このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
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慶長元年(1597年)、6名の外国人と20名の日本人が豊臣秀吉のキリシタン禁令のため、大阪・京都で捕らえられ、 長崎に護送され、この地で処刑されました。 この出来ごとは広く伝わり、文久2年(1862年)、ローマ教皇は、この26名の殉教者を聖人に列し、「日本二十六聖人」と 称せられました。 昭和36年列聖百年を記念して26聖人の殉教碑と、資料を展示した記念館、記念聖堂が建てられました。 この殉教地の前は西坂公園として整備されています。 殉教碑は舟越保武氏によるもの、記念館と教会は今井兼次氏の設計によるものです。 | |||||||||||||
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1962年、二十六聖人記念館と合わせて、今井兼次によって建築されました。 | |||||||||||||
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