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広島市東区初の放送局誕生(2018年〔平成30年〕9月23日公開)
これまで広島県を放送区域とする放送局の本社(演奏所)は広島市の中区か南区に設置されてきた(注1)。中区にあるのはNHK広島放送局(広島市中区大手町二丁目)と中国放送(RCC、広島市中区基町)、広島テレビ放送(HTV、広島市中区中町)、広島ホームテレビ(HOME、広島市中区白島北町)、南区にあるのはテレビ新広島(TSS、広島市南区出汐二丁目)と広島エフエム放送(HFM、広島市南区皆実町一丁目)という具合である。広島県を放送区域とする放送局で最も新しい広島エフエム放送が開局したのは1982年(昭和57年)12月5日のことだった(注2)から35年以上この状況が維持されてきたのだが、この度この図式が崩れ、広島市東区に本社を置く放送局が誕生することになったのである。といっても新たな広島県を放送区域とする放送局が開局したというわけではなく、1962年(昭和37年)9月1日に開局して以来56年間広島市中区中町に本社を置いていた広島テレビ放送が広島市東区二葉の里三丁目に移転してきたのである。今日の午前5時59分から新社屋での放送を開始し(注3)、完全移転を果たすことになるわけである(注4)が、そこで今回の「不定期刊・きょうのトピックス」では広島テレビ放送が本社を置くことになった地・二葉の里と広島テレビ放送新本社、広島テレビ放送の本社移転の理由、広島テレビ放送の歴史と現状と課題を紹介することにしたい。
広島テレビ放送新本社が置かれる地・二葉の里とは…
広島市東区二葉の里は山陽新幹線・山陽本線・芸備線広島駅(広島市南区松原町)と二葉山(標高:139m)に挟まれたところにある町である(注5)。広島駅の北方に広がるこの地域は以前は西日本旅客鉄道(JR西日本。大阪市北区芝田二丁目)の関連施設が建ち並んでいたところであったが、西日本旅客鉄道の経営合理化や施設の移転などにより広大な空き地が生じることになった。そこで広島駅のすぐ北側にあることや広島高速1号線(県道472号広島東インター線)を介して山陽自動車道広島東インターチェンジ(広島市東区福田三丁目)に通じる広島高速5号線(県道474号温品・二葉の里線)の計画が進められていることから再開発を実施することになったのである。
広島駅新幹線口駅舎
現在建設中の広島高速5号線の高架橋
再開発用地には既に広島県医師会館(広島市東区二葉の里三丁目)や広島県歯科医師会館(広島市東区二葉の里三丁目)、イズミ(注6)本社(広島市東区二葉の里三丁目)、広島東警察署(広島市東区二葉の里三丁目(注7))などが立地しており、今後もホテルや長距離路線バス発着場、商業施設などが計画されている。まさに交通の結節点にふさわしい場所に生まれ変わりつつある。
広島県医師会館(手前の黒色の建物)と広島県歯科医師会館(奥の白色の建物)
イズミ本社。地域住民の利便性を考えてか本社にはゆめマート二葉の里が入居している。
広島東警察署庁舎。今年9月1日に移転してきたばかりである。
広島テレビ放送新本社はどのようなものなのか
広島テレビ放送の新本社は地上10階の高層建築である(下の写真)。
広島駅北口(新幹線口)から撮影した広島テレビ放送新本社
実は広島テレビ放送は旧本社(現:中町ビル)も高層建築(注8)であり、広島県を放送区域とする放送局では初めて高層建築の本社を建てた放送局でもある(注9)。
広島テレビ放送旧本社
新本社は1階がエントランスホールと広島テレビホール、2階と3階は広島コンベンションホール、4階は文化教室「広テレ! キャンパス」になっている(記すまでもないがその他の部分が広島テレビ放送の本社機能のある部分となる)。放送局といえば問題が起きる恐れがあることから部外者の立ち入りを厳しく制限する印象が強いところではあるのだが、一般市民が立ち入れるところがある程度あるというのが新本社の特色と言えよう(注10)。
新本社及びその周辺で注目したい点としては次のようなものがある。
・1階エントランスホールの片隅にはオノ・ヨーコ作のオブジェと、かつて広島テレビ放送が主催していた「広島平和音楽祭」で美空ひばり(1937〜1989)が歌った「一本の鉛筆」の歌詞が書かれた碑がある点。
オノ・ヨーコ作のオブジェ。
オブジェの時計は広島市中心部に原子爆弾が投下された日時(1945年〔昭和20年〕8月6日午前8時15分)を示している。
「一本の鉛筆」歌碑。美空ひばりが歌っている映像も見ることができる。
・広島テレビ放送のすぐ南側を通る二葉通り(県道84号東海田・広島線)の歩道に原子爆弾で焼かれながらも芽吹いて花を咲かせた桜の木の二世に当たる木が植えられている点。
二葉通りの歩道に植えられている桜の木(左)とその説明板(右)
・新本社にはコンビニエンスストア(ローソン)が併設されている点。
ローソン広島テレビ店外観。新本社の1階と2階を使用している。
なお、二葉通りの歩道に植えられている桜の木はいつでも見られるしローソン広島テレビ店は24時間営業を行っている(但し店のそばに駐車場はない)が、オノ・ヨーコ作のオブジェと「一本の鉛筆」の歌碑のある1階エントランスホールには常時立ち入れるわけではない(注11)のでその点は注意して頂きたい。
なぜ広島テレビ放送は本社を移転することにしたのか
平成時代に入ってから中国地方で都道府県域民間放送局の本社が移転した例は三つあった(下表参照)。
放送局名・略称 | 概要 |
---|---|
日本海テレビジョン放送 (NKT、鳥取市田園町四丁目) | ・1959年(昭和34年)3月3日に開局した、中国地方初のテレビ放送のみの民間放送局(注12)。 ・開局当初は鳥取県だけを放送区域としていたが、1972年(昭和47年)に鳥取県と島根県の民間テレビ放送の放送区域統合が実施されたことにより鳥取・島根両県を放送区域とするようになった。 ・開局してからずっと鳥取市本町三丁目に本社を置いていたが、鳥取商工会議所(鳥取市本町三丁目)の中に本社があり、手狭だったことや施設が老朽化したこと、音声多重放送を導入するのが困難だったことから1992年(平成4年)11月27日に移転した(注13)。 |
テレビせとうち (TSC、岡山市北区柳町二丁目) | ・1985年(昭和60年)10月1日開局。 ・五大都市(札幌・東京・名古屋・大阪・福岡)を擁する都道府県以外では唯一のテレビ東京系列に属する民間テレビ放送局である。また、1989年(平成元年)以降全国ネットのアニメ番組を制作していることでも知られている。 ・開局当初は岡山市北区野田五丁目に本社を置いていたが、開局してから20年少々しか経っていない2006年(平成18年)11月20日に移転した。山陽新聞社(岡山市北区柳町二丁目)のすぐ隣に移転したのだが、そのことから山陽新聞社との連携強化が移転の理由として考えられる。 ・当然のことながら移転には多額の費用がかかる上、そもそも経営事情は厳しいこと(注14)から社屋の老朽化を理由としない移転には疑問の声が少なくない。 |
山陰中央テレビジョン放送 (TSK、松江市向島町) | ・1970年(昭和45年)4月1日開局。島根県に本社を置く初めての民間放送局である。 ・それまで島根県で視聴可能な民間テレビ放送局は山陰放送テレビ(BSS、米子市西福原一丁目)だけだったのだが山陰放送は鳥取県に本社を置いていたため島根県には民間放送局の本社は存在しなかった。 ・開局当初の社名は島根放送(愛称:テレビしまね)であり、島根県だけを放送区域としていたが、1972年(昭和47年)に鳥取県と島根県の民間テレビ放送の放送区域統合が実施されたことにより鳥取・島根両県を放送区域とするようになった。その際社名を現在の山陰中央テレビジョン放送に変更している。 ・開局してからずっと松江市西川津町に本社を置いていたが、施設が老朽化したことから2016年(平成28年)8月29日に移転した。 |
テレビせとうちは山陽新聞社との連携強化という特殊な事情があったので別とすると日本海テレビジョン放送と山陰中央テレビジョン放送は施設の老朽化が移転の主たる理由であった。では広島テレビ放送は何が理由だったのか。日本海テレビジョン放送や山陰中央テレビジョン放送と同じく施設の老朽化が主たる理由であった。
私は前に「広島テレビ放送旧本社は広島県を放送区域とする放送局の本社としては初めての高層建築である」と記したのだが、この旧本社が建てられたのは1976年(昭和51年)のことであった(その後1992年〔平成4年〕に新館が建てられている)。つまり、建てられてから40年以上経っており、老朽化が進展していたのである。
では旧本社のあるところで建て替えれば良いではないかという声が出てきそうなところではあるのだが、広島テレビ放送旧本社がある広島市中区中町は広島市街地のど真ん中にあり、そういう土地はない。他には…と探していたのだろうが、そもそも広島市中心部が立地する広島平野は広いとは言えないし、そこに数十万人もの人が住み、多くの企業・官公庁が立地しているのだからたやすく見つかるものではなかった。そういう中で広島駅北口一帯の再開発が実施されることになったことからそこに白羽の矢を立て、移転することに踏み切ったのであろう。
ところで、広島テレビ放送の広島駅北口への移転にはある思惑があることはあまり知られていない。記すまでもなく広島市は第二次世界大戦後の復興の過程で中心部に幅の広い道路が縦横無尽に張り巡らされるようになったのだが、それらの道路を通っている時に広島テレビ放送の旧本社を見ることは実はできないのである。広島テレビ放送旧本社はその南方を平和大通りが、その西方を鯉城通り(国道54号線〔国道183号線・国道191号線・国道261号線重用〕)がそれぞれ通っているのだが、どちらの通りについても広島テレビ放送旧本社は建物の陰になっていて見えないのである。広島県を放送区域とする他の放送局は幹線道路のそばにあるか幹線道路のそばにはないが少し離れたところからでも見えるようになっており(注15)、幹線道路から社屋を見ることのできないことは広島テレビ放送にとっては大きなマイナス要素になっていた。
翻って広島テレビ放送新本社を見ると社屋のすぐ南側を二葉通りが通っているし、更にその南方には山陽新幹線が通っている。つまり、幹線道路だけでなく山陽新幹線の列車に乗っている方も広島テレビ放送の新本社を見ることができるようになったわけである。山陽新幹線の列車から見ることのできる放送局の本社は中国地方には他にもいくつかあるわけである(注16)が、幹線道路や山陽新幹線の列車から見える本社は格好の宣伝材料になる。
私は前に「広島テレビ放送新本社の2階と3階は広島コンベンションホールになっている」と記したのだが、新本社にそういう施設を導入したのは明らかに広島駅が近いことと多くの人々が行き交う幹線から見えるところに移転したことで格好の宣伝材料になると考えたからであった。旧本社は行くのに説明がしにくいが、新本社は行くのに説明がしやすい。広島テレビ放送にとって大きくプラスになることは間違いないであろう。
広島市中区中町時代の56年間を振り返る
さて、広島テレビ放送は広島市中区中町でこれまでどのような歴史を刻んできたのかを示すと下表の通りになる。
年 | 月日 | 記事 | 備考 |
---|---|---|---|
1962年 (昭和37年) | 9月1日 | 広島本局と尾道中継局の2局体制で本放送を開始する。 | 広島本局・尾道中継局ともにコールサインを所有していた(広島本局…JONX、尾道中継局…JONY)。 開局当時の所属系列は日本テレビ系列とフジテレビ系列となっており、いわゆるクロスネットの状態にあった。 この日は午前11時に本放送を開始し、午後11時に放送を終了していた。 |
12月15日 | 呉中継局が開局する。 | 受信環境改善のため1967年(昭和42年)に休山(標高:497m)の中腹から山頂に移転している。 | |
1963年 (昭和38年) | 4月16日 | 初めてプロ野球中継を制作・放送する。 | 旧広島市民球場(広島市中区基町。1957〜2010)で開催された広島カープ(注17)対読売ジャイアンツ戦。ちなみに試合結果は2対17の大敗に終わった。 |
7月13日 | 広島県警察本部内部からの生中継番組を放送する。 | 当時広島市及びその周辺で起きて市民を恐怖に陥れていた暴力団抗争(いわゆる第二次広島抗争〔1963〜1967〕)に対して広島県警察本部の職員が断固たる態度で臨んでいる姿を紹介するために企図されたものである。 | |
1964年 (昭和39年) | 7月1日 | 福山中継局が開局する。 | 福山市はこの時点で既に広島県南東部最大の都市になっていた(注18)のだが、中継局の設置場所を決めるのが難航したため尾道中継局より設置が遅れたものと思われる(そのことは こちら で記している)。なお、NHK広島放送局・中国放送テレビも同じ日に福山中継局を開局させている。 |
1965年 (昭和40年) | 4月1日 | 住居表示実施により所在地表記が広島市下中町から広島市中町に変更される。 | |
竹原中継局が開局する。 | 広島テレビ放送としては初めてのUHF電波を用いた中継局(注19)。なお、「竹原」中継局と称しているが設置場所は豊田郡大崎上島町中野になっている(注20)。 | ||
4月12日 | 三次中継局が開局する。 | 広島県北部初の中継局。 | |
1966年 (昭和41年) | 3月20日 | カラー放送を開始する。 | |
4月1日 | NNNに加盟する。 | ||
10月3日 | FNNに加盟する。 | ||
1969年 (昭和44年) | 10月9日 | テレビドラマ「碑(いしぶみ)」が日本テレビ系列全国ネットで放送される。 | 勤労動員中に被爆し、そのほとんどが死亡した旧制広島県立広島第二中学校(広島県立広島観音高等学校〔広島市南区南観音町〕の前身)の生徒の最期の様子などを杉村春子(1906〜1997)が淡々と語っていくという内容のドラマ。2015年(平成27年)には綾瀬はるか主演で再制作され、これも日本テレビ系列で全国ネットで放送されている。 |
1971年 (昭和46年) | 10月4日 | 平日昼間に生活情報番組を設定する。 | 放送時間帯や番組名の変遷、中断期間はあるが現在まで続く平日昼間の情報番組(現在は「丸ごと! 好奇心 知っとる!?」)の起源となった。 |
1974年 (昭和49年) | 8月9日 | 第1回広島平和音楽祭を開催する。 | 新本社1階のエントランスホールに歌碑のある「一本の鉛筆」はこの時披露された曲である。 広島平和音楽祭はその後毎年開催されたが、諸事情により20回目となった1993年(平成5年)を最後に終了した。 |
1975年 (昭和50年) | 10月1日 | フジテレビ系列に属することを選んだテレビ新広島が開局したことによりフジテレビ系列を脱退する。 | なぜ広島テレビ放送が日本テレビ系列を、テレビ新広島がフジテレビ系列をそれぞれ選んだのかその経緯は不明。 |
10月15日 | 広島東洋カープが球団史上初のリーグ優勝を決めた後楽園球場(東京都文京区後楽一丁目。1937〜1987)での読売ジャイアンツ対広島東洋カープ戦を中継する。 | 制作は日本テレビ放送網(NTV、東京都港区東新橋一丁目)。試合結果は4対0で広島東洋カープが勝利している。 | |
1976年 (昭和51年) | 11月12日 | 旧本社新社屋が完成する。 | |
1979年 (昭和54年) | 4月2日 | 平日夕方のローカルニュース番組として「広島テレビニュース・アイ」を設定する。 | |
10月6日 | 広島東洋カープが二度目のリーグ優勝を決めた旧広島市民球場での広島東洋カープ対阪神タイガース戦を中継する。 | 広島テレビ放送だけでの放送。試合結果は4対3で広島東洋カープが勝利している。 | |
12月1日 | 音声多重放送を開始する。 | 山口放送テレビ(KRY、周南市徳山)とともに中国地方では初めて音声多重放送を実施した民間テレビ放送局となった。 | |
1980年 (昭和55年) | 4月1日 | 広島市が政令指定都市に移行したことにより所在地表記が広島市中町から広島市中区中町に変更される。 | |
1986年 (昭和61年) | 3月31日 | 平日夕方の情報番組として「ひろしまTODAY60」を設定する。 | 平日夕方の情報番組の先駆的存在だが視聴率で苦戦し、わずか1年で終了した。 |
1991年 (平成3年) | 10月13日 | 広島東洋カープが5年ぶり5度目のリーグ優勝を決めた旧広島市民球場での阪神タイガース戦を中継する。 | 広島テレビ放送だけでの放送。試合結果は1対0で広島東洋カープが勝利している。ちなみに優勝を決めた試合はダブルヘッダーの2試合目であった。 |
1992年 (平成4年) | 7月23日 | 旧本社新館が完成する。 | この新館には常時ニュースを送り出せるニュースセンターが設けられている。 |
1993年 (平成5年) | 4月1日 | 平日夕方の情報番組として「柏村(かしむら)武昭のテレビ宣言」を設定する。 | 柏村武昭は三次市出身の元中国放送アナウンサー。柏村武昭は2001年(平成13年)春で番組を降板するが、「テレビ宣言」という名称は2008年(平成20年)春まで使用され続けた。 |
4月 | 総合スポーツ情報番組として「進め! スポーツ元気丸」を設定する。 | 現在も続いている広島テレビ放送随一の長寿番組である(但し放送時間や放送日時はずっと同じではない)。 | |
1997年 (平成9年) | 4月 | 現在も使用されているマスコット・ピッピの使用が始まる。 | |
1998年 (平成10年) | 2月2日 | 専用郵便番号の使用を開始する。 | 当時の専用郵便番号は730-8575。 |
10月6日 | 全国ネットの深夜ヴァラエティ番組の放送を開始する。 | 日本テレビ系列が設定していた深夜のヴァラエティ番組枠「ZZZ(ズィー)」(設定期間:1997〜2003年〔平成9〜15年〕)で放送。番組はいくつか変遷しながら2003年(平成15年)春まで続いた(注21)。 | |
1999年 (平成11年) | 5月10日 | 「NNN24」をフィラーとして挿入することにより終夜放送を開始する。 | 広島県を放送区域とする民間テレビ放送局の終夜放送は中国放送テレビが1993年(平成5年)4月1日から開始しており、広島テレビ放送が二番目となる。中国放送テレビとは異なり、開始当時から月曜日早朝でも放送するようにしていた(注22)。 |
2005年 (平成17年) | 12月31日 | 広島エフエム放送との同時放送番組「HFMTV」を放送する。 | |
2006年 (平成18年) | 10月1日 | 地上波デジタル放送を開始する。 | |
2008年 (平成20年) | 3月31日 | 「テレビ宣言」シリーズに代わる平日夕方の情報番組として「旬感★テレビ派ッ!」を設定する。 | 2011年(平成23年)4月4日からは「テレビ派」に改題して現在も続いている。 |
2009年 (平成21年) | 4月10日 | 広島東洋カープの現在の本拠地である広島市民球場(愛称:Mazda Zoom-Zoom スタジアム広島。広島市南区南蟹屋二丁目)での初めての公式戦を中継する。 | |
2011年 (平成23年) | 7月24日 | 地上波アナログ放送を終了する。 | 正午をもってアナログ放送の番組は終了し、7月25日午前0時をもって完全停波。半世紀近くアナログ放送を続けてきたがアナログ放送完全停波前に何もしなかったのが残念なところである(注23)。 |
地上波アナログ放送終了をもって尾道アナログ中継局のコールサイン(JONY)が廃止される。 | |||
2018年 (平成30年) | 3月31日 | 本社の登記上の住所を広島市中区中町から広島市東区二葉の里三丁目に変更する。 | |
新本社の専用郵便番号の使用が始まる。 | 新本社の専用郵便番号は732-8575。 | ||
旧本社の建物の名称が中町ビルに変更される。 | |||
9月16日 | 旧本社のスタジオでの番組放送が終了する。 | ||
9月17日 | 新本社のスタジオでの番組放送が開始される。 | ||
9月23日 | 午前0時55分をもって旧本社からの放送を終了する。 | 56年に及ぶ広島市中区中町時代を振り返る映像を流すこともなく、ただ(広島市中区)中町からの放送は終了すること、次の放送開始からは(広島市東区)二葉の里(三丁目)から放送することなどを表示しただけで停波した(注24)。 | |
本社の全機能が新本社に移行し、広島市中区中町時代は56年で終止符を打つ。 |
上表をご覧になって驚くことの一つは恐らく広島テレビ放送は開局時からずっと日本テレビ系列だけに属していたわけではなく、ある時期まで日本テレビ系列・フジテレビ系列の双方に属していたことであろう。私はクロスネット時代の広島テレビ放送を全く知らないのだが、日本テレビ系列・フジテレビ系列双方の番組が流れるが故にいろいろ制約がかかる状況はどのようなものだったのだろうか(注25)。
広島市中区中町から広島テレビ放送が番組を送り出したのは約56年間、日数に換算すれば2万477日(注26)。この間様々な出来事が起き、多くの番組が流された。広島テレビ放送に対して思い出を持つ方は少なくないことであろう。しかし、それにしては広島市中区中町時代の終焉は上表をご覧頂ければうかがえることであるがあまりにもあっさりしすぎなものであった。広島テレビ放送が本社を完全に移転させる少し前に本社を移転させた北海道テレビ放送(HTB、札幌市中央区北一条西一丁目)では旧本社(札幌市豊平区平岸四条十三丁目)からの送信終了時に旧本社があったところへの感謝の思いを乗せた映像を流しており、それは某動画投稿サイトに投稿されていたのだが、広島テレビ放送にとって56年間の歴史、そして広島市中区中町への思いは軽んじても構わないものだったのだろうか。その点が残念なところである。
広島テレビ放送の現状と特色
広島テレビ放送の中継局の数は…
広島県を放送区域とする民間テレビ放送局はアナログ放送時代、放送開始時や放送終了時に一切チャンネル紹介をしなかった(注27)。広島県はあまりにも地形が複雑すぎ、中継局を多数設置せざるを得なくなったこと(注28)や「視聴者が住んでいる地域のチャンネルだけ分かれば良いし主なところは新聞のテレビ欄に書いてある。よって表示する必要はない」というようないわゆる上から目線な態度をとっていたことが考えられる。
そのような状況を考えれば地上波デジタル放送に移行し、受像機で自動的にチャンネルを設定できるようになったことは広島県を放送区域とする民間テレビ放送局にとっては好都合だったということになるのだろうが、ではどれだけ中継局が多いのか。広島テレビ放送のアナログ放送とデジタル放送の中継局の一覧表を広島テレビ放送公式サイトや本サイトからもリンクを貼っている「
千客万来・でんぱでーたどっと混む!
」、広島テレビ放送が開局20周年を記念して刊行した「あなたと共に20年」(1982年〔昭和57年〕刊行)を元に作成したのが下表である。
※下表では中継局の所在地の町字名や出力、偏波の状況は省略している。その点はご了承願いたい。
※アナログ中継局はそのほとんどがアナログ放送終了の翌日、すなわち2011年(平成23年)7月25日に廃止されているが、中には2011年(平成23年)7月24日以前に廃止されたところもある。
※特にアナログ中継局の名称に関しては正式名称ではない場合がある。
市区郡町村名 | アナログ中継局 | デジタル中継局 | |
---|---|---|---|
広島市安芸区 | 熊野跡(62ch) 瀬野(59ch) 瀬野川(39ch) 瀬野立石(56ch) (以上4局) | 本局(19ch) 瀬野(47ch) (以上2局) | |
広島市安佐北区 | 可部(42ch) 安佐布(54ch) 高陽(59ch) 白木(61ch) (以上4局) | 可部(19ch) 高陽(30ch) 白木(17ch) (以上3局) | |
広島市安佐南区 | 佐東(60ch) 戸山(55ch) 西山本(51ch) 八木(34ch) (以上4局) | 佐東(19ch) 戸山(17ch) (以上2局) | |
広島市佐伯区 | 五日市(54ch) 五月ヶ丘(53ch) (以上2局) | 五日市(19ch) (以上1局) | |
広島市中区 | (なし) | (なし) | |
広島市西区 | 己斐(38ch) (以上1局) | 己斐(17ch) (以上1局) | |
広島市東区 | 牛田(11ch) (以上1局) | 安芸温品(17ch) (以上1局) | |
広島市南区 | 本局(12ch) (以上1局) | (なし) | |
安芸高田市 | 吉田(61ch) 北美土里(12ch) 甲田(42ch) 高宮(49ch) 高宮栃林(61ch) 南美土里(12ch) 向原(46ch) 八千代(54ch) (以上8局) | 吉田(19ch) 北美土里(46ch) 甲田(39ch) 高宮(33ch) 高宮栃林(33ch) 南美土里(50ch) 向原(39ch) 八千代(17ch) (以上8局) | |
江田島市 | 大柿(51ch) (以上1局) | 大柿(19ch) (以上1局) | |
大竹市 | 大竹(26ch) (以上1局) | 大竹(19ch) (以上1局) | |
尾道市 | 尾道(12ch) 因島(62ch) 因島田熊(54ch) 尾道美ノ郷(52ch) 御調(58ch) 三庄(22ch) (以上6局) | 尾道(17ch) 因島(17ch) 因島田熊(17ch) 尾道美ノ郷(34ch) 御調(17ch) (以上5局) | |
呉市 | 呉(5ch) 倉橋(54ch) 呉冠崎(44ch) 呉警固屋(42ch) 呉小坪(44ch) 呉広(61ch) 呉焼山(28ch) 仁方(42ch) 安浦(61ch) (以上9局) | 呉(19ch) 倉橋(19ch) 呉小坪(43ch) 呉広(19ch) 仁方(45ch) 安浦(30ch) (以上6局) | |
庄原市 | 庄原(41ch) 小奴可(43ch) 川北(57ch) 口和(36ch) 西城(12ch) 高野(44ch) 東城(12ch) 東城千鳥(38ch) 比和(57ch) (以上9局) | 庄原(40ch) 小奴可(30ch) 口和(17ch) 西城(17ch) 庄原川北(39ch) 高野(19ch) 東城(19ch) 東城千鳥(17ch) 比和(39ch) (以上9局) | |
竹原市 | 竹原北(42ch) (以上1局) | 竹原北(32ch) (以上1局) | |
廿日市市 | 安芸佐伯(57ch) 吉和(39ch) (以上2局) | 安芸佐伯(41ch) 吉和(27ch) (以上2局) | |
東広島市 | 西条(11ch) 黒瀬(44ch) 河内(41ch) 河内小田(61ch) 志和(39ch) 豊栄(40ch) (以上6局) | 西条(17ch) 黒瀬(19ch) 河内(17ch) 河内小田(17ch) 志和(17ch) 豊栄(51ch) (以上6局) | |
福山市 | 福山(11ch) 新市常金丸(45ch) 大門(62ch) 鞆(38ch) 福山千田(48ch) 福山西(19ch) 府中(62ch) (以上7局) | 福山(17ch) 新市常金丸(19ch) 大門(38ch) 鞆(47ch) 福山千田(25ch) 福山南(17ch) 府中(17ch) (以上7局) | |
府中市 | 協和(57ch) 上下(12ch) 父石(33ch) (以上3局) | 協和(34ch) 上下(17ch) 父石(19ch) (以上3局) | |
三原市 | 三原(51ch) 賀茂大和(53ch) 久井(58ch) 三原久津(49ch) 三原久和喜(42ch) 三原幸崎(54ch) 三原中之町(59ch) 三原深町中組(54ch) (以上8局) | 三原(32ch) 賀茂大和(32ch) 久井(39ch) 三原幸崎(30ch) 三原中之町(37ch) (以上5局) | |
三次市 | 三次(11ch) 吉舎(12ch) 君田(57ch) 甲奴(61ch) 作木(44ch) 双三三和(61ch) 三次中の村(55ch) 三良坂(54ch) (以上8局) | 三次(19ch) 吉舎(32ch) 甲奴(17ch) 双三三和(32ch) 三良坂(31ch) (以上5局) | |
安芸郡海田町 | (なし) | (なし) | |
安芸郡熊野町 | (なし) | (なし) | |
安芸郡坂町 | 坂(44ch) (以上1局) | (なし) | |
安芸郡府中町 | (なし) | (なし) | |
神石郡神石高原町 | 油木(62ch) (以上1局) | 油木(48ch) (以上1局) | |
世羅郡世羅町 | 世羅甲山(60ch) (以上1局) | 世羅(39ch) (以上1局) | |
豊田郡大崎上島町 | 竹原(62ch) (以上1局) | 竹原(19ch) (以上1局) | |
山県郡安芸太田町 | 戸河内(57ch) 加計(10ch) 南加計(27ch) (以上3局) | 戸河内(47ch) 加計(47ch) 南加計(40ch) (以上3局) | |
山県郡北広島町 | 安芸千代田(62ch) 大朝(48ch) 芸北板村(41ch) 芸北才乙(48ch) 芸北八幡(55ch) (以上5局) | 安芸千代田(17ch) 大朝(30ch) 芸北板村(29ch) 芸北八幡(17ch) (以上4局) |
上表をご覧頂ければうかがえるのだが、確かに中継局はアナログ放送で98局、デジタル放送でも79局とかなり多い(ちなみに広島テレビ放送と同じく本局がVHF電波を用いていた中国放送テレビも同じ数である)。チャンネル紹介は「Xch…○○・××、Ych…△△・□□…」というような表示にすれば表示量は減るし、中国放送テレビや広島テレビ放送は一時期放送終了時の映像(注29)に翌日放送される主な番組の紹介を被せていたからできない話ではなかったように思うのだが、やはり紹介する必要はないという判断があったのだろうか。
広島テレビ放送のアナウンサー
広島テレビ放送のアナウンサーは現在11人(男性5人・女性6人)いる(下表参照。なお、下表では出身地や生年月日、読み方は省略している)。
性別 | 氏名 | 入社年 | 担当番組 | 備考 |
---|---|---|---|---|
男性 | 小野 宏樹 | 2013年 (平成25年) | テレビ派 てっぺん 進め! スポーツ元気丸 スポーツ中継 | |
澤村 優輝 | 2017年 (平成29年) | テレビ派 | ||
長野 正実 | 1992年 (平成4年) | 週刊カープ スポーツ中継 | 広島テレビ放送で最年長のアナウンサーであり、アナウンス部長を務めている。 | |
宮脇 靖知 | 2006年 (平成18年) | テレビ派 スポーツ中継 | ||
森 拓磨 | 2002年 (平成14年) | テレビ派 スポーツ中継 | ||
女性 | 有田 優理香 | 2014年 (平成26年) | テレビ派 ZIP! エキキタ 進め! スポーツ元気丸 スポーツ中継 | |
糸永 直美 | 2008年 (平成20年) | テレビ派 びんご姫のふくやま福さがし | 元鹿児島讀賣テレビ(KYT、鹿児島市与次郎一丁目)アナウンサー(但し鹿児島讀賣テレビ退職から広島テレビ放送入社までの間はタレント活動をしたりNHK広島放送局契約キャスターを務めたりしており、すぐに移籍したというわけではない)。 広島テレビ放送における最年長の女性アナウンサーである。 | |
西口 真央 | 2018年 (平成30年) | Dearボス トップの秘密のぞき見バラエティ ZIP!(ローカル部分) | ||
西名 みずほ | 2004年 (平成16年) | (なし) | 今年4月から出産・育児のため休職中。 | |
馬場 のぶえ | 1997年 (平成9年) | テレビ派 | 「柏村武昭のテレビ宣言」時代の1997年(平成9年)暮れからずっと平日夕方の情報番組に出演し続けており、夕方の顔として知られている(但し出産・育児休暇取得により降板した時期がある)。 | |
松岡 絵梨子 | 2018年 (平成30年) | テレビ派 | 元テレビユー山形(TUY、酒田市入船町)アナウンサー。 |
私が広島テレビ放送のアナウンサーに対して抱く印象は比較的若いということである。なぜそのような印象を抱くのかを挙げると次の通りになる。
・(上表をご覧頂ければうかがえることであるが)既に昭和時代入社のアナウンサーがいなくなっていること(十数年前からその状態である)。
・50代以上(注30)のアナウンサーがいないこと(最年長の長野正実アナウンサーでもまだ40代である)。
このようになったのは幹部役職の層が薄いことや一線で活躍してきたことが評価され、幹部役職に抜擢(ばってき)されることが多いこと、生涯一アナウンサーというような考えを持つ方が少ないことが考えられる。広島テレビ放送以外の広島県を放送区域とする民間放送局では昭和時代入社のアナウンサーも未だに活躍しているし、50代以上のアナウンサーも多数いるだけにどうなのかなと考えたくなるのだが、状況を考えれば致し方ないことなのだろう。
広島テレビ放送の自社制作番組
2018年(平成30年)9月23日現在広島テレビ放送が制作・放送している番組は下表の通りである(広島テレビ放送がキー局だが広島テレビ放送が制作に関わっていないもの(注31)は下表には掲載していない)。
題名 | 放送日時 | 概要 | |
---|---|---|---|
曜日 | 時間 | ||
テレビ派 | 月〜金 | 午後3時48分〜午後6時55分 | |
ひろおく便り | 月 | 午後6時55分〜午後7時 | 広島県北東部にある庄原市・府中市・神石郡神石高原町・世羅郡世羅町の情報を紹介する番組。 |
週刊ひろしマスター | 火 | 午後9時54分〜午後10時 | 広島市政情報番組。広島のタウン情報誌編集マン・市島広(さいねい龍二)と記者・水野みやこ(八谷〔やたがい〕しおり)が広島市政の情報を紹介するという設定になっている。 |
丸ごと! 好奇心・知っとる!? | 水・木 | 午前10時55分〜午前11時 | 正式な題名表記は「・」がハートマークになるのだが機種依存文字になるため「・」で代用している。 |
金 | 午前10時25分〜午前11時 | ||
びんご姫のふくやま福さがし | 水 | 午後6時55分〜午後7時 | 広島県南東部の中心都市・福山市の情報を紹介する番組。進行役は福山市出身の糸永直美アナウンサーである。 |
たからモノさがして | 木 | 午後6時55分〜午後7時 | |
よくばりアリス | 金 | 午後7時〜午後7時56分 | |
STUでんつ! | 土 | 午前0時30分〜午前1時 | |
てっぺん | 土 | 午前2時〜午前2時15分 | |
お好み焼き紀行 | 土 | 午前11時35分〜午前11時40分 | 広島県内にあるお好み焼きの店を紹介する番組。 |
週刊カープ | 土 | 午後0時55分〜午後1時25分 | 広島東洋カープの一週間の戦いぶりを紹介する番組。 |
WATCH〜真相に迫る〜 | 日 | 午前0時55分〜午前1時25分 | 原則として毎月最終土曜日の深夜に放送される、 |
ZIP! エキキタ | 日 | 午前6時30分〜午前7時 | |
子育てんき | 日 | 午前11時25分〜午前11時30分 | |
Dearボス トップの秘密のぞき見バラエティ | 日 | 午後0時35分〜午後1時5分 | |
進め! スポーツ元気丸 | 日 | 午後11時25分〜午後11時55分 |
広島テレビ放送と言えばお堅い放送局という印象を持つ方が少なくないのだが、
広島テレビ放送の特色
今後広島テレビ放送に改善して頂きたいと思っている点
(注釈コーナー)
注1:広島市が政令指定都市に移行し、行政区が設置されたのは1980年(昭和55年)4月1日のことである。この時は安芸区・安佐北区・安佐南区・中区・西区・東区・南区の7行政区が設置された。その約5年後の1985年(昭和60年)3月20日に佐伯郡五日市町(1911〜1985)を編入した際に8番目の行政区・佐伯区が設置されている。
注2:広島テレビ放送・広島エフエム放送以外の放送局の開局時期と、現在地に本社を置くようになった時期は下表の通りである。
放送局名 | 開局年月日 | 現在地への 本社設置時期 | 備考 |
---|---|---|---|
NHK広島放送局 | 1928年(昭和3年)7月6日 | 1960年(昭和35年) | その後建て替えを経ている。 |
中国放送 | 1952年(昭和27年)10月1日 | 1961年(昭和36年) | 1967年(昭和42年)3月31日までの社名はラジオ中国。 |
広島ホームテレビ | 1970年(昭和45年)12月1日 | 開局時点から | |
テレビ新広島 | 1975年(昭和50年)10月1日 | 開局時点から |
注3:広島テレビ放送は通常は終夜放送を実施しているのだが完全移転のため9月23日は午前0時55分〜午前5時59分の約5時間放送を休止した。
注4:実は広島テレビ放送の登記上の本社は今年3月31日に既に広島市東区二葉の里三丁目に移転している。それからは広島市中区中町にある旧本社は広島テレビ放送中町ビルと称するようになった。なお、今年9月13日付中国新聞朝刊によると旧本社、すなわち中町ビルは今年中に解体されることになっているとのことである。
注5:昭和時代に活躍した歌手・二葉あき子(1915〜2011)の芸名は広島市東区二葉の里出身だったことに由来している。
広島市東区二葉の里三丁目にある二葉あき子歌碑(左)とその傍らにある歌碑建立の趣旨を記した看板(右)。
歌碑には二葉あき子の代表曲の一つである「夜のプラットホーム」(1947年〔昭和22年〕発表)の歌詞が刻まれている。
注6:イズミは中国地方を中心に多くの商業施設を持つ企業である。
注7:広島東警察署は以前は広島市中区富士見町に庁舎があったが、広島市内の警察署の管轄再編により広島市東区二葉の里三丁目に移転したものである。なお、移転と同時に広島東警察署は広島市東区と安芸郡府中町を管轄区域とする警察署に再編されている。
(参考資料:広島市を管轄する警察署一覧表)
警察署名 | 所在地 | 管轄区域 | 備考 |
---|---|---|---|
安佐北 | 広島市安佐北区可部四丁目 | 広島市安佐北区 | 旧:可部警察署(2007年〔平成19年〕4月1日現行名称に変更)。 |
安佐南 | 広島市安佐南区西原九丁目 | 広島市安佐南区 | 旧:広島北警察署(2007年〔平成19年〕4月1日現行名称に変更)。 |
海田 | 安芸郡海田町つくも町 | 広島市安芸区 安芸郡海田町 安芸郡熊野町 安芸郡坂町 | 安芸郡海田・熊野・坂各町はもし広島市に編入された場合広島市安芸区に編入されることになっている(現在合併問題は浮上していないが今後浮上する可能性があるためあえて書いている)。 |
佐伯 | 広島市佐伯区倉重一丁目 | 広島市佐伯区 | 2013年(平成25年)9月2日に開業した、広島県では最も新しい警察署。 |
広島中央 | 広島市中区基町 | 広島市中区 | |
広島西 | 広島市西区商工センター四丁目 | 広島市西区 | |
広島東 | 広島市東区二葉の里三丁目 | 広島市東区 安芸郡府中町 | 安芸郡府中町はもし広島市に編入された場合広島市東区に編入されることになっている(現在合併問題は浮上していないが今後浮上する可能性があるためあえて書いている。また、安芸郡府中町は人口が5万人を超えていることから2010年〔平成22年〕秋以降市制施行を目指しているが具体的な動きは見られないままになっている)。 |
広島南 | 広島市南区宇品東四丁目 | 広島市南区 | 2023年(平成35年)に広島市南区出汐二丁目に移転する予定。 |
注8:広島テレビ放送はかつて福山市沖野上町五丁目の駅前大通り(県道22号福山・鞆線)に面して建っていた福山支社も高層建築であった(老朽化により福山支社が福山市東桜町に移転し、更にその後解体されたため今はもう見られない)。
注9:その後1990年代中期にNHK広島放送局とテレビ新広島(新館)が高層建築の本社を建てている。
注10:広島テレビ放送新本社入口には「私有地なので立ち入りや通り抜けはご遠慮下さい」という看板があるが一般市民開放部分に関しては立ち入りは規制していないのでその点は留意して頂きたい。
注11:広島テレビ放送新本社1階エントランスホールに立ち入れる日時は次の通りである。
・月曜日〜金曜日…午前10時〜午後5時
・土曜日…午後1時〜午後5時
なお、祝日は立ち入ることはできない。
注12:中国地方初の民間テレビ放送局は1958年(昭和33年)6月1日に開局した山陽放送テレビ(RSK、岡山市北区丸の内二丁目)である。山陽放送は1953年(昭和28年)10月1日に中波放送局として開局していたので中国地方初の民間テレビ放送局は中国地方初のテレビ・ラジオ兼営民間放送局でもある。
山陽放送本社のそばにあった山陽放送テレビ開局60周年を宣伝する看板(今年3月18日撮影)
※ちなみに他の中国地方初の放送局は次の通りである。
・日本放送協会(NHK)…広島放送局(1928年〔昭和3年〕7月6日開局)
・民間中波放送局…中国放送ラジオ(1952年〔昭和27年〕10月1日開局。中国放送は同時に中国地方初の民間放送局にもなっている)
・都道府県域民間エフエム放送局…広島エフエム放送(1982年〔昭和57年〕12月5日開局)
・コミュニティ放送局…エフエムふくやま(1996年〔平成8年〕8月8日開局)
注13:日本海テレビジョン放送は本社移転と同時に音声多重放送を開始したのだが、音声多重放送が実施されるようになってから開局したところを除くと中国地方では最後に音声多重放送を開始した民間テレビ放送局となった。
注14:テレビせとうちの経営状況が厳しいのは人気が低く、系列局のない地域では視聴に制限がかかるテレビ東京系列に属していることが主たる理由ではある。しかし、テレビせとうちが放送区域としている岡山・香川両県の人口は300万人に満たないこと(これでも広島県よりは若干多い)を考慮する必要がある。300万人に満たない人口の地域に民間テレビ放送局5社・民間中波放送局2社・都道府県域民間エフエム放送局2社もあったら当然のことながら経営環境は厳しいものになる。現在岡山・香川両県で生じている民間放送局の問題は次に挙げる通りである。
・テレビせとうちは未だに井原市に中継局を設置できていないし、中国地方に本社を置いている民間テレビ放送局では唯一広島市に支社を設置できていないといった問題を抱えている。
・テレビ東京系列に属する民間テレビ放送局がない広島県では放送されたのにテレビせとうちでは放送されずじまいになった番組がいくつかある。
・西日本放送テレビ(RNC、高松市丸の内)は中国・四国地方に本社のある日本テレビ系列に属する民間テレビ放送局で唯一終夜放送を実施していない。
・山陽放送ラジオの自社制作のワイド番組の改廃が激しい。
・山陽放送ラジオはradikoへの参入も遅かったし、エフエム補完放送の開始も遅かった。
・西日本放送ラジオは日曜日は午前0時で放送を終了している。
・西日本放送ラジオはradikoへの参入も遅かったし、未だにエフエム補完放送開始への動きを見せていない。
確かにテレビ東京系列に属する民間テレビ放送局があることや多くの番組を楽しめることを羨ましいと思う方は少なくないのだが、内情は非常に厳しいものがある。その点はどのくらいの方が認識しているのであろうか。その点があまり知られていないのが私としてはどうかと思うところである。
注15:広島テレビ放送以外の状況は下表の通りである。
放送局名 | 状況 |
---|---|
NHK広島放送局 | ・社屋の東側を鯉城通りが、社屋の南側を平和大通りがそれぞれ通っている。 |
中国放送 | ・社屋は幅の広い幹線道路には面していないのだが社屋の南方約300mのところを通る城南通りや社屋の西方約350mのところを通る国道54号線(国道191号線重用)から社屋を見ることはできる。 |
広島ホームテレビ | ・社屋の東側を国道54号線(国道191号線重用)が通っている。 |
テレビ新広島 | ・社屋の北側を国道2号線が通っている。 |
広島エフエム放送 | ・社屋の北側を国道2号線が通っている。 |
注16:他には中国放送や広島ホームテレビ、山口放送、岡山放送(OHK、岡山市北区学南町三丁目)がある。なお、テレビせとうちも旧本社は山陽新幹線の列車から見ることができた。
注17:現在の球団名である広島東洋カープになったのは1967年(昭和42年)暮れのことである。但し現在でも広島カープと呼称することはよく見られる。
注18:福山市が広島県南東部最大の都市になったのは1956年(昭和31年)9月30日に沼隈郡鞆・水呑(みのみ)両町及び赤坂・熊野・瀬戸・津之郷各村と深安郡市・千田・引野・御幸各村を編入した時である。この時点で福山市の人口は10万人を超え、広島県南東部初の10万都市になっている。
注19:NHK広島放送局と中国放送テレビにおける初のUHF電波を用いた中継局は府中中継局(福山市新市町相方〔さがた〕)である。NHK広島放送局は1964年(昭和39年)5月25日に、中国放送テレビは1964年(昭和39年)10月1日にそれぞれ開局させている(広島テレビ放送は1966年〔昭和41年〕3月26日開局。無論UHF電波を用いている)。
注20:中継局に付けられている市町村名とその中継局がある市区郡町村名が合致しない例は広島県でも多数存在する。かつては尾道中継局もそうだった(2005年〔平成17年〕3月27日までは御調〔みつぎ〕郡向島町〔1950〜2005〕だった)し、現在でも竹原中継局や府中中継局(テレビ放送・エフエム放送のみ)がそうなっている。
注21:中国地方にある日本テレビ系列に属する民間テレビ放送局では山口放送テレビも制作番組を流していたことがある。
注22:中国放送テレビも2001年(平成13年)10月から月曜日早朝も終夜放送を実施している。
注23:反対に中国放送テレビはアナログ放送完全停波前にこれまで放送してきた主な自社制作番組の映像を流した後2006年(平成18年)秋まで放送終了時に流されていた、正体非公開の女性が「中国地方の子守唄」(ちなみに発祥地は岡山県〔井原市高屋町〕)をハープで演奏する映像を流してアナログ放送を終了させている。見ていてなかなか粋な演出だと思ったものであるが、広島テレビ放送はこういうことは考えなかったのだろうか。
注24:その映像の写真が下に公開したものである。なお、この写真は自分のパソコンで録画したものを撮影したものである。
注25:中国地方では山口放送テレビが1993年(平成5年)9月末まで日本テレビ系列とテレビ朝日系列のクロスネット局になっていた。その頃山口県に住んでいた方の話では次のような状況だったという。
・午後7時から始まるプロ野球中継は延長がなく、午後8時54分で打ち切られていた(つまり山口県は中継延長がない一部の地域に入っていた)。
・火曜日午後10時台や土曜日午後10時台にはテレビ朝日系列の刑事ドラマが放送されていた。
・「火曜サスペンス劇場」(日本テレビ系。1981〜2005年〔昭和56年〜平成17年〕放送)は「土曜サスペンス劇場」と改題して土曜日午後1時から放送されていた。
・「土曜ワイド劇場」(テレビ朝日系。1977〜2017年〔昭和52年〜平成29年〕放送)は土曜日の深夜に放送されていた(それがその頃はまだ終夜放送に移行していなかった山口放送テレビの土曜日最後の番組でもあった)。
・「ドラえもん」など一部の番組はテレビ山口(TYS、山口市大内千坊六丁目)で放送されていた。
注26:計算式は365(通常の1年の日数)×56(年数)+14(1962〜2018年〔昭和37年〜平成30年〕にあった閏〔うるう〕年の数)+23(今年9月1〜23日の日数)である。
※ちなみに広島テレビ放送が開局した1962年(昭和37年)と今年、すなわち2018年(平成30年)の曜日配列は同じである(曜日パターンは
こちら
で、曜日配列は
こちら
でそれぞれ公開しているので興味のある方はご覧頂きたい)。
注27:開局間もない頃のテレビ新広島は放送開始時にチャンネル紹介をしていたような覚えがある。また、某動画投稿サイトで見たことがあるのだが、広島ホームテレビはかつては放送終了時に本局のチャンネルと映像周波数、音声周波数、出力を表示していたことがある(その映像は1984年〔昭和59年〕9月頃のものだったが、恐らく開局からCI〔コーポレーションアイデンティティ〕を導入し、略称をUHTからHOMEに変更した1986年〔昭和61年〕春まで使用していたのではないかと思われる)。
注28:これは広島エフエム放送の中継局の数が都道府県域民間エフエム放送局で最も多いこと(13箇所)でもうかがえる。それでも経営上の問題から庄原市東城地区や山県郡安芸太田町などのある程度の人口がある地域でも中継局の設置が見送られているところがある。
※広島エフエム放送は放送開始時(月曜日午前5時前)と放送終了時(月曜日午前2時過ぎ)にはきちんと全ての中継局の周波数を読み上げている。
注29:中国放送テレビは正体非公表の女性がハープで「中国地方の子守唄」を演奏する映像が、広島テレビ放送は夜の平和記念公園(広島市中区中島町)の噴水の映像(BGMにはリチャード・クレイダーマンの「午後の旅立ち(原題:Triste Coeur)」が使用されていた)がそれぞれ使用されていた(中国放送テレビの映像は2006年〔平成18年〕、広島テレビ放送の映像は1999年〔平成11年〕にそれぞれ使用をやめている。但し注23で触れた通り中国放送テレビの映像はアナログ放送終了時に一回だけ復活を遂げてアナログ放送の終了を飾っている)。
注30:「50代以上」と書いたのは既に60代になっているアナウンサーが何人かいるからである。
注31:該当する番組は下表の通りである。
題名 | 放送日時 | 概要 | |
---|---|---|---|
曜日 | 時間 | ||
コープのおいしめし | 月 | 午前11時25分〜午前11時30分 | |
ハロー! クッキング | 土 | 午前11時40分〜午前11時45分 | |
大ちゃんの釣りに行こう! | 月 | 午前2時25分〜午前2時55分 |
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |