さよなら道化者
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
86.7 北海道旅行
———悲しいときより、美しいときに泣きたいと言ってた君だった。
そんな君がとても好きだった。
●13.士幌線 【8日目】
士幌線は末端部分の糠平=十勝三股間がバス代行になっている。お陰で鉄道旅行者の間では、 結構人気がある。今でこそ「廃止→バス化」は珍しくなくなったが、ここは線区中、一部の区間での 限定代替であった事、バス化の先陣を切った事、バス化しても戸籍上は国鉄の鉄道として扱われて いる点などで、他の路線とは一線を画している。
帯広を出発、これから十勝平野を北上してゆくのだ。窓を開けると、朝の空気が、とても気持ちがいい。 沿線は、決して広々とした印象はないが、ジャガイモ畑で白い花びらが揺れ、麦畑が黄色くうねるのを 見ると、やはりスケールの大きな景色だなあと思う。北海道と本州との風景の決定的な違いは、 畑の一区画の大きさであろう。
車内は、地元の人と旅行者とが半々くらいの割合で、結構賑わっていた。鉄道ファン風の奴が多い のは肯ける。バス代行区間に乗ってその日のうちに帰るには、この列車しかないからだ。鉄道ファン がいくら多くても、彼らは皆周遊券であるから、士幌線自体に直接のもうけは無いのだろうが…。 国鉄にしてみれば、彼らには入場券や記念キップの購入を期待するしかない。南大夕張駅では今日も、 やって来る旅行者に、あの駅員が記念切符セットを勧める事だろう。
士幌駅にて。
やがて列車は士幌に着いた。対向車待ちのため、幾分停車時間があったので、待合室まで行き、 入場券を買った。素朴な小駅だ。駅前は何もない。ただ、畑といくらかの家が見られるだけだ。 こういう風景に何となく憧れて、僕は鉄道旅行の味を憶えた。こういう風景を探しに、僕は鉄道 旅行にのめり込んでいった。旅行の形態は変わっても、求めるものの本質は変わらない。
やがて列車は徐々に山間部へ上っていく。大雪山系の末端部に入ってきたのだ。朝の間は晴れて いたが、ここへ来てまた少し曇り出した。二日連続で雨に降られているが、今日は大丈夫だろうか。
元々少なかった民家がますます寂しくなって列車はいよいよ山中へ入ってしまった。人造湖である 糠平湖が右手に見える。水が、実に綺麗だ。9時42分、糠平駅に到着した。
実は士幌線の旅というのは、この糠平までは前座。メインエベントは、これから十勝三股までの 代行バス区間なのである。駅で入場券やら何やらを買い込む鉄道ファン達を尻目に、一足早く バスに乗り込む。最前列の一等席だ。
5分後にバスは発車した。バスといってもマイクロバスっぽい。が、車内は満員だ。その殆どが、 鉄道ファン。
間もなく糠平温泉街内で、バス停でもないのに車を停めた。何かと思っていると 初老夫婦が乗り込んできた。地元の馴染み客なのだろう、運転手と二言、三言話しかけている。 ローカルな光景だ。そうだ、ここは大雪山系なのだ。
バスはガタガタの道を走ってゆく。右手に、廃線となった旧線路がどこまでもついてくる。かつては 間違いなく、このレールの上を列車が走っていたのだ。5月15日に、兵庫県内の高砂線跡を歩いて みた日のことが思い出される。二度と列車の来ないレールの上を歩くのは、何ともいえずロマンが ある。
旧幌加駅前のバス停でバスは停まるが、乗降客ゼロ。当たり前で、付近には民家がない。 何故こんな所に駅を作っていたのだろうか。近くには幌加温泉があるが、それさえも山道を随分 上っていった所に、旅館が二軒あるだけなのだ。
バスは更に民家なき道を走りゆき、10時20分十勝三股着。バスを降りて周りを見渡してみる。 一体、何軒の民家があるというのだろう。この十勝三股という集落は、総戸数が十軒とあるだろうか。 どうしてこんな所に鉄道を走らせていたのだろう。毎日ここまで無人の列車を運び、この余りに寂しい 終着駅で汽笛を鳴らしていたのだろうか。
二度と列車が来ることのない十勝三駅跡
僕は、今まで見た中で最も民家の少ない(旧)終着駅に到達して感慨深くなった。嗚呼!何という 惨状だろう。もう何年も列車が来ていない廃駅跡は草ボーボーになっている。七色の花が咲き乱れ、 残酷なまでに美しい。かつての駅名標の鳥居は今にも倒れそうだ。
この廃駅跡を、やって来た鉄道ファン達が思い思いに歩いたり、写真を撮ったりしている。僕も 何枚かスナップに収めた。高砂線といい、この士幌線といい、廃駅に佇むことは本当に淋しく思える。 痛々しく見える。二度と列車が来ないのに、駅の設備がそっくり残っているのは、どこか忠犬ハチ 公的なペーソスがある。街の活発な高砂は、既に終着駅が取り壊されて無くなっていたが、この 十勝三股駅はこれからも、駅が朽ちるまでこのままの姿で残されてゆく事だろう。
駅舎は窓や扉が板で打ち付けられている。その板には旅行者たちの書いた落書きが残っている。 真面目に書いているのもあるが、半分くらいはふざけて書いた内容だった。高砂線の野口駅では 「動いておくれ、高砂線よ」と走り書きがしてあったのが悲痛な叫びとして僕の胸に残ったが、 ここ十勝三股ではそのようなメッセージは見られない。ギャグを書きたいのなら自分の家の壁に でも書いておけ、と言いたくなる。赤字線の廃駅跡というのは、北海道では夕張と並んで文化面での “影”の部分である。そこへやって来て茶化すような事は、して欲しくない。
元はといえば、こんな所まで鉄道を敷いたのが間違いだったのだ、黒字・赤字で鉄道の価値を測る のならば。答えは簡単だ。こんな、民家が十軒と無いような集落までレールを伸ばした事自体が 国鉄の失策だったのだ。でも、黒字・赤字以外での、地域振興を思ってこそ鉄道の存在価値が あるのだ、と考えるのならば…それでも、この地域にとってレールは邪魔だったのだろうか。 これ以上の発展を、町は望まなかったのだろうか。
バス停へ戻ると、待合室があって、その内壁には古新聞がいっぱい貼ってあった。バス転換への 経緯についての記事である。時間がなかったのでとても全部は読めなかったが、要するに糠平− 十勝三股間では一日に数人しか定期客が望めず、そのくせこの大雪山系では冬の除雪費が莫大に かかる、という事で地元と度々ディスカッションした上での結果であったようだ。地元側に不満が 残ったようだったので、バスダイヤはそれまでの鉄道と遜色ないようにして、戸籍は国鉄鉄道線と して残していくという特例に至ったのだ。
このバスの運転手は地元の雑貨屋さんで、この人は兵庫県からのびのびとした環境を求めて、この地 にやって来たのだ。そして今はここでバスの運転手を兼ねて、毎日旅行者を乗せている。「自然の 中でのびのびと」という、当初の願いは現在、叶っているのだろうか。
その運転手がハンドルを握って、バスは十勝三股を離れて糠平へ折り返した。幌加では若い婦人が 乗り込んだ。婦人も旅行者らしく、運転手に訊いた。「あの左手に見える廃線跡のレールの上を、 ずっと歩いて行けるでしょうかね」
運転手は答えた。「無理でしょうね」
「やっぱり、道床はボロボロなんでしょうか」
「いえ、土台はしっかりしてるでしょうがねえ。結局、枕木に巣くってる蟻を食いに、ヒ熊がやって 来るんですよ。列車が全然やって来ないもんだから、安心して線路まで出てくるんでしょうな」
と運転手は言った。やはりここはヒ熊の棲息地、大雪山国立公園エリア内なのだ。3日前に黒岳で 見た「ヒグマに注意」の看板を思い出す。この運転手も、何度か野生の熊を見たのだろうか。それに しても、あんな婦人が廃線跡を歩こうなどと思い立つとは。やはり北海道までやって来る旅行者は どこか違う。
やがて糠平に戻り、もとの鉄道線の上を、白樺と麦畑とジャガイモ畑の中を、帯広まで戻っていった。 既に廃止の決定された赤字線の「最初で最後の」レールの旅が、またひとつ終わろうとしていた。
「14.食堂車」へ続く
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