あの、ゆるやかな日々
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86.7 北海道旅行




     ———風が口笛を吹くような、
         ゆるやかな日々よ、もう一度だけ。



●19.札幌 【10日目】 

 札幌に9時42分着、 そこからゴムタイヤ式という珍しい地下鉄に乗って、再びIBAの下宿「安楽荘」へ戻る。 6日目の朝に出発して以来、4日ぶりの帰還だ。これでとりあえず前半の「ひとり旅編」を終え、 ここからはIBA・たくやとの後半の旅が始まるのだ。

 さて安楽荘へ入ると、鍵はかかっていない がIBAはまだ布団で眠りこけていた。この不用心さ、というか豪快さはIBAらしい。
 たくやもまだ来ていないし、叩き起こすのも可哀相だと思って部屋の隅で雑誌を読んでいると、 やがて僕の気配を察したのか、モゾモゾと起きて眼をこすりながら「ああ来とったんか、よう 場所が分かったなあ」と感心している。
 その後は、IBAはまたすぐ眠ってしまい、つられて僕も眠りに入ってしまったようだ。まあ、 IBAにしてみれば、これから僕と一緒に旅行して回るのだから、たっぷり睡眠をとって体調を 整えておいた方がいいし、僕の旅もまた10日目に入っており、今日と明日の札幌での2日間は 丁度、旅行中盤のよい休養だ。

 僕が眼を醒ますと、時計は既に昼を指しており、そして部屋にはたくやが登場していた。たくやとも、 4月5日に大阪空港で別れてから3か月ぶりの、久々の再会だ。たくやもまた、変わっていない。 「O柿には“チャン大”と“梅ジャン”食わしたるでェ」と言って笑っている。

 そして僕は、この時初めて、もう少しでこの旅行が来年に回されるところであった事を知らされた。 たくやが「IBAは金がないし、俺は合宿で日取りも良くないし、O柿に『旅行は来年にしよう』て 言おうか、言うてたんや」と言えば、IBAも
「そしたら、そう言うとる最中にお前のハガキが来て、『おう!いよいよ7月18日に出発するど!!』 ちゅうて、やたら気合の入ったこと書いとったから、その勢いに押し切られたんや」と言って笑う。 人間、気合が入っていれば何でも達成できてしまうものだ。

 さて、これからの日程はたくや・IBAと3人で周るわけであるが、先ほども触れたが今日10日目と 明日11日目は札幌をめぐり、12〜16日目までの5日間、知床や道北を回るプランである。 道北では礼文島にも行くつもりであったが、先日の湧網線で出会った女の子のアドバイスもあったし、 IBAが「船で行くんか?なるべく金の掛かるとこはやめとこうぜ」と財布の苦しさを打ち明けて いる事から、道北の日程はフレキシブルに変更されそうである。

 早速、3人で札幌めぐりを開始。自転車を3台連ねての周遊である。仙台といい、この札幌といい、 平地の街を駆けるのは非常に気持ちがいい。神戸では考えられないことだ。特に札幌では、バイク よりもヘルメットの要らない自転車で、爽やかに走りたい。

 まず、朝昼兼用として噂の“チャン大”を食べに行く。“チャン大”とは何かと思っていると、つまり 「チャーハンの大盛り」という意味だ。500円の代金で出てきたその“チャン大”を見て ぶっ飛んだ。「えっ、これ、ひと皿で三人前?」と思わず訊いてしまった。
 ところが、勿論三人前ではなかったのだ。何故なら同じメニューが三つ、運ばれてきたからだ。 これは凄い、なんて量だ。およそ常識では考えられない量だ。直径30センチはあろうかという特大の 皿に、山のごとく盛られている。それでいて、中身が粗雑なのかというと決してそうではない。 食べ始めは美味なチャーハンをペース良く食べていたが、半分も食べないうちに満腹になってしまう。
「たくや、これ、征服した事あるんか?」
と僕が訊くと、ある訳ないやろ、と笑う。IBAも“うぷっ”と言いながら食べている。僕が水を 飲もうとするとたくや曰く、 「水は飲まん方がええで。よけい泥沼にはまるで」
結局3分の2くらいのところで、三者ダウン。帰り際に他のテーブルに運ばれてゆく「並」のチャーハン を見て、「神戸やったら、あれを“チャーハン大”や、言うてもまだ大きいくらいやで!」
と言うことしきり。(筆者注:ちなみに“梅ジャン”のほうは今回の旅行では出会う機会がなかったが、 3年後の冬に北海道を再訪したときに食べる事ができた。それは、「ネタ」は普通の大きさだが、 「しゃり」の飯が超特大という、これまた信じがたい豪快なしろものであった。やはり食べ物に 関しては、北海道は凄い。)

 何ともスケールのでかい昼食を取った後、この前深夜に通った北大を訪れる。北大は緑が多くて 雰囲気がいい。さすがは全国唯一の「旅行ガイドに載る大学」だ。
「ついでに農学部の農場に寄ろか」ということで、はずれにある畑へ向かう。その農場がまた、ドでかい 。当然だが神大農場どころの話ではない。麦畑が黄色くうねるさまは爽快感に溢れている。

 バイクで進入したの、しないの、といってケンカしている教授と生徒を尻目に、畑の終わりへ抜ける とそこは有名なポプラ並木だ。高く真っ直ぐに空へ伸びるポプラ並木と広大な畑は北海道の象徴的 な風景であり、札幌の代名詞である。自転車に乗った姿をパチリ。更にクラーク博士像の前でも記念撮影を 撮った。とはいえ、なんと僕のカメラは後半部分、フイルムが空回りしてしまっていたので、結果的に この撮影も無駄になってしまったのだが。

 北大を出て札幌市街を南下、ポプラ並木と並ぶ札幌の「顔」、時計台を訪れる。まず意外だったのは 予想していた以上に小さいなァ、という事で、周りのビル群の間にチョコン、と佇んでいる。 考えてみれば明治初期に建てられたのでから、小さくて当然なのだが。後ろのビルが入らないように カメラアングルを構えようとすると大変だ。たくやが、「ビルが入らんように写そう、思うたら、 どうしても『絵はがきアングル』になるなァ」と笑う。
 内部は札幌の歴史や農学校のことなどが展示されており、鉄道馬車やヒグマの剥製なども置いてある。 これだけの内容で入館無料というのは驚きだ。札幌の明治時代の詳細については、また今度の旅行 の時に「開拓の村」を訪れる事にしたい。

 時計台から今度は「千秋庵」という店に入り、アイスクリームを食べた。今回僕が北海道で楽しみに していた食べ物は、馬鈴薯のバター焼きやサッポロラーメン等、色々あったが、アイスクリームも その一つだった。脂肪分16%という、北海道独特の味覚は何とも言えないという。その16%を 捜し求めていたのであるが、たくやが、この千秋庵はシャーベットの方が評判が高いと勧めるので シャーベットを食べた。評判どおり、なかなかの美味だった。

 それからテレビ塔に行き、上に登って展望を見ようとしたが、財布の苦しいIBAが「エ〜、 金いるんかァ?」と難色を示す。たくやも「眺めやったら、大倉山シャンツェの方がええな。 大倉山に行こか」と言うので、一路大通公園を西へ向かう。折りしも札幌は「さっぽろ夏まつり」 の最中で、そのメイン会場となっている大通公園は活況を呈している。大通公園は東西に細長く、 2月には有名な雪まつりが開催される会場である。つまり札幌のメーン・ステージである。 なるほど市民が集まって、短い夏を楽しんでいる…と自転車で走りながら思っていると、突然「はっ」 と思い直した。
「おい、IBA、たくや、待ってくれ。テレビ塔に、カメラ忘れてきた!」
「えっ、あのカメラか?」
僕が今回持ってきたカメラは親父のものであり、二十数年前に買った という骨董品である。6日目の夕張・石炭歴史館では係員に「こりゃァ名器中の名器、ひと財産 持って歩いているようなものですよ」と感心させたばかりである。それを、この北の都でなくした、 とあっては、どんな顔をして家に帰ればいいのか。
 慌ててテレビ塔に戻ると、さっき座っていたテーブルの上に、そのままちょこんと置いてあった。 まずはひと安心だが、本当に冷や汗が出る思いだった。たくやが「ほんまにO柿は、旅行のたんび に何かやらかしてくれるなァ」と笑う。「それにしても、よく誰も盗らんかったもんやなァ」と 言うと、IBAが笑いながら「そらァこんなボロっちいカメラなんか、誰も盗らんやろ」と言う。 4日前には夕張の係員を仰天させた名器も、IBAにかかればただのボロカメラになる。

 いずれにせよ、この騒動で大倉山シャンツェまで行く時間がなくなり、それなら中島公園に 行こうという事になり、進路を南へ変えた。大倉山はまた明日という訳だ。中島公園は観光者向けの 所ではなくて、市民の憩いの場としての公園のようだ。明治13年に建てられたという豊平館などを 巡る。

 再び都心へ戻ると、店の名前は忘れたが最近完成したばかりという大時計が壁を飾っていた。 9時・12時・3時・6時にそれぞれ鐘と共に大オルゴールが鳴り、人形が回るらしい。ちょうど 18時が近くなったので行ってみると、北大寮歌の「都ぞやよい」のメロディーとともに、クラーク 博士や新渡戸稲造などの人形がくるくると回っていて、なかなかの雰囲気である。特に僕らが来た、 夕暮れの18時の時が一番いいようだ。札幌を代表する風物詩の一つになり得るかも知れない。

 夜になって、IBAらの勧めで「プレイボックス ザ・アメリカン」という所へ遊びに行く。ホテルの 中の一部に遊興場があって、それらを自由に回っていいというものである。2Fにゲームセンターが あり、3Fにはディスコ、8Fにはビデオ&ボディ・ソニックと揃っている。これで水割りやコーラ などがフリードリンク制になっていて2500円というのは、確かに安い。
 ここで結局、かなりの時間を費やすことになった。まず浪人時代を懐かしむかのようにゲームに興じ、 次にディスコに入ると、何と僕ら以外に客が一人もいない。「やっぱり、ホテルのディスコはこんな もんなんかなァ」「いや、時間が早過ぎるんやろ、ちょっと上で暇をつぶそうや」という事で、 8Fのビデオルームへ足を伸ばした。ここもまた静かなムードであるが、ビデオを見るには好都合だ。 たくやと佐野元春のライブに没頭する。
 再びディスコフロアへ戻ってみると、今度は活況を呈している。札幌の人々に混じって踊る。ディスコ で踊るのは高2、高3のコンパや85年3月の戸狩スキー旅行など、全て高校時代の奴らとの思い出だ。 そして今日もまた、横でステップを踏むのはIBA、たくやの高校仲間だ。

 Sapporo の夜を、北海道へ渡って初めて暑いと感じながら遊び明かした後は、バーに入って 一杯酌み交わす。勿論一品には真っ先に、馬鈴薯のバター焼きを注文する。このメンツで酒を交えて 談笑するのは久しぶりだ。話の折々で、仙台のマコちゃんはじめ昔の仲間の話題なんかが出てくると、 浪人時代や3月に出かけた野沢スキー旅行の事などが思い出されてくる。水割りと共に運ばれた 馬鈴薯のバター焼きは最高だ。

 アルコールで上気したまま、自転車で既に真夜中近くなった街を疾走する。「チャン大」で膨れていた 腹もここへ来てとうとう鳴り始め、「大公」という店に入ってサッポロラーメンを食べた。美味い というべきなのかどうか、とにかく神戸にもある「北海ラーメン」などとは全く異質である事は 確かだ。浪人時代、北海道に思いを馳せて“塩バターラーメン”をよく食べていた事を思い出す。 そして今、遂に俺は北海道へ来ているのだ…と思うと、ラーメン一つにも大変な思い入れがこもる。

 こうして札幌の風景と街と味覚とをそれぞれ満喫し、ようやくIBAの部屋へ戻ったのであった。 IBAの部屋では、5日目の晩も見かけた隣の下宿生がまたやって来て、ニヤニヤと笑いながら エロ本を抱えて自室へ消えていった。ミスター・エロ本氏は何ともユニークな奴ではあった。どうも 今回の旅行で出くわす人間には、いっぷう変わったのが多い。明善寮の岡田は今夜も呑んだくれて いるだろう。広尾線のオッさんはまた、来たる旅行者をつかまえては演説してるのだろうか。

 この日を境に、北海道の気候は変わり始めていた。3日前には根室で10℃少々の気温に震えていた というのに、今夜は暑くて寝苦しい夜だった。IBAとたくやも、さすがに冬布団を掛けずに 寝ていた。


「20.大倉山」へ続く



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