THE 10th ODYSSEY
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86.7 北海道旅行




     ———この世に僕は生まれてきた。
         ふと気がつけば、そこに立っていた。



●17.阿寒湖 【9日目】 

 網走では約1時間半の余裕がある。その間を利用して、僕は風呂に入ろうと思い立った。 何しろ4日目に函館の谷地頭温泉で入浴してから、風呂に入っていない。「ノンバスデー」も かれこれ5日目になる。これはさすがに気持ちが悪い。昨夜「大雪3号」で根性の睡眠を 取った際に汚れたズボンも履き替えたい。
 ところが、当然ながらガイドブックに銭湯までは記してくれていない。駅にあった案内地図にも 書いてない。そこで僕はひとつのゲームを思い立った。それは電話帳で銭湯の住所を調べ、 それを頼りに町をさまよい歩くというものである。地元の人に尋ねれば判ることなのではあるが、 住所を頼りに歩くのにはどこかオリエンテーリング的な面白さがある。注意深く町を観察して 歩ける点でも一石二鳥だ。
 電話ボックスに入り、電話帳を開いてみると網走には銭湯が四、五軒あって駅からは「北七、 西六」の銭湯が一番近い。この情報だけを頼りに、北七条西六丁目の辺りを訪れて捜し当てる のだ。

 こうして、いざ網走の町を歩いてみると、よく晴れた青空のためか非常に雰囲気が明るい。 市街地から少し離れているので大きな建物は見られないが、夏の陽射しの中で町はどこか 生き生きとしている。僕らが網走という地名から連想する、刑務所・番外地・風雪といった 厳しいイメージとは程遠い。北海道にとっての夏は、ひとときの楽園。この地が冬を迎える時、 どんな光景を見せるのだろうか。流氷の町でもある網走の冬に、また来てみたくなってくる。
 さて、さんざん迷った挙げ句にたどり着いた銭湯は、なんと閉まっていた。考えてみればまだ 朝の11時であり、銭湯が開いているわけがない。長い旅行を続けていると、こんな簡単な事の 常識性を失ってしまう。でもその分、網走の町を気持ち良く散歩できたから、決して無駄な 行脚ではなかった筈だ。

 網走駅に戻ると、時刻表には駅弁マークがちゃんとあるのに、何処にも駅弁を売っている様子が ない。こういった事態は地方都市にはさして珍しい事ではなく、かつて82・7鳥取旅行において 倉吉で駅弁を頼むと未だ届いていないと断られた記憶もある。地元・三田駅でも、弁当マークは 記してあるが駅弁の無いときが多い。いずれにしても、昼食時に駅弁を売っていないようなら、 速やかに駅弁マークは取り去って欲しい。駅弁マークの必然性がない。仕方がないから町の “ほかほか弁当”で昼食を買ったが、網走まで来ておいてホカ弁では、何とも味気ない。

 網走11時38分発の鈍行で美幌まで行き、ここからバスで一路阿寒湖へ向かう。阿寒湖は、夕張、 知床と並んで、今回僕が期待していた場所の一つである。マリモの生息地でもあり、何よりも「阿寒」 という名は僕に北海道らしさとロマンの匂いを与える。

 その阿寒湖行きのバスは、屈斜路湖・摩周湖を経由する観光バスではなく、普通の路線バスである。 これは予算面と日程上の都合からだ。上記二湖は、またいずれ来る時までのお楽しみだ。
 路線バスの最前列席に座る。バスは美幌を出てからは当分の間、旧相生線沿いの道路を走ってゆく。 相生線跡はもう、線路が撤去されて道床のバラストだけが墓標のように残っていた。ここも鉄道廃止 のあおりを受けた、過疎地なのだ。だが、そんな地域に限って、風景はのどかで、たまらなくいい。 旧北見相生駅には旧型客車と貨車を連結して保存してあった。かつてこの地に鉄道が走っていた ことを示す、まさに墓標である。廃止されると早々と駅を取り壊してしまった高砂線に比べると、 遥かに鉄道への惜別の念が込められているようだ。

 この辺りからはバス停がなくなり、降りたい人は運転手に告げて降りたい所で降り、乗りたい人は 道端で手を上げて乗り込むという、集団タクシー方式になった。勿論、こんなバスは初体験である。 全くのローカル地であり、民家が極端に分散している地方での光景だ。結構、乗降が盛んなのも 意外である。乗客の中心は、高年層。やはりいかに車が普及しても、公共の交通機関は必要だ。

 やがて山間部に分け入り、やがてバスは阿寒湖畔バスターミナルに着いた。湖畔はホテルや旅館が 建ち並び、観光客も多く賑やかだ。少々、想像していた風景とは違っているが、とにかく北海道を 代表する湖、阿寒湖に着いたのだ。

 早速遊覧船に乗って湖内を巡ってゆく。船内は盛況、天気もよい。訪れてきた阿寒湖は、びっくりする ほど明るい。そして広い。地図で見ると小さな湖なのに、こんなに広々としているのは、どうしてだろう。 湖の周りは、雄阿寒岳やフップシ岳などが鮮やかな緑で見事な稜線を型取っている。恐らくその 全てが原生林なのであろう山の木々が湖に映って、なかなか美しい。山の中に水を湛える阿寒湖は、 なかなかムードがある。風景が広々としているのは、一方向を除いて湖畔に建築物がないからだろう。 自然のままの、湖。

 阿寒湖といえば欠かせないのが、マリモである。そのマリモが、阿寒湖内に浮かぶチュウルイ島で 見られると、ガイドアナウンスが告げる。どんな風に棲んでいるんだろうと、かなり期待して いたのだが、いざチュウルイ島に着いて上陸してみると、立派な建物がちゃんとあり、マリモは 建物内の水槽で転がっていた。てっきり野生のまま見られると思っていた僕は大いにがっかりした。 実際、マリモは人の手による養殖が可能になっており、この水槽内のものも恐らくそうなのであろう。 しかも島の建物内は観光客でごった返しており、どうもマリモの神秘的なイメージには程遠い。 このチュウルイ島だけは、少々興ざめだった。
 更に湖内を船で周り、チュウルイ島以外は自然美いっぱいの阿寒湖を満喫できた。少々不満を 言わせてもらうなら、あまりにもガイド・アナウンスがやかましかったが。

 船から降りると、土産屋で養殖マリモを売っていたので一セット3個分を買った。マリモが何故 球形をしているかについては未だ正確には判っておらず、とりあえずは阿寒湖内の水の流れによって 転がされている内に全方向にまんべんなく成長していくのではないかという説が有力らしい。 いずれにしてもマリモとはいかにも北海道らしい土産であり、買った僕自身がウキウキしてくる。

 陸に戻った後はボッケを見物する。ボッケは火山のミニサイズで、ボコボコと泥からガスを噴き出して いるのだ。迫力はそれほど無いが、いかにも火山・温泉地という感じが湧いてくる。このボッケの 近くの湖畔は石が黄色く硫黄がかった感じで、水も温かい。場所によっては40〜50℃位 ありそうだ。一緒に見物してたおばさん達ともども、一所懸命掘っていれば露天風呂になるなぁと 笑う。改めて思うのは阿寒湖の水は本当に綺麗であるということだ。熱い清水で顔を洗ってみると、 全く気持ちがいい。また、風呂に入りたくなってきた。

 ボッケを惜しみつつ、今度はアイヌコタンを訪れてみたが、コタンは全て土産屋になっており、 いかにも観光客たちに媚びているようで残念だった。完全なアイヌ語を話せる人も、もうほとんど いないらしいし、本当に素朴なアイヌコタンはもう存在しないのかも知れない。コタン内には 「アイヌチセ」があり、踊りなんかもやっているらしいが例え舞踊を見たところで「観光客用の アイヌ」の印象は拭い去れなかっただろう。とにかく観光客に頭を下げてお愛想しているような雰囲気は 北海道らしくない。これでは行きに見てきた松島と大差ない。それでも普通の観光客は民族衣装を 着せて貰い、アイヌの民芸品を眺めれば満足できるだろうが…。黒岳や夕張など、有りのままの姿を 見せる所を見てきた僕にとっては不満に感じる。チュウルイ島にしても、同じことが言える。

 アイヌコタンからバスターミナル近くまで戻り、行きに既に見つけていた銭湯も「まりも湯」に入って、 ようやく5日ぶりにさっぱりと汗を流す。銭湯といっても温泉だから、気持ちは大分いい。拭いても 拭いても垢が出てきたのには参ったけれども。

 こうして17時20分、釧路行きのバスに乗って阿寒湖を後にした。概して、期待していた程では なかったが、水の綺麗なことは印象的だった。さすがは自然のままの、湖だった。


「18.夜から朝へ」へ続く



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