このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
<岬と灯台写真館>
喜屋武岬と喜屋武埼灯台(沖縄県)
1995年9月21日午後に喜屋武岬周辺(沖縄県糸満市)で撮った写真です。
沖縄県を巡る9泊10日の旅に出て、まず、羽田空港から石垣空港へ直行しました。そして、石垣島、西表島、竹富島、宮古島と巡ってから、6日目午後に宮古空港から那覇空港へと飛んできたのです。翌日からはレンタカーを借り、時計回りに島内一周を試み、旧海軍司令部壕、南風原陸軍病院壕跡の次に沖縄本島最南端の喜屋武岬(きやんみさき)へと至りました。眼前に広がる海は穏やかで、美しかったのですが、戦争末期にアメリカ軍に追いつめられた避難民が断崖から身を投げた悲劇の場所でもあります。そこには、白亜の喜屋武埼灯台が佇立していました。
☆喜屋武埼灯台 | 地図 |
喜屋武埼灯台 (1995年9月21日撮影) |
| <特徴> 喜屋武埼灯台は、沖縄本島の南端にある喜屋武岬に立つ、白亜塔形の美しい灯台です。周辺は、沖縄南部戦跡国定公園に指定され、すばらしい海岸風景が広がっています。 <歴史> 現在の 灯塔高 (地上から塔頂まで)は14.91m、 標高 (平均海面から灯火まで)46.66mで、 光度 28万カンデラ(実効光度)、 光達距離 18.5海里(約34km) です。内部は、一般公開されていませんので、通常は外部のみの見学となります。 |
喜屋武岬と平和の塔 (1995年9月21日撮影) |
沖縄本島の最南端に位置する喜屋武岬の南方には広大で、静かな海が広がっているだけでした。荒々しい断崖絶壁が続いていましたが、太平洋戦争末期に、アメリカ軍に追いつめられ、行き場を失った人々が極まって身を投げた悲劇の地でもあります。そこに、平和の塔が建立され、恒久平和と鎮魂の思いが込められています。
ひめゆりの塔慰霊碑とひめゆり平和祈念資料館 (1995年9月21日撮影) | |
ひめゆりの塔と旧陸軍第3外科壕入口 (1998年11月15日撮影) |
喜屋武岬から少し、陸側に入ったところにひめゆりの塔があります。沖縄師範学校女子部・沖縄県立第一高等女学校生徒222名による「ひめゆり部隊」が看護活動を行っていた最後の場所、旧陸軍第3外科壕の跡です。この壕で、アメリカ軍のガス弾等により、46名の学徒、職員が一挙に亡くなっています。1989年(昭和64)6月23日に「ひめゆり平和祈念資料館」がオープンし、当時の戦争の悲惨さを物語ってくれるようになりました。私が訪れた時には、ちょうど「ひめゆり部隊」の生き残りの方が説明をされていましたが、涙なしで聴くことは出来ませんでした。このような戦争は、2度とさせるものではないと、強く思いました。
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