福島県・今はなき鉄路
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください




福島県・今はなき鉄路
2005年8月21〜22日




家族で福島へ1泊2日の旅行に出かけました。

まったくの家族サービスのはずだった今回の旅行。しかし、思いがけず、各所で福島の 「鉄道の遺産」に出会うことになりました。


☆旧・翁島(おきなじま)駅舎

猪苗代地方の「緑の村」というところで、昼食に入ったおそば屋さん。何か、 駅の待合室みたいだなあ…と思ったら、それもそのはず、その建物は旧国鉄の翁島駅舎 を移築したものだったのです。

 


旧翁島駅舎は大正生まれの由緒ある建物。昭和58年の国鉄合理化によって地元の保存会が譲り受け、 その後昭和62年、ここに移築復元されたのです。中には、国鉄時代の列車時刻表や運賃表などが 昔のままに掲げられていて、本当に駅の中で食事をしているような不思議な気分になりました。


☆軽便鉄道

その「緑の村」の敷地内に、機関車と客車が展示されていました。パンフレットによるとこの車両は、 大正2年から昭和44年までの57年間、沼尻駅と川桁駅の間15.6kmを45分かけて走っていた 軽便鉄道の車両だそうです。当時、この地方で唯一の交通機関であったこの鉄道は「マッチ箱」 「豆汽車」と親しまれて、多くの湯治客・ 観光客を運んだそうです。

 


客車内は、私好みのなかなかの風情。できることなら、実際に鉄路を走っていた頃に乗車してみたかったものです。


☆日中線記念館(旧熱塩駅)

翌日、喜多方を観光した際に、旧国鉄日中線の終着駅、旧熱塩駅を訪れました。

 


日中線は昭和59年3月31日限りで廃止となりました。熱塩駅は、同線の歴史を後世に残すため、 ラッセル車と客車及び関係資料を展示する日中線記念館として、保存されています。

 


すでにレールは取り払われ、いまは鉄路なき駅舎だけが、墓標のように佇んでいました。 しかし、この旧熱塩駅、何ともいえぬ旅情を醸し出しています。眼を閉じると、今にも汽笛が聴こえてきそう にさえ思えてきます。

 



駅の奥遠くに置かれたラッセル車と客車はすっかり古びて、至る部分に損傷が見られました。 しかし、一応屋根は取り付けられ、線路のうえに「保存」されています。 1992年8月に訪れた南大夕張駅跡 に比べれば、まだ 状態は良好のように思われました。


* * * * * *


本来は乗客を乗せて、レールの上を走るはずの鉄道。車社会へと日本が変化していく中で、 鉄道は徐々に、過去の遺産へと化しているように思われます。僅か1泊2日の家族旅行の 中にさえ、その“遺跡”が散見されました。
結局、鉄道には一切“乗車”することのなかった 今回の旅。瞳を閉じて、汽笛の音とレールの響きを頭の中に描きながら、束の間の「空想鉄道旅行」に 浸っていました。




 
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