いま、友へ
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

86.7 北海道旅行




     ———今何処にいる、遠い日の我が友よ。
         長い長い旅の果てに、もう一度だけ君に会いたい。



●2.仙台にて 【2日目〜3日目】 

 仙台は予想してた以上に大きな街で、さすがは東北随一の都市である。何といっても駅前がすごい。 広い歩道橋が延々と続いている。ぱっと見ただけだと、神戸なんかより余程大ききな感じだ。
 仙台の駅前食堂で昼食を取ったあと、マコちゃんと再会するまでの間に、松島に立ち寄ろうと、 仙石線13時17分の特快に乗って松島海岸まで行ってみた。上り15時06分まで1時間50分 ほどの間、松島を散歩してみた。
 率直に言うと、この松島はやや期待外れだった。いかにも 観光地化されてしまっていて、美観どころではない。芭蕉が「松島や、ああ松島や松島や」と 詠んだ頃には、こんなゴテゴテした金ピカの観光船や、やかましい音楽や、林立する近代ホテル なんてなかったのだ。それにしても、美しい風景を売り物にしている観光地ならば、もう少し 周りの景観がケバケバし過ぎないよう気を配って欲しいものだ。有名な五大堂や福浦島を 回ったが、まあまあ…満足度を10点満点でつければ、辛うじて合格ラインぎりぎりの6点 くらいの印象でしかなかった。
 むしろ、帰り道に寄った瑞厳寺の方が良かった。垂直に 切り立つ岩壁に、彫刻のような像やら部屋やらが見える。昔ここで僧侶が修行したらしい。 悠久の時が流れて今なお残る彫刻壁を見ていると、機械も何もない時代によくもこんな見事に 岩を切り出すことが出来たものだと感心する。もう少しゆっくり見たかったが、15時06分 発の電車に急ぐことにする。仙台ではマコちゃんが待っているのだ。

 仙台駅に戻って、約束していた「新幹線の改札前」で待っていると、予定の16時を少々オーバー してマコちゃんがひょっこりと姿を現した。「久し振りやなァー」と笑い合ったのは言うまでもない。 最後に会った4月2日と同じく、丸っこい眼鏡をかけての登場だ。彼の下宿先「東北大学明善寮」へ向かう 途中道では、荷物を持ってくれたり、自転車を提供してくれたりとサービスがいい。「O柿が きたらメシおごったろ思うて、最近ちょっと金を貯めたんや」とまで言ってくれる。この歓迎ぶり には感激だ。
 弾む話の中、駅から北へ1.5キロほど歩くと明善寮に着いた。「見た目には 、割と綺麗やな」と言うと、「ああ、外観はな。その分、中は汚いでェ」と答えが返ってくる。 その言葉通り、廊下はちらかっていることこの上ないが、この生活感は帰って好ましく思えてくる。 マコちゃんの部屋は、今先輩の荷物を預かっているとかで、段ボール箱が2,3置いているが、 それを除けば結構まとまっている。何故かベッドが2つ置いてあるが、これは好都合、夜は バッチリ寝られそうだ。
 「今日は寮のストームがあるんや。晩は脱出しといた方がええで」 とマコちゃんが言う。寮の(特に旧帝大での)コンパがしゃれにならない事は大分聞かされていた。 ここはおとなしく逃げることにしよう、とマコちゃんと言う。

 自転車に乗って夜の仙台市街を 駆け抜けてゆく。明善寮の近くにある東北大農学部の脇を通り、名前は忘れたが夕食を取りに入った 店の焼肉定食はボリューム満点だった。店のおばちゃんのサービスも付いて、出る時には腹が張った 状態だった。満腹になって居酒屋へ飛び込む。二人でビールを呑みつつ話をしていると、やけに 高校時代のことが懐かしく思えてくる。「みんなを呼んで、久々に1年5組で集まろか」などと 言っていると、本当に高校の頃は良かったなあと改めて感じるのだ。時代は流れ、心はいつまでも 若々しいつもりだが、こうしてマコちゃんとアルコールを口にすること自体が、すでに当時との 隔たりを思わせる。

 居酒屋を出て、疲れた体をMr.ドーナツで休め、寮に戻るとまだコンパを やっている。「やばい、今が一番盛り上がっとる」とマコちゃんが言うその騒ぎをすり抜けて部屋に 戻る。しばらくすると、すっかり出来上がった寮生の面々が3人、4人と入ってくる。べろべろに なって大声を出す、三重県出身の岡田や、藤枝東の出身で「いやー、あの(サッカーの)大榎は 実際、かなりバカだったんだよー、学校の成績は」と語る大榎フレンド氏等々、個性的な連中との 語り合いは深夜にまで及ぶ。寮はコンパ等で有無を言わさず呑まされたり、メチャクチャやらされる という嫌いはあるが、裏を返せば身近にいつでも仲間がいるという訳で、こういう光景を見ると、 俺も下宿したかったなあ…と思わないでもない。がそれは自分勝手というもので、もし下宿していれば 、今回の旅行の費用など、とても調達できなかっただろう。今は、奴らと面白おかしいひとときを 過ごす事で満足しておこう。


 翌日は、マコちゃんと二人自転車に乗って仙台市内見物に出かける。東北大学は、やはり大きい。 さすがは旧帝大だ。勿論、神戸大などは比較にならない。特に工学部は圧巻だ。学科ごとに校舎が 建ち、工学部だけの案内地図看板まである。やがてマコちゃんも、この地で電気・情報系を専門的に 学ぶ日が来るのだろう。この、正真正銘の「大学」で…。工学部だけで、普通の大学の敷地くらい あるのではないかとも思えるほどの東北大は、まさに本当の大学という気がした。
 工学部から近くにある青葉城址にも寄ってみた。城址という通り、かつての城として残る物は 何一つない。僅かに石垣が、苔にまみれて周囲に残っており、往時の名残をとどめている。天守閣跡 には、伊達正宗像が立ち、仙台市街を一望できる展望台となっている。さっき行ったばかりの東北大 や、「青葉城恋歌」で知られる広瀬川、さらには昨日寮へ向かう途中にあった東日本放送のアンテナ などが見える。休憩所でクレープをぱくつこうとマコちゃんが言い出し、僕の分まで金を出す。 親切心を出してくれるのは有難いが、こう何もかもおごってもらうと、変な気を使ってしまう。 こっちとしては、昔のままの、あっけらかんとした雰囲気の中で再会したかったのだが…。
 マコちゃんがバイトしているという、Mr.ドーナツで昼食を取る。「これがお薦め品やな。うーん、 これもええなァ」と次々と取り出してくれるが、昨日の晩あたりからどうも食欲がなくて、全部食べる のに苦労した。久々の、しかも長期の旅行という事で、内臓のほうも変に緊張感があったようだ。

 仙台という所は観光資源に乏しく、午後からは行く所もなくなり、仕方ないので街中を散歩 する事になった。歩いていると、丁度「三社まつり」の日に出くわしたようで、神輿かつぎや、 大名行列のような行進に出会う。東北地方は、日本の中でも特に「ハレ」の日と「ケ」の日がはっきり しているようで、今度「東北四大祭りめぐり」旅行に来てもいいのではないか、とふと思う。

 しばらくゲームセンターで遊んだ後、一旦マコちゃんと別れる。バイトの都合で、どうしても夕方 5時から9時頃まで、Mr.ドーナツに行かなくてはならないらしい。僕の方は、自転車で市内を徘徊 してみる。寮の奴らは「仙台、名古屋、水戸が日本の三大ブス地点で、特に仙台はひどい」と言い、 マコちゃんは「ええ女やな、と思ったら仙台の女ではなくて、駅に向かって自分の街へ帰って行く」 と言っていたが、どうなのだろう。すれ違う女性たちを見るだけでは何とも判別しづらい。

 寮に戻って、ひとりオールスターを観戦する。ドでかい清原の一発、川藤、クリーンヒットはいいが 二塁憤死で苦笑い。と試合に熱が入ってきた頃、マコちゃんが帰ってきた。原のサヨナラエラーを 見届けてから風呂に入り、夜食の買い出しに出かける。この明善寮との別離の時が、確実に迫って いた。夜の仙台は、相変わらず静かだった。24時間ストアでも、マコちゃんはおごると言い張った。 が、せめて自分のものくらいはと、僕も金を出した。これ以上気を使ったら、二度とここへ来づらく なる。最後の夜、夜食をたらふく詰め込み、明善寮を出発…。

 人影のない深夜の通りを、 真っ直ぐ駅へ歩いていった。駅が近づくにつれて、話題は昔のこと、神戸のことに移っていった。 「8月の終わり頃に神戸へ帰るわ」とマコちゃんが言う。「ひらぼや陽ちゃんでも呼んで、呑みに 行こう」と僕が言う。午前2時45分、仙台駅に人影は見られなかった。改札を抜け、マコちゃんと 手を振って別れた。今度はいつマコちゃんに会えるのか、今度はいつこの仙台に来られるだろうか。 今はただ、手を振って、1泊半のこの街に「ありがとう、また会える日までさようなら」と言っておこう。


「3.北海道へ到達」へ続く



「雑草鉄路」の先頭へ戻る

「北海道旅行」の先頭へ戻る


トップページに戻る

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください