光の輪
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86.7 北海道旅行
———幼い昔、僕は眩しい光を見た。
どんなに悲しくても生きてゆけと、光は言った。
●25.道北へ 【14日目】
翌朝札幌に着いた我々は、今度は札幌から一路北上、稚内へと向かう。
すっかりお馴染みになった札幌−旭川を通り、旭川からは急行「礼文」に乗車。「礼文」は 2両編成のうち、一両はカーペット車になっていた。IBA、たくやは迷うことなくカーペット 車を選択、ゴロリと横になった。僕としては普通の座席で汽車旅を味わいながら宗谷本線の 車窓を楽しみたかった気がしないでもないが、彼らにしてみれば、昨夜は夜行列車「まりも」 での仮眠で、寝不足だったに違いない。カーペット車は、有り難かったはずだ。
「礼文」は天塩川を横に従え、宗谷本線を走り行く。北へ北へと進んで行くうちに風景は徐々に 寂しくなり、最果てのムードが漂ってくる。少しずつ、少しずつ、そこは日本ではなくなってくる。 豊富を過ぎ、稚内までもう少しのところに来ると、左手にはうっすらと利尻島の姿が浮かんでくる。 そして周りには、クマザサの生い茂る原野が広がる。人工物の見られない荒涼とした原野。その 光景は僕の胸を打った。7日目に見た釧路−根室間の風景、昨日見た標津線の中標津−厚床間と 並び、この豊富−稚内間は、僕が推す「北海道車窓ベスト3」に挙げたい。そうだ、どれもみな、 僕が北海道に求めていた風景だった。
南稚内駅が近くなると、周囲に少しずつ集落が見られるようになり、列車は稚内市街にたどり 着いた。12時52分、「礼文」は日本最北端の駅、稚内に着いた。さい果てのムードに溢れる 稚内駅に足を降ろすと、ついにここまで来たかという満足感が胸に広がった。早速、駅前でIBA、 たくやと 記念撮影。しかし、前にも述べたとおり、僕のカメラは旅の後半、フィルムが空回りしてしまって おり、ここでの写真も結局は見ることのできない幻の1枚となってしまったのである。たくやの カメラで撮った、厚床駅での写真なんかは残っているのだが…。
駅前のラーメン屋で昼食を取った後、バスで宗谷岬へと向かう。さい果ての町・稚内だが、おだやかな 陽光がそそぎ、車窓の風景は実に爽やかで気持ちがいい。オホーツク海も、静かに波打っている。
岬に着くと、日本最北端を示す三角形の記念碑が立っていた。三人で記念撮影をパチリ。たくやの カメラで撮ったので、結果的にこの写真は無事残ることができた。小さいことにまでこだわりを見せる 僕は、わざわざ記念碑の裏側に回り込み、掛け値なしの「日本最北地点」に立った。何とも言えぬ 充実感が広がる。いまこの時、僕は日本人で最も北に位置する人間になっているのだ。(勿論、 北の海に漁に出ている人もいれば、北欧やアラスカなんかに行ってる日本人もいる筈ではあるが。) あらゆる日本人を南下に見下ろす気分は、格別だった。
売店では「日本最北地点到達証明書」が売られていた。観光地によくある手のものではあるが、 こういう所に来ると、何故か買ってしまうのが不思議である。
国道を挟んだ山側には牧場があり、馬がのどかに草を噛んでいた。帰りのバスを待つ間、IBAと 共に一頭の馬を柵の近くにまで引き寄せ、草をやった。馬は僕らが与えれば与えるだけ、草を食べた。 彼もまた、「日本最北馬」であることに間違いはない。さい果ての地での、とてものどかなひととき だった。
再びもと来た道をバスで戻り、稚内駅に着くと、もう夕方になっていた。今日は稚内公園に テントを張り、キャンプで一泊するのだ。札幌で購入したテントが、いよいよ活躍する時が来た。 我々は食料を買い込み、稚内公園へと進んだ。
稚内公園は予想以上に広い公園だった。南極だか北極だかで活躍した名犬、タローとジローの石碑も あった。園内を歩いて行くうちに、夕闇は容赦なく周囲を覆っていった。なんとかキャンプ場に たどり着いた時には、すでに殆ど日は暮れていた。
キャンプ場には予想に反して、かなり多くのテントが張られていた。「予想に反して」と書いたのは、 稚内公園が地元市民を対象とした公園なのか、観光客を対象とした公園なのか、歩いているうちに よく分からなくなっていたからだ。しかし、このテントの多さ、さすがは北海道。我々も何とか スペースを見つけ、テントを張った。
夕食を取り、なんとなく場内を歩いているうちに、ここで超長期滞在しているというオジさんに 出会った。もうここで40泊(!)くらいしていると言う。もう暗かったので、顔や服装なんかは よく見えなかった。(さすが北海道だ。すごい猛者の旅行者もいるんだなあ)僕はそう思いながら、 そのオジさんの話に耳を傾けていたのだが、今思い返してみるに、そのオジさんが超上級旅行者なのか、 単なるホームレスだったのか、もう僕には判別がつかない。でも、かくいう僕にしても、ここまでの 宿泊歴を振り返ると、マコちゃんの下宿で1泊、IBAの下宿で2泊、知床の民宿「しれとこペレケ」 で1泊。まともな宿泊はそれだけで、後は夜行列車が8泊と駅ネが1泊。そして今夜が、テントでの キャンプだ。よくここまで体が持ったものだ。今日が旅の14日目、神戸を出てからもう2週間が 過ぎていた。仙台でマコちゃんの下宿に立ち寄ったのが、何か遠い過去の話のように思えてくる。 そして今、14日目にして、僕は最北の地・稚内で一夜を過ごそうとしていた。僕らはテントの前で 焚き火を続けた。さい果てのファイアー・ストーム。冷たい風に、たき木の火が温かかった。気分は 上々だった。40日間も居座り続けたくなる気持ちも、分かるような気がした。
「26.急行“天北”」へ続く
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