夏色のおもいで
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86.7 北海道旅行




     ———君の目を見てると、海を思い出すんだ。
         淡い青が溶けて、なぜか悲しくなるんだ。



●27.海水浴 【16日目】 

 稚内から札幌へ帰ってきたその日は、IBAの下宿でザコ寝。翌日、昼近くなってもIBAは 起きてこなかった。
「なあ、どっか遊びに行こうな。せっかくO柿が神戸から来とるんやから」
たくやがそう言って起こそうとしたが、IBAは布団に寝転がったままだった。昨日、4泊の 道東・道北の旅を終えたばっかりだ。しかも4泊中、まともな布団で寝られたのは「しれとこペレケ」 での1日だけで、あとは夜行列車で2泊と、稚内のキャンプで1泊。疲れがたまるのも無理はない。 しかし、僕としても今日は、北海道滞在の最後の1日なのだ。IBAには申し訳ないが、もう少し だけ付き合ってもらおう。

 なんとかIBAを起こし、今日は海水浴のやり直しをしよう、という事になって、電車で札幌− 小樽間にある銭函に行った。銭函駅は風格ある造りの駅舎だった。何でもかつてはニシン漁で大いに 栄えた駅だとかで、駅舎には神社の賽銭箱みたいな、文字通りの“銭函”が置いてあった。

 銭函には海水浴場があり、駅から歩いてそう遠くない距離に、砂浜が広がっていた。浜辺は 海水浴客で賑わっていた。空は快晴、というわけではなかった。薄い雲間から、時折控えめな陽差し が覗く程度。それでも確かに、いまは北海道の短い貴重な夏のシーズンであることにかわりはなかった。 目の前に広がるそれは、神戸の須磨あたりの、さんさんと夏の太陽が照りつけるビーチサイドと、 何ら異なる光景ではなかった。

 僕らは早速海パン姿になり、海へと向かった。駅構内に掲示されていた「海水浴場情報」によれば、 今日の海水温は17℃(!)。海水に足をつけると、冷たさが上半身にまで伝わってきた。 我々が小学生の頃、たしか学校のプールの“適温基準”は22℃であったと記憶している。それよりも 5℃も低いのだ。北海道の人たちはよくこれで、楽しそうに泳いでいるものだ。これではまるで、 寒中水泳ではないか。

 それでも、思い切って体全体を海水にドボンと入れてしまうと、やがて体もこの冷水に慣れてきて、 何とか我慢できるようにはなった。予想に反して、海の水はさほど綺麗ではなかった。どちらかと いえば、少し濁っていた。僕は9日目に常呂駅の裏手で見たオホーツク海の美しい沿岸を思い出した。 昨日、北見枝幸で泳いでいれば、あの常呂と同じような海岸美に身を預けることが出来たのだろうか。 あの青く清らかな流氷を生み出すオホーツクの澄んだ海水に体を埋めることが出来たのだろうか。 いや、その前にまず、恐らくは冷たい海水に、足すら入れることも不可能であったに違いない。 人の侵入を拒むかのように、あのオホーツクは寒々しく我々の体温を奪い去り、陸へと追いやって しまったに違いない。そうやって北海道の大自然は、これまで保たれてきたのだろうか。人と自然とが 融けあった時、人は傍若無人に自然の中に入り込み、むしばみ、やがては崩壊させてしまうのだろうか。 僕がこれまで見てきた北海道の大自然は、そうやって人と向かい合い、緊張を続け、一進一退を 繰り返してきたのだろうか。僕はこれから、北海道の大自然と、どうやって接していけばいいのだ ろうか。

 そんなことを考えながら、僕は北海道の海を泳いだ。IBAは現金なもので、もう朝の疲れ切った 表情など忘れてしまったかのように、楽しそうに海水と戯れていた。
 恐らく僕の人生のなかでも最も低い水温での海水浴は、そのようにして過ぎていった。


「28.また会う日まで」へ続く



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