私のアイドル
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86.7 北海道旅行




     ———流れる月日に、私もやがて大人になった。
         あなたの歌う声が、いつか遠く消えていった。



●16.湧網線 【9日目】 

 中湧別駅に戻り、ここから一駅だけの盲腸線、湧別線に乗ってみる。朝と夕方だけの、1日二往復 だけの線だ。本線から一駅だけの支線、といえば、鶴見線や地元の和田岬線などが思い浮かぶ。 が、この湧別線はこれらの線とは事情が違う。上記二線は工業地帯を走り、通勤客用の足として 立派に機能を果たしているが、湧別線は“ド”がつくほどのローカル線で、しかも1日2本。 そもそも何故こんな所にレールがあるのかさえ疑問に思えるような路線だ。元々は遠軽−湧別間 が先に開業したのを、後に中湧別−名寄間が開通するとそちらが本線になってしまい、中湧別− 湧別間だけが宙に浮いてしまって今に至った訳だ。言わば切り捨てられて見捨てられた区間で ある。そんな所を訪れてみるのは、結構面白いのではないかと思った次第である。
 ところで、一駅だけの支線というのは正確には間違いである。中間に「四号線」という名の 仮乗降場がある。北海道の鉄道にはこの仮乗降場…駅とも言えないような、小さな小さな プラットホーム…が至るところにある。ローカル線などでは一駅に一つくらいの割合で点在する。

湧別駅のホーム
 中湧別を7時03分に発車。すぐに「四号線」停車。乗降者は、いたのだろうか。発車 するとすぐ湧別。8分だけの、短かい旅だ。湧別線駅は土盛りのホームが一面だけの、野趣溢れる 駅だ。ただし左側に立派な駅舎がある。立派といっても、随分古びてはいるが。
 驚いたのは、ちゃんと駅員がいて切符も正規に発売していた事だ。てっきり無人駅だろうと思って いたが、それにしても7時15分に一番列車が出たあと、二番列車が17時21分に到着するまでの 間、駅員は一体何をしているのだろうか。まさかこんな所に貨物列車なんて来ないと思うのだが…。 恐らく日本中で最も暇な駅員業だろう。敬意を表して入場券を一枚買っておく。多分この駅の 駅員制も、あと僅かの命だろうから。

 4分ですぐに折り返してしまうので、入場券を買い、写真を撮ってすぐに列車に乗る。ガラガラだ った下りとは裏腹に、上りは通学の中・高生で結構賑わっていた。次の四号線でも二、三人乗り 込んだ。沿線は民家も割合多いので、ある程度の乗客がいくのは分かる。しかし一日にたった 1両だけの気動車が二往復だけ、それも満員にならない…。この区間の鉄道の存在価値とは一体 何なんだ、と思えてしまう。例えばの話、土曜日など学生たちは、帰りにはどうしているのだろう、 昼間走る列車はないのに。当然、バス利用という事になる。ちなみにこの湧別−中湧別間、バスは ほぼ一時間間隔で一日12.5往復走っているのだ。バスに比べ、あまりにも鉄道のダイヤが 陳腐なのだ。恐らくこの区間も、廃止は近いことと思う。湧網線が廃止になる時、一緒に整理される 見通しが強い。

 中湧別に到着、ここからはいよいよ湧網線だ。鉄道旅行者の殆どが、この湧網線沿線の風景を絶賛 する。サロマ湖、オホーツク海、能取湖、網走湖と沿岸を通る、まさに観光鉄道。そこをこれから いよいよ通る訳である。廃止の日が近く、最初で最後の乗破である。

 7時33分、中湧別を発車。窓を全開にする。今日は暖かい。吹き込む風が爽やかだ。車内には ちらほらとしか乗客がいない。勿論、1両だけのチョン行だ。
 一つめの駅、芭露あたりから左手にサロマ湖が姿を見せる。本当に雄大だ。日本第2の湖、まるで 海のように見える。実際は、とてつもなく大きな「湾」なのではあるが。
 この湧網線、実に仮乗降場が多い。「志撫子」という、少し変わった名の仮乗降場に停まる。 駅間の長い北海道で、沿線の乗客を最大限引き込むための設備なのだ。これがまたローカル線の 雰囲気を誘う。列車はサロマ湖沿いを進んでゆく。
計呂地駅でのスナップ
 計呂地に着き、対向車連絡のために数分間停車。その間を利用して湧網線のスナップを収めておく。 小さな小さな駅で、1両の列車同士がすれ違う。何か可愛らしい、ミニ鉄道のような趣がある。 加えて沿線風景ものどかである。

 この計呂地を過ぎたあたりから、湧網線はサロマ湖とお別れ、山間部を走ってゆく。なだらかな 丘で放牧の牛が草をかむ。尻尾を振り、草原に座り込んで、走りゆく列車の方をゆっくりと見る。 草地の後ろには、赤屋根の民家とサイロが佇む。牧歌的な風景。草地での放牧、サイロと牛の 風景が展開されると、北海道らしさを感じる。

 湧網線を走っていくと、学生が乗っては降り、乗っては降りる。この湧網線も、他のローカル線と 同じく学生の足としての存在が主なのだ。詰め襟やセーラー服の少年少女は、高校を卒業すると どうするのだろう。地元で牛の世話を手伝うのだろうか、札幌や旭川や、東京などの都会に行って しまうのだろうか。これは地方の学生を見るたびに思ってしまう。そんな事に思考が巡るように なった契機は、言うまでもなく三日前に南大夕張で買った切符セットに入っていた、一枚の定期券 である。出来る事なら地元に残り、「過疎化」の言葉を払拭すべく頑張ってほしいものだ。
いつしか列車は浜佐呂間に着いた。ここで割合多くの若年層旅行者が乗ってきた。ここ浜佐呂間には YH(ユースホステル)があるから、そこに泊まっていた人たちだろう。とすると駅の改札口で 手を振って見送りに来てるのは、YHのペアレントさんか。

 浜佐呂間から更に進んで、常呂に到着。ここで再び対向車連絡のため、10分ほど停車だ。僕は またホームに降りる。海の香りに誘われて、ホームから丘に上ってみると、眼前に遥か、オホーツク 海が拓けているではないか。この、オホーツク海との初対面は感動的であった。丘から砂浜に 駆け降りてみる。少し黒ずんだ砂は、細かくサラサラだ。なんて美しい砂浜だ。ゴミ一つ落ちていない。 それどころか人っ子ひとりいない。朝の9時半という時間帯のためか、砂浜で遊ぶには寒いのか。 オホーツクの波は荒いと思っていたが、こうして見る限りは穏やかで静かな海だ。朝日に輝いて きらきら光っている。波の音が、静かに揺れる。
 時間にすれば、ほんの数分だったろう。その間僕は、神秘的でさえある海の光景に、陶酔していた。 誰もいない海。汚れを知らない海。神の後光のような光に輝く海。冬になればこの海も流氷に 閉ざされる。長く暗い氷の季節。しかしそれを乗り越え、再び巡り来た夏に、一気に輝きを 取り戻した海。それでいて、人を全く寄せつけない海。これだ、これがオホーツクの美しさだ。 そんな美しい海が、ホームからごく近くにあった、この小さな発見は嬉しかった。
 荷物ごと列車に見捨てられては困るので、早めにホームに戻った。土手一つだけ隔てて、ホームから はあの綺麗な砂浜と海が見えない。僕は他の旅行者に対し、軽い優越感を覚えた。まさに旅とは、 こういう小さな意外な発見の連続なのだ。

 常呂から同席したのが、浜佐呂間のYHで泊まったというギャルの二人組旅行者だった。東京から 来たという二人は20才。全く僕と同年代である。もう十日間も北海道を回っているというこの 二人のお陰で、網走までは楽しい時間を過ごすことが出来た。一人の方はあまり印象にないが、 もう一人の方は黒く焼けていて、なかなかの美人だった。加えて、活動的で明るい印象だった。 色々と、北海道の旅行談義に花を咲かせた。礼文島に行ったかと訊くと、嬉しそうに、行きました 行きました、と言う。
「あの島にハイキングコースがあるでしょう。知ってます?」
「ああ知ってる。8時間コースのでしょ。礼文島は、東側は道路が整備されているけど、西側は 何も道がなくて…」
「そう、断崖になってるんです。そこのハイキングコースをずっと歩いてたんですよ。よかったわァ …、もうお花畑が一面に咲いていて」
と実に楽しそうに話す。僕らも一日だけ寄る予定なんだと言うと、いけませんいけません、あそこ だけは絶対、最低二泊はしないとダメですよと笑う。そうか、じゃあこのスケジュールはちょっと 考え直さんといかんなあ、と言うと、
「日程が変更できないなら、礼文島はまた来年にして、来年たっぷりと時間を取った方がいいです よ。礼文島は、本当に良かったんだから」
と力説する。君らは来年も来るつもりなの、と尋ねると、「勿論。来年も来ますよ」とにっこり 笑った。陽に焼けた笑顔が、何とも言えずいい。能取原生花園の花畑や能取湖では、「ワァ、 きれーい」と盛んにシャッターを押していた。僕は花畑や湖もさることながら、ファインダーを 覗く横顔に見とれていた。

 これからお互い阿寒湖を目指す点で一致したのだが、阿寒湖へ至るルートが違うという事で、 網走でのお別れとなった。さりげない出逢いと爽やかな別れ。この言葉がまた僕の胸をよぎる。 彼女らは来年また来ますと言った。87年の夏、再び彼女らと北海道のどこかで再会できるだ ろうか。だとしたら、あまりに劇的であるが…。

 最初で最後の湧網線の旅、彼女らのお陰で、その印象に奥行きをもたらす事ができた。


「17.阿寒湖」へ続く



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