)と変遷しているが一般県道→主要地方道→国道と出世しているところを見るとその重要性がうかがえる。なお、1980年代中期の頃のことであるが中学校で使用する技術・家庭科の教科書に橋桁が設置されるところの写真が掲載されていた(どの出版社だったかは忘れたが私の出身中学校で使用されていた教科書である)。
30周年山陽自動車道1986年(昭和61年)3月27日徳山西インターチェンジ〜防府東インターチェンジ(防府市下右田)間が開通。山口県内の山陽自動車道としては初めての開通となる。徳山西インターチェンジ・防府東インターチェンジとも国道2号線と接続することや周南市と防府市の境には難所とされた椿峠があることなどから国道2号線のバイパスとしての役割が期待されたが有料道路である上に記すまでもなく徳山西インターチェンジ以東や防府東インターチェンジ以東には行けなかったため開通当初の交通量は低迷した。高速道路としての機能を十分に発揮するようになるのは平成時代に入ってからである。またそのせいか計画されていた富海(とのみ)パーキングエリア(防府市富海)の供用開始は先送りされ、開通から18年も経った2004年(平成16年)春になってようやく供用を開始した。富海パーキングエリア付近から瀬戸内海や国東(くにさき)半島が眺められることや防府東インターチェンジのはるか手前から国道2号線防府バイパスと並走することが新規開通区間の見どころである。
25周年国道315号線
須佐バイパス
1991年(平成3年)3月15日萩市須佐に建設されたバイパス。周南市と萩市須佐地区を結ぶ中国山地横断国道路線(陰陽連絡国道路線とも称する)である国道315号線の終点直前の萩市須佐での道路改良を目的として建設された。バイパスの見どころは何と言っても途中にある須佐大橋(全長:313m)である。唐津谷と称される谷の上に架けられたアーチ橋は萩市須佐地区の新たなシンボルとなった。ところで開通したのは1991年(平成3年)3月15日であるが、まさか国道315号線だから開通日を3月15日にしたのではないかと思うのは私だけだろうか。
国道188号線
下松バイパス
1991年(平成3年)3月19日下松市内の国道188号線の渋滞解消を目的として建設されたバイパスで、下松市東豊井〜下松市西豊井間が開通して全線開通した。自動車専用道路には指定されていないが新規開通区間は立体交差が多いことが特徴。下松バイパスが全線開通した結果国道188号線は周南市内での単独区間がなくなったが、そのことを契機として1992年(平成4年)4月3日政令第104号に基づく国道路線再編により1993年(平成5年)4月1日から起点と終点が変更された(それまでは周南市→岩国市だったが1993年〔平成5年〕4月1日以降は岩国市→下松市となった)。現在は国道2号線周南バイパスとの接続点の立体交差が完成し、国道188号線下松バイパスと国道2号線周南バイパスを連続して走ることができるようになったが、一方では全線開通から四半世紀経ったのに未だに全線の上下4車線化が完成していないこと(注24)やバイパス全線開通に伴う旧道処分で国道188号線下松旧道を起終点としていた主要地方道路線に対して配慮を欠くようなことをしたこと(注25)が問題である。
15周年山陽自動車道2001年(平成13年)3月11日宇部・下関線と称される部分で、宇部ジャンクション(宇部市東岐波)〜下関ジャンクション(下関市吉田地方)間全線が開通した。途中には三つのインターチェンジ(宇部インターチェンジ〔宇部市善和〕・小野田インターチェンジ〔山陽小野田市千崎〕・埴生〔はぶ〕インターチェンジ〔山陽小野田市埴生〕)と一つの休憩所(周防灘パーキングエリア〔山陽小野田市津布田〕)がある。山陽自動車道として初めて暫定上下2車線で整備されたことと下関ジャンクションは山陽自動車道宇部方面と中国自動車道福岡方面が本線になるよう改造されたことが特徴。山口県第二の都市・宇部市(注26)にとっては待望の高速道路とはなったのだが、宇部ジャンクション以東の建設のメドが立たないことや宇部インターチェンジは広島方面または福岡方面と宇部市中心部を往来する場合遠回りになって使えないこと、2012年(平成24年)春の山口・宇部有料道路の無料開放の際宇部インターチェンジの広島寄りのところに料金所を設置したために広島方面から来て宇部インターチェンジで降りる自動車はわずか数百mの間に二度料金所を通らざるを得なくなったこと、下関市・山陽小野田市と山口宇部空港(宇部市沖宇部)を結ぶ道路としての機能が期待されたが下関市から近いところに北九州空港(北九州市小倉南区空港北町)があるために期待したほどにはなっていないことが問題になっている。私としては宇部インターチェンジは広島方面に延びれば利便性は向上すると見ているし、山口市〜下関市間の中国自動車道は山岳道路であり、交通事故が多く発生していることから山口南インターチェンジ(山口市鋳銭司〔すぜんじ〕)〜宇部ジャンクション間の山陽自動車道は建設しても良いのではないかと考えているのだが実現の見通しは暗い(注27)
県道212号山口・阿知須・宇部線2001年(平成13年)6月2日椹野(ふしの)川右岸に沿って建設された、山口市と宇部市を結ぶ新しい幹線道路。特に山口市小郡下郷〜山口市阿知須間は高規格な立体交差道路として建設されており、途中には干見折(ひみおり)インターチェンジ(山口市嘉川。山口市道を介して県道199号開作・上嘉川停車場線と接続)・浦辺インターチェンジ(山口市江崎)・相原インターチェンジ(山口市江崎)・唐樋インターチェンジ(山口市深溝)・渚インターチェンジ(山口市佐山)・阿知須東インターチェンジ(山口市阿知須。県道25号宇部・防府線と接続)が設けられている。2001年(平成13年)夏に山口市阿知須で開催された山口きらら博では重要なアクセス道路として機能したが、その後は国道9号線との直接接続を果たしており、現在では国道9号線と併せて山口市を南北に横断する幹線道路として機能している。難点としては高規格な道が山口市阿知須で終わっており、国道190号線との往来がややこしいこと(案内が不十分で右左折を何度か経る必要があるため)であるが、宇部市方面に延ばす考えがあるのか、それとも山口市阿知須で打ち切るのか気になるところである。
10周年国道2号線
埴生バイパス
2006年(平成18年)7月29日山陽小野田市山野井と下関市松屋東町一丁目を結ぶバイパスで、山陽小野田市埴生(はぶ)〜下関市松屋東町一丁目間が開通して全線開通を果たした。通常厚狭(あさ)・埴生バイパスと称されるが、厳密には山陽小野田市津布田〜山陽小野田市山野井間で現道を通っているため本サイトでは厚狭バイパスと埴生バイパスを分けている。埴生バイパスの全線開通により山陽小野田市埴生地区の渋滞が解消された他中国地方唯一のオートレース場である山陽オートレース場(山陽小野田市埴生)や山陽自動車道埴生インターチェンジ(山陽小野田市埴生)、JR山陽本線埴生駅(山陽小野田市埴生)へのアクセスが改善された。
5周年国道490号線
小郡・萩道路
2011年(平成23年)1月29日
2011年(平成23年)5月28日
1月29日に十文字インターチェンジ(美祢市美東町綾木)〜秋吉台インターチェンジ(美祢市美東町綾木。美祢東ジャンクション〔美祢市美東町真名〕方面との出入のみ可能)間が、5月28日に秋吉台インターチェンジ〜大田インターチェンジ(美祢市美東町大田)〜絵堂インターチェンジ(美祢市美東町赤)間がそれぞれ開通。これにより国道490号線小郡・萩道路は美祢東ジャンクション〜絵堂インターチェンジ間が一本の道に繋がり、中国自動車道から一般道路に降りることなく美祢市美東地区北部まで行けるようになった他広島方面から美祢市随一の観光地である秋吉台や秋芳洞(あきよしどう。「しゅうほうどう」ではない)に更に行きやすくなった。ただ、一方で理解に苦しむような美祢市秋芳・美東地区の国道路線・県道路線再編が秋吉台インターチェンジ〜絵堂インターチェンジ間開通と同時に実施されたことはあまり知られていない(注28)。なお、十文字インターチェンジ〜絵堂インターチェンジ間は無料で通行できる。
山口・宇部道路
(県道6号山口・宇部線)
2011年(平成23年)7月31日朝田インターチェンジ(山口市朝田)〜嘉川インターチェンジ(山口市佐山)間が開通。途中には流通センターインターチェンジ(山口市小郡上郷)と長谷インターチェンジ(山口市嘉川)がある。朝田インターチェンジ〜嘉川インターチェンジ間の開通により山口・宇部道路はようやく全線開通を果たしたのだが、計画の変更により嘉川インターチェンジを境に有料区間(嘉川インターチェンジ以南)と無料区間(嘉川インターチェンジ以北)が分かれることになった。しかし、翌2012年(平成24年)3月28日をもって有料区間は無料化され、山口・宇部道路は全線が無料で通行できるようになった。朝田インターチェンジは国道9号線(益田方面との出入のみ)や県道204号宮野・大歳線(国道9号線旧道)と接続しているため山口・宇部道路の全線開通と山口・宇部有料道路の無料開放により山口市中心部と宇部市中心部や山口宇部空港との往来に有用な幹線道路になったが、今春には中国自動車道との接続も実現することになっており、更なる飛躍が期待されている。
宇部湾岸道路
(県道6号山口・宇部線)
2011年(平成23年)8月21日西中町インターチェンジ(宇部市西中町)〜藤曲インターチェンジ(宇部市藤曲)間が開通。地域高規格道路山口・宇部・小野田連絡道路の一部を構成する宇部湾岸道路(愛称:宇部スカイロード)としては初めての開通となった。自動車専用道路としては宇部市中心部から厚東(ことう)川の手前(東側)までと中途半端な格好での開通となったが、藤曲インターチェンジからは宇部市妻崎開作まで同時開通の一般道路が延びており、今春中国地方6番目の市立四年制大学として新たな歴史を刻み始める山口東京理科大学(山陽小野田市大学通一丁目。今年4月1日山陽小野田市立山口東京理科大学に改称)方面へ進めるようになっている。宇部湾岸道路はその後2013年(平成25年)に東須恵インターチェンジ(宇部市東須恵)までの西進を果たしているが、西中町インターチェンジからの東進については宇部市中心部を通過することもあって今のところメドが立っていない。
山陰自動車道
(国道191号線萩・三隅道路)
2011年(平成23年)9月23日萩インターチェンジ(萩市椿)〜明石(あけいし)インターチェンジ(萩市三見)間が開通。途中に三見インターチェンジ(萩市三見)がある他明石インターチェンジは道の駅萩・さんさん三見(萩市三見)を併設している。2008年(平成20年)に三見インターチェンジ〜三隅インターチェンジ(長門市三隅中)間が開通していたので国道191号線萩・三隅道路は全線開通したことになり、萩市と長門市の間にある難所・鎖峠を通らずに萩市と長門市を往来できるようになったのだが、残念ながら萩インターチェンジ以東及び三隅インターチェンジ以西の山陰自動車道の計画も萩インターチェンジで接続することになるものと思われる国道490号線小郡・萩道路の計画も進展を見ていない。山口県随一の観光地である萩市は当面の間高速道路網から孤立する格好になるわけであるが、何とかならないものかという気がする(もし今着手したとしても開通するのは2020年代中期になることだろうが…)。

市区郡町村編

発足○周年を迎える市区町村(現存するもののみ掲載)

県名周年市区町村名発足年月日備考
鳥取県60周年境港市1956年(昭和31年)4月1日西伯郡境港町が市制施行してして発足。
島根県75周年出雲市1941年(昭和16年)11月3日簸川郡出雲町が市制施行して発足。
岡山県120周年小田郡矢掛町1896年(明治29年)2月26日小田郡矢掛村が町制施行して発足。
都窪郡早島町1896年(明治29年)2月26日都宇郡早島村が町制施行して発足。
115周年和気郡和気町1901年(明治34年)2月6日和気郡和気村が町制施行して発足。
45周年備前市1971年(昭和46年)4月1日和気郡備前・三石両町が統合して発足。
10周年浅口市2006年(平成18年)3月21日浅口郡鴨方・金光・寄島各町が統合して発足。
広島県100周年福山市1916年(大正5年)7月1日深安郡福山町が市制施行して発足。
80周年三原市1936年(昭和11年)11月15日豊田郡須波・田野浦両村、御調郡糸崎・三原両町及び西野・山中両村が統合して発足。
60周年安芸郡海田町1956年(昭和31年)9月30日安芸郡海田市・東海田両町が統合して発足。
山口県95周年宇部市1921年(大正10年)11月1日厚狭郡宇部村が市制施行して発足。
熊毛郡田布施町1921年(大正10年)2月11日熊毛郡田布施村が町制施行して発足。
80周年防府市1936年(昭和11年)8月25日佐波郡中関・防府両町及び華城・牟礼両村が統合して発足。

今年は何と言っても中国地方第四の都市である福山市が市制施行100周年を迎えることが大きい。

ラジオ編

開局(本放送開始)○周年を迎える放送局(現存するもののみ掲載)

周年放送局名/所在地開局年月日備考
85周年NHK岡山放送局
(岡山市北区駅元町)
1931年(昭和6年)2月1日現在の日本放送協会としては中国地方では広島放送局(広島市中区大手町二丁目)に次いで開局した放送局。記すまでもないがテレビ・ラジオとも岡山県を放送区域としている(テレビについては唯一の存在)。かつては山陽放送(RSK、岡山市北区丸の内二丁目)本社のそばに演奏所を置いていたが、2005年(平成17年)夏にJR山陽新幹線・山陽本線・宇野線・吉備線・津山線岡山駅(岡山市北区駅元町)の西口にある高層ビルに移転した。
80周年NHK鳥取放送局
(鳥取市寺町)
1936年(昭和11年)12月14日現在の日本放送協会としては中国地方では広島放送局・松江放送局(松江市灘町)・岡山放送局に次いで開局した放送局。記すまでもないがテレビ・ラジオとも鳥取県を放送区域としている(テレビ・ラジオとも唯一の存在)。
75周年NHK山口放送局
(山口市中園町)
1941年(昭和16年)4月19日現在の日本放送協会としては中国地方では最後に開局した放送局。開局当初はなぜか県庁所在地の山口市ではなく防府市に演奏所が置かれていたが、第18回国民体育大会(1963年〔昭和38年〕)の開催(注29)を控えて1962年(昭和37年)に山口市に移転した(その後2005年〔平成17年〕に現在地に新築移転している)。
60周年山口放送
(KRY、周南市徳山)
1956年(昭和31年)4月1日中国地方最後発の民間中波放送局。山口県初の民間放送局が県庁所在地の山口市や県内最大の都市である下関市ではなく徳山市(1935〜2003。現:周南市)で開局したのは山口市や下関市への対抗意識があったことや徳山市は平地こそ少ないが山口県のほぼ中央部に位置していること、山口市や下関市は県を代表する都市ではあったが中枢性が脆弱だったこと(だからといって徳山市が中枢性が高いというわけでもない)、そして徳山市が重化学工業都市として発展していたことが背景にあったものと考えられる。この結果、山口県は県庁所在地である山口市に山口県を放送区域とする放送局の演奏所が設けられないという珍しい状況が生じることになった(但し1962年〔昭和37年〕にNHKが防府市から山口市に移転してこの状態は解消された)。1980年代前半に中国自動車道が県内を貫通したのにラジオの終夜放送を見送り続けるなどお堅い姿勢が垣間見える放送局ではある(注30)が、テレビの音声多重放送を中国地方で初めて始めたり(注31)テレビ・ラジオとも終夜放送に移行させたり(注32)エフエム補完放送に積極的な態度を見せたりするなど意外と先進的な一面も持っている。
30周年エフエム山陰
(松江市殿町)
1986年(昭和61年)10月1日鳥取・島根両県を放送区域とする都道府県域民間エフエム放送局として開局。日本で初めての複数の都道府県を放送区域とする民間エフエム放送局となったが、鳥取県・島根県とも人口が少ないことや経済基盤が脆弱なこと、鳥取県と島根県は他の民間放送局でも放送区域が統合されており(注33)、鳥取・島根両県を放送区域とする都道府県域民間エフエム放送局が開局しても問題はないだろうと考えられたことからそのようになったものと思われる。経済基盤の脆弱な地域を放送区域とする民間エフエム放送局故に独立した社屋を持たなかった(注34)り中国地方で最大の放送区域面積を有するのに中継局はわずか3箇所(松江・鳥取・浜田)しか設置しなかった(注35)りするなど厳しい状況からのスタートとなったが、今日では中継局の数や一週間の放送時間(注36)などで対抗局の山陰放送ラジオ(BSS、米子市西福原一丁目)に勝っている面も少なくない。山陰地方に住み、山陰地方を中心に活動している歌手(安来のおじや六子〔ろこ〕、など)が担当する番組が多いことが特色と言えるが、地形的な問題から遠距離受信が困難なことや諸事情からradikoに未だに参入していないこと(注37)が残念なところである。
20周年エフエムふくやま
(福山市西町二丁目)
1996年(平成8年)8月8日中国地方で初めて開局したコミュニティ放送局で愛称はレディオBINGO。広島県第二の都市である福山市には当然のことながら広島県を放送区域とする民間放送局の本社は存在せず(注38)、中国放送(RCC、広島市中区基町)の福山支社(福山市北美台)が福山・府中・三原各中波中継局のみで流すラジオのワイド番組を制作する程度にとどまっていたが、これらのことが1992年(平成4年)に制度化されたコミュニティ放送局開局への動機になったものと思われる。本局は福山市中心部の北東に聳(そび)える蔵王山(標高:225.3m)の中腹ではなく福山市中心部の南西に聳える彦山(標高:429.7m)の山頂に置いているが、福山市だけでなく周辺地域(井原市・笠岡市・尾道市・府中市)を視野に入れた放送局という立ち位置で開局させたことがうかがえる(注39)。その後近隣地域で開局したコミュニティ放送局と比較すると自社制作番組が多く、人口が多い都市のコミュニティ放送局であることを感じさせている。しかし、一方では土曜日午後0時〜月曜日午前6時の42時間にわたりJ-WAVE(東京都港区六本木六丁目)を流し続けていること(注40)や岡山市・倉敷市・広島市・下関市にあるコミュニティ放送局と比べると番組が貧弱な感が否めないこと、若年者向けの番組が少ないこと、彦山の山頂が山で隠れる地域(芦田川河口付近や沼隈半島南部など)での受信状況が良くないこと、近隣のコミュニティ放送局との関係が薄いことなどが課題である。福山商工会議所(福山市西町二丁目)が後ろ盾にいることから廃業や放送の無期限休止といった残念な結果になることはないだろうが経営基盤強化のためにも例えば演奏所をもう少し目立つような場所に移すとか福山市内でケーブルテレビを運営している光パーフェクTV! から回線を引き継いで自主放送チャンネルを持ったケーブルテレビの運営に乗り出すなどの施策が求められよう。
エフエム萩
(萩市江向)
1996年(平成8年)8月8日エフエムふくやまと同じ日(但し本放送開始はエフエムふくやまがわずかだが早かった)に開局した、山口県初のコミュニティ放送局で愛称はFM NANAKO。開局当初は終夜放送を実施していなかったが、後にエフエムふくやまと同じくJ-WAVEの再送信を行うことで終夜放送を実施するようになった。萩市は平成の大合併で阿武郡に属する多くの町村と統合して新生を期したが、経営基盤の弱さや地形的な問題から平成の大合併で萩市の一部になった地域や阿武郡阿武町では受信しにくい地域が残っているのが課題と言えよう。
エフエムくらしき
(倉敷市白楽町)
1996年(平成8年)12月24日岡山県初のコミュニティ放送局として開局したが、実は岡山県初の民間エフエム放送局でもある。開局当時まだ岡山エフエム放送(岡山市北区中山下一丁目)が開局していなかったからである(注41)。また、開局当初から中継局を設置していたことも特筆すべきことと言える。倉敷市が人口の多い工業都市であることもあってか自社制作番組が多いのが特徴で、「平成健康アラカルト」(2009〜2014年〔平成21〜26年〕放送)は岡山エフエム放送でも放送されていたほどであった。エフエムくらしきの開局8日後に開局し、倉敷市内でも十分受信できる岡山シティエフエム(愛称:Radio momo。岡山市北区中山下二丁目)との住み分けを図っていることも注目されるところである(注42)
10周年エフエムゆめウェーブ
(笠岡市笠岡)
2006年(平成18年)5月1日浅口市と笠岡市、浅口郡里庄町でケーブルテレビを運営している笠岡放送(笠岡市笠岡)が中心になって開局したコミュニティ放送局。本社と演奏所(浅口市鴨方町鴨方)が別々の場所にあることが特徴。ケーブルテレビ業者が後ろ盾にはあるのだが岡山市や倉敷市ほどの人口がない地域であることや経済基盤が脆弱であること、岡山市・倉敷市・福山市のストロー効果を受けている地域であることから自社制作番組は多くない。また、尾道エフエム放送(尾道市土堂二丁目)と周波数が近接しており、差別化が図れていないという問題もある(注43)。開局10周年を迎えることを契機に何らかの新展開を望みたいところなのだがどうであろうか。
FM鳥取
(鳥取市東品治町)
2006年(平成18年)8月25日鳥取県初のコミュニティ放送局として開局。愛称はRADIO BIRD。このFM鳥取の開局により中国地方各県に一つはコミュニティ放送局が存在するようになった。鳥取県の県庁所在地である鳥取市は民間テレビ放送局、すなわち日本海テレビジョン放送(NKT、鳥取市田園町四丁目)の本社こそあるが民間ラジオ放送局の本社はそれまで一切なく、コミュニティ放送局の開局でようやく民間ラジオ放送局の本社のない都道府県庁所在地ではなくなった。鳥取市は平成の大合併で市域を大きく拡大しているが、中継局が全く整備されていないのが難点である。
5周年FM東広島
(東広島市西条下見六丁目)
2011年(平成23年)10月8日現時点で広島県で最も新しいコミュニティ放送局。開局した日は東広島市中心部で毎年10月の第二土曜日・日曜日に開催される酒まつりの一日目でもあった。演奏所は学園都市・東広島市の象徴的存在である国立広島大学(東広島市鏡山一丁目)のすぐ近くにあることや東広島市の各所に中継局を設置していること(中継局の数は中国地方にあるコミュニティ放送局では最多の6箇所)が特徴と言える。また、五日市コミュニティ放送(愛称:エフエムななみ。広島市佐伯区皆賀四丁目。2004〜2007)の廃業後に開局したこともあって終夜放送には一切手を出していない。

注釈コーナー

注1:1966年(昭和41年)11月22日鳥取県告示第644号によると常時通行料を徴収するわけではなく、4月1日〜9月30日は午前7時〜午後7時だけ、10月1日〜翌年3月31日は午前8時〜午後5時30分が通行料を徴収する時間となっていた。恐らくその他の時間は無料で通れたものと思われる。

注2:1969年(昭和44年)8月29日鳥取県告示第506〜508号の内容は下表の通りである。

告示番号内容備考
506県道199号三朝温泉・木地山線と県道200号小畑・青谷線、県道201号青谷停車場・井手線、県道202号八束水・勝見線の認定。県道199号三朝温泉・木地山線は県道188号三朝高原線を延長して発足。
県道200号小畑・青谷線と県道201号青谷停車場・井手線は県道47号青谷停車場線と県道89号小畑・青谷停車場線を再編して発足。
県道202号八束水・勝見線は国道9号線の旧道処分により発足。
県道200号小畑・青谷線は県道280号俵原・青谷線発足により1976年(昭和51年)に廃止されたが、残った3路線は現在も存続している(但し県道199号三朝温泉・木地山線は県道273号三朝温泉・木地山線に、県道201号青谷停車場・井手線は県道274号青谷停車場・井手線に、県道202号八束水・勝見線は県道275号八束水・勝見線にそれぞれ改称されている)。
507県道47号青谷停車場線と県道89号小畑・青谷停車場線、県道188号三朝高原線の廃止。
508県道199号三朝温泉・木地山線と県道200号小畑・青谷線、県道201号青谷停車場・井手線、県道202号八束水・勝見線の区域決定。

注3:県道188号三朝高原線が県道273号三朝温泉・木地山線に発展的解消を遂げた理由ははっきりしないが、私は津山方面から東伯郡三朝町の主たる観光地へ容易に行けるようにしようとしたのではないかと考えている。そのように考えた理由は次の通りである。
・中国自動車道の建設が進められていたこと。
・中国自動車道と倉吉市を結ぶ国道179号線の整備が進められていたこと。
・東伯郡三朝町の主たる観光地である三朝温泉や小鹿渓(おしかけい。東伯郡三朝町神倉〔かんのくら〕)は津山方面から行こうとした場合、山に阻まれて西方に大きく迂回しなければならなかったこと。
・三朝高原道路は三朝高原や三朝カントリー倶楽部(東伯郡三朝町大瀬。1964〜2014)と三朝温泉や県道21号鳥取・鹿野・倉吉線を結ぶ道路であったがそれだけでは通行量が低迷する恐れがあったこと。
興味深いのは小鹿渓と県道21号鳥取・鹿野・倉吉線を結んでいた県道69号小鹿渓線(一般県道。1958〜1971)が1971年(昭和46年)に鳥取市佐治町中まで延長され、県道208号中・三朝線(1971〜1972)に発展的解消を遂げたことである(その後1972年〔昭和47年〕に主要地方道に昇格し、県道33号三朝・中線〔現在の名称〕となった)。東伯郡三朝町で完結していた観光地に通じる県道路線が二つも延長され、広域路線に発展的解消を遂げたのはやはり東伯郡三朝町が観光を主要産業として振興を図りたかったことがあったのではないのだろうか。
しかし、鳥取県の財政事情が厳しいことや第一次石油危機(1973年〔昭和48年〕)を契機として高度経済成長が終わったこと、それと同時に観光ブームも終わったこと、中国自動車道の整備は進んだが国道179号線の整備は苫田ダムの建設に絡んでかなり遅れたこと、自然環境破壊が社会問題化したことなどから県道273号三朝温泉・木地山線やそれと東伯郡三朝町柿谷以南で重用する県道205号木地山・倉吉線、更に県道33号三朝・中線の整備は進展したとは言い難く、目的は果たせないままになっている。

注4:国道9号線中山・名和道路と国道9号線名和・淀江道路の境は西伯郡大山町下市の何の施設もないところに設けられている。

注5:山陰自動車道は米子自動車道とも接続しているが、現在のところ山陰自動車道鳥取方面と米子自動車道岡山方面を直結するランプウェイは存在しないため自動車専用道路を降りずに岡山方面に行くことはできない。

注6:現在は1997年(平成9年)10月22日に開通した国道313号線犬挟トンネル(全長:2,626m)が鳥取・岡山県境に掘られた最長の道路トンネルになっている。

注7:これらの課題のうち現在も解消されていないのは有料区間と無料区間が混在していることと(注5でも触れているが)山陰自動車道鳥取方面と米子自動車道岡山方面を直結するランプウェイが未だに存在しないことである(山陰自動車道松江方面と米子自動車道岡山方面を直結するランプウェイは2006年〔平成18年〕までに整備が終わっている)。

注8:江の川左岸を通っているのは県道112号三次・江津線だが江津市桜江町後山〜江津市川平町南川上間が未開通のままに置かれており、通り抜けることはできない。また、江津市川平町南川上〜江津市江津町(終点)間も未改良箇所が多く、現在のところ江津市中心部と江津市桜江地区を結ぶ幹線道路としては有用になり得ていない。

注9:日本列島を横断する高速道路としては中国横断自動車道広島・浜田線は関越自動車道(1985年〔昭和60年〕10月2日前橋インターチェンジ〔高崎市中尾町〕〜湯沢インターチェンジ〔新潟県南魚沼郡湯沢町神立〕間が開通したことにより全線開通)に次いで二番目に全線開通を果たした路線となる。

注10:中国地方で最も人口が少ない市は美祢市だろうと思った方もいるかもしれないのだが、実は平成の大合併で美祢市の人口が江津市の人口を上回ったため江津市が中国地方で最も人口が少ない市になってしまったのである(2010年〔平成22年〕10月1日実施の国勢調査によると江津市の人口は2万5,697人、美祢市の人口は2万8,630人。逆転したのは美祢市と美祢郡秋芳・美東両町が統合して改めて美祢市が発足した2008年〔平成20年〕3月21日のことである)。更に2010年(平成22年)10月1日実施の国勢調査によると江津市の人口は今は亡き簸川郡斐川町(1965〜2011。現在の出雲市斐川町)の人口も下回っており(簸川郡斐川町の人口は2万7,689人)、その深刻さがうかがえる。

注11:現在は松江自動車道大万木(おおよろぎ)トンネル(全長:4,878m)が最長の座に就いている。なお、この大万木トンネルは中国地方最長の道路トンネルでもある。

注12:旧計画、すなわち1987年(昭和62年)に下関ジャンクションまで路線が延伸される前の山陽自動車道は山口ジャンクション(山口市黒川)を終点とする路線であった。また厳密には山陽自動車道ではない部分(廿日市ジャンクション〔廿日市市宮内〕〜大竹ジャンクション〔仮称。大竹市小方二丁目〕間)があるのだがその部分に建設された広島・岩国道路が実質的に山陽自動車道の一部として機能していることから1993年(平成5年)12月16日に備前インターチェンジ(備前市八木山)〜岡山インターチェンジ(岡山市北区富原)間が開通したことをもって中国地方の旧計画の山陽自動車道は全線開通したと見なしている。

注13:国鉄宇品線はJR山陽新幹線・山陽本線・芸備線広島駅(広島市南区松原町)と宇品港(広島市南区)を結ぶ路線だったが、市街地の端を通っていたことや並行して広島電鉄宇品線が通っていたことから利用が低迷し、新広島バイパス開通と同時に新広島バイパス以南の区間、すなわち上大河(かみおおこう)〜宇品間の旅客営業が廃止され、貨物線に転用された(新広島バイパス以北の区間、すなわち広島〜上大河間の旅客営業は1972年〔昭和47年〕4月1日廃止。需要があまりなかったことや市販の時刻表にダイヤが掲載されなかったことから利用は低迷し、営業係数が国鉄路線で最悪になったこともあった)。その貨物線も1986年(昭和61年)9月30日をもって廃止されている(踏切のあった場所は現在は出汐2丁目北東角交差点になっている)。

注14:その中で最も有名なのはテレビ新広島(TSS、広島市南区出汐二丁目)である(テレビ新広島は1975年〔昭和50年〕10月1日開局。国道2号線沿線に本社を置いた初めての広島県を放送区域とする民間放送局となっている)。

テレビ新広島の開局当時の本社局舎(現在の本社旧館。2007年〔平成19年〕11月16日撮影)

1995年(平成7年)に完成したテレビ新広島本社新館

注15:「石畦」「市」という地名を見てもどこにあるのか見当が付かない方もいるかもしれないのだが、石畦は尾道市木ノ庄町木門田の小字であり、市は尾道市御調町の大字である。

注16:尾道鉄道は1964年(昭和39年)に鉄道の営業を取りやめ、以後は路線バス業者として存続したが、1970年(昭和45年)に福山市・府中市を主な営業区域としていたニコニコバスと統合して中国バス(福山市多治米町六丁目)に移行したため現存しない。

注17:1986年(昭和61年)当時の国道184号線は松江市と尾道市を結ぶ路線(松江市〜三次市間は国道54号線と重用。よって島根県内には単独区間は存在しなかった)であり、木ノ庄バイパス開通時点では三次市〜世羅郡世羅町間に未改良箇所が残っていた。その未改良箇所は1988年(昭和63年)に解消され、国道184号線の改良は完成したのだが、1993年(平成5年)4月1日に島根県飯石郡飯南町野萱以北の経路が変更されて出雲市と尾道市を結ぶ路線に再編されたため全線の改良は取り消しとなってしまった(島根県飯石郡飯南町に未改良箇所があるため)。 こちら で「路線番号が271以下で現在も未改良箇所や未開通箇所、通行不能箇所を抱える路線は一般国道発足後に経路の変更が実施されたものがほとんどである」と書いたのだが、1993年(平成5年)4月1日以降の国道184号線は見事にその典型的な事例となっている。

注18:実質的にはこの区間は福山西インターチェンジのランプウェイ部分なのだが、中央分離帯のある上下4車線区間が短いながらも存在することから本サイトでは尾道・福山自動車道の一部と見なしている。また、福山西インターチェンジのランプウェイと国道2号線松永道路の接続点には特に名称はないのだが山陽自動車道玉島インターチェンジ(倉敷市玉島長尾)のランプウェイ(県道54号倉敷・美袋〔みなぎ〕線)と国道2号線玉島バイパスの接続点が船穂(ふなお)ジャンクション(倉敷市船穂町船穂)と称されていることにならって便宜上今津ジャンクションという名称を付けることにした。

注19:尾道・福山自動車道と記された案内標識は西藤インターチェンジ(尾道市西藤町)で接続する県道54号福山・尾道線と高須インターチェンジ(尾道市高須町)で接続する尾道市道でしか見られない。

注20:因島における西瀬戸自動車道のインターチェンジは当初因島北インターチェンジ(尾道市因島重井町)だけになる予定だった。因島北インターチェンジが尾道方面・今治方面双方との出入ができるインターチェンジになる予定だったわけであるが、因島南インターチェンジを残したことで因島北インターチェンジは尾道方面との出入しかできないインターチェンジに変更された。因島北インターチェンジはトランペット型インターチェンジになっており、尾道方面・今治方面双方との出入ができるインターチェンジにしようという計画があったことを今に伝えている。

注21:1972年(昭和47年)11月24日広島県告示第983号により認定された県道路線は下表の通りである。

路線
番号
路線名称備考
102下御領・井原線岡山県に跨る路線であり、岡山県でも同じ日に認定している(1972年〔昭和47年〕11月24日岡山県告示第1,192号による)。
247廿日市港線
252恐羅漢公園・野為線1976年(昭和51年)12月21日広島県告示第954号により県道252号恐羅漢公園線に改称している(終点変更に伴う路線延伸)。
256比婆山県民の森線
275下瀬野・海田線1994年(平成6年)4月1日に主要地方道昇格により県道85号下瀬野・海田線に改称している。
286中大迫・清田線
304中筒賀・下線
316西宗・千代田線1981年(昭和56年)10月9日広島県告示第972号により県道316号都志見・千代田線に改称している(起点変更に伴う路線延伸)。
1972年(昭和47年)11月24日広島県告示第983号により認定された県道路線で唯一全線を自動車で走破することができない(山県郡北広島町西宗〜山県郡北広島町寺原間が通行不能になっているため。1983年〔昭和58年〕9月4日付中国新聞朝刊でこのことが報じられたが並行して国道433号線〔国道434号線重用〕が通っていることもあってか30年以上経った現在も通行不能区間の解消は進められていない)。
338吉川・大多田線
365戸崎・下組線
400藤尾・井関線
402金丸・市場線県道395号箱田・市場線(1960〜1972)が延伸して発足した路線。
428宇賀・安田線
434和知・三次線

注22:但し県道75号三原・竹原線の終点である竹原市本町一丁目/新港橋東詰交差点の手前の国道185号線にある案内標識には県道75号三原・竹原線の行き先を「本郷」と記している。県道75号三原・竹原線に未改良箇所がわずかながら残っていることもあるが、国道185号線(竹原市忠海東町四丁目〜三原市皆実三丁目〔終点〕間を除く)を管理する国土交通省に管理者の違う県道路線で三原市へは進んで頂きたくないという思惑があることがそのようにしている理由ではないかと考えられる。

注23:鉄道路線のない島と本土の鉄道駅を結ぶ国鉄連絡船が設定された理由は周防大島(屋代島)に国鉄バスの路線が設定されていたことである。こういう形の国鉄連絡船は全国でもここだけであった。なお、大島大橋開通後も周防大島(屋代島)における国鉄バスの路線は存続し、国鉄の分割・民営化後は西日本旅客鉄道(JR西日本。大阪市北区芝田二丁目)→中国ジェイアールバス(広島市南区松原町)に継承されたが、過疎化やモータリゼーションの進展による利用者減少や中国ジェイアールバスの合理化などにより2007年(平成19年)に全て廃止された(その後は防長交通〔周南市松原町〕が継承している)。

注24:2016年(平成28年)時点で全線開通から四半世紀を超えているのに全線の上下4車線化が完成していない中国地方の国土交通省が管理する国道路線のバイパスとしては他に松永道路・防府バイパス・小月バイパス(以上国道2号線)、上根バイパス(国道54号線)が挙げられる(防府バイパスは1988年〔昭和63年〕11月22日に、小月バイパスは1988年〔昭和63年〕11月28日に、上根バイパスは1990年〔平成2年〕3月3日に、松永道路は1990年〔平成2年〕12月15日にそれぞれ全線開通)。この中で上下4車線化の完成のメドが立っているのは国道2号線の松永道路と小月バイパスだけである(ともに2017年〔平成29年〕春頃完成予定)。

注25:国道188号線下松旧道は1992年(平成4年)3月21日山口県告示第250号により県道366号徳山・下松線に再編されたのだが、この結果国道188号線下松旧道から分岐していた主要地方道路線(県道63号下松・田布施線と県道51号下松停車場線)が格下の一般県道路線から分岐する格好になってしまった(更に1994年〔平成6年〕には県道41号下松・鹿野線が加わっている)。別に県道41号下松・鹿野線や県道51号下松停車場線、県道63号下松・田布施線のいずれかを下松バイパスとの接続点(下松市東豊井)まで延長しても問題はなかったわけであるが、なぜこのようにしたのであろうか。

注26:2001年(平成13年)時点の話。現在宇部市の人口は下関市・山口市に次いで山口県第3位になっている。

注27:もし建設されたらどうなるか、私の案については こちらの注釈9 で書いている。

注28:小郡・萩道路美祢東ジャンクション〜絵堂インターチェンジ間開通に伴って実施された美祢市秋芳・美東地区の国道路線・県道路線の再編は国道2路線・主要地方道3路線・一般県道6路線の合計11路線に及んだのだが、その中で理解に苦しんだのが県道240号湯ノ口・美祢線の経路変更と県道324号綾木・秋吉線(1974〜2011)の廃止である。この二つの路線の再編の概要を記すと下表の通りになる。

路線名称再編の概要
県道240号湯ノ口・美祢線2011年(平成23年)5月27日山口県告示第232号により美祢市美東町真名/十文字交差点〜美祢市秋芳町岩永下郷/御坊交差点間で経路が変更された。経路変更前は美祢市美東町真名/十文字交差点から北上し、美祢市美東町綾木字九瀬原で西に向きを変えて美祢市秋芳町岩永下郷/御坊交差点へ至っていたが、経路変更後は美祢市美東町真名/十文字交差点〜美祢市秋芳町岩永下郷/御坊交差点間の最短経路となる県道31号美東・秋芳・西寺線と重用する経路と国道490号線→県道30号小野田・美東線→県道28号小郡・三隅線→国道435号線と重用して美祢市美東町大田字横打に至り、そこから県道324号綾木・秋吉線だった道で南下して美祢市美東町綾木字鎗取で美祢市美東町綾木字九瀬原から西進してきた道(2011年〔平成23年〕5月27日以前の県道240号湯ノ口・美祢線)と合流する経路の二つになった(ややこしい表現になったが、二つ目の経路は美祢市美東町綾木字九瀬原〜美祢市美東町綾木字鎗取間を遠回りな経路で結ぶようになったということである)。
県道324号綾木・秋吉線2011年(平成23年)5月27日山口県告示第230号により廃止され、美祢市美東町大田字横打を境に北側は美祢市道に、南側は県道240号湯ノ口・美祢線に再編された。

私として疑問に感じたのは次の点である。
・なぜ県道240号湯ノ口・美祢線は美祢市美東町真名/十文字交差点〜美祢市秋芳町岩永下郷/御坊交差点間で二つも経路を設定する必要があったのか。
・なぜ県道240号湯ノ口・美祢線の二つ目の経路は美祢市美東町綾木字九瀬原から西進する経路のままにしておけば良かったのに美祢市美東町綾木字九瀬原〜美祢市美東町綾木字鎗取間の最短経路を美祢市に移管させてわざわざ遠回りな経路に変更したのか。
・なぜ県道324号綾木・秋吉線は廃止して一部区間を美祢市に移管させる必要があったのか。
山口県はこの時美祢市道を国道435号線や新規認定の県道242号秋吉台公園線に編入していることからその交換条件で県道240号湯ノ口・美祢線が通っていた美祢市美東町綾木字九瀬原〜美祢市美東町綾木字鎗取間の最短経路や県道324号綾木・秋吉線の美祢市美東町大田字横打以北の区間を美祢市に移管させたのではないかと私は考えたのだが果たしてどうなのだろうか。

注29:この第18回国民体育大会を契機に山口県では山口県が管理する道路のガードレールの色を橙色に塗るようになった。

注30:テレビでも「11PM」(日本テレビ系、1965〜1990年〔昭和40年〜平成2年〕放送)などの低俗番組のネットを打ち切るなどお堅い姿勢が見られた。

注31:1979年(昭和54年)12月1日開始。同じ日には広島テレビ放送(HTV、広島市中区中町)も音声多重放送を開始している。

注32:ラジオは1990年(平成2年)4月2日から、テレビは2000年(平成12年)1月1日からそれぞれ終夜放送を開始した。中国地方では中国放送(RCC、広島市中区基町)に次いで2局目となる(中国放送はラジオは1970年〔昭和45年〕10月5日から、テレビは1993年〔平成5年〕4月1日からそれぞれ終夜放送を開始している)。

注33:山陰放送ラジオは1954年(昭和29年)3月1日に開局した時から鳥取・島根両県を放送区域としていたが、民間テレビ放送局、すなわち山陰放送テレビと日本海テレビジョン放送、島根放送改め山陰中央テレビジョン放送(TSK、松江市西川津町)は1972年(昭和47年)から鳥取・島根両県を放送区域としている(それまでは山陰放送テレビと島根放送が島根県を、日本海テレビジョン放送が鳥取県をそれぞれ放送区域としていた)。

注34:その後開局した岡山エフエム放送も独立した社屋を持っていない。

 

エフエム山陰の本社が入居しているビル

岡山エフエム放送の本社が入居しているビル

注35:そのため浜田中継局の出力は松江本局・鳥取中継局(ともに500W)より大きい1kWで開局している。そのため浜田中継局より離れたところにある江津市中心部や益田市中心部でも十分受信できる。しかし、それでも受信できない地域があったためその後大田市や邑智郡に中継局が設置されている。

注36:山陰放送ラジオの中継局は現在7局(米子・鳥取・倉吉・出雲・大田・浜田・益田。いずれも中波中継局)だが、エフエム山陰のそれは現在10局(松江・鳥取・智頭・用瀬〔もちがせ〕・石見大和・大田・邑智・隠岐・羽須美・浜田)である。また、山陰放送ラジオの一週間の放送時間は161時間(月曜日午前5時〜日曜日午前3時・日曜日午前5時〜午前0時)だが、エフエム山陰のそれは163時間30分(月曜日午前5時〜翌週月曜日午前0時30分)である。

注37:エフエム山陰がradikoに参加しない理由の一つとして考えられるのがドコデモFMの宣伝に島根県の観光大使に任命されている吉田くん(アニメ「秘密結社鷹の爪」の登場人物。雲南市吉田町出身という設定になっている)が出演していることである。radikoに参加することはそれを裏切る格好になるため参加を見送っているものと思われる。

注38:「広島県大百科事典」(1982年〔昭和57年〕中国新聞社〔広島市中区土橋町〕刊)によると広島県を放送区域とする民間放送局で最後発となった広島エフエム放送(HFM、広島市南区皆実町一丁目)については広島県東部(福山市の可能性が高い)に本社を置いて欲しいという声があったという。よく考えれば分かることだが広島市に本社を置いたほうが何かと都合が良く、故に実現はしなかった。なお、広島エフエム放送はエフエムふくやまの演奏所があるビル(福山商工会議所ビル〔福山市西町二丁目〕)に福山支社を設置していたが、合理化により現在は廃止されている(広島県を放送区域とする民間放送局で福山支社がないのは広島エフエム放送のみ)。

注39:エフエムふくやまとエフエムゆめウェーブ、尾道エフエム放送の番組編成を比較するとうかがえることであるが、エフエムふくやまは一切エフエムゆめウェーブと尾道エフエム放送で放送されているミュージックバードの喋り手がいる番組を放送していない(2015年〔平成27年〕春から)。その点からもエフエムゆめウェーブと尾道エフエム放送との差別化を図っていることがうかがえる。

注40:J-WAVEは月曜日午前1時〜午前5時は放送を休止しているが、その時間帯はJ-WAVEが制作しているがJ-WAVEでは放送されない「MUSIC HYPER MARKET」(月曜日午前1時〜午前2時。インターネットで配信されている他サウンドプラネットでも放送されている)→「J-WAVE MUSIC SELECTION」(月曜日午前2時〜午前5時。サウンドプラネットでのみ放送)を流している。

注41:岡山県における都道府県域民間エフエム放送局用の周波数の割り当ては1984年(昭和59年)に行われたのだが、496もあった申請者を一本化するのにかなりの時間がかかったことから開局が20世紀末まで遅れてしまった。

注42:例えば岡山シティエフエムとエフエムくらしきはどちらもJ-WAVEの再送信を実施していたが現在はエフエムくらしきだけになっていることが挙げられる。

注43:注39で触れた通りエフエムゆめウェーブと尾道エフエム放送はミュージックバードの喋り手がいる番組を多数放送しており、両局とも受信できるところではどちらの放送局を聴取しているのか分かりにくくなることがある。

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