スイス鉄道旅行
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

1988年夏 スイス鉄道旅行




●7月31日【6日目】 クライネマッターホルン 

 3泊したグリンデルワルドに別れを告げ、今日はツェルマットへの 移動です。

 グリンデルワルドから登山列車を降りてふもとの駅まで戻り、 列車を乗り換えての道すがら、高齢の婦人が私の肩をつつき、
「ホラ、あそこの山。とってもいい眺めよ。見て御覧なさい」
と教えてくれました。英語もロクに話せない私と、英語もロクに話さない スイス婦人との会話なので詳細は定かではありませんが、ニュアンスは そういうことだったと思います。

 すでにベルニナ急行や氷河特急に乗車してきた我々にとっては、その 風景は特別珍しいものではありませんでした。でも、これまで欧州人の 「アジア人蔑視」言動にうんざりさせられてきた私にとっては、その婦人の 親切心は嬉しいものでした。そんな訳で、しばらくその婦人と一緒にその 山を眺め、「ビューティフル」と言って笑いました。

 再び登山列車に乗り換えて、ツェルマットへと向かうことになります。 乗り換えの僅かな時間を利用して、駅の売店でサダと私の2人分の コカコーラを買い込みました。ちなみに今回の旅行では、実によくコーラを 飲みました。何故かといえば、ドイツであろうとスイス、フランス、どこで あろうと、「コカコーラ」とさえ言えば苦もなく通じるからです。言葉の 障壁を乗り越えて国際語にさえなっている「コカコーラ」、実に偉大な 飲み物です。

 さて、2つのコーラを両手に持ってホームを歩いていると、何と、 我々の列車はもう動き始めているではありませんか。慌てて駆け出し、デッキ に飛び移って、事なきを得ました。まるでアクション映画の1コマのような 瞬間でした。スイスではどの列車もデッキのドアが開放されているのが 幸いしました。日本のようにドアが閉まるタイプの電車だったら、完全に アウトでした。

ツェルマットへ向かう登山鉄道の車内

 列車はほどなくツェルマットに到着。ツェルマットは非常に清楚な、 気持ちのいい町です。環境保護のため排ガス車は規制され、空気も澄んで います。

 ツェルマットには、山形から来た高校教師、「ツヴァイ、ツヴァイ」の山形先生も いました。「マッターホルンの途中まで登山に行ってくるよ」と笑って いました。

 我々はホテルへチェックイン後、すぐにロープウェイを使ってツェルマット の最高標高地点、クライネ・マッターホルンを目指して向かいました。

 ロープウェイの最上駅は、もうすでに標高3800mを超えているのです。 すでに富士山よりも高い位置まで来た我々は、そこから更に上を目指して 登り続けました。とはいえ、標高4000m近い高山。あまり息を切らせると 酸欠になってしまうのでは、と思うと、足取りも心なしかゆっくり気味に なります。

 ようやく突端の「仮頂上」に辿り着き、記念撮影。ロープウェイの力を 借りた“ニセ登山”ではありますが、標高3900mを超える山頂で撮った 写真に違いはありません。
「知らん奴らが見たら、凄い登山をしたと思うやろなあ、これ」と、サダと ふたりで笑いあったものです。

 再びロープウェイでツェルマットへ戻り、その日の行程も終了。ホテルの 部屋で、サダと一緒に大学の学部仲間に絵ハガキを書き連ね、夜は過ぎて いくのでした。


【7日目】ゴルナーグラード へ続く





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