菊池武光像 正平14年(1359)8月7日大保原(小郡市)で武家方の小弐頼尚に勝利した宮方の菊池武光は、 さらに敗走する敵を追って山隅原まで進出した。 この方面で戦っていた小弐方の大友勢も菊池勢の側面からの攻撃に敗れた。
武光はさらに小川を渡り(菊池渡という)深く追撃しようとした。 しかし夜明け前からの激戦で死傷者は小弐方1万8千人、菊池方6千9百人と伝えられるように見方も損害が大きく また疲れきっていたので、進撃することを止め、軍を山隈原にまとめた。
朝からの戦いで血まみれの刀を山隈原を流れる小川で洗うと、刀は鋸のようにこぼれており、 川の水は真っ赤に染まった。
「帰来、河水に笑って刀を洗えば、水は奔端にほとばしって、紅雪をふく・頼山陽」
「そのかみの血潮の色とみるまでに、紅葉流るる大刀洗川・乃木大将」
古人は、このありさまをこのように詠じている。
この故事によって、本町は大刀洗町と名づけられた。
勇ましい姿のこの銅像はゆかりの菊池渡りの地に昭和12年建立されたものである。
なお、馬腹や台石の弾痕は昭和20年3月の大刀洗飛行場爆撃の名残です。
[現地案内板より転記] |