たったひとりのオーディエンス
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

86.7 北海道旅行




     ———君はオーディエンス。たったひとりで、僕のために耳を傾ける。
         届け響け、心の音よ。どんな時も君を守りたい。



●11.広尾線 【7日目】 

 広尾線は「愛国から幸福行き」の切符であまりにも有名になった線だ。その愛国駅、幸福駅 もろとも、廃止の運命をたどろうとしている。ローカル線の悲しい運命と言ってしまえば それまでだが、今の僕にできる事といえば、廃止になる前にせめてもの乗車体験をしておく 事くらいである。「廃止」の二文字は、もう変えようがない。淋しい事だが。愛の国… 幸福も、いつかは消えていくもの、そんな声が聞かれそうだ。

 帯広駅で発車を待つ2両の列車には、通学の生徒と鉄道ファンとがほぼ同じくらいの割合で 座っている。小さな子供連れの家族も、ちらほらと見られる。乗車率は、ローカル線にすれば まあまあだ。

 16時48分、列車は帯広を発車。独特のディーゼル音を唸らせながら、帯広の市街と別れ、 十勝平野の畑の中を走りゆく。その風景は本当に雄大だ。空が曇っているのは少し残念だが、 どこまでも続く黄色い畑と、その中でピンと空を指して立つ針葉樹の並木とのカップリングは、 絶好の風景画だ。その風景画は、今日の朝に見た根釧台地の大原野とは、また違った良さがある。 そのパステル画を、汽車の窓から眺められるというのは、僕にとっては最高の理想だ。
 そして改めて思うことは、北海道はやはり人口密度が低いという事である。
 例えば本州内ならどこでも、山の峡谷を除けば、しばらくの間民家が見られないなんて所は、 まず皆無である。どんな田舎に行っても、やっぱり田畑に交じって民家の屋根が見られるので ある。鉄道の通る所ならば、なおさらのことだ。
 それが、唯一北海道には当てはまらない。どこまで行っても原野ばかり、或いはどこまで行っても 畑、畑。そんな所がザラにある。丘陵地に、人工物が殆ど見られないなんて事が珍しくない のだ。これは、今の過密化した日本の中では、本当に貴重な存在である。この広尾線にして みても、低密度の所を走っているのだから、利用人口が少ないのは当然の事なのだ。赤字に なって当り前なのだ。
 それを、だからといって廃止にするべきか、利用者が現にいるのだから 残すべきか。国鉄は前者を取った。そういう、人里はなれた所を鉄道が走ることが最高の理想 なんだという身勝手な僕は、当然後者の意見になる。どちらが正しいのか、判断は極めて微妙な 感情が入る。地元の人々にとっても…

 列車はやがて愛国に着いた。ブームは去ったが人気は相変わらずで、大勢のギャルたちが駅名標 の横で記念写真を撮っている。最近のバスツアーの中には、この「愛国駅」や「幸福駅」めぐり もコースに入っているという。本来の設備目的である鉄道には乗らずに、バスでやって来るのだ。 全くふざけているとしか言いようがない。素朴で広大なローカル線に、チャラチャラしたギャル 軍団は似合わない。せめて愛国−幸福間だけでも、鉄道に乗ってみろ、と言いたくなる。(筆者 注:末期には、愛国−幸福間だけ乗車のツアーというのも、実際にあったようだ。しかし、本当に 乗ってきたら乗ってきたで、それも鬱陶しいものである。)

 愛国から二つ目の駅が幸福駅だ。プラットホームは何もなく、素朴な佇まいだ。ただし、発車後に 見えた駅舎は、絵馬や落書きでいっぱいだった。
 幸福を出れば、先はもう賑やかさも無くなり、 広大な畑の中をただただ、駆け抜けていく。十勝平野の広さを満喫するうちに、列車は広尾駅へ…。 「広い土地の尾っぽ」とも読める広尾という名は、この線の終着駅にふさわしい。

 広尾に着いたのは18時41分だから、もう陽は沈み、そろそろ暗くなりかけた頃だった。折り返し の上り列車は19時54分発で、ずいぶん時間があった。その間にどこかで夕食を取るはずであったが、 駅前を探しても飲食店らしきものが見当たらない。「?」
 仕方がないので駅の待合室で売店のパンを買って食べていると、僕と同年くらいの奴が近寄ってきた。
「これから何処へ行かれるんですか」
「いいや、これから上りで帯広へ帰るだけ。君は?」
「ええ、これから襟裳岬へ行こう思てたんやけど、この天気やったら雨になるかも知れんし、僕も 上りで帰りますわ」
「宿は?キャンセルするの、襟裳岬のは」
「いいえ、どうせ向こうでも野宿するつもりやったもんで」
彼は大阪弁で話す。それもその筈、近畿大学の1回生だ。僕と同じ農学部であり、ぐっと親近感が 持てる。彼も、もう十日間も北海道を回り続けていると言う。

 パンをむさぼりながら彼と旅行談義に花を咲かせていると、今度は少し年をくったオッさんが僕らに 近づいてきた。この人は、地元民のようだった。
「旅行かい、いいねえ若いもんは。でもねえ、考えなくちゃならない。なんであんたらがこうして 悠長に旅行なんぞしていられるのか。平和ってものに、感謝しなくちゃいけないよ」
オッさんは少々酒が回っている様子だった。ビールを飲みながら、話は続く。
「…他の殆どの国には、兵役制度がある。日本にゃあそれがない。俺たちゃそれを本当に自負して、 それを守っていかなくちゃあならねえんだ。それが何だい、この前の選挙は。自民党の圧勝だと… 何だって、軍拡・中曽根の後押しを、国民がわざわざしなくちゃいけねえんだ」
オッさんの、舌とビールのペースは速まる。オッさんに言葉を返す僕らが関西弁を話すのを聞いて、 オッさんは
「だいたい、大阪の奴らはバカばっかしだ。あんな西川きよしなんかに、百万票も 入れやがって…。タレントなんざ、政治の事なんか何一つ分かっちゃいねえんだ。周りの雰囲気に 流されて、結局は自民派に傾くこたァ、目に見えてるじゃねえか」
「しょうがないですよ。西川きよしは、人気があるから」
「それがいけねえ、そいつがいけねえんだ。人気があるから、有名だから票を入れるなんざァ、 だから大阪の奴はバカばっかしなんだ。政治の内容とか、そんなもんは全然考えていねェ。だから 大阪から横山ノックや、中山千夏や中村鋭一や、無能なタレント議員ばっかり出て来やがるんだ。 挙げ句の果てが西川きよしだと。何を考えてんだ」
話していくうちに、オッさんは学生時代は紛争もしばしばだった事が分かってくる。
「あんたら、そう言うけどね。学生時代に運動やってたからって就職させないような企業なんざ、 こっちから断ってやりゃあいいんだ。自分らの暮らしを少しでも上向きにする為に抗議するのが、 どこがいけねえんだ」
「そりゃそうですけど、食っていけなきゃ、暮らしもクソもないじゃないですか」
「いや、世の中がみんなそう考えている奴ばかりだから、あんな自民党なんかが圧勝しちまうん だよ。誰かが言わなきゃいけねえんだ。誰かが指摘しなけりゃいけないんだよ。あんたらは今まで、 平和な世の中に甘えて生きて来ただろう。これからは、その平和な世の中を守ってやる立場に立たなきゃ いけねえ。そうだろう。ぬるま湯につかっている内に、いつか日本は中曽根の奴隷国になっちまうぜ」

 やがて改札が開き、僕らは列車に乗り込んだ。19時54分、暗闇の中、列車は広尾を 発車した。車内でも、オッさんとの話は続く。
「あなたは北海道に何を見に来たんだい」
「そうですね。僕は鉄道が好きで鉄道を乗りに来たんだけど、やっぱり大自然はいいですね」
「ほお…。でもねえ、自然を見に来るのもいいけど、もっと現実的な所も知らなきゃ。この広尾線に 大樹っていう駅があるの、知ってるかい?その大樹町で今、何やってるか知ってるかい。演習だよ。 自衛隊の軍事演習。アメリカと日米合同で、やっているのさ。だだっ広ぇ原野で、戦車転がしたり 機関銃ブッ放したりしているんだよ。自然も何もありゃしねえ、演習をやった所はズタズタさ」
「大樹町の町長さんは、何も言わなかったんですか?」
「言う訳ないさ。…いや、言いたい事は山ほどあっても、言えないのさ。自衛隊に演習場所を提供 すりゃ、かなりの金が町に落ちることになる。不景気な町に、少しでも活気が戻るきっかけになるんだ。 …もっとも、そんな町長ばっかしだから、少しも世の中が良くならねえんだがな。あんたは、神戸から 来たって言ったな」
「はい」
「神戸の市長は立派だぜ。佐世保、横須賀はいとも簡単に核搭載船の寄港を認めちまったが、神戸 だけは頑として受け付けねえ。核は神戸には持ち入れさせません、てね。ああいう態度を、他の 奴らは見習わなくちゃならねえ」
とオッさんは言った。僕はそんな事は全く知らなかったのだが、自分の街がほめられると、悪い気は しない。
「まあ、吉田茂が日米安保条約なんざ調印したのが、そもそもの間違いさ。北方領土にしてもそうさ。 政府は“クリル諸島まで”を主張しているが、吉田茂は安保条約の席で、『北方領土はいりません。 放棄します』って言ってるんだよ。一度放棄したものを返せっていったって、そりゃあ無理だぜ」
「それ、本当ですか?根室の北方資料館には、そんな事書いてなかったけど」
「本当さ。あの辺の町はみんな、それを隠してるのさ。そうでなけりゃあ、事実を知らないんだ。 政府にだまされているのさ。吉田茂の懐の金の為に、あの四島が犠牲になったんだ」
オッさんの話はどこまでが本当なのか分からなかった。ただ、自民党と政府を攻撃する態度だけは 一貫して変わらなかった。

 石坂駅で、オッサンの友人が乗り込んできた。毛糸の帽子をかぶり、頬は紅く染まり、体はよく 太っていた。まるで真冬のような服装での登場だった。
「や!まぁたやってるな、こいつ」
ドタドタと、友人氏が賑やかにやって来た。酒が入っているが、この人は笑い上戸だ。
「学生さんよ、こいつの話なんて真剣に聞く事ァねえぜ。こいつァ学生紛争出身のくちでね、今 だに、やって来る旅行者をつかまえては、こんな話ばっかりしてやがんだ。今の学生さんはね、 打てばパチンコ張ればマージャンってね。こんな話を、誰が興味を持つもんかい」
友人氏は大笑いする。オッさんはもう既に、かなりまわっていた。
「誰かがやらなきゃいけねえんだ。自分の暮らしの為に抗議するのが、どこが悪いってんだ」
二人でああだこうだと言っている内に、友人氏は次の大樹駅で降りていった。
「あいつ、また酒を飲みに回ってやがる」

 車内は友人氏が去って静かになった。僕はオッさんに、広尾線の事を聞いてみた。
「もうすぐ広尾線も廃止になってしまうでしょ。この線がなくなったら、どうしますか」
「どうするったって、どうにもならねえよ。帯広と広尾の間にゃあ、バスも走ってるしね。列車より バスの方が、本数自体は多いんだ。まあ…廃止か。しょうがねえな、こんなガラガラじゃあ…」
と車内を指さす。あまり地元民として、鉄道には関心がなさそうだ。
「国鉄もダメだね。分割・民営になりゃ、国鉄員も失業者ばかりになっちまう。国労動労は何やって るんだい。こうなっちまったのもみんな、政府の責任だっちうのに…」
僕が一番聞きたかったローカル線の実態も、ほんの一言で終わってしまって、すぐにまた政治の 話に逆戻りしてしまった。
 オッさんは、遂に酒がまわり果てて、途中から崩れたように眠って しまった。

 22時09分、列車は深夜の帯広に着いた。オッさんは目が覚めると、もう酔いも 醒めていた。「どうも、お世話になりました」「さよならっ」僕らが挨拶すると、オッさんは「 お、おうっ」と声を上げ、改札を抜けて帯広の街の闇の中へ消えていった。醒めてしまえば、 無口な紳士だ。

 酒が入っていて少々しつこかったものの、結構面白い話を聞かせてもらった。 旅行に出れば、地元の人の話は特に念入りに聞いておきたい。先ほどの大樹町での軍事演習のような 話みたいなのに触れると、北海道のもう一つの一面についても考えさせられるのだ。


「12.帯広での駅ネ」へ続く



「雑草鉄路」の先頭へ戻る

「北海道旅行」の先頭へ戻る


トップページに戻る

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください