I dream
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
86.7 北海道旅行
———美しさや優しさが少しずつ、地上から消えていく。
そんな気がするときは、君に逢いたい。
●12.帯広での駅ネ 【7〜8日目】
帯広駅は静まり返っていた。といっても、人間がいない訳ではない。
待合室には駅ネをもくろむ人や夜行急行「まりも」を待つ人で、駅前には野宿しようとシュラフを 準備する人で、それぞれ埋まっていた。改めて北海道の人気の高さに驚く。
近大生の彼と僕も待合室に佇んでいた。コンコースの中を、「当駅は午前1時30分から午前3時 まで、待合室を閉鎖いたします。予めご了承ください…」というアナウンスが響きわたっている。 夜行の走る路線でも、もう駅ネは敬遠されているようだ。
「どうしますか」
近大氏が僕に訊いて来た。僕の決意は変わらなかった。
「やっぱり俺は帯広に残るよ。士幌線には乗っておきたいんや」
「そうですか…。僕は上りの“まりも”で札幌へ行きます。そして、もう大阪へ帰ろうと思います」
「“まりも”は混んでるぞ。自由席やと、座れるかどうか…」
「駅ネよりは楽ですよ。きっと」
近大氏は笑った。小柄な体だ。もう、駅で寝る体力は残っていないのだろう。
残り少ない時間で、僕らは互いの旅行の話を語り合った。僕の黒岳登山や夕張の様子、IBAのこと… 彼はカムイワッカの湯の滝で足が下につかずにあせった話や、女ばかりの車にヒッチハイクしてしまい、 照れくさい思いをした事などを話した。11月で廃止になる胆振線にも乗ったらしい。旅行先で 同志の旅行者と話し合う…この瞬間が、何ともいい。
タイムリミットは来た。上り「まりも」が帯広に着いたのだ。彼は「さよなら」と、手を振った。 僕も手を振った。彼は自由席の車両へ消えていった。さりげない出逢いと、爽やかな別れ。この言葉が また、僕の胸をよぎった。ひとり旅がやめられなくなる一瞬だ。旅は出逢いと別れのゲームなのだ。 気をつけて帰れよ、近大氏…。
帯広の夜は静かだった。また、ひとりでの旅の新しいピリオドを迎えようとしていた。
午前1時30分。帯広の駅のドアに、ロックがかけられた。
勿論、僕も外に放り出された。一時間半もの間、夜の街で過ごさねばならないのだ。
帯広の街は静かだった。二日前の同時刻、札幌は賑わいの佳境に入っていた。同じ北の地にして この違い。駅前には、野宿者たちのシュラフが並ぶ。みんなそろそろ、寝息をたて始めたようだ。 彼ら以外に、人影はない。
何度も言うようだが、7月の北海道に“真夏”の感覚で訪れるとえらい目に遭う。セーターを着ても まだ寒い。眠さと寒さで、半ば八甲田山じみてくる。根室駅で友達に「寒中見舞い申し上げます」の 絵ハガキを送ったのは、我ながら言い得て妙だった。が、向こうに居る者には恐らく、実感は湧いて いないだろう。家族のみんなは今頃、熱帯夜にうなされているだろうか。
無人の街をフラフラと散歩している内に、3時が来て、ようやく駅ドアーが開けられた。改札の 開くのが3時と、割合早いのは、下り「まりも」が3時11分に着くからだ。再び待合室へ入り、 荷物置きのテーブルの上へゴロン、と寝ころがった。平来、うつ伏せにならないと寝つきが悪い僕は、 ここでもうつ伏せになった。木製簡易ベッドで頬が少々痛いが、すぐ寝ついたところを見ると、もう 疲れも溜まっていたのだろう。
起きた時は、もう朝の7時過ぎだった。地元の人間で、駅の待合室は埋まっていた。
ゆうべ待合室に何人かいた駅ネの旅行者たちは、既に姿を消していた。もう、一番列車で出発 したのだろうか。短い睡眠時間だったにも関わらず、気分は爽快だ。
僕は改札を通ってホームへ行き、十勝三股行きの列車に乗り込んだ。7時半の発車だから、直前に 目を覚ましたことになる。よく、寝過ごさなかったことだ。
「13.士幌線」へ続く
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