おいらの旅
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86.7 北海道旅行




     ———雨が降ったら、濡れてもいいさ。嵐が吹いたら、吹かれりゃいいさ。
         それでもおいらは後ろを振り向きはしない。



●5.歌志内線 【4日目〜5日目】 

 函館からは、全国でも数少なくなったドン行夜行の一つ、札幌行き41列車に乗り込む。僕自身としては 大垣夜行、「山陰」、「ながさき」に続いて4列車め、のべ5度目のドン行夜行乗車である。 後にある61.11改正で旧型客車が全廃(和田岬線を除く)となる事は知っていたので、貴重な乗車 だとは思っていたが、まさか41/46列車までが廃止になろうとは全く知らなかった。できれば普通の 座席車で旧客車をしのびたかったが、後々のスケジュールを考え、前々から話題に上がっていた ジュータン車で寝転ぶことにした。旧客車の座席車については、後に北海道最後の旅客私鉄、 三菱石炭鉱業線で充分堪能することになろう。今はとりあえず、体に疲れをためないようにして おく事だ。

 さて、ジュータン車の方だが、僕が入ってきた頃には既にかなりの乗客が 乗り込んでおり、僕は満員の中に無理やり割り込む形となった。先ほど見てきた限りでも、座席車 の方もかなりの乗車率となりそうだ。今考えると、夏季にはこれから急行「すずらん」の臨時 一本のみで函館−札幌夜行が間に合うかどうか、心配になってくる。

 やがて23時58分、41列車は満員の乗客を呑んで函館を出発した。ベターッと寝転んだまま 睡眠が取れるのは、楽である。が、どの辺を走っているのやら、どんな所を駆け抜けている のやら、皆目見当がつかない。北海道内での初の夜行列車だったが、情緒を感じるすべはない。 眠るのに徹したほうが良さそうだ。お陰で、寝付いたのは早かった。少し寝返りをうつと、すぐ 隣の小学生にぶつかる窮屈さには閉口したけれども。

 翌日目が覚めたのは小樽に停車 している時だった。遂に旅行は、5日目の朝を迎えていたのだった。にもかかわらず、まだ 全行程の3分の1も終えていないとは。体の方は疲れ切っていた。目を覚ましても起きられず、 結局札幌に着くまで横になっていた。せっかくの旧型客車の旅だったが、その殆ど99%を 睡眠に充ててしまったことになる。6時45分、眩しい朝日の中、41列車は札幌に着いた。 僕にとっての、国鉄では最後の旧客車の旅は終わった。例え改造したジュータン車とはいえ、 あの独特のコトトン・コトトンという柔らかい響きだけは変わらなかった。

 日付は7月22日になっていた。今日午前中に砂川から出ている歌志内線に乗り、午後から 層雲峡を見て回った後、札幌へ戻ればあのIBAが待っているのだ。
 ゆうべ41列車で ほぼ熟睡し、幾分は体の疲れも取れていた。が、食欲の方は相変わらず回復しない。「俺、 拒食症でこのまま死んでしまうのと違うやろか…」と心配するあたりは、『神経質なA型』 の典型だ。とにかく、サンドウィッチを口に詰め込む。

 札幌からは7時05分発の急行「狩勝1号」で北上する。白石…厚別と通過する頃から 札幌市街が途切れ、広大な風景が広がり始める。ああ…!この風景。まさに、僕がずっと 夢に見続けて来た風景じゃないか。赤や青に塗られた、鋭くとんがった屋根の家が、オモチャの 街のように整然と並んでいる。田んぼではない、畑や草原が大きく区画されて遥かに続いて いる。…川を渡る。「夕張川」と看板に書かれている。何と、河原の広いことか。大陸的、 欧米的…。いや、やはりそんな形容はふさわしくない。これが北海道なのだ。

 やがて8時07分、砂川に到着。駅に降りると、何とも肌寒い。慌ててカーディガンを着込む。 やはり、北海道に合うのは「冷帯」という言葉なのか。
 駅の水道で歯を磨く。水が冷たい。 本当に、これは夏の旅行なのだろうか。
 北海道特有の遅い改札を抜け、ホームに入ると、 歌志内行きの列車が既に入っている。紅い車輌が一両だけの、チョン行!しかも、その一両が ガラガラだ。ふと思ったことだが、この歌志内線、第3セクター方式も検討されているらしいが、 やはりそれは間違いなのではないか、早めにバスか何かに転換した方がいいんじゃないか…と 余計な心配をしてしまう。

 ところで、最初に書き忘れたが、この5日目は予定を変更 している。当初の予定の、5日目と6日目を入れ替えたのだ。天気がいい時に、確実に層雲峡 を訪れておこう、との計算からである。そのため5日目に予定していた夕張は翌日へ 持ち越される事になった。

 さて、5日目の朝に戻るが、8時30分、列車は砂川を 発車した。乗客は5、6人。大きな弧を描いて函館本線と別れ、山間へ進んで行く。殆ど建造物を 見ないまま、ようやく最初の集落に来て焼山駅へ。焼山を過ぎると、ちら、ほらと集落が見られる。 がその景色は、寂しい。

 歌志内沿線は斜陽産業・炭鉱の町だ。歌志内線が第3セクター 方式を検討しているのも、石炭輸送の使命が残っているからである。なるほど車窓には、ボタ山 らしきものや、独特の炭住が並んでいるのが見られる。今でも歌志内は、石炭で生きる町なのだ。
がしかし、何と言っても斜陽産業。集落に活気は見られない。古びた、廃墟のような炭住は ゴーストタウンの様相を呈している。曇り空のためか、どんよりと沈んで見える。時代から 取り残された土地…。そんな思いが、ふと僕の胸をよぎった。そんな風景の中、乗客もまばらな 車輌が、歌志内の駅に滑り込んだ。

歌志内駅に佇むDC車
 荷物を駅の待合室のベンチに置き、少し付近を 歩いてみた。歌志内は、人口一万人を切る市だ。日本で恐らく最も人口の少ない市だろう。 このデータはそのまま、不況による人口流出を物語る。不況で、町を去るもの、残るもの… 僕には残った者の生活のほうが、興味を覚える。

 歌志内が一応、終点の駅なのだが、 更に先まで線路は伸びている。…恐らく、昔はもっと奥の方から石炭を運び出していたのだろう。 今では車輪が通る事など殆ど無いのであろうレールは、赤黒く錆びている。町には中心地となる 商店街らしきものも見当たらず、人通りも少ない。閑散としている。都会ならば、通勤ラッシュ の時間帯であるのに。「空知炭鉱」の石炭ストーブ屋か収集所みたいな店が、唯一地方色を 現していた。

 さて、ここまでは不況の町を走る赤字ローカル線の典型のような姿だった 歌志内線だったのだが、この後、歌志内線はがらりと様相を変えて僕の前に姿を見せるのである。
 折り返し砂川行きの上り列車に乗り込んでいると一人、また一人と 乗客が入ってくる。学生服やセーラー服の中・高校生、背広姿の男性、普段着姿のオバさん…。 歌志内を発車した時には、1両きりの車内はほぼ満員になった。これは僕も予想外だった。ローカル 線の朝、下りはガラガラだが上りは盛況というのはよくある事だ。今は無き倉吉線や、若桜線も そうだった。だが、これほど満員になったローカル線を、僕は見た事がない。しかも 歌志内駅だけではなかった。次の駅でも乗客があり、車内には立ち客さえ出た。次の駅も、 また次の駅も…。列車の天井に、話し声、笑い声が響く。ああ、何という活気なんだ。

 既に僕は、この歌志内沿線に対する印象が、がらりと変わっていた。車窓に映る、空知炭鉱会社の 炭住群さえ、なんだか活気が溢れて見えた。あそこにも、人が住んでいるのだ。
 この町は、生きているのだ…。この賑わう車内の光景は、僕の胸に押し寄せてくるものがあった。 一見ゴーストタウンに見えた炭住が、紛れもない、この人たちの生活の場なのだ。列車の中で 話す人々の明るい笑い声は、北の地の人々に対する僕の認識を改めさせるに充分だった。不況の 仕事、苦しい生活…それぞれが持つぞれぞれの悩みを、笑いで吹き飛ばそうとしているようにも、僕には 見えた。町が寂しい分だけ、人間が明るい。

 往路と復路でこれほど印象が変わった所も、 珍しいものだ。何か僕に、教訓を教えているような気さえした。第一印象だけで、物事を判断しては いけない…と。

 9時39分、列車は砂川に到着した。乗客は、ある者は函館本線の 乗り換えホームへ、ある者は駅の改札へ抜けて行った。歌志内の人々が、一日の生活を始めようと していた。列車の中、賑わう人の背中に幾つもの人生を感じた歌志内線の短い旅は、終わりを 告げた。

 一種爽やかな時間を過ごした歌志内線は、この北海道の旅行の中でも、結構 印象に残った所であった。


「6.大雪山の万年雪」へ続く



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