スイス鉄道旅行
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

1988年夏 スイス鉄道旅行




●7月27日【2日目】 ベルニナ急行 

 この日はサンモリッツから、氷河の見事な景色のなかを走る「ベルニナ急行」 に乗ることにしました。指定席料金さえ払えば、「ホリデーパス」で乗車 OK。しかもベルニナ急行の行き先はティラノ。スイス国境を飛び出し、 イタリア国内にある駅なのですが、このティラノまでは「ホリデーパス」での 乗り放題区間なのです。「こりゃ、行くっきゃないでしょう。」ということで、 ベルニナ急行でのイタリア旅行と相成ったわけです。

 さて、ベルニナ急行に乗り込んでみると、我々が取ったはずの指定席に 誰かが座っています。
「ちょっと、そこ俺たちの席ですよ」と我々。
「何だって?冗談じゃない。ここは我々の席だよ」と外国人客。
「だってホラ、この番号、俺らの番号ですよ」とチケットを見せる我々。
「何言ってんだよ、私らの番号だよ、ホラ」とチケットを出す外国人客。

 以上、英語もロクに話せない我々と、英語もロクに話さない欧州人とのやり取り なので、会話は難航を極めたのでした。お互い、同じ日付の同じ番号のチケット を持つ2人組が2組。一体こりゃ、どうなってんだ?

 すったもんだを聞いていたらしき高齢の婦人がチョンチョンと私を叩き、 「ホラ、そこの席が2つ空いてるわよ。あそこに座っちゃいなさいよ。」と 勧めてきました。英語もロクに話せない私と、英語もロクに話さないスイス 婦人との会話なので、詳細は定かでありませんが、ニュアンスは以上で間違い なかったと思います。助言に甘え、大人しく空いていた席に座りました。

 ベルニナ急行の客車は窓の大きい、景色が見やすいように窓が上部まで 覆う「ワイドビュー」車両でした。今でこそ日本でも「踊り子」や「ひだ」、 「南紀」など、ワイドビュー車両は珍しくなくなりましたが、88年当時は 新鮮な驚きを感じたものです。

 車窓には氷河が削られたあとが残る壮大な眺めが広がります。イタリアへ 向かって、山脈を降りていくようにして、列車は進んでいきます。途中、 レールは大きなループを描き、赤い列車もそれに合わせて大きな弧を作って、 もと来たレールの下をくぐって行きます。それは見事なものでした。

ベルニナ急行の車窓から。ループ橋を渡り、右下に見える線路へ下りゆく

 列車はやがて終点・イタリアのティラノに到着しました。駅で簡単な 入国手続きを終え、ティラノの町に降り立ちました。
「おおー、これがイタリアの国かァ」とばかりに町を眺めると、まず気が つくのは店に並ぶ商品の値段。これまではスイスフラン(SF)の1ケタ もしくは2ケタ(プラス小数点2位)しか見ていなかったのが、いきなり 町の売店でも4ケタ・5ケタが当たり前。改めてイタリア・リラのインフレ ぶりを思わせられるものでした。

ベルニナ急行の終点・ イタリアのティラノ駅にて

 とはいえ、元々は予定すらなかったイタリア訪問。我々はこの時点で、 リラなど持ち合わせてはいなかったのです。同僚のサダと相談。
「どうする、銀行でリラに替えるか?」
「でもなあ、たった数時間の滞在のために面倒な両替を2回も(SF→リラ、 リラ→SF)するのはなあ」
ドイツマルク、スイスフラン、フランス・フランと、数々の通貨を持たねばならない 我々は、もうこれ以上通貨を増やしたくなかったので、結局リラ替えはやめた のです。せめて「ユーロ」が12年早く登場していれば…。(注・実際には、 SFでも買い物はできた。)

 という訳で、リラを持たぬままイタリアの町・ティラノを散歩することに しました。単にベルニナ急行の終着駅にすぎない国境はずれの小さな町です。 目を引くような観光スポットは何もないのですが、そうした素朴な町の風景 を眺めるのも、またいいものです。スイスとはまた違う、少しくすんだ色あい の町は、我々が今回訪れた欧州の国々のなかでは最も日本に近い風景の ようにも思えました。

 こうして散歩を楽しみ、ティラノ駅まで戻ってくると、駅前の交番から 体格の良い警官が出てきて、我々を呼び止め、ポリボックスに入るよう 言いました。何が何だか訳のわからぬまま、我々は部屋の中へと連れ込まれ ました。

 太った警官はカツ丼も出さずに、我々に質問を浴びせてきました。
「お前たちは何しに来たんだ」
「何って、ただの観光ですよ。ベルニナ急行に乗って来たんです」
「ここはお前らアジア人が観光に来るところじゃないんだ。何しに来た?」
「だから観光ですよ。僕ら学生です」

 以上、英語もロクに話せない我々と、英語もロクに話さないイタリア人 警官とのやり取りなので、取り調べは難航を極めたのでした。

 ラチがあかなくなったデブの警官は、我々にパスポートを見せるよう 要求すると、おもむろに引き出しから資料を取り出し、我々のパスポートと 照合を始めました。その資料が、日本赤軍か何かのブラックリストであることは 、もはや明らかでした。

 やがて警官はリストに我々の名前がないのがわかると、いまいましげに 「シッ!」と言って、我々を釈放しました。町の治安を維持するための職務 とはいえ、その態度の根底に流れるのはあからさまなアジア人蔑視。心の底から ムカムカしました。

 おかげで最悪の印象となったティラノにおさらばし、再びベルニナ急行で 、もと来たルートをサンモリッツまで戻りました。サンモリッツでは、駅前に 広がる湖の周囲をぐるりと一周。湖と緑に囲まれてののどかな散歩は実に 心地よく、ティラノの一件以来続いていた、むしゃくしゃした気分を やわらげてくれました。


【3日目】氷河特急 へ続く





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