青春の影
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

86.7 北海道旅行




     ———君の心へ続く長い一本道は、いつも僕を勇気づけた。
         とてもとても険しく細い道だったけど、今君を迎えに行こう。



●26.急行「天北」 【15日目】 

 翌朝目を覚ますと、たくやが借りてきてくれたシュラフは露でしっとりと濡れていた。 8月上旬、稚内の朝は露が降りるほど冷えていた。しかし、勿論、濡れたシュラフを乾かしている 時間などない。そのまま折りたたみ、ずっしり重いシュラフを抱えて、稚内駅まで戻った。

 今日は北見枝幸まで行き、オホーツク海で海水浴をしよう、という話になっていた。しかし空には 雲がたれ込め、気温が上がらない。が、とにかく急行「天北」に乗り、天北線で北見枝幸方面へと 向かうことにした。

 急行「天北」は14系客車列車編成で、ディーゼル急行に比べ、どことなく風格がある。天北 線の荒涼たる風景とあいまって、何となくシベリア鉄道にでも乗っているかのような気になってくる。 …そうだ、天北線の風景も、一見に値する眺めだった。深い針葉樹海が延々と続き、霧に包まれた 中を列車は進んで行った。恐らくこの辺りが、日本で最も人口密度の少ないところ。大自然の中を、 キリで穴を開けるかのように、青い列車が突き進んで行くのだ。とても壮大な気分になってくる。 しかし、この天北線もまた、赤字廃止対象線区であり、これが最初で最後の貴重な乗車とならざるを 得ないのである。

 やがて列車はオホーツク沿岸に出て、浜頓別が近くなった。北見枝幸に行くには、この浜頓別で 下車し、バスに乗り換えねばならない。しかし、相変わらず空はどんより曇ったままで、風は冷たい。
「何や、寒そうやなあ。こんなんで海水浴なんか、出来んのとちゃうか?」
「どうかなあ…。北海道の海水浴場って、元々適温の基準が低いんや。水温が15〜6℃で、“可” とか出るからなあ」
「15〜6℃! でも、今日なんか、それよりもっと低いんとちゃうやろか」
「やめとこか。オホーツク海ちゅうたら、何か寒そうやもんなあ」
ということになって、結局下車せず、このまま急行「天北」に乗って、終点の札幌まで戻ることにした。 最初で最後の天北線乗車は、シベリア鉄道風「天北」での一気乗り、ということになった。昼行列車 としては、僕自身異例のロング乗車(距離としても、時間としても)である。

 天北線の日本離れした車窓を堪能しつつ、列車は宗谷本線との合流地、音威子府に着いた。ここでは 昼食代わりに、駅そばを買い込んだ。「日本一のそば」と太鼓判を押された、名物中の名物駅そばだ。 その有名度は、北の音威子府か、西の亀嵩(木次線)か、と言われるほどである。僅か3分の停車では あるが、買わないわけにはいかない。慌ただしく注文し、容器持ち込みで列車へと戻る。IBA、 たくやと共に、「ふーん、これが日本一の駅そばか」と感心しながら食べた。何度も述べてきた ように、味覚というものは気分的な要素も大きい。日本一おいしい、と言われて食べてみれば、やはり 美味しいものである。

 急行「天北」の旅は格別だった。ふと考えてみれば、「昼行客車急行」への乗車は初めてでは なかろうか。…いや、過去に一度だけあった。82年7月に鳥取旅行に出掛けたとき、帰りに乗った 臨時急行「但馬ビーチ」は確か12系客車列車だった。
 思えば僕の鉄道旅行趣味は、客車列車へのこだわりから始まった。81年10月に福知山線の 724レで出会った、古びた客車列車を見たのが、全てのはじまりだった。以来、何度となく郷愁 めいた雰囲気の漂う客車列車に身をまかせ、全国を旅してきた。しかし、今回の北海道旅行では、 夜行列車を除けば意外なほど客車列車への乗車は少なかった。昼行列車としては、6日目に訪れた 三菱石炭鉱業線と、そして今日の「天北」、この2回だけなのだ。僕が鉄道旅行に求めてきた客車 列車の味わいは、もうすたれようとしているのだ。その残り少ない、貴重な乗車となる筈の「天北」 の乗り心地を、僕はいつくしむように味わっていた。

 19時01分、「天北」は札幌に着いた。


「27.海水浴」へ続く



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