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秘湯めぐりの旅(63)
<寸又峡温泉−静岡県榛原郡本川根町>
2005.6.11-12
*2005年6月11日(土) 島田→金谷→千頭→寸又峡温泉
・静岡県へと向かう
10数年ぶりに、大井川鉄道のSLとトロッコ列車に乗り、寸又峡温泉まで行ってこようと計画し、朝6時に自宅を出立した。笹目橋を渡り、環状8号線へと向かったのだが、意外なことにそれほどの渋滞もなく、順調に走って、7時過ぎには東名高速に乗ることが出来た。港北パーキングエリアで、朝食休憩を取ってからは、一気に西に向かって走り、静岡県へと入っていった。しかし、天気は曇りがちで、午後からは雨との予報もあって、ちょっと心配だ。さらに西進を続けて、静岡市、焼津市と通過して、吉田インターで下りてからは、島田市へと向かうことにした。そして、大井川を越えてからは、堤防沿いに走ることとなった。
・大井川の蓬莱橋を渡る
しばらく、川を左手に見ながら走っていると、蓬莱橋という木造の橋が見えたので、立ち寄っていくことにした。徒歩でしか渡れないが、日本一長い木造橋(通行料100円)とか...。河床までかなりの高さがあり、手すりが低いので、少し恐い感じがする。それでも、橋の中央まで歩いていくと、大井川の雄大さがよくわかった。江戸時代は、「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」と言われた東海道の通行の難所だったのだ。見たところでは、土砂の体積が多く、本来の川水が流れているのはほんの一部だけだが、これが大雨の時には、川幅いっぱいに流れるのかと想像すると、すさまじいものを感じる。河原には、所々にピンク色のムシトリナデシコと思われる花が咲いていて、印象に残った。橋の途中から引き返してきて、次に大井川の川越しについて学ぶために島田市博物館へと向かった。
蓬莱橋の入口 | 蓬莱橋上から見た大井川 |
・島田市立博物館を見学
博物館は、かつて人足による渡しが行われていた場所の堤防の下にあったが、結構立派な外観だ。展示は、もちろん川越しに関するものが中心で、その歴史や方法などについて学ぶことが出来たが、川越しに使った蓮台なども展示してあって、興味深いものだった。庭には、松尾芭蕉の句碑「ちさはまだ 青葉ながらに なすび汁」と「たはみては 雪まつ竹の けしきなり」が並んで建てられていた。碑の説明文によると芭蕉は、1691年(元禄4)と1694年(元禄7)の2回島田に立ち寄ったことがあるそうだが、2回目は5月中旬で折からの風雨で、3日間の川止めとなり、塚本如舟邸に宿泊した時に作った句とのことだ。何度も口ずさみながら、芭蕉の気分に浸ってみたのだが...。
島田市博物館の外観 | 松尾芭蕉の句碑 |
・川越遺跡と島田市立博物館分館を巡る
見学後は外に出て、国指定史跡になっている川越遺跡を巡ってみたが、かつての旧東海道沿いに、川会所や札場、番屋などが復元してあり、なかなか面白かったのだ。また、並びに島田市博物館分館もあり、海野光弘の版画や民俗資料も展示してあって、見学した。
川越遺跡の川会所 | 島田市博物館分館の玄関 |
・新金谷駅へ
その後は、大井川橋を渡って、金谷町へと入り、大井川鉄道の新金谷駅前の駐車場に1泊1,000円で車を入れた。プラザコロ内のサービスカウンターで、予約してあった「いいふろプラン」のクーポン券を手に入れたのだが、大井川鉄道と寸又峡温泉までのバスの往復と1泊2食の宿泊料がセットになって一人12,000円というお得なものだ。それに、別売のSL急行券(560円)も買い求めて、11時55分発のSL「かわね路号」を待った。まだ、時間があったので、展示してある蒸気機関車や列車を見たり、絵葉書や汽車弁当を買ったりしていた。
大井川鉄道新金谷駅の駅舎と車庫 |
・大井川鉄道のSLに乗る
いよいよ、SLに乗り込んだのだが、ツアー客や家族連れなどで、ほぼ満席状態で、さすがにSLは人気があることがわかる。客車もレトロなもので、もちろん冷房はなく、天井で扇風機が回っているのが、懐かしさを感じさせる。動き出すと、そのガッタンゴットンという響きが心地よく、ポーッと鳴る汽笛に情緒がある。車窓はのどかな田園風景で、茶畑の多さが、静岡県ならではだ。しばらく走ると右手に大井川が見えだし、その後は、ずっと寄り添うように上流へと向かっていくのだ。その雄大な眺めは、SL情緒とマッチして快適なものの、やや雨模様なのが残念だ。時々車窓から写真を撮っていたが、いろいろとカメラに収めたい風景が多く、ついついシャッターを切るのが多めに...。そんな心地よい旅路も1時間13分で、終着千頭駅へと到着した。
第4橋梁を渡るSL | 千頭駅に到着したC11227 |
この先、井川線のトロッコ列車に乗ろうとも考えたのだが、雨が降り出しており、雨足が強まりそうなので、早めに宿へ向かうことにして、寸又峡温泉行きのバスに乗り込んだ。奥泉駅までは、普通の山道を走っていたが、そこからの峠越えはすさまじい道で、かなりの急勾配と狭い多くのカーブを側壁をこすりそうになりながら走っていくので、ハラハラした。しかし、ベテラン運転手には乗り慣れた道なのか、ほんとうに上手にハンドルを回しているので、ほれぼれする。そんなバスも40分ほどで、秘境寸又峡温泉へと到着した。
まだ、14時を過ぎたばかりだったが、雨も降っていたので、今日の宿「山口屋」へ入ることにした。部屋に荷物を置いて、一服してから、雨が本格的に降り出さないうちに「町営露天風呂」へ行くことに...。宿から徒歩3分の渓谷沿いにあり、ログハウス風の丸太に囲まれたこぢんまりとした建物で、入浴料400円だが、脱衣場と露天風呂があるだけの簡素なものだ。しかし浴槽には、源泉がとうとうと注ぎ込まれ、掛け流しになっていた。入ると、少しぬるめだが、ぬるぬるした感触がとても心地よいのだ。さすがに「美女作りの湯」と呼ばれるだけのことはある。のんびりと湯に浸かって、長旅の疲れを癒してから、旅館へと戻って行った。
★寸又峡温泉町営露天風呂「美女づくりの湯」に入浴する。<入浴料 400円>
寸又峡温泉「美女づくりの湯」の外観 | 寸又峡温泉「美女づくりの湯」の露天風呂 |
| *一般的適応症(浴用) 神経痛・筋肉痛・関節痛・五十肩・運動麻痺・関節のこわばり・うちみ・くじき・慢性消化器病・痔疾・冷え症・病後回復期・疲労回復・健康増進 *泉質別適応症(浴用) きりきず・慢性皮膚病・慢性婦人病・糖尿病
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・寸又峡温泉「山口屋」へ泊まる
その後、しばらく宿でくつろいでから、4時頃から宿の内湯にも入ったが、若干加熱してあるものの、掛け流しとなっていて、すべすべ感も強く、再び良い湯を味わった。浴後は、部屋で横になり、プロ野球の阪神・日ハム戦を見ていたら、夕食の時間となった。大広間に設えられた食卓には、鍋はイノシシ、焼肉はシカ、魚はヤマメ、刺身はコンニャク、それに山菜がたくさん並べられていた。すべて地物ばかりでとても美味しかったし、このクーポン券には飲み物も一本付いていたので、日本酒を冷やで頼んで、酔い心地となった。気持ちの良い夕食をすませてからは、部屋に戻り、テレビを見たり、本を読んだりしていたら、眠くなってしまったので、早めに床に就いた。
★寸又峡温泉「山口屋」に宿泊する。
寸又峡温泉「山口屋」の外観 | 寸又峡温泉「山口屋」の内湯 |
| *一般的適応症(浴用) 神経痛・筋肉痛・関節痛・五十肩・運動麻痺・関節のこわばり・うちみ・くじき・慢性消化器病・痔疾・冷え症・病後回復期・疲労回復・健康増進 *泉質別適応症(浴用) きりきず・慢性皮膚病・慢性婦人病・糖尿病
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寸又峡温泉「山口屋」の夕食 | 寸又峡温泉「山口屋」の朝食 |
*2005年6月12日(日) 奥泉→井川→千頭→金谷→帰途へ
・朝から写真撮影に出かける
翌朝は、早く起き出して、6時前からカメラをぶら下げて散策に出かけた。寸又峡プロムナードコースを歩いていったのだが、温泉街を過ぎると深い渓谷沿いの林道となり、みごとなV字谷の崖縁を行くことになった。すばらしい景観に朝靄がかかって、幻想的な光景を見せていて、カメラのシャッターを何度も切っていった。大間ダムが眼下に見えるところからは、階段を谷底に下っていき、夢の吊り橋へと至った。これが歩ける幅は1mもなくて、底は透けて見えるし、上下に揺れてとても恐かったのだ。それでも、勇気を出し、手すりロープにつかまりながら、なんとか渡り切った。もちろん落ちたら命が危ない深いダム湖で...。渡り終えてホッとしたのも束の間、その後は560段の急な階段が待っていた。それも息を切らしながら登って、尾崎展望台へと向かった。ここには、昔使用していた森林鉄道の車両が展示してあったが、周辺は国有林となっていて、林業にも供されているのだ。道沿いには、初夏の野草がいくつか咲いていたが、ホタルブクロが朝露に濡れていたのが印象的で、カメラに収めておいた。帰路は飛龍橋を渡って、宿へと戻って来たが、1時間半近くの良い散策となった。
夢の吊り橋 | 飛龍橋 |
・ 朝風呂と朝食
その後は、散策の汗を流すために浴場へと向かったが、朝風呂には湯の花がたくさん浮き、そのぬるぬるで新鮮な湯はとても心地良いのだ。ゆっくり浸かって疲れを癒し、とてもさっぱりした。浴後しばらくして、大広間での朝食となったのだが、また山菜が何品か並べられていて、とても美味しく、食が進んだ。食後は、部屋に戻って始発のバス時間に間に合うように出立の準備を整えた。
8時40分の始発バスに10数分前から並び、ほぼ定刻通りに出発したものの、座席は補助椅子も含めてほぼ満員だった。来た道を戻っていくのだが、ほんとうに険しい峠道で、スリル満点だ。峠上からはこれから乗る井川線のアブといちしろ駅も望めた。バスは、30分ほどで奥泉駅に到着し、井川線のトロッコ電車に乗り換えたのだが、その名の通り、終点にある井川ダムの資材運搬用に敷設された路線で、ダム完成後は旅客用になったものだ。次のアブといちしろ駅から長島ダム駅間は、日本唯一のアプト式区間となっており、専用機関車を後尾に連結して、1000分の90という日本一の急勾配を登っていく。その光景はなかなか力強いもので、先頭車両に乗り込んで、大きくカーブを切った地点で、車窓から最後尾のアプト式機関車に向かってシャッターを切った。その後も渓谷美は美しく、ダム湖の中にある奥大井湖上駅など見所もたくさんある。ほんとうに深い渓谷の崖際を走っていくのでスリル満点だし、途中高さ100mの鉄橋もあって、その上から谷底の眺めは、目もくらむようだった。そんなトロッコ列車の旅も1時間10数分で終点井川駅へと至った。ほんとうはここで散策したり、井川ダムサイトまで行ってみたかったのだが、井川線は本数が少なく、折り返しの列車を逃すと、2時間以上待たなければならないので、やむなく駅で小休止しただけで、戻っていった。帰路も車窓から写真を撮りつつ、12時47分には千頭駅へ到着した。
急勾配を走るアプト式機関車 | 井川駅に着いたトロッコ列車 |
・昼食後新金谷へ
ずっとバスと列車に乗り継いできたので、ここで改札を出て昼食休憩を取ったが、駅前の食堂で食べた「とろろおろし蕎麦」(1,000円)は、山菜もたくさん入っていて、結構美味しかったのだ。食後は、駅に付属するSL資料館(100円)も見学してから、13時33分発の金谷行きにの普通電車に乗り込んだ。帰路の車窓ものどかな大井川の風景が展開していて、まどろみながら新金谷駅へと至り、大井川鉄道とはお別れした。
大井川鉄道千頭駅 | 金谷行き普通列車 |
・帰途に着く
その後は、駐車場に置きっぱなしにしていた愛車に乗り換え、相良牧之原インターから東名高速に乗ったのだが、静岡県内は順調に走っていたものの、厚木付近で、渋滞につかまってしまった。それでも、そんなにたいしたものではなく、30分ほどの遅れで抜けて、環状8号線へでで笹目橋を越え、夕方7時前には自宅へと戻ってきた。
今回の旅は、初日の午後に雨に降り込められたが、翌日はよく晴れ、2日間で、500枚ほどの写真を撮ることが出来た。高速道路の渋滞も少しだけだったし、良い温泉に入って、大自然を満喫し、美味しい物も食べてこられたから、まずまずの旅だったかな...。
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