愛の風
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86.7 北海道旅行




     ———花瓶に挿した花のように、二度と咲かない愛があった。
         あなたは花が開くような優しさに溢れていた。



●8.夕張 【6日目】 

 昨日、6日目の日程を5日目に持ってきたので、今日6日目は必然的に5日目の日程を回る ことになる。夕張の石炭歴史館と北海道唯一の私鉄である三菱石炭鉱業線を訪れるのだ。 空は朝から雨模様だ。

 9時40分発の特急「おおぞら3号」で札幌から夕張へ向かう。石勝線に入った頃から、 外の風景は牛とサイロと草原が目立つ。これが僕の求めていた、北海道の風景だ。
 新夕張駅には10時58分に到着、4分連絡の普通列車で夕張へ。元々は「夕張線」と 呼ばれていた支線である。沿線はやはり、石炭の町であることがよく分かる。ただし、 昨日の歌志内沿線よりも規模がかなり大きい。途中の車窓で、ハッとさせられる風景が 一か所あった。古びた炭住、なだらかな坂、少し淋しい町…これは、「幸福の黄色い ハンカチ」のラストシーンに出てきた場面とそっくりではないか。刑を終えた高倉健を、さくらさんが こんな感じのうらぶれた炭住で待っていたじゃないか。ポール一面を、黄色いハンカチで 覆い尽くして。

 清水沢では、石炭専用の貨車も見られた。10数両連結されている。これは今でも現役なの だろうか。石炭を運んでいるのだろうか。沿線の風景は炭住が眼につく。
 11時33分、列車は夕張に着いた。一番線しかない、小さな駅。しかも駅舎は貨物車を 改造しただけのチャチなものだ。夕張市の中心駅としては、あまりにも陳腐に思う。
 駅からすぐの所に近代的で立派な市役所が建っている。夕張では数少ない近代的建造物。 そこから北へ向かい、夕張の町を歩いてくると、雨がまた落ちてきた。薄暗い天候と夕張 の町とは、不思議にマッチしている。

 斜陽産業の石炭。その石炭で生きる町としての代表格でもある夕張は、今回の旅行で 僕がどうしても来たかった所だ。どんな事にも“光”の部分と“影”の部分とが必ずある。 北海道の自然もまた、光と影に満ち溢れている。その北海道の、文化…人の生活の舞台としての “影”の部分を一身にになう、夕張の町。雨の夕張は、哀愁が漂う。町の歴史は古い。そして 石炭が落ちぶれた今、付近に新築の建物は見られない(僅かに、市役所とこれから訪れる石炭 歴史館だけだ)。一見ゴーストタウンのようなたたずまい。だが、歌志内の町がそうだったように、 この町も一軒一軒がそれぞれの人々の、生活の場なのだ。

 北へしばらく歩くと、旧夕張駅の構内が広がっている。元々この地にあった駅を、市役所の所在に 合わせて南へ移転しているのだ。どう見てもこちらの駅舎(今は何かの事務所になっている)の方が 堂々としているし、第一「石炭歴史館」にも近いではないか。市内唯一の観光スポットなのだから アクセスは考えなくては。僕なら今の夕張駅からさらにレールを伸ばして、終点に「歴史館駅」 を建てたい。札幌発、夕張石炭歴史館行きの急行「タール号」でも走らせて。
 その石炭歴史館だが、雨のためか、平日だからか、夏休みというのに観光客が少なく、淋しい。 と思ったが、今日は7月23日。北のこの辺の学校では、まだ夏休みではないのだろう。館内 ではチューリップの「愛の風」が流れている。後で知ったことだが、チューリップのメンバーの一人、 丹野は、この夕張の出身だそうだ。
 荷物をロッカーに入れて、館内のパビリオンの一つ、石炭博物館に入る。中は二部構成になっていて、 前半部分は石炭についての説明がずっと書かれている。大石炭塊や石炭紀の化石なんかも展示して おり、見飽きない。新しい建物内を順路に従っていくと、最後の方に石炭を液化させ、使用しやすく する技術などにも触れてあった。「夕張の石炭は良質だしまだまだ埋蔵量も多い。未来へ向けて 石炭産業の技術向上を…」という事である。良くも悪くも、夕張には石炭しかないのだ。石炭で 生きて行かなければ、仕方ないのだ。
 二部構成のうちの後半部分になると、ますます興味深い。エレベーターで地下深くまで潜り、実際の 坑道を進んで行き、採掘の様子を見物する仕組みになっているのだ。
 その坑道だが、昔かつて掘り抜いていった本物とあって、その物凄さが伝わってくる。
 途中で団体客に追いつき、見ると男性の係員(多分地元の、歴史館に務める人なのだろう)が説明 しながら、その団体を率いていた。僕も何気なく、その集団に入った。
 係員の説明は僕らを炭鉱場の世界に引き込んで行った。先端部で石炭を掘る様、それを運ぶ様、 その際の服装や注意点等々、話には真実味が溢れる。この人も、昔は炭鉱で働いていたのだろうか。 坑内の作業は想像以上に苦しい事、が働く事はとても楽しい事、と係員の話しぶりが伝わってくる。
 その係員が、僕のカメラを見て驚いた。
「や、君。そのカメラ、どうしたんですか。どうやって手に入れたんですか、それ」
「これですか。僕の親父のやつを、貰ったんです。何でも二十数年前に買ったとかで」
「へえっ…。でも、よく今まで残していたもんだ。こりゃぁ、名器中の名器、貴重な骨董品ですよ」
「親父もそう言ってました。当時の親父の3か月分の給料をはたいて買ったらしいんです」
「そうですか。君、このカメラは、本当に大事になさい。言わば、ひと財産持って旅行しているような もんですよ。骨董品屋で売れば、かなりの値段で売れますよ、こりゃぁ」
係員がそう言うので、回りの団体さんも、「へえ−っ」とばかりに、僕のカメラに目を見張る。 「どこから来たんですか」係員が訊くので「ええ、神戸から」と言うと、「へェ、そんなに遠くから ねェ」とまた驚く。この辺に来ると、関西弁も珍しいようだ。
 坑道が終わり、出口に出ると、その真左に「石炭の大露頭」があった。天然の露頭炭という事で、 北海道指定の天然記念物になっている。見事な光景に、僕もほめてもらったばかりのカメラでパチリ。 外は、相変わらず小雨が降っている。

 その団体さんや係員と別れて、昼食を取り、今度は「SL館」を訪れてみた。かつての夕張鉄道で 走らせていたSLを展示しているのだ。
 SL館内は殆ど人がおらず、やや寂しい感じだが、その分じっくりと見物できる。中央部に鉄道模型が 居座り、外周の壁にはSLの歴史だとかSLの仕組みについての説明が書いてある。この辺はチャチな 感じで、口悪く言えば大阪の交通科学館の方がはるかに見事な展示がしてある。つまり、結局最終的な 見どころは、非動態保存ではあるが、かつては実際に夕張の原を走っていた2両のSLに集約される。
 ひと口に言って、SLは良かった。2両のうち1両は客車も連結されており、その客車は展示用に 右半分の座席が撤去されていたが、それでも独特の旧客車の雰囲気は醸し出されていた。簡易 プラットホームには、昔本当に立っていたのであろう駅名標がある。室内とはいえ、情感は出ている。 SL自体なら神戸の西元町にも保存されているが、このSL館は旅客車としてのSLのまま残して おり、車両そのものより旅行手段としての情緒に重きを置いている僕としては、ここのSLの雰囲気は 本当に好感が持てる。
 機関車の向こう側には、様々な看板類…運賃表、列車時刻表、列車の“サボ”等が掲げてあり、駅の 待合室にいるかのような錯覚に陥る。
 僕はすっかり気に入ってしまい、結局かなり長い時間このSL館に佇んでいた。D51やC62のように 全国的な型でなく、夕張鉄道だけで走っていたローカルな機種であった事も、僕を引き込んだ要因の 一つであっただろう。やがて中学生くらいの、学年単位の団体が入ってきて騒ぎ回り、汽車旅の 雰囲気がなくなってきた所で僕はようやく館外へ出た。そして僕は、この後に乗る三菱石炭鉱業線が 待ち遠しくなってきていた。外はまだ、小雨…。

 満足のうちに石炭歴史館を出て、再び夕張駅へ戻る。途中でいよいよ雨が本格的になってきたので、 雑貨屋で折りたたみ傘を購入した。夕張で買った、記念の傘だ。
 夕張の貨車改造の駅舎は、それでも売店と待合室と便所が完備しており、なかなかの機能だ。雨に 濡れた体に、温かい缶コーヒーが嬉しかった。
 赤い気動車が入ってきて、16時11分、夕張を発車。次は、いよいよ南大夕張訪問だ。


「9.ノスタルジア」へ続く



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