風のメロディ
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

86.7 北海道旅行




     ———今はひとり町をさまよえば、
         夏の終わりを告ぐ風が吹くだけ。



●10.釧路本線の原野 【6〜7日目】 

 清水沢でラーメンの夕食を取り、友達に絵はがきを書いてポストに入れる。待合室で飲んだ、熱い 缶牛乳は本当に美味しかった。
 19時27分、清水沢を発車。普通列車と特急「おおぞら12号」を乗り継いで、札幌に21時53分 に着いた。休憩する暇もなく、27分後に出る夜行急行「まりも」の自由席の列に並んでおかなくて はならない。並んで少し経ってから14系列車が入線。かなり並んでいたので、座れるかどうか心配 だったが、何とか窓側の席を取ることが出来た。座席に荷物を置いておき、安心してサッポロビール を買いに出かける。

 22時20分、急行「まりも」発車。サッポロビールを開けて飲むと、何ともノド越しが爽やかだ。 夜行列車とアルコールは、絶好のカップリングだ。特に夏は、少し暑い車内に冷たい缶ビールが 美味しい。それが道内の夜行でサッポロビールともなれば、最高だ。
 呑むとすぐ眠る癖のある僕は、その夜、実に寝付きが良かった。14系客車の座席はやはり、実に 座り心地が良い。僕の長い体には少々窮屈だが、少なくとも普通のボックス席よりは、よほどマシで ある。アルコールの効果も手伝って、一晩ぐっすりと熟睡する事ができた。

 翌朝は6時前に目覚めた。もう、殆ど釧路が近かった。昨日見てきた夕張とは明らかに風景が 違っていた。なだらかに続く丘陵、広々とした草原、その中に浮かぶ、釧路の街。夜の闇を越え、 「まりも」は道東の香りを朝の風と共に僕に伝えてきた。外は少々霧っぽい。元来海霧の発生し やすい地方であるうえに、昨日からの天候だ。霧の中の草原は、幻想的だ。

 6時10分、「まりも」は釧路に着いた。ねぼけて、まだぼんやりしたままに、根室行き急行 「ノサップ1号」に乗り換える。ディーゼルカー2両だけの、完全なローカル急行である。車内は 空席が目立つ。
 12分後に列車が釧路を出ると、次の駅が見える前にもう釧路の街は途切れ、 外は原生林が一面を覆い尽くした。原野の中を走り、小さな集落が見え始めると駅が現れる、その 繰り返しが続く。
 いつしか列車は、いわゆる「根釧台地」の一角に入っていた。人工物は一切見えない。強いて挙げれば、 今僕を乗せて走っている列車とその下のレールだけが、辛うじてこの大自然と人間の媒介体と なり得ていた。一日に19回、上り・下りの列車が通る以外は、この辺りは完全に自然の楽園なのだ。 そしてちら、ほらと民家が見え始め、集落が近くなってくると、草原に牛が寝ころび、草をかむ 酪農の風景が見られる。ああ、何と牧歌的なんだ。

 やがて列車は、釧路を出て最初の停車駅、厚岸に着いた。急行停車駅…と言っても、小さな集落だ。 その厚岸を過ぎてしばらくは、厚岸湾岸の見事な湿原が拡がる。海沿いの壮大な自然の風景画は 見る者を圧倒する。もちろん、人工物はみられない。
 小雨に揺れる原野は更に続く。時々現れる酪農の牧場の、草原は広い。牛が本当にレールのすぐ 近くまでやってきて、草を拾っている。あまりにもスケールの大きい、そしてあまりにも素朴な Pastral Landscape 。
 標津線との分岐点、厚床に到着したが、駅の南側に集落は見られない。遥か向こうにまで平原が 続く。地平線、そうか、あれが地平線なのだ。生まれて初めて見る、大地の終わり。地と空の境目が 霧に霞んでいる。ロマンチックであり、ファンタジックである。

 こうして原生林と牧場と原野と、小さな集落が繰り返され、日本最東端の東根室駅も通過して、 8時40分、急行「ノサップ1号」は根室に到着した。根室…。小学生の時に一度だけ、夢の中で 見たことがある。吹雪で真っ白に覆われた、なんとも小さな駅だった。
 今現実として見る 根室駅は、短い夏の、雨の中だ。ただホームが一番線しかないという点は、夢の中と同じだ。やはり 根室は、最果ての小さな駅なのだ。
 改札を通ると、待合室の真ん中には火は入っていないものの、ストーブがでんと設置されている。 根室には、夏季はあっても夏はないのだろうか、待合室に佇む人々の服装が、この日の気温を 如実に示している。僕らが普通、冬の始まりに着るような格好と、まるっきり同じなのだ。部屋の 隅っこに掛けられている温度計に目を凝らしてみる。…気温15度。待合室から外に出れば、もっと 寒いだろう。7月下旬の雨の日の朝、この辺の気温は10度少々なのか。7月の、白い吐息。 自分が北の地にいることを、痛切に感じる。

 上り列車の時刻まで、まだ2時間もの余裕がある。そこで僕は駅の近くにある「北方資料館」を 訪れることにした。街は小雨に濡れ、何とも寒そうだ。高い建物のない、典型的な地方都市。 「花咲ガニ」が産地直送で店の軒先に並んでいる。

 資料館は予想外に小さな建物で、もう少しで見落とすところだった。9時半開館の直後に訪れたためか、 おそらく僕が今日初めての来客だ。
 二階建ての展示場は、道東に生息する動物と北方領土問題とで二分されていた。ヒ熊や鶴の剥製や、 魚介類のホルマリン漬けなどもある。北方領土については、動物類以上に熱心な説明が展示されて いる。根室や後日訪れる事になる標津町、そして知床の羅臼あたりに来ると、北方領土の問題が 非常に現実的な、切実な願いを込められているのがよく分かる。「歯舞で親を亡くし、そこに墓を 建てたが、ソ連領と見なされて以来、墓参りにさえ行けなくなった。つい近頃、墓参が辛うじて 認められたばかりである」という話を聞けば、中国残留孤児なみの取り上げられ方はされてもいい のでは、という気になってくる。言うまでもないが、戦争の爪痕がこういう形になって現れて いるのである。
 資料館ではこのほか、江戸時代に描かれた北海道(蝦夷地)の地図なんかも興味深いものだった。 とにかく「根室」の地域性を感じられ、良い資料館だった。

 駅に戻って10時55分発の急行「ノサップ2号」で、もと来た鉄路を釧路まで戻って行った。再び、 原野の旅…。途中、少し居眠ったことも手伝って、釧路に着いたのは早く感じられた。
 釧路は大きな街だ。地下の商店街もあり、その中の一つで昼食を取る。昨日の夕張あたりから、 ようやく食欲が回復してきた。体が、旅の日々に慣れてきたのだ。

 釧路14時15分発の特急「おおぞら10号」で帯広へ向かう。前にも書いたが、北海道内の特急 は実に乗り心地がいい。快適な車内に、美しい車窓の風景。リクライニング・シートの特急の旅が 好ましく思えてきたとは、鈍行から始まった僕の鉄道旅行も、贅沢になったもんだ。とはいえ、 ワイド周遊券なら道内の特急・急行の自由席はタダなのだから、利用できるだけ利用しておかなけ れば損である。
 沿線は、さすがに釧路以東のように民家一軒さえ無いといったような原野は 見られず、緑と人との共存、といったような風景が続く。帯広が近づくにつれて、雄大な畑が姿を 見せてくる。十勝平野に入ってきたのだ。オモチャのような、カラフルな屋根の家が多くなってきた。 どの家にも煙突が必ずついているのは、北海道らしい。

 そして16時12分、帯広に到着。これから一泊をはさんで広尾、士幌のローカル線の旅が始まる のだ。


「11.広尾線」へ続く



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