夕陽を追いかけて
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

86.7 北海道旅行




     ———沈む夕陽は止められないけど、
         死ぬまで僕は追いかけてゆく。



●14.食堂車 【8日目】 

 8日目の昼に至ってようやく本来の食欲が戻った。帯広では幕の内弁当ともう一つ、ざるそば形式の 「狩勝そば」も買い込む。このそばは美味かった。この8日目あたりから、そろそろグルメ的な 要素も旅の中に登場して来つつあった。

 帯広からは14時11分発の急行「狩勝2号」で富良野まで。この間にはあの狩勝峠がある。 列車が新得を過ぎるといよいよ山越えだ。レールを右に、左に振って高い峠を登ってゆく。 見晴らしは良いが列車の後部に展望台でも付いておれば、そこから覗けば最高だったろう。途中から 後ろのおじさんが「すまんが窓、閉めてくれんかのォ」と言った事もあって、状況は決して良く なかった。そんな訳でこの狩勝峠はさほど印象に残っていない。
 狩勝峠を過ぎたあたりから睡魔が襲ってきた。前夜は気持ち良く眠れたとはいえ駅ネで寝不足だ。 ついウトウトと居眠ってしまった。ハタ、と眼が醒めると駅に停車している。何気なく駅名標を 見ると「ふらの」と書いてあるではないか。「こらあアカン」と思って慌ててバッグを持ち、 脱いでいた靴を履いて列車を飛び出る。冷や汗ものだ。
 ホッとして改札へ向かって歩いていると、誰かが後ろからチョン、チョンと背中を叩く。振り向くと 同年代の、これも旅行者の女の子がいる。「あの−、これ落とし物でしょ?」と言うので見てみる と、何と靴下ではないか!先ほどの急行「狩勝2号」内では靴と靴下を脱いでいた。確かに僕の 靴下である。何を思ったのか、何日も履きづめの靴下を手にぶら下げている。
「ああ、これはどうも有り難う」と言ってはみたものの、女の子がニコニコとして汚い靴下を 片っぽだけ持ってやってくる様がおかしいやら恥ずかしいやらで、思わず笑ってしまった。

 富良野で降りた訳はというと、これから富良野線に乗り換えて旭川へ上り、旭川から特急「 オホーツク5号」に乗って食堂車を利用するのだ。来る61−11改正で北海道内の食堂車も 消え、食堂車付きの列車はこれで東京発のブルートレインと新幹線だけになってしまう。東京発の ブルトレにはもう一生乗る機会もないだろうから、在来線でのローカルな景色を眺めながらの 食事はこれが最初で最後になるかも知れない。

 富良野17時20分発、旭川行き列車が発車。車窓をラベンダーの紫の花が彩る。この美しい 町が、冬にはスキー場として賑わう。ワールドカップの会場でもあり、一度冬の北海道にも是非 来たいものだ。
 ラベンダーの花と、広々とした畑の丘陵地の中を列車は走る。そろそろ夕暮れが空を支配しようと していた。駅に着く。「“美馬牛”と書いて“びばうし”か。綺麗な駅名だね」と言うのは二人組 のギャル旅行者。これは4日目に函館に着いて以来、何度も思った事だが、二人連れ、あるいは 三人連れの女の子の旅行者が実に多い。しかも彼女らがバスツアーなどに頼らずに、時刻表を 繰りながら汽車に乗る様は何となく共感したくなる。常磐線に乗っていたサイクリング・ギャルズ 一行は今頃どこを走っているだろう。もう大阪に着いただろうか。

 18時03分美瑛に到着、ここで13分の小休止。ここから奥に入った所にある白金温泉で、たくや が航空部の合宿をしている筈だ。北海道の大原野の上を澄み切った青空のもとでフライングするのは どんなに気持ちが良い事だろう。この富良野一帯は、北海道の中では明るく楽しい雰囲気のする 田園地帯である。ギャル旅行者が多いせいか、ラベンダーの香りのせいか…。美瑛を出た列車は、 丘陵地を縫い、18時51分に旭川に着いた。

 旭川では5分連絡で特急「オホーツク5号」に乗り換える。車内は60%くらいの乗車率か。発車 後間もなく、食堂車へ向かう。
 食堂車は、古びてはいるが小綺麗にされていた。中は閑散としている。2、3人しか 乗客がいない。ちょうど夕食どきだというのに…。僕は最後部のテーブルに腰掛けた。車内をよく 見渡せるように、だ。ウエイトレスが来た。僕は焼肉定食を頼んだ。運ばれてきたそれは、大学の 食堂のジンギスカン定食のような感じだった。一口、口元へ運んだ。美味い。車窓を、のどかな 田園風景が流れてゆく。ほのかに料理の匂いが、湯気と共に流れて来る。駅を通過する。くすんだ 田舎駅。夕闇の中を、集落の灯りが光の線になる。窓辺に料理が映る。何とも言えず気分が盛り上がる 、北海道の食堂車の旅−。
 思うに、在来線の食堂車の廃止は、今の時流に逆行している。第一に世相の側から見れば、折しもの グルメ・ブームだ。旅行者にとっても、地元の特産料理を食べてみたいというニーズは必ずある。 なのに、その手段として一番手っとり早い食堂車を消してしまうなんて。第二に国鉄の営業面から 見れば、スピード面で航空機に劣り、料金面でバスに劣る鉄道は、分割・民営に向けて今や サービス面で他の交通機関に対抗してゆくしかないのだ。新車を投入したり様々なトクトクキップを 発売したりのサービスは充実してきたが、肝心の食料供給が駅弁だけというのでは充分とは言い難い。 航空機は食事すら要らないほどの所要時間という現状で、鉄道はこの面で負けるわけにはいかない のだ。せめて300km・5時間以上走る特急・急行には、食堂車やビュフェ・ラウンジの類いが 欲しい。贅沢の時代の世の中だから、少々高くても客は来るだろう。

 最後の食堂車は、充分に堪能できた。老夫婦が僕の隣のテーブルに座った。僕は出来る限り美味そうに 食べてみた。“おいしい食堂車”を僕なりに宣伝したのだ。ま、実際美味しかったのだが。
 食べ終わった後で勘定の時、ウエイトレスの「有り難うございました」の声を受けて「ごちそうさま、 有り難う」と言った。食後こんなに感謝の念がこみ上げたのは初めてだった。「有り難う」には、 美味しかった料理への感謝と、「食堂車の存続をこんなにも望んでいる奴もあるんだ。頑張って くれよ」という気持ちを込めている。
 19時45分着の上川駅で、この「オホーツク5号」を降りたのだった。


「15.シートポケット」へ続く



「雑草鉄路」の先頭へ戻る

「北海道旅行」の先頭へ戻る


トップページに戻る

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください